2014年09月

2014年09月30日

ピーチャン

どんと波 どんと来て どんと帰る

そうですか。

ちゃっぷ波 ちゃっぷ来て ちゃっぷ帰る

そういうこともあるでしょうね。

どんとちゃっぷ どんとちゃっぷ

はいはい。
わかりましたよ。

キューピーチャン

え?
突如キューピーですか。
まあ、いいでしょう。

ぴーちゃん お国は 海の向こう

確かに。
でも、

ぴーちゃん
ですか?

キューピッド変じて
きゅーぴーちゃん
はまだ良いとして

ぴーちゃん
と呼ばれても気にしませんか?
もう誰の事だかわかりません。

でも、
ぴーちゃん。
かわいいかもしれない。

昔ドイツ語圏の女性で
「ローゼマリー」
という人を知っていた。
「どうして日本の人ってワタシのことをマリーさん、と呼ぶのですか?」
と言っていた。
聞きなれない部分は
「ない」
ことにするのだろうか?




2014年09月25日

塩パン

かのゲーテ君は
「涙と共にパンを食べた者でないと人生の味はわからない。」
ということを仰ったそうだ。
格調と重みを備えたお言葉だ。

生きていると色々な悲しいことがある。


もう生きていくのも嫌になった。
早くお迎えが来ないかしら。
食欲も全然、ない。

泣いている。
もう、一日中泣いている。

「あの時は本気で死のうと思った。」
と、後になって述懐する。

後になって。
そう。
後まで生きていたということは食べるものは食べていた、ということだ。
そうでないと、あの時に、死んでいたはずだ。

生きるのも嫌になった自分の心と
生命を維持しようとする自分の身体。

死にたい、と思いながらも
「食べなきゃだめよ。」
と、言われてパンを涙と共に呑みこむ。
そんな自分を認識した時に
「人生の味」
がわかるのだ、とヴォルフガング君は言いたかったのだろうか?

「泣き泣き大飯?」
それなら、わかるぞ。




2014年09月23日

有機綿

夫は
「合着」
が欲しいそうだ。

今の季節、夏物では寒いし、冬物では暑い。
季節の端境期に身に着ける衣服ですね。

ふうん。
取り寄せをしてもらったものがあるので一緒に行って見てほしいと言う。
結構素早い動きをするみたいです。

貴重な時間を割いて出かけて行った。
お昼ご飯付き。

それは、よい。
それはよいが、試着するのを待っている間に目に止まった貼り紙。

「オーガニシク・コシトン」
何語だろう?
なかなか良いものであるらしいことが書かれてある。
初めて聞いた言葉です。
ふぅむ・・・・。

「おおがにしくこしとん」
考えを巡らす。

はい、はい。
「オーガニック・コットン」
のことですね!

そういえば昔、ジュンちゃんは自分の名前を
「ヅュン」
と書いていたっけ。



2014年09月22日

小学校の理科の時間。

教科書に載っていたのは、しゃがんで球根を植えている女の子の絵だった。

「女の子の持っているのはなんですか?」
と、先生。
「スコップ!」
と、威勢よく叫んだわたくし。

先生はきっとなって
「いしょくべら です!」
と大きな声でおっしゃった。

いしょくべら
移植べら

この言葉を知っている人はあまりいないみたいだ。

夫も知らなかった。

知っていましたか?

ガーデニングを得意としている方にとっては常識なのでしょうか?

スコップ、ではいけなかったのだろうか、と今でも
「きっ」
となった先生を思い出す。



2014年09月19日

このジャンルのお話第三弾です。

これでおしまいですので、ご勘弁を。


「宿便」

排泄しきれないで長年にわたって大腸の壁に蓄積されているそれ、というのが一般的な意味のようだ。
特に、美容業界では。
これを洗い流して差し上げましょうという美容クリニックもあるらしい。

結構です。

一方、
「宿便」
は、医学用語ではないし、腸壁はいつも動いていて排泄物を押し流しているのだからそんなものは存在しない、という説もある。第一、内視鏡で見てもそんなものに遭遇したことは、ない、というのもその根拠の一つらしい。
ベンピによって残留しているそれは
「滞留便」
と呼ばれる、という。
せいぜいが数日分。
でもね。
内視鏡検査をする場合は事前に、腸をきれいにしておくのでしょう?
だったら、そんなものを見たことがないというのは当たり前ではないのだろうか?

よくわからないです。
でも、あまり考えたく、ない。

漱石先生は修善寺での大吐血の後、辛くも一命を取り留めた。
その十日ばかりあとで、四人がかりで助け起こされて排便する。

「日記」
には
「宿便出づるや否や」
と、ある。
結構昔からある言葉なのだ。

これには深い意味があるのだろうと思ってしまった幼い日のカッサンドラさん。

だって
「宿命」
「宿世」
といった何やら運命的なニュアンスをまとった言葉があるではないか。
「宿啊」
だってある。
重い。


だからこの
「宿便」
は、
「宿願のこめられた、排泄物」
と、感じたのでしたよ。

確かに皆さんは固唾を飲んで見守っていたようだが。

漱石先生は
「滞留便」
の意味で使っていたのでしょうね。
それとも漱石先生の造語だったりして?





2014年09月18日

長イ塀 Part II

それは昨日の早朝のことであった。

生ゴミを出しによろよろと外に出たわたくし。
危うくふんづけるところだったではないか!

立ちXXの犠牲となった塀の際にに沿って、今度はどなたかのお食事が目的地に着いたか着かないかのうちにとっとと帰ってきたらしい痕跡が朝日を浴びているではないか!
しかも三か所も。

気持ち悪い。

でも、放っておいたら更にキモチ悪いことになるだろう。
仕方がないのでなるべく見ないようにしながらホースの水をかけてみた。
なるべく見ないようにしているのでなかなか命中しない。
飛沫が怖いのでなるたけ離れているせいもあるのだろう。

そいつは水を得たXXXのように周囲に拡がりこそすれ、流れてはくれない。

と、お隣の玄関が開いて奥様がご登場。
続いてお嬢様までご来臨。

わたくしが困り果てているのを見て、即座に水タンクを持って来て下さった。
大容量のそれを水で満杯にして
「どわ〜〜〜」
ときゃつに浴びせかけるその頼もしさ。

わたくしは竹ぼうきを持って加勢する。

力を合わせて不埒ものを排水溝まで追い詰めたのだった。

ご近所さんってありがたいです。

でも、この間の立ちXXに引き続きこの災難。
どうしたのだろうか?

「こころ」
では
「先生」
がお話の途中で急に裾を捲くって道端で立ちXXをする。
「やあ、失敬」
なんか言って。

当時はこういうのは一般的だったのだろうか?



2014年09月15日

長イ塀

「長イ塀 ツイ小便ガシタクナリ」
百寮萓犬里作です。

この週末は近所の八幡様のお祭りだった。
もうもう沢山の人出。
いや、お祭りが好きな人って多いのですね。

夜になるとお酒を飲んで練り歩く。
道端に座る。
座るのはよいが、立ちXXはいけません。
犯罪だ。
犯罪だが、ちょっと路地を入ったところにある我が家は毎年この被害に遭っている。
ロケーションがおあつらえ向きなのだろう。


何か対策を講じたい。
考えた。
・煌々と灯りをともす。⇒配線が面倒
・水を撒く⇒流れてしまう

しかしここで泣き寝入りするカッサンドラで、はない。

妙案が浮かんだ。
曰く
「ドライアイスの刑」

塀の根元に沿ってドライアイスをならべる。ずらり。

不埒ものが
「じょわー」
とやらかした途端にもうもうと立ち込める白煙。
びっくりするだろうて。途中で止まるかもしれない。
そして
「自分はもしかしたらヘンな病気にかかっているのではないか!」
という恐怖に襲われる。

夫に話したら笑い転げられた。
そんなことで断念するカッサンドラでは、ない。
来年こそ!

2014年09月14日

カッサンドラはなぜ死んだ?

唐突に再開。

色々なことについてはまたいずれお話しさせて下さいまし。

さて、有名な方のカッサンドラちゃんはたしか王宮の入り口でアガメムノンと一緒に殺されたように記憶している。

無名のわたくしカッサンドラは
「デング熱」
で死ぬことになった。

わたくしの伝記には
「20XX年デング熱で死去」
と記されるだろう。

デング熱

今話題の伝染病です。
罹患者は
「症状は落ち着いている」
とか
「軽症」
と報道されている。それなのにどうしてわたくしはそれで死ななければいけないのか?
それは、二回目、だからだ。
二回目に感染するとデング熱は
「出血性」
となって、重篤化するのである。
「王妃マルゴ」
のジャン・ユーグ・アングラードのように、全身から出血して死ぬのですぞ。

昔バリ島から帰ってきたばかりの時にスサマジイ高熱に襲われた。40度はあった。
病院には行かなかった。
あれはデング熱だったに決まっている。
だから次は二回目。

イタリア人のクラスメートの家で
「子羊の脳」
をご馳走になってから
「クロイツフェルト・ヤコブ病」
で死ぬことに決めていたが、わからないものだ。
人生は予測不能なのですね。