2014年10月

2014年10月31日

カッサンドラの総て

昔々、結構熱心にある外国語を学んでいたころ、授業で
「履歴書の書き方」
を勉強することになった。

先生が書くべき内容をボードに箇条書きにする。
そして
「では、あなた。」
と、熱心なあまり最前列に座っていたわたくしを指差した。

「はい?」

「生まれはどこ?」
「浦島です。」
先生は誕生地の項に
「URASHIMA」
と、書いた。

「お父さんの名前は?」
「太郎です。」
「TARO」

「お母さんの名前は?」
「乙姫です。」

ボードに
「OTOHIME」

「お父さんの職業は?」
「歯ブラシです。」

こうしてわたくしの生年月日や学歴は言うまでもなく、母の旧姓、兄弟の数と性別、その配偶者、職業などなど
「カッサンドラの総て」
がクラス全員の前で暴露されたのだった。

別の時は
「家の構造」
についての表現を学んだが、やはり最前列に座っていたわたくしが情報公開の対象となり、我が家は
「いくつ部屋があって、間取りはどう」
ということが詳らかにされたのであった。
クラスの中に空き巣を職業としている人がいなくて、よかった。

なんとなく不愉快だったが、なんの抵抗もしなかったわたくし。

今なら問題になるのでしょうね?

今でなくとも問題と思うが。





2014年10月24日

「非常線の女」?「ウエストサイド物語」?

自慢ではないが自慢すると、わたくしは二十代、いや、十代の終わりごろから体重が殆ど変わっていない。

確かに、時々食べ過ぎたりすると数キロ単位で増えたり減ったりはしていた。でも、その場合でもいつでも元の体重に戻る。むか〜〜しのお洋服がいまだに着られる。サイズも同じ。
えへん。

しかるに。
このごろおかしい。
ヘンだ。

ファスナーを普通にしめて、何の不都合もないふる〜〜いスカート。
着用して外出する。
しばらくすると上に上がってくる。
座っていると特にそうだ。
だが、上がっていくとそこには肋骨の一番下があるので苦しい。

もじもじとスカートを下に引っ張るわたくし。

また、上がってくる。
引っ張り下ろす。
上がってくる。
下ろす。

繰り返す。

親戚のふうちゃんに話したら
「細いところ細いところを求めて上がってくるのね。」
と、言われた。

これは、よく聞く
「腰回りにお肉が付いた。」
ということなのだろうか?

考えたく、ない!

ヒップのサイズも変わっていないのだから!

と、いうことは
「体型が、変わった。」
という結論になるのだろうか?

「非常線の女」
の、田中絹代のように、バストのすぐ下からスカートが始まるようになる日も近いのだろうか?




2014年10月16日

Sくんのこと

しばらくぶりに美味しいおそばが食べられると喜んで入ったそのお店。

向こうからじっとこちらを見る人がいる。
知っている人のようだ。
確かにこの人は見おぼえがある。

S君だ!
小学校のクラスメート。
でも、あまり親しくはなかった。なぜならば彼は病気でしょっちゅう学校をお休みしていたから。

「ケツユウビョウ」
と、先生はおっしゃった。
怖そうな名前の病気だ。
さっそく
「家庭の医学」
で調べる幼い日のカッサンドラ。

血が止まらなくなる病気。

イヤな病気だ。

そのあともS君はしばしば入院をしてはお休みをした。したがって成績も芳しくなかった。
おとなしかったし妙に悟ったようなところもあって、いつもにこにこしていて、どんな風にお話ししてよいかもわからなかった。おうちも裕福とは言えなかったようだ。
その後のことは知らなかったし、話題にも出なかった。
彼のことは殆ど忘れていたといってよい。

そのS君がお蕎麦屋にいる。

奥さんらしき人と娘さんらしき人もいた。

正直に言います。

「生きていたのね!」
というのが真っ先に思ったことだった。

うれしかったです。

遠くからお互いを認めて挨拶をした。

生きていこうね。
S君。


2014年10月09日

はらわたに春

この間のNHK
「プロフェッショナル・仕事の流儀」
の内容はよかった。
ナレーションは相変わらずで、耳を半分閉じていたが。

口から物を食べられなくなったら、もう、いいや
と、思っていた。
「生きていかなくても」
と。
人も動物も口から栄養を摂取して生きている。
その機能が失われたら、
「生きていく能力がない」
ということだろうと思っていた。
そうかも、しれない。
しかし
「その機能が失われた。」
と判定することの難しさをあえて考えることはしなかった。

この番組は
「その機能が失われた」
と判定されかかっている人たちを様々な試みによって
「口から食べる」
ことができるように助けていく管理栄養士の仕事を追ったものだった。

再び口から物を食べて
「おいしい」
という人の幸せそうな顔。

簡単に、中心静脈栄養や胃ろうなどに移行させられている人たちも多いのだろうと思う。
やはり、人間を手伝うのは人間の手、という側面があることを改めて思った。

漱石先生はこの時しみじみと幸せ感じたのだろうと思う。

腸に 春滴るや 粥の味



2014年10月03日

御手?

突如として出現する
「ぴーちゃん」
もそうだが、世の中に流布している言葉には、論理的ではないものも多い。
でも何となく納得してしまっている。

「判官御手を取り給ひ」
という長唄
「勧進帳」
の言葉も変だ。
いえ、そうおっしゃったのは露伴先生らしい。
わたくしはただ、尻馬に乗っているだけでございます。

知恵と胆力とで安宅の関を通り過ぎたあと、判官義経が、功労者弁慶に感謝する箇所である。

弁慶は、判官ではないかと見とがめられた義経を
「これは単なる強力である。
 わずかの荷を背負ってやっとついて来るだけのこの役立たずのために、関で止められるなど腹立たしい!」
と言って
「金剛杖を押っ取って」
さんざんに打擲してみせる。
義経ではないことをお役人に納得させるためですね。

おかげで一行は無事に安宅の関を通過する。

弁慶は主君を打ったことを涙ながらに詫びる。
それに対して、義経は弁慶の手を取って礼を言う。それがさっきの
「判官御手を取り給ひ」
なのである。

弁慶の手を
「御手」
というのはヘンだ。

その通りですね。

でも、そういわれるまで気が付かなかったわたくしでしたよ。
リズムよく流れているので不自然ではなかったからだろうか?

ちなみに能
「安宅」
にはこれに該当する箇所はありませんね。




2014年10月01日

オットー婆さんと

「オットー婆さんと」
としきりに言う人がいた。

オットー婆さんと。
それとも
夫、お婆さんと。
なのかと思いながら聞いていた。

やっと
「OTTO VERSAND」
のことだとわかった。
有名なドイツの通販会社ですね。老舗でもある。
住商オットーとか言ったこともある。
比較的廉価。
というか、とてもお安い。

オットー
は、良い。
VERSAND

「フェアザント」
と、読むのです。

でも、わたくしのような貧弱な身体の人間はここのお洋服はとても着られない。
薄っぺらい体つきの人間が薄っぺらい生地のお洋服を着ると風に吹かれるカカシのようで本当に目も当てられない。

でも、厚みがあって上背もあるかの国の人が着ると、それなりにサマになるのである。
いいな。