2019年03月

2019年03月31日

出た〜〜〜〜

あまりこんなことばかり言っていると
「NHKいじめ」
と、評されそうだ。

でも
でも、言います。
言わせてもらう。

あの
「チコちゃん」
を夫が観ていた。
朝の連続ドラマを振り返る
という趣旨の特別番組のようだった。

ふと目をやると
「鮎のうた」
とかいう番組の写真が出ていた。

あれ?
なんだか、ヘンな感じ。

お着物の人が二、三人写っている画像だ。
ヘン
左前に着ている。
全員が!

出演者がおバケなのか、さもなければ
画像を裏返しにして放映してしまった
のどちらかなのだろう。


この画像をパッと見て
あれ?
と思う人がNHKには存在しないのですか?

本当にいい加減な人達ですことね。

語るに足らないぞ。


selber at 00:30|PermalinkComments(0)怒れ! 

2019年03月30日

昭和の終わりと平成の始まりと

平成も終わりに近づいている。

世界的、国家的規模、また個人的にも
色々なことがあった時代だった。
多分、わたくしの人生の中心は
平成なのだろうな。

そんなこと今まで思ったことも、なかったが。

平成の始まりは、英国圏で迎えた。

その前に
昭和天皇が崩御なさった時のテレビの報道には
驚いた。

旧大英帝国の軍人だった人たちが
深刻な、また、怒りを含んだ表情で
インタビューに答えていた。

「ヒットラー、ムッソリーニと並ぶ、暴君
 エンペラーヒロヒトがこれまで生きていたこと
 は不可解だ。」
「ヒロヒトが我々に味あわせた屈辱を思うと
 その死を悼むことなんか、無用だ。」

言いたいことは、あるのだろう。

わたくしには、ある意味での理解はできても
共感は、できない。

人の死は、もう少し謙虚に考えたいと
思う。



selber at 13:40|PermalinkComments(0)思うこと 

2019年03月29日

行ったり来たり イッタラ?

朝は大抵の場合、紅茶を飲む。

五百CCぐらい入る白のポットで淹れて
一度カップに注いだら、お湯を注しておく。

二人で二杯づつ。
ちょうどいい大きさだ。

お休みの朝は、大抵はコーヒーである。

一リットル弱ぐらい入るポットに作って
テーブルに出しておく。夫はストレート。わたくしは
たっぷりの牛乳を加える。

コーヒーは,
注いだ後、お湯を注しておくわけにはいかないので
大きいポットが入用と、なる。

これが、苦労する。

歴史を繙くと、
キャトルセゾンで買った、フランス製の、陶器。
南仏の物なんですって。
白地にお花が描かれていて、好きだった。でも、
注ごうとすると、だらだらだら〜〜〜〜
後ろに、回る。
肉厚で、注ぎ口が短かくて、確かに後ろに回りたそうな面構えだった。
ちょっとぶつけたら、欠けてしまった。
捨てた。

ハビタのポット
磁器。
これはお安くて、容量もたっぷりあって、しかも、結構使いやすかった。
蓋を落っことして、割ってしまった。
捨てた。

ポルチェラーナ・ビアンカのコーヒーポット
当然磁器。高かったな。これは
まあまあ、だったが
重い。
それでも数年使って、結局金属の水切り籠に
ぶっつけて、ヒビが入ってしまった。そこから漏るので
捨てた。

最後に、自由が丘で買ったブルーの陶器のポット。
沢山入る。
安い。
デザインはやや、投げやりな感じで、安っぽい。
これまた、注ぐはじから後ろに
じゃばじゃばじゃば〜〜〜〜
お見事!!

スキッパーという、注ぎ口に差し込んで
後ろ回りを防ぐものを使っているが、それでも
ダメ。

まだ割っていないのだが、たまりかねて
探す。
販売員に尋ねると決まって
あちらです、と言われるが
ドリッパーと組み合わせて使う
無味乾燥の物とか、耐熱ガラスのものとか。
ガラスは、キライ

ステンレスのポットは
コーヒーを淹れる時にお湯を上から注ぐためのものでしょ。琺瑯も、そうでしょ。

それから、楽しげに花模様がついていて、縁に金がほどこしてあるものは
我が家には、向かない。
第一すぐに壊してしまうだろう。

また、小さかったり
形状がいかにも不安定だったり
驚くほどお高かったり
する。

今考えているのは
イッタラ。

これも、後ろに回る
という噂がある。

皆さま、どうなさってますか?

2019年03月24日

はしごちゃん

きょうだいのジッちゃんは
おっとりとした、優しい子だった。

高校の時、校舎が立て替え中だったので
仮校舎で授業を受けていた。

職員室も教室も、体育館もみんなプレハブのような建物
だった。
図書室も。

ある時家で、高校の司書の先生のお名前は
なんと言ったっけ?
という話に、なった。

ジッちゃんは今度見てくるね
と、言った。

次の日帰宅したジッちゃんは
「わかったよ!」
と、みんなに報告してくれた。

あのね
シンニュウにこう書いて、こう書くの。それから
難しい、という字
それから、名前は
キヘンにおとうと
そして、子供の子

両親は黙って、その字を書いた。



でしょ。それからキヘンに弟

子供のコ


大笑い!

「避難梯子」

図書室の入り口付近に、避難用の梯子があったらしい。
それを示す札を、わが、ジッちゃんは、司書の名前と思ったらしい。

確かに四文字
最後が子
名前でもありそう。

でも、高校生だった。
意味も考えずにひたすらその漢字を覚えて、帰宅した
ジッちゃん。

卒業後は国立のピアノ科に進んだ。

芸術家、だった。



2019年03月18日

お手製の品を頂いた!

ある方からプレゼントを頂いた。

お手製の、ポーチ

色は、黒。

良くありますね?
お花のように見える、かぎ針で編んだ3センチ四方ぐらいのモチーフ
数枚はぎ合わせて、それに、ファスナーがつけられている。

困る。

純粋に、趣味の問題だ。

使おうという気持ちが、起きない。
すみません。

でも、
まあ〜〜。ステキ!
ありがとうございます。

などと言って拝領する。

そして、使わない。

その方はまた、別の人に同じようなものを
上げていた。わたくしの前で。

そして曰く
「使って下さる方に、差し上げるの。」

それがよろしいのでは、ないでしょうか?



2019年03月15日

渋谷から恵比寿まで

渋谷の駅で
改札を出る前にお友達とおしゃべりしていたら
「恵比寿に行くバスは、どこ?」
と、耳元で叫ばれた。

見ると度の強い眼鏡を掛けて
カートを引っ張った、小さなお婆さん。

恵比寿なら電車で一駅だ。
でも
バス
と言っている。

ここを出て左に行くと
沢山バスが止まっていますから
そこから出るのではないでしょうか?

「沢山は、イラナイの。
 恵比寿

では、と駅員のところにお連れする。

きょとんとした表情の
お婆さん。小さい。

お友達と別れて歩いていると、また
「恵比寿に行くバスは」
と、叫ばれた。同じお婆さん。

後ろでは駅員が
「あっち、あっち!」
と、これまた叫んでいる。でも
出てきてくれない。

仕方がない。

進み出て、駅員に
「あっちですね?」
と、確認する。
「はい。」

仕方がない。

構内を引き連れて、東口のバス乗り場に続く通路に
お連れする。

「大丈夫ですか?ここからまっすぐですよ。」
「大丈夫ですよ。」

お婆さんはカートを引きながら
人ごみの中に消えて行った。

大丈夫だったかしら?

恵比寿なら電車で一駅なのに。

自分の将来、しかもそう遠くない
将来の姿を見る気が、した。

2019年03月13日

パーティ?

昔風の社内のお付き合いが
見直されているという。

退社後の上司をまじえての、飲み会
社内旅行
家族も加えての運動会
など。

わたくしの働いていた組織にも
社内旅行が、あった。ヨーロッパのさる公的組織の日本駐在事務所、
だった。
ガイジンは意外に好きなのですね。

それに決して参加しない女性が、いた。
彼女の国籍は、その、ヨーロッパの国。

どうして?
と、まだ素直で、目上の人の言いつけには従うものだと
思っていたわたくしは、彼女に訊ねた。

「不幸な気持ちに、なるのよ。」
という答えだった。

え?

「男性が旅館のキモノを着て、タタミにお行儀悪く座って
 おサケを飲んで、エンカを歌い、お銚子を持って
 キモノの裾をはだけてはだしで歩き回る
 なんていうのを見るのは、本当に本当に、私を不幸な気持ちにさせるの。」

なるほど。

そんな姿を見せても、仕事の時は上司然としたふるまいをして
なんの疑問も感じない人には、確かに、敬意を払いにくくなるだろう。

見たくない。
はだけた浴衣からのぞく、上司のフトモモなんて。

イヤだ。

ある時東南アジアから東京に出張で来ていた女性が
「社内旅行」
と、
「パーティ」
に招待された。

憧れのニッポンの
「パーティ」

彼女はとっておきのドレスを着用した。

きらめく生地から作られた
ひらひらとしたゴージャスなフリルが付いていて
大きく開いた襟元
肩から腕も露わな、まあ
それは素敵なドレスだった。

ずらりと並べられた長テーブル
畳の上のお座布団
一人ナベの炎
新鮮とは言えないオサシミのつま
宴たけなわとなると
カラオケ大会と化するその
「パーティ」
で、彼女はドレスとおそろいのスパンコールの付いたサンダル
を、スリッパの乱れ散る廊下に脱ぎ捨てて
数時間を煉獄の中で過ごした。

わたくしも、あまり、好きではない。
そういうのは。

英語で言えば、確かに
パーティ、ではある。



2019年03月11日

き き

高校か中学の頃だったと思う。

学校から調査票のようなものを渡された。

保護者に記入してもらい、提出しなさい
という紙切れだった。
今でも、あるのですか?

色々な項目があったが中に
本人の生活態度や性格などについての親の考えを
書く項目が、あった。

忘れも、しない。
「性格」
の箇所に、父は
虚栄心が強い
狭量

と、書いた。

虚栄心が強い。
はい。
「狭量」
という言葉は初めて聞いたが、良くない意味だということは、はっきりと感じた。

第一、響きが良くない。キツ〜〜イ印象だ。
客観的、かつ、決定的な感じがする。
多分心が狭いということなのだろうと、
思った。

白状する。

その通りです。心が狭い、その通り!
いまだにそうです。
ええ、そうですとも。

その時にわたくしは父に抗議した。

もともと結構厳しいところのある、怒るとコワイ父だったので
そんなには言えなかった、と、思う。せいぜいがべそをかいて
「ヒドイ!」
と、訴えるぐらいが関の山だっただろう。

もちろん父は譲らなかった。

母もいたはずだが、どんな様子だったかは覚えていない。

教師とは言え他人に、娘の悪い面を
伝えなければいけないのか・・・。

自分は娘のことをそう、見ている
ということを、当の娘にもそんな形で伝えるのか?

悲しかったな。

その項目に記入するのは
「性格」
であって、
「欠点」
ではなかった。

父はわたくしの欠点のみを記入した。

わたくしは父の
「こうあってほしい」
娘ではなかったのは確かだ。少なくともその時は。
父はわたくしにそれを伝えたかったのだろうか?
この欠点を直しなさい
と、言いたかったのだろうか?

彼とて、楽しくはなかっただろう、と、今では思う。

子供にとって親は
生まれた時から、親だ。
しかし、親は大きくなって初めて親というものになった。

わからないこと
途方に暮れる事
こんなはずではなかった、と思うことは多いだろう。
子供は理想通りには、育ってくれない。

思うに、父も、母も

今のわたくしよりもずっと若い
小僧っ子、娘っ子
だったのだ。

少なくとも、あるいは、必ずしも方法として適当ではなかったとしても、きっと
子供の幸福
を願っていたはずだ。

と、今では思っている。

許す。

2019年03月10日

チキンラーメン

NHKの朝のドラマは欠かさず、録画してまで観ている、夫。

今回の
「まんぷく」
に昔の記憶を呼び戻されたとかで、張り切って
チキン・ラーメン
をご馳走してくれた。
懐かしいのだそうだ。

わたくしは初めて。
悪いが、あまり、気が進まない。

カップヌードルは、年に一回ほど無性にが食べたくなって
買ってきて、食べては、後悔する。

「できました!」
と、呼ばれて、屠所に引かれる子羊のように、しおしおと、テーブルに着くと
くねくねとした細い麺が、茶色いスウプの中に
沈んでいる。そのそばには一椀のご飯が。

さあさあ、どうぞ!
と誘われ、食べてみる。

どうせ添加物を満載した、しょっぱいものだろう。
でも、仕方がない。

ん?
それほどでもない。

麺は生麺とは全く違う、独特の食感で
マズくは、ない。お菓子みたい。
スウプはさすがにショッパイので、お湯で薄める。

それをおカズにご飯を食べるのだと。
どれ
マズく、ない。

塩っけでご飯を食べる、というコンセプトには変わりないが
マズくは、ない。

美味しいかもしれない。

全部いただいてしまった。スウプは、残す。

後でちょっぴりだけ、人口旨味成分の味が口の中に残ったが
カップヌードルよりは、まし。

満腹に、なった。

見直した!
かもしれない。

今後はカップヌードルではなくて、コレにしよう!
確か夫は五袋入りを買ってきたみたいだし。

ところで、その昔。
職場の旅行で、教養があり、加えて、自他ともに紳士と認められていた上司が
バス停でカップめんを買って、ベンチで一人、食べていた。
ヨウロッパのある国の方。
若かったわたくしは、ショックを、受けたな。
あんな物は人目をしのんでこそこそと食べるのもだと思っていたので。
カップめんは恥ずかしい食べ物だと、思っていたので。

今でも少しそう、思っているけど。

別の紳士は、趣味は狩猟、好きな食べ物はカップめん
と、言っていた。

世の中は一筋縄では、いかないものだ。

2019年03月08日

朝の試練?

パニック障害
は珍しいことでは、ない。

この頃考える。

時々ある駅のお手洗いに立ち寄る。
朝の九時半ごろ。

数人並んでいるが、個室の数からしてそう長く待つほどではなさそうだ。
一個室に付き、一人ぐらいだ。
で、待つことにする。

しかるに
なかなか進まない。

そのうちにあることに気が付いた。

皆さん、所要時間が異様に、長い。
出て来る人が、あまりいない。

十分ぐらいの人も、いる。
もっと、長い人も、いる。

一体、何をしているのか?

中から何かの気配
例えば、衣擦れの音などが、しないのだ。

し〜〜〜ん
と、している。

ベンピ?
泣いている?
寝ている?
着替え?
読書?
スマホ?

わからない。

もしかしたら、もしかしたら、ですけど
お手洗いから出られないのですか?

カイシャに行きたくないのですか?
必死で駅まで来たけれども、どうにもその先に足が向かない
のですか?
考えれば考えるほど、個室から出て職場に向かう
という行動に移れないのですか?

あれやこれやと想像を逞しくしているうちに
やっと、一人出てくる。
無表情に手を洗い、ドアを開けて出て行く。

シアワセそうには見えない。

お話を聞いて差し上げたい
と、思う。

人生とは難しいものだ。