本のこと

2019年02月18日

大隅教授と迷亭君の伯父さん

東工大の大隅先生が
ノーベル賞をおとりになった時に
「tangibleなものだけにとらわれて研究を続けていると
 やがて行き詰まる心配がある。」
という意味のことをおっしゃっていた。

同感です。

具体的な効果を追求する傾向が強い現代の社会。
効率が、何よりも重視される今。

これはナニナニに使える。
これはナントカに効果が期待できる。
ということがないと
研究費も中々出ない。

わたくしの少ない見聞からも
このことは明らかだ。

ある研究者の方は、自分の研究の成果について、その昔
「何に役に立つかは、興味のある人が考えてくれれば、いいんだよ。」
と、言っていた。
その人はアメリカに行って今は大学で教えている。
そして、研究費の調達に苦労しているという。

どこも、同じなのだろうか?

一見すぐには役に立たない物に
思いがけない力が潜んでいることも、あるだろうに。
残念な事だ。

リベラルアーツの重要性が言われてもいるが
実際は、特に独立行政法人となってしまった国立大学
などでは、企業からの研究費が、重要な原資になっている。
だからますます、すぐに役に立つことが最大の優先事項となる。

国立だからこそ、すぐにはおカネに替えられない、
しかし重要な研究にお金を出してほしいと、思う。

こうやって国の文明度が低下し、最終的には
物心ともに貧しい国家と、なるのであろう。


迷亭くんの伯父さまは
「凡て今の世の学問は皆形而下の学でちょっとけっこうなようだが、
 いざとなるとすこしも役にたちませんてな。」
と、仰った。
その後に続く彼の持論には賛否があるかもしれないし
漱石自身がそう思っていたかは、わからない。しかし
明治の代にすでにこの問題を示唆していた漱石は
やはり、偉大な文明批評家だと
思う。

本当の意味における真実
希求する心が人類の幸福に寄与する
と、思うのですけどね。






selber at 08:41|PermalinkComments(0)

2019年02月03日

formidable!

読んでいてどうしても意味が通じない。

フィッツジェラルドの
「Tender is the night」
をたどたどしく読んでいる最中なのです。

ステキ!
の、意味だと思っていた。

C'set formidable!
というセリフでしか知らなかったの。

本来は
「恐ろしい」
というネガティブな意味だったのですね。
知らなかった。



selber at 18:24|PermalinkComments(0)

2019年01月28日

金の輪 小川未明

小川未明に
「金の輪」
という作品がある。

哀しいお話だけれども、好きだ。

昔はよく、子供が死んだのだろうな。
子供が死ぬのなんて、珍しくなかったのかも、しれない。

病み上がりの子供、太郎の目に映るのは
金の輪を転がしながら走って行く男の子。

目が合うと懐かしそうに微笑む。

ひいやりとした空気
金の輪を転がす音
夕暮れ
微笑み
金の輪を転がしていく男の子は、消える。

そして、太郎も
やがて、死んでしまう。

不思議なお話。

きっと、安らかに亡くなったのだろうと
思う。
最後に聞こえていたのはその、金の輪を転がす音だったのかもしれない。

死ななければいけない太郎に
神様が最後に見せてくれた光景
コワクナイヨ

神秘的なお話だ。


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2018年01月04日

百まで数えろ

冷え性
ではないと思う。

よく、まず脇の下に手を入れて、それから
おなかに手を当てて
二か所の温度を比較して
おなかのほうが脇の下よりも温度が低かったら
冷え性
だと言われる。

やってみたが、よくわからなかった。

でも、手足が冷えて、寝られない
などということは、ない。

風邪は、時々ひく。

風邪は、高温に弱いらしい。

「風邪をひくといけないから、暖かくしなさい。」
「風邪かもしれないから、暖かくして過ごしなさい。」
とは、よく言われた。

お風呂では
「百まで数えないと、出てはいけません。」
と、お湯の中に身体を、突っ込まれた。

危ないでは、ないか!
そして
目にもとまらぬ速さで、百まで数えて
怒られた。

今になって
お風呂に浸かって、ゆっくりと
百まで数える。

モノスゴク温まる。

昔の人の言うことを軽視しては、いけない。

よく、寝られますよ。

そういえば、
「ビッグ・スリープ」
が、どうして映画では
「三つ数えろ」
になるのだろうか?
不思議なのです。

村上春樹がチャンドラーの全長編を
訳し終えたらしいですね。


selber at 22:13|PermalinkComments(0)

2017年10月17日

薔薇の木に

薔薇の花咲く
何事の
不思議なけれど


と、続く。

北原白秋

国語の時間に、生徒に
何篇かの詩を鑑賞させた。

「このうち一つでいいから
暗唱できるようになって来なさい。」
という宿題を出したら、男子全員がこの詩を選んだ
と、母は笑っていた。
理由は
短いから、だろうな。

それでも、良い。

若い時に暗記したことは、なかなか忘れない。
ふとした時に、ふっ、と、戻ってきたりする。

薔薇の木は時が来ると
薔薇の花を咲かせる。

当たり前の営み。
生きて行くと、その当り前で何の不思議もないことが、
有難くも嬉しくも思える時が
必ずある。

その時、心の底にこの美しい詩が甦ったら
きっと、豊かな気持ちになるだろう。

当たり前のことが普通に続く世の中であってほしいと
思う。

母は、花の中では薔薇が、一番好きだったようだ。







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2017年09月22日

漱石微苦笑

漱石没後150年を記念して
「漱石山房記念館」
が開館されるとのことだ。

行かずばなるまい。

このニュースの中で
「実は漱石の笑顔の写真は
あまりないのです。」
と、わざわざ断っていた。

それなら、よいでしょう。

あまり文脈に関係のない箇所では、あったが。

お分かりいただいたのなら、
まあ、いいでしょう。

お席に戻って、いいですよ。

ところで
「微苦笑」
という言葉は、漱石先生の造語
だったのですか?
久米正雄という説も、あるらしいが。




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2017年07月04日

自分のトリセツ

フローラちゃんは
「自己啓発本」
を、読んでいるそうだ。

まああ〜〜〜〜〜。

もっと頭の良い人が、死に物狂いで考えて書いた
ちゃんとした本を、読んでほしい。

思わずそんなことを言ってしまった。

「大学の先生とかが書いた本ですよ。」
と、言うフローラちゃん。

わたくしが
アタマが良いというのは
大学の先生なぞのことでは、ないのよ!


プラトン
とか
岡倉天心
とか。
鈴木大拙
とか。
漱石も、子規も
そうだ。
トーマス・マン
でも、よい。
コリン・デクスター
カズオ・イシグロ
スコット・フィッツジェラルド
加藤周一
ええい、じれったい!!


「茶の本」
を、上げただろう。読んだのか?
「パイドン」
だって上げただろう。
読んでいないだろう!!!

読まんでよろしい。
返しなさい。


自己啓発本はつまるところハウツー物だ。
自分という人間を、トリセツを読んで
作り上げるなどという
安っぽいマネをしてはいけない。

本に書かれてあることが正しくて
その通りにしよう
それで勝ち組になろう
と思うような読者をターゲットにした本に
ロクなものは、ない。

本を読むという行為から
直接の効果を得ようというのは
賤しい考えだ。



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2017年05月22日

デイズィ・ブキャナン

このところ寝る前には
「The Great Gatzby」
を読んでいる。
適当にページを開いて、何ページか読む。
辞書をそばに置いて。
これを読むのは3回目ぐらいになるが、知らない単語にまだ、出くわすのだ。
我ながら、記憶力が悪い。

今回思ったのは
デイズィ・ブキャナン
なんというか、人としての輪郭が見えてこない。
もしかしたらそれこそが、フィッツジェラルドの意図するところかもしれないが。

あるいは、それこそがフィッツジェラルドの女性観かもしれない。
後で変化した気配もあるが。愛しき背信者などを読むと。


デイズィは、A Beautiful Little Fool
が大人になったような女性。
自分では何の決断もできず、周囲の力によって
変化してしまう。
ふわふわしていて、何をしても、何を言っても一時の情動でしかない。
ウソと本当の区別があいまいだ。
何が嘘で何が本当かは別にしてね。

ジョーダン・ベイカーの方はまだ、類型的と言う批判はあろうが
人として存在感が、ある。

それに引き換えニック・キャラウエイはじめトム・ブキャナン、
その他、電話を掛けてくるだけの男でさえ、
登場人物としての厚みが、ある。

当のギャツビーも、とらえどころがない。
最初に翻訳で読んだ時にはギャツビーが
あまりにも田舎っぽくて、恥ずかしくて
とても共感が、湧かなかった。

原文で読んでも
距離を置いて見てしまう。

本の裏に出ている評には
ラブストーリ
と、あった。
違う気が、する。



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2017年05月01日

カチューシャ可愛いや

ちょっと必要があって、夏目伸六の
「父・夏目漱石」
を、読み返した。
昔買ったのがあった筈が、見つからないので、新たに購入した。

その中に、伸六さんが縁側で
「カチューシャ可愛いや〜〜〜。」
と、
「妙な唱を」
一心不乱に歌っていて、書斎から飛び出して来た漱石にいきなり頭を張られた一件が
書かれていたと、ふと思い出したのだが
この本には、なかった。
削除されたのだろうか?
それともわたくしの記憶違いで、別の本なのだろうか?
どなたかご存じありませんか?

この本の中の圧巻はやはり第一章だと思う。

芸術家を父に持つということの宿命と苦悩が
情緒と理性、そして哀惜を以て細やかに、語られている。




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2015年10月03日

ヌパ

家にある本を手当たり次第に読んでいたわたくし。

故石井好子さんの
「パリの空の下オムレツの匂いは流れる」
とかいった本も読んでいた。
小学生の頃です。

美味しそうなお話が沢山あった。


パリに到着して間もない好子嬢。

知人の下宿の電話する。マダムが出るので、わずかに知っているフランス語で
「誰それさんシルヴプレ」
マダムは
「ヌキテパ。」
と、言う。

ヌとパがついているのだから否定だ。
いないのだろう
と勝手にに決めた好子さん。

電話を切って
頃合いを見てまた掛ける。
「ヌキテパ」
切る。

また掛ける。
「ヌキテパ」
切る。まだ帰っていない、と思う好子嬢。

四回か五回繰り返したみたい。

お相手の方は大分上の階にいらっしゃって、
電話ですよ、と言われて降りてくると電話は切れている。
また呼ばれて降りて来ると、切れている。
午前中いっぱい
お仕事にならなかったそうだ。

ヌ・パ
は否定
と知った読書体験だった。
「ネキテパ」
に近い発音の人もいますね。


最初に知ったフランス語の文章は
ル・ボン・パン
だったな。
「小公女」
でした。



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