漱石先生

2017年12月27日

クラシックの「迷宮」

漱石が謡を習っていたのは周知のとおりである。

明治のワキ方の名人
宝生新について下掛宝生流を稽古していた。
だいぶ熱心だったようだ。

さて
「夏目漱石と音楽」
と題されたその回。

宝生流の元宗家
故・宝生英雄の
「高砂」
の一部を放送していた。
「高砂で一番知られている部分」
と、紹介されて。

ちょっと、違う箇所が。

いいですか。

いわゆる
「宝生流」
は、シテ方のことを指すことが多い。
この宝生英雄氏も、シテ方。

漱石にちなんだ謡を放送するのなら
「下掛宝生流」
すなわちワキ方宝生流の謡を放送するのが
番組の趣旨に沿っている。

しかも、しかも、漱石の先生である、新のお孫さん
宝生閑さんは昨年までご存命だった。
NHKに音源がないはずは、ない。

なんなら貸して差し上げましたものを。

加えて
「高砂で一番知られている部分」
とは、まずは、あの、だれでも知っている
「高砂や この浦船に 帆を揚げて」
だろう。
この部分は本来ワキ方が謡う。

閑さんのこの部分を放送すれば
ベストだ。

え?
「博覧強記」
ですか。

「どうせ知らないのだから」
と、ナメてかかって
いい加減な内容を放送したでしょう?

知らなければ、調べるなり尋ねるなり
すればいいのではありませんか?

「迷宮入り」
してしまいましたね?


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2017年12月26日

金ちゃんと花月くん

この間まで謡は
「花月」
をお稽古していただいていた。

やっと
「まあひとまず終わり」
というところまで漕ぎ着けた。

ふぅ〜〜〜。

ところで、少し後になってから
野上豊一郎が、漱石の好きな謡の中に、この
「花月」
が、あった、
と、書いていたのを発見!

そういえばあの
「修善寺の大患」
として有名な大吐血の少し前に
「花月」
を、謡って
「これで悪くなれば、自業自得。」
と、書いていた。

そうだったのか!
そうと知っていれば、もっと身を入れておさらいしたのにな。

しかも、野上によれば
「小唄の段」
も漱石のお気に入りだったとのこと。

あそこは、難しい。
位、節、間、ノリ、拍子、すべて。
今回も、ずいぶん直されました。
まだ、完璧ではないが、仮釈放された、というところ。

漱石先生は、リズム感も良かったのね。
拝聴したかった。

ところで、野上豊一郎は、漱石の謡を
「癖はあるが、節扱いが器用で、ちょっとおっつけそうに思えなかった。」
と、評している。さらに
「上手でも、下手でも、ない。」
という意味のことを書いている。
声は、よかったようだ。

一方、野上夫人、弥生子は
「ヤギがメ〜〜〜〜〜と、鳴くような。」
と、これは、酷評している。

どうだったのでしょうね?

「花月」
は、人さらいにさらわれた少年が、父親と再会するお話である。

父親役のワキ方が謡う
哀しみに満ちた部分を
漱石は、複雑な心で謡ったのかもしれない。


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2017年11月01日

温泉談義

風邪をひいたら、鍋焼きうどん。

寒い時には
温泉。

特に温泉好きというわけではではないが、
冷え込み始めるこの季節に
豊かに溢れる透明で清浄なお湯に浸かって
遠山の紅葉でも眺めたいものだ
と、思う。

いいなあ。

胃痛の奥様に
「ラーメンでも食べるか?」
と、見当違いの思いやりを示したその方も
温泉大好き。

ある時、お勧めの温泉について語ってくれた。

とてもよく暖まる、そして
景色も良くて
湯量の豊かな、大変にいい温泉らしい。
是非、いらっしゃいよ!
と、力説。
そこは
垂れ流しなんですよ!

その場にいた全員が、凍りついた。

かけ流し
の、言い間違いらしかった。

今でも時々思い出しては
30分は、一人で笑う。

モノを言う前に、良く考えなさいよ
と、夫には、よく、言う。

「草枕」や
「明暗」
を読むと、温泉に行きたくなりませんか?


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2017年09月22日

漱石微苦笑

漱石没後150年を記念して
「漱石山房記念館」
が開館されるとのことだ。

行かずばなるまい。

このニュースの中で
「実は漱石の笑顔の写真は
あまりないのです。」
と、わざわざ断っていた。

それなら、よいでしょう。

あまり文脈に関係のない箇所では、あったが。

お分かりいただいたのなら、
まあ、いいでしょう。

お席に戻って、いいですよ。

ところで
「微苦笑」
という言葉は、漱石先生の造語
だったのですか?
久米正雄という説も、あるらしいが。




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2017年05月01日

カチューシャ可愛いや

ちょっと必要があって、夏目伸六の
「父・夏目漱石」
を、読み返した。
昔買ったのがあった筈が、見つからないので、新たに購入した。

その中に、伸六さんが縁側で
「カチューシャ可愛いや〜〜〜。」
と、
「妙な唱を」
一心不乱に歌っていて、書斎から飛び出して来た漱石にいきなり頭を張られた一件が
書かれていたと、ふと思い出したのだが
この本には、なかった。
削除されたのだろうか?
それともわたくしの記憶違いで、別の本なのだろうか?
どなたかご存じありませんか?

この本の中の圧巻はやはり第一章だと思う。

芸術家を父に持つということの宿命と苦悩が
情緒と理性、そして哀惜を以て細やかに、語られている。




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2016年12月09日

声と笑顔 漱石先生

漱石の声は、どんなだったか?

漱石の命日に当たる今日、ニュースで
「漱石のアンドロイド」
について報告されていた。

漱石にそっくりのそのアンドロイドの声は
孫の房之介さんの声を録音し、分析して作った、とあった。

聴いてみると
「ちょっと、違うかな?」
と、思った。

漱石の声については、野上弥生子が
「深くて艶のある、いい声だった。」
と、語っている。
アンドロイド漱石君の声は、テレビで聞く限りではそうは感じられない。
少し、高い感じがする。

でも、この房之介さん、お顔がおじい様にそっくりだ。
ということは、骨格が似ているのだろう。
したがって、声も似ているはずだ。
こんなだったのかもしれない、とも、思った。
もしかしたらね。

そして
アンドロイドに表情をつけるのに苦労した、という件りで
「漱石の笑顔の写真は、一枚も、ないのです。」
というキャスターによる言葉。

あるのです。
有名な写真が。

確かに、漱石自身もほのめかしているように
もしかしたら
「手を加えて」
笑顔に見えるようにしたのかもしれない。
つまり、修正を施した
の、かもしれない。
しかし
この写真の漱石は、確かに笑っている。

ないのです。
と、言い切るのは如何でしょうか?

存在しているのですからね。

大勢のスタッフの中には誰もこのことを知っている人は
いなかったのだろうか?

このような半端なコメントを言わせるぐらいなら
ただ、取材して流すだけの方がまだ
マシというものだろう。

アホウではなかろうか。



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2016年10月24日

ホトトギス 其二

ディランくんの状況とより共通性があると考えられるのは
漱石先生の
「博士号辞退騒動」
で、あろう。

入院中の漱石の自宅に、当時の文部省から
「博士号を授与するので出頭ありたし。」
というお手紙が届く。しかも明日、だったらしい。
「本人が出られないのならば代理人を立てよ。」
と。

しかるに、その日のうちに
「学位記」
なるものが夏目邸に届けられる。

漱石は手紙を付けて返送してしまう。
結構折り目正しい、且つ、明瞭なお手紙だ。
いいですね。

ごく乱暴に言えば
漱石:
「いりません。
 お返しします。ほれ。」
文部省:
「上げると決まったものですからね。」
漱石:
「欲しいかどうかを訊ねられてもいないのに
 上げるので出てこい、は、如何なものか。
 その上こちらの意向を訊ねるでもなく一方的に送ってくるのは解せないよ。」
文部省:
「もう発令してしまいましたし、学位記をお返しくださっても
 あなたが学位を持っているという事実は変わりませんからね〜〜。」

と、物別れ。


「与えようとした初めの親切心に立ち戻り、受けたくないというならば、潔く
先の決定を取り消せばそれで済むのである。」
と、漱石は述べている。

「上げたら喜ぶだろう。」
と、己を以て他人を量ることにも批判的だ。
そして、上げるから出てこい
と言っておきながら、
「出頭不可能なら代理人を立てよ」
とあるのに送りつける一貫性の無さに本当に腹を立てている。

わたくしだって怒るだろう。
え?

ノーベル賞は、どんなふうにご本人に伝えるのだろう?

ディランくんだって
「いりません。」
と、言えたのではないだろうか?

村上春樹が、昔、NHKへの出演依頼に対して
「いやです。」
と言って、担当者が絶句した、ということがあったという。

これも己を以て他人を量った例だろう。




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2016年10月23日

ホトトギス

ディランくんは
「ノーベル文学賞」を辞退するでもなく
嘉納するでもなく
どうやらその事実を黙殺する気配だ。

適切な人選だったかどうかは別にして
彼の対応はちょっと是認できない。

村上春樹の本によれば、レイモンド・チャンドラーは
「ノーベル賞など、くれると言っても辞退する。」
と言ったらしい。
喜ぶ人、辞退する人がいて当然だ。
どちらが正しいというわけでは、ない。

しかし、ボブ・デイラン
という偉大なアイコンが、世界規模で話題になっている今
ご本人が何のリアクションもしないのは
自家撞着
だと思う。

「厠半ばに出かねたり。」
表題の俳句は、こう、続く。

漱石が、確か西園寺公望からの
「栄誉ある」
招待に接した時のお断りの返事だ。

葉書だったらしい。

ディランくんも、これぐらいの茶目っ気があればいいのに。




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2016年07月20日

球作りの博士

寒月くんの博士論文は
「蛙の目玉の電動作用にに対する紫外光線の影響」
についてである。

論文を書くためには実験をしなければいけない。

その実験をするためには
完璧な丸いガラスの球が必要だ。

そこで今、寒月君はガラス球をこしらえようとしている。

来る日も来る日も研究室にこもって
球ばかり磨って、いる。

しかし彼はまた
「元来円とか直線とかいうのは幾何学的のもので
現実世界にはないもんです。」
と、言い切るので迷亭くんに
「ないものならよしたらよかろう。」
と、茶々を入れられる。

しかし
あるらしい。

寒月君!
「真球」
というものがこの世に存在するようになったみたいですよ!

光学機械の会社が製作するらしい。

しかも最終的には人の手によるらしい。

寒月君も手で磨っていた!
明治の世と同じ手法!!

光学

蛙の目玉の研究は光学の領域だろう。
違うだろうか?

寒月君
横浜の岡本光学加工所
に頼んでみては如何なものだろう?

まあ
もう博士にはならなくていいのでしょうけどね。

寒月君のモデルは
寺田寅彦
ということになっているらしい。

この人は、ちょっと不思議な人。
地震を予告したという話も、ある。

寒月君も真率でありながら、ちょっととぼけた、
法螺と紙一重のことを口にする。

「吾輩は猫である」
が書かれた100年以上前の「課題」が
今、解決されていたことを知る夏の日
であった。




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2015年08月28日

良い加減

バスに乗る。
座りたいのは一番前の一人掛けのところ。

ちょっと高くなっていて見晴らしが良い。
並木の下を進んでいくのは楽しい。
一人なのでお隣に気を使うことも、ない。

でも、そこに座れないことも、多い。
仕方がないので、二番手三番手、あるいは、自分の中では最下層のお席に座る。

そして、途中で好きな席が空いても、まずそこには、移らない。

能楽堂に、行く。
正面席でなければいけない、ということはないが、
出入りがしやすくて、柱が邪魔にならなくて
舞台全体が見えてしかもあまり近すぎないところ。

地謡座の真正面なんてちょっと困る。
恥ずかしいし、居眠りができない。

でも、好きな席に座れないこともある。
出入りがしにくくて、柱が真ん前にあって、すぐそこ、目の前で子方ちゃんが気息奄々で座っている。
そんな席のこともある。

一度座ったらあまりきょろきょろしないようにしている。
一度座ってから、もっと、いいお席はないだろうか?
というのは、好きではない。
時には、柱でおシテが見えなくなるのも一興だ。

途中で見所ががらがらになったら次のお能の時には移ることも、ある。

なぜだろう?

「人間は良い加減のところで落ち着くと、大変みっとも好いもんだがね。」
という言葉が心をかすめる。

登場人物の言葉なので、これが漱石先生の考えではないかもしれない。
でも、時々思い出す。

何にでもあてはまる事ではないのだろうが。



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