シルヴァスタイン

2010年10月08日

いつかどこかにある「自分」

口にするのが恥ずかしい言葉に
「自分探し」
が、ある。

「自分探し」
のために旅行をしたりするみたいです。
就職するのを先に延ばしたり。
で、見つかったら、どうなるのでしょうか?

こういった傾向に批判的な方はやはりおいでのようで
「自分がどこかに転がっているのか?」
という意見も読んだことがある。

昨日お風呂に浸かってぼんやりとしていたら突然
「ぼくを探しに」
という本のことを思い出した。
シルヴァスタインという人が書いたもので、我が家の本棚にあるはずだが、もう長いこと開いていない。

丸いチーズケーキから一切れ切り取ったような形をしている
「ぼく」
が、欠けている一片を探しに歌いながら転がって行く、というお話しです。

「ぼく」
も、
「自分探し」
をしているようですね。

彼は欠けているところにぴったりとフィットする一片を見つけ、大変に喜ぶ。

その後どうなるかは読んでのお楽しみ。

一年や二年探してみて
「これだ!」
とおもう自分にめぐり合える、などというのは幻想です。
生きていることそれがすなわち
「自分」
に出会う方法だと考える。
さらに
「自分」
は出会おうとして出会うものではなくて、日々生きていくうちに作られていくものです。
将来の
「自分」
を作るのは
「今」
を一生懸命に生きている
「自分」
でしかないと考えるのですが。

「あの国に行ってみたい。」
「就職する前にもう少し勉強したい。」
のなら、そして、事情がそれを許すのなら素直にそうなさればよろしい。
「自分探し」
などという借り物の大義名分をつけなければいけないということはない。

現実に立ち向かうのを先延ばしにするための
「自分探し」
は、逆に自分を遠ざけているのと同じだと思いますね。
あれ?






お〜〜〜い!
ぴょんきちや〜〜〜〜い!







selber at 07:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)