ファブリス・ルキーニ

2010年06月24日

踊るファブリス

ここ数日少なくとも数十回観ているシーンがある。
自分でもおかしいと思うのだが、観ないでいられない。

パトリス・ルコントの
「親密すぎるうちあけ話」
のなかの一シーン。

ルコントはここのところ少し遠ざかっていたが、たまたまテレビで放映されていたので録画してしまったのだ。

ファブリス・ルキーニが、ウイルソン・ピケットの
「In The Midnight Hour」
に合わせて一人で踊るところ。

もともと台詞が美しい、そして手や目の動きなどで驚くほど雄弁な表現をする名優だが、それだからこそ、この、台詞のない身体表現であるダンスはなおさら感動的でしたね!
せつなくすらある。

いつもネクタイを締め、きっちりと整った日常生活を送っているしている堅物の税理士が、廊下で上着を脱いで、ネクタイをゆるめながら踊る!
またこれが、お上手!
彼の理性より早く、彼の感性が、そこまで来ている変化を感じ取り、意識はまだながら、身体はもうそれを受け入れているという感じなのだ。


「邯鄲」
の一畳台での
「楽」
を思わせると言ったら褒めすぎか?
そういえばルキーニはジェームス・ブラウンが大好きなのだそうだ。

ルキーニ以外の人ではこうはいかない。

今日も五回は観るでしょうな。



selber at 07:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年11月26日

ハンサムな話し手

昨日の「クローズアップ現代」のテーマは
「言語力」だった。

情報を自分の中で整理してそれを言語化し、他人に伝達する能力が低下しているということだった。

対策も色々となされているようだが、ある学校では低学年から
・自分の意見を口にする
・そう考える理由を述べる
という訓練をし、次第に文章の形で表現できるようにすることを目的とした授業を行なっていた。

効果はあるそうです。
そうだろうと思う。


昔フランス語を習っていて驚いたことがある。

作文の課題のとき、先生は
・まず意見を一つ述べる
・それに対する意見を述べる
・その上で、この二つの意見を総合して結論とする

と言う書き方をしなさい、と仰った。
「フランスでは小学校からこういう流れの文を書くように訓練されますよ。ウィ。」
と、グランゼコール出身のマドモアゼルは言ったのだった。

これって
「弁証法」
ですよね?

小学校から弁証法的論法を学ぶのですね!

どおりで口では決してかなわないと思いました。
語学力の問題は別にして。
日本語で
「口数が多い」
は、褒め言葉とはいえない。
フランス語の
beau parleurは辞書には
「雄弁家」
「大言壮語をする人」
などと出ているのだが、ネガティブな意味ばかりとは思えない。
ロメールの
「満月の夜」の、オクターブ。ファブリス・ルキーニの印象があれで決定的となった。
「冬物語」の、ロイック
飛躍するが、マンの「魔の山」の、セテムブリーニ
などが私見ではこれに当てはまる。

論理を構築し、それを語ることを楽しんでいる人を指すのではないだろうか?
日本でそういう人を見つけることはできるだろうか、といま考えている。

ヨーロッパの言語はそれに適しているということもある。
番組ゲストの鳥飼玖美子さんも仰っていたが、日本語でそれをすると
「なんてリクツっぽい人」
と言わるであろうことは想像に難くない。

ということは必然的に
「日本語独自の論理」
についての考察が求められることになる。
いまわたくしたちが「論理的」と称していることってみんな輸入の概念である。


昔の日本人だってディベートはしていたのでしょ?

「さやうに人をものたまはば
われも恨みはありあけの」
とかってね。

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selber at 13:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)