加藤周一

2010年03月05日

加藤周一 幽霊と語る

加藤周一の愛読者とは言えない。
「信奉者」とはまして自称することはできない。

けれども、加藤の語ることは彼の言葉を借りれば
「心の深いところに触れる。」

肉体を通した言葉だからだと思う。

その膨大な知識、強靭な知力にも関わらず
「アレを知らないと
「あの人のホンを読んでいないと
「わからないでしょう?」
という部分が彼の言葉の中には全く、ない。

彼の憎悪する
「なしくずし」
「言い換え」
などとは無縁の、確実に一人の人間の肉体を通して生まれた言葉だからなのだろう。誤解を恐れずに言えば、「原始的」とすら称することができる。

たとえいかに高邁な思想であっても、仲間うちでしか通じない言葉で表現されたらそれは意味を持たないのだから。

過去なしの現在はありえないし、現在なしの未来も不可能である。
見極めることのできるもの、すなわち今の自分が検証できる過去と現在,を自らの目と心を通して見据える、まずそこから我々は始めなければいけない、と彼は言っているように思える。
「幽霊=エスプリ」
生きている人間に、死んだことのある者はいない。自分の中にある死者との対話は、だから、意味がある。
能の一つの意味も、またそこにある。
読書もそうである。

スクリーンで見る加藤の肉体は滅びかかっている。
その声を聞きながら我々は、人間は誰であっても一個の肉体に過ぎないことを深く思わされる。
そして、自分以外の人間はすべて自分の五体の内に棲む「幽霊」であることを実感する。

わたくし達は必ず亡びることを運命付けられている一個の肉体でしかないが、また同時に
「しかしそれだけではない」
のである。

加藤の中にわたくしは人類に対する心からの愛惜を見る。

selber at 08:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)