朝青龍

2010年02月05日

取り直し 其二

人よりも優位に立っている人間がそれにふさわしい行いが出来るようになるには方法が二つあると考える。

一つは
「あなたは将来人の上に立つのだからこうしなさい、ああしなさい。」
と、事細かにしつこいまでに、微に入り細に亘って教え込む、という方法だ。
挙措動作、口のきき方。その拠って立つ理念を叩き込む。

これを帝王学、という。

そのように育てられた人は、帝王以外の者にはなれない。

もう一つは
「見て、覚える」
ということだ。
自分の上にいる人間の行ないを見聞きしながら、
「ははぁ。
 ああするものなんだな。」
と、考える。また、
初めての状況に遭遇した時は
「あの人はこんな時にはどうしていただろう?」
と、自問する。
自分で考える。
時には失敗もする。

この方法には難点がある。
「自分よりも上の人」
の定義だ。
人間を測る尺度が一つしかない人は、その点において「上の人」を凌駕してしまったと思える時に、
「自分が一番!」
と、思ってしまう。
それでも、
「人の上に立つ人間は」
と、考えていたのなら、その場合でも身を処することができるだろう。

朝青龍。
彼の稀有な才能を見出し、中学卒業時から来日させて教育した親方、ひいては協会が、なぜ立派な横綱を育てることに失敗したかは今後しっかりと考える必要がある。



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2010年02月03日

取り直し!

朝青龍という相撲取りにはもともと興味はなかった。
強いことは強いのだが、相撲の取りっぷりが味気ない。
相撲ならではの面白さや美しさが感じられない。

むき出しの闘志。
立会いに変る。
立ってすぐの張り手。
勝負が決まってからのダメ押し。
あの、ガッツポーズ。

強ければ、勝ちさえすれば、それでよい、という感じがしてどうにも好きになれなかった。

しかしそれはわたくし個人の好みであるからしてこの際問題ではない。
ファンも多いですし。


「挌闘家が一般人に手を出すとはもってのほか」
という意見には一応与する。
今更あらためて言うまでもないことではあるが。

問題なのは場所中に泥酔していた、ということであろう。
しかも明け方まで。
それでも勝てるところが彼の強さであろうが。
この際、彼以上の人がいないのは情けない、などといっても始まらない。
それが現実であるからして。

相撲取りが場所中に大酒を飲む、というのは彼の場合は驕り以外の何物でもない。
それでも勝つだろう。
確かに優勝した。
でも、落とし穴がありましたね。

お酒を飲むと大暴れするのは酒乱です。
自分がそうなるとわかっていながら飲まずにいられないというのは依存症ですね。

どちらなのですか?
朝青龍君。

どっちもでしょうね。

病気ですから治しましょうね。
治ってからまたお相撲を取ればよいでしょう。

品格、品格、と言うが、相撲協会の理事選の今までのやり方を知って驚きましたよ。
書いたものを立会人に見せることもあったのですって?
ああいう選挙で選ばれた理事を戴いている相撲界では横綱であろうとなんであろうと真の品格は期待できないのではないかと心底思いましたね。

朝青龍関。
確かに好きではない。
でも、あの笑顔には年相応の素直さもあるように思える。
横綱かもしれないが、まだ、小僧っ子なのだ。

教育をやり直したほうが良いのかもしれない。

教育係に貴乃花親方なんぞ、如何でしょうか?



selber at 15:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)