森茉莉

2009年03月29日

「太陽がいっぱい」と「枯葉の寝床」など

CATVで「太陽がいっぱい」を放映していたので思わず録画して観てしまった。

やはり面白い。映画は面白くなくてはいけません。
カメラがアンリ・ドカだったことを改めて認識したがそんなことはどうでもよろしい。わたくしレベルの鑑賞者はカメラが誰か、音楽が誰、とかいうことは後になって気がつくのだ。「何だか知らないがすごかった。」で良いのです。

ところでいつも思うのだがアラン・ドロン。
この人ならではの魅力の原点はやはりこの映画にある。さすがヴィスコンティ様のお眼に止まるだけのことはある。

森茉莉の「枯葉の寝床」「恋人達の森」などの一連の小説はこのドロンなくしては生まれなかった。
切り削いだような美貌を持つ若い男。
憧憬と酷薄。
内気と傲慢。
怠惰と策謀。
陶酔と冷徹。
ナルシシズムとソドミー。
などが茉莉を打ったのだろう。

なにしろ、これらの小説に登場する美貌の若者の容姿から着ているもの、首に下げた「金鎖」まで映画とそっくりなのだ。パンやハムの食べ方は「トム」そのもの。上目遣いのもの欲しげな美しい眼差しなども映画そのままだ。
茉莉さんはきっと嬉しくってしかたがなかったのだろうと思う。いつくしむような、更に言えば舐めるような調子で描写している。映画が契機となって生まれた小説は多いだろうがこうまで密接なのもあまり知らない。

「太陽がいっぱい」と、その後ヴィスコンティに出演したドロンが彼独特の魅力の頂点だったと思う。その後のタフだったり冷徹だったり素敵なおじさまだったりするドロンはそれはそれでいいが、彼でなければ、というものではない。

若くて美貌で傲慢で卑しくて、幸福そうなのにもろく、絢爛たる光をまといつつ何か後ろ暗いものを秘め、天使のようでいながら悪魔をも兼ね備えている底知れない魅力を持つ俳優はこのころのドロンの後は出ていない。と、思うのですが。




selber at 14:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)