2007年02月24日

ブラジル歴代クラッキ列伝 GK編

ジウマール

名選手列伝を2回書いてみて、やっぱあんだけ詳しくやるのは疲れる。ので、これからはブラジル人の名選手をポジション別、年代順に紹介していきたいと思う。まずはゴールキーパー(ブラジルではGoleiroと呼ばれる)から。

1.マルコス
 名前を聞いて、えっ?と思う人もいるかもしれない。あの2002年大会の優勝キーパー?そう思えるあなたはすでにマニアの域ですがw、違います。
 ブラジル史上最初の偉大なキーパーと言われる彼はワールドカップが始まるはるか前にセレソンの守護神を務めていた。フルミネンセという上流階級をファン層に持つクラブの顔的な選手の彼は、端正な顔立ちで女性ファンにも大人気だった。彼に関する今では信じられない逸話がある。当時ブラジルではまだまだサッカーに対する認知度は低く、野蛮なスポーツと見なしていた上層階級も多かった、彼の義理のお父さんもそんな人だった。結婚と引き換えに彼はサッカー選手をやめざるを得なかった。代表選手が結婚を理由に現役を引退する…セレソンのスターに娘を嫁がせたいというのならわかるが。

2.バルボーザ
 40年代後半にセレソンのゴールマウスを守ったGK。彼は悲運のGKだった。50年大会で守護神として活躍し、申し分のないビッグセーブを連発していた、最終戦を除いては。当時は4チームによる決勝リーグで優勝を決めるルールで、爆発的な得点力で勝ち進んだセレソンはウルグアイとの最終戦を引き分けるだけで十分だった。マラカナンスタジアムを埋めた20万人の観客も母国の優勝を信じて疑わなかった。開始早々先制したブラジルは勝ったも同然の試合運びで、守りに入ることなく、ひたすら攻め続けた、同点にされてもなおである。しかし、後半ウルグアイのギジャが逆転ゴールを挙げる、開催国のプレッシャーに押しつぶされそうなセレソンは猛攻をしかけても一向に追いつけない… 無情なホイッスル。マラカナンの悲劇と呼ばれたこの敗戦を受けて気絶者が続出、自殺者さえ出た。スケープゴートにされたバルボーザは現役選手をやめ、残りの長い人生をひっそり過ごしたのだった。この大会でセレソンは真っ白のユニフォームを使っていたが、トラウマを払拭するためにこれからカナリア色のユニフォームに変え、カナリア軍団が誕生したきっかけにもなった。そしてこの悲劇から8年、トラウマを乗り越えたセレソンは悲願の初優勝を果たすのだった。

3.ジウマール
 セレソン史上もっとも偉大なゴレイロ。ワールドカップ出場3回、優勝2回の実績を誇る。58年にブラジルが初優勝を飾ったとき、泣き崩れるペレを抱きかかえる写真は印象的だ。驚異の反射神経でスーパーセーブの山を築いた。クラブではペレと同じサントスで黄金期を過ごした。セレソンとサントス両方の黄金期をともに支えた彼に、タイトルで匹敵するGKは世界広しといえどもいないだろう。

4.フェリックス
 1970年ワールドカップの優勝キーパー。彼を挙げたのは名ゴレイロだったからではない、むしろこんなキーパーでも優勝できたというチーム力を評価すべきだろう。6試合で7ゴールを奪われた彼の守備はまさに穴だらけ、DF陣も弱かったとはいえ、ワールドカップ歴代優勝キーパーの中では間違いなく能力値が最低だろう。でも、彼がいたチームは偉大すぎた。ディフェンスが弱くても関係ない、だって攻められることが滅多にないんだから。

5.レオン
 2002年ワールドカップ予選時にはルシェンブルゴの解任を受け、一時はセレソンの監督をも務めた。記者会見をドタキャンするなど、マスコミ嫌いの性格が災いし批判が絶えなかった。2001年コンフェデ杯での惨敗を受けてブラジルに帰る飛行機の中で解任の電話をもらった。後にディエゴ、ロビーニョらを擁するヤングサントスを全国選手権優勝に導き、汚名を返上した。ワールドカップには70、74、78、86年と4回出場を果たした偉業の持ち主で、そのうち74、78年は守護神として。82年も彼を正キーパーに据えてさえいればロッシにハットトリックを許さずに済んだのではという人が多い。クラブでも絶好調だった彼をテレ・サンターナが召集を見送った理由は不明。

6.バウジール・ペレス
 決して技術レベルの高いキーパーではなかったが、黄金のカルテットのチームでプレーしたから紹介した。サンパウロで長年守護神を務め、つい最近ロジェーリオ・セーニに通算出場試合数で抜かれたばかり。82年優勝できなかったのはカレッカが負傷して頼れるCFがいなかったのと、彼が点を取られすぎたからと批判された。

7.ラウール・プラスマン
 ワールドカップに出場したことはないが、強烈に印象に残るGKだった。甘いマスクで女性ファンが多かっただけでなく、個性的な黄色いユニフォームと歯に衣着せない豪快な性格は男性ファンのハートをも鷲掴みにした。まさにその性格が災いして、代表戦での敗戦後、公然とチームを批判し、テレ・サンターナの怒りを買って82年大会出場を逃した。60年代のクルゼイロと80年代のフラメンゴというブラジルサッカー史に残る2つの伝説のチームで活躍し、息の長い現役生活を送った偉大なゴレイロだった。

8.カルロス
 技術レベルがものすごく高く、当時ではブラジル史上最高のキーパーともてはやされた。実際は86年大会だけレギュラーで出場したため、実績が少なく、過小評価されがちである。トレードマークは金髪のアフロヘア。

9.タファレル
 僕がサッカーを見始めていたころ守護神を務めていたため、印象が深い。ドイツ系移民の子孫で、身体能力はさほど高くなかったが、鋭い読みと抜群のポジショニングでカバーした。90年大会から3大会連続でレギュラーで活躍し、優勝と準優勝1回ずつはジウマールに次ぐ実績。レッジーナやパルマなどでもプレーし、ブラジル人GKでは最初にヨーロッパで成功を収めたパイオニア的な存在である。

10.マルコス
 2002年大会優勝キーパーで、本大会でのすばらしい活躍は伝統的にいいGKが出ない国という酷評を覆して見せた。実力的には当時の控えだったジーダやロジェーリオ・セーニらとさほど変わらなかったとも言われ、レギュラーに抜擢されたのはひとえにスコラーリ監督の教え子だったから。ただ、本番での安定感はそうした批判を見事に吹き飛ばした。

11.ジーダ
 技術レベルではブラジル史上最高といっても過言ではないだろう。UEFAのファン投票で最優秀キーパーに選ばれた実力は伊達じゃない。特にPKストッパーとして有名で、CL決勝でユベントスのキッカーを3人止めてさすがのブッフォンもどうしようもなかった。PKストップでは2000年に8本連続というギネス記録までつくっている。セリエAの試合中に発炎筒に直撃され、トラウマでしばらくスランプに陥っていたが、ワールドカップ前に復調。ブラジルでは優勝できないとGKが批判されるが、2006年の敗退は決して彼の責任ではないだろう。大会後代表を引退し、今は怪我で試合から離れている。

12.ロジェーリオ・セーニ
 この12人の中でもっとも異色の存在だろう。PKだけでなく、高精度のFKを武器に所属するサンパウロでゴールの山を築いた。サンパウロ一筋15年目の昨シーズンにはチラベルトのGK得点記録を軽々と更新し、その勢いは未だ留まることを知らない。マルコスやジーダと同時代になった不運もあって、ワールドカップ出場は2006年の日本戦、後半途中でジーダと交代して入った一回のみ、私たちにとっては印象深いシーンであった。

これから期待のGK:ゴメス(PSV)、エウトン(ポルト)、ジュリオ・セザール(インテル)、ドーニ(ローマ)
お気づきだと思うが、全員海外組である。一昔前までは想像すらできなかった大繁盛も、タファレルやジーダの功績があってのものと言えよう。

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