フランス

クロエ(Chloe)

クロエ(Chloe)

(以下、ファショコン通信より)

【クロエのブランド情報】

1952年に創立したフランスのアパレルブランド
創立者はギャビー・アギヨン(Gaby AGHION)。
ブランド名の由来は、ロンゴス(Longus)の古代キリシア恋愛小説である「ダフニスとクロエにまつわる牧人風のレスボスの物語」を原作とした、バレエ音楽である「ダフニスとクロエ」。
1963年、カール・ラガーフェルド(Karl LAGERFELD)をクリエイティヴ・ディレクターとして迎え、カール・ラガーフェルドの手腕によりクロエは名声を高める。
1970年、クロエ社とコロネット商会が、ライセンス契約を締結。同時に、香水も発表。1975年、コロネット商会が、ライセンスプレタポルテ「クロエコレクション」をスタート。
1988年、マルティーヌ・シットボンがクリエイティヴ・ディレクターに就任。   1992年、カール・ラガーフェルドがクリエイティヴ・ディレクターとして復帰。過去にパコ・ラバンヌもデザインを担当。
1998 S/S、ステラ・マッカートニーがクリエイティヴ・ディレクターに就任。クロエが追求してきたシンプルなラインの美しさに、カラフル且つモダンでキュートなエッセンスを加えた。
2002 S/S より、フィービー・フィロがクリエイティヴ・ディレクターを務めた。
2006年1月14日、東京・南青山に「クロエ青山店(Chloe AOYAMA)」をオープン。ポール・スミス(Paul Smith)等の多数のブティックを手掛けたソフィー・ヒックスが内装を担当。ヨーロッパのマーケットに見られる露天や屋台をイメージした景色を彫刻オブジェで再現し、商品をマニアのコレクションのように並べ、ヨーロッパらしさを日本式に表現。
2006年5月、ラミー・グループ(L'AMY GROUP)とライセンス契約を締結し、アイウェアのフレームやサングラスの生産・販売をスタート。
2006年7月14日から、大阪・うめだ阪急にてクロエジュースバーを開催した。
2007-2008 A/W より、プレコレクションを経て、パウロ・メリム・アンダーソン(Paulo Melim ANDERSSON)がクリエイティヴ・ディレクターを務めた。
2007-2008 A/W より、エマ・ヒル(Emma HILL)がアクセサリー・コンサルタントに就任。エマ・ヒルはマーク・ジェイコブス(MARC JACOBS)リズ・クレイボーン(Liz Claiborne)カルバン・クライン(Calvin Klein)ギャップ(GAP)等でアクセサリーデザイン及び商品開発に携わった。
2008年、 ハンナ・マクギボン(Hannah McGIBBON)のクリエイティヴ・ディレクター就任を発表。
ハンナ・マクギボンは1970年、イギリスのロンドンに生まれる。96年、セントラル・セントマーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(The London Institute Central Saint Martins College of Art and Design)を卒業後、バレンチノ(VALENTINO)に入社。2001年から2006年まで、フィービー・フィロをサポートしていた。
2008-2009 A/W より、シー・バイ・クロエ(SEE BY CHLOE)の初のバッグコレクションを発表。
2008年、ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)とコラボレートし、バッグと革小物の新ラインである「ザ・プレシャスコレクション」を日本限定で発売。
2009 S/S より、シー・バイ・クロエ(SEE BY CHLOE)初のシューズコレクションを発表。
2009年10月28日、新作フレグランスである「クロエ・オードパルファム・インテンス」を発表。成熟した官能的なローズのイメージ。

■クロエについて

ステラ・マッカートニーからフィービー・フィロへの流れの中で、キュートさに磨きをかけ、一世を風靡した「パディントン」等のキャッチーなバッグや小物を作ることで、昨今では確実なステータスを築いた感のあるクロエである。
その後のクリエイティヴ・ディレクター交代を経ても尚、一定のステータスを保ち続けているようだ。全体的に女性らしい柔らかな印象のあるブランドである。

<クロエの公式サイト>

・Chloe(英語)
 http://www.chloe.com/

◆クロエの取扱サイト

【伊勢丹】I ONLINE
YOOX日本配送
LUISAVIAROMA.COM日本配送
alexandalexa日本配送
セレクトショップ・マナマナ

クリスチャン・ラクロア(Christian Lacroix)


クリスチャン・ラクロア(Christian Lacroix)


(以下、ファッションプレスより)

●ブランドの始まり

1988年、クリスチャン ラクロワがパリでコレクションを発表。

クリスチャン ラクロワについて

クリスチャン ラクロワ(Christian Lacroix)は1951年、フランスの南部アルルに生まれる。南部の文化(ジプシーの伝統・闘牛士)は装飾的なラクロワのスタイルに影響を与える。モ ンペリエ大学卒業。73年美術館の学芸員になるためにパリへ移り住む。そこでソルボンヌ大学、エコール・デュ・ルーブルを卒業。

未来の妻となるフランソワーズの勧めでファッションの道に進む。78年、エルメスに入社し、当初はアクセサリーのデザインを手掛ける。80年、ギ・ポランのアシスタントに就任。81年、ジャン パトゥのオートクチュールのチーフデザイナーに就任。

ジャン パトゥでの活躍が認められて、87年、CFDA(The Council of Fashion Designers of America)の最優秀外国人デザイナー賞を受賞。また同年、86年に発表したカクテルドレスのコレクションが認められ「デ・ドール賞」というオートク チュールの賞を受賞。

クリスチャン ディオールを傘下に抱えたアガッシュ(後にLVMHを 買収)を率いるベルナール・アルノーにその才能を惚れ込まれ、出資を受けることになる。これがきっかけとなり、87年、自身の名を冠したブランド「クリス チャン ラクロワ」の設立にいたる。ベルナール・アルノーは「ラクロアのスケッチを見たとき、天才だと思った」と語っている。

87年、ベルナール・アルノーが、イヴ・サンローラン以来となるオートクチュールのメゾンをクリスチャン ラクロワのために開設。同年7月、オートクチュール・コレクションを発表し、「金の指貫き賞(デ・ドール賞)」を受賞。

87年、自身の名を冠にしたブランドでパリ・プレタポルテコレクションを発表。90年、初めての香水「セラヴィ」を発表。 94年に「バザール」、96年に「ジーンズ・ド・クリスチャン ラクロワ」をスタート。 2002年から2005年まで、エミリオ プッチのアーティスティック・ディレクターを務める。

クリスチャン・ラクロアのブランド自体は決して成功しているとは言えない。そのファッションは見るものを魅了し、ベルナール・アルノーも惚れ込んでいるが、ラクロアブランドはその投資に見合った売上を上げていない。

アルノーは「ラクロアを通じてクリスチャン ディオールやシャネルのようなブランドを1から築き上げていくのは難しく、偉大な才能だけではファッションブランドは成功しないことが分かりました。ブランドには伝統が必要なのです。」と語っている。

2005年、LVMHがラクロアを売却し、傘下から外れる。2008年、ミネラルウォーター「エビアン」の限定ボトルをデザインして話題となる


<公式サイト>

URL: http://www.christian-lacroix.fr/




チフォネリ(Cifonelli)

チフォネリ(Cifonelli)

(以下、服DBより)


■チフォネリ(Cifonelli)とは、フランスの紳士服ブランド。

1860年にジョゼッペ・チフォネリ氏によってローマで創業され、後にパリに本拠を移した。

1994年からはエルメス社と提携し、エルメスビスポークスーツを手がけるようになる。

日本では、新宿伊勢丹と阪急百貨店メンズ館で取り扱っている。


<公式サイト>

http://www.isetan.co.jp/icm2/
jsp/store/shinjuku/mens_cloth
ing/italian_c_04.html

クリスチャン・ディオール(Christian Dior)

クリスチャンディオール(Christian Dior)

(以下、ファッションプレスより)

●ブランドの始まり

1946年、クリスチャン ディオールが自身の名を冠したブランドでパリにてオートクチュールのコレクションでデビュー。

クリスチャン ディオールについて

クリスチャン ディオール(Christian Dior)は1905年、フランス生まれ。ノルマンディ地方グランビルで裕福な実業家の家に生まれる。 両親の希望で外交官を志して政治学院に学ぶが在学中にシュールレアリスムに魅せられ、画廊を開設するも、1930年代の恐慌のあおりで失職してしまう。そ の後画廊時代のつながりでファッションの世界に入る。

リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で1946年に独立、「クリスチャン ディオール・オートクチュール・メゾン」の誕生。自身のブティックを持つ。

1947S/Sシーズンにでパリコレクションにデビュー。ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまで あるロングスカートという優美なスタイルの「花冠ライン」を発表。そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー」の編集長カーメル・スノウが、 「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから、そのデザインはニュールックと呼ばれて、世界のモード界に新しい風を吹かせる。

その後、48年、ジグザグライン、50年、パーティカルライン、51年、オーバルライン、52年、シニュアスライン、53年、チューリップライン、54年、Hライン、55年、Aライン、56年、アローラインと、次々と新しいシルエットを提案し、50年代のファッションをバレンシアガとともにリードした。

48年、香水部門の会社、パルファン・クリスチャン ディオールを設立。クチュリエとしては初めてライセンス事業に乗りし、アメリカにおいてライセンス生産を開始する。ライセンス契約で、ストッキング、ネク タイ、食器類等を生産していく。これは、いわゆるブランドビジネスの先駆け的な存在になった。

57年、イタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝。

ディオール死後の1957年、21歳の若さでイヴ・サンローランが主任デザイナーに抜擢。その後、60年にマルク・ボアンが就任して89年までデザインを担当。

70年代から経営危機を迎え、一時親会社のブサック・サンフレール社が国有化される状態に陥るが84年、ベルナールアルノーが経営を引き継ぎブランドを再興させる。現在は、LVMHを経営上の傘下に持つまでに成長した。(※ディオール再建の詳細に関してはLVMHで)

89年にジャンフランコ フェレと引き継がれ、ディオール創立50周年の96年より、ジョン ガリアーノがデザイナーに就任。フェレ、ガリアーノは伝統的なディオールの「シルエット」にモダンを取り込み、ディオールをトレンドセッターとして再生させた。

2007年、メゾン設立60周年を記念して、ディオールとガリアーノにフォーカスした展覧会「Two Decades of Creation~モードを変えた二人の奇才~」が開催。この年は記念イベントが各国で開催された。

2011年、ガリアーノを解雇。現在、デザインチームでコレクションを発表している。

メンズラインは、2000年、エディスリマンがディオールオムを 立ち上げて、大きな反響を呼び、メンズファッションとしても影響力を発揮した。(発足前はディオール・ムッシュというラインでメンズウェアをパトリック・ ラヴォワがデザインを担当して展開していたが、メンズウェアブランドとしてはやや低迷していた)2007年、ディオールオムの新デザイナーにクリスヴァンアッシュが就任。


<クリスチャンディオールの公式サイト>

・DIOR
 http://www.dior.com/



イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)

イヴサンローラン(Yves Saint Laurent)

(以下、ファションプレスより)

ブランドの始まり

1962年、ピエール・ベルジェ、アメリカの実業家マック・ロビンソンとイヴ サンローランがオートクチュールのメゾン「イヴ サンローラン」を設立。

イヴ・サンローランについて

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)は、1936年、アルジェリアの港町オランで生まれる。父親が映画館のチェーンを所有していたことから裕福な家庭で育つ。母親の後押しも あり17歳の時にパリオートクチュール組合経営の学校に入学。3ヶ月のコースが終了うするころにIWS(国際羊毛事務局)主催のデザインコンクールに応 募。ここでカクテルドレスを発表し、ドレス部門最優秀賞を受賞。(このときコート部門の受賞者はカール ラガーフェルド)

コンクールの入賞がきっかけで、54年、クリスチャン ディオールに 迎え入れられる。57年、クリスチャン ディオール死去。ディオールの遺志により21歳で後継デザイナーに就任。58年、クリスチャン ディオール死後のパリでの初コレクションで「トラペーズライン」を発表。このコレクションはニーマン・マーカス賞を受賞し好評を博す。その後のホブル・ス カート(裾幅の極端に狭いスカート)と60A/Wの「ビートライン」と称されたストリート感覚のスタイルはエレガンスさがないとして不評。60年アルジェ リア戦争に徴兵されたことを機に、ディオールを解雇される。除隊後、ディオールのデザイナーのポストは兄弟子のマルク・ボアンが就任していた。

62年、PR系で実績のあるピエール・ベルジェ、アメリカの実業家マック・ロビンソンと組みオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を設立。バレンシアガを意識したニューモードは好評を呼ぶ。

以後、モンドリアンルック等、60年代を代表する新しいエレガンスのスタイルを発表。66年、「イヴ・サンローラン」のプレタポルテライン「イヴ・サン ローラン リヴ・ゴーシュ」のブティックをパリ6区、左岸に開設。60年代後半には、大腿部までのロングブーツやサファリ・ルック、シースルー・ドレス、ポップアー ト・ドレス、ミリタリー・ルック、パンタロン・スーツなどを発表。

イヴ・サンローランで特に有名なのが66年のスモーキン=タキシード。男性用のタキシードをアレンジし、女性用のスーツが生まれる。70年代にはコサッ ク・ルックやフォークロア調のでデザインを発表。名実共にモードの帝王と呼ばれるようになる。85年、レジヨン・ドヌール勲章を受勲。93年、デ・ドール 賞を受賞。 

93年イヴ・サンローラン社はサノフィ・ボーテ社に買収される。 97年にメンズライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ オム」のアーティスティック・ディレクターにエディ スリマンが就任。98年、ジーンズライン、「サンローラン」を発表。ジーンズラインもスリマンが担当した。1999A/Wからレディースライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」をアルベール エルバスに任せ、サンローラン本人はオートクチュールのみに専念することになる。

99年、ピノー・プランタン・ルドゥート(現PPR)社のオーナーであるフランソワ・ピノーが、同氏のホールディングであるアルテミスを通じて、サノフィ社を買収し、「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」及び香水部門を傘下のグッチ社に売却。ただし、サンローラン本人とオートクチュール部門は、PPR傘下として残る。イヴ・サンローラン社がグッチ社に買収されたのを受け、2001S/Sよりリヴ・ゴーシュのデザイナーにトム フォードが就任。

サンローラン本人は、2002年1月22日に行われた、パリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退した。そして、オートクチュール部門は閉鎖し、 以後、ブランドはリヴ・ゴーシュのみの展開となる。2003年11月、トム フォードが辞任。後任にはアルベール エルバス、アルマーニプラダと渡り歩いたステファノ・ピラーティが就任。ピラーティは、2005S/Sコレクションからサンローランでのコレクションを担当している。

2007年、イヴ・サンローランはその長年の功績からフランスの大統領サルコジからレジオン・ドヌール勲章グラントフィシエ受章を受ける。

2008年6月1日、イヴ・サンローランが死去。世界中からその死を惜しまれた。

イヴ・サンローランのライン

イヴ サンローラン・リヴ・ゴーシュ - レディース
イヴ サンローラン・リヴ・ゴーシュ オム - メンズ



■イヴサンローランの公式サイト

・Yves Saint Laurent
 http://www.ysl.com/





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