イヴ・サンローラン

クリスヴァンアッシュ[KRISVANASSCHE]

クリスヴァンアッシュ[KRISVANASSCHE]

(以下、ファッションプレスより)

ブランドの始まり

2005年、自身の名を冠したブランド「クリスヴァンアッシュ」のコレクションを発表。

クリスヴァンアッシュについて

クリス ヴァン アッシュは1976年ベルギー生まれ。98年アントワープ王立美術アカデミーを卒業。その卒業コレクションが多くの人の目に留まり、エディ スリマンのアシスタントとして「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のメンズラインからキャリアをスタート。

スリマンがディオールオム立上げにかかわるためにサンローランからクリスチャン ディオールに移籍すると、クリス ヴァン アッシュもともに移籍。立ち上げの2000年から2004年までスリマンのもとで活躍。

2005年、自身の初のコレクション「クリスヴァンアッシュ(KRISVANASSCHE)」を発表、2005-2006年A/Wパリメンズコレクションでデビューした。2007S/Sからはレディースコレクションも手がける。
2007A/Wシーズン、ピッティ・イマジネ(Pitti Immagine)にてゲストデザイナーとしてインスタレーションを発表。

2008S/Sシーズンからディオールオムのデザイナーに就任。クリスヴァンアッシュのディオールオムはスリマンとは異なるもので、ロックテイストよりなモードからエレガントでクラシカルなイメージを打ち出した。

2008年、アイウェアで人気のブランド、オリバーピープルズとコラボレーションで「KRISVANASSCHE by OLIVER PEOPLES」という名の限定サングラスを発売。限定版サングラスは約55000円で発売された。

2010年、2011-2012AWパリメンズコレクションにてイーストパックとのコラボレーションラインを発表。



(以下、ファショコン通信より)

<クリスヴァンアッシュの公式サイト>

・Kris van Assche, styliste, Paris, France, meilleur espoir de la mode masculine.(英語)
 http://www.krisvanassche.com/

●クリスヴァンアッシュの取扱サイト

【ISETAN MEN'S】KRIS VAN ASSCHE クリス ヴァン アッシュ
SPACE&Co.
















クリスチャン ディオール[Christian Dior]

クリスチャン ディオール[Christian Dior]

(以下、ファッションプレスより)

ブランドの始まり

1946年、クリスチャン ディオールが自身の名を冠したブランドでパリにてオートクチュールのコレクションでデビュー。

クリスチャン ディオールについて

クリスチャン ディオール(Christian Dior)は1905年、フランス生まれ。ノルマンディ地方グランビルで裕福な実業家の家に生まれる。 両親の希望で外交官を志して政治学院に学ぶが在学中にシュールレアリスムに魅せられ、画廊を開設するも、1930年代の恐慌のあおりで失職してしまう。そ の後画廊時代のつながりでファッションの世界に入る。

リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で1946年に独立、「クリスチャン ディオール・オートクチュール・メゾン」の誕生。自身のブティックを持つ。

1947S/Sシーズンにでパリコレクションにデビュー。ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまで あるロングスカートという優美なスタイルの「花冠ライン」を発表。そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー」の編集長カーメル・スノウが、 「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから、そのデザインはニュールックと呼ばれて、世界のモード界に新しい風を吹かせる。

その後、48年、ジグザグライン、50年、パーティカルライン、51年、オーバルライン、52年、シニュアスライン、53年、チューリップライン、54年、Hライン、55年、Aライン、56年、アローラインと、次々と新しいシルエットを提案し、50年代のファッションをバレンシアガとともにリードした。

48年、香水部門の会社、パルファン・クリスチャン ディオールを設立。クチュリエとしては初めてライセンス事業に乗りし、アメリカにおいてライセンス生産を開始する。ライセンス契約で、ストッキング、ネク タイ、食器類等を生産していく。これは、いわゆるブランドビジネスの先駆け的な存在になった。

57年、イタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝。

ディオール死後の1957年、21歳の若さでイヴ・サンローランが主任デザイナーに抜擢。その後、60年にマルク・ボアンが就任して89年までデザインを担当。

70年代から経営危機を迎え、一時親会社のブサック・サンフレール社が国有化される状態に陥るが84年、ベルナールアルノーが経営を引き継ぎブランドを再興させる。現在は、LVMHを経営上の傘下に持つまでに成長した。(※ディオール再建の詳細に関してはLVMHで)

89年にジャンフランコ フェレと引き継がれ、ディオール創立50周年の96年より、ジョン ガリアーノがデザイナーに就任。フェレ、ガリアーノは伝統的なディオールの「シルエット」にモダンを取り込み、ディオールをトレンドセッターとして再生させた。

2007年、メゾン設立60周年を記念して、ディオールとガリアーノにフォーカスした展覧会「Two Decades of Creation~モードを変えた二人の奇才~」が開催。この年は記念イベントが各国で開催された。

2011年、ガリアーノを解雇。現在、デザインチームでコレクションを発表している。

メンズラインは、2000年、エディスリマンがディオールオムを 立ち上げて、大きな反響を呼び、メンズファッションとしても影響力を発揮した。(発足前はディオール・ムッシュというラインでメンズウェアをパトリック・ ラヴォワがデザインを担当して展開していたが、メンズウェアブランドとしてはやや低迷していた)2007年、ディオールオムの新デザイナーにクリスヴァンアッシュが就任。


(以下、ファショコン通信より)

<クリスチャンディオールの公式サイト>

●クリスチャンディオールの取扱サイト

Amazon.co.jp
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SPACE&Co.










































グッチ(GUCCI)

グッチ:GUCCI

(以下、ファッションプレスより

ブランドの始まり・・・

1921年、グッチオ・グッチがフィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通り(7 Via della Vigna Nuova)に旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店を創業。

グッチについて

グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年、イタリアの、フィレンツェ生まれ。1921年、グッチオ・グッチは、フィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通り(7 Via della Vigna Nuova)に旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店を創業する。

グッチは「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り」をコンセプトとする。品質保証を示すために、世界で初めてデザイ ナーの名前を入れて商品を販売。グッチオ・グッチの考案した、自らの頭文字をあしらったダブルGのモノグラムが有名となる。グッチオは1953年に死去。

グッチオの死後、息子アルドが経営の中心となり、65年ビットモカシン、68年、レディスウェア、70年代に香水を発表し、ブランドのラインナップを増や していく。80年代に入り、グッチは、グッチオの4人の息子によって運営されていたが、最終的にはグッチオの孫にあたるマウリッツィオの手に渡る。

89年グッチ復興を願って当時、バーグドルフグッドマンの女性社長だったドーン・メロウをクリエイティブ・ディレクター兼副社長に就任。彼女はジェフリー ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用。

90年、マーク ジェイコブスが率いるペリー エリスで同社のブリッジラインにてスポーツウェア(カジュアルウェア)をデザインしていたトム フォードをレディスのデザイナーに抜擢。彼は、ほとんど一人でウェア、アクセサリー、ギフトなど、グッチの11にも及ぶラインのデザインを手がけ、いずれもコレクションは好評を博し、グッチを大きく成長させた。

93年、マウリッツィオは株をアラブ系投資グループのインベストコープ社に売却。こうしてグッチは、70年に及ぶ同族企業としての体制は幕を閉じた。

インベストコーブ社は、グッチ・グループN.V.社を設立し、グッチ・アメリカ社の社長だったドメニコ・デ・ソーレ(Domenico de Sole)がCEOに就任。ドーン・メロウは、後任のクリエイティブ・ディレクターにトム フォードを推薦し、94年、フォードがクリエイティヴ・ディレクターに就任した。

フォードは、マウリッツィオからそれまでのエレガンスなクラシック路線ではなく、モードを打ち出し、やがて、そのデザインは爆発的な注目を集める。93年 には2億ドルだった売り上げは99年には12億ドルまで拡大。(この間にインベストコープは株式を売却して、グッチは一度、独立している。)

99年、LVMHの敵対的買収の噂もある中、フランスの流通大手PPR社のグループに入る。

デ・ソーレの経営手腕もあり、グッチは急速に事業を拡大。1999年、セルジオ ロッシを買収。2000年、宝飾メーカー、ブシュロンイヴ・サンローランを買収。2001年、アレキサンダー マックイーンの株式の51%を獲得。その後、バレンシアガの株式資本の91%を所有し、次々にグッチの傘下におさめていく。また同時期に、皮革メーカーだったボッテガ ヴェネタを買収している。2002年には、グッチグループからステラ マッカートニーがデビューした。

2001年、トム フォードがイヴ・サンローランリヴ・ゴーシュのデザイナーにも就任しグッチと兼任するなど、フォードとデ・ソーレは影響力をフルに発揮した。約10年間に 渡る大活躍のデ・ソーレとフォードだったが、2004年4月30日付で退任した。ブランド・コントロールの問題で親会社PPRと対立したのが原因と言われ る。

2004年5月より、フォードの後任として、レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに、アレッサンドラ ファキネッティが就任。尚、メンズウェアラインはジョン・レイが、アクセサリーラインはフリーダ ジャンニーニが担当していた。  

2005年、ファキネッティが、方針を巡る意見の相違を理由にレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。後任にジャンニーニが就任。 2006年ジョン・レイがメンズウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。このときも後任には、ジャンニーニが就任し、結局、ジャンニーニが、グッチ のレディース・メンズライン、アクセサリーラインをすべて努めることになった。

フリーダ ジャンニーニの、セクシーさの中にフェミニンな要素が含まれるファッションは、好評で、コレクションの時の彼女のファッションまで話題になっている。

 

 

(以下、ファショコン通信より)


<グッチの公式サイト>

・gucci(英語)

■グッチの取扱サイト■

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モダンブルー


イヴサンローラン(Yves Saint Laurent)

イヴサンローランのブランド情報

(以下、ファッション通信より
  1962年に創立したフランスのアパレルブランド
  創立者はピエール・ベルジェとイヴ・サンローラン(Yves Saint LAURANT)。イヴ・サンローランは1936年8月1日、アルジェリアのオランに生まれる。自他共に認めるゲイ。17歳の時、IWS主催のデザインコ ンクールでカクテルドレスを発表し、最優秀賞を受賞。息子の才能を信じた母親が、フランス版「ヴォーグ(VOGUE)」の編集長であったミッシェル・ド・ブリュノフの下へ連れて行ったところ、ブリュノフはサンローランの才能に魅かれた。ブリュノフの薦めで、サンローランはエコール・ドゥ・ラ・シャンブル・サンディカル・ドゥ・ラ・クチュール・パリジェンヌ(Ecole de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に入学。また、ブリュノフの紹介で、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)のアシスタントになる。
  1957年11月15日、クリスチャン・ディオールの死去に伴い、21歳で後継デザイナーに就任。
  1958年1月30日、クリスチャン・ディオール死後のパリでの初コレクションで「トラペーズライン」を発表。
  1960年7月、左岸のビートニクス達へのオマージュを表現したコレクションを発表。ストリートの若者のスタイルへの称賛を明確にした、初めてのクチュールコレクションとなった。
  1962年、ピエール・ベルジェと共にオートクチュールメゾンである「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」を発表。以後、シースルー、サファリルック、モンドリアンルック、スモーキング、パンタロン等、1960年代を代表する新しいエレガンスのスタイルを発表。
  1966年、プレタポルテ「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent rive gauche)」のブティックをパリ6区にオープン。
  1985年、フランスの最高勲章レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与される。。
  1993年、デ・ドール賞を受賞。
  1998年、「サンローラン・ジーンズ(SAINT LAURENT JEANS)」をスタート。
  1999-2000 A/W から 2000 S/S まで、アルベール・エルバス(Alber ELBAZ)がイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのデザイナーを務めた。
  2001年9月29日、表参道にイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのショップをオープン。
  イヴ・サンローラン社がグッチ(GUCCI)社に買収されたのを受け、2001 S/S よりイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのデザイナーにトム・フォード(Tom FORD)が就任。
  2002年1月22日に行われた、パリ オートクチュール・コレクションを最後に、「モードの帝王」、イヴ・サンローランは惜しまれつつも引退した。そして、高度に神格化された影響か、そのまま オートクチュール部門は閉鎖され、以後はイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのみの展開となった。
  2003年、エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)社とコラボレートし、メンズフレグランス「エッセンツァ・ディ・ゼニア(Essenza di Zegna)」を発表。
  2003年11月、トム・フォードが辞任。
  2005 S/S より、ステファノ・ピラーティ(Stefano PILATI)がメンズウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターを務める。
  ステファノ・ピラーティはミラノでファッションデザインを学んだ後、1993年にジョルジオ・アルマーニ(GIORGIO ARMANI)に、95年にプラダ(PRADA)に入社し、各社でアシスタント・デザイナーを務める。2000年、イヴ・サンローランに入社し、レディースウェアのデザイン・ディレクターに就任。2002年6月には、プレタポルテ、アクセサリー、レザーウェア等、全カテゴリーのデザイン・ディレクターに就任。
  2007年6月、新ブランド「エディション24(Edition 24)」を発表。従来のサンローランのベストセラーやアイコンアイテムを、現代女性向けに再編集したものとなる。
  2007年12月6日、イヴ・サンローランがフランス大統領府(当時サルコジ大統領)よりレジョン・ドノール勲章を授与される。
  2008年6月1日、イヴ・サンローランが死去。イヴ・サンローラン本人に「私はいつも、ドヌーヴをイメージしてデザインしている」と言わしめるほ ど、1960年代後半まではカトリーヌ・ドヌーヴがマスコット的存在として位置していた。また、卓越した技術と多大なる存在感で多くのデザイナーに影響を 与え、敬意を込めて「モードの帝王」と称された。
  2009年2月23日、パリの展示場「グランパレ」で行われたオークションで、イブ・サンローランの遺品が2億600万ユーロ(当時の為替レートで約250億円)で落札された。当時、個人のコレクションとしては世界の競売史上最高額であった。
  2010年2月、アトリエニューヨークとコラボレートし、カプセルコレクションである「イヴ・サンローラン・フォー・アトリエニューヨーク(Yves Saint Laurent for ATELIER NEWYORK)」を発表。

イヴサンローランについて

  サンローラン社がグッチ社に買収され、デザイナー交代の噂が立ち上がったとき、実はオートクチュールのデザイナーもトム・フォードに代わるという話も あったようだ。しかし、ご存知の通り、パリにおいてイヴ・サンローランは既に神格化されていたため、周囲から大変な反発を受けた。そこで、オートクチュー ルだけはイヴ・サンローランに続けさせ、プレタポルテ部門をトム・フォードにやらせることとなった。ビジネス至上主義の現代モードの流れにあって、一際異 彩を放つのがイヴ・サンローランの凄さであったといえよう。
  そして、2002年におけるイヴ・サンローランの引退に伴う、クチュール部門閉鎖。もはや、イヴ・サンローラン以外に「イヴ・サンローラン」は語らせないというような執念さえ感じられた。
  最後まで徹底的に神格化されたデザイナーであった。

イヴサンローランの公式サイト

・Yves Saint Laurent
 http://www.ysl.com/

イヴサンローランの取扱サイト

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