ヴァレンチノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)
(以下、ファッションプレスより)
●ブランドの始まり
1959年、ヴァレンティノ・ガラヴァーニがイタリアのローマでデザイン活動を始る。
■ヴァレンティノについて
ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino
Garavani)は1932年、北イタリアのヴォゲラ生まれ。父親は地元の電力供給会社を取り仕切っていた。49年ミラノにあるサンマルタ専門学校の
ファッションスケッチ課程に入学。1年後50年パリ・オートクチュール組合学校サンディカにて服作りの基礎を学ぶ。在学中IWS(国際羊毛事務局)主催の
コンテストで優勝を果たす。
卒業後ジャン・デッセのクチュール、ギ ラロッシュの
アシスタントとして約10年働く。1959年独立。ローマのコンドッティー通りにオートクチュールの小さなアトリエを開く。60年ガラヴァーニと公私を共
にし、ヴァレンティノ・ブランドを世界的大ブランドへと成長させたジャンカルロ・ジャンメッティーとの協業体制がスタート。
62年に最初のコレクションを発表、フィレンツェのピッティ宮殿で開かれた「白だけの服」が注目を集め一躍国際的に知られることとなる。 67年に「ニーマン・マーカス賞」を受賞。68年のホワイトコレクションで初めて「V」をマークとして採用。
84年、サラエボ・オリンピックおよびロサンゼルス・オリンピックでのイタリア選手団のユニフォームデザイナーに選ばれ、1985年、イタリア政府から
「グランデ・ウフィッチャーレ」勲章。86年にイタリア最高の勲章である騎士大十字勲章を授与される。96年、イタリア共和国誕生50周年に際して、スカ
ルファロ大統領よりカヴァリエーレ・ディ・ラヴォーロ(功労騎士)に叙される。2000年には、CFDA(アメリカ
ファッションデザイナーズ協会)より生涯功労賞が贈られる。
98年、Marzotto家にヴァレンティノの経営権を売却。Marzotto家は経営面を強化することでヴァレンティノブランドの業績向上に大きく貢献。
2001年春夏からディヒュージョンライン「ヴァレンティノローマ」を発表。ヴァレンティノのデザインの原点となっているローマをネーミングし、ヴァレン
ティノらしい優雅で洗練された世界に加え、若さあふれるコレクションとなっている。2003-2004A/Wより、カジュアルライン「レッド・ヴァレン
ティノ(R.E.D. VALENTINO)」の販売を開始。
現在、ヴァレンティノグループはドイツのヒューゴ ボスなどを傘下に抱える、巨大ファッショングループに成長した。
2007年、投資ファンドのPermira社がバレンティノファッショングループを買収。2007年プロエンザスクーラーの株式を45%取得しグループのブランドに加えた。
2007年、ヴァレンティノ・ガラヴァーニがファッションのデザイナーを引退。後任のクリエイティブディレクターにアレッサンドラ ファキネッティが
就任。ファキネッティはクチュール、プレタポルテ、セカンドラインの「RED」などレディース関連すべてを担当するも1年で辞任。後任にはヴァレンティノ
で長期に渡りアクセサリー・デザイナーとして活躍したマリア・グラツィア・ キウリ(Maria Grazia
Chiuri)とピエール・パオロ・ピッチョーリ(Pier Paolo Piccioli)が就任した。
2008A/Wよりメンズラインのデザイナーにフェッルッチョ・ポッツォーニが就任したが、2シーズンでデザイナーを辞任。レディースウェアを手がけるキウリとピッチョーリがメンズも手がけることが決定。