2026年09月22日

敬老の日

こんにちわ。


朝夕、大分涼しくなってきました。


今年の夏は「そのうち」を身近な言葉と解釈し、大いに夏を謳歌しました。(笑)、

お蔭様で、少し、夏バテぎみです。


昨日は敬老の日でしたね。

少し、「敬老」について考えてみました。


昨日は、テレビで、「敬老の日」に因んで、健康談義の話題で、盛り上がっていましたが、65歳以上の高齢者が、一億2千万人の総人口の29,6パーセントに達したとのこと。

つまり、三分の一の人口が高齢者とのこと。


「敬老の日」の意味と趣旨は、長く生きていることへの敬意とこれからの健康を願う日とのこと。


しかし、最近、切れる高齢者が、多いと聞きます。


私自身も高齢者の仲間入りをしている現在、年齢を重ねる程、徳を積んで、これからの日本を支えていく人々の範とならなくては。


自身も他人事ではなく、気を付けないといけないなあと思う昨今です。


特に後期高齢者(75歳以上)と言われる層は、大戦により、日本全土が焦土化した時代から、波乱に富んだ激動する日本経済と共に歩んできました。


こうして、自身を振り返ってみますと、良い人生経験を体験させていただいたなあ、とつくづく思います。


「敬老の日」に因んで、寿命について考えてみました。



今から、130年前の平均寿命が男性42,80歳、女性、44,80歳だったとのこと。


そういえば、今から60年程前には、確か、人生、50年と言っていましたね。


私が幼少の戦後まもなくのことです。


近所の確か、80歳過ぎた方だったと記憶していますが、亡くなられた時、80歳も生きられた。



大変めでたい事なので、赤飯を焚いてお祝をされたのでは。


という母が言った言葉が忘られません。


子供心に80歳以上生きれば、赤飯でお祝いをしていただけるのだなと。


今、そのような年齢になり、何か、考え深いものが去来します。


世界保健機構(WHO)が唱えるところの平均寿命で、日本は、2025年の統計で、男性は81,1歳、健康寿命は72,6歳、女性は平均寿命は87,1歳、健康寿命は75,5歳とのこと。


男女の平均寿命は84,5歳で、健康寿命は75,5歳とのこと。


因みに平均寿命は理解できるとして、健康寿命の健康定義として、WHOの解釈は、3項目を挙げているとのこと。


1,日常生活に制限がない期間の平均、、


2,自分が健康であると自覚している期間の平均、、


3,要介護を受けていないかどうかとのこと。


3つの条件を考察してみますと、私自身は 今現在、健康寿命にあてはまる事が出来るのではと、密に自負と共に喜びを感じています。


しかし、いつ何時。

友達、縁者の訃報を聞くことが多くなった昨今、一寸先はーーという、思いが
本能で、理解できる歳になったなと、つくずく感じます。


今回は「敬老の日」に因んで、寿命について、述べさせていただきました。


春秋に富む方々にとっては、何の話題?と受け止められた事と思いますが、「光陰矢のごとし」。


私自身が、今、この意味するところが、一抹の感慨と共に、心に感じ入る心境であることを、述べさせていただいて、ペンを置きます。


次回には、「寿命」についての私の思いを述べて。みたいと思います。



まだまだ日中は、残暑が続くようです。


どうぞ、体調管理にご自愛頂き、今回も最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。








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2026年08月26日

夏、そのうち


おはようございます。


暦の上では、立秋となっていますが、まだまだ厳しい暑さが続いています。

皆様方は、今年の夏は、いかがお過ごしでしたか。


海外では、史上最大の干ばとか、又、国内でも、憂いべき干ばつが。


又、熊本の二度にわたる大きな震災、千葉の方では、ゲリラ豪雨というのですか、大きな災害が出ています。


熊本、千葉の方々のご関係者には深く深くお見舞い申し上げます


地球が、現状の、いがみ合ういびつな国際情勢を眺め、悲鳴をあげているのかも知れません。


さて、皆様方もよくご存じの、詩人であり書道家の、相田みつおさんがおられますね。


独特の字体で、人間の心の深層心理を素直な文章で書かれ、今もって、愛読されています。


私は、亡くなられる30数年前になりますか、京都に講演でおみえになられ、講演終了後、控室にお伺いして、ご挨拶をさせていただいたことがあります。


その温厚な形骸に触れた事により、より身近に感じまして、各詩集を購入しまして、時折、ひも解いています。


そうしますと、思いだすことがあります。


もうおひとりで、相田先生と双璧の立場で、ご存じの仏教詩人として、有名な坂村真民先生がおられます。


そのことで、今だもって、悔いる出来事があります。


もう、この件も20年前にさかのぼりますが、ご縁があって、ある先生から、谷口さん、坂村先生にご挨拶の機会が出来たので、もう、先生もお歳の事もあり、一緒に愛媛に挨拶に行きませんかと、声をかけられました。


今回のテーマに繋がるのですが、どうしたことなのか、又の機会にと。

今もって、どうしてご一緒しなかったのかと思いますが。その数年のちに他界されまして、誠に残念ながら、ご挨拶が出来ませんでした。

さて、いつものように長々して、本題に入りますが、私はそのように、相田みつお先生の名言、格言が琴線に触れ、大変好きで、社員研修の資料にも、坂村真民先生と並び、採用させていただき、勉強させていただいています。

相田みつお先生の、私の好きな最高の格言で人間の本能である、
              
              幸せは自分の心が決める。

今回は、    

              そのうち、そのうち
  
    そのうちお金が貯まったら、そのうち家でも建てたなら、そのうち子供から手がはなれたら、

    そのうち仕事が落ち着いたら、そのうち時間にゆとりができたなら、

    そのうち そのうち そのうちと出来ない理由を繰り返しているうちに

    結局 何にもやらなかったむなしい人生に幕がおりて、頭のうえに、墓標が立つ

    そのうち、そのうち、日が暮れる、今きたこの道かえれない

    そのうち そのうちと弁解しながら、日が暮れる


今まで、他人事のように、戯れに口ずさんでいた詩が、全く現実として、理屈なしに、身体で感じる歳になりました、


「そのうち」の結論は、今年の夏は、暑さを身体で味わい、いといながら、2か所の墓参りを兼ねたセンチメンタルジャニー、孫との二泊三日の箱根、熱海での家族旅行、親友との語らい、同窓会出席、史跡巡り、名キネマ鑑賞と、厳しい暑さの中で、そのうちを意識した、人生を楽しんだ夏の報告になりました。



しかし、まだまだ、暑さが続きます。


どうぞ、熱中症とか、留意されまして、お身体ご自愛専一の程を。


今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。






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2026年07月22日

川のせせらぎ

おはようございます。


先日、大雨が降りました。


雨を何となく、忌み嫌うようなところがありますが、私は、生きとし生けるものの根源である、雨が好きですね。


というのも、私の自宅から、3〜5分行きますと、淀川の支流の川があります。


その川が、雨が降らないと、特に夏は干上がって、全く水がない時期が長く続きます。


時折、堤防の道を散歩したり、自転車で堤防をわたり、隣町の大きなショッピングモールに行く時があります。


その時、その川が、干上がった状況になる時があります。

その状況を見るのが、何となく、切ない、自分の感情も、干上がった気持ちになります。



この間の一日、降り続いた大雨の翌日、何か、そわそわしながら、自転車で堤防を渡り、隣町に行く事になりました。



堤防に上がりますと、加齢と共に、耳が遠くなってきているですが、「サラサラ」という音が聞こえてきました。


川が流れる音でした。


何となく感動を覚え、川は流れると「サラサラ」と音がするのだと。


昔の唱歌で、「春の小川」という、歌を思い出しました。



このような、歌詞でしたね。


「春の小川はサラサラいくよーーー という、冒頭の歌の歌詞です。


川は流れると、サラサラと音がするのだと。


今更、何を言っているの、と言われそうですが、もう50年近く住みついた家の、大変オーバーな表現ですが、生活の分身のような川に、流れるせせらぎの音を初めて聞いたような気がして、感動を覚えたのかもしれません。


又、雨が降らない日が続くと、全く干上がって、川が、乾いた道になってしまいます。



水は、言うもがな、人間が生きていく上での生命線です。


この間、テレビを見ていましたら、どこの国か忘れましたが、生活する日常の水を得るため、5歳〜6歳の子供が、毎日の日課として、1時間程かけて、川の水を得るため、肩に天秤棒を担いで水をくみに行く、映像を見ました。



よく、何か災害が起きた時、水が止まり、復興して、水道の栓をひねって水が出た時の感動が忘れられません、との報道を見る時があります。



普段は、全て、生活していく上でのライフラインでの諸環境は当たり前なのですね。


生きていく上で、水は必要な最たるものですが、私たちは、当たり前のように、なんの疑いも持たずに,栓をひねると水が出る。



当たり前であるという、思いあがった気持ちを、時折は振り返って気づかなくてはと、自戒しました。


感謝の思いもなくなり、不足不足で人生を終わってしまうような、そんな気持ちを、川のサラサラというせせらぎの音から、感じ入った次第です。



そして、その川の音で、雨について、思いを巡らしてみました。



雨の音の擬態語で、強く降る雨は、ザーザー、ゴーゴー、バシャバシャ、と。


そして、パラパラ、サラサラ,シトシトと。


終わりの雨は,ポツポツ,ポタポタ、ポトリと。


こうして、考えてみますと、日本語の素晴らしい感性豊かな語彙の妙は、世界に類が何のではと思います。



又、思い起こせば、同じ雨にも、春夏秋冬で、趣を変えて表現する。


春の雨は、五月雨(さみだれ)、春雨(はるさめ)、小ぬか雨。


夏は、夏雨(なつさめ)、梅雨(ばいう)、夕立。


秋は、秋雨(あきさめ)、秋時雨(あきしぐれ)、時雨(しぐれ)、霧雨(きりさめ)。


冬は、寒雨(かんう)、氷雨(ひさめ)。


同じ雨を四季により、呼び方が変わる、


何気なく使っていますが、英語ではレイン[rain]で片づけられることが、改めて、日本人の世界に類のない、又AIでは、到底分析できえない感性を。


そして、その感性が、現在の混沌とした、国際情勢に役立つことが出来るのでは。

又、いつもの大仰な展開になりましたが、連想して、浮かんできました。


今回は先般の大雨から、日本人のDNAとして、なくしてはならない感性について述べてみました。


梅雨が明け、一気に真夏の酷暑に突入しました。


この暑さを、感性で持って生きている事に幸せを感じて。


熱中症対策にご留意して、どうぞ、ご自愛下さい。


今回も最後まで、お付き合い、誠に有難うございました。




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2026年06月26日

サッカーワールドカップ


こんにちわ。


連日、サッカーワールドカップで、日本中は沸き立っていますね。


スエーデンに引き分けにはなりましたが、決勝進出でホット一安心しました。


従前に、サッカーはオリンピックより世界的に人気があると、聞き及んでいましたが、全く日本もその通りになりましたね。


私は余りサッカーの試合は見ることが少ないのですが、どうも、スコアの関係かも知れません。



蹴球の中でも、アメリカンフットボールは大変好きで、もう、試合を観戦するようになって、60年余になるのではと思っています。



残念ながら、バタバタしていまして、春の各地での試合は観戦に行けなっかったのですが。


冬、本番のシーズンになりますと、好試合を中心にチエックして、スタンドの上段に座り、缶ビール片手に監督になった心境で、観戦するのが、今から楽しみです。

観戦に東京まで、出かけたりする時があるほどです。


アメリカンフットボールは、他の蹴球と一番相違するところは、ご存知の方もおられますが、野球と同じで、攻守が決まっているという事です。


野球は先攻が、3回の攻撃権がありますが、アメリカンは4回の攻撃権があります。


その4回の攻撃権のある時(オフェンスと言います)に、ボールを10ヤード(約9メートル)敵陣地に運ぶと、又、4回の攻撃権があり、一から相手の陣地まで、ヤードを進めていくというスポーツです。


時折、パスで、相手陣地に30ヤード〜40ヤードと、一気に前進する時がありますが。


そして、10ヤードまでボールを運べない場合は、攻守が入れ替わり、今度は守る側(デフェンスと言います)になります。


ご承知のように、アメリカンフットボールの点数のスコアは、タッチダウン、つまり、ボールを相手チームのゴールまで、運びますと、一挙に6点が入ります。


大体スコアは、一試合で、何十対、何十となります。



その点サッカーは、1〜2点が勝負になりますね。


サッカー通ですと、そのロースコアが面白いとのこと。


色々の見方があるなあと、今回のサッカーワールドカップを、私も大変興味をもち、対、日本戦をテレビ観戦して思いました。


アメリカンのように、静止時間がなく、試合中、選手が間断なく動くのも、目が離せなく、やはり、世界で一番人気があるスポーツと言われる所以も、今回、観戦していまして、よく理解できました。


是非、今回の日本チームが掲げている優勝という、夢の目標、目的に向かって、頑張ってほしいと応援しています。



さて、何故、日本チームが強いのかと、色々の観点から、コメントされていますが、私自身はやはり、日本人の「和の精神」ではないかと思っています。



日本人の「和の精神」の源は、皆様方もよくご存じの、1400年前の西暦604年の飛鳥時代にさかのぼります。



推古天皇の摂政だった聖徳太子が作成したと言われています17条憲法の1条にあります。



17条にわたる憲法としての決まり事を作成した根本理念は、世界に、当時ですので、大国中国と伍すためには、決まり事を作成して、ひとつに日本を纏めることが必要でした。



そして、その第一条に挙げたのが、かの有名な、

「和を以って貴し(とうとし)となす。」


私は、この日本で初めて作成された17条憲法が、今日の日本人のDNA、つまり魂として、脈々と受け継がれているのではないかと、思っています。


日本が「和」つまり、端的に言えば、みんな仲良く、現在の言葉で、訳してみれば、チームワーク、チームプレイ、コミュニケーションが大切であるという事になります。


つまり日本語で言えば「和」という一言です。


この「和」という意味合いの一言ついては、我々日本人は、不立文字として、忖度のできる民族になります。


つまり,AIでは永久に分析でき得ない、日本人が長い長い気の遠くなる、年月の中で,涵養し、慈しんできた、深層心理の奥深く根付いている、ココロではないかと思っています。



話は、心の深層にある内面の世界ですので、解釈が難しいですが、今回の活躍する若者の日本サッカーの躍進ぶりを見て、その強さの源について、心身一如の考えのもと、私なりの解釈してみました。



従前にも17条憲法について、少し、コメントさせていただきましたが、機会がありましたら、
また、日本人の日本人たる根源の17条憲法の他の項目についても、述べたみたいと思います。


今回は、今、開催されていますサッカールドカップについて、日本の素晴らしい活躍を、和の精神で持って、益々の躍進を期待しながら。


              「ガンバレ、日本」


梅雨の時期になります。


体調管理に、充分ご自愛いただきまして、今回も最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。









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2026年05月24日

好奇心


こんばんわ。


連日、猛暑日という言葉が、5月ですのに飛びかっています。


年2季節等の言葉が、現実味を帯びてきたような最近の天候です。


しかし、春、まつさかりです。


幼少の頃から好奇心が強いようで、(母の血筋かもしれません)。

俗にいう,行きたがりのようです。(笑)

そういえば、もう60数年前になりますか、3回生の春休みに学生時代の思い出として、スキーの同好会に入っていまして、時刻表片手に鈍行で、生まれて初めて、大阪から東京に出て、その足で、東北本線の「ああ上野駅」から、山形蔵王に行った事があります。。


そして、何のコンタクトもなく、飛び込みで、蔵王の中腹にある山小屋に泣きついて、昼休みの休憩の時はスキーをして、スキー客相手の住み込みのアルバイトを一か月程した若気の至りの思い出が蘇ってきます。
(確か、アルバイト料は住み込み三食込みで一日500円であったように思います。笑)



このあいだ、NHKの関西ええとこぶらり一人旅(?)に出ていた、東近江市の五個荘にある1814年(文化11年)築で、近江商人の屋敷の見学に行って来ました。


廃墟となっている建物を一人のお坊さんが10数年かけて改築されたとの事。、

見学できるのは、土曜、日曜、祭日だけでしかも確か、5月一杯までと放映されていました。



早速、幼少の頃からの好奇心が頭をもたげ、2時間半ほど、かかりましたが、東近江の方に行って来ました。


屋敷内には、庭園、江戸時代の土蔵、蔵、台所、皇族を迎えた部屋、石造美術等あり、江戸時代、明治時代にタイムスリップした、心安寧の時間になりました。


テレビで放映されましたし、それも、制約付き、期限付きの見学なので、人で一杯なのではと思っていました。


が、しかし、来訪者は2〜3人でお蔭様というのか、案内の人が館内を一緒に回っていただいて、色々と屋敷の由来の説明を受け、非常に心穏やかなひと時になりました。


従前から機会があれば、一度近江商人のが活躍した、五個荘には行きたい場所でした。


そのあと、少し散策すると、近江商人屋敷道があり,各近江商人が活躍した、屋敷の見学を。


そして、近江商人博物館を。


皆様方もよくご存じの、近江商人の「三方よし」の精神は、長年経営に携わっている私としては、人間社会の営みに欠かせない天地自然の理のように思っています。


三方よしとは、皆様もよくご存じと思いますが、「売り手よし、買い手よし、世間によし」で、三方よしとする、近江商人の商売道の根幹をなす商道です。



私流の解釈も含め、解説すると、一つ目の「売る手よし」は、商いは売る方が適正な利益を得る。


この適正な利益がないと、経営というものは成り立ちません。継続出来ません。


そして、二つ目の「買い手よし」は、買う方が、がその商品を適正として、購入します。


ここも、大事なところです。


よい商品で適正な価格でないと、購入してだまされたとなると、、その後の購入は成り立ちません。



買い手に喜んで貰う事です。


そして、「世間によし」です。


その商品が社会に役立っているという事が最も大切ではないのかなと思っています。


世の中にその適正利益を得たものが、私服を肥やすのではなく、世間に還元する。


この順法、が経営していく上での、基本的考えではないのではと、私自身、二つの会社を長年経営をしてきまして、つくずく感じます。



そして、心にあるのは、二宮尊徳が、いい放しました、「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は罪悪である。



今回は、短い春になりつつある今日この頃、近江商人発祥の地である五個荘での、心遊んだ一日を述べて見ました。


経営をされておられ、まだ行かれていない方は、経営の原点を探りに是非一度お勧めします(笑)。


6月になりますと、梅雨の季節になります。


神羅万象が潤う梅雨になりますように。



今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。


ご自愛専一に。







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2026年04月28日

廃校


おはようございます。


三寒四温ですね。

体調管理に分身が苦労していると思います。


助けてあげなくては。


一週間程前に、大阪市内に住む、小学校時代の幼なじみから、久しぶりに連絡がありました。


我々の小学校が廃校になり、そのために、先週の土曜日と日曜日の二日間、学校を開放して、最後のお別れ見学会をするとのこと。


行きませんかとの案件です。

一瞬びっくりしました。


最近、少子化で廃校の話はよくある話ですが、大阪の下町のど真ん中でも、少子化がそこまで、来ているのかと。


当然参加しますと、返答して携帯を切りました。


何となく複雑な思いで、一昨日、小学校前に3時に集合という事で、久しぶりの私の生まれた幼少の頃の思い出の詰まった生誕地を併せ、行って来ました。


その友人が何名かに声をかけておくという事で、久しぶりに友達と会えることも楽しみでした。


3時の小学校の校門前に集合とのことでしたが、その前に、生誕地付近を見てみたいと思いまして、少し早く家をでました。


いつもの、生まれてから、20数年間通った懐かしい駅に降り、商店街を経て、生誕地までぶらぶらと思い出にしたりながら、散策しました。


道中、もう60年前のことです。


思い出の風景は様変わりして、時折、そのままのたたずまいの家もありました。


なんともいえない、時空を超えて、甘酸っぱい感傷にしたる機会になりました。



そして、生誕の地に、着きました。



従前に記しましたように、誠に残念極まりない事ですが、6〜7年前に,生誕地の向こう三軒両隣が、火災により全焼しました。


その折は、私自身の生い立ちが消滅したような大変なショックを受けました。


今は,生誕地は、さら地になって、何もない全く殺風景な景色でした。



暫し、たたずみながら、走馬灯のように、幼少の折の生い立ちが脳裏に浮かんできました。


両親の懐かしい顔、声、今は亡き真ん中の兄貴の優しい顔、声(私は男ばかりの三人兄弟の末っ子になります)。


が、静寂のさら地から浮かび、聞こえてきて、一筋の涙が頬を伝いました。


そして、皆の待つ小学校へ。


6人の小学校時代の友達が集まり、校舎へ、運動場へ。


70数年前に、通った小学校です。


当時の思い出の風景は、運動場ぐらいで、あとは改築で思い出の風景は消えていました。


しかし、校内には懐かしい校歌がスピーカーから流れ、記憶のかなたにあるのか、口ずさんでいる自分がいました。


廃校になる校舎の最後のお別れ会に、こうして、元気に見て回る事の出来たことに、ある意味、感謝の念で、一杯でした。


見学会のあと、6人で幹事が予約してもらっていた料亭に行き、小学校の思いで話に花が咲き、一気に70数年前にタイムスリップした、楽しいひと時でした。


今回は、一昨日廃校になる小学校のさよなら見学会に、ノスタルジックに惹かれながらの思い出について、述べてみました。


全く個人的な思い出に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。


季節の移り変わりの格差のある時期です。


どうぞ、ご自愛下さい。


有難うございました。






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2026年03月26日

鉄腕アトム


おはようございます。


三寒四温を繰り返し、春が近づいてきます。


何となく、うきうきする気分になりますね。


さて、日本を代表する芸能伝統に歌舞伎があります。


従前にも述べましたように、私が世界に目を向けさせたのは確か6歳〜7歳ぐらいではなかったかと思います。


今でも鮮明に脳裏に焼き付いていますのが、2コマの程の風景で、手塚治の「鉄腕アトム」の漫画です。


一つは連立するビル群の中を高速道路が走っている一コマで、その車の中に、お茶の水博士が
海外の要人と同席している一コマです。


もう一コマは歌舞伎俳優が確か花道と思うのですが、六方を踏んでいる一コマです。


当時は当然、花道も六方も知りませんが、何か、両手を挙げていたように思いますので、今でいう見栄を切っていたのかも知れません。



その2コマのうちの一コマの漫画は、日本の未来はこのような乱立する高層ビルになり、その間を高速道路が走ると云う風景です。


一種の未来への憧憬と、所詮漫画の世界だなあと思っていました。


戦後の焼け野原を知っている者にとっては、当然の事と思います。


もう一コマは、海外の要人が日本に来ると、その接待は歌舞伎鑑賞との事で、子供心に、歌舞伎というのは、日本を代表するものなのだなと、少し、ませていたのか、そのような感慨があったのが、思い出されます。



子供心に日本は戦争に負けはしましたが、日本人の持つ日本の伝統、誇りに対するDNAが内在していたのではと思います。


しかし、こうして振り返ってみますと、手塚先生は、現在の鉄腕アトムというロボット化の時代、日本の将来、世界の将来を予見していたという、その洞察力には感嘆せざるを得ません。



その漫画の2コマが、私を日本の伝統文化に目ざめさせ、そして、海外に目をむけさせ、20代の半ばから、30代の前半にかけ、文字通り世界を股にかけて。


まではいきませんが、海外に雄飛する機会になりました。



日本の誇る歌舞伎のルーツは、江戸時代に、大阪南の道頓堀で5座の芝居小屋として、花ひらきました。


その歌舞伎を中心に興行していました松竹座が、実は、今年の5月を以って、閉館するとの記事が出ました。



歌舞伎フアンの一人として長年親しんだ松竹座が閉館することにより、大阪に5座あった演舞場が、これで、全て、火が消える事になります。



最近の映画の「国宝」が映画史上における興行収入の第一位を取ったと、喜ばしい報道の後での新聞記事で、正直愕然としているところです。



中々、採算が取れなく赤字であったとのこと。


一企業が管理しているとのことで、大変難しい問題があると聞き及びました。


いま、松竹座が存続するための署名活動をしていますが、このような日本を代表する芸術、文化は、日本の顔として、行政が何らかの関与をして、存続していかなければならないのではと、個人的に思っている次第です。



因みに道頓堀の5座とは、江戸時代から道頓堀の芝居町として、浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座の総称で、歌舞伎や、人形浄瑠璃のメッカとして、大衆の憩いの娯楽地でした。


それらの劇場は1990年代までに、すべて閉館し、その座を引きついだ100年続いた松竹座が、今年5月に閉館することになりました。


なにわのブロードウェイと呼ばれ、賑わった道頓堀界隈の大阪上方の娯楽劇場は全てなくなることになります。



今年、1月は友人と、松竹座での新春の恒例の歌舞伎を観劇しました。


4月、5月と最後の歌舞伎が興行されるとのことで、行く予定です。



今後、歌舞伎を観劇するには、京都の南座、東京の歌舞伎座になりました。



今回は、私が幼少の頃、「鉄腕アトム」の漫画より、大きく世界に目を向けるきっかけになりました、歌舞伎について、日本の世界に誇る、伝統大衆芸能の火が、道頓堀より消えていくことの一抹の寂しさについて述べてみました。


日ごとに春に向かっていきます。


素晴らしい日本の自然を慈しみたいと思います。



今回も最後まで、お付き合い頂きまして,誠にありがとうございました。


気候の変わり目です。どうぞ、御自愛ください。






senba206 at 10:38|Permalink│Comments(0)│

2026年02月23日

若者賛歌

お早うございます。


あっという間に2月も後半になりました。

これから三寒四温を繰り返して春になると思うのですが、今日は一気に春一番というところですね。


17日間と熱戦の続いた冬季ミラノオリンピックも今日で終わりました。



日本選手の活躍ぶりをテレビで見ていまして、時折、メダルに輝いた選手のけなげなインタビューを聞いていますと、こちらも一緒にもらい泣きして、涙腺が緩みます。


やはり、どのような分野であっても、一生懸命の真摯な姿は美しいですね。


世界一、高価な化粧品であっても「全力は美なり。」


全力で事に臨んでいる人は、残念ながら勝てませんね。


最近のオリンピックとか、又、各世界スポーツ大会においても、日本人の若者の活躍が素晴らしいですね。


三昔前は、不成績に対して、「参加することに意義がある」と言う、もっとな日本代表選手の発言に、物議をかもした時代がありました。


選手から見ますとメダル云々は別にしまして、確かにオリンピック憲章にも謳っていますように、参加することに意義がある。その通りのことですが。



しかし、一面、一応、国の援助、つまり国民一人一人の貴重なお金で、参加しています。


そうなると、参加することだけがーーー、と、思う時がありました。


よく年配者が「最近の若者は」と、かしましくいっていた時代です。


しかし、最近の若者は素晴らしいですね。



私自身は50年余と春の時期に新入社員合宿研修を進めてめていますが、肌で最近の若者の資質の高さに敬意を表します。


参加することに意義があるという時代から、メダルを取るという事に意義があるに、若者の意識が大きく変わったように思います。


確かに、メダルを取ることが全てではなく、人間の素晴らしい内在する潜在能力を極地まで高め、人間賛歌として、あくなき挑戦をする。


その結果が、具体的なメダルとなって表現される。


メダルを取る、取らないという次元の問題ではないように思います。


人間として大切な事は、そのメダルを授与された、多くの選手が、異口同音に口にしていました。



「メダルを取れたのは、周りの方々の何事にも替え難い真摯な応援により、その報いとしての感謝のお礼としての、メダル以外のなにものもないとのコメントでした




そのレベル意識の度合いが、メダルに近づけるのではないかと、そんなことを感じた次第です。


そして、銅よりも銀、銀よりも金。


自分自身をより、昇華して高めていく姿勢に、人間としての無限の可能性への挑戦に、素晴らしさを感じた時でした。



つまり,その思いの度量が、人間の器を大きくして、そして、人間力をより高め、神様が人間のみに与えられた素晴らし心を、より昇華していくのではと、思う大会でした。


インタビューでは、幼少の頃、テレビを見て、メダルの選手に憧憬の念を持って、私自身もそのようになりたいという思いが、こんにち今、私がここにいます。と言うコメントもありました。


「人間想えば成就する」の魔訶不思議な潜在能力の現れと思いました。


そういえば、従前にも少し、述べたように思いますが、私自身の想いのルーツは、幼少の頃の、もう化石のような話になりますが。


日本が戦後初めて参加が許された、遠い遠い彼の地の、フィンランドのヘルシンキ大会で、あの海底ケーブルの波の音でかき消されて、ラジオを抱きかかえるように耳をそばだてて聞いた、1500メートルの競泳での実況中継です。


古橋、橋爪,アメリカの日系二世のコンノとのデッドヒートです。


今も耳底に鮮明に思い出します。


下馬評では古橋選手が金メダル候補でしたが、結果は古橋選手が確か、7〜8着で橋爪選手が銀メダルで、日系二世のアメリカのコンノ選手が金メダルでした。


コンノ選手は日本人ではないか、戦後の打ちひしがれた世相の中で、何か複雑な思いをもった幼少を思い出します。


その時の、遠い遠い異国での日本人の活躍の思いが、私を世界に雄飛と、目を向けさせ、20代から30代の血気盛んな時に、仕事で、20数回、世界を渡り歩いた経緯に繋がります。


想えばなる。坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」。


日ごとに寒暖を繰り返しながら、春に向かっていくようです。


どうぞ、お身体ご自愛ください。


今回は、今日閉幕したミラノ冬季オリンピックから、若者の無限の素晴らし潜在能力の発揮について、思う事を述べて見ました。


今回も最後までお付き合い誠に有難うございました







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2026年01月14日

丙午(うまどし)

こんにちわ。


新年おめでとうございます。


明日の15日の小正月を以って一応正月は終わります。


本年もよろしくお願い致します。

さて、今年のお正月は如何でしたか。

毎年の年初の挨拶になりますが、正月気分は薄れていきまして、玄関先の門松、しめ縄は、ほとんど見受けなくなりましたね。


大昔は自動車にも、しめ縄をかざった時代が、何か懐かしく蘇って来ます。


私は、正月は、もう、5年〜6年続いていますか、京都府八幡市にある国宝の岩清水八幡宮に、今年も二日の日にお参りに行って来ました。


毎年そうですが、自宅から、京阪電車で3駅向こうになりますか、徒歩で約2時間程かけまして、道中を散策をしながら、お参りをするのが、私自身の正月の行事になっています。


今年もお蔭様で、日ごろの精進がいいのか(笑)穏やかな快晴で、正月日和でした。


そして、毎年、お参りの終わった時は、来年もまた徒歩でこれますようにと(笑)祈願して、八幡宮をあとにしています。


さて、今年の干支(えと)は馬になるのですね。



今年の運勢は、勢いとエネルギーに満ちあふれて、活動的になり、情熱的で強い意志を持ちながらも、激しさや変化を伴う年になるとのこと。



新しい事に挑戦したり、色々な分野に関係性を深めたりすると、良い年になるとのこと。



草花の成長にたとえると、芽が成長し、葉が広がり、成長が著しい状態とのこと。


何か、干支に因んで頑張ろうという気持ちになり、常に前向きな思いは、何時の時代であろうとも、大切な事だなと、年初に、ヤル気のスイッチが入った次第です。



長い間、馬は人間とは密接な関係が続き、共生が長いので、馬にまつわる、含蓄のある思慮深い人生訓が多いですね。


2〜3思いつくままに馬に関することわざを述べてみたいと思います。



「馬に耳に念仏。」

教訓、気をつけないと,人の話はよく聞いて、腰を低く、素直に謙虚になりなさい。


「馬が合う」

教訓、 人生を歩んで行くと色々な人との出会いがある。常に、人間関係を良好に構築する能力を持ちなさい。


「生き馬の目を抜く」

教訓、人生を歩んで行くと、色々な出来事に遭遇する。しっかりと前をみて、真剣に生きること。


「馬子(まご)にも衣裳」

教訓、中身が一番大切だけれど、身なりによって人は一面で評価する。常に身なりを意識して、大切に。


「竹馬の友」

教訓  友達は大切に、一生の友を得るように。

「馬には乗ってみよ。人に添うてみよ。」

教訓 この世の中、知識だけではだめである。まずは、体験、経験を積むことが大切である。


「馬耳東風」(ばじとうふう)

教訓  人の意見はしっかりと聴かなくてはならない。無視してはならない。どこに幸せの宝石があるのかわからない。


「人間万事塞翁(ばんじさいおう)が馬」

教訓  人生は、起こったことはすべて良し。



こうして、私なりの解釈をしてみましたが、今年も素晴らしい一年になりますように。


そのためには、自らの手で人生の目的である幸せをつかみ取り、切磋琢磨して、自在流で、日々楽しく人生を送りたいと、意を新たにした年初でした。



本年もよろしくおつきあいの程、お願い申し上げます。


寒波が到来しています。どうぞ
ご自愛専一に。

有難うございました。






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2025年12月22日

人間にとって大切なモノ

おはようございます。


今年も、押し迫ってきました。


歳を重ねる事に、[光陰矢の如し]で、あっと言う間に、あと1週間足らずで、新しい年を迎えます。


今年は、皆様方は、如何でしたか。?


私は、なんだかんだで、相変わらず、バタバタした1年てした。


最近は、縁者の、かすかな呼ぶ声か、聴こえてくる齢になりました。


歳と共に、色々と人生を振り返る機会が増えて来たように思います。


ある宗教家から従前に、聴いた説法が、現実味を帯びて、浮かんできます。



人間に取って大切なモノ!?


さて皆さんは、どんな事が浮かんできますか?



矢張り大切なモノは、物心両面でしょうね。



しかし、齢を重ねるに連れて、物から、ココロに比重が増えたように思います。



お坊さんが、言われました。人間に取って大切なモノ。



3つに、集約して、述べてみます。


一つは空気、一つはココロ、一つは縁。


お聴きした、当時は、マァそんな事も言えるナアと云う程度でしたが、こうして歳を重ね、友人、身近な縁者の方々の訃報を聞く機会が増えてきますと、何か、5感(6感)で感じる事が、出来るようになりました。



一つ空気。

昔は、何を言っているのか、解ったようなわからない、気障っぽい事を言って。



つまり、空気に代表しますように、当たり前の事に感謝できる人間になること。


今、思う事はこうして、自分の足で、歩ける事、美味しく食事が出来ること。


そして、先ほど頂いた食事はいま、私の分身が一生懸命、60兆個と言われている細胞を活性化させるために、胃が、必要な物と、不要な物と、分解して、不要なものは老廃物として、大腸に送り、処理をしている最中と思われます。



そして、心臓は一日10万回休むことなく、365日、「おぎゃあ」と生まれた一瞬から、今日まで、働き続けていただいています。


本当に働き続けていただいています。


又、このような事を感じることが出来るのは、「生くとし生けるもの」の中で人間だけです。



このような事は、すべて「当たり前」と思っています。


普段は、全く考えた事はありませんが、最近は時折、一生懸命グチ言わず無心に働く分身に、何を今更と思いますが、本当に「分身有難う」と感謝する気持ちで一杯になることがあります。


そして、もう少し頑張ってね。主人も頑張って、その代わり、世の中にお役に立つように、生きるのでねと。


一つは縁。


今、こうして生かされているのは、本当に色々な人々のご縁で、そうして、何の思いも持たずに、パソコンを打っています。


なんて素晴らしい事か。



営々と、脈々と何十代にわたり、命をはぐくんで頂いた、先祖を含めるご縁を。



三つ目の,ココロを。


お蔭様で、前向きにとらまえる心を。



素直・自省・謙虚・奉仕・感謝の心を持つことを、人生の目的である、「幸せ」をと。



その根底に流れる大切な事は、「3つのモノ」は目に見えないモノであることを。



今日は一年間を無事に過ごして来られたことを、その原因を忙中閑で、問う時間が生まれ、振り返ってみました。



今年もあますところ、一週間足らずになりました。


来年度も、何卒、よろしく、ご指導、ご鞭撻のほど、お願いしまして、今年最後の拙い「心の応援歌」を終わらせていただきます。



一年間、お付き合い誠に有難うございました。


どうぞ、良いお年をお迎えください。






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2025年11月24日

聖徳太子の「和」

こんばんわ。


冷え込んできました。


天高く馬肥える秋、澄み切った青空、モノ思う秋、どことなく感傷的になる秋。


一年が2シーズンと言われて、久しいですが、今年は秋は一か月ぐらいかなとおもう最近です。



さて、高市早苗さんが、日本女性初の総理大臣になられ2か月程になりますが、よく、頑張っておられると思います。


先般高市早苗さんが、総理としての所信表明演説での中で、最後の結びの言葉が印象に残りました。


聖徳太子の17条の憲法とされている第17条



           事独(ひとり)断(さだ)む可(べ)からず。必ず衆(もろとも)と与(とも)に
           宣(よろ)しく論(あげつらう)ふ可(べ)し。


私なりの解釈ですが、物事は一人で決めないで、話あって決めましょう。


幸之助翁の「衆知を集める」になるのではと思っています。


これからの日本の顔として、いままでの立場と180度変容し、申すべくもなく、一言の重みが全くもって変わります。


このような事は、百戦錬磨の方なので、充分すぎるほど、精通されておられますが、
今までと違って、是非、所信声明の17条の結びの思いを常に持ち、日本国民の一人としての願いですが、宜しく舵取りをお願い致します。


いつもの偉そうな、大仰(おうぎよう)な話になり失礼しました。


さて、私自身は、幼少のころから17条憲法の第一条の


            和を以って(もって)貴(とうと)しとなす。


こうして、長くて、短い人生の道のりを振り返ってみた時、この言葉が私の人生を歩んでいく上のバックボーンになったような気がします。


この「和」は、大正時代、アインシュタインが40数日をかけて、日本の各地を回り、神様に「この地球に日本という国を創造された事に感謝します」と言われたとされる一因は、この日本人の「和」の精神ではなかったかと、私なりに解釈しています。



この言葉は、けして日本びいきという事ではなく、少なからず、仕事を通じて、20代〜30代の感受性に富んだ時期に世界各国を、何十回と渡航し、見聞しました。



確かに、日本の国も紆余曲折があったとしても、こんにちの国際情勢を鑑みてみますと、日本が世界の心のリーダーとして、是非頑張ってほしいと、思う次第です。



今から、1400年前に聖徳太子により作成されたと言われる17条の憲法を、丁度、今回良い機会と思い、ひも解いてみました。



そこで、思う事は、1400年前の国の成り立ちの憲法が、このAI社会の現在の中で、より、大切な人間関係の原点が含まれているように感じました。



またの機会に、私なりの17条憲法の各条の思いを述べて見たいと思います。



日ごとに寒さが増していきます。


インフルエンザの流行の兆しが叫ばれています。


どうぞ、ご自愛専一に。


今回も最後まで、お付き合いいただきまして誠に有難うございました。










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2025年10月29日

ノーベル賞の座右

おはようございます。


ここ2〜3日で、急に寒くなりましたね。

今までは通年は10月に入りますと、衣替えをして、秋冬物に入れ替わりをしていました。


今年はさすが、秋になりましても、残暑というのか、夏物で対応していました。


やっと、秋冬物を慌てて、出してきたというところです。


さて、今年のノーベル賞も日本人が受賞され、それも2名と。


毎年10月の初旬を迎えますと、何となく今年はどうだろうかと、気がざわつきます。


ノーベル賞で、少し思い入れがあり、振り返ってみますと、昭和25年1949年のセピヤ色の思い出が浮かんできます。


確か、小学校に入学する前年の時ではなかったかと思いますが、私が外国に目をむけるきっかけになった、大きな出来事がありました。


戦争により、日本全土が焼け野原で焦土となり、打ちひしがれた中て、復興日本へと日本人が、不安と希望をはかりつつある時でした。


湯川秀樹先生の物理学賞としての、ノーベル賞の受賞のニユースが日本列島を駆け巡りました。


このノーベル賞受賞は、どれだけ、日本人の心を奮い立たせたか、計り知れません。


子供心に日本人として、大変な事が起こったという嬉しさが心の片隅に残っています。


皮肉な事に、そのノーベル賞の授賞の対象になった中間子理論が、原爆の出来る基礎になったとのこと。


当時、そのノーベル賞の受賞に導いたのは、紙と鉛筆から生み出した理論であったと言われていたのが、記憶に残っています。


その後、今日まで31名1団体の受賞がありました。


各受賞対象は、20年〜30年前の研究論文とのこと。


これからの受賞者が出るには、政府の大いなる後押しの予算が必要であるとのこと。


因みに、各国の研究分野に対する予算額は、国によると、日本は三分の一とも、言われています。


これからも、日本が世界に存在感を持ち、貢献していくためには、そして、日本人として、誇りを持つために、政府並びに民間の協力が強く求められいるのが、現状のようです。



私自身は、ノーベル賞受賞者の研究の思いに、いつも、興味をもって、今回もお二人の先生方の受賞の言葉をチエックしました。


お二人の先生の共通の思いとして、日本の古来からある格言であります「運・鈍・根」を奇しくも挙げておられました。


私自身は運が最後に来て、鈍(どん)・根(こん)、そして運と思っていますが。



「鈍」やはり大切なことでしょうね。


よく言われるカミソリのように、鋭敏に切れるのではなく、ナタのような人間味のある鈍な切れ味が、何事においても大切だといわれています。


つまり愚直に自分の信じた道を進んでいく。


何があっても落ち込まないで、失敗しても、めげずに突き進んでいく。


人生を歩んで行く道程でも、大切な事ではないかと思います。


「根」よく根を詰めると言いますが、ここ言葉も、根気や根性に代表されるように、一つの事を最後までやり抜いていく、この根も人生を歩む上で、大切な基本の考え方と思います。


そして、「運」とは、人生を真剣に、鈍、根の精神で歩んで行くと、自然と何が自分にとって運なのか、本能に導かれ、運が拓けて行くのではと、私なりに解釈しています。


この「根・鈍・運」は人生の歩むうえでの基本の生き方であり、その考え方を体解し、続けていく。

つまり実践を、し続ける事が全てで、結果、素晴らし成果を生み、幸せな人生を歩んで行くことに、繋がって行くのでは、と思っています。


実践あるのみ。


今回は先般、私の幼少の折に海外に目を向けた、日本人にとって誇らしいノーベル賞の受賞の喜びと、お二人の先生方の共通の思いの「鈍・根・運」に賛同して、私なりの思いを述べてみました。


これから三寒四温を経て、寒さに向かっていきます。


季節の変わり目です。


どうぞ、体調管理に充分ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合いいただきまして、誠に有難うございました。







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2025年09月22日

うたかたの白昼夢

こんにちわ。


9月も下旬に差しかかってきました。


少しは朝晩涼しくなってきたのではと思いますが。


一時は、かけがいのない悠久の宇宙の唯一の星が、最近の国際情勢を鑑みて、お灸をすえているのかなあ、と思う毎日の酷暑でしたね。



最近、よく言われますように、日本の素晴らしい、世界に類をみない、春夏秋冬がなくなり、夏と冬になり、将来は、地球温暖化で、冬がなくなり、秋のような天候になるのではと思ったりします。



さて、本題の国際情勢をみていますと、何回か述べていますが、不穏な環境になりつつありますね。



神様から与えていただいた、悠久の、果てがないという宇宙のけし粒にもならない、かけがいのない星の中で、人類は争いをおこし、その紛争、戦争で、世界各地で多くの人が毎日、家屋をなくし、亡くなっていきます。



そして、その他の付随する条件により、又、尊い命が、亡くなっていきます。


テレビで映し出される、特に子供の痩せ細った、今にも命が絶えるような、映像をみていますと、思わず涙腺が緩みます。


では、私はどうすればいいのかとの思いが頭をもたげます。


しかし、その問題は目をつぶって、どうも、最近、世界の秩序が乱れ、〇〇ファーストと、世界の各国が、自国さえよければといった風潮が、はびこってきているように思われてなりません。


昨日まで、世界陸上が東京で開催されていました。


日本人の活躍もさることながら、世界のトップアスリート達が、持てる技、能力を最大限発揮して、一つになって、人間賛歌、平和の祭典を観ていますと、宇宙での唯一の命ある星が、いつまでも、続きますようにと。


そして、孫の時代にも幸せな世の中になりますようにと、願う気持ちで一杯になりました。


大正時代にアイシュタインが来日して、日本を旅して、日本人と触れ、皆様方もよくご存じの
「神様、この地球上に日本という国を創造されたことに感謝します。」


という言葉を残して日本をあとにしたと言われています。



ここで、何を申し上げたいかと言いますと、自国さえよければよいという,短略的な論理の〇〇ファーストが、世界を席巻していく現実に。


今後、日本がイニシアティブをとり、世界を纏めながら、日本人の何千年と培ってきた、DNAの「和をもって貴しとなす」の根本思想を世界にと。


その考え方は、〇〇ファーストではないのですかと問われそうですが、「和」いう、深淵なる意味合いを、世界の国々にと、そんな夢の又夢を、最近の国際情勢を危惧して、思った次第です。


今回もいつもの大仰な思いになりました。


まだ、日中は、暦の上は、初秋と言っていいのか、もう少し残暑が続くようです。


どうぞ、季節に変わり目です。

体調管理にご自愛ください。


今回も最後まで、初秋のうたかたの白昼夢に、お付き合いいただき誠に有難うございました。







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2025年08月27日

親しき仲にも

こんにちわ


暑いですね。残暑というのに、この暑さは。


この調子でいつまで続くのか。

一説には9月後半頃までとか言われていますが。


今は出来る限り熱中症には気をつけて、秋に向けて汗をかいています。


さて、私事で恐縮ですが、今年の夏も恒例になっています家族旅行に行って来ました。


娘がいつものように企画、立案して、車で、今夏は静岡、浜松方面に行って来ました。


その折、二番目で今年高校に入学した孫が、道中、私に、「おじいちゃん、親しき仲にも礼儀あり、この言葉は大切だね」と。


僕が、非常に大切にしている心で、孫に、それは一番、人生を歩んで行くときに大切な心だねと。



この意味合いの深さを知って、これからの世の中を歩んで行けば、幸せな人生を送ることが出来るのではと思った次第です。


さて、対話論を残した古代ギリシャの哲学者のプラトンの時代から、対話の重要性を説いています。


AIの時代に入りました。



生成AIで、思ったことを、AIが作成する時代です。


そして、身近な社会情勢、生活環境を見渡しても、どんどんIT化され、直接対話をする機会が少なくなってきました。


だからこそ、人間関係の基本である対話は、ココロの基本の潤滑油として、益々、問われているように思います。


最近の身近な国際情勢においても、対話、礼節、で世界を震撼させる大きなニユースとして、物議を交わしました。


私自身の人生を振り返ってみて、電話の時代は、もちろん電話での対応でしたが、メールの時代になっても、やはり一番大事な時は、間髪入れず、先方に飛んでいき、対面での対話で、誠意を示しました。


特に、人間関係の基本である、一事が万事として、長年の親しい人ほど、誠意を尽くしたことが思い出されます。

上述のように、感謝の言葉一つとっても、感謝の表現が足る、足らないとか、対面の時の身だしなみの解釈の違いとか、ボタンの掛け違いで、国の在り様をも左右する。


「親しき仲にも、礼儀あり、」この人間関係の根底に流れる基本姿勢、考え方は、人生を歩んで行く上での、幸せの根本ではないのではと、考えさせられました。


まず、身近の人を幸せにとの解釈が、いつもの大仰な表現ですが、修身斎家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)に繋がるものとして、人生を歩んで行く上での幸せの原点であることを理解して。


今回は、孫の質問から、IT時代であろうが、なかろうが、大切な人間関係の基本の思いについて、述べて見ました。


機会があれば、人間関係の基本のコミュニケーションである、電話対応、メール対応の得失について、また、生成AIの動向を含め、述べて見たいと思います。


まだまだ、暑さが続くようです。


お身体ご自愛下さい。

今回も、最後までお付き合い頂き、誠に有難うございました。







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2025年07月21日

続、裸の王様


おはようございます。

猛暑、酷暑ですね。


昨日は参議院議員の選挙でしたね。


投票された結果はどうでしたですか。

大きな世の中のうねりが感じられます。


さて、選挙に因んでではないですが、最近の国内外の一連のニュースとかが、大変気がかりな、この頃です。


従前にも述べましたか、200年前の童話のアンデルセン物語の「裸の王様」が、一連のマスコミ騒動も含め、再度、浮かんできます。


この物語は皆様方もよくご存じの有名な童話です。
                  

                   裸の王様


ある某国に権力者の王様がいました。


ある時、二人の詐欺師が、王様の住む城に洋服屋の仕立て人として訪れ、この不思議な布地で縫いますと、素晴らしい服を作ることが出来ますと王様に進言します。


但し、我々が作る洋服は、バカな人には、見えませんと言います。


早速、服好きの王様は、了解して、その二人の詐欺師に洋服を作るように命令します。


そして、何日か経過しまして、二人は王様に、「どうです、このように、素晴らしい服がやっと出来上がりました」と、王様に見せます。


王様はその薄い透き通る服をみて、「おかしいな、この服は透き通おつていて、裸同然に見えるではないか」と思います。



しかし、ペテン師はバカにはこの素晴らしい服は見えませんと念押ししています。


うぶかりながらも、早速、王様はその服を着て、家来に見せます。


家来の者達も、バカに思われたくもないのですが、それより王様の言われることです。


権威者には、従うという習性があります。


家来達は「素晴らしい服ですね」と褒め称えます。


王様は有頂天になって、この服のお披露目をしょうと提案して、早速、城外に得意満面に
なってパレードに出ます。


観衆も言い含められていることもありますが、城主です。「素晴らしい服である」と,歓声と共に、口々に褒めたたえます。


そして、パレードも進んで行く中頃で、一人の少年の前を通りました。


少年は言いました。

アレ、「王様は裸だ」と。


私見を交えて作成した、この童話の原点は、1300年頃の話とのこと。



一体この童話は、なにを物語っているのか。


それぞれの立ち位置で、我々に多くの示唆を与えてくれています。


いつの時代であっても、この世に人類が誕生して、今、AIの時代に入っても、人間の心は変わるものではないという現実に至るのではないのかなあと、思います。


そして、マクロから見た世界情勢におけるリーダーの心を、ミクロから見た社会のなりわいを。


マクロ、ミクロでの両面で言えることは、一般的に人間は権力を持つと、目の前が見えなくなるという事に尽きるのではないかと思います。


私自身も吹けば飛ぶような二つの企業の代表として、又仕事の関係上で、各団体の色々な役もやらせていただき、又、代表もさせていただきました。



そこで学んだ事は、トップに立つと、何かと煩わしい出来事は起こり、責任も大きく問われますが、ある面では、好きなように出来るという事です。


だから、ゆえに、しっかりとした、道理をわきまえた、ものの見方、考え方を持ち、その為には出来る参謀が必要になるという事ですが、ここが一番難しいところです。


参謀がいたとしても、悲しいかな、人間の性(さが)で、諫言を避け遠ざけるという事です、



生身の人間ですので、一番厄介な問題ですが、だからこそ、上に立つ者は、常に、「半眼(はんがん)の構え」宜しく、自身を厳格にチエックし、自省し、時流を的確に把握し、対応する。


綺麗ごとになりますが、自身のぶれない揺るぎない心で、又、そのココロは常に、いみじくも京セラを設立された故稲盛和夫さんの、「動機善なりや、私心なかりしか。」を



この言葉が全てを言い表しています。


上に立つ者は「裸の王様」の論理、解釈をしっかり、掌握していないと、世界を日本をとんでもない方向に進ませ、私の得意の杞憂であるになればいいですが、第三次世界ーー云々まで、頭をよぎります。


かけがいのないこの地球号はと、最近の特に世界情勢を憂慮する、昨今です。



参議院の選挙の結果は出ました。


日本丸はどこにいくのか、又、世界はどこに行くのか。ーー


必ずや、人類の叡知を集め、素晴らしい地球号になることを信じて。



心の応援歌が、今回は少し、きな臭い話になりましたが、昨日の参議院選挙の結果と、最近の憂慮する世界情勢から、上に立つリーダーの資質について、再度述べて見ました。


厳しい暑さが続きます。


熱中症が連日報道されています。


ご自愛下さい。 


最後までお付き合い有難うございました。







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2025年06月04日

長嶋さんとの関わり合い

こんにちわ。

長嶋さんの訃報が入りましたね。

一昨日、テレビの速報を見た時、一瞬、時間が止まり、画面にくぎ付けになりました。


こうして、亡くなられてから二日経ちますが、終日訃報について、各分野から報道があり、本当に長嶋さんは、日本国民のかけがいのない人だったんだなあと、その偉大さに、改めてその存在感を知りました。


なにか、長嶋さんとの、私なりの間接的なご縁を、懐古も含めて心の片隅に残しておきたいと思い、パソコンにむかっています。


私の長嶋さんとの初めての記憶は、確か、私はまだ中学生であったと思います。


ご承知の東京6大学での史上初めての8本のホームランを打つて、鳴り物入りで巨人に入団。

当時の国鉄スワローズの日本一の投手と言われていた、金田投手との試合はテレビで見ていまして、はっきりと思い出されます。


子供心に、金田投手の、なにをこの鳴り物入りの若造が、そんな、矜持にも似た、気迫を感じた試合だったように思います。


そして、あの有名な永遠に語り続かれる天覧試合の、昭和天皇が、球場を去ろうとした時の、あの劇的な、サヨナラホームランを。


日本中が沸き、天皇陛下を、前かがみに、釘づけにされた、あの古き良き昭和を。



時を経て、仕事の関係で、スポーツアナウンサーの方に講演をお願いした時に、長嶋さんのエピソードについて、次のようにお話されていました。

長嶋さんは、試合の観戦に来ていただいた観衆にどうしたら、楽しんで、喜んでもらえるかと、常に考えておられたとの事。

ある日、休暇の時、見るともなく歌舞伎を見ていて、歌舞伎の一番の見せ所である、私も好きな、歌舞伎俳優が大仰な演技で、六方を踏む(舞台を片足で何歩か歩く)というが場面があります。


その時に大向こうから、掛け声が飛びます。(私もその掛け声をかけたくて習いに行ったことがあります😄)

「成駒屋、」「中村屋」、歌舞伎フアンの方は、その演技で酔いしれます。



長嶋さんは、その場面をみて、お客さんに喜こんでいただくのは、これだと気づき、それから、あの流れるような所作で、普通のゴロでも、少しオーバーアクションで、捕手し、そして、2〜3歩あゆみ、そして、ダイナミックに華麗に投げる。



それから、始まったとの話を聞きました。



このエピソードは、その後の私自身の研修の材料に使わせていただき、顧客満足の事例として、講演とか、その他、研修の折、私自身も、長嶋さんの投球フオームを演じて、檀上狭しと、若気の至りで活用させていただきました。😄



川上哲治さんとのご挨拶のご縁の時、監督時代に叱るときは常に、「シゲ」と言って長嶋さんを叱っていましたとのこと。


各選手はあのスーパースターの長嶋さんが叱られているという事で、相当リーダーシップとして、効果があったとお話されていました。


そして、長嶋さんは叱っても、天真爛漫な性格により、あとに根がなく、その明るさが団結心として、v9につながりましたとも、お話されていました。


草柳大蔵さんは、長嶋さんは立教大学に入る、入学試験の時に、試験の解答にThis is a penで合格したと、草柳さんの独特の楽しい、敬意を表した、ブラックユーモアで、皆の笑いの取っておられたことも浮かんできます。


野村克也さんとのご縁では、長嶋さんと、自身と、花にたとえられ、長嶋さんはひまわりで、僕は夜の月見草ですと。


これも独特の野村克也さんらしい、長嶋さんへの少し、嫉妬をまじえての話が浮かんできます。



又、自身のデーター野球と比較して、長嶋さんの、感性による指導を、こう打つんだと言って、身振り、手ぶりでお話され、笑いを誘ておられた事も、懐かしい思い出です。


長嶋さんの脳梗塞の時の話を、スポーツライターから聞いたお話ですが、朝9時頃、長嶋さんが自宅を出るべく、運転手の方が、玄関前で、車の中で待つておられました。


どうも、出てこられるのが、遅いので、11時頃、家の中の入って迎えに行ったそうです。


そうしますと、応接間で倒れておられたとの話を聞きました。


信憑性は、不明ですが、もし、その話が本当なら、普通、発症して30分ぐらいなら、脳梗塞も軽症で済むとのこと。


その話をお聞した時は、なぜ、もっと早く気付かなかったのか、他人事ながら、悔しい思いをしたことが浮かんできます。


直接、長嶋さんにお会いしたのは、もう、20年前ぐらいになります。


あの女剣劇家として、有名でした、浅香光代さんの、何のパーティーだったか、記憶は、さだかではないですか、招待されて、東京まで、出向いた事があります。


丁度、その時は、あのマスコミをにぎわしていた、野村さちよさんとの、壮絶なるバトルの真っ最中でした。


確か。この経緯は20年前のブログにまとめた記憶があります。



浅香さんの会が、宴たけなわとなり、お開きの時間になりました。


その時、司会者が、「ご参加の皆様にこれよりサプライズを申し上げます」と、アナウンスがありました。



ざわついていた会場が、一瞬、静寂になりました。



そして、檀上の右から、左の片手を、ポケットに入れ、長嶋さんが、足を例のごとくに引きなが、、少し時間がかかりましたが、中央の舞台に、歩んで来られました。



全くのサプライズで、浅香さんが暫く茫然とされていて、我に返り、長嶋さんに抱きつかれていた、光景が昨日のように。


そして、長嶋さんのあの屈託のない満面の笑顔と、浅香さんの、飛び跳ねるような、体一杯の喜びが浮かんできます。


その時、思ったのは、長嶋さんは、すべての人に愛されているのだな、と思うと同時に、こうして、少しお身体が不自由な中にも、押して、顔を出されるという、思いやりに感動した思い出があります。


美空ひばりさん、石原裕次郎さんと、古き良き、昭和を、日本を代表される方が、亡くなられました。



と同時に昭和が終わったような、そんな虚無感に襲われた、ここ二日間でした。



これから、暫くマスコミを含め、長嶋さんへの、懐古が続く事と思います。



今回は急遽、長嶋さんへの、私自身の間接的な関わりを,是非、感傷を込めて、振り返えってみたい衝動にかられ、哀悼の意を表して、述べさせていただきました。


長嶋さん有難うございました。


人生の無常を噛みしめながら。



今回も最後までお付き合い頂き、有難うございました。


これから、日ごとに厳しい暑さに向かいます。


どうぞ、ご自愛専一に。









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2025年05月25日

入院

こんにちわ。梅雨の前触れか、昨日から雨ですね。


そして、やっと止んだようですね。

自宅の近くを少し3〜4分登ったところに堤防があり、風光明媚で、散歩コースにもってこいのところがあります。


春夏秋冬、それぞれ趣があり、歩くコースも、4〜5コース程、選択し、どのコースを散策するかも、楽しみの一つです。


その堤防のコースは当然、川が流れていて、支流、本流と別れ、本流はあの有名な、東海道53次の伏見〜橋本〜枚方〜大阪の六軒屋につながる淀川です。


その支流は時々、晴れが続くと、雨量がなくなり、ほとんど、干上がってしまいます。


散歩をしていまして、一番、気が滅入るのは、自然の営みが、なくなった支流の干上がった川を見ることです。


昨日からの雨で、雨量が増えて、本来の川になっていると思うと、「雨を降れ」と、非常にうれしく思います。



さて、先々週は、4泊5日で、入院していました。


機械に例えるには、どうかと思いますが、歳を重ねてきまして、4昔前は、人生50年〜60年と言われていました。


今は人生、100年時代と言われていますね。


やはり、機械同様、人間もメンテナンスが必要です。



お蔭様でこうして、無事退院しまして、元気になり、パソコンの前で、人生を振り返えっています。


本当に幸せを感じます。


入院して、再度感じる事は、幸せって何なのかなとつくづくと、思います。


しかし、又、しばらくして、時の経過とともに、その折のおもいが薄らいで、生きているのは、当然と、そして、何かと、不足を言いながら、奢り高ぶる心が復活するのですね。


まあ、凡人は、この世におさらばする時に初めて、生かされていることを気づくのではないかと思います。



入院生活で、感じた事は、よく、言います、「心身一如」(しんしんいちによ)の意味合いの深さでした。


つまり、幸せとは、まさしく、心身一如ですね。


つまり、心と身体が、一体と織りなして、初めて幸せを感じる事を。


つまりこの世に生まれてきた目的を、しっかり、おなかに収めていないと、人生は、うたかたのようになるのではと。



又、いつもの大仰な、思いが、浮かんできました。


まあ、あまり、理屈をこねまわさずに、自利他利、他利自利の精神で、これからの与生を、精一杯、命ある限り。



そして、神羅万象に感謝して,何らかのかたちで、世の中に、お役に立ちながら、生きていきたいと、いつもながらの、入院の期間中に、再意識、再認識、再確認した次第です。



前回のコロナの折の入院生活と異なり、今回は家内、娘、そして、縁者の方々のお見舞いを受け、やはり人間は、ジンカン(ひととのあいだ)と書くように、人の思い遣りを、うれしく感じました。

一番下の小5の孫が、退院の時も姫路から来てくれて、入院中のトランクを、持ってくれ、娘の車で、帰宅しました。



心のふれあいの、幸せを感じながら、心身一如として、一気に元気が蘇ってきた、今回の入院でした。


暫く、心身の休養をして、又、再活動を、と思いながら、今回の思いを纏めてみました。


また、機会がありましたら、心身一如についての、私のお思いを述べてみたいと思います。



今回も最後までお付き合いいただきまして、誠に有難うございました。



どうぞ、お身体ご自愛専一に。






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2025年04月23日

研修、雑感

こんにちわ。

一気に、春を通り越して、初夏に、そのように感じる今日この頃ですね。


私は4月の初旬は恒例になっています新入社員合宿研修で、京都のお寺に行っていました。


こうして振り返ってみますと、50年余になりますね。

よくやってきたなあという、感慨と、何か、一瞬のようだった。

そんな、思いもする研修になりました。



マクロにとらまえますと、研修生は、これからの日本を、背負って立つ、そして世界に貢献し、和して進んでいく若者です。



ミクロでとらまえますと、素晴らしい幸せな人生を、職場人生と関わりあいの中、歩んでいく。


人生100年時代、我、人生、如何に生くべきか。



そのような、思いの研修では、ないかと、振り返っていました。


IT時代に入り、これからロボットと人間社会が如何に共存していくかが、大いに問われる社会に突入していきます。


そのような時代の流れの中で、研修の意義が問われているように思われます。


我々は思う事は、我々の進めている研修理念は、大坂城に例えれば、砂上の楼閣のたとえにありますように、石垣にあたるところです。

非常に大切な、AIでは感知出来えないところであると、断言するのですが。

つまり,深淵なる魔訶不思議な人間の「こころ」のところです。


最近の世界情勢を、鑑みても、心のところが、大きな部分を占め、世界の情勢の流れが、大きく左右されるという、AI時代に逆行するという、出来事が起こっていますね。


人間の心は、神様(サムシンググレート)が、この世に人間を誕生させた時に、遺伝子に組み込まれたココロです。

そのココロは、変わるもではないなあ、とつくづく思います。



我々の研修の理念は、5つの心、つまり、「素直・自省・謙虚・奉仕・感謝」の人間の本質を謳っています。


上述の、少し前の国際情勢で、大きく報道されました一件も、色々な条件はあったとしても、その根底には、感謝が足らないという意味合いの言葉が報道されていました。



本来であれば、感謝という意味合いはそのような次元ではないように思いますが。


日本的な感情で述べてみますと、感謝とは、もっと薫り高く、少し気障っぽくなりますが、生かされている事に感謝する。


それが、感謝の本質では、ないかと思っています。



その事は、別にしまして、その人間の心の本質は、IT時代に益々、心の砂漠と相関しながらも、変わらないという事を、まざまざとみせつけられたように思います。



しかし、世界の情勢が、一人の言葉の言質で、左右されるという、なんとも、悲しい、複雑な気持ちを個人的に持つ、この間の、出来事でした。



我々が進めている研修に参加いただける、いただけないという次元の問題ではなく、今後の日本の将来を見据えた時に、神様が人間を創造されたココロを、より昇華していくよう、日本が、リードして、推進していかないと。



今回は、4月初旬に開催しました、新入社員の合宿研修会の思いから、複雑怪奇な、混沌とした国際情勢が、いつもの杞憂として、浮かんできまして、述べてみました。


これから暫く気候の落差が、続くようです。


どうぞ、お身体、ご自愛、専一に。

今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。




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2025年03月28日

空気を読む

こんにちは


ここ2〜3日、一気に、温かくなってきました。

桜の開花予想の発表は、通年より、大分遅れていますね。

先週は、二番目の孫が、高校入試に合格したこともあり、春休みに入って二泊3日で、和歌山、白浜方面に家族旅行に行ってきました。


最近、友達とか縁者の、訃報を聞くたびに考えます。


心身の健康状態とか、人生をより楽しみたいという意欲のある時とか、その他の条件が整っている環境があるときには、又、そう言う理屈をつけずに、行ける時には、行っておきたい。

そう強く思います。


さて、世界情勢、国際情勢、日本情勢は、刻々と目まぐるしく変転しています。


いつの時代でも言えますが、最近は、特に、地球号はどうなるのか。

そんな、きな臭い思いをも持つ、今日この頃です。


少し前の海外での報道ですが、正直、びっくりしました。


その対談の模様が世界が注視のもと、実況中継されました。


その折のマナーがとか、感謝の心がとか、その他の諸事情が、云々され、交渉は決裂しました。


空気を読む、おもんばかる、気を遣う、察する。


従前にも述べましたが、忖度(そんたく)の心は、人間として、ある時は、必要ではないのではと、思ったりします。


忖度は、日本人の独特の曖昧模糊とした、感情であると言われていますが、この間の世界を震撼させた報道も、ある意味では、空気を読む。慮る。気を遣う。察する。


この空気間が、お互いに不足していて、感情のもつれから、売り言葉に、買い言葉になって、人間の心のまっとうな本性が露呈されたのではないかとの思いを持った次第です。



忖度という言葉自体が脚光を帯びた事件が、10年余前にありましたね。


その折の報道ですが、暗黙の了解があったとか。以心伝心とか。



言わず語らず、良しなに、わかっいるね、等の空気を察知することは、煩わしい空気感ですが、生きていく上の良好な人間関係を保つ潤滑油に、ある時は必要であるのではと、思った次第です。


私自身、こうして、人生を振り返ってみて、その、空気を読む、忖度のできる人が、地位とか、名声を得たとか、富豪になったというよりも、一概には、断言出来ませんが、自身の心の安寧という、パスポートを得られたのではないかと思ったりしています。



人生を歩んでいくうえで、本音と建て前、どちらを優先するか、悩ましい問題ではありますが、人間力によって、風見鶏ではないですが、本音と建て前を微調整して生きていく。


私の好きな言葉のひとつに夏目漱石の草枕の冒頭の言葉が浮かんできます。

                草枕、夏目漱石


            山道を登りながら、考えた。

            智に働けば角が立つ。

            情に棹させば、流される。

            意地を通せば窮屈だ、  
            
            兎角に人の世は住みにくい。


今回は先般、世界のトップニュースとして流れた、対談について、人間としての、人間関係の本質を、垣間見た思いを持ち、私見を述べてみました。


これからしばらく、三寒四温を繰り返し、春に向かいます。


どうぞ、体調管理に、ご自愛下さい。

今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠に、ありがとうございました。








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2025年03月02日

時代の流れ

こんにちわ。

2月は、別名逃げると言われているように早いですね。


月に一回のペースで、月末にブログを纏めているのですが、気が付いた時は、3月に入っていました。


一昨日は仕事で岡山に出張しました。


新大阪駅まで、そして、新幹線と、見るでもなく、車中の人々を観察していましたが、ほとんどの人はスマートホーンを見ていますね。


私の座席の前後の7人掛けの14名の人々をそれとなく、計算しましたら、老いも若きも、11名の人々がスマホを操作していました。


大昔の車中は、週刊誌、新聞、本等、と、読書室と化していた記憶があります。


どんどん、新聞の購読が激減したり、名門の本屋さんが、廃業したり、紙ベースの読み物は衰退の一途をたどっています。


活字離れは、久しいですが、人類の将来にとんでもなことだと、声高に叫んでいても、時代の川が流れています。


その川をせき止める事はできません。


如何に、我々のシルバー層がその川の流れに沿いながら、生きていくのか。


その事が大切であると、この間の出張で、車中の風景を見るでもなく、見ていまして、更なる時代の流れを感じ取った次第です。


ブログもある意味では、随筆のように、心に浮かんだことや、見聞きしたこと等を、心の思いのままに書きます。



その随筆で、私の好きな、何回か、書きましたが、日本の三大随筆集(吉田兼好の徒然草・清少納言の枕草子)のひとつで、方丈記があります。


平安時代の末期から鎌倉時代の前期に活躍した、鴨長明が、1212年にまとめた方丈記の序文が、哀愁を帯びて、浮かんできます。


何度、目を通しましたか、自然に言葉として、口ずさむように浮かんできます。


       ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
       よどみに浮かぶうたかたは、      
       かつ消えかつ結び、久しくとどまるためしなし、
       世の中に、ある人と、栖(すみか)と、又、かくのごとし。



こうして、現在をとらまえてみますと、鴨長明の時代と今の世の中のうつろいは、億万分の一と、たとえようのない変容ですが、人の心は、世情は、全く変わっていないように思います。


好む、好まない、好き、嫌い、何が良くて、何が悪くて、何が正解で、なにが不正解なのか。ーーー。


時代は、悠久の川のごとく、時代の変遷とともに、流れています。


その流れの中で、いつもの、仰々しい私ですが、今の現世のこの時代に如何に生くべきか。


と、この間の出張の折の車中の人々を、それとなく見ていまして、感じました。



これから、三寒四温を経て、春に向かいます。


寒暖の差が激しい今日この頃です。


どうぞ、ご自愛下さい。


最後までお付き合い、ありがとうございました。




�


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2025年01月26日

昭和の懐古

こんにちわ。

年が明け、アッという間に1月も下旬になりました。

お正月はいかがでしたか。

年毎にお正月の風情は、なくなりつつありますね。

正月3日間のおせち料理も、家では、つくらず、百貨店等などの注文で済ませる事が,益々増えてきたとの事。

確かに、3昔前は、コンビニもなく、当時のスーパーも3日間従業員の方の正月もあり、閉めていました。

しかし、今は、もう元旦から開けている店もあります。

二日目は全く普段と変わらない風景にもなり、煮しめも不要になったのは,うなずけます。


正月のしめ縄も、めっきりなくなり、正月二日目に、散歩がてら、近所の玄関を見るともなく見ていましたが、10軒に1軒も飾っていませんね。


昭和20年代のセピヤ色の正月風景ですが、各家の軒先には、日の丸の、鮮やか赤と白の国旗が、浮かんできます。


若い人からみると一体どこの国のなんの話といぶかれる事と思います。


正月は、365日、敗戦の中から、衣食住のままならない状況の中で、働いてきた日本人は、娯楽もなく、唯一の心安らぐ、休みではなかったかと思います。



この時ばかり、老いも若きも、正月用の服、着物を着こんで、トランプ、双六と興じ、男の児は外で、爆竹等を。


又、羽子板で羽根つきをし、負けたら顔に×の墨をつける。



などの、かすかな、のどかな、昭和の正月風景が浮かんできます。


すべて、時代の流れとともに、消滅した、風景になってしまいました。


また正月の一大イベントの年賀状も、最近は、年賀状じまいと銘打って、急速に少なくなり、今年は、昨年より、3割〜4割減少したとの事。

私自身も、賀状の通知は、通年から見ると、5割〜7割減と、なったのではと思います。


今年も年賀状じまいの文面を添えての賀状を、多くいただきました。


何となく、年1回のご挨拶で、これで、その人とは、ご縁はなくなったような、そんな一抹の思いが去来しました。


大昔に、コマーシャルで、消費者金融、華やかしころ、届いた年賀状の枚数により、融資の金額を決めますという、コマーシャルがありました。


当時、600枚から700枚ほど、正月にいただきましたので、僕は賀状で相当融資をしてもらえるなあと、おつになった時が、懐かしく思い出されます。


今は、スマホで、新年のお祝いをするとのこと。


昭和は遠くになりにけりです。


今回は、遠い遠い、早いスピードで、消滅した、時のうつろいを感じる、昭和の正月風景を懐古しながら、述べてみました。


インフルエンザが、流行しているようです。


どうぞ、お身体ご自愛いただきまして、今年もなにとぞ、宜しくお願い申し上げます。


最後までおつきあい、有難うございました。





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2024年12月29日

感傷。


おはようございます。


今年も押し迫って来ました。

年齢を、重ねる事に、時間がたつのが、本当に、早いですね。

大村崑さんが、私の還暦の会にお祝いにかけつけて頂いた時の言葉が、何故か心の片隅に、残っていています。


谷口さん。還暦を過ぎてからの時間は、早いよ。


まさしく、その通り。

あっと言う間に、10年、20年。


今、その言葉を、心ゆくまで、感じています。


さて、今年の清水寺の森貫主様の一文字は、「金」でしたね。

「翔」は、3位でした。残念です。


さて、この間、世界の都市総合ランキングが、発表され、10位までの世界の都市が、発表されていました。


歳のたつ時間の早さと共に、セピヤ色の思い出の都市を、感傷深く思い起こしていました。


こうして、世界の都市の10位を見てみますと、行っていない都市は、8位のドバイだけになります。


あとは、一応訪問した、という程度ですが、50年〜60年前になりますか、壮年真っ只の中で、怖いもの知らずで、仕事で世界を回ったなあと、齢(よわい)をかさね、感傷的に、浸りながら、各都市での思い出に、思いを馳ていました。


1位、ロンドン。初めてでの異国の夜のピカデリー広場での、騒乱さ。

ロンドン郊外の中世を思い出す、小さいホテルでの、二階の宿泊の部屋に行くのに、一階にある、ロープを、手繰り寄せ、二階の部屋に。


2位、ニューヨーク。世界一、裕福と言われていた中での、マンハッタンでの、路上での、貧富の差の 驚き。裕福と心の反比例の現実。

3位、東京。

4位、パリ。シャンゼリー通りでの、リオ、ムーランルージュでの、世界の華やかなショー。


モンマルトン広場での、当時の関根恵子さん、山口百恵さんが中学生時の、偶然の出会い。


5位、シンガポール、わたくしでの、7名での家族旅行。


6位、アムステルダム。アンネの日記で有名な、あの隠し部屋のある運河沿いの家。


7位、ソール、夜のウォーカーヒルでのカジノでの思いで。


八位、ドバイ。一度行ってみたい都市。


9位、メルボルン。娘が嫁ぐ前の家族3人が、最後に行った都市での、コワラを抱いたときの重さ。


10位、ベルリン。戦争の傷跡が、マダ残る、ベルリン壁での、衝撃。


以上、仕事の合間を、縫って訪れた、世界に羽ばたく事を夢に、わたくしの時間での思い出を、思いつくまま、年末での思いの中で、感傷をいだきながら、懐古してみました。


あと、二〜三日で、新年を、 迎えます。


来年も素晴らしい1年でありますように。


今年も大変、お世話になりました。


来年も宜しくお願い致します。


どうぞ、良いお年を、お迎え下さい。


1年間お付き合い、誠に、有難うこざいました。






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2024年11月25日

今年の一文字は「翔」

・こんにちは。


一気に冬到来という、ここ2〜3日ですね。


私の分身もその対策に、やっきになっているのではと思っています。

いたわりたいと思います。


さて、この間、清水寺の森清範猊下様(貫主)様にご面談の機会を得て、お参りに行って来ました。


森猊下様は、ご存じの年末の風物詩になっています、例の一筆書きの漢字で有名な、日本を代表する貫主様です。


実は、森貫主様(猊下様)と30年程、ご縁のある先生がおられ、その先生の導きで、有志の方々との、ご訪問になりました。

清水寺は、確か小学校の遠足に行った記憶と、20代に一度、行ったのではという程度の記憶です。


車で、お山の社務所まで、直接登りました。


広々とした、三方ガラス張りの、京都市内を眼下に見下ろす迎賓室に通され、そこで、森貫主様をお待ちし、ご挨拶させていただくことになりました。


森貫主様とは、今から、10年前ぐらいになりますか、500名ほど集まったある会で、講師として、講演を聞く機会がありました。



その大人(たいじん)の風格に、そして醸し出す、ウイットに富んだ法話に、大変ひきつけられた経緯がありました。


そのようなご縁で、一度、お会いさせていただいて、直接、形骸に触れて、お話をお聴きしてみたいと、大それたことを思っていました。


それが、はからずも今回の千載一遇の機会に、恵まれた次第です。


清水寺の森貫主様といいますと、言わずもがな、年末の風物詩になっています、毛筆(牛耳筆)による一文字の今年の世相を表す漢字を、清水の舞台で揮毫される事でも、有名な猊下様です。


師走を迎え、そして、来るべく来年の弥栄(いやさか)を祈念する。


そのような年末の行事を担われているのではないかと思います。



私は、一文字の漢字は。森貫主様が考えられて、発表されるものとばかり思っていました。


その一文字は、11月1日から、全国の老若男女から募集があり、十二月初旬に締め切られ、今年も12月12日になるのか、発表されるとのこと。


聞くところによると、最近は20万人程から応募があるとのこと。


その一文字の選ばれた漢字の結果が、森貫主様の手元に来るのは、当日の2時発表の2時間前の12時頃との裏話をお聴きしました。



迎賓室の壁に飾っていました立派な額の書が二枚ありましたので、ご一緒した人から森貫主様に質問をされました。


          「聞法因縁五百生」(もんぽういんねんごひゃくしょう)

          「同席対面五百生」(どうせきたいめんごひゃくしょう)


とあり、その意味合いを貫主様から法話を受け、大いに感銘を受けました。


私達が、簡単に口にする「縁起」「縁」の、計り知れない、深い、深い、意味合いに、生きとし生きる人間として、悠久のこの世に生を受けた深い重みを、全身で感じた次第です。


私の浅学の我流の解釈ですが、親子との関係、こうして森貫主様とお会いし、又、今回ご一緒した方々、そして、今までのご縁、等、ーーー。

全て、五00回生まれ変わる前に、ご縁があって、本日こうして、お出会いすることになったという事で、決して、偶然ではないというお話でした。


そして、そのご縁を、どのようにこれからの人生に、関わり合いをもって生きていくのか。


そのような、お話ではないのかと、理解した次第です。


そうして、解釈しますと、本日、同席した隣の方が、今日が初めてとは、思われず、旧知の仲のように親しくお話させていただきました。


つまり「ご縁」というたった一文字の言葉ですが、深淵なる世界をほんの少し、入り口までいかないかもしれませんが、垣間見た、素晴らしい心穏やか、安寧の一日になりました。


最後に森貫主様と、二人で500生の意味あいを噛みしめながら、記念写真を撮らさせていただきました。


帰路は、一人で、社務所から清水門前町をノンビリと散策しながら、五条坂まで、観光気分で、下っていきました。


人、人、人の中で、世界各国の外国人であふれ、異国の地では、と錯覚するほどでした。



着物姿はさることながら、それぞれの国の衣装で、ここは、清水寺かと思った次第です。


マア、カラフルな景色で、両サイドのお土産屋さんも情緒があり、楽しい一日でもありました。


今回は、清水寺の貫主様にご挨拶に恵まれた機会について、述べさせて戴きました。


尚、今年の12月12日発表の漢字の一文字は、森貫主様曰く、「翔」ではないかとのお話でした。


暫くは寒暖の差が激しい、行ったり、来たりする気候が続くようですが、どうぞ、体調管理には、
充分、ご留意、ご自愛ください。


今回も最後まで、お付き合いいただき有難うございました。








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2024年10月27日

選挙

こんにちわ。


やっと、という感じですが、少し涼しくなりましたね。



天高く、ーーー、空が澄み切ってきました。



聞くところによると、夏は気流の関係上、低いところに雲があるので、その上の秋の雲がさえぎられ、見れないとのこと。



それが偏西風で、秋になると、低い雲が去って行き、その上の雲が見え、秋の爽やかな、空が見えるとのこと。


マア、そのような、かわいた理屈は別にして、素直に澄み切った、暫しの秋になるのかどうか、空のあくまでも爽やかな自然を楽しみたいと思います。


さて、今日は選挙の投票日ですね。


皆様は、もう行かれましたか。


先日、私は、期日前投票に行って来ました。



全く、当たり前の当然の事で、自慢でもなんでもないのですが、一回も棄権したことはありません。


時折、「私の一票など、全く、この世の中を変えることは出来ないよ。


よしんば、変わったとしても、私の一票などどうでも良い」
と、若い頃、よく耳にしました。



私も、若い頃は、何故か冷めた、ツッパッタところがあり、同意した思いもありましたが、選挙だけは、かかさず行きました。

投票が済んだ後は、ホットして、危惧する日本の将来の行く末に、私の一票が、
と 安堵した気持ちに、毎回、なりました。



そのような思いもあり、比較的、政局には関心があり、毎回、当日の夜の開票時間には、当落の情勢にテレビに釘ずけで、みています。


テレビでの選挙速報は、大昔は、まったりとしていて、緊張感はありましたが、私の応援した議員が、シーソーゲーム宜しく、ガチヤガチヤの音の経緯と共に、票が回転盤になって、加算されていきます。


大変スリルがあり、その結果の動向に一晩中、楽しませて頂いた、遠い遠い思い出が、懐かしく浮かんできます。


若い方は、なにを言つてるのか、意味がわからないと思います。


当時は、アナログの票の発表で、何秒間が立つと、各投票所から、票の入った候補者の獲得数字が、本部に提出され、それが獲得票として、上述のように、テレビに映しだされます。


そして、その時々の数字により、立候補者の当選順位が、前後して出てきます。


そして、開票率が 確か70〜80パーセント位になると、当落の結果が出たように思います。



最近は、良いのか、悪いのか、テレビの開票の発表時間と間髪入れず、同時に、当選、落選の議員の名前が、続々と出てきます。



大昔に、胸躍らせた当落の過程のスリルが、一瞬で決まる。


外国の選挙事情には、まだまだ、大昔の日本の選挙のような状況の、国が多いように思いますが。



日本は、出口調査、情勢調査等を駆使し、コンピューターでの統計学の素晴らしい分析力には、驚嘆するほか、ないのですが。


しかし、何となく、味もそっけもない、情緒のない、遊びココロのないと言えば語弊がありますが。



索漠とした世界になったなあと、歳を重ねた者の、たわごとのひとつになるのかと、胸を去来します。


長い、長い投票歴をふりかえり、今回は、一票の票の重さと共に、私が歩んできた人生の一コマの重さと、照らし合わせながら、今日の選挙投票日を、感慨深く振り返る機会になりました。


本日の夜8時からのテレビの選挙結果が、楽しみです。



今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。


ご自愛専一に。





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2024年09月24日

赤トンボ

こんにちは。

やっと、暑さがというところですが、今年の夏は、6月から9月まで、本当に暑かったという範疇ではなかったですね。


朝晩は少し。しかし、まだ、残暑というのですか、続くとの事。


今に、世界で唯一と言っていい程、日本の素晴らしい、春夏秋冬の季節(春、3月〜5月。夏、6月〜8月。秋、9月〜11日。冬12月〜2月)はなくなるのでは。


夏が、半年程続き、そして、その間に春、秋が少し顔を出し、冬がと、夏、冬の二シーズンになるのではと、思ったりします。


思い起こすと、今から、18年前の2006年、9月15日に、母が黄泉の国に旅立ちました。


実家で葬儀を終え、9月17日、自宅に戻りました。


18日の朝、会社に出勤のため、玄関を開け、朝の9時頃でした。


表に出ました。


従前にも述べましたが、今でも鮮明に覚えていますが、ひんやりとした、肌寒い、薄暗い、白色の景色の中に、私は100匹位か、もっといたのかもわかりません。



赤とんぼが、玄関先に乱舞していました。



幼少の頃、母の故郷の田舎で、夏休みを過ごし、その時、母から、良く幼少の頃、「赤とんぼを追っていたよ」と母から聞かされていました。


8月の晩夏の里山の日暮れに、赤とんぼの大群を追っている私が、脳裏に浮かんで来ます。



私は、玄関前の赤とんぼの大群の乱舞をみて、とつさに、母が黄泉の国に行く途中、立ち寄って、会いにきてくれたのだと思い、思わず、落涙しました。


しばし、どのくらいの時間が経過したか、記憶は定かではありませんが、玄関前で夢遊病者のように、たたずんいた、私が浮かんで来ます。



そのことを、今は亡き兄に話ましたら、少し、オーバーだなあ、赤とんぼは、どこにでもいるよ、と、一笑された事を思いだします。


私の住んいる所は枚方です。


9月です。


その後、赤とんぼは、当然、見た事はありますが、赤とんぼの大群は、その時、最初で、最後で、いまもって、夢、幻なのか。


あの白夜のような、静寂の冷気の中での、赤とんぼの大群は。


精神が、極度に、研ぎ澄まされていたためか。


しかし、やはり母が、最期に、赤とんぼに乗って、会いに来てくれものと、今、もって信じてやみません。



人生の冬を迎えて、あの世に行った時、母に会って、その時のお礼も含めて、その後の僕の人生を、いつものように、母親の全てを包み込む微笑で、聞いてもらおうと思っています。



何を申し上げたかったと言いますと、10数年前の9月は、秋、真っ盛りで、天高く馬肥ゆる秋。

空は、あくまでも澄んで青く、うろこ雲、イワシ雲が、秋を彷彿させました。


モノ想う秋。どこか、愁いを漂わせ、遠くでもと、いう月でした。


今年は9月の下旬を迎えても、残暑といわれて厳しい暑さが続いています。



久しぶりに夏バテを感じた夏になりました。


しかし、秋冬に備え、ウオーキングをしたり、時折ジムに行って、身体を動かし、体調管理に余念のない、今年の夏でもありました。


10数年前の9月の秋を、男ばかりの三人兄弟の、末っ子のおとんぼとして、特に、可愛がって貰った母との思い出とともに、懐古して。



まだ,暫くは、暑さは続くようです。どうぞ体調にご自愛下さい。



今回も、最後まで、私事にお付き合い頂き、有難うございました。











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2024年08月24日

オリンピック雑感

お早うございます。


朝方は、少しは涼しくなってきたように思いますが、まだまだ残暑は厳しいですね。


パリオリンピックが終わり、28日から、又、前回の東京オリンピックで感動しました、パラリンピックが始まります。


今年の夏は、連日、日本人の素晴らしい若者を中心とした活躍で、2週間程、嬉しい寝不足が続きました。


やはり、後で録画でみるよりも、ライブでのテレビ観戦は、臨場感が全く違いますね。


そういえば、本当に大昔の大昔の話になりますが、遠い、遠いオリンピックの思い出が浮かんで来ます。


敗戦国として、日本が戦後、初めてオリンピックに参加を許されたのは、1952年、昭和28年のヘルシンキ大会でした。


私は、確か、小学校3年ぐらいではなかったかと思います。


子供心に、敗戦国、という言葉が、何故か忸地(じくち)たる思いがあったように思います。


当然テレビはなく、ラジオが唯一の娯楽でした。

今でも、その折のヘルシンキ大会の水泳でのラジオの生中継が、脳裏の片隅に、甘酸っぱく、蘇がえって来ます。


当時は、海外のラジオ中継は、海中ケーブルを通じて、放送されていました。


海の底から、ケーブルによって、中継されます。


そのために、音声が、波の音で、かき消されるのか、アナウンサーの声が大きくなったり、小さくなったり、時折、中継が途切れたりして、実況されていました。


子供心に、その声は、本当に遠い遠い異国で、日本は頑張っている。


私はラジオを抱えながら、胸踊らされて、淡い感情を抱きながら、「日本頑張れ、負けるな」と、こぶしを握って、聞き入っていた原風景が懐かしく、蘇みがえってきます。


そのような幼少の折の日本を思う心があったのか。


私を海外に雄飛したいという心が芽生えたように思います。


今回の各マスコミのパリでの市中の中継をみて、夢、真っただ中の、20代から30代の、若かりし頃に、欧州に市場調査で渡航する機会が続き、パリにも何回か滞在した思い出が、懐かしく思いだされ、感傷を交え見ていました。


さて、今回のパリオリンピックを見ていまして、日本人の心の変化の在り様も、大変勉強になりました。



私の幼少の頃の、オリンピックの参加選手は、クーベルタン男爵のオリンピック精神の「参加することに意義がある。」この言葉が浸透していたように思います。


オリンピック選手に選ばれた事で、良い悪いは別にして、一部の選手はそのことで、満足して、参戦、競技する。


何名かの選手に対して、マスコミから、我々の貴重な税金から参加する。


そのような、物見遊山での参戦なら、参加しない方が良いのではと、マスコミに叩かれる選手もいました。



今は、全ての選手が、参加だけではなく、メダルを獲得するという強い信念で望んでいる姿に、メダルを取る取らないではなく、「全力は美である」という素晴らしい姿を見て、涙腺を何度か、緩めた試合もありました。


そして、メダルを取られた選手のコメントを聴いていると、人間が生きていく上で一番大切な「感謝」とか、周囲の人々にささえられての結果のメダルであるとか、すこしでも恩返しができたのではとか、等、常に、他人と寄り添う、関わり合いの姿勢の結果のコメントが大半でした。


やはり、頂点を極めた人々のコメントは、薄っぺらではない、心の深遠に潜む、人間としてのあるべき「道」を身体で語っていて、胸を打つものがありました。


素直・自省・謙虚・奉仕・感謝の心に潜む、心技体が充実しているからこそ、成果に繋がり、人間関係の関わり合いの中で、幸せを自らの手で、つかまれたものと、納得した次第です。


今回から、新しい競技が増えましたね。

スポーツクライミング、サーフィン、スケートボード、ブレイキン。


世界の若者が対象のようなスポーツで、私の年代では、中々、演技について、どのように理解したらよいのか、と、思いを巡らすような、競技もありましたが、これからの世界の平和を担う若者の活躍する舞台が増えて、素晴らしい事だなと、みていました。


そして、日本の十代の活躍に、3昔前に、よく言った「最近の若者は」という言葉がありましたが、全く隔世の感があり、日本の若者に、驚嘆し、それも10代に賛意をおくった次第です。



さて、今回は、先般、日本人のメダルラッシュで湧いたパリオリンピックを、懐かしい思い出深いパリの市中の風景に、感傷に浸りながらの思いを述べてみました。


28日から、パラリンピックが、始まります。

人間賛歌の大会です。楽しみです。



残暑がまだまだ続くようです。


どうぞ体調管理にご自愛ください。

最後までお付き合い、誠に有難うございました。





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2024年07月31日

家族旅行

お早うございます。


暑いですね。合言葉になっています。

宇宙は生きているのですね。

先週の終末は、夏の恒例の家族旅行で、娘の企画で、二泊三日の日程で、飛騨高山、下呂温泉方面と、総勢6名で何時もの、車での旅行となりました。


下呂温泉は、20年前位まえか、一度行った記憶があります。


今回は、私の要望で是非飛騨高山に、従前から行ってみたいと思っていましたので、娘に無理を言って、組み込んで貰いました。


一日目の宿泊地は、高山市の駅前から歩いて10分位の市中の中にありました。


ホテルの周辺はどちらかと言うと、殺風景な住宅街の中で、このようなところに、飛騨高山の私が行ってみたい場所など、あるのかなあ、と、いぶかるような場所でした。


大きなホテルではなく、こじんまりしたホテルで、一歩、ロビーに入ってみますと、まるで、ヨーロッパの小都市のホテルのようなフインキで、宿泊客の9割以上が欧米人で、我々も久しぶりに海外旅行に来たのではと、錯覚するフインキでした。


この、欧米人は一体、日本のどこに行きたいのかと、私同様、首をかしげるような、場所でした。


特にフランス人が多く、多分、いま母国ではオリンピックが始まるので、逃げてこられたのではと思うぐらいでした。(笑)


翌日の朝の朝食の場所も、各国の言語が、飛び交い、そして、ヨーロッパの小都市のホテルのブレックフアーストを思い出すようなフインキで、ここは一体どこの国かと、私としては、何か、ほっとするような気持ちで、リラックスした一泊になりました。


朝の食事を終え、いつもの放浪性の私の性格がでて、家族より一足先に、一人で市内を散策に出かけました。


ホテルから歩いて、10分ぐらいの所に、JRの高山駅があり、のぞきました。


もっとローカルな、郷愁を呼ぶような、フインキの匂いがする駅かと期待したところ、建物は現代的で、ここは駅なのかと、少し予想が外れました。


駅構内に入ると、ここも、外人の観光客で一杯という状況で、構内のマイク放送も英語のアナウンスが多く、ここでも一体この駅はどこの国の駅かと、錯覚するような、状況でした。


確かに、マスコミで盛んに言われているオーバーツーリズムを肌で感じた次第です。


そして、地図を片手に、道中のレトロな風景を楽しみながら、私が行きたかった、国定選定の重要伝統的建造物群の保存地区に、たどり着きました。


道中の景色もさることながら、私が従前より行きたいと、切望していた、保存地区の風情にやっと納得、安堵した次第です。


江戸時代から続く、古い町並みの城下町の様相が漂い、川が流れ、保存地区全体が小京都のフインキで、暑い中でしたが、タイムスリップした、ゆったりとした気持ちにかられ、心の安寧に繋がる飛騨高山の半日となりました。

ここも、8割がた、外国人で、なるほど、外国人もこのような、よく、江戸時代のロケ地に使われる伝統、歴史を 日本人同様、こころの郷愁を呼ぶ場所になるのかなあと、納得した次第です。





そうこうしているところに、娘が運転する車が、孫達と到着し、一緒に町並みを散策して、そして、昼から下呂温泉へ。



3時過ぎにチエックインして、孫とホテルのプールへ。


暫し、童心にかえって、至福のひと時を。


下呂温泉は反対に、日本人の保養地で、それなりに寛ぐ時間になりました。



翌日は、又、私だけが単独で、白川郷から移築した10棟のある合掌造りの合掌村へ。



今は亡き両親の里は、私が幼少の頃の家は、藁ぶきで、風呂も五右衛門風呂でした。


皆様も、ご存じないと思いますが、五右衛門風呂など知る人は、もう限られた人々になりました。


母方の里の家は、機織り機とか、当然、今のような精米はなく、稲刈りで取った米のモミを、足の重みで、シーソー台よろしく、ぎったん、ばったん、と、モミを取り、精米にする脱穀機もあり、私も幼少の頃、その脱穀機で、遊び半分に、モミを研いだ記憶があります。


合掌村の4〜5カ所の館に、私が幼少の里で見た 当時の使用した生活用品が展示されていて、暫し、遠い遠いセピや色の 今は亡き母と暫し過ごした里の思い出を、展示物を見ながら、懐かしく思いだしていました。


合掌村の一つの館で、いおりを囲んでの、私と同じ年ごろの語り部さんとの、いにしえの語り合いも、楽しい旅のひと時になりました。


そして、帰る道中、娘が岐阜郊外に モネの池という名前の名所があると言うので、寄りました。


まさしく、モネの名画の池のモデルは、この池を題材にしたのではないかと思われるような、風景で、暑さも忘れ、うっとりと見とれていました。


今回は 先週末に行きました、家族旅行について、述べてみました。


皆様も、行かれていなければ、機会があれば、是非、飛騨高山方面に(笑)



今回も最後まで、私事にお付き合い頂き、誠に有難うございました。


厳しい暑さが続きます。


序盤より、メダルラッシュが続く日本のパリオリンピック選手の活躍で、寝不足になられませんように。(笑)


どうぞ、熱中症にご留意を。


有難うございました。





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2024年06月25日

健康貯金

こんにちわ

梅雨に入ったようですね。


一か月ほど前に、毎年、年一回受けている人間ドックに行ってきました。

人間ドックについては、その是非は別にしまして、一応受けています。

ある私と懇意にさせて頂いている有名なご縁のお医者さんは、私は人間ドックには、行ったことはない、と、おっしゃっておられます。


人間は50、60歳〜以上になると、身体の一つや二つは、悪いところが出てくるのは当然です。


もし、人間ドックに行って、何も悪いところがないと言われると、反対におかしいので、もう一度、診てもらいなさいと、ユーモアたっぴりのお語をされています。


しかし、私は、心身一如での、本来の、本能の予知能力でもって、知る事も、大切ですが、データーに基づいた、健康管理も必要では、との思いで、もう30年余、毎年一回受けています。


そのおかげで、従前にも記しましたが、今から7年〜8年前になりますか。


人間ドックで、胃がんの疑いがあるとのことで、いつもは、3週間後に、健康診断の結果通知がくるのですが、その時は、診断の一週間後に、それも、速達で紹介状を添えて、すぐに、病院に行って、診察を受けて下さと、連絡が入りました。


私の事です、その日に行きつけの北野病院に予約を入れ、検査に行きました。


そして、再検査の結果、お医者さんの口から、はっきりと「胃がん」ですと言われました。



黒澤明監督、志村喬主演のあの世界的名作「生きる」(10回以上観ています)が浮かんで来ました。


一瞬、時間が止まり、目の前が真っ暗になりました。


これで、僕の人生は終わったなと、大変大仰な事を考えましたが、すぐに、まあ、悔いのない人生で、精一杯生きてきて、いい人生であったなあと、その時の何か、達観した思いが、蘇がえってきます。


後日談ですが、先生から、よく、このような、初期の段階で、がん細胞が見つかりましたね。


貴方は、ついていますね。ほんとうによかったですね。


と言われた先生の言葉が、脳裏に焼き付いています。



私は、健康について、50年余と研修で講師としてご一緒いただいています、世界に空手道を指導されている、有名な空手6段の先生がおられます。


その先生が、常に、空手研修の時にお話されている「健康貯金」という言葉が大変好きで、「健康貯金」に努力しています。


普通、貯金と言いますと、すぐに、お金の事が浮かんで来ますが、健康を貯金する、素晴らしい言葉と思います。


皆さんは、この「健康貯金」という言葉はご存知でしたか。


要するに、健康を貯金していくという事です。


わかったような、分からないような。(笑)


つまり、一言で言えば、毎日、少しでもいいので、身体に少し負荷をかけ、コツコツと継続的に、運動する、という事になるかと思います。


毎日、自分自身に少し、身体を動かす事を楽しんで、習慣化するという事です。


「健康貯金」で、思いつく2〜3の項目を挙げてみたいと思います。




女性にとは、限りませんが、日常の掃除、洗濯、買い物を楽しく。


通勤の時に、もし、時間あれば、最寄りの駅から、楽しく一駅歩いてみるとか。


毎日の少しの楽しく散歩とか。


階段でもできる限り、エスカレーター、エレベーターに乗らないで、階段で。


極端な事を言えば、今日のこの一歩の負荷が、10年先、20年先の健康に繋がるという、陽転の考え方です。



この一歩が、継続は力なり、継続は健康なり、将来の素晴らしい、より、楽しい人生を、そして、心身の健康維持につながるという思いで。


お釈迦様の因果律に繋がる話でもあります。


私の年代になると、正直、その一歩が、つらいものがありますが、俗に言う、健康に病み、健康にあの世に。


つまり、ピンピンコロリにつながるとの思いで、楽しく、自然に、一歩をと言う事になります。



そのせいか、どうか、比較的晩節を迎えた今日、元気で、心身共に、健康を維持できているのは、健康貯金の、思いではないかと、思っています。


皆様も是非「健康貯金」を、頭の片隅において。

「命あっての物種」です。


また、私と同世代の人は「思いだしたら吉日」で、今から毎日の生活に、楽しみながら、少しの一歩を。


今回は、先般の一年に一回の人間ドックの結果に安堵して、ちりも積もれば、山となる。


健康を貯金すると言う観点から、「健康貯金」と言う言葉を、述べてみました。


今週は、,梅雨との事。


慈悲の雨が通年より、遅れているとの事ですが、自然の営みに心を寄せて。


どうぞ、体調管理にご自愛ください。



今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。








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2024年05月20日

泣きばあさん

こんにちわ。



季節としては、一番爽やかな月ですね。

2日〜3日前、フト何を思ってか、昔、読んだ寓話の中の、「泣きばあさん」の話が浮かんで来ました。


昔から寓話の話が好きで、日本で言えば、一休さん、とか、海外ではイソップ物語とか、グリム童話とか、何か、平易な中で、人間の本質を突いた物語が、理屈ではなく、ストンと腑に落ち、納得すると言うのか、うなづけると言うのか。




どちらにしても、楽しく、味わい深く読むことができて、こころの安寧に活用しています。


上述に戻ります。


皆様は「泣きばあさん」という寓話を読まれた事はないですか。


思いつくままの泣きばあさんの粗筋を、私なりに、述べてみます。

                 
               泣きばあさん


昔、昔、京都の南禅寺の近くに一人のおばあさんが住でいました。


おばあさんには二人の息子さんがいました。


一方の息子さんは、京都の北の方で、下駄屋を営んでいました。


もう一方の息子さんは、南の方で、傘屋を営んでいました。


雨がふると、北の方の息子に、この雨で下駄が売れなく、大変だろうなと、息子の境地を察して、一日中泣いていました。



又、晴れの日は、南の方で、傘を営んでいる息子の気持ちを、おもんばかって、この晴れでは、可哀そに、傘が売れなくて、さぞ、大変だろうなあと、一日中泣いていました。



南禅寺のお坊さんが通りすがり、おばあさんは、いつも一日中泣いていますが、どうしたのですかと、おばあさんに尋ねました。


おばあさんは、かくかく左様で、悲しくて、泣いていますと、お坊さんに話しました。


お坊さんは些細を聞いて、おばあさんに言いました。



なるほど、もっもな事ですね。


しかし、これからは、このように物事の見方、考え方を変えたら、どうですか。



雨の日は、傘屋を営んでいる、南の方の、息子さんの方に向かって、良かったね。



この雨で傘が売れて。



そして、晴れの日は、南で、下駄屋を営んでいる息子の方に向かって、この晴れは、さどかし、下駄が売れるだろうね。


良かったね。


それ以後、おばあさんは、常に、笑顔で毎日を楽しく、幸せに過ごしましたとさ。



このような寓話です。


皆様も、いつか、読まれた事があるかもしれません。


この寓話の意味するところは、現象は表裏一体で、全く同じですが、見方を変えれば、吉にも、凶にもなると言ういことかと、思います。



我々の、身近にも、ものの見方、考え方を、前向き、後ろ向き、楽観、悲観と、少し変える事で、それを幸せに持って行くか、不幸に持って行くか、人生を歩んで行く上で、非常に大切な人生観ではないのかと思っています。


つまり、この人生、起こった事は全て良し。


この発想を「泣きばあさん」の寓話が教えてくれているのでは、と私なり解釈しています。


今回は、身の回りに起こったことに対して、フト昔読んだ寓話が関連づけられ、「人間万事塞翁が馬」。



全て良しと、解釈するに至る経緯となりました。



これから、日毎に、夏に向かっていきます。


どうぞ、体調管理にご自愛ください。



最後まで、お付き合い頂き、有難うございました。、






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2024年04月24日

食事での一言

お早うございます。



桜も終わりました。

毎年、3月後半から、4月の初旬にかけて、新入社員の合宿研修があり、桜は、研修会場のお寺の境内での桜になります。


今年は、私の40余年の経験ですが、4月の初旬の合宿研修で、境内の桜がまだ、2〜3分咲は初めての経験ですね。


素晴らしい、希望に満ち溢れた人生の門出での、桜をバックの記念写真も、満開か、年によると、散り始めもありましたが。


丁度、今年は研修の最終日は雨で、研修会場での記念写真になりました。



さて、研修で、大切な重要な研修プログラムとして、食事の時間があります。



食事も研修の一環で、非常に大切な研修プログラムと位置付けています。


まず、研修生の決められた班が、食事の準備を担当して、決められた食事のマナーで配膳をし、前工程を学ぶと同時に、ルールの重要性と、型の重要性、チームワーク、チームプレイ、コミュニケーションの重要性をも体験していただきます。


そして、一番大事な食事の前に、和尚の指示で「五観の偈(ごかんのげ)」という文言を唱和します。



今回はその「五観の偈」の文言について、述べてみたいと思います。


飽食の時代の今だからこそ、又、世界の食糧事情を考察するときに、一人間として非常に大切な研修プログラムと思っています。


禅の栞(しおり)に記載されている、「5観の偈」について、私なりの解釈で、説明したいと思います。


                
            食事5観の偈(しょくじ5かんのげ)


一つには、功の多少を図り、彼の来処を量る 
     (こうのたしょうをはかり、かのらいしょをはかる)

     こうして、今、食物が、幾多の人の尊い時間と労力の手を経て、食膳にあります。
     その思いを巡らし、神仏の加護に感謝して、頂きます。


二つには、己が徳行の全欠をはかって供に応ず。
     (おのれがとくぎょうのぜんけつをはかって、くにおうず)


     徳のある生き方、正しい生き方をつんでいるのか。
     こうして、食事を頂く前に、常に、自らの生き方を自省して、過分なる思いで、
     頂こう。


三つには、心を防ぎ、過貧等を離るるを宗とす。
      (しんをふせぎ、とがとんとうをはなるるをしゅうとす。)



     これから食事を頂きますが、むさぼる心でたべたり、好き嫌いを言いません。


四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり
     (まさにりようやくをこととするは、ぎようこをりょうぜんがためなり)



     この食物は食欲を満たすためではなく、心身の健康な命を宿す良い薬として、頂きます。



五つには、道業を成ぜんが為に、将にこの食をうくべし。
     (どうぎょうをじょうぜんがためにこのじきをうくべし)



     この食物はこれからの人生を素晴らしいものするためにいただきます。




私見の解釈ですが、このような5つの言葉を唱和していただきます。



この5つの言葉は、人生を歩んで行く上に、健康な心身の命を育む、非常に大切な訓話として、受け止めています。


世界の今、4秒に一人がおなかがすいて、餓死していくとの事です。



こうしている瞬間に、おなかがすいて、亡くなつていく。


到底、考えられないことですが、現実として、受け止めて、自分に何ができるのかと、問いながら、生きていきたいものだと思います。


因みに、日本では、一日3000万食が、破棄されているとの事。


日本の食糧事情の穀物の自給率が、26パーセントとの事。


現在、3億4千万人が餓死状態との事。等など。ーーー


「心」しなくてはならない深刻な問題であるのではないのかと、思い馳せながら、先般開催しました、合宿研修会のプログラムの食事作法について、最近の世界の憂うべき食糧事情の二ユースを見るにつけ、これでいいのかと思いで、述べてみました。


まだ、少し、三寒四温を繰り返えし、春を通り越して、一気に初夏に突入するのでしょうか。


体調管理に充分ご留意頂き、今回も最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。







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2024年03月30日

5欲ー2−

お早うございます。


3月も後1日となりましたが、桜の開花宣言は今年は遅れているようですね。


毎年、春の時期は、50年余と進すめています。新入社員の合宿研修があります。

コロナ時は、密研修になるということで、参加人数を制限して、進めていましたが、今年も実施に向けて、その事前準備で、スタッフ一同大わらわと言ったところです。


時期によりますと、3月の下旬に開催する3月コースの新入社員コースの時が、桜が満開で、4月初旬のコースは、散り始めになったり、3月コースは、桜は蕾のままであったり、その時々の年で、桜の開花状況を確認でき、毎年、春の合宿研修により、春を感じています。


今年は、4月2日から始まる4月コースの合宿研修会が、満開になるのかどうか、ここ2〜3日の天候で、決まるようですが、満開とはいかないのかと思います。



一番の我々にとって嬉しい時は、桜の満開の中で、前途洋々たる希望に満ち溢れた若者をバックに、キラキラ輝いた目を見ながら、全体の研修生の記念写真を撮る時が、一番至福の時になります。



さて、又、前置きが。


前回に引き続き5欲の件ですが、仏教用語で、眼、耳、鼻、舌、身の5つの感の事を言います。


この5つの感から、得られる5つの刺激(5境)ですね。


すなわち、色、声、香、味、蝕に対して、執着することよって、生じる欲という事になります。


人間の5大本能ともいいますね。


この5大本能がITの世界では、分析できえない人間だけが持つ感情という事になります。


別の角度から、分析してみると、財欲、性欲、食欲、名誉欲、睡眠欲となります。


とらまえかたによると、この5欲は、人生幸せ左右する、時折は人生を狂わす5欲になるのではと思います。



まず、� 嶌睛漾廖�この欲は本当に人生を狂わせますね。


一体お金は幾らあったらいいのか、幾らあったら満足するのか。



極端な例を挙げれば、日本中のお金を持ったら幸せなのか。


�∪�欲。人を愛する。


人間として、素晴らしい事で、この愛情の表現によって、人間は、万物の霊長と言われる所以ではないかと思いま。


しかし、一つ間違えば、この欲も人生を狂わす事になります。


��食欲。人間が生きていくための、基本的本能です。



この欲がなくなると、死に向かうと言われる欲望です。


�ぬ祥斥漾�時折、私にはこの欲はないという方がおれらますれが、それは言葉遊びで、人間は人に褒めてもらいたいとか、認められたいとか、その他、基本的本能にあります。


ゆえに人間は人間として、この人生を生きていけるのではないかと思います。


気をつけないと、自分に対して、存在感がないと、自分を身心共に、傷つける事になるかもしれません。



最後の➄。睡眠欲。人間は一週間寝ないと、気が狂って死ぬと言われています。


考えてみれば、人生の三分の一は、寝ているという事になります。


以上,、もっと例を出し、補足すれば、いつも読者から文が長いと言われているブログに、何ページも付記が入りますが。



これで止めておきます。


「蜘蛛の巣城」の映画での、核心のところは、この人間の持つ5欲を、どのように、人身掌握に活用するのかを、問うているのでは ないかと思います。



何回観ても、新しい思いが見いだされる。


それは、人間の深遠なる、不可解な深層心理を、見事に、あぶりだしているゆえんではないかと、思います。



2回に亘り私の思う5欲について、述べてみました。


ソロソロ、日本人の心である、今年は遅れている桜の開花の便りが、今日にでも届きます。



三寒四温で、春に向かいます。


どうぞ、季節の変わり目です。



お身体ご自愛下さい。




今回も最後まで、お付き合い頂きまして誠に有難うございました。





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2024年02月26日

五欲

こんばんわ。

2月は 別名逃げると言われているようですが もう残すところ数日となりました。


寒暖の差が本当に激しいですね。


数日前は、もう春になったと思うぐらいの温かさでしたが、ここ2〜3日で、逆戻りで、非常に寒く、体もその体温調整に大変でしょうね。



いつも、気ままなご主人(私)に長年飽きずに付き合ってくれる分身に感謝のみです。


ご主人様も協力して、積極的にお手伝いしないと、あきらめられて、放置されたら、終わりです。


まだまだ、やりたい事が残っています。(笑)


気を付けて、サポートしたいと思います。


さて、趣味の一つとして、映画鑑賞が好きで、特に昔の往年の名画が好きで、よく、ビデオを買ったりします。



今から、かれこれ60数年前になりますか、10代の時から黒澤明監督の映画が好きで、娯楽のない時代でしたので、よく観に行きました。


その黒澤明監督が、20数年前に、亡くなられた時に、その偉業を称えて、黒澤監督制作の全巻で 確か20数巻だったと思います。


ビデオ化され販売されました。


当時はカセットのDVDの時代でした。


黒澤監督に対する思い入れが強く、当時のお金で30万円程したのでないかと思いますが、全巻を購入しました。


それから、何十年の間に、何かフト見たくなり、各名画を、その時の、心の在り様で見ています。


志村喬主演の「生きる」は、又、「7人の侍」などは10数回観ているのではないかと思います。


ダイナミックな撮影手法、そしてヒューマニズムに満ち溢れ、人間の本能の心の奥底の深層心理を引き出し、物語の筋書きの中に、ちりばめ、各名優が、見事に、五感で演じ切る。


黒澤明監督の、世界の今もって巨匠と言われるゆえんではないかと、素人評論家の私でも理解出来ます。



そして、これだけ、何回も観て、一つの映画の筋書きも、熟知しているのに、又、観たくなる。


各作品の人間の本能を、あぶりだす。

うなずけるところです。


あの有名な「ゴッドファーザー」の監督である、コッポラ氏も、黒澤明監督のロケ撮影の現場には必ず、敬意を表して挨拶に、また、その撮影手法を学ぶ為にも、来日したと云われています。



いつものように、今回の「五欲」のテーマに入る前に前置きが長くなり、やっと本題にたどり着きました。


実は、皆様方もご覧になられたか、この間、NHKのテレビで、黒澤明監督のあの世界の映画スターとして活躍された有名な、私の敬愛する三船敏郎主演の「蜘蛛の巣城」がリバイバルとして、放映されていました。


私自身は、上述のようにDVDを持っていますし、私の十代の時と思いますが、封切りされたときに、映画館で見ています。


その後、何回か、リバイバルで、迫力のある映画館で、又、ご多分にもれず、DVDでも、観ています。


昔の映画の好きなところは、時代が時代でもありましたが、今のようなCGではなく、ロケの、実写での撮影です。


「七人の侍」など、文字通り、体をはってでの命がけのロケが、迫力満点で、本当に何回観ても、心踊ります。


その黒澤作品の中の「蜘蛛の巣城」ですが、先般テレビで放映され観ました。


実は、そこで、又、新たな発見をしました。


何回も観ているのに、やはり名画ですね。


三船敏郎演じる城主が、人間には、「五欲」があり、その「五欲」を満たす為に、生きるのであると、何回か、「五欲」の言葉を使います。


実はその「五欲」に、ついて、私なりの今まで、学習してきた中で、述べてみたいと思い、今回のテーを選んだ経緯でした。


こうして纏めている間に、私の性格です。


また蛇足の文章が長々と入りました。


「五欲」を纏めるのに、相当の枚数が、必要です。



今回は、「五欲」の予告編として、次回の応援歌で、述べさせていただきます。


引っ張りまわして、誠に失礼しました。お許し下さい。


暫くは、寒暖の差が、激しいようです。


お身体、どうぞ、ご自愛下さい。


今回も最後まで、お付き合い頂き誠に有難うございました。





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2024年01月28日

当たり前

こんにちは。


1月も、後2〜3日残し、2月を迎えます。


お正月は如何でしたか。


門松等、ほとんど見受けれらなくなりましたね。

元旦から、一部、ショッピングセンターも、営業をしていましたし、ひと昔のような、おせち料理も、要らなくなりましたね。


毎年、正月の風情がひとつづつなくなっていきます。


昔の正月を知る、歳を重ねてきた者は、一抹の寂しさを禁じえません。


さて、今年は元旦から、非常に、何とも言えない、つらい大災害がありました。


能登地方における、震度7を超える大地震です。

丁度、その時、私は少し、近所の周りを散歩していました。


姫路にいる娘から。携帯が鳴りました。


何事かと思うと、娘より、石川県の能登方面で地震があったとの事。

お父さんは散歩中で気づかなったね。と話をしていました。


急いで、家に帰りましたら、家内から、大地震があったとの事。


丁度、家内の里が石川県の加賀、大聖寺ですので、実家の事もあり、大変心配していました。


思い起こしますと、もう29年前の事になるのですね。


阪神淡路大地震があった、1月17日は忘れられない、日にちです。


と申しますのは、私の義父が、93歳でなくなり、丁度、大聖寺のお寺でお通夜の時でした。


いまでも忘れる事は出来ませんが、早朝の5時過ぎの事です。


親戚の方々と共に、寝ていたのですが、私が経験したことのない、激しい揺れで、目を覚ましました。


親戚の方々は、昭和23年の福井の大地震を経験していますので、てっきり、このような大きな揺れの震源地は福井方面であると言っておられました。


そして、葬儀中の控室でした。


しばらくして、テレビ中継が始まり、、神戸の長田区が火の海とかして、映し出されていました。


私はこれはただ事ではないと、少し、恐れおののきました。


と申しますは、遠く何百キロになるのか、これだけ離れた、石川の地で、これだけ、大きくゆれたので、その震源地はいかばかりかと。

義父の葬儀を終え、何とか、電車を乗り継ぎ、急いで枚方の自宅に戻りました。


親戚の方々からは、自宅が壊れているかも知れませんね。と言われていました。



家の近くまで来ましたが、近辺は大丈夫な様子でした。


恐る恐る、入口の玄関を開けた光景がフラッシュバックします。


そして、一階、二階と、見て回りました。、


お蔭様で、額縁が落ちたとか、壁がひび割れていたとか、大きな惨事にならなく、安堵した光景が浮かんで来ます。


輪島の地の災害を見ていますと、正月早々、本当に大変な惨事で、心が凍おってしまいます。


このような時にいつも、思うのですが、日常の生活が、全て「当たり前」で、何か不都合があると、不平、不満、不足の自分がいます。


毎日、こうして不便なく生活ができて、お蔭様でどこにでも、不自由なく歩いて、行動でき、そして、70兆もの細胞が、一糸みだれず、暗黙の内に、打合せもせず(笑)、連係プレーを取り、ただ、ひたすらに、ご主人様(私)を生かしてくれている。


もし、そのうちの数個の細胞が、反乱をおこすと、異常をきたし、たちまち病気の因になります。

又、がん細胞類が頭をもたげてきます。


このよう事も、「当たり前」の自分がいます。

今に、バチが当たったり、するのでは思ったりします。


マザーテレサ女史が言われた、「当たり前」の反対語は、「有難う」との事。


つまり、有る事が難しい との事。

もう一つのマザーテレサ女史の言葉に、「愛」の反対語は、「無関心」とありますね。



このような大災害を見聞きして、又、「当たり前」について、そのみなもとを、深く考える事になる、弱い自分を見出します。


歳を重ねてきた割には、全く学習していない自分を顧みて、悄然となり、何か、情けなくなる心境です。


太陽を、そして、森羅万象に感謝しながら、花鳥風月を愛でて、生かされている事を、感謝して、生きていかねばと思う、1月の元旦の出来事でした。


今回の大災害も当然、他人事ではなく、諺にありますように。明日は我が身です。


利他の心をより高め、私で出来る事は、精一杯させていただかなけばと、強く思います。



厳しい寒さがまだまだ続きます。

どうぞ、能登地方の方々は、くれぐれも大変な環境ですが、お身体を含め、ご自愛ください。





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2023年12月28日

赤穂義士祭

こんにちは、


毎年 12月の折の心の応援歌の冒頭の挨拶は、光陰矢の如し、月日の経つのは、早いですね。から始まります。


今年も残すところ4日になりました。

皆様は、今年の一年は如何でしたか。


さて、この間の12月14日ですが、赤穂市で第120回を数える忠臣蔵として有名な 『赤穂義士祭」の催しがありました。


皆様は忠臣蔵をご存じでしょうか。


当然、知っているものばかりと思っていましたが、最近の若者は歴史が好きな人は別にして、知らない人が多いと聞いて、愕然としました。


知らないと言えば、日本がアメリカと戦って敗戦したことも、知らないと言う若者がいるとかも、聞きますが。(信憑性はどうか)



実は、今から10数年前ですが、娘が姫路に住んでいまして、娘の家に家内と一緒に、何泊かした時です。


どこか、ドライブでもとなって、娘婿の運転で、娘と、孫と、赤穂方面に一日で、車で案内してもらった事があります。


その折、赤穂市にある大石神社、赤穂城、資料館等、案内してもらいました。


1702年、元禄14年、12月14日江戸城松の廊下での、浅野内匠頭の、吉良上野介に対する人情沙汰になった事件です。


そして、翌年の、元禄15年12月14日に、艱難辛苦を経て 見事、討ち入りを果たしたという史実です。


その14日を記念して、「赤穂浪士祭」があるとの事。


四十七人の赤穂浪士が、討ち入り当時の衣装を纏って赤穂市中を練り歩くとの事。


その事があって、是非12月14日の「赤穂義士祭」に行きたいと思っていました。



その間、何回か見に行きたいと、計画したのですが、中々仕事が入って、失念していました。


今年は、はからずも「赤穂義士祭」の催しに行く事が出来、姫路の娘の家に前泊して、今回も娘婿の運転で、念願の「赤穂義士祭」に行く事ができました。



私の幼少の頃は、正月となると、毎年、忠臣蔵の映画で持ち切りで した。



それほど、何か日本人の琴線に触れる出来事であったように思います。


娯楽の少なかった時代でもありましたし、映画が唯一の娯楽でした。



そのよう時代に育った私です。


忠臣蔵の対する熱い思いは、おわかりいただけるかもしれません。


やっとその念願がかなった、12月14日の一日でした。


赤穂市に入り、車を駐車場に入れ、赤穂城の方角に、向かいました。


今、放映されているのは、第62回、松本潤さん主演のNHK大河ドラマは「どうする家康」ですね。


その第2回ですので、60年前の、NHK大河ドラマは、長谷川一夫(当時の日本を代表する男優)主演の「忠臣蔵」でした。


その折の、毎回最初に流れた重厚なテーマ音楽が、何処ともなく、聞こえてきました。


感激派の私です。その懐かしい重厚な、芥川也寸志氏による、テーマ音楽は、私の脳裏にしっかりと、焼きついていました。


その記憶の彼方にある、懐かしい旋律に、思わず涙腺が緩み、鳥肌が立ちました。



私の年代層になると、お分かり頂けると、おもいますが、上述の、ように、第二回NHK大河ドラマの「忠臣蔵」です。


その放映は、1964年昭和39年、私が大学の2回生の遠い遠いセピや色の時代の時です。


そのテーマ音楽は一気に、私を時空を超えて、後にも先にも、1年間 一回も欠かさず見た、ドラマの中に入り込みました。


そして、クライマックスの討ち入りの時の、陣太鼓を打ち鳴らし、長谷川一夫主演の意を決した、大石内蔵助の姿が浮かんで来ました。



1945年、日本が戦争に負け、色々とGHQからの要請で禁止事項があり、その中の一つに、この忠臣蔵も、放映してはならない禁止事項に入っていたとの事、


昭和26年日本が講話条約を締結して、独立するまで、上映は、はばかわれた、いわくつきの物語です。


内容は、一言で言えば、主君のために、報復の仇き打ちをするという趣旨です。



アメリカが禁止したとの事ですが、何故か納得できます。


14日当日は天候にも恵まれ、俳優の中村雅俊さんが、大石内蔵助を演じ、先頭に立ち、赤穂城跡の大手門から陣太鼓を鳴らし、四十七士が勇壮に、市中を、練り歩きました。


赤穂城といい、討ち入りの14日といい、環境も整い、江戸時代の元禄時代に、タイムスリップした一日でした。



忠臣蔵は、忠義を尽くし、自己犠牲からなる日本人の美意識として、もてはやされてきました。


しかし、時代の変転と共に、人間の価値観が問われる現在、これからの世に、このような、忖度の世界、武士(もののふ)の精神はどのように、経緯していくのか。


資料館等で、赤穂浪士の遺品を見ながら、思索した一日でもありました。


、
私としては、人間を凌駕すると言われているAIの世界では、けして理解できない、心の深層心理に内在する、散りゆく「もののあわれ」の世界ではないかと、思った次第です。




ことしも、後数日、来年こそ、人間同士が、憎しみ、あやめあう紛争、戦争等がなくなり、世界に平和が訪れますように。




今年も、一年間、拙い心の応援歌にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。




どうぞ、良いお年をお迎え下さい。


一年間有難うございました。







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2023年11月24日

偉業のみなもとは。

こんにちわ。



ここ一週間で、一気に冬到来といったところですね。



年月が進む程に、日本の独特の世界に例のない見事な四季の移ろいは、なくなりつつありますね。


北日本はもう雪がちらつくのではなく、吹雪になっているという便りも届きます。



こうなると、地球温暖化はどうなったのかなあと思ったりします。



さて、アメリカのプロ野球の件ですが、やはり、日本人の一人として、今年の本塁打王の大谷翔平選手の動向が気になっていました。



今年も、MVPの候補に挙がっていましたが、下馬評では、今年は無理であるというような事を、マスコミ情報として、流れていたようですね。


私自身は、あまり野球の事は、詳しくないのですが、何となく、ノーベル賞のように、気がかりでした。  


素人なみの予測ですが、本場としての、アメリカのプライドもあり、今年は多分、無理ではないかと、思っていました。


それが皆様のご存じのように、大リーグ初の二度目の受賞となりました。



そのこと事態も、考えられないことと思うのですが、私は一番心に触れたことはご存じの満票だったことです。



この満票を、私なり解釈をしましたが、良く言われる、オカルチックになるかもしれませんが、以心伝心という格言がありますように、言葉、態度、思いは、こころに伝播し、人の心を動かし、波動する。


そんなことを感じた今回の、受賞でした。



従前にも少し述べましたが、皆様方もご存じの、大谷選手が高校一年の時に作成した、99項目にわたる曼荼羅チヤートによる、具体的実践項目です。「99の具体的実践項目は検索されますと、出ています。」


実は、この99のチャートは、人生100年時代を生きていく上に大変大切な実践目標で、研修会の教材に、時折、使わせてもらっています。



この99の実践項目は、私は、一番、今日の大谷選手の生き方の基本を担っている項目で、,MVPもさりありなんと思われるところです。



一番の驚きは、高校一年時に、まだ甲子園の土も踏んだ事もない、その時に、そのマンダラの99の実践項目の中心に、「ドラフト1位、8球団指名」を挙げている事です。



それをなすにはと、98項目の、やるべき事を書いています。



普通の思いでは、まだ甲子園の土も踏んでいない中で、、その99の項目の中心には、高校野球の夢の舞台である、良く書いて甲子園出場と、書くのではないかと凡人は思います。



ここで本論に入りますが、MVPを2度と、それも満票の根拠は、その99の実践項目の中の、技術面、(スピード、キレ、インステップ等の項目)は当然一番大事ですが、その技術の石垣の部分が、人を満票に導いたのでは。



私自身のつたない経験から、つまり、一言で言えば、心の波動が人を持ち上げるのではないかと。



リーダーの資質の基本は「おみこしに担がれる人物になれ。」です。


今回の史上初の2回目で、尚、満票のMVPの受賞の結果と思えてなりません。



私見の「さりありなん」と思う根拠は、高校1年の時の具体的目標(下記に抜粋)のメンタル面です。



      仲間を思いやる心、愛される人間、感性、あいさつ、思いやり、礼儀、
      応援される人になる、審判さんへの態度、運、道具を大切に扱う、
      人間性、感謝、ゴミ拾い、プラス思考、一喜一憂しない、等。


以上の人間力が、波動となって、素晴らしい二刀流を駆使した技術力をより高めたのでは。



一言で言えば、99の実践項目の具体的目標の一つに挙げておられた「応援される人になる。」



つまり人間の真理で、我々が50年にわたって進めていますリーダーシップ研修の理念のように思われます。



今週末は、北日本は雪が降り、日本全体は寒波になるとの事、

、

どうぞ寒暖の差が激しいこの頃ですが、ご自愛、専一に。



今回は、先日、世界の二ユースとなった、大谷選手の偉業のみなもとはという事で、私見を述べてみました。


最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。








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2023年10月23日

読書の秋

お早うございます。


朝晩は、めっきり肌寒くなり、秋到来といったところです。
、

三寒四温という言葉がありますが、一気にという感じで、慌てて冬物を出し、体温調整をしています。



さて、昔から、読書の秋、天高く馬肥ゆる秋、紅葉の秋とか、表現しまして、秋は秋として、何となく、感傷的になる季節ですね。



読書の秋。昔は、各家の書籍棚に世界百科事典とか、日本小説文庫集とかが、読む読まないは別にして、何か、家のステータスとして、飾られていました。(ほとんど飾りであったのでは、笑)


私の小宅にもまだ、読まずに、飾られています。



特に最近は、活字離れがどんどん進んで、新聞とかも購読層が激減し、各新聞社も維持、継続していくのに、相当苦慮されているという事を、聞いています。



私の時代は、活字人間で育ってきましたので、朝の朝刊、夕刊がないと、何か、一日が心の空白のように、感じたりします。



さて、読書の秋、若い頃は、各作家の全集を購入していたこともあったのですが、一心不乱で読破する時期が、ありました。



今は、中々根気がなくなり、今も、目についた本はよく買うのですが、正しく積読で、積み上げていく一方です。



さて、本の序文と言いますか、書き出しで、2〜3浮かんでくる文章があります。 


その序文で、小説全体を思い描く事ができるというほど、序文は難しいですね。




私自身も拙いブログをこのように書いているのですが、最初の書きだしの処に、常に、頭をひねります。

思いつくままに昔、読んだ小説の序文について、書き出してみます。


  夏目漱石

   草枕 


山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

   吾輩は猫である。

吾輩は猫である。名前はまだ無い

   島崎藤村


    夜明け前

木曾路はすべて山の中である。


   芥川龍之介


    羅生門


或る日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 
    有島武郎


     小さき者へ

お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上がった時、その時までお前たちのパパは生きているかいないか。それはわからないことだがー


    三島由紀夫

    金閣寺


幼時から、私によく、金閣のことを語った。

    森鴎外


    高瀬川


高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である

    大岡昇平

    野火


私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。



    川端康成

    雪国



国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。


人生の節目、節目で、ある時、読んだ小説を思い起こし、浮かび、思いつくまま、小説の冒頭の序文を列記してみました。



上述しましたように、最近の活字離れが急速に進んで、小説も読者層が、減っているとの事。



今は、スマホでも小説が読めるらしいですが、昔人間の私には、小説はやはり活字で味わって、行間を探りながら読むのが一番であると、個人的見解を述べているのですが。


読書の秋、この言葉も今は死語に、なりつつあるのでしょうか。



人間の人間たる、森羅万象、花鳥風月を愛でる感性は、小説におけるところも大いにあるとの、昔人間の、ささやかなつぶやきです。



寒暖の差が激しい季節の分かれ目です。


読書の秋、自分自身に言い聞かせて、一読を。



今回も最後まで、お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

どうぞ、体調にご留意下さい。








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2023年09月30日

体育祭の郷愁

おはようございます。


9月も今日で終わりますが、やっとと、言えばよいのか、少し、朝晩がという感じで、まだまだ日中は残暑という気候ですね。


こうも続くと、今まで、夏バテなど、あまり感じたことがないような気持ちですが、さすが、疲れがどんよりと、どっと、感じる今年の一応、初秋といったところです。



先日、二番目の孫の中学の体育祭があるというので、行ってきました。


確か、私の中学時代の遠い遠い、かすかな思い出ですが、父兄の方は、見に来ておられたかなと、記憶が定かではないのですが。



孫が三人いますので、幼稚園、小学校、の運動会は何回も、見に行っているのですが。中学校の体育祭は初めでした。


私のセピヤ色の時代の中学時代の体育祭と どのような変転があるのか、正直興味がありました。


娘には、父兄が言ってもいいのかとか、他の父兄は来ておられるかと確認しながらの姫路行きでした。


思ったより多くの父兄がきておられ、最近の教育の一旦を垣間見ました。


競技は、私の時代とは、様変わりして、リレー中心のプログラムで、構成されていました。


コロナの事もあり、練習もままならず、集団の演武は、当然、限られているのではないかと、感じた次第です。



私の時代の 体育祭の時の校内に流れる音楽は、戦争が終わって、まだ、10数年でしたので、流れる音楽は、今の、音楽と全く違って、大変、勇ましい競技マーチが、軍艦マーチが、一日中、なり続け、嫌が上でも、高揚心を掻き立てられた記憶が浮かんできます。


競技の主役は、今もあまりその点は変わらないと思いますが、私の時も、各組対抗のリレーが花形でした。


そのリレーで、今、もって忘れられない記憶が、鮮明に、浮かんで来ました。


全く、身内も信じられないと思いますが。
一クラス、当時は、人数が多く、40名〜50名ぐらいではなかったかと思います。


各クラスから、4名選出され、私は4人の一人に選ばれたリレーの選手でした。



当時は、自慢話ですが、少し、勉強が出来る事も暗黙の内で、リレー選手のクラスの推薦の条件であったように思います。


忘れもしません。三年生の時です。


三年生で、6組ある中、私は4組でした。


私は最後のアンカーでした。


3人目の走者が、バトンタッチミスでバトンを落としました。


その時、、私の組は何位で走っていたのか、記憶は定かではないですが、当然 バトンを落としましたので、6組の中で最下位になりました。


私の負けん気の性格です。



何とか、少しでも取り返そうと、そして、1位になる。

そんな、気持ちで、めげずに、全力で本当に必死に走りました。


今でも脳裏に浮かんできます。


全校生が、私が走る姿に、私が走れないぐらいに、白線の中に、入ってきて応援を受けました。


当然、最下位でゴールをしたと思います。


なぜか、その時の全校生の応援の中で、走り抜けている自分の姿が、フラッシュバックして、時間が止まったような、全く無音の静寂の中で、時空を超えて、走っている自分の姿が、浮かんで来ました。(全校生徒の大声援のなかでの力走ですが)


後日談で、はたまた、自慢話で、その時の光景を、先生から「最後まで、どのような結果あれ、全力で頑張る。


これが大切な事で、だから、全校生に、感動を覚え、応援に掻き立てられたのだ」。


そのような趣旨の話が、生徒にあり、この間のリレーを観戦して、かすかな懐かしい思い出としてよみがえり、郷愁を呼ぶ1日でもありました。



体育祭のテーマが、「素直にがんばる。」


スローガンとして、「素直が一番、明るく、楽しく、前向きに」と、大きく校舎に掲げられていました。


我々が50年余と進めている研修理念と、全く相通じる「こころ」であり、意を強くし、少し、オーバーですが、日本の将来は、安泰であると、ホッとする時間にもなりました。



まだまだ、日中は残暑と言いますか、厳しい環境です。



一か月、夏がずれ込んでいるようです。


どうぞご自愛専一に。


今回も私事の自慢話にお付き合い頂きまして誠に有難うございました。





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2023年08月25日

夏、8月

こんにちは。

暑いですね。

雲も、入道雲の間に、ウロコ雲が少し現れ、秋の足音が。


しかし、まだまだ, 残暑は厳しいですね。

じっとしていましても、バテ気味で。


余り歳のセイと言って,逃げたくはないのですが、疲れますね。


今年も、夏、8月、残すところ一週間となりましたが、皆様方は今年の夏は,如何お過ごしでしたか。



「夏が来れば思い出すーーー」の歌ではないですが、夏の風物詩を思い出すままに、書いてみました。


お盆の墓参り、蚊取り線香、縁台での夕涼み・へぼ将棋、地蔵ぼん、夕立、夏休みの宿題、林間.臨海学校、風鈴の音、咲き乱れる朝顔の花、郷愁を呼ぶ盆踊り、早朝のラジオ体操、ゆかた、ほたる、線香花火、プール、入道雲、セミ取り, 夕がたのひぐらし、蚊帳での戯れ、カブトムシ、かすかな思いでの行水、夜店での金魚すくい、高校野球の青春 そうめん、大文字焼き、ビヤガーデン、麦わら帽子、うちわ,等々。


夏の風物詩として、思い出されますが、こうして、列記してみますと、何か、歌のフレーズではないですが、遠い遠い、夏の思い出のような気がします。


私は、今年の夏の一番の思い出は、孫達3人と、北海道に行つた事ですね。


北海道は、今回で3回目で、第一回目は新婚旅行で。

当時は、今のような、新婚旅行が、海外にと言う定番ではなく、少し、はしりでの、海外の新婚旅行でした。


私は、20代の時に、何回か欧米に出張していましたので、家内には申し訳なかったのですが、私の提案を押し切って、北海道に行きました。


第2回目は、二つ目の会社創立15周年で、社員と共に。


そして、今回の北海道旅行でした。


新千歳空港より、娘が、レンターカーを借りていて、3泊4日を、全て車で移動しました。



まず、驚いたのは、当時の歌で有名な、表玄関の北空港、札幌空港の、面影の全くない、新千歳空港の威容でした。


これには、正直びっくりしました。


旭川、富良野、札幌、と娘の運転で移動しましたが、、皆様もご存じの、一言、北海道は広いということですね。


まっすぐな、本州では、全く考えられない、一本道の直線が延々と続く。

本当に広い。

その道中の車窓からの眺めは、スイスの田舎の風景とよく似て、牧歌的な、のんびりした、異国情緒のする、フインキでした。



娘、一人が4日間、今回の企画から、運営、運転、全て一人で進めたのですが、本当に親〇〇ではないですが、よくやったなと、今でも、つくづく思いだします。



旭川、富良野、札幌と、それぞれの孫好みのリゾートホテルに一泊して、駆け足になりましたが、星野リゾートには、満足度は別にして、事業をしている私としては、これほどの広大な敷地で、そして、縦横の組織でもって、事業を進めていく壮大な構想、運営に、唯々感服する旅行でした。


そして、最終地の札幌では、定番の裕次郎さんの歌で、有名な、時計台をバックに、孫と記念写真を撮り、今回初めて資料館を見学しました。

私の今日ある、幼少の時のクラーク博士の、「ボーイズビアンビシャス」を、考え深げに、思い起こしながらの見学で、北海道を後にしました。


そして、帰阪後、娘の姫路での、盆踊り。

23日は10数年ぶりか、甲子園の優勝決定戦に いつものふらっとした性格で、観戦に行ってきました。


どちらのフアンということもなく、若者の青春を見ていました。


高校野球の応援合戦も 私の高校野球の好きなところで、両チームの試合を見ながら、応援合戦も興味深く見ていました。


私は、応援は選手に取っては、そんなに影響はない、と思っていましたが、先般の応援合戦を見て、その波動が「甲子園には魔物がいる」という意味あいが 理解できたように思いました。


歳の事も考え、余り、いちびっていると、熱中症の事を考え、ほどほどにして、甲子園を後にしました。

今年の夏も終わります。

何か、歳を重ねる事に、四季の風情はなくなったとは言え、それぞれの四季のうつろいが、いとおしく感じるようなってきました。

マダマダ、残暑が続くようです。


お身体、ご自愛専一に。


今回も、最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。





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2023年07月17日

山鉾巡行


こんばんわ

暑いですね。


自宅の猫のひたいのような、木に、蝉が、声高らかに、鳴いていました。      

思わず、ようこそ、わたしの庭へと、何となく、はかない命に、慈しみを覚え、しばし見入っていました。

今日は、祇園祭りの山鉾巡行とのことで、ふらっと京都まで、見物に出かけました。


なぜか、この歳になってくると、行けるときは行っておきたい。


そんな衝動にかられ、出かけた次第です。


朝、9時過ぎに山鉾巡行の出発地の四条烏丸に着きました。


コロナ明けなのか、人人人で、身動きが取れない状況です。

勝手知った土地なので、何とか、大池通の角まで、たどり着き、そこで、人垣の合間から、曳児の辻回しを見たく、山鉾巡行を見物していました。


見物人の10人に一人は外国人ではないかと思うほど、外人の観光客が多数、場所を陣どって楽しんでいました。


八坂神社の祭事で、日本3大祭りのひとつで、ルーツは863年にさかのぼるという事で、約1200年になるとのこと。


その諸行事を伝統の名のもとに継承してきた、先人の思いに馳せ、その矜持を思んばかるのか、はたまた、その関係者の並々ならぬ歴史を思い起こすのか、なぜか、涙が頬を伝い、山車が、霞んでみえました。



今から、約10数年前になるかと思いますが、京都のご縁の方からご招待を受け、特別席で見物したことが思い起こされます。



先頭の長刀鉾に、34基の山車の唯一の生稚児が搭乗し、しめ縄を切り、巡行が始まりました。


祇園囃の掛け声の合図で巡行が始まった時ですが、何故か、どっと涙があふれ出て、なんとも表現しがたい気持ちになったことが思い起こされます。


その同様な思いが、今回もまた。



聞くところによると、母方の先祖は、平家方で、あの壇之浦の戦いに敗れ、落人として、京都の相楽郡の山奥に逃げ込み、ひっそりと生き延びて、今日に至るとの話を20年前に他界した母から聞かされていました。

又、その系図も見たことがあり、今もその文献のコピーを持っています。


今は亡き、両親の里では、40数年前までは、亡くなると土葬でした。


私から言えば、祖母になりますが、その折、村の多分、最後の土葬になったのではないかと思いますが、私が当時の8ミリで撮影した葬儀風景がいまも残っています。


まるで、時代劇さながらの、田園風景がひろがり、タイムスリップした葬儀風景が映し出されています。



何を申し上げたかったのかといいますと、京都という土地と、祖先の、落人という、もののふの、先祖の脈々と続いてきた、血が騒ぐのか。


はたまた、伝統を大切に守りながら生き抜いていく人々の真摯な姿に、心が掻き立てられるのか。



今回も、祇園祭りの山鉾巡行の囃子を聞きながら、私なりのかってな解釈をして、眺めいっていました。



どちらにしても、今日も、非常に厳しい暑さでした。


何時間も憑かれるように、見物していましたので、よくも、熱中症にならなかったなと思いながら、こころよい疲労感を残しながら帰宅しました。



これから日ごとに酷暑に向かいます。


どうぞ、体調管理には充分ご自愛ください。


今回は、今日、行われた日本の三大祭りで、祇園祭りの山鉾巡行について、述べてみました。


最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。







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2023年06月18日

z世代

こんばんわ。

6月の梅雨の時期ですが、梅雨はどこに行ったのかなあという、ここニ〜三日の天候です。


地球が壊れかけているとのことですが、こうして四季があり。梅雨がある。


大自然の 悠久の営みを 地球人が、一つになつて、愛おしく守りたい心境ですね。

又、戦争が早く終結しますように。


さて、この間も、マスメディアで、最近の若者の名称として、「ℤ世代」と称して若者の心理状況を、何点かの項目として、挙げられていました。


私は、40余年にわたり春の時期には、新入社員の方々に「人生如何に生くべきか」という理念で 合宿研修を進めています。


今年も、アフターコロナ下の中で、3蜜に対応しながら、140名ほどの日本の将来を担う新入社員を実社会の旅立ちのスタートとして、お手伝いをさせていただきました。



そのように、仕事の関係もあり、どうしても 若者の時代、時代に対応する資質を学んでおかなければなりません。


しかし、40余年と若者と寝食を共にしまして、総論としていえることは、人間の心の本質は変わらないということに尽きますね。


さて、ℤ世代という若者の名称は アメリカのジェネレーションℤから派生して、そのℤを取って、ℤ世代と命名したそうです。


対象は1990年半ばから2010年生まれの若者につけられた名称とのこと。


この層の特徴として、2〜3の資質が述べれらていましたが、若者の研修を通じて、納得する記事内容でした。


1,情報源の違いについて。

我々の時代はマスメディアの情報としては、新聞、雑誌が主たる情報源でしたが、ℤ世代は、紙媒体での情報は乏しく、我々の年代には 全く不得手な、ツイッター、you-tube,インスタグラム、tik tok等による情報源です


そして、過多の、より多くの情報環境の中から、自分にとっての情報をうまく取捨選択をして、上手にえり分ける能力にたけていることがあげられるとのこと。



2,ものの見方、考え方などを含め、多様性が挙げられ、また、環境問題とか、社会問題など、そして、SⅮgsについても、関心が高い事が挙げられます。

それに付随して、将来の不安と合わせ、安定志向があげられるとのこと。


3,自分なりの価値感がしっかりできていて、我々の時代のように、例えばブランドもの一つにしても、画一化した価値感ではなく、多様性の中の 独自の価値観により、選択するなど、あげられていました。


しかし、いつの時代においても、「最近の若者は、」という言葉は、永遠に人類が存続する限り、続くものと思われます。


しかし、私のℤ世代の若者につての評価は、合宿研修を通じても思うことですが、非常にしっかりしていて、堅実で、世の中を、しっかり観察しているということです。



最近の日本の若者の代表として、野球の大谷翔平選手の世界的な活躍とか、将棋の藤井聡太さんとか、また、その他のスポーツ界においても,その10代20代のℤ世代の目覚ましい活躍をみても、わかります。


この間、新聞記事にℤ世代の2023年上半期に流行した言葉のトツプに、友人と恋愛について語るときに、蛙化(かえるか)現象という言葉が流行しているとのことでした。


その意味あいを知り、思わず笑ってしまいました。


一例として、恋愛対象の恰好悪い部分を見ると、こんなことで「蛙化(かえるか)した」つまり、引いたと、話題の言葉として、使うとのこと。


「蛙化した、」「蛙化しことある」と話題にする時の一例として、上記の会計の時に、男性がスマートホーンで割引クーポンを出すのに、アタフタして、勘定にとまどっていることなどで、蛙化した、引いたとして、使うとのこと。


皆様はどう思いますか。


しかし、この問題は何も、ℤ世代だけでなく、我々の若い時も、スマートホーンではなかったですが、勘定の支払いに、何かスマートさに欠けるバツの悪い事があり、それで、女性から、ひかれたこともあったように思いますが。(笑い)。



現在のℤ世代の若者の言葉でいうと。さしずめ、この間、彼とデートして、このようことで「蛙化した」と女性の会話の話題になるのかなと思います。


今回は、一連の新入社員研修を終え、最近の若者を意味する「ℤ世代」の言葉について、少し、述べてみました。



梅雨も もう間もなく明けます。


そして、灼熱の蒸し暑い夏がやってきます。


冷夏でないように。夏は夏らしくと思いながら。



今回も最後まで、お付き合い 誠に有難うございました。



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2023年05月27日

再開・人生5計

こんばんわ


長らくご無沙汰しています。

しばらく、「こころの応援歌」を休んでいましたので、ご縁の方々から、どうしたのとか、病気でもとかご連絡いただきまして、本当にありがたく思いました。


実は、パソコンが壊れまして、スマートホーンからも出来たのですが、やはり長年パソコンで作成していましたので、何となくパソコンがなおるまでと思っていました。


また、トラブルは重なるもので、今度は、前後して、スマートホーンを落として、壊れてしまい、新しく買い替え、その操作もまた、ガラケーの私には、慣れるのに。


そして、パソコンの修理も、トラブり、時間がかかり、結局、新しくパソコンを買い、今日 初めてブログを再開出来たという次第です。


昨日は、きしくも、私の誕生日で、朝から多くの人から、お祝いのメールとか、お電話をいただき、その対応にうれしい一日となりました。



何度 迎えても、誕生日は、人生を振り返り、そして、人生を見つめなおす、いい機会ですね。



セピヤ色の 私の幼少のころは、定年が50歳代で、定年後10年ぐらい、余生を過ごし、60代70代というと、もう人生を終え、黄泉の世界へという年代のように思っていましたが。


80代で 黄泉といいますと、人生の大往生で、何の悔いも残らない幸せな人生といわれてきました。


しかし、ここ40年ほどで、生活環境なのか、定年も大きく伸び、人生100年と言われる時代になりました。


本屋さんでは「80歳代での人生の生き方」という類いの本が 店頭に、ところ狭しと並んでいます。



死というと どうもタブーで忌み嫌う言葉として 縁起が悪いといった風潮があるようですが、私はこの人生を生きていくには、人生5計(生計・身計・家計・老計・死計)の中でも,人生を素晴らしい意義ある、幸せなものにするには、人生5計の死計、つまり死生観が一番大切な思いではないかと思っています。

要するに、絶対という言葉はありませんが、曖昧模糊にしていますが 人間は、必ず死を迎えるということです。

今回は久しぶりに再開した「こころの応援歌」と 昨日の私の誕生日に因んで、人間関係の在り方と、フオスター作曲の、幼少の頃 口ずさんだオールド・ブラック・ジヨーの歌詞ではないですが、最近 身近に感じてきました「かすかに我を呼ぶーーー」歌詞の死生観について述べてみました。


再開のブログが、丁度、めでたい私の誕生日と重なり、少し、重たいテーマになり失礼しました。



今後とも、こりずにお付き合いのほど、お願い申し上げまして、終えさせていただきます。


                              ありがとうございました。





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2023年02月23日

人生はドラマである

こんばんわ


今年も、アッと言う間に、2月ももう終わりますね。

歳を重ねるにつれて、最近切に身体で実感します。

地球温暖化が叫ばれて久しいですが、今年は例年になく厳しい寒さが続いています。

何度か述べていますが、私の持論で、冬は冬らしく、春は春らしく、夏は夏らしく、秋は秋らしく、世界に例のない、日本の素晴らしい自然をはぐくんできた春夏秋冬を、是非、いつまでもサムシンググレート(神様)にお願いしたい気持ちで一杯です。



さて、先週は厳しい寒さの中、40余年わたって進めています、禅の精神(素直・自省・謙虚・奉仕・感謝)を取り入れた合宿研修会を、当協会の専門道場の京都宇治の心華寺で開催しました。


ウイズコロナ下ではありますが、ここ3年間、コロナ対策の一環として、参加人数を徹底的に絞り込み進めてきました。



このコロナ下で、研修生と寝食を共にして、今回も感じました事は、万物の霊長と言われています人間は、やはりスキンシップによる、人間的心のふれあいが 益々重要であると、更に強く痛感した次第です。



ウイズコロナ下の中、人間のみ持つ、心の安寧、幸せと 心の拠り所が、益々、問われているのではないかと。


私は、お寺では、今は校長先生、塾長として、二日間の研修の中で、入山式(寺は別名で山と言います)の折の話と、2講座と、最後の下山式(出発式と銘しています)での「旅立ちの一言」として、お話をさせていただき、後は気鋭のベテランのトレーナーが二日間指導しています。




今回のブロブは、その研修の最後の「旅立ちの一言」でお話させていただいています内容を、要約して述べてみたいと思います。


「人生はドラマである。」



テレビとか映画で譬えるとドラマの作成については、シナリオ(脚本)、監督、主役と、それぞれの役割、人を立てて、制作して、仕上げていきます。

それを、一人でドラマを作成し、映画をつくる。そして、主役として、演じる。という意味です。

つまり、「人生はドラマ」ということです。


「人生はドラマ」の第1義は、自分自身、自らこの歩んで行く人生を、どのように生きて行くか、自らシナリオを描かなければならないという事です。


当然、ご両親とか、その他、何かと助言をいただいたとしも、自分で自分の人生のシナリオ(脚本)を書かなけらばなりません。


切ないですが誰も、自分の人生のシナリオを書いてくれません。


なぜならば、この人生は自分の人生だからです。


このところをしっかりと把握、掌握、理解していないと、自分の人生を他に転嫁して、こうなったのも、他人のセイである、社会のセイである、環境のセイであると、常に自己弁護して、折角ご先祖、ご両親から頂いた、尊い人生を、他人任せに無為に人生を送ってしまうという、悲しいことになってしまいます。


「人生はドラマ」の第2義は、人生の監督を、自分自身と、常にもう一人の自分が務めます。(2人称の法則)


このもう一人の、常に自分を冷静に、客感的に、見ている自分が、重要です。


この監督(自分)は、人生を歩んで行く上で、非常に大切な役割を果たします。


そして「人生はドラマ」の第3義です。


この人生は自分が主人公、主役です。決して他人ではありません。


つまり、この人生はお釈迦様の言われる「自因自果・じいんじか」(つまり、つらい事ですが全ての原因、結果は、自分がまいた種)ということです。



「人生はドラマ」です。


どうぞ、この自分の人生を、自分で素晴らしいシナリオ(人生脚本)を作り、自分で監督を務め、そして、自分で人生の、主役、主人公として、演じていく、生きていく。


このような話を、研修の最後の「旅立ちの一言」として、禅の精神の中から、お話させて頂いています。


二日間の寝食をともにしての研修生との実践学習により、ある程度の体解したなかでの一言としての纏めですので、「人生はドラマ」の意味合いを、研修生としては、よりご理解頂いているのではと、自画自賛している次第です。(笑)


今回は、先週厳しい寒さの中で、幹部社員対象の合宿研修会の折の、研修の最後の纏の「旅立ちの一言」として「人生はドラマ」と題して、お話させていただいた事を述べてみました。



三寒四温を経ながら、春に向かっていきます。



森羅万象に感謝して、今回も最後まで 拙い思いにお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。


お身体ご自愛下さい。





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2023年01月28日

どうする家康

こんばんわ。


一月もアッという間ですね。


ここ数日厳しい寒さが続いています。

久しぶりに雪もちらつき、雪はなぜか、人の心を清涼にするようですね。


さて、今年の大河ドラマは前回も述べましたように、「どうする家康」で今年の流行語大賞に「どうする」という言葉がノミネートされるのではと思っています。(笑)


日本の歴史上における人物に たえず3人の武将の一人に挙げられる徳川家康を主人公にしたドラマです。


もう、かれこれ、50年前になりますが、山岡壮八の長編小説で、確か26巻あったと思いますが、「徳川家康」を一気に大変興味深く読破した事があります。


何故かと言いますと、当時将来、上に立った時に、リーダーシップとは、上に立つ器量とは、人間力をを学ぶために、何か参考になる書物はないかと探していました。

その中で、当時長編大作として、山岡壮八の26巻に及ぶ「徳川家康」が 大変話題になっていました。


それと、約260年と 世界に類を見ない、安寧の世をもたらした歴史上の人物で 3人の武将として常に挙げられる徳川家康という人物は、一体どのような人となり なのかも知りたいという気持ちもあったからです。

内容も、定かではなくなりましたが、当時を思いおこしてみますと、確かに小説として、面白く26巻を一気に読破しました。


しかしなぜか、大阪生まれの西軍のルーツなのか、徳川家康としての人物像としては、今持って、馴染めないものがありますが。


やはり、戦国武将としての3武将としては、常に、国民的人気の織田信長が、私も一番に挙げられます。


そして、秀吉、になりますね。


その解釈は別として、私が独立して、事務所を開いたときに、事務所に飾った額が、徳川家康の遺訓と言われています7つの訓戒でした。


参考までに、その7つの遺訓を記してみます。



             徳川家康の7つの遺訓
        
         1、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。
         
         2、不自由を常と思えば不足なし。
         
         3,心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
         
         4、堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え、
         
         5,勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば、害その身にいたる。
         
         6、おのれを責めて人をせむるな。
        
         7、及ばざるは、過ぎたるよりまされり。


事業経営を起こすに当たって、人としての生き方のベースとして、又、リーダーの上に立つ根源的な思いとして、この訓戒を座右に掲げて、今日まで、二つの会社を起こし、頑張ってきたように思います。


今回は、今年始まった大河ドラマ、「どうする家康」に、ついて述べてみました。


前回も、少し取り上げましたが、「今年は、どうする碩志」(私の名前はみつゆきと読みます)


このテーマで、自分を見つめ直し、人生はドラマです。


人生の脚本を自ら書き、人生の自ら監督になって、人生の主人公として自ら演じ、常に、二人同行(どうぎょう)で、もう一人の自分と対峙して、自問自答し、自省しながら、「どうする」で、この一年間を頑張りたいと、決意を新たにと思う、1月の終わりの所感でした。


今日は、一応、5回目のワクチンを打ってきました。


厳しい寒さが続いています。

お互いに、コロナに、インフルエンザに、留意したいと思います。


                            有り難うございました。







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2023年01月09日

時代のうつろい

おめでとうございます。


本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、お正月は如何でしたか。


年を追うごとに正月の風景は薄らいでいきますね。


数十年昔は、化石のような話になりますが、各家に正月は 日の丸が掲揚され、昔の家には必ず、日章旗を立てる ポールの筒がありました。


実家も、又、我が家も、ポールがあり、正月には国旗を掲揚していました。


しかし、いつの時代からか、日の丸を掲げる家が、一軒づつなくなり、今は皆無と言っていい程、見当らなくなりましたね。



その清楚な日の丸が、正月が来たことを告げ、幼心をワクワクさせた思い出が蘇ってきます。



昔は、全ての家の玄関に飾ってあった、しめ縄とか門松等も、近所をそれとなく見て回りましたが、10軒に1件ぐらいの割合かなと思います。


鏡餅とか、正月用雑煮等、正月の風物詩がどんどん影を潜めていきます。


ただ、お年玉だけは、正月の風習として、残っているようで、各家庭の祖父母、ご両親、親戚関係は、年々、お年玉の相場の金額が上がっていくようで、我が家も同じですが その相場感で、頭が痛いところです。


こうして懐古してみますと、まだ、たかだか数十年前ですが、正月には、女の子は晴れ着をきて、又男の子は 正月用の新品の服を着て、表で羽根つきとか、ベーゴマ、凧あげ。


家の中では、トランプ、双六遊び等。



どんどん、アッと言う間に、時代は変わって行きます。



そして、話は転じて、IT分野でも、地球規模で、世界・日本を大きく巻き込みながら、全産業、全業種で加速度的に、日進月歩急激に変転していきます。


私は、比較的まだ現役として生活しており、、スタッフに、娘に、孫に、情報機器の操作を手取り、足取り教えて貰いながら なんとか今日に至っています。



しかし、こう急速に全ての社会に、IT化が進んでくると、高齢者は、ストレスの塊になるのではと、正月の風景の変容を見ても思う年初でした。


さて、そのIT化の件ですが、最近はレストランに行きましても、加速度的にボードとやらで、注文するようになってきていますね。



最初は、何か味気なく、情の入る余地もなく、全くなじめず、娘の家族と一緒の時は、娘が、孫が、替わりにボードで注文して貰っていました。


一人の時は、意固地になって、仕事柄が頭をもたげてきまして、、真の接遇とは.真のサービスとはと。


このようなことでは 人の心は、無味乾燥になると、理屈をこねて 案内の方を呼んで注文していました。


しかし、昨年末に梅田の比較的グレードの高いホテルのレストランで家族と食事をしたとき、ボードがテーブルにおいてあり、そのボードで注文してほしいとの事。


娘等、孫は、何の違和感もなく、そのボードで注文していました。


私は、一流のレストランが、と言葉を失い、サービス業そのものも変容し、もう時代はそこまで来ているのかと。


そして「おもてなしの心は一体」と、愕然とした次第です。


時代は、目まぐるしく、移ろい、変転しています。


時代に呼応して、川は大きく流れています。


その時代の川の流れに、好むと好まざるに関係なく、又、あがなうことは当然できず、沿いながら、これからの人生を、禅の教えである、とらわれない、こだわらない、かたよらない、と、たおやかな気持ちで 過ごしていかないと。


今年から始まった大河ドラマのテーマではないですが、「晩節の今、、どうする碩志」(私の名前でみつゆきと読みます)


いつもの、大げさな,少し悲哀を感じた、正月の風物詩から、世の中の流れをこじつけて、連想してみました。



このあいだ、ひとりでレストランに入った時、ボードに向かって、何の違和感も感じず、操作して註文している自分がいました。(笑)


ダウインの進化論ではないですが、いつの時代においても、強いものが生き残ったのではなく、変化に対応したものが、生き残ったとの説。


この意味あいを噛みしめて。


今年も、年初から最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。


本年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。





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2022年12月25日

全て良し

こんばんわ

今日はクリスマスですね。


もうこの年になって、なにも感じる事はなくなる寂しい歳になりましたが、一応昨晩は家内とケーキを食べました。


3昔前は もっとクリスマスソングが地下街とか、その他ターミナルで盛んに流れていたように思いましたが、関心の度合いで、気づかないのかもしれませんね。


皆様方は、如何過ごされましたか。


もう 何十年前の遠い遠い記憶も霞む程のセピヤ色の思い出ですが、24日のサンタさんの贈り物が楽しみでした。



今は亡き兄と、夜も中々寝付かれずにうとうとして、目を覚まして枕の上を何回も見る事が、24日の夜の行事でした。


そのうち熟睡して、朝起きると小さな紙袋が。

その時の心のときめきが、鮮明に思い出されます。

その中に確か、キャラメル一箱と、時折 小さなセルロイドのおもちゃが入っていました。


当時は 物も不足し、食料難の時代です。


甘いものに飢え、今でもそのキャラメルひと箱が 宝石でもあるような、甘酸っぱい思い出として、蘇ってきます。


今の 満ち足りた飽食の時代がいいのか、私のような物のない時代が良かったのか。?


物心ついた時、兄が、サンタはお袋だよと耳打ちされ、おさな心に、激しく否定しました。


そして、何故か、サンタに無理をお願いしない方が良かったのかなあ、と子供心に思い、10数年前に他界したお袋の微笑む顔が浮かんで来ます。



さて、今年も、残すところ後一週間で、正月がやってきますね。


今年は、皆様方は如何でしたか。


私に取っては、全て良しの、良い一年でした。


何をもって判断して、良いのか、?又、悪いのか。?


今年、私の周りで起こった出来事は全て良し。

みなさん方もご存じの、ノーベル賞を受賞された山中伸弥先生の座右の言葉でもある、中国の故事の「人間万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬」が浮かんできます。


従前にブログで述べたような記憶がありますが、このような寓話です。



ある城内で、馬が逃げだし、その持ち主の老人に、人々が災難ですねと言いました。


老人は決して悪いことではないと言います。


暫くして、その逃げた馬が名馬を連れて帰ってきました。


村人が 老人に名馬を連れて帰り、良かったですね。と言いました。


老人は決してよかったかどうか、何とも、言えないと言いました。


そして ある時、その老人の息子が、その名馬に乗って落馬して、足を折りました。


村人は 老人に災難でしたね。と言いました。


が 老人はそのことが災難だったかどうか、分からないといいました。


そして、しばらくして隣の国と戦争がはじまり、老人の息子は 足を怪我しているために戦争に行かなくてすみ 命が助かりました。


ざっとこのような寓話であったと思います。

つまり 一体何が良くて、一体何が悪いか、という結論は 一概に短絡的に言えず、私流に解釈すると、つまり「起こった事は全て良し」という論理ではないかと思います。

その論法を借りるのであれば、今年も大変良い年であったと解釈して、私の得意なマイナス思考を排し、陽転思考、プラス思考で来年も頑張りたいなあと思う、今日のクリスマスの一日でした。



どうぞ 皆様方も、素晴らしいお年を迎えられますことを祈念して、今年も拙い「心の応援歌」にお付き合い頂き、誠に有難うございました。     


どうぞ、良いお年をお迎え下さい。




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2022年11月20日

人生の目的・目標

こんばんわ


ここ数日、秋晴れで爽やかな日が続いています。


もう少し、日が経過すると、今度は寒い寒いと言って毎日を過ごします。


神様が、日本だけにとは申しませんが、日本の素晴らしい世界に誇る四季が、
地球温暖化でなくなりつつあると言われていますが、いつまでも続きますように。



さて、この間は40余年と進めています中堅・幹部対象のリーダーシップ実践禅寺研修会を 京都宇治の当協会の専門道場の心華寺で開催しました。


ウイズコロナ下、当然3密をさけ、研修生も制限させていただき、20名程で一泊2日で開催致しました。


通例 研修生は、リーダーシップということで、中堅・幹部の方が多いのですが、今回は、長年シリーズで御派遣頂いています優良企業の今年入社されました新入社員の方々を、ウイズコロナ下の中で、満を期して多数ご派遣頂きました。‌


加えて 派遣企業様先は 10数年に亘り 計100名余の御派遣を頂いています 日本のトップクラスの企業様と 20代から50代まで,今回は、各、年代層の研修生にお集まりいただきました。



さすが、このような時期のご派遣企業様は、コロナ下の中での、心身一如の、心の重要性を大切にされておられる企業様だけあって、各業界における 優秀企業様です。


我々 主催者も、毎回、人財教育の責任の重大さと、その感謝の気持ちで、如何にお役に立ち、各優秀企業様がゴーイングコンサーンとしてどうすれば、継続、発展していた頂けるのか、その一念で、運営にあたっています。


毎回の事ですが、度々の関係者と、綿密なる研修内容を精査、打ち合わせを兼ね、今回も開催した次第です。


リーダーシップとは、を主題に 今回は、人生100年時代、人生の目的とは、目標とはをテーマに、各年代が組み込まれるように、スタッフが4班に分けて、それぞれの人生観を、学習して


何度か、申しあげていますが、、孟母の三遷ではないですが、「依(え)心より依所」(心も大切であるがその心を発揮する場所が大切)とも言われ、環境はやはり大切ですね。


このような人生100年、人生を歩む大切な命題に、質素な禅に基づく食事、坐禅道場における自分をふりかえる坐禅、境内1万坪を作務(清掃)、日本の伝統の茶道研修とか、体験、実践の中から、人生を歩む真理を学んでいただく。


そこに 日本人に流れるDNAの魂が、存在する事が、研修を通じ、感じ入り、担当する我々としましては、大変大切な研修であると、自負めきますが再度、確認させていただいた次第です。


我々の研修会の担当セッションでは、禅問答の精神を取り入れた相互啓発方式による、「時は命」を体感しながら、個人学習、班討議、発表、トレーナーコメントで進めていきました。


各年代の人生観による討論は、このコロナ下における、閉塞感、心の在り方、安寧などを含め、それぞれ立ち位置で、人生を模索しなが、学習していただいたもの思われます。


2日目の最終の班の振り返りの懇親会とか、禅の見性による振りかえり、各自のレポートでの感想文から、人生を歩む上での、大いなる問題提議として、とらまえていただいたようで、我々トレーナー陣としては、ホッと安堵した、時間なりました。


さて、皆様は、人生の目的、人生の目標となると、どのような事が、思い浮かばれるでしょうか。


今回は、先週開催しました40余年と開催しています、リーダーシップとは、との研修について、ウイズコロナ下の中での、人生の目的、目標について、研修生と共に2日間寝食を共にしまして、それぞれの人生観に基づき討論しました事について、述べてみました。



機会がありましたら、人生100年の基本の生き方について、研修生と纏めました、回答を述べてみたいと思います。


その折の資料が必要な方は、どうぞ、ご連絡下さい。


日ごとに寒さに向かいます。

季節の変わり目です。


お身体ご自愛ください。


最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。




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2022年10月16日

回覧板

今晩は。

ここ1〜2週間で一気に寒くなりましたが、又、少し暖かくなりましたね。

3年余り続いてきたコロナも、これからはウイズコロナとして、共に共存して生きていかないと、日本経済、世界経済がたちいかなくなるし、又人類の心の拠り処、安寧の欠如で、最近の世界情勢を鑑みても、その影響が出ているのではと、そんなことを憂う最近です。


さて、日本の素晴らしい社会生活の一つとして、「向こう三軒両隣」という日本独特の制度があります。「修身斎家治国平天下」まず、自分を治め、そして、家を治め、その基盤の上に、国が良くなり、そして平和につながるという諺です。


その原型である、向う三軒両隣で、年に何回か、回ってくる回覧板があります。


私は 今まで町内会の地域社会に、お世話になりながら、家内に任せているというか、逃避しているというか、余り積極的に関わって来ませんでした。


家内からは 近所の人の名前ぐらいは憶えてほしいと、小言を言われる始末でした。


最近は、晩節を迎え 関わりあいが増えてくる時にと思い、日本の独特の多分 世界で唯一と思う、回覧板を見る機会が増えてきました。


この間 回ってきた回覧板は、振り込め詐欺の様々な手口の事例や、悪徳業者のだまされやすい手口に対する、アドバイスの記事でした。


よく新聞紙上で振り込め詐欺に何千万、何億円とひっかかる二ユースが後を絶ちません。

これだけ世間で問題になっているのに、なぜ引っかかるのか不思議で仕方がないと思っていましたが、この間、そのような私に限ってと 言う人ほど、引っかかる確率が高いとの事。

そのようなニュースを聞くたびに あるところには、あるのだなあと,、違ったところで感心しています。


私の家でも、電話のところに、大きな赤い字で、「振り込め詐欺に気を付けて」、と紙が貼ってあります。

兄の家では、子供が提案して、この電話の会話は留守番電話に吹き込んでいます。と言うアナウンスを付けていますね。


さて、その回覧板に、様々なだましの手口が書いてあり、よく人の心理を掴み、
思いつくなあ と感心して読んでいました。


ここに回覧板に出ていた 騙されやすい手口を、私自身のチエックも兼ね、参考までに記してみたいと思います。


1,還付金詐欺。市役所や税務署等の公的機関の職員を装い、払いすぎた医療費が戻る。税金が戻る。などと言ってスーパーやコンビニ等の一目につきにくいATM(現金自動預払機)まで誘導し、還付金の手続きと思わせて、ATMを操作させ、お金をだまし取る。


この件は高齢者になるほど病院通いとか、入院が多くなり、医療費がかさみ、案外弱みを付け込まれるかも知れませんね。


2,オレオレ詐欺。家族や警察官、弁護士などを装って、電話で家族が事故にあった等とウソを伝え、解決のために、示談などの名目で現金を指定の口座に振り込むよう要求する。


昔から 詐欺の定番のようですね。

この間、大阪のおばちゃんでは、と茶化し、反対に電話の相手に、「あんたお金かしてくれへんか」というユーモラスな記事が出ていました。


案外、人の狼狽する心理をうまく悪用して、冷静な時は考えられないですが、昔から後を絶たない事件ですね。


3,架空請求詐欺。携帯電話や、パソコンのメールなどで、アダルトサイトの利用料や、借金の返済要求など、身の覚えのない支払いを要求してくる。


請求画面が張り付いて消えないことも。


今後、この種の架空詐欺は益々気つけなくてはならないでしょうね。

4,融資保証金詐欺。金融機関などを装い、オリコミチラシやメール等で、低金利融資即日融資をと、もちかけ、保証金やブラックリスト抹消料などと称し、お金を振り込ませ、融資はせずにだます。

これも、人の弱みに付け込んだ悪質な詐欺ですね。


悪徳商法では、1,点検商法。無料で点検しますと業者が訪問し、すぐ補修しないとと危ないと言われて、リホームしたりする。


よくタダ程怖いものがないと言われるように無料というのは、気を付けた方がいいですね。



2,催眠商法(sf商法)。近所の空き店舗で格安で品物が手に入り、楽しい話も聞けるので、通っていると高額な商品を買わされた。この種の話は昔から多いですね。


3,かたり商法。水道局や消防暑などの公的機関を装って訪問し。浄水器や消火器等の商品を売る。


どうしても我々は公的機関の名前に弱いので、付け込まれる事が あるかもしれませんね。


4,利殖商法。値上がり確実。必ずもうかると強調して投資や融資を勧誘する。


私も長年生きてきましたが、楽して儲かる事は、なかったですね。


欲を出して、損をしたことは少々ありますが。



5。劇場型投資詐欺。A社から自社の株購入を勧めるパンフレットが送られてきた後,B社からA社株を高値で買いとるので、代わりに買って欲しいと電話で勧誘してくる。


A社、B社を名乗り共謀して消費者に購入しようとさせる手口で、これもうまい話はないということです。


以上、この間の「向う三軒両隣」の日本の誇るコミュニティの自宅に回ってきた、回覧板について述べてみました。


私自身も、うまい話はないということで、他人事と、とらまえないで 詐欺には気を付けなければと思い、秋の夜長に述べてみました。


天高く馬肥える秋ですね。


日本人の持つ、風情(ふぜい)の心を確認したいと思います。


今回も 最後までお付き合い頂き 誠に有難うございました。


どうぞ、秋を満喫ください。


senba206 at 20:26|Permalink│Comments(0)│

2022年09月11日

エリザベス女王

お早うございます。


9月の半ばにさしかかっても、まだまだ残暑のような暑さですね。


そういえば母が2006年(平成18年)9月15日に、享年93歳で他界しまして、早いもので、間もなく18年になります。


いま、その当時の朝の風景が鮮明に思いだされます。


15日に黄泉の国に旅立ち、寝屋川での実家での葬儀を終えて自宅に戻りました。

確か9月18日だったと思います。


朝 会社に行こうと玄関を開け、表に出ました。


何とも、表現し難い、時間が止まったような静寂な灰色のひんやりした空間に、赤トンボの大群が、何百匹と舞っていたと思います。


玄関を出た前の道で乱舞していました。

私のすんでいるところは枚方です。


その時、咄嗟にお袋が 黄泉の国に行く前に、赤とんぼに乗って、立ち寄ってくれたものと思わず、暫し、立ち止まって嗚咽していました。


今 もって、思いますが、あの時の、静寂の灰色の、時間が止まった光景は、一体何だったのか。


フラッシュバックして、お袋がと、信じてやみません。

何を申したかったと言いますと、今、その時の9月です。温暖化ともいえ。


赤とんぼが、それも大群が。


遠い遠い昔に、母から、母の生まれ故郷の田舎(今現在も風光明媚な里山です)で、私が、母と一緒によちよち歩きで、赤とんぼの大群を追っていたことを 何度か、私の2歳〜3歳の時の思い出として、聞かされていたことが、淡い、淡い記憶としてあるからなのか。はたまた、幻影なのか。?心が研ぎ澄まされていたからなのか。


さて、本題に。

イギリスのエリザベス女王が96歳で亡くなられましたね。


私が海外に雄飛したいと思ったそのきっかけが、実は、先日ご逝去されたエリザベス女王なのです。


昭和28年(1953年)故エリザベス女王の戴冠式がイギリスのロンドンで営まれ、いまの上皇陛下が 皇太子殿下の時代に、昭和天皇の名代として、イギリスのロンドンに40数日かけて出席されたという記事です。

忘れもしません。


学校の階段の下の、子供新聞で、その記事を読みました。

私は当時小学校3年ではなかったかと思います。

「ェー、世界は広いな、イギリスのロンドンにいくには40日かかるのか。」と。


皇太子殿下は、当時は飛行機での渡航も出来ず、船で回られたとの事ですが、当時の私には、子供心に大変衝撃的な記事でした。


世界は広いなと。

僕も、海外に、そして、イギリスのロンドンに行ってみたい。



そんな思いが、子供心に潜在意識として、インプットされていたものと思います。


「思いは成る」この事は、私の今の仕事に大変影響を及ぼす事になりました。


何度か、ブログで述べていますが、昭和45年26歳の時、初めて、私が仕事で海外視察に渡航したのは、その小学校3年の時の学校の階段の下の子供新聞の小さな記事で、憧憬したロンドンでした。


その後30数回海外にでる機会がありましたが、よく皆様にどの国、どの場所が一番良かったですかと尋ねられます。


私は、ロンドンの夕闇迫るヒースロー空港に、当時は ジャバラは当然なくタラップから、降りた瞬間が、今でも鮮明に、一番感動として思いだされます。


感激家の私です。


あの幼少の夢に見たロンドンに 今、自分がその大地を踏みしめたと。(時代背景として当時はマダマダ海外に出る人は限られていた時代でした。)



その後、故昭和天皇が 昭和46年に50年ぶりに、そして、故エリザベス女王との面会をされるという事で、欧州に行かれた時に 私も たまたま欧州に行っていました。

私が スイスのチュリッヒに滞在していた時に、丁度昭和天皇が、チュリッヒ国際空港に着かれました。



日本人として、感動を覚えながら、お出迎えに行った思いでも、蘇みがえってきます。


そして、昭和天皇が、欧州旅行の目的であるエリザベス女王に面談されました。

私は、2〜3日遅れてロンドンに着きましたが、その当時のエリザベス女王と昭和天皇が馬車に乗り、バッキンガム宮殿まで、行幸される姿を 現地のテレビ放映で何度か見て、誇らしく、感動したことも思いだされます。

、当時、世界のトップニュースとして、世界を駆け巡った出来事は、昭和天皇がイギリスの英霊墓地に参拝された事でした。(世界の当時の天皇陛下は、第二次世界大戦の、最後のご存命者として挙げられていました。)


日本の皇室の在り様が、我々が思っている事との相違に 驚きを覚えた事も 併せ思いだされます。


先般 ご逝去されたエリザべセス女王との関わり合いが、恐れ多くも 私の人生の方向付けを決めたといっても過言ではないニュースを、大変 感慨深い気持ちで。


そして、また、私のルーツを再度鮮明に辿る出来事として 哀悼させていただいた次第です。


天気予報によると、ここ一週間は30数度になるとの情報です。


温暖化が進んでいるのか、秋はどこまで、近づいているのか。

どうぞ、体調を崩されませぬように。


今回も最後まで、拙い私の思い出にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。


senba206 at 10:47|Permalink│Comments(2)│

2022年08月21日

気骨

こんにちは、


夏季休暇(盆休み)は如何でしたか。

私の方は、3年ぶりになるか、娘の家族(孫3人。男ばかり,高一。中一、小2)と家内と、伊勢方面に一泊で行ってきました。

通例、毎年正月休みと、盆休みは、どこかに行っていました。


コロナが増加している中で、娘も、旅行については、悩んでいましたが、私の押しもあり、また孫達もと思い、敢行しました。


結果は思い切って行って、家族の心のふれあいによる交流が、久しぶり出来て、楽しい思い出に残る「盆休み」になりました。

皆さまはどうように過ごされましたか。


さて、去る11日に世界で活躍したファッションデザイナーの森英恵さんが亡くなられましたね。


センスのない昭和生まれの 無骨な時代を過ごした私です。


世界で活躍する森英恵さんの名前は、日本人の誇りとして良く知っていました。

男物も,ハナエのブランド物として、高価な商品でした。


ただ お名前は世界のファッションデザイナーとして、存じていましたが、センスのない私ですので、名前ぐらいでした。


亡くなれらた事で 各マスコミの追悼報道番組をみて、私自身も大変感じ入る言葉がありました。


森英恵さんの過去のインタビューの中で「あなたは、世界のファッション界をリードする立場になられた秘訣は、経緯は何ですか。」というような質問がありました。

森英恵さんは、昭和40年(1965年)の40歳の時にニューヨークで初の海外コレクションを発表されています。


逆算すると、森さんが 初めて、ファッションデザイナーを目指してアメリカに渡航されたのは、昭和30年代の日本がまだまだ、戦後の貧困の混乱の時期と思います。

「雑貨店で日本の衣服類が、メイドインジャパンとして、安かろう、悪かろうで、廉価な費用で二束三文で、店頭に雑に売られている状況を見て、日本人として、大変な恥ずかしさと、情けなさ、屈辱感を味わいました。


その時の秘めたる、反骨の気骨に溢れたエネルギーが、今日ある原点です。」とコメントされていました。


実は、私自身も2回目の海外渡航はアメリカで、フオード、クライスラー等を含め、アメリカの先端技術を学ぶ視察でした。


26歳の時、森さんが初めてアメリカに行かれて 遅れる事、10年〜15年あとでした。


昭和46年(1971年)の事で、1ドルが360円の固定相場の時代でした。

ドルの持ち出しに制限があり、200ドルで、日本円で換算して約7万円ほどでした。


ある意味では、戦争に敗れ、日本が世界に追いつけ、追い越せと、一億人が、がむしゃらに突き進んだ復興の途上の時代であったと言えます。


私が見た風景は
お土産物屋で、安い廉価な商品はほとんどメイドインジャパンでした。


日本はこんなところまで頑張っているなあ、との熱い思いと、「今に日本は」そんな複雑な感情を持った視察でした。



英語の勉強と思い、シカゴで休日の折、一人で映画館に入りました。


映画の筋書きは忘れるよりは、理解できませんでしたが、忘れもしません。

船の場面でした。
何か船内でいざこざがあり、何かの拍子で、船員が船室のドアを持ちました。

そうすると船室のドアが外れました。


私のつたない英語のヒヤリング能力ですが、「メイドインジャパン」と叫んでアメリカ人がドアの取っ手をもって倒れました。

映画を見ていたアメリカ人がその風景を見て、嘲笑してどっと笑いました。


日本製品は粗悪品の代名詞として、アメリカでは有名だったんですね。


私は、その時屈辱感で思わず席を立ち、退出しょうと思いましたが、席を立つ勇気もなく最後まで、見るともなくただ黙して座っていた思い出がかぶります。


今に見ておれ。そんな気持ちを持った50年前でした。


当時は、日本はまだまだ、貧しい劣等国と位置付けられていました。


森英恵さんが、今日ある好奇心、チャレンジ精神は、その時の二束三文に積み上げられ衣類だったというお話に、私自身の億万分の一の取るに足らない経験から、大変共感したインタビューでした。


また、森英恵さんは、このような内容のお話もされていました。

アメリカを旅行中に見たオペラの蝶々夫人の扱い方にも、日本人として全く怒りを覚え 、常に日の丸を横に掲げ、今日の 今の私のエネルギーになっています。


というコメントもされていました。


やはりどのような世界でもあれ、いきどおりとか、気骨、反骨精神が心の中に、バックボーンとしてないと、大成しないのでは、幸せにならないのでは。


そんなことを、思ったったインタビューでした。


森英恵さんの追悼報道番組をみて、私のアメリカでの実体験と照らし併せ、単なる、私のように、ゴマめの歯ぎしりに終わらない気骨に、感じ入った次第です。


今回も、いつもの大仰な文章になりました。


まだまだ、コロナは、日常化して今後も続くと思われます。

残暑が続きます。

どうぞ、ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂きまして誠に有難うございました。


senba206 at 10:31|Permalink│Comments(0)│

2022年07月24日

無常

こんにちは。


 又、コロナが。

そのことは別にして。

先日は、世界に速報で駆け巡った衝撃的な事件がありましたね。


共通しての世界のコメントは、法治国家の最たる国として有名な日本の国で、日本の前安倍総理が銃弾でなくなるという衝撃的な報道でした。


又、日本中の国民の何らかのかたちで、目頭をおさえられたおぞましい事件であったのではと、思います。


今をもって、亡くなられた奈良の西大寺の駅前には献花が絶えないとの事です。


私は仕事の関係で、10数年前、東京の帝国ホテルで、あるテレビの二ユース解説者が、テレビ局を辞し、政治評論家として、独立される発会式があり、その会にご招待を受けました。


そこに、故安倍前総理大臣が、総理を辞され一介の国会議員として、ご出席されておられ、ご挨拶させていただいた機会がありました。


各界の名だたる著名人、政治家が50名程が、お祝いに駆けつけておられました。


その折、私はご挨拶をさせていただいての印象は、私の今もって敬愛する故安倍前総理大臣に、大変失礼な表現を使いますが、おぼっちやんという、線の細いイメージで、まさか、又、日本の、世界の顔として活躍されるとは。


全く及びもつかない思いを持った記憶が、何か、胸を締め付けられるような原風景と重なって、蘇ってきます。


その後、今から4〜5年前になりますか、故安倍前総理大臣との奥様とのご縁も、大阪で奇しくも頂き、本当に気さくな、人を包み込む素晴らしい笑顔に接した経緯もあります。

SPの方は全くおられず、名刺交換をさせていただき、携帯電話番号もあり.記念写真も気軽にツーショットさせていただきました。



そして、これから山口に帰られるとの事で、一人で会場をあとにされました。


我々は、お忍び旅行ともいえども、一国の総理大臣の奥様です。


有名人として、一人で大丈夫だのかなあと、心配した記憶が重なります。


すこし 今回のテーマの前置きの思い出話になりましたが、故前安倍総理が、発砲され倒れた直ぐの心肺停止で、仰向けに横たわれたお姿が映だされていました。


私はその映像に、まだまだ、志半ばで倒れた、故安倍前総理の胸に去来したものは、一体何だったろうか。


胸が締め付けられ、無常という言葉が浮かんで来ました。


「無常」万物は生成流転し、永遠に変わらないものは一つもない。

私のそらんじる愛句の私の人生観に繋がる、鴨長明の
方丈記の序文の一説が再度、浮かんで来ます。


      ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、
      よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、結び、久しくとどまりたるためしなし。
      世の中に ある人と、すみかと、又かくのごとし。


又「白骨の章」にある、朝(あした)に紅顔ありて、夕べに白骨となる。


まさしく、故安倍前総理は朝 奥様に、行ってきますと、笑顔で、家をあとにされ、夕方、白骨となられました。


お茶の世界の一期一会(いちごいちえ)。

親鸞上人の「明日ありと思う心の仇桜(あだざくら) 夜半(やはん)に嵐が吹かぬものかな。

又、私の好きな愛句で、この句も無常に通じる、豊臣秀吉の辞世の句である、


      露と散り、つゆと消えにし、吾が身かな、浪速の事も、夢の又、夢。


今回は、先般の世界を揺るがしたセンセーショナルな誰もが、驚愕した訃報について、無常の世界を感じると共に、さらに一歩進んで、その奥底の真意である

      今日は最良の一日,今は、無二の好機。
      昨日まではリハーサル。本日只今出発
禅の教えである、
      人生は一呼吸一呼吸の連続により、彼岸に向かって旅をする。

無常の深い意味あいを噛みしめて、人生「無常」。

今日を精一杯素晴らしい人生として、生きる事を再認識させていただいた出来事でした。


今年の夏は、空梅雨で水不足も心配されましたが、連日の雨で、何とか、解消されるようで、ほっとします。



連日猛暑が続きます。

どうぞ水分補給をしっかりとってご自愛専一に。


今回も、最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。




senba206 at 13:34|Permalink│Comments(0)│