September 17, 2016

午前10時の映画祭

今日は

まだまだ暑いですね。

いつ秋になるのかと思います。

皆様方は 映画の観賞は好きですか。

私は第1回からのフアンで「午前10時の映画祭」と銘打って 過去数十年 国内外で上映された映画の中からの名作を 30数本1年間リバイバルで上映される映画祭が大変すきです。 


今年は7年目を迎えました。映画は好きですが 普段、時間がなく、中々封切りの映画は観にいけません。


「午前10時の映画祭」で上映される映画は過去に世界で何万と上映されてきた映画
から 選りすぐで上映されます。


昨年は、イタリヤ映画のソフィヤ・ローレン主役の「ひまわり」と三国連太郎、左幸子主演の「飢餓海峡」を見ました。


私は好きな映画は何回でも観ます、どちらの映画も何回も観みています。
全て共通に流れるのは 人間の持つ人生の機微、情愛です。

特に「飢餓海峡」は5〜6回は観ています。

もっと観ているかも知れませんが。


何度見ても 名作は見るたびに新な感動と気づきがありいいですね。

今年はキャサリン・ヘップパーンの大人の男女のラブロマンスで1955年公開の「旅情」を観てきました。

この映画は丁度イタリヤのベェネツィア(ベニス)でオールロケで撮られたとのことと 映画の題名で初めての映画でした。


イタリヤのベェネツィアには仕事とプライベートで何回か行ったことがりますので、場面場面が 大変懐かしく観る事が出来ました。

映画に流れる音楽は多分 若い方々も ああこの曲かと思われる事と思います。


実は私も観て、初めて「旅情」のテーマソングであることを知りました。
ある場面のメロデーは男女の情愛が物悲しく 切なく聴こえ、ある場面でのメロデイは、大人の恋の高ぶりに。

映画の中の主人公になって。


そして、今日は黒沢明監督の昭和27年の芸術参加作品の「生きる」を観てきました。


今回の第7回の映画祭で、春から上映を待ち望んでいた映画です。


この映画は多分10回は観ています。


DVDも持っているのですが、やはり映画館で観るのと迫力が全く違います。

何故、この映画にそんなに一回はともかく10回以上 観に行って、筋書が解かっているのに 「面白ですか」 多分不思議に思われるのではないかと思います。


製作が昭和27年で、終戦後6年〜7年の映画です。


昭和の戦後のまもなくの世相の状況が、匂いが、色濃く描写され、時代背景と共に、大変郷愁を呼びます。

役所の人間関係、並びに、今もそんなに人間模様、人間の持つ機微、愛は変わってはいないと思います。

出演者の発するセリフの意味合いも 全く今と変わりがないと思います。

確か、従前にもこの「生きる」については 書かせてもらったと思います。


世界の黒沢と言われるだけの日本を代表する名作の一つと思います。

何度みても 役者のセリフはそらんじられるぐらいですのに、場、場で涙腺が緩んで困りました。

この「生きる」の映画の内容については、先週から2週間と梅田で、その後、2週間難波で上映されます。

他の地域の方々も含め 全国の映画館で上映されています。

「午前10時の映画祭7」で検索下さい。

もし、お時間があられ、興味があられましたら、観に行かれては如何ですか。(DVD・CDも販売されています。)

私は、自分の人生の生き方に大変影響した映画で、 今の仕事の中にも。研修の材料に良く使わせていただいています。

映画の内容は 一言で言えば、末期がんで、後半年であると宣告された一人の役所人生の定年をまじかに控えた初老(志村喬)の生き様です。



さて、今、リオでパラオリンピックが開催されていますね。

我々は簡単に不可能はないという 言葉を使いますが 今 開催されているパラオリンピックの中継をみていますと、、そんな言葉は軽々しく言えないなあとつくづく思います。

この間も、両腕が交通事故で10歳の時に無くした選手の卓球の試合の中継をみました。


足でピンポンの玉を上にあげ、口でピンポン球を打っておられました。

人間の素晴らしさに、感動以外なにものでもないと思いました。

歳と共に涙腺が弱くなり涙ぐんでみていました。

今回は 今朝10時よりみた映画を 春から大変楽しみに 心ワクワクして待っていました黒沢明監督の名作の「生きる」について 記さしていただきました。

今月も最後までお付き合い誠に有難うございました。

お元気でお過ごしください。


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August 20, 2016

夏季休暇

今日は

暑いですね。

夏季休暇は如何お過ごしでしたか。


私は8月11日から17日まで一週間ゆっくりと,と言いたいのですが 孫(男ばかりで上は小学校4年、真ん中が小学校1年、そして2歳で姫路在住)のおもりで大変でした。


一週間のスケジュールは 私の谷口家の墓参りと家内の兄さんの初盆で石川県の大聖寺に車で家族6名で二泊三日の家族旅行。


道中 従前に娘が小学校の頃、毎年家内の里に帰る道中にある福井の三国海岸での海水浴で、孫達と少し、遊んでから、大聖寺へ。


帰阪してから 今、封切りしている ウオルトディズニーのアニメのジャングル・ブックの映画を上の孫二人で鑑賞。


この映画は孫達の要望ではなく、私が是非見たい映画で、中々 動物達も本物のように 大変リアル創られていて、大変見応えのあるアニメ映画でした。


孫よりも。私が楽しんでいたようです。

何故 この映画にこだわったかと言いますと 我々の年代の人は多分漫画で読んだ事があると思いますが、今回の主人公の少年と同じような境遇で 「少年ケニヤ」という題名の漫画が 私が小学校の頃大変ブームになった事があり 私の愛読漫画でした。


その印象が強くこのアニメ映画は私が孫達を強引に誘った次第です。


孫達はあまり見に行く気もなかったようですが、私に押し切られたようです。
しかし、見終わると結構楽しかったと言っていました。


皆様も機会があれば 見に行かれたらいかがですか。

結構 楽しく迫力があつて、童心に帰ぇって面白いと思います。

そして、プール、枚方パーク 蝉取り、ゲームセンターと何かと、一週間は、そのようなことで孫達とまごまごしながら過ごした夏季休暇でした。



このような一週間も もう少しすると孫達も大きくなれば、一緒にいくような機会もないだろうなと思いながら、又私自身もどこまで一緒にいける体力があるのか。

とそんなことを思った今年の一週間の私の夏季休暇のスケジールでした。 


夏休みの件でこのような文章を切なく思い出されます。

           寂しい、悲しい夏休み     水谷修先生


私は 数年前の7月の終わりに、ある児童養護施設を訪れました。
その施設は 百人近い小、中、高校生が生活をしていました。

どの子も親のネグレストや虐待、あるいは両親に捨てられて、また、経済的理由から親と生活できない子です。

私はその施設で講演をしたのですが そこには二十数人の子供たちの親たちも来ていました。講演後 その親たちが自分の子供を連れて 職員の人たちに挨拶をしながら 帰っていきました。

夏休みの一時帰宅でした。

残る子供たちは、帰る子供たちに、「いっぱい楽しんできて」「おみやげ楽しみにしているよ」、元気いっぱいの声をかけていました。

でも、姿が見えなくなると数人の小学校の子供たちが 泣きながら部屋へと走って行きました。そして、ベッドの中で枕に顔を埋めながら泣いていました。。

彼らも帰りたいのです。親の元に。でも帰ることのできない子供たちでした。
私も泣きました。



例の夜回り先生として有名な水谷修先生の記事です。

こうして孫と夏季休暇を過ごした私ですが 数年前にフト目にしたこの記事は 今 こうして打っている時も 目頭を押さえてしまします。


さて、今、リオのオリンピックが開催されていて、日本人の活躍が 連日新聞を躍っています。そのことは次回に譲って。
 


今回は私の一週間の夏休みについて記してみました。


まだまだ厳しい暑さが続きます。

どうぞご自愛下さい。                有難うございました。

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July 17, 2016

選挙

今日は



梅雨明け宣言はまだですが、毎日暑いですね。


真夏到来といったとこですが、お元気でご活躍のことと思います。


この間 参議院選挙がありました。


選挙権を得て以来、このかた、当たり前のことで自慢する話では全くありませんが、選挙は棄権したことはありません。


僕の場合は、僕の一票が日本を動かすというそんな脅迫観念に駆られ 毎回行っています。


当然人選には慎重になり 時折選挙会場に入っても候補者に悩む場合があります。


さて、最近の選挙報道は何か物足りないところがありますね。


選挙当日の投票締め切りの夜8時の時報と同時に 立候補者の当確名並びに、各政党の当確人数、勢力分野が判明します。


私がまだ20代頃の選挙報道は 大体選挙当日の9時〜10時ごろに各選挙区の候補者の得票数字が 何百人単位で、第一回の報道が出ます。


それから,徐々に千票単位ぐらいで、カチャカチャの音と共に、各候補者の数字が増えてきまして、真夜中頃に このまま順調に数字を伸ばすであろうということで当確者の名前が チラホラと出てくるというそんな時代もありました。


時折 数字の低い候補者に数字の高い候補者を差し置いて当確者の名前が発表され時等は
その分析力に驚いた思い出があります。


今は事前の予想とほとんど変わらない選挙結果になり その分析能力には驚かされるばかりです。


しかし 何か、昔の選挙報道の方が、深夜の明け方まで眠たい目をこすりながら、刻々と変わっていく 政局の行方をスリルを持って 何か一緒になって日本を動かしていく過程を味わい 楽しかったように思います。



今回の選挙の大きな特徴は18歳から選挙権を得たと言うことですね。


私自身はその10代の若者の選挙の動向に大変興味を持っていました。

しかし考えれてみれば、今から百数十年前は15歳で元服して 大人として、立派に堂々と大人の仲間入りをしていました。


一部の知識層からは まだ早いのではと意見がありましたが、私は18歳からの選挙権には大賛成でした。


何故なら、新入社員研修等通じて思うことですが、もっと大人にならなくてはと思うときがあります。


何も18歳で選挙権を得たからと言って、大人とはいかなくても、その意識は大切なように思います。


因みに10代の投票率は約51パーセントだったとのことで 関心は今 一つだったとのこと。


自分一人が投票に行かなくても、又行ってもなにも日本は変わらない。

という醒めた一面もあったとのこと。


このことは 今後、我々大人がしっかりと一票の持つ重みを伝えていく必要が大いにあるという思いの選挙でもありました。


 これからの日本の行く末を 是非これからの若者に託すためにも大切な事であると思った選挙でもありました。



一昨日は南仏ニースでテロがありました。40数年前に 何回かニース、モナコ、モンテカルロ一帯にレジャーの動向で視察に行った事があります。


テレビを見ておりまして、その折の町の風景が放映され、当時と変わらず 何か複雑な思いで見ていました。

これから夏本番です。どうぞお身体ご自愛下さい。


最後までお付き合い有難うございました



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June 11, 2016

日本語の妙

今日は



6月も半ばになりました。

梅雨はいつからでしょうか。


空つゆにならなければいいのですが。


私は  雨に何か感じるものがあります。


雨を嫌う人もいるようですが、雨は地球上の全ての生きとし生きる動植物の命を育んでいます。



日本語は 春夏秋冬によって同じ雨が、四季折々によって、春雨、時雨、夏雨、梅雨、とおり雨、秋雨、氷雨 冬雨、寒雨、とか名前が変わります。


このような素晴らしい日本語の言葉が 私は 四季折々の雨の時に思い出させます。


それは雨一つに取っても、心の潤いをもたらします。


この間 新聞で美しいと思う日本の言葉と言う記事を見ました。



私が心に残った言葉を並べてみたいと思うます。


    「おもいを馳せる」

何とも表現しがたい言葉ですね。


好きな人に思いを馳せる。 何か魂が、心が 飛んでいく。そのような気持ちになりますね。


これを好きな人を思う、想像すると言うとなると、何か自分の本当の心が伝わらないようなそんな思いをしますが、皆さんは如何思われますか。

    「お蔭様」

この言葉もいい言葉ですね。

色々な意味合いがあって。


「オレガ オレガの我をすてて、オカゲ オカゲのゲで生きる。

こころ豊かになりますね。


    「ときめき」


 この言葉も素晴らしい言葉ですね。胸がキュとなりますね。


歳を重ねるごとにこの言葉は残念ながら、無くなってきます。


生涯青春、あの世におさらばするまで 心の片隅に留めておきたい言葉です。


   「慈しみ」


 この言葉も何とも言えない いい言葉ですね。

 万物すべてに持ち 清涼になりたい思いです。


 「たたずまい」


 人やものがそこにある様子ですが、そこはかとなく思いが伝わります。


 「ひたむき」


私自身すきな言葉です。一つのものに 目的に打ち込む様子ですが、なにか、心がうたれますね。


それに類似した言葉に「けなげ」という言葉もあります。


毎年 春の新入社員の研修の終了の最後に 「旅立ちに」として送る言葉を述べるのですが、3日間ひたむきに けなげに 厳しい研修について来てくれた研修生を前にして、思わず落涙する時があります。

一生懸命頑張るより、ひたむきという言葉の方が思いが伝わりますね。


 「はぐくむ」


お互いに寄り添いながら心を重ねて成長する。心が通じ合う言葉として、ぴったりですね。

  「うつろい」

時が流れて ゆっくり時間空が進んでいく 少し、もの悲しさの漂うそんな心境です。



梅雨の時期を迎え、同じ雨を季節により 名前を変えるという日本人の持つ素晴らしい感性から、外国人には少し理解が難しいと思いますが、日本語の言葉に表せない「妙」についての、感性を述べてみました。



最近の若者言葉を宇宙語と言うそうですが、しかし いつの時代になっても 上記の言葉の「妙」が理解できる時代が脈々と続いてほしいものと 梅雨の時期を迎え 雨の「妙」から記してみました。

これから、向暑になります。水分を充分取ってお身体ご自愛下さい。


有難うございました。



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May 30, 2016

誕生日

こんばんは



5月も明日を残すのみとなりました。


何か 5月はいつもより早く終わったような気がします。


大体月一回ペースで拙いブログを書いていますが 今回 初めての経験で、すでに今月は書いていたように思っていましたが まだ書いていなく慌てて纏めています。



さて、先週26日は私の誕生日で 色々な方々からメール お花、葉書、私の好物のビールとか 又ガラケイの私に対して、フエースブックでのたくさんのメール等 本当にうれしい悲鳴でした。


事務所のスタッフには デコケーキと私が 管理がまずいということで
カードケースをいただきました。


正直 関係の皆様方に そのお礼の対応に 嬉しくもあり、少し大変だなと 贅沢な思いもしました。



少し 前の話ですが 年賀状を虚礼廃止の意味合いもあり、何か意味もあまり感じられないという事で賀状の廃止をいわれ、今後お互いに賀状交換は止めましょうと、宣告された方がおれれました。



私も当時、何となく同意した心境でしたが 何年か後に その方から、又賀状を再開します。よろしくお願いしますという 葉書を頂きました。



私は その再開されたことに興味を持ち その人に野次馬根性で 中止されたのに、なぜ又再開されたのですかと電話をしてみました。



その方はおっしゃていました。



賀状など 郵政局に踊らされて今までめんどくさいと思いながら、出していたと思っていたが 元旦に今まで何百通と来ていた賀状が煩わしく思っていたところ 数枚の営業の賀状以外 来なくなると 自分自身の世の中の存在自体がなくなったような錯覚に陥ちいりました。



案外人生で無駄だと思っていたことが価値ある事だと 分かりましたとの話が 先週の誕生日の各方面からのお祝いを頂いた事に対して蘇ってきました。



誕生日のお祝いに一瞬 その対応に少し大変だなと思った私がいて 人間というものは その生きている存在が認めれらないと 生きている意味すらなくなるのかなと そんな思いを持った一日でした。



皆様方に対して 感謝の気持ちで お一人お一人、お顔を浮かべながらて返信させていただく心安らかな一日となりました。


その時、こんな思いもしました。


自分がお祝を頂くと嬉しいのに、人には 面倒になり お祝いの連絡を滞る事など 本当に勝手だなと 自分自身を攻めた一日でもありました。



皆様がたの返信には 私の人生の思いでもあります


「昨日まではリハーサル 本日只今出発」を中心に 人生7掛け、49歳の誕生日として再誕して頑張りますなどとそれぞれの方々に お祝いのお礼を伝えました。


そして 同時に世の中にお役に立つように 頑張らねばと切に思いました。


6月に入りますと梅雨の時期になりますね。


8年に一回の日本の伊勢志摩で開催された、サミットも無事終わりました。


上述のお役に立つように対しては、日本に対しても 「一隅を照らすもの、之国宝なり」そんな大それた 思いにもなる先週の誕生日でした。


今回も最後までお付き合い頂きまして 有難うございました。





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April 16, 2016

今日は、


すっかり春らしくなりましたが、お元気でしたでしようか。


一昨日 九州熊本を中心に大きな地震がありましたね。


今も余震が続いているとの事で本当に心配です。

どうぞ 九州の皆様は充分に気を付けていただきたいと切に思います。

早くおさまってほしいものと痛切に思います。


さて、今年も40年余と開催しています恒例の新入社員研修が、今週の月曜〜火曜の一泊二日の合宿研修で一部の研修を残し無事終わりました。



研修成果の程は別に致しまして、延べ300余名様の新入社員の研修生が無事に研修を終えていただき、希望溢れて社会に旅立っていただきました。


大切な研修生をお預かりしました我々にとってはまずホットしている心境です。


今日は午前中に 早速各トレーナー、スタッフが集まりまして 今年の研修の反省会を持ち 来年度に向けて侃侃諤々(かんかんがくがく)と意見を述べあい、終わりました。



日本のこれからの未来を背負って立つ若者が どうすれば素晴らしい人生を歩んでいただくことが出来るのか 職場生活を送っていただくことが出来るのか、の論点での打ち合わせで 来年度の成功を祈念してでの討論でした。



毎年思うことですが 丁度3月下旬〜4月中旬にかけての研修でサクラの時期になります。


常に サクラの開花の時期と散り終わりは お寺の境内での研修の合間によるサクラの鑑賞になります。



こうして振り返ってみますと サクラの観賞で懐かしい甘酸っぱい思い出があります。



私が40数年前の20代の血気盛んな青年時代の事です。



従前にも何回も述べていますが、私は当時海外の仕事をしていまして 丁度アメリカに出張中でサクラの時期にあたりました。


アメリカ縦断の視察旅行でワシントンDCに滞在しました。


丁度、会社も休日に当たり サクラの時期なので、ホテルの近くのポトマック河畔のサクラ見物に出かけました。


本当に素晴らしいサクラの満開の時期でした。


当時、好意を持っている女性がいまして、その女性に下記のような文面で 私なりの精一杯の今で言うラブレターを送りました。

    
    dear ○○子様


   今、出張でアメリカに来ています。ニューヨークからシカゴを経て 昨日 ワシン   トンに入りました。


   今日は休日ですので、先ほどポトマック河畔のサクラを愛でてきました。

   気障っぽく         「ポトマック湖畔にて」碩志(みつゆき)


と 書いて 葉書を送った甘酢っぽいセピヤ色の思い出がサクラの時期になると 時折思い出します。(その人は今、どうされておられるのかなあ)
 


ここ、30数年はサクラの開花と共に研修が始まり サクラの散り終わりで研修は終わる。


そのような位置づけにサクラはなりました。



いづれの時代においても 奈良時代からサクラは日本人の心を揺さぶる花ですね。


在原業平の


     世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし


日本人のサクラに対しての心情を見事に言い表していると思います。

又 私の好きなサクラに纏わる歌で西行法師の詩があります。


     願わくば花の下にて 春死なむ、そのきさらぎの望月の頃


素晴らしい歌ですね。


このように日本のサクラは外国の人には少し理解しがたい美意識があるのですね。



戦前の軍歌にもサクラが登場していますね。


最近は歌われる事が少なくなりましたが 私の若いころは 機会があれば すぐスクラムを組んで同期のサクラの歌を歌ったものです。(貴様と俺とは同期の桜ーーーー)



サクラには 日本人の持つ繊細さ もののあわれ、はかなささ、無常観 死生観が脈々とDNAに流れているのですね。



サクラも散り、しばらくしますと 初夏の季節が巡ってきます。


一昨日から続く九州での地震が早く終わりますように 神様に深く念じて 日本の自然の妙に馳せながら サクラについて思うことを述べてみました。


まだ、寒暖の差が続くようです。

お身体ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂き、誠に有難うございました。




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March 12, 2016

スキー

こんにちは



3月も中旬になりました。


二月に書きましたが文字通り三寒四温ですね。


ここ二三日冷え込んでいますね。


昔から言われます、[寒さ暑さも彼岸まで]とはよく言ったものと思います。



この間の日曜日姫路に住んでいる娘からスキーに行かないかと連絡がありました。


従前に孫も大きくなったので一度スキーでもと話をして実現しました。


確か20数年前に一度 今は亡き兄と兄嫁、長兄の甥 姪と私の娘と行ったこと事があり それ以来となりました。



私は、学生時代は下手のよこづきですが、スキーの同好会に4年間入っていました


そのようなことで合宿は信州のスキー場で冬はよくスキーに行きました。


丁度 学生時代の三回生の冬休みに リックサック一つで何か青春の思い出にと 又、今日まで続いている私の母の性格を受け継いだのか、あまりじっとしているのが嫌いで 山形の当時羨望の的だった蔵王まで行った思い出があります。


大阪より 一人、時刻表片手に、夜の鈍行の夜行列車に乗り 確か東京まで8時間〜10時間程かかり その足で上野に出て、学生でお金もないので又、鈍行で東北本線に乗り換えて山形に出て そして目的地の蔵王スキー場の麓に 夕方着きました。



私と近しい年代の方はよく御存じの事と思いますが 当時 オリンピック金メダリストで世界的に有名なトニーザイラーというスキーヤーがおられました。


そのトニーザイラーが滑ったスキー場として全国のスキーヤーの羨望の場所が その山形の蔵王でした。




麓に スキー場の案内の小屋があり  そこを尋ね 無謀にも私は大阪の学生でどこか
アルバイトの住込みで一か月程アルバイトをさせてくれるスキー小屋はないですか。
と尋ねました。



当時はまだ大阪は新幹線もなく遠い都市として山形の人々は興味を持たれたそんな時代でした。
 

一瞬、受付の方は私の話に驚かれ君は無謀だね。なんのつてもなくよくここまでやってきたねと半分あきれ返っておられました。


私は必死で もしどこもなければこのまま 又、大阪に戻らなければなりませんと訴えました。


その必死の嘆願に同情「では少し待ってなさい。
万が一採用する小屋もあるかもしれないね」
といって 私の今の事情を先方に説明して ほうぼうに電話をかけていただきました。



ことごとくダメで 何回目かは忘れましたが 「来てもいいよと言う小屋があるよ」ということで その窓口の方のお世話で蔵王の中腹にある忘れもしません「三五郎小屋」という名前の小屋を紹介していただきました。




今でもその時の麓から山の中腹にある「三五郎小」に 勇躍勇んで、登って行った足取りが忘れられません。



その時 21歳という学生であるがゆえの一見無謀と思われる行動ですが 願えばなるということと  いけるときには無理をしても行っておく この二つの「思い」は その後の人生を歩んで行く時に 大変勉強になりました。



三五郎小屋の経営者はその時 人が余っていて必要ないのだが 話を聞いてその無謀と思われれる姿勢を買って特別採用したのだよと諭され その時は 本当にその温情に心打たれました。


蔵王の中腹の小屋でその後 約40日住み込みで働かせて貰いました。



一日の行動は 朝と 昼食の時間に給仕をして、夕方の3時ごろから少し自由になり小屋の前で スキーが出来る環境で そして夕食の給仕をするといった毎日でした。



確か3食住み込みで当時のお金で一日500円で 大阪に帰るときは約2万円弱のお金を頂いたように思います。



帰りの交通費になり こうして思い出しますと 小屋を去る時の寂寥感が忘れられません。



その「三五郎小屋」が その後 真ん中の今は亡きスキー好きの兄の新婚婚旅行の宿舎となったといういわれの場所になりました。


その後 一度思い出の旅で行きその折のお礼をと思っていましたが 火事でなくなったとのこと、何とも言えない心境になった思い出があります。


話は戻しまして 今度は3人の孫と娘夫婦との「ちくさ高原スキー場」での一日スキー
となりました。



昔取った杵づかとはいきませんでしたが 何回か滑っている間に勘が少し戻り マアマア パラレルも少し足は乱れましたが滑れました。


リフトに乗って 頂上に向かうとき 時空を超えて 50年前の出来事が脳裏を駆け巡り甘酸っぱい感傷に浸った一日でした。


スキー道具も買いましたので、来年も 元気で持前の 機会があれば 3人の孫達と行きたいものとおもいました。


気温の差が激しい時期柄です。どうぞ体調を崩されませんように。


次回はサクラも散っているかもしれません。



今回も最後までお付き合い頂きました誠に有難うございました。

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February 27, 2016

心眼

今日は

2月も終わりますね。


ここ数日寒さが続いていますが お変わりはございませんか。


これから三寒四温を経て春になるのですね。

3月に入り  後半になりますと 恒例の新入社員の研修が始まります。


300名近い新入社員の研修を受け入れますので 我々スタッフはその受入れの準備で謀殺される事になります。


今日午前中はその新入社員合宿研修会の事前の打ち合わせで10名余のメンバーが集まり検討会を持ちました。



日本の将来を担う若者に対して 頑張らなくてはと言う思いに駆られた会合でした。



毎年ながらこうして日毎に自らテンションを高めて鼓舞して 当日に備えていく事になります。 


さて、私は日曜日の20時から始まるNHKの大河ドラマのフアンで毎年楽しみにしています。


今年は真田幸村の一代記ですね。



我々の幼少の頃は真田十勇士として チャンバラをしたり、漫画等でよくなじんでいました。


毎回大河ドラマのナレーションの音楽が素晴らしいですが 今年は世界的にピアニストとして有名な全盲の辻井伸行さんなのですね。



私には幼少の頃の真田十勇士の思い出の中に全盲の友達の思いが強く残っています。



それは終戦後の20年の中頃のことで 私がまだ5〜6歳の頃のことです。



終戦後の焼野原の時代です。当時子供の遊ぶ道具はほとんどなく 石けり 缶けり、ぐらいが精一杯の遊びでした。


近所に私より一つ年上の全盲の友達がいました。



冬の季節だったように思います。

私がその友達の隣に座っていました。


友達を見るでもなくみていると、その友達は太陽に語りかけていました。



太陽が出てくるとその明かりがわかるのでしょう。「只今汽車がトンネルを抜けました。」


そして太陽が雲に隠れると「只今汽車はトンネルに入りました。もののない時代で
そうして太陽と遊んでいる姿が今でも脳裏に焼き付いています。



その友達は その後1年〜2年して引っ越す事になりました。


確かお父さんは戦死をされ 親一人子一人の家庭だったような記憶があります。



丁度引っ越しをする当日の朝の事です。


お母さんに手を引かれ去ってゆく後姿が 今もって忘れる事が出来ない 子供心に切ない思い出です。



私はその時に「さようなら」といったのか 言わなかったのか 記憶の彼方ですが 何かなにも言わなく じっと お母さんに手を引かれ去っていく友達の後姿を みていたような気がします。


今 大河ドラマでの辻井さんの音楽と幼少の頃の真田十勇士のチャンバラの思いが重なって いまも、その時の姿が私の脳裏に焼き付いています。



今 その友達はどうしておれるのかな。

もしなにかのご縁でこのブログを聞き伝えて
ご存命であれば お会いして あの時の60年前の僕です。お元気でしたかと。 


なにも言わず60年の時空を超えて 共に頑張ってきたね。そんな思いで抱擁したい。 そのような心境です。



その幼少の思いがあり 出来る限りお目のお悪い人がおられますと 体が自然と道案内している自分を発見します。



又 そのお姿に頑張って下さい。と心で語りかけてお話しをしたりしています。



今回は大河ドラマの辻井さんのオープニングメロデーからセピヤ色の 遠い遠い思い出を述べてみました。



今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

季節の変わり目です。お身体ご自愛下さい。

有難うございました。













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January 24, 2016

学友

こんにちは



早いものですね。

もう今年も始まりまして3週間たちました。

お正月は如何でしたか。



私は 姫路にいます娘の方に 年末から正月3日間 今年はどこにも出かけず 3人の男兄弟の孫を相手にのんびりとはいけませんでしたが まあ ゆったりとした正月でした。



先週から本格的に仕事モードになり 今年も又 私の習性であるバタバタして一年が始まり バタバタして一年が終わるようなそんな気がする年初でした。



さて、昨日22日は 本当に久しぶりに大学時代のゼミ仲間が5名集まりまして新年会をしました。



こうして揃ったのは10数年振りぐらいかなと思います。



それぞれ 学友は、現役をリタイヤーして悠々自適の生活を送っているようです。



5名の現役時代の仕事は大学の教授が2名で中学の先生1名 それと私と同業の経営コンサル1名で計5名でした。


後何名か声をかけたのですが日程が合わず欠席でした。
(すでに6年〜7年前に学友の一人は他界しました)



会は、私がまだ現役と言う事で幹事をやらされ 会合の場所等設定して 久しぶりに肝胆相照らした会になりました。



学校を卒業して約50年弱 それぞれの人生を それぞれの人生として それぞれ歩んできたわけですが お互いに髪の毛は真っ白になって容姿は変わったものの 当時のそのままの何も全く変わらない心に触れ、大変嬉しくもなり 懐かしくもあり、郷愁を感じたひと時でした。



最初は久しぶりの再会で少し距離がありましたが 飲むほどに 酔うほどに40数年間の時空を超え 俺、お前で 全く屈託のない 遠慮のない ひと時で 楽しい時間になりました。



お互いに又 の再会で 年一回は会って、お互いの生存を確認する年代になったなあ と笑い飛ばした時間でした。



さて、今年一年 動物の中で、神様だけが人間に与えてくれた目標を掲げ 出来る 出来ないは別にして まず実践し、かけがいのない一日一日を 精一杯楽しみながら 肩の力を抜いて 


             とらわれない、

             こだわらない、

             かたよらない、

             雲のごとく 水のごとく

「日々之好日」で過ごしたいと思う学友仲間よりの年初の思いになりました。


本年もよろしくお付き合いの程お願い申し上げます。


                            有難うございました。


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December 29, 2015

1年間有難うございました

おはようございます。



今年もあと3日になりました。


一年間おつきあいいただきまして誠にありがとうございました。



皆様方は今年は如何でしたか。


私はこうして振り返ってみますと 何か時間に追われた1年でした。


どうも時間管理がへたで 又 歳のせいにして段取りがまずく テキパキと仕事ををすすめることができない モタモタした1年であったような気がします。



来年こそは時間に追われるのではなく 時間を追う一年にならなければと痛感しています。


しかし、お蔭様で元気に今年最後の挨拶をしている自分に嬉しく思います。


そして ご縁のあった方々に感謝報恩しなけらばならないなあと強く思う年の瀬です。



どうも不足不足の1年でもあったような気もします。


先祖の墓参りは少し早かったのですが 先日の日曜日に供養し 昨日はいつものようにスタッフ一同で年末の行事である事務所の大掃除をし そして会食をし 仕事納めをしました。 


今日は私一人が出てきまして 事務所のしめ縄とお鏡 年初のお屠蘇の準備をしまして これから1年間のおふだを返しに 事務所の裏の天満宮さんに1年間の感謝のお礼の挨拶をと思っています。



そして 自宅に帰り 旅行準備をして 娘のいます姫路に行き正月は姫路です。


久しぶりに3人の孫(男兄弟で上は小学校3年、二男は来年が小学校で、3男は1年5か月です)とのんびりとはいきませんがそれなりに楽しんできたいと思っています。



1年間お世話になりました。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。 


                            有難うございました。




senba206 at 10:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 12, 2015

年末・年始の伝統行事

こんにちは


今年もあと2週間余りになりました。


年月が経つにつれて一年の諸行事はなくなりつありますね。



年末も12月に入りますと各繁華街にはジングルベルの音楽が流れ 今年も師走を迎えたなと言う気持ちになりましたが 毎年聞くことが少なりましたが 皆様方はいかが思われますか。



この間 新聞で大切にしたい年中行事20位までの アンケートの結果を見ました。



私は今年初めてハロウインなる行事に参加したりしましたので 西洋の行事が相当ランクアップされて 日本の伝統行事は押し下げれられているだろうなあと思っていました。



が 意に反して大切にしたい年中行事の20位までに 西洋の行事はやっと14位にクリスマスが入り 後は全て日本での伝統行事でした。


上記に記したハロウインとかバレンタインデーとかホワイトデーなどが入っていると思いましたが やはり 日本人のDNAには厳然たる格付けを保っているのだなあと少し安心しました。



因みに大切にしたい年中行事のアンケートから 1位から10位まで列記したいと思いまう。


1位 初詣 2位 家族の誕生日 3位、お盆 4位、年越しそば 5位、お彼岸 6位 年始・年賀 7位、節分の豆まき 8位 結婚記念日 9位 門松・しめ飾り 
10位、母の日とありました。


なお年末、年始の行事として 12位に 除夜の鐘 15位に、おせち作り 17位にお年玉 19位に 年末の大掃除年が 入っていました。


こうして1位から20位までみていますと年末年始の行事が大切にしたい年中行事に8件ありました。


日本人は 年末年始の行事についての思いは大変深いものがあるなあと思いました。


このように年末・年始の行事を 我々日本人は心の思い、ルーツとして大切に育んできて そして日本の素晴らしいの伝統を引き続いてきた精神が 日本人の持つ感性、情感、もののあわれにつながり それが芸術・文化 そしてきめ細やかな繊細なモノづくりにつながったのではないかと思います。


私は少し 飛躍過ぎる考え方になるかもしれませんが 日本のノーベル賞の受賞者が戦後アメリカについで日本が多いのは そのような日本の伝統文化を慈しむ精神・思いが 大きく作用しているのではと 思ったりします。



年末を控え 又新たな素晴らしい一年になりますよう 日本の伝統文化の行事から思いを馳せ 纏めてみました。


一年間 最後までお付き合いいただきまして 誠に有難うございました。


どうぞ 良いお年をお迎えください。


有難うございました。






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November 21, 2015

折々の座右

こんにちは

今年も残すところ一か月強になりました。


歳を重ねるごとに月日が経つのが早いと言われていますが 本当にその通りですね。


私の机の横の日めくりが薄くなってきました。


秋はもの思う秋とも言われています。

こうして人生を歩んできますとその折々に心に触れる言葉がありますね。


その言葉が私の人生に大変影響しながら一緒に歩んできたなあと思います。


幼少の頃 札幌農学校のクラーク博士のボーイズビアンビシャス「 青年を大志を抱け」と言う言葉を聞きました。


この言葉は今にして思えば私が海外に雄飛したいと憧れた原点かもしれません。


思えばなるということを身体で教えてもらった言葉かもしれません。

そのことが学生時代語学を学び そして海外へ30数回渡航できた原因かもしれません。


そして小学生の高学年の時 今は亡き母から 「碩志(みつゆきと読む私の名前です)なあ

「実れば実るほど頭(こうべ)の垂れる稲穂かなあ」と言う言葉があるんやで。

この意味はなあ  秋になると稲穂が成長して大きくなってくるやろ。

その穂の実が多ければ多い稲穂ほど その重さで実が大きく垂れてくるんや。

碩志、いいか 人間も同じやで、大きくなって偉くなる程 稲穂と一緒になるんやで。」



この母の言葉は、仕事の関係上 大変人物を見る時に参考になりました。


確かに 功なった人で人間が出来た方ほど 謙虚で 腰は低く より向上心を持って人に接しておられました。

器の小さい人ほど、背中にステッキがあるのかなあと思うほど ふんどり返って 威張っておられたように思うます。


 私が血気盛んな生意気盛りの30歳頃 当時経営の神様と言われておれらました 松下幸之助会長様との二人だけによるご一緒の時を千載一遇の機会で得ました。


その日本を代表するご本人の形骸に触れ 幼少の母の言葉の意味合いの深さをまじかに体験しました。この出来事は私の人生の指針となりました。


そして、学生時代は校訓であった「奉仕の精神(奉仕の練達)」を学び いかに損得の感情を入れない奉仕の意味合いを知り どのように実践出来るのかが 人生の課題となりました。


この「奉仕の精神」は社会に入って 今日に至るまで私のバックボーンの一つとなっています。



このように人生を振り返ってみますと その折々に教えられた人生訓は 私の今日までの人生をささえてくれていたのだあと感慨を持って浮かんできます。



言葉は言霊(ことだま)と言われています。


これからも言霊の意味合いを大切にして 人生を歩んで行かねばと思う 秋の徒然のひと時でした。


次回は師走になりますね。


日毎に向寒に向かいます。お身体ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂きました有難うございました。






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October 25, 2015

秋の夜長

こんにちは

朝晩は大分肌寒くなりましたね。


今年も2か月半あまりになりました。


お元気でしたでしょうか。


いつも秋の訪れを垣間見るときは みなさんはどういうときですか。


私は秋の虫の声を聴いたときに ああ、秋になったんだなあと思います。



只 その鳴き声も町の騒音にかき消され 相当耳をそばたせないと しっかり聞く機会が少なくまりました。


私は 夜寝るときにいつも 枕元にポータブルラジオを横において 聞きながら寝ます。

この間 ラジオで「虫の声」の歌を大変懐かしく聞きました。

                

                虫のこえ

         あれ松虫が 鳴いている、ちんちろ ちんちろ ちんちろりん

         あれ鈴虫も鳴きだした、りんりんりんりいんりん 

         秋の夜長を鳴き通す おあおもしろい 虫の声

  
         きりきりきりきり こおろぎや、

         がちゃがちゃ がちやゃがちゃ くつわ虫

         あとから馬おい  おちついて

         ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

         秋の夜長を鳴き通す   ああおもしろい虫の声



虫の疑似音を聞いていて すべての歌の歌詞の音(ね)が 幼少の頃に良く聞いたなと感慨深いものがありました。


そういえば 私が今の家に住んで40年になります。


当初は 私の家の周辺は 田園でした。


畑で思い起こせば 夏の時期は食用ガエルの合唱で寝れなかった懐かしい思い出があります。


梅雨の時期になると小さな青ガエルが玄関に入ってきて 娘(当時なので5歳〜6歳の時代)と捕まえて外に 「頑張ってね」 「可愛いね」 といって 外に出してあげた
記憶があります。


今は家が立ち並び 見る影もなく それに応じて草花もすっかりすくなくなり 秋の虫達の住まいが無くなってしまって 何か無常を感じます。



しかし 日本人は どのようなものにも「もののあわれ」を感じるDNAが流れているのですね。



外人からみるとセミの声なども忌まわしい騒音ととらまえ 忌み嫌うとのこと。

万葉集にこのような歌を見つけました。

     

       草深(ふか)み こおろぎ さはに鳴く宿の 
     
       萩(はぎ) 見に君(きみ)は いつか来(き)まさむ



       草深い庭に たくさんのこおろぎが鳴いています。

       そのこおろぎの鳴いている秋の萩の花を見に あなたはいつお越しになら
       
       れるのでししょうか。お会いしたいものです。


何か どんどん 薄らいでいく花鳥風月の思いが懐かしくなってきますね。


明治の文豪 ラフカディオ・ハーンはこうろぎの声さえも やさしさとものあわれに導く

日本人の感性と精神性に驚嘆しています。




時代が変われども 日本人の持つ素晴らしい感性豊かなDNAは残していきたいなあとそんな思いふける秋の夜長の虫の声でした。

今年は暖冬だとのことですが 冬は冬らしくと思う一人です。


寒暖の差が暫く続く時期です。お身体ご自愛下さい。

今回も最後まで おつきあい 有難うございます。




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September 23, 2015

健康寿命

こんにちは


今日でシルバーウイークは終わりますね.

私は今日は仕事があり事務所に出てきました。

皆様方は如何お過ごしでしたか。

私はいつものように孫が3人(8歳、5歳、1歳の男ばかりの3人)がやってきて、てんてこまいでした。

まあ、しかし後数年も経つと近寄ってこなくなるだろうなと思いながら、トンボとりとか

ヒラパーの遊園地とか 車で長浜に出かけたり 童心に帰り休日を過ごしました。


今は亡き母が 孫のお守りは大変だと言っていたことがつくづく思い出されます。


もし母にあの世で会ったとき お母さんの言うとおりだったよ(店に出た方が良いと言っていた母に孫の世話をのんびりして余生を過ごしたら)と一言お詫びしたい。

そんな思いにかられた休日でした。


私は外孫ですが母は内孫でした。

 3人を育てるのは 本当に大変だったろうなとよく思い出します。


実家は生菓子を営んでいますので子供の両親は店にでています。

その間 母が70歳を過ぎて一人で面倒を見ていました。


現在 娘を見ていましてつくづく子供を一人成長させることは並大抵の努力ではすまない一大事業であると痛感するいつもながらの休暇でした。



私は今日は仕事があり  娘らは昼から姫路に帰ると言っていましたが 文字どうり台風一過で  帰ってしまうと暫くは寂寥感で一杯になり 又 家内と二人の生活に戻ります。



さて この5日間のシルバーウイークは次は 2026年で11年後とのこと。。

 娘と話をしていたのですが 11年後はどうしているのかなと 何となく 複雑な思いにかられたシルバーウイークの最終日でした。



それというのも この間 寝たきりではない普通の日常生活が出来る「健康寿命」について日本が世界で1位と発表されていました。


男性は71,11歳で 女性は75・56歳とのこと。


健康寿命の上位5か国は男性は2位がシンガポールで3位はアンドラ4位はアイスランド5位はイスラエルとのこと。


女性は2位アンドラ 3位シンガポール 4位フランス5位キプロスと出ていました。



そして 100歳以上は6万人で女性は約5万3千人で87パーセントを占めるとのこと。

女性はヤッパリ強いなと大変納得した数字でした。


どちらにしても 寝たきりの方が多いようですが 100歳以上は一億3千万人の中で6万人になります。



娘とシルバーウイークの次回は11年先と話をしていまして この間の健康寿命と100歳以上が6万人との記事を読んで  研修の時良くお話さていただく 

        昨日までは リハーサル 本日只今出発

の気で

        今日は最良の一日 今は無二の好機


こんな気持ちで一日一日をと健康寿命を意識したシルバーウイークでした。



今年の秋は比較的秋らしいなと思う天候です。


食欲の秋とも言います。



元気でこの澄み切った秋を満喫したいと思う心境です。



今回も最後までおつきあいいただきまして 誠に有難うございました。


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July 26, 2015

日本の素晴らしい伝統

こんにちは


暑いですね。24日と25日は日本3大祭りの一つである天神祭がありました。


丁度私の事務所の近くの裏にあたるところが天満宮で その開催前後は多くの見物客で賑わいます。


今年は、昨日からもう20数年行っています一泊の人間ドックに入っていましたので 24日だけの賑わいを見ただけです。


昨日は宿泊場所がホテルの32階でしたので、部屋から花火を見ていました。


難波からでしたので、あまり大きくみえなかったのですが それはそれなりに 天空から大阪市の夜景を一望しながらの観賞は それはそれなりにそこはかとなく風情がありました。


天神祭は約1000年続いているのですね。素晴らしい事だと思います。



私は幼少の頃はおみこしとかだんじり、獅子舞が 又盆踊りが各町内会で盛んにおこなわれていました。

又8月の後半には先祖供養をする地蔵盆などがあり、 子供心にそれらの行事が楽しみで心躍ったものです。


しかし、いつも間にか そのような日本の素晴らしい伝統が何故か 軽んじられてきたのかどうか 私が中学生の時などは一つ消え二つ消えなくなっていきました。
 

高校時代の時は神輿の担ぎ手がないとかいって 車で神輿を運びテープレコーダーで囃子を入れ町内会を回っていました。


その光景をみて 日本の国はどこに行ったのかと、何とも言えない虚しさと悲しみを覚えた記憶があります。



幼少の頃は、はっぴを支給され、おみこしを担いで町内を練り歩き 休憩の時にパンを頂いた記憶が蘇ってきます。


当時は食糧難の時代で 神輿を担ぐのが楽しみなのか ひもじさをしのパンをもらえるのが楽しみなのか、そのような時代でした。


子供心にこのたくさんのパンの支給は大変だろうなあと思う大人びた気持ちがあった思い出があります。


当時から苦労性だったようですね。

しかし、何か 時はゆったり流れていたように思います。


ある時期から、日本の素晴らしい伝統を古臭いとか、日本賛美になるとか 国を愛する心に繋がるとか、何とも分かりませんが否定した時代があったように思います。


最近は又 日本全国、各地各場所で日本の素晴らしい伝統が蘇りつつあるようで 夏祭りとか、秋祭りとか 各地域の伝統文化の祭が復活してきました。


だんじりを車で引っ張った時代から 今は人が引っ張るように復活してきたようです。


この人生を折角命を頂いたのなら 又 日本という素晴らしい国に生まれたとするならば 何百年と 何千年と培ってきた先人から脈々と続いてきた素晴らしい日本の自然を思いやる心を、我々は育くみ、その伝統文化を来るべく愛しい日本の子供、そして孫達に申し送る義務があるのではないのかと そのような思いを寄せる天神祭でした。




今日は日曜日で、その祭の喧噪も なかったような そのような静寂なひと時で 人間ドックから事務所に戻り パソコンにむかっています。


これからも厳しい暑さが続きます。熱中症のニュースが毎日話題になっています。



どうぞ お身体ご自愛下さい。最後までお付き合いありがとうございました。

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June 20, 2015

外国人観光客

こんにちは


梅雨の季節になりましたが、今年は例年に比べて降雨の量はどうなんでしょうか。


雨の時は確かに朝 家を出るときは レインコートとか傘などの準備で大変ですが やはり梅雨の季節は 梅雨として降ってほしいですね。


我々人間だけでなくすべての生きとし生きる地球上のすべての動植物に雨は一番大切です。


家の前の猫の額のような庭にも草花を植えていて、又、自宅が郊外のため比較的家を出て駅まで行く道中にも草花が多く この雨で喜んでいるだろうなと思いながら通勤しています。


いくら 水道から庭に水を撒いたとしても森羅万象のすべてを覆い尽くす自然は素晴らしく 神に畏敬の念を持つひと時です。



さて、最近は外国の観光客が本当に多くなりましたね。







円安とか、ビザの関係をゆるくしたりして 日本に旅行に来るのが比較的 気安くなったからのようです。


それと各国の生活水準が挙がったのも一因でしょうね。


今、こうして振り返ってみますと 何回か書きましたが 私が初めて海外に行ったのは昭和45年ですので約半世紀前になります。


何か この間のように思いますが。


当時は日本人が海外に行くというのは まだ限られた時代でした。

一ドル360円の固定相場制で 海外への持ち出しも200ドルに制限された時代でした。


私は当時は仕事で行っていたのですが 時折○○さんと言う名称で日本人の団体さんと一緒になる事がありました。(土地成金と聞いたことがありますが)


日本人はまだ外国文化に馴染んでいない時代でしたので 正直旅の「恥はかき捨て」と言うような時代でしたので 日本人のマナーは現地では相当、ひんしゅくをかっていました。


本当は当時日本は外貨がなく、外貨の持ち出しが200ドルですので、日本円にして約7万円程度です。


どうしてドルを持ち出されたのかわかりませんが 買い物で店の商品をケースごと買うという風景をみて 何か同じ日本人として品性のなさに悲しくなった思い出があります。


現地の人は買っていただけるのでうれしいことなのですが 欧州気質で売れたらいいというのではなく やはり商品を吟味して 買っていただくことが 仕事のプライドになります。



よく腹巻から取り出してお金を支払っている光景も目にしました。


現地の販売員の人がその風景に 見下したような様子をみて 同じ日本人として非常につらかった思い出があります。



フランスの現地の風刺漫画(現在もその風刺漫画で問題を起こしていますが)に 我々は3分しかないという見出しで ルーブル美術館をメガネを掛け 目をキツネ目に書き  肩にはカメラをぶら下げ 館内を疾走して、ミロのビイナスとモザリナ(日本人の定番コースです)を さって見て 立ち去るというコラムを見ました。



私はそのコラムを見て 本当に見事に当時の日本の旅行客を表しているなと ほとほと感心した思い出があります。


実際にルーブル美術館をゆっくり鑑賞すると一か月はかかると思います。



その時代のことを考えると 昨年 しばし仕事を離れ中欧を旅行した折、今の日本人の海外旅行は 欧州並みに こせこせしないで 海外をゆっくり楽しんでいるなあと感じた次第です。



昨年 30数年ぶりに韓国に仕事で行った折に 道に迷ってホテルへの行き方を通りすがりのカップルに尋ねたら、一緒にホテルの近くまで案内いただきました。


30数年前の日本人に対する感情と大いに違っていて大変感動した思い出があります。


今 多くの外国人が来られています。


私のつたない経験、体験から 出来る限り快適に楽しい旅行になり 良い印象を持って帰ってもらったら 嬉しいなあとの思いで一杯です。


 道を尋ねられたり 道に迷っておられる外国人がおられますと 言葉はわからなくても「心のおもてなし」で 出来る限り声をかけ、日本という素晴らしい国を肌で体験していただければなあと思う最近です。


日本の経済を押し上げる最近の外国人観光客の増加に思いを巡らし述べてみました。


これから 日ましに厳しい暑さに向かいます。

どうぞ、お身体ご自愛下さい


今回も最後までお付き合い頂き誠に有難うございました。



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May 16, 2015

無私の愛

こんにちは

ゴールデンウイークは如何お過ごしでしたか。

私は孫達がやってきて 一泊で家族旅行をして あとは男ばかりの3人の孫の世話で明けくれました。(8歳、5歳、1歳)



大昔の話ですが 母(他界)店に出て販売をしていた時期です。(実家は生菓子製造販売を現在も営んでいます)


長兄(現在生菓子を営んでいます)の子供ができ兄嫁も店に出ていましたので 母が孫の世話をすることになりました。


母はどちらかというと 常に表にでる活発な母親でした。


私の小学校、中学校時代に常にPTAの役をするというそのような母でした。


それが 孫の誕生で家に引きこもる事になりました。


それが 母に取ってはある種の苦痛を伴ったのではないかと思われます。



私に時折 我々3人兄弟をやっと育てあげ、また今度は孫の(3人)世話について愚痴の一つも漏らしていました。


私はその折 母にもう60歳も過ぎ のんびりと孫を相手に余生を過ごしたらと 私にとっては 母に対する ある意味では贅沢な幸せと思っていましたが 今 孫を持ってこうして数日間ですが 孫の世話をしてつくづく思うことがあります。


ある意味では贅沢な幸せでありますが 一人の人間が成長していく事は本当に大変であり 本当に無私の心でないと、けして成就しない。


人間に取って尊厳に近い行いでありことを身に染みて感じます

しかし、反面 母に話した「余生はゆっくりと孫の世話」と言った内容を。

 大変申し訳なかったなあとつくづく思います。


つまり現実はこんなに子育ては大変だったのかと。



昔は2〜3人が家族構成の標準で その前の世代は6人〜8人はざらだったような時代もありました。よく言う「昔の母は強かった。」


 本当にその言葉が実感として感じます。

今でも、子育てが大変なのに、私が育った当時は 電気製品等は当然なく ご飯も窯で薪で炊いていました。


私も幼少の頃 長兄から順番にさがってきまして 一番弱い私がご飯炊きの役目になります。


母は兄達に指示しているのですが、竹筒で火をおこし薪をくべ ご飯を炊きます。


外では友達がワイワイ騒いで遊んでいます。

私も心は外ですが 炊き上がるまで薪を調整しながらご飯を炊きあげます。


箸でご飯をついて炊き具合を確認します。


最終的に母が箸を入れ チェツクしていました。

炊き方により焦げができたり(その折の焦げご飯のおいしさが忘れられません) 半炊きとか 炊きすぎるとか、柔らかいご飯になるとか 毎日ごはんの炊き上がりが違っていました。


風呂も当時として珍しく裏庭に風呂がありました。 


これも薪で沸かします。

毎日兄弟で風呂炊き日課になっていました。これも又苦痛の日課でした。


洗濯は 洗濯板で母が常に男兄弟3人のどろんこの衣服手で洗っていました。

今の時代を考えますと大変な時代であったように思います。


私はその折 母とよく会話していたそうです。


男ばかりの3人兄弟の末っ子ですので いつも泣かされ いつになったら兄ちゃん達を負かすことができるのかと。(孫達の兄弟喧嘩をみて思わず苦笑することがあります)


こうして振り返ってみますとすべてが個々の「無私の家族の愛の絆」によって
成り立っていたように思います。


今は 全てボタン一つで成り立ってます。


昔のお母さんの苦労と今のなんでもボタン一つの世界と どちらが幸せなのか、 
何とも言えませんが。


しかし時代がどう変われども子育てに対する「無私の愛」は変わるもではありません。
又 そう思いたいものです。



休暇中に3人の孫達と過ごして 母の日も過ぎて 私の幼少の頃の母の姿が 走馬灯のように浮かんできた 休暇でした。


良く評論家が結婚もしてなくて 子供の教育論とか孫との対応等の話をしているのを見るとき どのような世界でもそうですが すべてにおいて、私の好きな言葉であります「百聞は一見にしかず」

私は、常にこの言葉を大切にしたいと思っています。


今回は休暇中に感じました 親の「無私の愛」につてい述べてみました。

これから向暑に向かいます。


お身体ご自愛下さい。

今回も最後までのお付き合い有難うございました・






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April 18, 2015

新入社員研修のルーツ

こんにちは


サクラは今年は 満開の時期と天候不順の時期が重なって、何かあっと言う間に終わったように思います。


如何お過ごしでしたか。


 私の方は 40年余と毎春進めています新入社員合宿研修会が 終わりホットしている。と申し上げたいところですが、その研修結果のフオロー資料作成でおおわらわと言ったところです。



その作成も 2〜3日前に整い 一部スタッフと手分けして派遣企業先にコンタクトをしながら 企業訪問を開始しています。



連休までに 遠方からの派遣企業様は宅配で送り 大阪近辺の企業様には お届けして 研修生の研修の様子を説明しまして、これからの指導育成の一助になればと思って 進めているところです。



今年は 会場の受け入れ人数もありますが 約350名余の新入社員のご派遣を頂きました。


今回はその新入社員の企画のルーツにつきまして 述べてみたいともいます。


我々の進めています新入社員研修は従前に何度かご報告させていただいていますように 日本の千年余と続いています「禅の精神」を取り入れての合宿研修です。



最近は 3月の下旬と4月上旬の2回の開催で 京都の宇治のお寺を当協会の専門道場として開催しています。



何故、禅寺研修を開催されるようになった経緯はと マスコミ関係者の取材とか 派遣会社様から質問を受けます。



それは私のルーツをさかのぼることになります。


私が5歳〜6歳の時のように思います。

押し入れで遊んでいた時でした。その時に何故か 押し入れの壁に貼ってあった古ぼけた新聞の記事が 目に留まりました。


その記事は水泳競技において (故)古橋広之進さんがロスアンジェルスで1500メートルにおける世界新記録の記事でした。


その記事が 何故か原因は不明ですが、私を日本という意識を強く持った時と思います。


その後 年月を経て 私が勤めていたコンサル会社から独立して 事業を始める時に「禅の精神」を取り入れた合宿研修を進める事になります。 



私は 幼少のルーツの思いからなのか 分かりませんが、20代の頃から30代の初めの血気盛んな年代に全世界といいますと大変語弊がありますが 何十回と海外へ行く機会がありました。

そこで幼少の頃の日本に対する思いとオーバーラップするようになります。


日本は 明治維新以来 急速に世界で活躍できるようになったのは 日本的な発想(人づくり等)が根本思想にあり、そしてその魂が 世界に伍しながら発展していったように思います。


つまり お茶における 守,破、離、の世界ではないかと思います。


戦後は 日本的な発想は 良くなく西洋の考え方が正しいと言ったような風潮が  世の中を謳歌したように思います。


しかし 私はその逆で 今こそ日本的な考え方を踏襲しながら 世界に貢献するといった日本のよさはよさで 確認しながら世界と協調していく。


そのことが日本の志のように思います。

日本的な思いである、常に他人を思いやり 他人の痛みを知り、自分だけがよかったら良いという発想から、 個人と他人との人間関係を重視し(江戸しぐさ) この人生を心豊かに歩んで行くという発想です。


そこには 根本思想である素直な心、 自省の心、謙虚な心、奉仕の心、感謝の心など禅的な心が 潤いのある家庭に 潤いのある職場に そして 潤いのある社会に人生に と 必要最低限の人生訓のように思います。


けして、きれいごとで 絵空事ではなく、新入社員には まず 人間的ふれあいの心を持つことが この人生を歩んで行く 生き方の基本姿勢であることを理解して 人生の門出になればと強く思い進めています。



春は 森羅万象のモノが動き出す季節です。


このような日本的発想を思い 今回は 我々ば進めている新入社員研修のルーツを確認し 述べさせていただきました。


今は 寒暖の差が大きい時期のようです。

お身体ご自愛下さい。



今回も最後までお付き合い頂きまして ありがとうございました。




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March 15, 2015

今日という旅路

こんにちは

急にまた 寒くなりました。体調の方は如何ですか。


私の方は絶好調といきたいのですが、温暖の差で体調が崩れたのか 珍しく食欲がなく 身体がだるいですね。


再来週から 4月の上旬まで40年余と続けさていただいています京都宇治での禅の精神を取り入れました合宿研修会が開催されます。


スタッフ一同その事前の準備で毎年の春の重要な行事の準備でおおわらわと言ったところです。



私は最近は校長先生という立場でお寺に泊まり込みで頑張っています。

今日はその事前資料等を含めたチェックで事務所に出ています。

新入社員に資料として点検していますと 下記のような作者不明の資料が出てきました。






             今日いう生涯の旅路

      
       私は、私の一生涯の旅路において

       今日というこの道を再び通ることはない

       二度と通ることはない、二度と通らぬ今日というこの道


       どうしてうかうか通ってなろう 

       笑って通ろう 謳って過ごそう


       二度と通らぬ今日というこの道 

       わらわれてそこで自省するのだよ


       しかられて そこで成長するのだよ

       叩かれてそこで逞しくなるのだよ


       一輪の花でさえ、風雨をしのいでこそ美しく咲いて香るのだ

      
       嘲笑されるときもあるであろう 笑って受け流せ。

       僕には大きな大きな志(こころざし)があうのだと

       蹴飛ばされる時もあるであろう

       なにこれくらいのことと歯を食いしばって忍べ

       
       苦しい時もある、悔しい時もある 泣きたいときもある

       つらいときもある かなしい時もある 投げ出したい時もある


       それが人生である

       しかし 君

       この道は 幸せを受けた人たちが必ず通った道なんだ



わたし自身の思いも入れて 文章として纏めてみました。



いつの世においては 今の瞬間が人生だといわれています。

私の好きな言葉に 

          昨日まではリハーサル

 
          本日只今出発

親鸞聖人が言われた 
         
         「人生の一大事とはその瞬間 瞬間を大切に生きる事なり」
          
        


新入社員の研修生と一緒に学ぶ資料を整理していまして、なるほどなあと私自身も再確認する資料でした。

よく 言われますように 教えられ側よりも教える方が 勉強になる。

正しく、その通りだなと納得した次第ですs。


暫くは天候は不順になるようです。どうぞ体調にご留意ください。



私も研修を控えて自己管理に気をつけねばと思う今日でした。



最後まで お付き合い頂きましてありがとうございました。

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February 22, 2015

日本人の魂

今日は

まだまだ 厳しい寒さが続いていますがお元気ですか。

2週間程前になりますが、私はひさびさに何年振りかで風邪を引きました。 しかし 一日ぐっすり熟睡しましたらお蔭様で元気になりました。


私の公私に亘ってご縁のあるお医者さんが 現在、風邪を治す薬はなくて もし本当に風邪薬が発見されたらノーベル賞ものですとおっしゃておられ 風邪には睡眠することが一番ですと。



そのようなことを聞いていましたので、丸一日本当に熟睡しました。

一応 薬は市販のクスりを 少し睡眠薬入っているようですので補助で飲みましたが。


普段から 薬が嫌いでほとんど飲みません。お蔭様でかどうか どのよう薬を飲んもすぐに効きます。


私は、自然治癒力に頼っていますが、しかし年齢的に気をつけねばとも思っています。



さて、一昨日 昨日と40年余に亘り進めています我々の主催する合宿研修会の運営に 京都のお寺に行っていました。



ご存じのようにお寺では境内は素足で草履になります。


二日間の研修ですが、結構朝晩は冷え込みまして 朝の早朝6時からの一時間の座禅は寒さとの戦いで 老骨には本当に大変こたえました。



研修テーマはリーダーシップの実践を体験するという研修です。


、研修に流れる主旨はリーダーである前に「自分は一体何者か」このようなテーマで自分自身を内観法でチェツクし,実践していただく研修です。


禅の千年の歴史をひも解いて 日本人の持つ素晴らしDNAを喚起する研修でもあります。



そのようなことを考えますと 皆様方もご存じかと思いますが 終戦直後 進駐軍(化石ののような言葉ですね)として来日した日系2世(国籍はアメリカ人)で、後に日系人として 又 初めての東洋人としてハワイ州の知事を3期務めたジョージアリヨシ氏(当時ですので 多分20歳すぎだと思います)の靴磨きの少年の話が思い出されます。



要約しますと 1945年(昭和20年)日本がアメリカとの戦争に負け ジョージアリヨシ氏がその年に複雑な心境で戦勝国側として日本に来日します。


 あるとき、全くの焦土と化した丸の内界隈の片隅で進駐軍を相手に、靴磨きで生計を立てている少年(7歳)に出会います。 


当時の事ですから 一億人が飢えと栄養失調の時代でもありました。

 
少年は、当然着る服もまともなものではなく、ボロボロの服を纏い 大変空腹感一杯のひもじそうな 痩せこけた少年でした。


ジョージアリヨシ氏は 何か磁石に引かれるように その少年に近づき 靴を磨いてもらいます。



そして、ジョージアリヨシ氏はすぐホテルに戻り パンにバターとジャムをつけ 紙に包み その少年に届けます。



しかしその少年は食べようとしないで、大事そうに懐に入れるのです。



思わずジョージアリヨシ氏は 「何故君はお腹をすいているだろうに食べないのか」と 大変いぶかり 不思議に思って尋ねます。



少年は 今 家に妹のマリコ(3歳で両親は戦争で戦死)がお腹をすかして僕の帰りを待っています。


この頂いたパンは妹に食べさせてあげます。


ジョージ氏は このけなげな少年の態度に 絶句して言葉もなく、これが今はアメリカ人の国籍を持つ自分であるが  我がルーツである祖国が持っていた 義理、人情、恩、家族愛 他人を思いやる精神という事かと。



その後 アリヨシ氏はアメリカに帰りますが、戦後の荒廃した中にも、凛とした けなげな兄弟愛のその少年の光景が脳裏から離れず 何十年後に日本に来日した折に この少年に是非あって その後を人生を聞いてみたいと 探し求められます。


しかし、残念ながら その少年の名前が不明で 会えなかったというお話です。


ジョーシアリヨシ氏はその時の会見で 日本は 今その崇高な魂はどこにいったかと問いかけ警鐘を鳴らされました。


(最近はよく親が子供を 子供が親を 又子供同士の陰惨なニュースを聞く機会が多いようです)


この話はいつも私の心を捉え、頬を濡らします。


今回 研修のお手伝いをしまして 日本人の持つ素晴らしいDNAに思いをはせて これからの研修も 世界に貢献するという、大きな志を持って、頑張ろうと強く思う二日間でした。




2月も残り少なくなってきました。


一日一日を「昨日まではリハーサル、本日只今出発」

そんな気持ちで、人生を歩んで行きたいなあと思った二日間でした。



いつも最後までお付き合い有難うございました。







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January 17, 2015

やおよろず

こんにちは

正月は如何でしたか。


私の方は年末に娘が孫3人(8歳、4歳、6か月と男3人兄弟です)と実家に戻ってきて 31日の大晦日に姫路の娘の方に家内も一緒に行きました。



そして、元旦を姫路で迎え3日に又 揃って我が家にと 車の往復で何かとバタバタした年末年始になりました。



娘らは、孫の始業式の関係上、6日に帰りましたが台風一過のようなそんな表現にぴったりの大変疲れた年末年始でした。


娘らが帰った後は家は家内と二人だけの もぬけのからのような 少し寂寥感の漂ったひと時でした。



さて、今年の初出は大体暦の関係上 5日に集中したようですね。


私の事務所も5日が初出で 毎年の行事であるお屠蘇でお祝いをして それぞれの正月の様子等 又今年の抱負など歓談し 事務所の裏にある天満宮にお参り行きました。



それぞれ毎年の行事であるおみくじを買い一喜一憂するいつもの風景で一年が明けました。


9日は ここも事務所の近くにある堀川神社に 昨年度の笹を返し 又あらたな笹をいただき一年がスタートしました。


どんどん時代と共に正月風景はなくなり 年末年始は少し長い冬期休暇になってきた そんな感じの正月風景になりましたが 私は日本の素晴らしい伝統文化を命ある限り続けて行ければ 最高の人生とそんな気持ちを持つ今年の正月でした。



しかし、時代が変われども神社等のお参りは、元旦に日本人であれば 大体何らかの形でお参りをするという伝統は素晴らしいですね。



世界各国に目をやりますと 比較的一神教が多いですが、日本人は昔から八百万の神が存在するという考え方で すべてのものに神がやどり 命があるというDNAを伝統として引き継いでいます。


私は このすべての森羅万象に 神が宿ると言う畏敬の念を持つこの日本人のDNAが 今日における世界の中の日本を位置づけたように思います。


少なからず  うら若き青年の頃(笑い)「青雲の志」「錦を飾る」「立身出世する」(今は死語の言葉になったようですが)を持ち海外に出た私としては、外から日本を見るという機会に恵まれ 日本の良さを肌で感じた事は大変幸せであったと思います。


海外から羨望されるように日本人のもつ 「わび、」「さび」、そして森羅万象に神が宿り、そして茶道、柔道、弓道、相撲道、華道,歌道, 香道等 全て道(どう)にする つまり、形のない におのいのない、つまり実態のないものに畏敬の念を持ち「道(みち)」にする。


多分日本人だけのDNAを持つ素晴らしい感性(かんせい)ように思います。


年初にあたり 世界でテロが勃発しています。  このような八百万の神を信仰に持つすべてを受け入れる日本人の懐の深さを 最近の海外のニュースを垣間見る時 日本の素晴らしを確認する年初にもなりました。



 今日17日はご存じのように阪神大震災の20年の節目の年で心痛んだ一日でした。



さて、今年も又新たな一年が始まります。

我々日本人は春夏秋冬、森羅心象の自然を畏敬して そのことを心のオアシスに切り替え、切磋琢磨して進んでいく。そして この限りある人生を逞しき切り開いていく。

そのような国民性を持っています。


そんな気持ちで 気持ちで今年も前進したいと、決意をあらたにした年初でした。

何か 肩肘の貼った文章になりましたが 今年も又 よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。


                       ありがとうございました。





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December 27, 2014

1年間、有難うございました。

こんにちは


今年も余すところ5日になりました。 

今日の午前中で会社は終わりで 昼から1月4日まで正月休暇に入ります。


午前中はスタッフといつもの年末行事である事務所の大掃除を終え しめ縄を飾り 全員で近くの蕎麦屋さんで 年越しそばを取り お互いに一年の労をねぎらい 良い年を祈念して解散しました。



こうして振り返ってみますと、お蔭様で公私に亘って大きなトラブルもなく、無事に過ごす事のできた一年でした。

感謝の念で一杯です。


今年の大きな出来事となると、ゴールデンウイークに久しぶりに家内と二人で ウイーン、プラハの中欧の旅が思いだされます。


本当にのんびりとした旅になりました。 


又 娘に私としては3人目の孫の誕生が挙げられます。


私としては健康状態も まあまあ良好で 有難い感謝の念一杯の一年でした。


しかし これからは何が起こるかわからない年代になりました。しかし 常に前向きに そして、その感謝の思いを 社会のお役に立つよう頑張りたいと決意を新たにした 年末になりました。


そして ものの方は午前中に一応形だけでも清掃しましたが 一年間の積りに積もった マイナスの心、そのもとにある エゴの塊である「心のすす」を払うのが全く至難の業です。


万分の一でも努力して、「心のすす」を掃い 新年を迎えたいと思っています。



一年間おつきあいいただきまして誠に有難うございました。


来年も懲りられませず何卒よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。



今年は31日の大晦日の日に おちゆく夕日の太陽に一年間感謝して終わりたいと思っています。


どうぞ 良いお年をお迎え下さい。
               


                      一年間有難うございました。

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December 13, 2014

スポーツジム

こんにちは

今年も 早いもので あと 半月を残すのみになりました。


私は 11月下旬から 広島、九州、東京と出張が続きましたので 余計に時間が経つのが早く感じました。


広島では、訪問先の会社の近くに広島記念博物館があり 少し時間がありましたので  覗いてみました。


今から、40余年前に 一度行きましたが 当時は若かったこともあり 又心の余裕もなかったのか あまり大きな印象がなかったのですが 今回は幼年の生徒の悲惨な展示をみて 歳のせいか最近は涙もろくなって 孫の年代とオーバーラップして溢れる涙を止める事ができませんでした。


是非 まだ行かれた事のない人は 一度は訪問すれば 考えさせられる場所と思いました。



戦争はどのよう事もあっても、2度としてはならないと強く思った見学でした。


この かけがいのない何百億、何千億とある無限の宇宙の星で 神様が唯一創造された地球です。


今の世界の現状を鑑みますと 各国でのそれぞれの事情、立場があるとはいえ 紛争が絶えません。


我々の会社の理念にも世界の安寧に貢献すると謳っています。


この星を創造された神様がおられるとしたら 世界各国での小競り合い、駆け引き、紛争等を 芥川龍之介の蜘蛛の糸でのお釈迦様でははありませんが、又十戒ではありませんが
天上からみておられ 愛想をつかれこの星をご破算にされるかも。

 そんな妄想に取りつかれたひと時でもありました。 


さて 本題に入って 皆様方は健康管理につては どうされていますか。


一億総健康ブームの健康志向の現在です。


私の死生観はP,P,Kです。


つまり 病院でスパゲテーのようの身体に管を巻かれて 寝たきりで生きながらえるよりも、ピン、ピン コロリと人生にサヨナラをしたいと切望しています。


歳の事もあり 体力保持に 2年前から 私の最寄の駅の一つ離れたスポーツジムに 良くて 月4〜5回が,精一杯ですが通っています。


私の健康観は WHOの唱える「健康とは、肉体と精神との合一を健康と言う」趣旨に大変納得しています。


私は 薬とか 病院、サプリメントとか あまり好きではなく、できれば人間の持つ素晴らしい本能にある自然治癒力の能力をフルに活かしたいと思っています。


私の通うスポーツジムには アスレの他に、プール、バトミントン、卓球、バスケット、バレーボール エアロビクス、エアロダンス、太極拳とか多彩にプログラムがあります。



私は 今は水泳とアスレの健康器具で身体を鍛えています。


もっと時間の余裕があれば 時間はつくるものですが いろいろと挑戦したいと 意欲は満々です。


 水泳も最初200メートルぐらいで 息も絶え絶えで 心臓麻痺でも起こすのではないかと思うぐらいでしたが、目標のカルテもコーチの指導のもと作成し 初級コースを受け4まずは 500メールの目標に挑戦しています。



お蔭様で今では 700メートルから1000メートルを自由型で泳げれようになり 目標を挙げ、ねばならない目標からの苦痛から、少し楽しみに変えたいと思っています。



そうして 健康増進ではなく 必ず一日一日 日毎に衰えていく身体に歯止めになればとの思っています。

 
このひとかきが10年後の健康維持につながり、P,P,Kに繋がると信じて。


何か 悲壮感が漂ってきましたが。


もう一つ、 アスレで、健康器具を使って 衰えていく筋肉の強化に努めています。


 色々な健康器具があり、 10キロとか 20キロのバーベルを持ち上げるのに、 フウフウしていましたが、人間の身体って凄いものですね。


鍛えれば鍛えるだけ 頑張れるのですね。


 最近は 偉いもので、 40〜50キロとを持ち上げられるようになりました。


本当に年齢に関係なくな 人間の身体は 上述しましたように 鍛えれば、鍛えるほど 頑張れるのものだなあとつくづく思います。



しかし、歳も考えて あまり いちびっていると とんでもないことになるのではと 気をつけなかればとの思いも大きく 楽しくエクササイズしたいと思っています。



今回は 一年を振り返り つっぱって来ましたが やはり健康は一番だなあと 痛感して 今進めている健康管理の一環としての ジム通いについて記してみました。
 

寒波到来との朝のニュースがありました。



なにかと 年末でご多用になる時期です。

お身体ご自愛下さい。

               最後までお付き合い ありがとうございました。








 






















































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November 15, 2014

サクラ

こんにちは


朝晩はメッキリ寒さが厳しくなってきました。

お変わりはございませんか。


今年ももう11月 毎日は結構時間があるように思えるのですが、こうして振り返ってみますと 早いですね。

この間 新聞で出会い系サイトについてサクラという言葉が出ていました。

そういえば 私も何気なくサクラと言う言葉を使っています。

少し なぜサクラと言う語彙になったのか、疑問に思ったので調べてみました。

皆様方はサクラの言葉の由来をご存じでしたか。

本来の語源は 江戸時代の芝居小屋で歌舞伎をタダで見せるかわりに 公演中に見せ場で大声で役者に「待ってました」とか掛け声をかけたり、今にいうエールを送る事を又 それをする者をサクラといったそうです。


桜の花見もタダで見られ そしてパット散る そのような意味合いもあるとのこと。

何か うなずけますね。


明治時代になると露天商などで 客になりすまして 商品を買って他の一般客の購買を促すなどに サクラと言ったそうです。


私もむかしよく梅田近辺で 服とかネクタイなど道端で 道行く通行人に販売しているのを見かけた事があります。


その折 何名かの通行人を装って その商品に群がり買っている姿を 見ました。


見るともなく見ていますと その通行人(偽客)が 又戻ってきて商品を買う姿を見ました。

そのような方々見て サクラだなと思いました。


アメリカ等よくおとり捜査で 麻薬者になりすまし、麻薬犯罪者に近づくなどのニュースを見て 何かこのような おとりで犯罪者を捕まえる事に違和感を覚えた記憶があります。


私の経験でもう30数年前の事になりますが 
仕事で東京に4日間程滞在し 同僚3人と東京の最後の晩に 気晴らしに又仕事を終えての解放感で繁華街にでようとの話になり、場所が定かではないのですが繰り出しました。

一杯飲んだお酒の勢いもあったのか3人でフラフラと興味深く、夜のネオンの町を歩いていました。

暫くすると田舎者のカモと映ったのですね。

2〜3名の女性が近づいて来て 一緒に飲みに行きませんかと誘われました。 


もしよろしければ 私達の行きつけの安いスナックがあるのでどうですかとの 誘いです。

どうもどこかおかしいなと思いながらも その前に飲んでいたお酒の酔いもあって又 好奇心旺盛の年齢でもあるし こちらは3名だし その勧める店に行きました。



どうも 雰囲気も余りよくなく 我々3名は示し合わせて出ようということで精算をお願いしました。


僅か10分ぐらいでビール一杯で一桁間違いと思う0が付いていて 思わずクレームをつけますと事務所からそれとらしい兄さんが出てきて 何か計算に問題をありますかとの 凄みのある声で言われました。

おとなしい我々3人組は イイエ 別段問題ありませんと言って3人で財布をはたいて
ホウホウのていで店を出た 今から考えたら楽しい 甘酸っぱい青年時代の思い出があります。


その女性の方々が、俗にいうサクラだったのですね。

又 お店などでお客さんサクラ(偽客)になりすまし 店員のサービスなどのマーケティングによる顧客満足度調査なども行われているようです。


そういえば小泉内閣の時にタウンミーテングとして国民との対話集会で 自らの内閣の賛成派の方を集めて参加させて開催したのではないかと疑問の出た一件がありましたね。



サクラの意義の評価は諸般によって分かれるところのように思いますが この間の商法の問題が 一般紙にの大きくサクラと言う言葉で説明していました。


隠語の言葉と思っていましたが 正式の言葉なのかどうなのかと興味を持ち記させていただきました。


日増しに向寒に向かいます。

お身体ご自愛下さい。

では次回は師走ですね。

 
 
                  最後までおつきあい ありがとうございました。



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October 19, 2014

ノーベル賞の快挙

こんにちは


2週連続で台風が週末に日本に上陸して大変でしたね。

あまり大きな被害がなくなによりと思いました。


私は 先週が三連休でしたので週末に娘のいる姫路に家内と車で行きました。

しかし台風が近畿に上陸するということで 日曜日の早々に自宅に帰りました。


しかし、土曜日は二番目の孫の運動会がありましたが その日はお蔭様で少し心配したのですが、晴天で汗ばむような天候でしたので幸いでした。


4歳の孫と 「おじいさん、おばあさんと一緒に」と言うプログラマがあり 孫と手をつないで簡単な 遊戯をし、今に大きくなれば見向きもしないだろうなあと感慨に耽りながら思いながら 至福のひと時でした。


さて少し前ですが 2年振りにノーベル賞で物理学部門で3人が受賞と言う快挙の報道がありましたね。


日本人の一人として大変心躍る素晴らしい出来事でした。


特に日本をこよなく愛する私には 来る20年の東京オリンピックの日本開催決定に次ぐ心躍る嬉しいニュースでした。


ご存知のノーベル賞は ダイナマイト(ケイ藻土使った個体爆弾)を開発し 特許を取って、莫大な資産をもたらしたスエーデン人のアルフレッド・ノーベルが 1896年に亡くなった時に自分の遺産をもとに賞を創設するように遺言を残した賞です。 



世界で最高の賞とされています。


因みにダイナマイトの発見は 自らも莫大な富を得ると同時に 世界の経済発展にとてつもない計り知れない貢献をしましたが 一部戦争に利用されると言う悲惨な結果にも繋がりなり そのような功罪に対して ノーベルは賞を創設したとも言われています。


ふりかえってみますと、1049年(昭和24)日本が戦争に負け 全土が焦土となり うちひしがれている時代に、日本のノーベル賞の第1号がご存知の湯川秀樹先生でした。


終戦前に発見した中間子論がその対象になったとのことでした。

私には全く理解の対象外の理論ですが、その発見が皮肉にも原子爆弾の製造開発の元になりました。


当時 微かに記憶にありますが ノーベル賞受賞は 子供心に日本は素晴らしい国であるという 故古橋広之進さんの水泳での世界記録と同時、戦後まもなく、日本の国民を奮い立たせ 日本復興の大きな精神的礎になった出来事であったと言われています。



私は 今回のノーベル賞という素晴らしい世界の快挙とともに 非常に興味を持った点が中村修二先生の青色発光ダイオード(LED)の発明です。


今から10数年前、中村先生の在籍されていた徳島の会社で 当時社員であった中村先生が、LEDの発見をされました。


その発見の成果による報奨金について 在籍していた会社に対して訴訟を起こされました。

 その発見の代償に確か何百億の会社側の支払いの請求の判決があった事件を思い起こします。


私は一経営者として この問題には大変興味を持ち、非常に複雑な心境でその判決の推移を見守った記憶があります。



 この間の中村先生の受賞の喜びのインタビューにありましたように 創業経営者の鶴の人声で 絶対発見が不可能だとして関係者がさじを投げた研究を 中村先生一人が実験を続けLEDの発見にみすびついたという結果です。


唯 そのような実験出来る環境があったからこそ 発見出来たといえますが、反面関係者が発見が不可能とした事をただ 一人やり遂げて行ったという点では 当然その結果に対しては それなりに評価をする体制でないと 今後の挑戦者に対してヤルキを阻害するようになるということは 考えられます。


そして、これからの日本が世界に伍する研究、発見は後退するのでないかと危惧します。 


どちらにしても 日本の風土、風習、因習、など 複雑に絡み合って成り立っている現実の会社組織の実態から 会社と個人の特許の所有権の問題、またその報酬について、難しい問題が残されているように感じました。


そのようなことは別にしまして、素直に今回の快挙は一昨年に続き 日本人に取って大変嬉しい出来事でした。


是非 今後とも 世界に貢献する人財が続きますように望む次第です。


今回は先般の嬉しい心の弾むノーベル受賞のニュースを述べさせていただきました。



朝晩めっきり寒くなりました。

体調を壊されている方が多いようです。


どうぞ お身体ご自愛下さい。


            最後までお付き合い頂き 誠にありがとうございました。















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September 23, 2014

椰子の実

こんにちは


朝晩は 涼しくなりましたが 日中はまだ少し汗ばむ天候ですね。


夏バテは如何ですか。


お蔭様で私の方は「○○暇なし」と言う諺がありますように病気をしている暇がないとi
言った心境です。



この間 友人と会話の中で 「好きな詩」はという話題になりました。


私は幼少の頃浜辺で見た椰子の実に因んだ島崎藤村の「椰子の実」の詩を
挙げました


                

                椰子の実     

         名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ 
         
         故郷(ふるさと)の岸を離れて

         汝(なれ)はそも波に幾月


         
         旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 

         枝はなお影をやなせる

         われもも又渚を枕 孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ 


         
         実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂 

         海の日に沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙 

        

          思いやる八重の汐々 

         いずれの日にか 故国(くに)にかえらん。

                              島崎藤村


何故か 私はこの詩に非常に郷愁を感じます。


詩が先なのか 浜辺に見た椰子が先なのか 定かではありませんが 私の心の奥に深く残っています。


幼少の頃 確か小学校2年の時だと思いますが 従前にも何回か記しましたように 現天皇陛下が 皇太子様の時代に 30日から40日かけてイギリスの女王陛下の戴冠式に出席されたニュースを学校の階段下の壁新聞で見ました。


それが私の世界に目を向ける原点になるのですが 世界は広いなあと 脳裏に入り込んでいました。



今から 考えると確かに当時は プロペラ機の時代ですし 皇太子様は各国を回られてイギリスに入れらたので何十日と日数がかかられたのですが 当時の私は世界はとてつもなく広いなあという素朴な感慨でした。 


幼少の頃 両親に連れられて海水浴に行き 夕闇迫る海岸で見た椰子の実は 多分そのような記事と前後していたように思います。



手に取って見たこの椰子は 一体何年かかって この浜辺に辿り着いたのかと子供心に 愛おしく思ったではないかと思います。



そのことなど含めて 世界に目を向けたルーツになったような気がします。



今日は夏の思い出として 先般友人と青臭く好きな詩の話になり 今では考えられない感受性の高かった幼少の折の浜辺で手に取った椰子の実の感触に思いを巡らしながら「椰子の実」についての感慨を述べてみました。




皆様方にとっての思い出の詩は 何が浮かんで来ますか。



朝晩は少し冷え込んできましたが 日中はまだまだ暑いですね。

寒暖の差が激しい時期ですので 体調には充分ご自愛下さい  


               
               最後までおつきあいありがとうございました。





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August 23, 2014

水害

こんにちは 盆休みは如何でしたか。



私の盆休みは、娘の嫁ぎ先の姫路に行き ゆっくりと寛ぎながら と言いたいのですが 孫二人のお守り役で 楽しみながら 大変疲れました。


来年の今頃は 一か月半前に生まれた孫と男ばかりの三人兄弟になるので
(谷口家も男ばかりの三人兄弟の五人家族でした)今から覚悟しています。



さて先般から広島で豪雨による 土砂災害で大変ですね。
死者行方不明が90人余とのこと。



私の従妹が広島市の今回大きな災害にあった安佐区に住んでいますので大変心配しましたが 一昨日本人と連絡が取れ 大丈夫とのことで、涙ぐんでしまいました。



今日 家を出るとき 幼子の兄弟の不幸のニュースに、孫とオーバーラップしまして、何とも言えないどうしょうもない思いで一杯になり思わず落涙しました。


本当に 今回ご不幸に会われた方々に心よりご冥福をお祈りいたします。 



思い起こすと 私の幼少の頃は 大阪市内の低地は 下水道の設備がまだ完備されてなく水はけが悪く 少しの雨で よく床下浸水 床上浸水が頻繁にありました。


畳を挙げた経験も何度もあります。


学校が2〜3日休校にもなるし 何となく楽しい思い出であったように思います。


しかし 当時はまだ 水洗でなかったので、お袋が全てのものが一緒になってしまう。 と嘆いていた姿が思い起こされます。


確かに全て一緒になっていたのですね。


もう一つ水害で忘れる事が出来ない大きな出来事があります。


昭和28年八月台風の余波で京都府南山城地区を襲った何百年に一回もないと言われる 今で言うゲリラ豪雨の走りの大水害です。


確か盆の時期と思いますが 夜半から降った雨が一時間〜二時間で200ミリと言う 後にも先にもないと言われる程の豪雨が一気に南山城地区に降ったと言われています。


(故)両親と兄二人が生まれた故郷(私の第二の故郷でもありますが)がその未曾有の水害にあったのです。



JR関西線で加茂駅に出、そこから当時は木炭車のバスでしたが 約20分程和束川に沿って峠を抜けたところに生家があります。


当時 「郵便局前」という名前の停留所があり そこで降り 前に川(和束川)があり 古びた土橋を渡ると小学校(兄二人が通った学校です)に出ます。 その横を通り田園風景の続く でこぼこ道の小道を上がって行ったところが私の田舎でもあります。



お袋に手をつないでもらいながら 心躍ってお袋の生家に帰った思い出が蘇ってきます。



実は その加茂駅から続く バス停の前にある和束川が豪雨により氾濫したのです。 

その前にあったおぼろげながら覚えている従妹の家も 又橋も 又小学校も流されてしまいました。


幸い お袋の生家は山間にあったので無事でしたが 親父の生家も流れてしまいました。 死者は 何百人とのことでした。



今あって 幼少の頃 遊んだ2〜3メートル下にあるあの草深い川が氾濫したなんて考えられません。



流れた小学校が もし今もあれば 明治、大正時代の建築物として 金次郎さんの像と共に写真マニヤの恰好の被写体になっていたと思われます。


今回は ここ一週間悲惨なニュースになっている広島市の土砂災害関連から 私が経験した水害と共に述べさせていただきました。



今回の災害にあわれました方々には、心からお見舞い申し上げます。



日本全土がアスフアルトに覆われ 水はけが悪く 又森林の伐採 土地事情により、住宅地が 山に伸びていく現状とか 又異常気象などによる天候よりの災害について述べさせていただきました。



まだまだ 残暑は続きます。お身体ご自愛ください。

                            ありがとうござました。



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July 21, 2014

3人目の孫

こんにちは


梅雨が上がったそうですが、一部の地区では 豪雨で被害が出たとのこと。


そのあとの対応が大変なことと お見舞い申し上げます。


往往にして 一般的に雨を嫌う傾向のように思いますが、私は雨が好きです。


確かに 雨の時は何かと大変ですが 雨は全ての生きとし生きるこのかけがいのない 愛すべき地球の動植物になくてはならない「命のみなもと」です。 


今夏は少し水不足になるような 報道でしたが大丈夫なのでしょうか。 



私の家の玄関先の猫の額のような庭と呼べるほどの 敷地ではないですが 草花を植えています。 


今 家内が娘の方に行っていますので 私が 毎日植木に水やりをしていまして つくづく思います。



さて 上述しましたように 3〜4週間家内が娘の家に行っています。


私事ですが 一人娘が姫路に嫁いでいまして この間の7月4日午後3時41分3194グラムの3人目の男の孫が生まれました。


そのために家内が娘の介護のために行っています。


もう少し続きを述べますと 娘の家族は子供が二人いまして 7歳と4歳の男の子です。


娘の父親としては 俗に言います五体満足にと 生まれるまで 半年前からなんとなしに気になりながら 過ごしていました。


最近は結構食生活の問題か いろいろ生まれてくる子供に何かとあると聞いています。


生まれる前に 逆子のこととか いろいろあったようで 出産の予定日が近づいてきますと、なんとなく毎日が 気もそぞろでした。


娘からは 生まれる前に男の子よ聞いていましたが やはり男の子でした。


丁度 私の谷口家の家族は男ばかりの3人兄弟の5人家族でした。


 両親は8年前に 父が享年96歳 母が親父の後を追うようにその翌年 享年92歳で亡くなりました。


そして真ん中の兄が75歳で 数年前に亡くなり家族は長兄と二人になりました。


 
兄に娘が男の子が生まれた事を報告しました。 

兄から「我々と一緒の男ばかりの3人兄弟だな。」


「将来 我々3人兄弟のテーマソングである、鳥羽一郎の兄弟船を歌うことになるなあ」と冗談を言って喜んでくれました。

(我々3人が会い 親戚一同がカラオケに行きますと 最後の歌が必ず 我々3兄弟が一番が長兄 二番が次兄 そして末っ子の私が3番で兄弟船の輪唱で終わりました)



そして兄が「碩志(私の名前でみつゆきと読みます)と似て優しい性格になるなあ」と話していました。(私は優しいのかどうか 気がダメなことは確かです)



そういえば 今は亡きお袋は 上 二人が男なので 3人目はどうしても女の子が 欲しかったと物心ついたときに よく私は聞かされました



当時は 今のように生まれる前から 男女がわかる時代ではなかったので 私が生まれ時は本当にがっかりしたとのこと。



今回も男の子で 娘の母親として どう思っているのかなと一瞬思いました。


私自身も女の子で あったらまた 別の意味で可愛いだろうなあと贅沢な 思いが頭をよぎりました。



今から考えますと母は 私を娘替わりに 接していたように思います。

 私もそんな母の思いが伝わったのか 比較的幼少のころから 娘替わりに 兄二人より一緒に母の後について ちょこまか 動いていたように思います。




仕事でバタバタしていまして 孫が生まれて一週間後の退院する日に、病院に行って一緒に娘の家に帰りました。



病院で初のご対面です。何となく 気もそぞろになりながら 僕の分身がスヤスヤと寝ていました。


これからどのような時代に日本はなるかわかりませんが 男らしく 逞しく そして人に迷惑をかけないの 心を思いやる 優しい孫に育って欲しいと おじいさんの立場からそっと 語りかけました。


その折は まだ名前が決まっていなかったのですが この間電話があり「唯人(ゆいと)」と命名したとのこと。


少子化の時代です。 

これからの日本を背負ってを立つ気概を持って 「一隅を照らす」そんな若者に育ってほしいと 思いました。 



今日は 全く私事に終始しましが、私の3人目の生まれた孫について述べさせていただきました。 


最後まで おつきあいいただきまして今回もありがとうございました。


これから日毎に酷暑に向かいます。くれぐれも体調にご留意を。

 
ご自愛下さい。




senba206 at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 21, 2014

60年振りの運動会

こんにちは


梅雨に入っているようですが あまり梅雨らしくないですね。

お元気でしたか。

私の方は相変わらず時間に追われながら 毎日を送っています。

今日は朝、新・午前10時の映画祭で 40数年前に見た 「飢餓海峡」を見てきました。

永遠の名作を再上映しています。
昔 見て大変感動した映画で確かテレビでも
何回か見たこともあります。


今は亡き三国連太郎さんと左幸子さん主演の映画です。


私は名作は何回でも見たい性格です。

粗筋は又の機会として もし興味のある方がおられましたら 6月27日まで大阪駅構内のステーションシネマで上演されています。

名作は何度見ても 魂を揺さぶりますね。
歳を取るにつれて 涙もろくなり同じ場面で頬を濡らします。



さて 3週間程前孫の運動会がありましたので娘の嫁ぎ先の姫路まで行ってきました。

感激家の私のことです。大変感動した1日でした。


私が興味を持ったのは 私の小学校時代の運動会と60年経った今の小学校の運動会は
どのような変転になっているのか大変興味がありました。


2〜3点 小学校2年の孫の運動会から気づいたことを述べてみたいと思います。

孫の小学校の運動会のテーマは 「120年の歴史をよびおこし 勝利と感動を今ここに」いうテーマでした。歴史のある名門の小学校ですね。


まず 小学校に入り嬉しかったのは 二宮金次郎の銅像が 運動場の前の校舎にあったことです。

最近は 保護者から 歩きながら本を読んだりすることは交通事故のもとにもなるし 道徳上も良くない また、目も悪くすので撤去してほしいとのクレーム等その他で 撤去した小学校は半分近くになるとのこと。

ただ それだけではないと思ますが。



そのような中で 薪を背負って本を読む二宮金次郎像の60数年前に見た同じ柔和な顔立ちの像を見て まず感激しました。


そして 嬉しかったのは 開会式で国旗、校旗、の掲揚が 君が代と共に掲揚されたことです。


私の娘の時の運動会は国旗の掲揚も君が代もありませんでした。


私は若い時によく海外に出張で出ました。


どこの国に行っても各国の国旗はいたるところにあり その点日本に国旗が無くなっていくことに大変寂しい思いをしていました。


その国旗、校旗に 先生の「脱帽」(全校生徒は例の紅白の帽子を被っています)の言葉に全生徒が旗に向かって整体し、君が代が終われば 「着帽」の合図で全校生が規律正しく行動する姿に 日本の将来に一途の輝きを見た思いでした。



私は まずその日本を思う心が 世界に良い影響をはぐくみ 世界に真の貢献することに 繋がっていくことになると信じてやみません。


進行のアナウンスは全て生徒が進め 先生が裏方を務めるという形で進めていました。


運動会に流れる音楽はさすが 我々の時代の勇ましい行進曲ではなく リズムのある現代風で 生徒の演技もダンスを取り入れた演舞で、我々の時代の勇ましいメロデーとは様変わりしたリズミカルなメロデーでした。

各学年の徒走競も 結構厳しく先生がジャッジし、フライングがあれば 元の出発点に戻してやり直しをさせ 1位から6位(6人が一組)まで順位づけをし 高学年の生徒が旗を持って並ばせていました。(我々の小学校の時と同じ風景でした)



私が聞いていた ゴール前まではお互いに競争し、 一 二、三で全員で同時にゴールするという話は全くなく 私の小学校時代相違となく 安堵した時間でした。



昼からは 5年6年生で テーマが「決戦 川中島」という題名で競技があるとのことで、 どのような競技をするのか 楽しみにしていましたが 我々の小学校時代にもありました 騎馬戦でした。


紅白に分かれて 4名一組に戦う競技です。

ピストルの音で紅白に分かれて戦いが始まりました。

その時、私は妙な気持になり 私が小学校時代にタイムカプセルして戦って 敵に向かって前進しているのです。

何組か向こうに 私のライバルであった友達も進んで行きます。


女性の前で いい恰好をしたい私が 前進していきます。(今は女性も騎馬戦に参加しているのが我々の時代と大いに相違していました)


そして フト我に返りますと同時に熱いものがこみ上げてきて 前が見えなくなりました。


単なるノスタルジアなのか 時間と歓声が消えた不思議な体験をした瞬間でした。


運動会の終了の最後に 3年生以上は各クラスの一位から三位まで順位の発表と表彰が 生徒の楽団の生演奏のもと 例の題名を忘れましたが表彰式の音楽がなり 各クラスの男女の生徒が受け取っていました。

 これから大きくなって 世の中に出たときに競争社会に果敢に立ち向かっていく勇気を学習してほしいと思った次第です。


最後は 校歌斉唱があり そのあと少しびっくりしたのですが 全校生徒が、先生の号令のもと「万歳三唱」が ありました。


最後に君が代の演奏のもと 国旗、校旗が 降納され 2名の男女による閉会宣言で一日が終わりました。


今回は60年振りの孫の運動会を見て 耳にしていた最近の教育と相違して 我々の時代とあまり変わらない規律ある教育姿勢を垣間見て 日本の将来に一筋の安堵した一日でした。


今回も最後まで ありがとうございました。

文字どうり一日毎に酷暑に向かいます。

                             ご自愛下さい


senba206 at 17:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 17, 2014

中欧の旅

こんにちは

急に寒さから初夏になり、春の爽やか気候は通り過ぎたような天候です。


皆様方は連休は如何されていましたか。

私の方は前回にお話させていただきましたように4月28日〜5月5日の8日間で中欧に家内と行ってきました。


年齢のこともあり 少しゆっくりとしたスケジュールで 参加者も我々2名を含め6名という小人数でした。

添乗員の方も出国から同行いただけるプランでした。


丁度 3年前ですが トルコ旅行を計画していて、申し込んでいましたが 例の3月11日忘れもしない 東北の大震災があり 家内と相談してキャンセルした経緯がありま。

当時は、当然のことで どうしても浮かれて行く心境では全くなかったからです。


今回の旅行は、私自身も初めての地でもあり 「忙中閑あり」で 楽しんで行って来ました。


今回の旅行で興味を持ちましたのは 世界遺産が4箇所含まれていたことです。


4月28日、関空から 朝10時過ぎのフライトで約10時間の飛行でヘルシンキへ。


私の20代の時は 今のシルバーの方はよくご存知ですが 欧州に行くには まず、燃料給油の関係上 アラスカのアンカレッジで中継して そしてそこで燃料を給油して 各欧州へ飛び立ちました。


当時は飛行機自体が小さく どうしても途中で燃料を補給しなくてはならない時代でした。


又 ロシアは当時「鉄のカーテン」(名称)を引いて ロシアの国を通過することを禁じていました。


そのために各航空会社は 北極圏を通過する大回りで欧州に飛んでいました。
機中から見た 北極圏の地獄をみるような索漠とした風景が忘れられません。

 
今はアラスカのアンカレッジはどのようになっているのかなと40余年前の思い出が蘇ったヘルシンキ空港でした。

そして、ヘルシンキから 2時間30分程で今回の最初の地である。オーストリアのウイーンに夕刻の18時半頃到着。

 

大変綺麗な町で 翌日は 世界遺産の640年の歴史があるシェーンブルン宮殿に見学にいきました。


約1400の部屋があるということで 我々が見学した部屋は約40で それでもとてつもない欧州の深い歴史を感じた見学でした。


カラヤンさんの生家等も見て、その後王宮(ホーフブルク)等見学へ。


旅行3日目は大型バスで 参加者6名と添乗員1名 運転手1名と 少し贅沢なバス旅行になりましたが。世界遺産のハルシュタットへ。


日本でいうと長野県の野尻湖を彷彿さす 非常に風光明媚な素晴らしいエキゾチックな村でした。 


そして バスでザルツブルグへ。


その夜は 標高508メートルの城壁に立つ城。 ホーエンザルツブルク城へケーブルカーで登りました。

そして今回の旅行で楽しみにしていましたキャンドルライトのデイナーコンサートへ。


城壁での一番上から一望できる町並みは素晴らしい景色でした。


そして、5名の楽団が演奏するモーツアルトの名曲は ロケーションとあいまって 夕闇迫る とばりと共に、感傷的な残るひと時になりました。


翌日はモーツアルトの生誕の地であるザルツブルグの市内の見学へ。

映画サウンドオブミュージックのロケ地としても有名なミラベル庭園へ。


そして、モーツアルトの生家など見学。大昔に行った オランダ・アムステルダムの「アンネの隠れ家」の見学が浮かんできました。

そして 国境を越え チェコへ。


世界遺産のチェスキー・クルムロフへ。

今回の旅行地は、全てよかったですが 私は一番好きな都市でした。


13世紀の中世の町並みが そのまま時間の流れがとまったようなフインキを 町全体に残しているという 哀愁漂う町でした。
 


自由時間に川面にあったテラス風の店でゆっくりとコーヒーを飲み 時間を止め しばし全てを忘れた至福のひと時でした。 


夜は 一つ路地に入りと全くひとけがなく 家の薄明かりから 音楽が流れてきたりして えも言われない 情緒あるフンイキでした。


翌朝は 人通りの全くない 町並み、路地裏を少し 散策しました。


タイムカプセルに乗って中世にたたずんでいる そんな気持ちになったチェスキークロムロフでした。


日本で言う 京都、奈良に当たる場所で、町全体を中世そのままに 全く手を加えないで 残している町と思っていただけたら お分かりいただけると思います。

そして、プラハへ。 


プラハも 大変綺麗な素晴らしい町でした。

私も世界各地に行きましたが プラハは思い出に残る町でした。

そこで2泊しまして帰国した次第です。


今回の中欧の最後のプラハでは 夕食がフリーで家内とプラハの町を散策して レストランに入り 得意のゼスチャーで食事をしたのも思い出です。


欧州人は人生を楽しんで謳歌しています。


 食事の合間に音楽を奏で 我々が食事をしていると サプライズで「荒城の月」と「サクラ」の演奏をして頂き 外国で聞くメロデーに少し熱いものを感じ 心和む中欧旅行の最後の夜になりました。


 悠久の宇宙でたった一つしかない かけがいのない星です。

世界の人類が 平和に安寧に一つになって 絆を結び、幸せな星にならねば とそんなことを思った今回の旅行でした。


個人的な私のゴールデンウィークについて 最後までお付き合いいただきまして 
誠に有難うございました。


さて、このまま 夏に突入するとは考えられません。


お身体 ご自愛下さい。   

                        有難うございました。










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April 19, 2014

素直と感謝

こんにちは


お元気でしたか。 

私の方は 前回述べましたように 40年余と続けさせていただいています 春の二泊三日の新入社員の禅寺合宿研修会が先週で終わり ホットしているところです。


と申し上げたいですか その合宿研修会の事後の報告者の作成で スタッフ共々 バタバタしているところです。


研修会場には研修前には ダンボール箱で約40ケース程の資料が宅配されます。

その処理と対応だけでも 仕事とはいえ なかなか大変です。



毎年思うことですが 最終的には研修生全員が 無事に下山(お寺を別名「山」と言います。)していただくことが最終の願いになります。


といって 無事に帰っていただければよいというようでは 派遣いただいた企業様からは 当然お叱りを受けますし 研修の効果がないと 二度とリピートはありません。


派遣企業様では 最高30数年その会社に入るための登竜門と位置づけて 派遣を続けて頂いています企業先もあります。


今年も お陰様で リピート企業様を中心に 約400名余様の将来を託す幹部候補生を当協会の研修にご派遣頂き 満席で締め切りをさせていただく結果になりました。


我々が進めている研修は一言で言えば、大阪城を例えて言いますと、 石垣に当たるところです。

「砂上の楼閣」と言う諺がありますように どのような事でもそうですが 基礎(土台)が大切です。


そのような人生を歩んで行くでの土台のところを受け持たせて頂いています。


つまり禅の精神として 重要な研修の一つであります 「素直なこころ」です。

この「素直な心」を非常に重要視して進めます。


その素直になる方法として 研修中はまず素直な気持ちで 「全てを受け入れる。」 これが人生を歩んでいく時の「成功のチャンス」で、「幸せの魔法の言葉」として位置づけて 研修生には指導していきます。 

そして 脳力開発の一番大切な言葉として 研修生には その素直な心を「ハイッ」と言う言葉で何回も 大きな声で 反復研修をすることでその素直の真髄の入口を実践していただきます。


つまり「心身一如(こころの思いが身体に現れる)」の法則です。


特に新入社員にとっては 人生の入口です。全く右も左も判らない状況です。

まずは 全てを受け入れる。

そして禅の精神であるまず「実践」をする。そこから始まります。

そして 実践から全ての結果の良し悪しを判断する。


この考え方は新入社員のみならず 人生歩んでいく上での一番大切なキーワードでは ないかと考えます。


かくいう私が素直な気持ちを持ち併せているのかというとなると 全くお寒い話ではありますが。(家内からいつも素直さがないと小言を言われ続けています)


その素直の難しさを 今は 私は合宿研修会では 総合トレーナーとして つまりおこがましい表現ですが校長先生として 松下幸之助翁の言葉を借りて このように説明しています。


幸之助翁が 齢90歳のときに 記者団に述べた言葉ですが、人生を歩んでいくときの一番大切なキーワードは 私は「素直」と言う言葉と思います。


私がその「素直な心」になるのに30年かかりました。

今 私は齢90歳です。素直と言う言葉では 3段の免許をもらえるかも知れません。と語ったと言われています。

あの「経営の神様」と言われた人でさえ 「素直な心境」に到達するのに 30年の歳月を経ていると言うことです。

つまり 「我以外皆我師」「3歳の子に教えられ」「一本の草木と言えども我が師なり」ということになります。

そのような言葉で「素直な心」の重要性を説明しています。


 そして、研修中に大切にしているもう一つのキーワードは「感謝」と言う言葉です。

我々は ともすれば一人で大きくなったと思いがちです。

こうして 人様よりお金をいただくまで どれだけの人の「思い」で 今日ここまで 過ごすことが出来たのかを 色々な実践研修を通じて学習していただきます。(食事時間も「感謝」と言う実践で非常に重要な研修になります)


その他 三日間 朝の4時40分起床から 夜の就寝の23時40分頃まで 文字どうり 一挙手一投足そのものが実践研修です。

「全てに全力」で 「一呼吸に命」を賭けてという 大仰な表現で研修を実践でもって 体験してもらっています。



上述しましたように 「石垣に当たる研修」であると申し上げたのは そのような人間として一番大切な意味合いであるからでもあります。


40年余すすめさせていただき 一番勉強させていただいているのは 当然私ですが この二つのキーワードは これからの人生を歩んでいくときの一番大切な「心」であると深く思う次第です。


 毎年の恒例の私自身の行事ですが 私の事務所の裏にある天満宮さんに 研修の始まる前の無事の御願いと、終ってから 「感謝の心」で 無事滞りなく終った事の お礼のご報告をさせていただいています。

今年も澄み切った感謝の心で お礼のご報告することができたことが 何よりの心の幸せでした。


今回は我々が40年余にわたり進めています日本で屈指の研修会と自負している合宿研修会について その研修の一端を述べさせていただきました。


次回はゴールデンウイークに中欧に行く計画をしています。
その折の道中記など お話出来たらと思っています。


今回も最後まで お付き合い頂き誠に有難うございました。


























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March 22, 2014

最後の日本兵

今日は

お元気でしたか。


私の方は 来週から35年と進めてきました恒例の新入社員の合宿研修会が始まります。


今年もお陰様で400名余の新入社員の御申し込みを頂き 明日はスタッフ一同と研修会場のお寺に事前の設営準備で出かけます。



昨日はその準備用の資料が 段ボウル箱で20ケース程が先に宅配されました。


毎年の春の時期に我々協会にとって大きな行事になります。


400名余の各企業の将来の会社を担う幹部候補生です。


お役に立つ研修会になりますよう これから日ごとに緊張感が漂ってくる最近です。


何かと大変ですが ある意味では 心地良いこのような緊張感が無くなれば 研修を取りやめたいと思うそんな気持ちです。


さて、少し話は戻りますが 最後の日本兵として有名な小野田寛郎さんが亡くなられ この間はその「偲ぶ会」がなされていました。


私は小野田さんに大変興味を持ちましたのは もう40年前になりますが あの第二次世界大戦が終わり もう20年が経っているのに、まだフイリッピンでの激戦地であったルパング島のジャングルに 終戦を知らないで、日本兵が2〜3人いるとの情報でした。


私は当時まだ学生でしたが こうして日本が奇跡の復興を成し遂げ 新幹線も開通し オリンピックも開催され この世の春を謳歌して 戦争の痕跡など微塵も感じない日本で、まだ日本の敗戦を信じないで戦っている日本兵がいるという 半信半疑の存在に大変興味を持っていました。



そしてそれから10年ほど経って、色々の経緯を経て 昭和49年3月に発見され
ジャングルから町に降りてくる事になり、その時に、全世界で中継された出来事でした。


私は、丁度結婚して長女が生まれ、その一ヶ月後のことで 家内の義母が娘の世話で泊まっていました。


いまでも鮮明に思いだし 涙腺が緩みますが、 その中継の時は夕飯の時間で、家内と義母と3名で夕食をとりながら、娘はマダ生まれて一ヶ月でゆりかごで すやすやと寝ていました。



私は大変興味本位にテレビの中継を見ていました。


そしてフイリッピン空軍に出迎えられ小野田少尉がタラっプを降りてこられました。


私はその光景を見て 激しくこらえられなくなり、義母と家内の前で大きく嗚咽して今もって恥ずかしいくらい、余り経験のない大きな声で泣きました。


私は小野田さんが 長年の逃亡生活で、よろよろした姿勢で降りてこられるとばかり思っていました。


それが 軍服姿でそれも終戦から30余年経っています。

つぎはぎだらけの軍服で 当然綺麗とはいえませんでしたが
切れ端の布で ところどころ縫い合わされ そして軍刀を脇に携えて しっかりとした足取りでタラップを降りてこられました。


私は涙したのは その凛々しい日本軍人の姿勢と フイリッピン空軍の兵士に対しての手の伸びきった敬意を表する敬礼でした。


 戦争云々は 別にしましてどのような環境、経過であれ、日本人の持つ武士道・魂を失うことがなく ぶれない心に私は強く打たれ 上述の嗚咽になった次第です。 


翌日のアメリカのニューヨークタイムズとか、ワシントン・ポストが 大々的に一面で取上げ 「日本人が失った誇りを喚起」と報道されていました。



その小野田さんと数年前 ご挨拶する機会があり 当時の私が経験したお話を 臆面もなくお話をさせて頂きました。


もう、お歳も 80歳の後半になられ、好々爺とした小野田さんが笑顔でお聞き頂いていた事が忘れられません。


ルパング島での最後まで敗戦を信じず 戦い続けた、陸軍中野学校出身で上官の任務解除命令を受けて帰国した「最後の日本兵」について 記してみました。


今回は 先般小野田さんを偲ぶ会があり 私の人生で非常に心に残った 出来事を記してみました。


来週から 新入社員の合宿が始まります。「ぶれない心」はいつの時代でも大切な信念のように思われます。


次回は 最近の「若者の資質」を新入社員合宿研修会を通じて述べてみたいと思います。



今回も最後まで お付き合いをいただきまして有難うございました。

三寒四温が繰り返され 春がやってきます。お身体ご自愛下さい。



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February 22, 2014

気の力

今日は


新年を迎えたと思いますと もう2月も下旬になり 来週の後半には3月になりますね。

先週、先々週と週末になりますと 全国的に記録的な大雪に見舞われました。

皆様方の地域は如何でしたか。


今 現在まだ交通が遮断され電気も止まり 農作物の大変な雪害もあれれるとの事。

早く交通が開通して 普段の生活に戻られるように 又農作物がうまく対応できますように、と一日本人の一人として心が痛みます。


悠久の宇宙で唯一人間が住める星です。

何か自然と共生しながらこの地球号を 地球人の一人として慈しむ。 そんな心境です。


さて皆様方は 週末は2週続けて雪でしたが 如何お過ごしでしたか。


私は 丁度万が良くというべきか 2週続けて我々の専門道場で30余年と進めていますお寺での合宿研修で 京都に行っていました。


ご存知のようお寺では5感を感じて頂くように 素足で草履になります。

先々週は 週末にかけて一社単独の二泊三日の合宿研修で 先週末は我々主催の中堅・幹部対象のリーダーシップの一泊二日の研修会がありました。


どちらの研修会も雪の影響がありましたが 開催は出来ホットした次第です。



上述しましたように合宿中は素足に草履になります。


ある面では その酷寒は研修日和といえますが 研修生は寒さとの戦いもあり大変な一生残る研修会ではなったかと思います。


私も齢を重ねる毎に体温調整がうまくいかなくなるのか、脂肪が少なくなるのか 今回の雪の中での研修は老骨にムチを打って大変でした。


朝5時起床で6時から1時間の坐禅が研修プログラムに組み込まれています。


一日で丁度寒さがピークになる時間帯です。 


研修生にとっても大変厳しい1時間ではなかったと思います。



合宿研修会で良くあるのですが 体調を崩されていたり、今の季節ですと、風邪の方とか 風邪気味で参加される研修生の方がおられます。


しかし 研修中に治ってしまうケースがあります。


今回も風邪気味の研修生が 両合宿会とも時期柄 数名おられましが 研修を終わって下山(お寺では別名寺のことを山といいます)の折は治っておらえました。


毎回 感じることですが 人間の持つ「気の力」は素晴らしい潜在能力だとつくづく思います。


良く「病は気から」と言います。

一概に言えませんが 私もこの仕事に携って40年余になります。

その間 風邪を引いたり 体調が悪いときとか当然何十回とありました。

しかし その間一度も合宿研修トレーナーとして休んだことはありません。


当たり前の事で自慢話をしているのではなく 人間の持つ「気の潜在能力」の素晴らしさを体験してきたからです


今 こうして振り返ってみますと 色々な場面を思い起こします。


ある時、合宿前日に40度近い熱が自己管理のまずさから出ました。

身体は非常にだるく、けだるいものではなく、この調子では明日は難しいかなあと大変危惧し 万が一はどなたか代役をと思もったりしました。

しかし 現実は私が合宿研修会のプログラムを数週間に亘り組み立てています。


舞台俳優と同じで だれでもと代役と言う訳にいきませんし、又自分自身、だれでも私の代わりに出来る程簡単な研修ではないと自負心もあります。



研修の前日の就寝前にオカルト的な話ですが 自分に「気・念」をかけて この熱は絶対下がると 自分に悲痛な覚悟でいい続けて寝ました。


朝、起床しますと熱が平穏になっています。


疲れも 取り敢えずとれ、小躍りして研修会場に行き二拍三日の研修を 成果の程は別にして無事終えました。


最終日に 研修生を門前で見送りホットした瞬間 急速に身体がだるくなってきた。 と思って体温を測ると39度を越していました。


「気」が勝っていたのか、その時感じましたのは 「健康管理」はさることながら 人間の持つ「気」の不思議な力を痛感した出来事でした。


上述しましたように 合宿中素足と草履で行動します。


人間の持つ「気と感性」と言う素晴らしい5感を最大限活かした今回の体験は 何事にも代えがたい これからの人生を歩んでいく中で 大きな指針得る、感じて頂いたものと 研修生の方々の感想文から推察されました。


今回は2週間にわたり大雪の中での合宿研修会での 「気」の感性、力について
述べてみました。

今回も最後までお付き合い 誠に有難うございます。


まだまだ 寒さが続きます。


インフルエンザも流行しています。

どうど「気」と片付けないで お身体の方ご自愛下さい。
 

                          有難うございました。





 

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January 18, 2014

お正月

あけましておめでとうございます。


小正月も終わり 又一年が始まりました。


お正月は如何でしたか。

私の方は娘が姫路に嫁いでいますので、正月の二日から姫路の娘の方に夫婦で出かけました。


2日は姫路に着き 昼から孫2人と公園で 凧上げしてのんびりとした 新年を迎えました。


最近は どんどん正月らしい風景はなくなりましたね。

普段とほとんど変わりなく、元旦から店は開いていますしね。


昔は3日間は完全に店は休んでいましたので 本当に静かな日本全体がゆったりと、一休みするという、そんな正月らしいおだやかな、風景だったと思います。


おせち料理もそのためにあったのですが 今は正月の元旦からどこでも外食が出来ますし、又買い物も出来ます。


なんとなく 気ぜわしい、せちがない ケジメのない 又、心の余裕のない さむざむとした、世の中になったそのような気がします。


正月の家の注連縄(しめなわ)も本当に少なくなりましたね。

もう 数年もすれば そのような正月を迎える諸行事はなくなり 単なる少し長い冬休み程度になるではないかと思います。


最近はクリスマスの方に イルミネーションを飾ったりする家の方が多くなってきて 日本の素晴らしい伝統の風物詩がなくなっていくのが 大変寂しく思う一人です。


凧あげなども 私の幼少の頃は羽根つきとともに正月の風物詩でしたが。


確かに家もびっしりと建て込んできて 広場もなく、 正月の風物詩であった凧あげなど よっぽど空き地がないと無理からぬことですしね。


又 私の幼少の頃と遊びの形態も全く様変わりしていますし。

このような事を述べていると 単なる懐古趣味で、時代遅れのラストサムライといわれ 取り残されるかもしれませんね。


孫などみているとゲーム機で一人で何時間も時間を忘れて遊んでいるし おもちゃも部屋中に ところせましと、散らかし放題にあり 又 お年玉も全く今は高額になり 親もまた、祖父、祖母も大変だなあと思う最近の社会現象です。


さて 話は戻し、正月の3日はいつものように車で、恒例の一泊の家族旅行を 我々夫婦と娘の家族4名の計5名で数年前に行った小豆島に再度いきました。



今回の目的は下の孫に船旅を体験させて、モンキーランドで遊ばせたいとの事。
(下の孫は今回初めての経験になります)

私はやはり 数年前行った「24の瞳村」のロケ地を再度ゆっくりみたい思いでした。


丁度 50数年前の故高峰秀子さんが主演された「24の瞳」の映画が、その「瞳の村」で上映されていましたが、残念ながら 時間的な制約があり見られませんでした。

その「24の瞳」の映画(何回か鑑賞しています)は私の小学校時代と時代風景も重なり 何か オーバーラップしてしまいます。


大石先生が 私の1年、2年と教えて頂いた石田先生と重なり合います。 

 
ロケ地の舞台で見ると 又一段と感慨深いものがあるのでは 思った次第です。


「瞳村」は昭和の当時の風景を再現していて タイムスリップしたフインキで 今回もまた 違った感慨があり 私にとってはノスタルジャを感じる旅行になり 心安らぐ2日間の家族旅行でした。


昔 遊んだ竹馬とか 車輪回しなどがあり、昔を思い出し、竹馬に挑戦してみましたが 2〜3歩けるのが精一杯といったところでした。


孫も一生懸命何度も挑戦していました。


昔はよく屋根に届くかとおもわれる長い竹馬を造り、ワンパク仲間と家の近所を競い合いながら、闊歩した思い出が蘇る懐かしいひと時でした。



「瞳村」の中には 映画スタジオがあり その館では、昔の映画(昭和20年代〜30年代)のその当時の映画の予告編がそのまま、上映されていて 幼少の当時が思い出され 思わず涙腺の緩む安寧の時間でした。 


さて、年初の仕事始めは6日からで いつものように スタッフと恒例のお屠蘇(おとそ)で新年を祝い 事務所の裏にある天満宮で初詣をし昨年の一年間のお礼を済ませました。

 10日は、近くの堀川神社でえべっさんの福笹を返し 新たな福笹を飾り、事務所の鏡餅とか、新年の飾りものを外し 1年がスタートしました。


今年の年初からの私のスケジュールを述べてみました。


さて 冒頭に述べましたように、今年も又 1年が始まったなあと 何か「心」に想う複雑な年初でした。



今年も一年間宜しくお付あいの程 伏してお願い申し上げます。

最後まで おつきあい誠にありがとうございました。







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December 29, 2013

一年間ありがとうございました

おはようございます。

今年も3日を残し、新しい年を迎えます。

皆様方は今年を振り返って如何でしたか。


私は相変わらず 生き方の段取りが悪いというのか今年も慌しい一年でした。


ブログのいつもの冒頭に述べます月日の立つのは 早いですね。
年齢と共に 早くなっていくように思います。

青年の時に良く歌った黒人霊歌にありますオールドブラックジョーの一節の 「かすかにわれを呼ぶオールドブラックジョー」の心境がなんとなく解るようになりました。



毎年 年末になりますと目標を掲げて「ヨシ ヤルゾ」と意気込みます。

それが日にちと共に忙しさにかまけ 又 仕事に追われ一日を見失いがちになります。

人には 偉そうに目標設定の大切さと実践の大切さを論じ その言っている張本人が 出来ていないない。全くお寒いかぎりです。 

私の一番嫌いな習性です。


来年こそ私自身の得意な説法である「言行一致」に少しでも近づけなければと 強く、強く念ずる年末です。


私の心身共に敬愛する安岡正篤先生(先生は昭和20年の8月15日の天皇陛下の玉音放送の草案者で、先生の書かれたれた書物はほとんど持っています)の一日一言の1月1日には 次のような言葉が掲載されています。


               年頭自警

        1、念頭まず自ら意気を新たにすべし

        2、念頭古き悔恨を棄つべし
        
        3、念頭決然滞事を一掃すべし
 
        4、念頭新たに一善事を発願すべし
 
        5、念頭新たに一佳書を読み始むべし


                     安岡正篤先生


非常に味わい深い念頭自警ですね。


仏教用語で戯論(けろん)つまりお風呂の湯にならないように決意を新たにして新年を迎えたいと思います。


一年間拙いブログに今年もお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。


大晦日の31日は墓参りをしまして 先祖に感謝のお礼で1年を締めくりたいと殊勝な気持ちで新しい年を迎えたいと思っています。


どうぞ 佳いお年をお迎え下さい。 一年間ありがとうございました。




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December 07, 2013

1年の反省

今日は

今年も 3週間余りになりました。


「光陰矢の如し」 本当に一年間なにをしてきたのかと慄然とします。 

研修とかでは 生意気に「昨日までは リハーサル 本日只今出発」 人生はいつもこうであらねばと 御託を並べています。 


いつも自分に言い聞かせている言葉なのですが、全く難しいですね。

反省しきりで自己嫌悪に陥いる年の瀬です。


私は「諺」とか「格言」などが好きで 一冊の本にまとめ 「心の応援歌・琴線集」としてまとめています。(ご希望の方がおられましたご連絡下さい。喜んでご贈呈させていただきます)

年末になってきますと どうしても1年間の振り返りの時期になり 実践が伴わなかった不甲斐なさと、反省の月になり来年度の挑戦として 色々な言葉が浮かんできます。


今年の反省も含め 人生の応援歌として、2〜3述べて見たいともいます。

            「思い立ったら吉日」 

私の悪いクセで いつもすぐしようと思うのですが(今年の流行語大賞の今でしょう) つい、あと、あと、と伸ばしてしまい、締め切りの時間になり 慌てふためくという繰り返しです。

 
いつも時間追われていると言うところが 私の長年身についた習性です。

「3日坊主」 と言う諺がありますが 逆手にとって「3日坊主大賛成」「思い立ったら吉日。」

この思いで、気をリラックスさせて 自己嫌悪に陥らないで 挑戦したいと思っています。
           

          「人の振り見て我が振りなおせ」

私はよく 人の批判をしたり講釈したりします。


レストラン等行って対応が不味いとか、又 駅員さんの対応とか、コンビニでの対応、企業訪問の折の対応など、これも職業病かと思いますが。


娘が 里帰りをして一緒に色々なところに行く機会があります。「お父さんは人のことをとやかくよく言うね。」と言われます。


人を云々する前に自分は一体どうなんだといいますと 全くお恥ずかしい限りです。

人を観察して とやかく言う前に自分は一体 どうなのかと自分自身を自省してチェックし 成長する来年になりたいと思います。



          「おごる平家は久しからず」

今年もタレントの方を含め 新聞紙上に色々方の報道が出ました。人生の晩節を安寧に全うすることは、難しいなと つくづく思います。


マスコミを賑わす事件もさることながら 我々一個人の生き方も安らかな晩節で、死を迎えることもなにか、至難の技に思えてなりません。


そのような事も踏まえ 人間はいつも 謙虚に 又、感謝の心で人間関係を構築し おごってはならない(わたしは奢れるものは一つもありませんが)なあと 感じる年の瀬です。


            「情けは人のためならず」


人を助ける、人の物心両面でお役に立つ そのような偽善的な、おこがましいことは 中々 できませんが、時折 人のお世話させていただくことがあります。


その結果の報告とか お礼の連絡とか、言葉がないと 「何だあの人は何の連絡もない」 「常識がないなあ」とか 「もう2度と紹介しないぞ」とか、思う自分がいます。


「人のお役に立つ」この結果を求める行為は 品性卑しいと言わざるを得ません。


「お役に立つ行為」は回りまわって自分のためである。

マア そんな姑息な考え方もしないで 来年はもって「純」な気持ちで世の中に貢献したいと 思い切り背伸びして述べてみました。


今年もあと3週間足らず 自己反省しきりの1年でした。

では、年末に今年最後のご挨拶させていただくとして、プログを閉じさせていただきます

                       
  
                        ありがとうございました。






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November 23, 2013

食欲の秋

おはようございます。

今年も後一ヶ月余りとなりました。

毎回の出だしの挨拶になりますが月日の立つのは 早いですね。

2週間前から急に寒くなりまして 秋がひとっとびして冬到来と言うところです。

何回か前のブログで 故ケネデー大統領のお嬢さんのキャロラインさんのことで記させて頂きましたが、この間、駐日大使として赴任され 日本のみならず 世界の話題になっていますね。



丁度 22日は ケネディ大統領が暗殺されてから、50年経ったとのことで記念の追悼式典がアーリントン墓地で行なわれていました。

その折に 述べさせて頂きましたように 私は40数年前故ケネデー大統領の墓地にお参りにいった事があります。



久しぶりにテレビで映し出されたケネディ大統領の眠るアーリントン墓地で 元大統領のクリントンさん オバマ大統領などの弔問の姿が映し出されていました。

遠い 遠い セピヤ色の世界ですがこの間のような そんな気持ちで 少し感傷的になりながら 見ていました。


さて 今年の秋は短かかったですが、「食欲の秋」とか 「天高く馬肥うる秋」とか言いますが 皆様は食欲の方は如何ですか。


お陰様で私は少し食べすぎかなと思われる程 食事が大変美味しく楽しみながら食べています。

「腹8分で医者いらず」といわれていますが。

実は一年程前から 自宅の近くのスポーツジムに通っています。


従前のブログにも述べ少しダブリますが そもそものキッカケは 2年程前 一泊二日の人間ドックでコレステロールが高いとの診断を受けました。

 このまま 放置すると 脳梗塞とか心筋梗塞になりやすいとのことで 病院で再検査してくださいとの事。

3ヶ月後に時間を見つけ出して 大手の病院に精密検査を受けに行きました。


審査の結果 やはり 通常より高いとの事でした。

改善するするには、食事療法を続けながら薬を飲んで数値を下げて、3ヶ月後に再度診察に来てくださいとの事。


私は 担当の医師の先生に薬を飲むと副作用はどうですかと質問をしました。

回答は当然副作用がでることも考えられますねとの返答でした。


私は先生に薬は飲まないで 食事療法で一度頑張ってみたいと思いますと答え 帰りました。  

病院側からのアドバイスは 運動と、コレストロールを下げる食材のりストを頂き、食事は 約三分の二程残しなさいとのこと。


私は昔人間ですし、物を残すとか 捨てるということはお金を捨てることにも繋がるし それよりも もったいないという気持ちの方が大きい人間です。

しかし、早速まずは挑戦することにしました。


私は仕事の関係上 どうしても、外食が多いので 余り残すことに 罪悪感にさいなまれる事があります。

 食堂の人にはあらかじめ 量を少なくお願いしたり、又残すときは失礼にならないように 今食事療法をしていますので すいませんと断ったりして 挑戦しました。


家内も協力して涙ぐましい努力をして頑張りました。

3ヶ月後経ち 勇躍勇んで しかし少し心配しながら病院に行きました。



結果は ほとんどコレストロールの数値は変化なしで再度 担当医師からは 薬の投与を進められました。


私は、もう三ヶ月食事療法で頑張りますといって 薬の投与を拒否して病院を後にし
再度挑戦することになりました。

 今までお腹一杯食べていましたので 食事療法によりなにか体力が低下したようで
気のせいか疲れがどうも残るよに感じました。

又 どんどん痩せてきました。


スタッフから 又、お会いするかたがたから 谷口さん痩せましたねえ。どうしたのですか。と言われる事が多くなり 家内までが お父さん少し痩せてきたねと言われる始末になりました。


鏡をみてもどうも生気がありません。

 余り齢を取ってからの痩せることは 貧相になってきますね。
体重も5キロほど落ちました。

6ヶ月後に再度検査を受けましが あまり改善はしていませんでした。


同じ日に耳が少し難聴気味になったので その耳の担当先生と雑談の中でコレストロールの話になりましたが、数値は別段個人差があり 私の数値はたいして高い数値ではありませんよとのこと。

先生によってこうも見解が相違するのかと 不審感をもちました。


6ヶ月ほど食事療法など、挑戦しましたが 「食力」と言われているように 今まで通りの食事に戻しました。

 お陰様で体重は元に戻り快調になりました。

食事カロリーの高いものは少し 注意はするものの通常通りの生活を送っています。


もうこの年齢になりますと 食べたいものは食べ、人生を楽しみたいという 心境です。


私は薬が嫌いで 出来る限り自然治癒力の人間のもつ素晴らしい力を活かしたいと思っています。


折角 自分の分身が一生懸命自然治癒力で頑張っているので 主人である私は健康管理に気をつけて薬の力を借りずに 分身の努力に答えたいそんな今の心境です。


そのような事で 冒頭に述べましたように 中々、時間的に厳しいですが 出来る限り時間を見つけて 週1回ぐらいのスペースでスポーツジムに通っています。

 薬に頼らないで自然治癒力で コレステロールを下げたいと思っています。


今回は食欲の秋に因んで 健康についての私の思いを述べさせていただきました。

これから向寒に向います。
お身体ご自愛下さい。

次回は師走ですね。

今回も最後まで お付き合いいただきありがとうございました。







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October 19, 2013

1964年東京オリンピック

今日は

ここ2〜3日で急に寒くなりましたね。


いつも 衣替えを10月に入るとするのですが、今年は10月に入っても残暑のような暑さで控えていました。

やっと秋らしくなり、明日から秋、冬物に衣替えをしようかと思っています。

前回のブロブは2020年の東京オリンピックについて述べましたが 今回は1964年(昭和39年)の東京オリンピックについて記憶を辿って述べてみたいと思います。

 まさか生きている間にもう一度オリンピックを見れるとは いまでも信じがたい印象です。(多分、今の健康状態であれば7年後は見れると思いますが) 


皆様方もご存知のように1940年(昭和15年)に日本は東京オリンピックの開催国として予定していたのですが 風雲急を告げる国際情勢の真っ只中、暗雲立ち込める世界情勢のため、日本は放棄、中止をすることになりました。


そしてその翌年、第二次世界大戦に突入することになります。 


戦後、暫く日本は敗戦国として、オリンピックに参加することを許されませんでした。 


1954年(昭和29年)のヘルシンキ大会の折に、はじめて日本は参加することを許されることになります。

資料で調べたら 昭和29年に日本は、すでにオリンピック開催の誘致をしているのですね。

その記事を見たとき少し驚きました。


終戦後、日本全土がアメリカ軍の絨毯爆弾で焦土に見舞われ 文字通り 焼け野原になりました。

復興に50年はかかると言われた日本が もう戦後の9年後にオリンピック誘致に立候補していたそのバイタリテーの素晴らしさに何とも言いがたい思いをしました。


そのような日本人の内在するエネルギーが、世界の2位〜3位に上り詰めていく国になって行った一因のようなそんな気がする記事でした。


当時、日本の東京オリンピック開催に反対する声が多かった要因は 日本は極東
(世界地図は大西洋の真ん中に アメリカ、ヨーロッパがあります。因みに日本は太平洋を真ん中に日本がありその対極にアメリカがあります)

といって地球の果てに位置している地球からはみ出したようなチッポケな国である。

そんな地球の果てに費用もかかり、選手団を送り込めない。 

又オリンピックを開催できるほどの力はないという評価で、東京開催の誘致活動は非常に困難を極めたようです。


 今回の2020年の開催にあたって大変だったように、当時も非常に厳し条件の中での、誘致であったとの事。

そのような紆余曲折を経て、有色人種として初めての日本開催になりました。


私は当時は10代で、その折のオリンピックで、私が鮮明に記憶する場面を2〜3述べさせて頂きます。

開会式での天皇陛下が開催宣言をされる場面と、開催式の最後に日本選手が堂々と登場する場面です。

背中にえもいわれない戦慄が走ったのが思い出されます。

そして、例の日本のテレビ界至上、多分今後共 破れることはないといわれている80数パーセントの視聴率(60数パーセントともいわれていますが)を誇った女子バレーでの日本選手の初めて金メダルを取った瞬間。

 
初めて採用された柔道の最後の無差別級での神永選手とアントンヘーシンク選手との戦い。


四方固めで神永選手が押さえ込まれ、私は必ず神業で神永選手が跳ねのけると堅く信じた25秒間。

そのヘーシンクが優勝した瞬間 歓喜の中でオランダの方で、多分コーチの方と思いますが 畳の上に上がろうとしました。 


その時、ヘーシンク選手が神永選手を押さえ込みながら、沈着冷静にそのコーチを片手で静止の合図を送った風景は今も心の片隅に焼きついています。


私は、その瞬間日本柔道は、日本から離れ 世界の柔道に向っていく出発点のようなそんな思いをしました。

大げさな表現を使いますと 一抹の寂しさとこれで日本の柔道は世界に羽ばたいていくのだなと、そんな複雑な思いをしたことが思い出されます。


私は幼少の頃からいつも「世界の中の日本」と言う日本を思う気持ちが大変強かったようです。


今回は2回にわたり 2020年の東京オリンピックと 1964年折の東京オリンピックの思い出について述べてみました。


秋の夜長を一足飛びして 今年は冬がくるのが早いのではと思います。


皆様もこの急激な寒暖の差に体調を崩されませんように

では 又 11月に。


最後までのお付き合い有難うございました。




















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September 28, 2013

東京オリンピック

こんにちは

少し 朝晩は過ごしやすくなりましたが 日中は結構暑く 残暑のようですね。

もう9月も28日で 本来であれば爽やかな秋日和にならなくてならない時期ですのに 


このまま行きますと 秋は短くすぐ冬に入るのではと懸念します。


これからは、日本の素晴らしい見事に分かれた世界に類のない春夏秋冬の4シーズンは なくなるかも知れませんね。


さて今月は我々に日本人にとって素晴らしい心一つにするビッグニュースがありましたね。


丁度 その発表の時は、私は我々の30余年に亘り主催する合宿研修会が宇治のお寺である一泊二日の合宿研修中でした。

開催決定の発表は8日日曜日の朝5時とのこと。

何か研修中でありながら土曜日は招致の結果がどうでるのか、少し浮ついた気持ちであったように思います。

一日目の研修が終わりますのが夜中の11時頃で それから研修室の後片付けをしまして講師部屋に入りますのが11時20分頃です。

それからフロに入り研修生の方々方の一日目のレポートをチェックし 終わるのが
12時を回ります。

通例それから 就寝します。


そして朝5時起床で5時40分から朝礼がありますので研修会場に向います。

合宿研修会期間中はこのような時間割で何十年と進めています。

今回のオリンピック開催の誘致先の発表は 丁度日曜日の朝5時ということでしたので大変タイミングがいいなと思っていました。


通例は 歳も歳ですし土曜日の夜は爆睡するのですが 今回は何か気になって ウトウトして1時間毎に目を覚ますことになりました。 


後からの録画によるニュースではなく 世紀の歴史的発表を中継でその瞬間を見てみたという気持ちが大変大きかったです。


朝、5時の発表が確か20分ぐらいになったかと思いますが、発表用紙を裏から表に返す瞬間は 緊張の余り顔もこわばっていたように思います。(大昔の入試の発表のようなそんな気持ちでした)


あの少し無表情のTOKY0と読み上げられた瞬間又文字を見た瞬間思わず えもいわれぬ安堵感と共に涙がこぼれ落ちました。

本当によかったなあ とその日は睡眠不足でありながら心高ぶる研修の運営でした。

研修生の方々にも朝の一番の挨拶で東京オリンピック2020年開催決定を伝えました。


過去に名古屋、大阪と立候補していました。

そういえば私の地元の大阪でもそのような誘致があり 大阪市内のいたるところで誘致の旗がたなびいいている光景が思い出されました。

その程度の関心でした。 

しかし 今回のオリンピック誘致の関心度については 非常に高かったと思います。


今回の誘致は、例の東日本の大地震の日本人の心に内在する複雑な不安定な打ち沈んだ精神状態の鬱積した中での立候補でした。


そのよう中での誘致活動については、日本の国民が一つに繋がる関心事になったように思います。

もし 今回落選した場合は 安倍内閣の元、失われた20年といわれる日本に取って又やっと少し 上向いたかなと思いが先行している中で、又我々の暮らし向きについても ひと筋の光明が見え始めた中でので決定です

お金では換算できない(因みに一説に150兆円の経済効果があると言われています) 計り知れない心の効果があったものと私は思います。


安倍首相の誘致の話の文言の中で 東北の汚染水の問題を云々されてれいますが 私はそれをプラス発言ととらまえて 東北が又素晴らしい日本誇る土地に復興することを切望する一人です。

今回のこの誘致決定が 世界に誇れる逞しく復興した 素晴らしい地域になるように重点をかけていく機会になればと深く思います。


今回は 我々日本人に取ってスポーツを通じて 素晴らしい国づくりにつながり その繁栄が、今 混迷を極める世界の政情に少しでも平和に繋がる結果になればと 切に秘かに願望する次第です。



今回は私が50年前 テレビで見たあの素晴らしいオリンピックが 私が生きているいる間にもう一度見れる機会なった夢のような決定を思い出し 述べてみました。


まだ 暫くは日中は暑さが続くようです。

今年は事のほか猛暑が続きましたので体調を崩されている人が多いとの事、

どうぞご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂き有難うございました。









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August 24, 2013

キャロラインさん

こんにちわ


お元気ですか。

今年の暑さは異常を通り越していますね。

毎晩クーラーをつけっ放しで寝ているのは初めてのように思います。(陰の声ー節電しなければならないのですが) 


今までの夏は必ずタイムにして時間になると電源が切れる状態にしていましてがお陰球で今回は 冷房で身体がだるく 夏風邪とやらを体験して夏バテといったものではないですね。


後 数週間は残暑が続くようですのです。


 老骨にムチを打って この酷暑を乗り切ります。

さて、この間から キャロライン・ケネディさんの駐日大使就任のニュースが報じられていますね。


そのお父さんはご存知の故J,Fケネディ大統領です。

彗星のように現れ 全世界にその希望の星として1961年 昭和36年第35代大統領に就任しました。



私はまだ 学生の時で その折の大統領就任の挨拶は今も鮮明に覚えています。

   「国が何が出来るのかではなく 貴方が国に何が出来るのか」


当時のレコードプレーヤーで ドーナツ版でその折の就任の録音を 英語があまりわかりませんでしたが 訳語を横に心踊りながら何回も 聞いた思い出が お嬢さんの駐日大使就任の報と共に 蘇ってきました。



今日に至っても 未だに世界のケネディと慕われている人物はないのではないかと思います。


大統領就任のその1年10ヶ月後 ご存知のダラスに遊説の折に暗殺されると言う ニュースは 世界に初めて衛星で同時中継されるという 世界が震撼するニュースが流れました。


今でも その折の放映の様子が浮かんできます。


私は その折はアメリカの医療技術は世界の先端をいっているし なんといっても 現役の大統領なので アメリカの医師団が 死力を尽くし治すものとの思い その結果を待っていました。


しかし その甲斐もなく死亡とのニュースが世界の隅々まで 地球の果てまで報道され 全世界を悲しみの渦に巻き込みました。



今回のテーマになったのは 故大統領の葬儀のときの6歳にまだ満たない キャロラインちゃんの悲しげな何ともいえない切ない表情が そして 3歳のまだお父さんの死が分からないジョン君の故大統領の棺の前で敬礼する姿とあわせ 涙腺を緩めた記憶が脳裏に蘇ってきます。


その故ケネディ大統領の墓地を 30数年前 アメリカに出張の折、仕事の合間に行く機会がありました。

私としましては 学生時代の畏敬の対象であった故ケネディ大統領の墓地を訪問することになるとは 夢にも思っていませんでした。 



ワシントンDCから ポトマック川を渡ってバージニヤ州のアーリントンの国立戦没者慰霊施設の中に大統領の墓がありました。


その墓の中央にはひと筋の炎が揺らいでいました。

今も 鮮明に記憶の中にあります。

丁度衛兵の交代のタイミングの時間にめぐり合い 大統領の墓地の前で直立不動で 衛兵交代の儀式が 敬虔な厳粛なフィンキで執り行われていました。


聞くところによると この地球が存続する限り 未来永劫 その炎は燃し続け 何時時間に一回になるのか (2時間に一回と聞いたように思います)故大統領の栄誉を称えて 24時間休むことなく 衛兵の交代を続けていくという事でした。


その現実を前の当たりにして 本当に世界で 又アメリカでこれほど国民に愛された大統領は もう2度と現れることはないだろうという思いがしました。


当然、このような栄誉の儀式は故ケネディ大統領だけであるということでした。


そのことをしても 若干45歳で亡くなった故ケネディ大統領をここまでアメリカ国民は敬愛していたのかということに驚かせれもしました。



今回は この秋に駐日大使として就任すると言う、故ケネディ大統領のお子様のあの姉のキャロラインさんのニュースを見て時代の移り変わりの変転に 何か複雑な思いで報道を見ました。


因みに、その折の弟の3歳のケネディジュニアのジョンちゃんは 1999年7月自から操縦する飛行機事故で亡くなるという悲運に見舞われ  大統領夫人とか兄弟も相次いで なくなると言うニュースは悲運のケデディ一家として報道され 皆様方も 記憶にあられることと思います。 
 

キャロラインさんは ケネディ家として血縁の一番濃いたった一人の方で 私にとっても今回の駐日大使就任の報道は 感慨深いニュースでした。


さて 今年の盆休みはどうされましたか。 私は家内の実家の大聖寺の方に娘と孫2と2泊3日で帰省しました。

二人の孫のお守りに大変疲れた3日間でした。

厳しい残暑が続きます。

どうぞ お身体 くれぐれもご自愛を

今回も最後まで 辛抱強くお付き合い頂きまして 有難うございました。


 
 












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June 23, 2013

戦国武将

今日は

今年も早いもので もう半年になろうとしています。

いつものコメントですが あっと言う間に時間が立ちますね。

研修の折は「一呼吸に命」をという 大仰なことを言っていますが、どんどん実感として身体で感じる今日この頃です。


昨日の6月22日の土曜日 スタッフが私が大台に乗ったお祝いにと京都の太秦にある京都映画村の時代劇扮装の館での扮装の衣装を着るという企画を立てて貰っていて 行ってきました。


私は 従前にも記させていただきましたように 20代の後半から30代の中頃まで仕事で 海外に行く機会が度々ありました。


昭和40年代の後半に〔故〕田中角栄総理大臣が誕生しまして 一億総レジャー時代がこれから到来すると大いにぶったセピヤ色の時代がありました。


日本列島改造論を提唱し 日本を隅から隅まで新幹線を走らせ 当時では夢のような話でしたが 四国と本土とを何箇所から橋を架け、結ぶという計画も政策で挙げられていました。


その当時は夢のような話が今、現実に出来ています。

こうして振りかって見ますと まず「思いあるき」はやはり大切なことであるようですね。


話は戻しまして 当時、我々が創設した国際部でレジャーの先進国であるアメリカに レジャー産業の動向を調査するためにレジャー調査団を組み 2週間程視察した思い出があります。


その 調査地の一つとして ロスアンジェルスにある「ユバーサルスタジオ」を視察する計画を立てました。


その施設には、アメリカのテレビ番組のロケのセットの状況とか 映画のロケのセットなどが設営されています。 


年配の方などは記憶にあられると思いますが テレビのコメデー番組として「ルーシーショウ」の番組があり 日本でも放映され大変な人気番組でした。

そのような ルーシーショウのようなテレビ番組の風景とか 又女優が着ていた衣装の展示などがありました。

我々は大変興味を持って見学しました。

実はその視察の結果 私が 日本もレジャーとして京都の地に時代劇の映画のロケ等を再現するような施設など 今後の日本のレジャーの一環として面白いのではないのかとの提案をさせて頂いた事があります。


そのような経緯行って見たい場所でした。


そして 私の好きな時代劇のセットも見たく 又 相変わらず おさないですが 一度戦国武者の格好をして タイムスリップの世界に浸りたいようなことを言っていたようです。 


そのことをスタッフが 覚えていたようで 大変長い前置きになりましたが、今回の企画なりました。


どの戦国武将の扮装が良いですかとの話が事前にあり 私はリストの中から、幼少のころから好きだった真田幸村の扮装に決めました。


京都太秦映画村に着きまして 早速扮装に取り掛かかる事になりました。

白装束から 始まり扮装用の衣装が次つぎと出され 衣装係の指示で着けていきまた。

兜から 鎧〔よろい〕甲冑 具足 両刀と重さは約20キロほどあるとの事で
当時は30キロほど あったとの事。

この鎧をつけて 戦いの折は走り回るとなると相当の体力が必要であると痛切に感じました。



その戦国武将の衣装を着けて そのあとドーランを塗って 一時間程のちに凛々しい戦国武将が誕生しました。 


記念写真を撮って それから時代村を散策して 暫し戦国の時代にタイムスリップした至福の時間でした。


衣装の重みが 反対に大変心良い気持ちでした。


何か日本の持つ伝統、美意識、歴史を 体で感じ 一段と日本の素晴らしさを確認したひとときになりました。    

 我々スタッフも それぞれお姫さんとか 千姫になったりして衣装を着けて 時代村を散策しましたので 海外からの見学者から あちこちで一緒に入っての記念写真の要望があり 暫し得意の英語で 国際親善をかね 俳優気分に浸った時間でもありました。



そのあと 嵐山に出て100年続いた料亭での会席料理での食事会になり 三々五々別かれました。


今日は 私が大台に乗った〔私としては全く元気で、実感がないのですが〕お祝いとして、計画して貰った京都東映時代村での扮装物語を スタッフの優しい思いやりに感謝して記してみました。


最後まで お読み戴きまして誠にありがとうございました。

今 梅雨の時期です。 すべての動植物の命の根源である梅雨が もう少し続く事を願って終えさせていただきます。

有難うございました。















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May 18, 2013

富士山

今日は

お元気でしたか。

5月の連休は如何お過ごしでしたか。

私の方は私の家内の実家のある石川県の大聖寺に私の娘の家族と一緒に帰りました。 
一泊で実家の近くの山中温泉で宿泊し 後半は孫達と私の家の近くの公園で蝶ちょ取り等して ゆっくりとした連休でした。



さて、少し前に富士山が世界遺産に登録されることがほぼ確実になると言うニュースが、話題になっていましたね。


少し 世界遺産のことを調べますと、世界遺産は昨年の時点で962件あるそうです


世界遺産には 3種類があって 貴重な自然が残っている「自然遺産」 歴史的な建物や遺跡の「文化遺産」 自然と文化の両方の価値があると認められた「複合遺産」があるとのことです。


今回の富士山は「文化遺産」になるそうです。


以前に確か自然遺産で申請しょうと試みたのですが ゴミなどがたくさんあって断念したとの事。



皆様方は富士山は登られましたか。


私は20数年前 年に一回3年に亘り 3回ほど登ったことがあります。

私の得意な気障っぽい事を言えば 2番目の新しい会社設立の経営理念に日本一の文言を入れました。


日本一と文章に挙げるのであれば 単純に日本一の富士山に登ってみたいそんな思いでした。


一応10回を目指したのですが 中々その後、行けなくて 現在に至っています。


その登山の折に使った3本の金剛杖が 今も事務所の片隅に眠っています。


当時を思い出しますと 昼頃新幹線で静岡に着き バスで富士山の5合目まで行き
3時〜4時頃から5合目より 登り始めました。


最初は鼻歌交じりに快調に登っていくのですが 6合目の後半当たりから バテはじめ 勾配もあり 又 4時間〜5時間歩いています。

疲れも出てきまして 歩く速度が大変遅くなると共に 一足一足が 中々遅々として 進まず 途中でリタイヤーしょうと思った記憶が 蘇って来ます。


確か8合目に 夜中の10時頃やっとの思いで着き 少し山小屋で2〜3時間仮眠をして 夜中の2時〜3時頃起き 山上まで登りました。


山小屋といっても 本当の雑魚寝で 神経の細い人は人いきれで 疲れはあるのですが寝れないのではないのかと思った記憶があります。

 3回登山のうち 晴れて御来光が見れたのは 1回でけでした。


今でも雲海から 登ってくる太陽の神々しさが 脳裏に焼きついています。

今回の登録内定の対象となった点は 日本の最高峰の山であることは さることながら 日本人の持つ富士山に対する信仰等も条件になったとの事。


そして、昔から富士山は浮世絵にもありますように 芸術作品として描かれていることなどもその条件にかなったようです。

我々日本人のDNAにある憧憬と信仰の魂として受け継がれてきた富士山が
世界に認められて大変嬉しく思った今回の内定でした。


時折 新幹線で上京するときに 富士山がはっきり見えるとき 車内のアナウンスもあり その気高さと神々しさ 美しさには 胸を打たれることがあります。


昔 海外に出張で何回か渡航する機会がありました。

日本に帰国するときに 着陸体制を取って羽田空港〔当時は成田空港はまだ出来ていませんでした〕の空路旋回します。


その時 飛行機の窓から眼下に見下す富士山に 今回も無事に日本に帰ってきた 又日本を強く意識すると言う、何ともいえない感傷的な複雑な思いで見た事が蘇ってきます。


上述しました 最初の申請である自然遺産の項目では 確かに 遠くでみれば 世界でこんな美しい羊蹄山の山はないと思います。


しかし富士登山の折はゴミなどが道中散乱して 外国人が 登ったときに日本人として大変恥ずかしい思いをした記憶があります。


今回の申請は「文化遺産」と言うことでの登録ですが 富士山の美化については 考える必要が多いにあると思います。 


その美化環境を維持するための入山料など徴収し 環境保全に適用すればとの 思いを強く持ちます。



今回は先般発表された 富士山の世界遺産の登録内定と言う 嬉しいニュースについて 述べてみました。



これから 暑さに向っていきます。

体調管理には充分ご留意下さい。


今回も最後までお読み戴きまして 誠にありがとうございました。 

senba206 at 17:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 13, 2013

パワハラ

今日は

お元気にご活躍の事と思います。

私の方は3月の終わりの週から4月の先週まで 30余年と続けさせていただいています新入社員の合宿研修会がお陰様で 大きな事故もなく無事終了致しました。

今年も、約400余名の研修生のご派遣を戴きました。

今年は最近話題になりました桜宮高校を含む一連の報道で通年の思いの研修に取り組む姿勢と少し異としました。

暴力をふるうと言うのは全く論外ですが 言葉の暴力とか 言葉のパワハラと言う点で 考える事がありました。 

我々の研修は 朝4時40分起床の夜は11時30分頃就寝と ほとんど休憩らしい休憩はない言う ある面では大変厳しい研修です。


我々としましては 人生の一歩を踏み出す新社会人に これから歩んでいく厳しい多難な出来事が待ち受けている人生航路に積極果敢に挑戦していただき この研修が少しでもお役に立ことが出来ればとの強い思いで進めています。


あるトレーナーとお話していましたら 最近の若者がどれほど 我々の思いを理解して研修取り組んでくれているか 疑問ですよと言われました。


確かに それは痛切に思います。


職場生活においても 又 「親の心、子知らず」と言う諺もありますように 現在の社会環境は 益々 人の心の織り成す綾は複雑です。

今回の研修の最初の入山式(開会式)に、私は校長先生と言う立場で 以下のような挨拶をさせていただきました。


まず 就職おめでとう。 このような 人生80年如何に行くべきかと言うテーマの研修にご派遣される皆様方の会社は素晴らしい会社であると同時に  皆様方は今年卒業される何十万の研修生から選ばれた千載一遇の一握りの研修生です。


是非そのような事を意識して 自分だけのことを考えず 今年の卒業生を代表して研修していると言う 強い思いをもって取り組んで欲しい。 


そして日本に、そして世界に貢献するという大きな夢、ロマン、志を持ってがんばってほしいというような意味合いの挨拶をさせていただきました。


今回の研修で特に強調してお話させていただいた内容は 我々には3日間(二泊三日の合宿研修)だけ与えられた時間です。

そのために皆様方に厳しく叱責したり 厳しい言葉を投げかける場合があります。

その折は 先ほど申し上げました挨拶の言葉をご理解戴き ご対応下さいと。

「わかっているでしょう」と言う言葉は 上記に記しましたように、長年一緒に生活しているものでさえ 難しい問題です。


なお更、今回のように初めて出会う研修生です。


そのような「わかっているでしょう」と言う我々が発する言葉は 今回の桜宮高校を含む一連の報道でも感じましたように 気をつけて対応しなければならないと思う今回でした。

我々としましては 素晴らしい幸せな人生を送っていただきたいという 一念が強くなればなるほど 限られた与えれた三日間という制約ため どうしても言葉を 荒げてしまう場合があります。

それが パワハラとか、言葉の暴力とかになりまねません。

そのような事を意識する今回の運営でした。

しかしそのようなことは杞憂で  毎年感じることですが 我々の思いをしっかりと受け止めていただき  理解いただき 最後まで健気に我々トレーナーを最後まで信じ ついて来てくれた研修生を前にして 下山式(閉会式)のおり不覚にも 思わず感涙し、今回も最後の挨拶は出来ずじまいで、無言で降壇しました。


ある意味では、私の気持ちにまだこのような思いを持っている限りは、もう少し校長先生として 頑張りたいなあと思った瞬間でした。


今年も無事に事務所の裏の天満宮に御礼の挨拶が出来、至福の時間が持てたことが嬉しい結果でした。


それは、そうと今朝 比較的大きな地震がありましたね。


私は目を覚まし 冷静に対応していました。

揺れが止まった後 震源地はどこかな もし 遠方でこれだけの揺れであれば 大きな災害も考えれるなあと思いながら 常に寝床の傍においている ラジオを聴きました。

震源地は淡路島方面との事。  余り大事に至らなければ良いなと思いながら 今日は事務所で打ちあわせがあるので 家を出ました。


地球は生きているのですね。

特に日本は世界でも珍しい自然に恵まれた 環境にあるといわれています。

これからは 地震との共生についても長い視点でとらまえていかないと 難しいなあと感じた今朝の地震でした。

今回も最後までお読みいただきまして有難うございました。


寒暖の差が非常に激しい今日この頃です。

お身体ご自愛下さい。

                      有難うございました。

senba206 at 15:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 16, 2013

アンカレッジ

今日は

皆様方は お身体の方は如何ですか。

ここ一週間の気候の変化は大変ですね。

この間まで 4月の上旬並みの天候でこれで春到来と思い 冬物のコート等クリーニングを出したと思った翌日から 急に冷え込み真冬並みになりました。 


この急激な天候の変化で身体が驚いて対応にまごついているようで、私は又風邪を引きました。

ここ数年は 病気らしい病気はした事がなくて、本当に珍しく 立て続けに2回病院に行きました。

私自身は全く認めたくないのですが 歳は考えないといけないとの思いに 駆られた今回の体調不良でした。


さて この間の新聞に外交文書の公開があり  1971年(昭和46年)昭和天皇の欧州訪問の折の記事があり 懐かしく読みました。


今のシルバー層の方は良くご存知ですが 今から40年前の欧州への旅行は アンカレッジ経由の北極圏を通る北回りか、 南回り、つまり東南アジアの各地を経由していく 二つのルートしか 欧州には行ける便はありませんでした。


当時 現ロシアは「鉄のカーテン」と言われ ロシアの上空を飛行機を飛ぶことを禁じていました。 


ゆえに 日本から欧州に行くには 北極圏の上空を飛んで ヨーロッパに行くルートしかないと言える状況でした。

そうすると どうして 欧州に行くかとなるとアメリカのアラスカ州のアンカレッジを経由していくことになります。


当時は ジャンボ機のような400名〜500名(747)を一気に載せる飛行機はまだ開発されていなく 200名乗り(727)が当時としては一番の大型機でした。


今であれば給油なしで 直行で各ヨーロッパの各都市に行けますが 当時はそのような事で飛行機が小さく 燃料タンクも制限され、飛行距離も短く、燃料の補給が どこかの地でどうしても 必要になります。

そこで、その給油地として アメリカ・アラスカ州のアンカレッジがその場所として選ばれ、2時間程の滞在で、(航空の言葉でトランジットと言うことになります)そして各欧州の都市に行くというルートでした。


上述しましたように、外交文書の公開に天皇陛下の欧州ご訪問の記事を、大変懐かしく 40年前弱の思い出に少し 浸った次第です。


実は、その折私も天皇陛下の欧州歴訪の折を前後してヨーロッパに視察旅行に行っていました。


天皇陛下が ヨーロッパのご訪問に単なる給油のために立ちよった2時間程の滞在のアンカレッジに、ある面ではアメリカの僻地に、当時の大統領のニクソン氏が わざわざ出迎え、天皇陛下を表敬訪問し 歓迎されたニースがアメリカの新聞を賑わしていた記憶があります。


アメリカ人の一般的な当時の思いは、日本の天皇陛下とは、アメリカの現役の大統領をも 表敬訪問をさせるような立場で、どにような人なのかと言う思いだったようです。

その折の両国の天皇陛下に対する思いが 先般の文書公開で大変興味深く思った次第です。


私も 天皇陛下の欧州歴訪の前後して同時期に欧州を回わっていました。

そして 天皇陛下がスイスのチュリッヒに着かれた時に 丁度私もチュリッヒに滞在していましたので 空港までお出迎えした思い出が懐かしく思い出されました。


今回の 一連の外交文書の公開に因んで、天皇陛下の欧州のご訪問についてのエピソードについて、記してみました。

「アンカレッジ」 私が初めて外国に行った最初の地 「アンカレッジ」 ノスタルジアの響きに 時代の流れを感じた今回の報道でした。


再来週から 我々が30余年と進めています新入社員の合宿研修会が始まります。

日本の将来を担う若者です。

日ごとに緊張して行く最近です。

では 次は春爛漫の季節でのご報告になるかと思います。

寒暖の差が大きい今の時期です。

お身体ご自愛下さい。




 

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February 23, 2013

体調不良

今日は 


毎日寒いですね。お元気でしたか。


地球温暖化が叫ばれて久しいですが 冬は冬らしく 寒いのは不得手ですが なにか ほっとしてこの寒さを楽しんでいます。



2週間程前になりますが 昨年に予定していた インフルエンザの予防接種を病院に行ってしてもらいました。


少し 疲れていたなかでの予防注射のためなのか なんとも判りませんが 注射をして貰った 翌日に 身体がだるく、しんどくなり 熱が39度近く出て スタッフからも促され病院に行き診察をしてもらいました。


丁度翌日から3連休にかかっていましたので 土曜日は自宅で、一日中昏睡状態で 良くもそんなに眠れるなあと思うぐらい 眠り続けました。


その間、食事もまずくて 喉に通らないし  何年振りかで体調を崩しました。 


「しんどい」ということはどのような状態になるのかと思うぐらい健康でしたので

しんどいということが 良くわかりました。

体調が悪いと なにをするにも全くおっくうになり けだるくなり 気が滅入りますね。

このまま このまま このしんどさが続くのかと。  


私の両親は、父が96歳 母が93歳で 数年前二人とも相前後して 黄泉の国に行きましたが 健康で長生きをするということは 大変なこ とだなとつくづく思った今回の体調不良でした。


さて、話は戻り診察してもらった後 診察料の請求書を貰いました。

薬はなかったので、今回は薬がないので大した病気ではないようだなあ、と安堵していました。

従前にも述べましたように 私は薬が大変嫌いです。

今回、薬がないので 私の事務所の近くにある診療所も薬について一家言もった病院で私の薬に対しての思いと一緒だなとと喜んでいました。


その診察の3日後のことです。

診療の薬の処方箋のシートが、机の引き出しから出てきました。
一週間分、5種類程の薬を毎食後に飲むことになっていました。


近くの薬局店で薬は購入するんですね。

久しぶりの病気ですっかり忘れていました。

 薬は出来る限り使用しないで との気持ちですが いくら気持ちが若いと言いまして歳は歳です。

機械も60年〜70年も使用しますと メンテナンスしなければならないし 生きとし生きるもの、又ものにも必ず寿命というものがあります。



今回は、薬なしで体調が元に戻りましたが 気をつけて 歳相応の自己管理をしなければならないなあと つくづく思う今回の体調不良の出来事でした。


スタッフからは 神様が 「気をつけなさい」という シグナルですよと言われ
まさしく そのとおりだなとと思いました。


そういえば 少し夜の行事が続いて 帰宅も深夜に及び 無理をしたなあと思う節が多々ありました。


家内からは 私の言うこと(栄養剤、薬等飲んで休息すること)を聞かないと病気をしても看病しないですよと 脅かされ その忠告を素直に聞いて、一日ぐっすり休息したお陰で 回復も早く大変よかったです。
 

お陰さまで、その週の土曜日、日曜日と我々の主催する一泊二日の禅寺合宿研修会は 快調の内に運営出来よかったなと安堵した今回でした。


 厳しい寒さが続いています。今回は健康の有り難さを痛切に感じました。

皆様な方も健康管理には 充分気をつけて この冬を頑張ってください。

最後まで 私事の近況にお付き合いいただきまして 有難うございました。 











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January 12, 2013

縁者の絆

おめとうございます。


旧年中は 大変お世話になりました。

今年も宜しくお願い申し上げます。

今年は通年よりお休みが長かったですが お正月は如何でしたか。


私の事務所も7日からの初出で いつものように お屠蘇で新春のお祝いをし それぞれの正月休みの家族サービスを 団欒しながら 「今年も宜しくお願いします」の挨拶で始まりました。


そして 全員で事務所の裏にある 天満宮にお参りをし 昨年の一年間の感謝の御礼と、心新たに 清浄に 今年も過ごせますようにと お参りをしました。


昨年は一昨年の12月、真ん中の兄の他界で 喪中のため お飾りとか お参りは控えましたが、今年は一年ぶりに すがすがしい 新年になりました。


しかし、正月もどんどん 正月らしさがなくなってきましたね。

 
正月の風物詩である各家の玄関のしめなわも 少なくなりましたね。

 
正月は羽子板とか 凧上げなどして 又 近所の友達が大勢集まり トランプなど興じた セピヤ色の遠い,遠い,思い出が こうしてパソコンの前に向っていると 懐かしく、思い起こされます。


さて 皆様の正月は如何でしたか。


私は今年は大台になり 谷口家の縁者の一族郎党の甥、姪、孫を含め20名に お祝いをしていただきました。


私としては 幼いのか 気が若いのか 全く実感として沸かず 困りましたが。


そういえば 私が還暦の折り 皆様から お祝いの会を開催していただき その折、舞台の合間を抜けて お祝いに駆けつけて戴いた大村昆さんの お祝いの言葉が蘇ってきます。


「谷口さん これからの10年は本当に早いですよ。あっと言う間ですよ。すぐに 古希を迎えますよ。」と


 正月2日にそれぞれの車で実家の香里園の近くにある駐車場に集合し 
チャーターしてくれていた「谷口碩志(みつゆき)氏一行」と書かれたバスに乗り移りました。(何か 大層だなと思いましたが) 


 私のお祝いの会として、岡山の湯郷温泉に一泊二日で 計画されていました。



姫路で 高速道路を途中下車し 私の方の娘夫婦(姫路在住)と二人の孫と合流し 娘婿の実家の近くの高台にある風光明媚な 眼下に牡蠣でも有名な室津漁港を見渡しながらの昼食となりました。


眼下には 港に漁船団が停泊していて その漁船、漁船に 見事な色取りどりの初出の大漁旗がたなびき 初めて見る新春の漁港の風景に心躍ると共に、一抹の切なさを感じたひと時でもありました。


その風景は 我々、男三人兄弟が必ず宴会の最後に歌う 鳥羽一郎さんの「兄弟船」そのものを彷彿さす風景でした。 


 私のこのお祝い会の そもそもの発案者で 数年前から体調を崩し、何とかこの会まで 生きていたいと 口癖のように言っていた今は亡き真ん中の兄(一昨年の12月に他界)の姿が浮かんできました。

その「兄弟船」の風景が眼下に広がり 兄が生きていればなあ、と 何ともいえない切なさが込み上げ 思わず涙腺が緩んだ時間でした。


そして、一路 岡山の湯郷温泉に向いました。

 車中では 後の座席はサロン風になっていて、カラオケとか 甥、姪が家族対抗によるクイズなど計画していて 優勝チームには 景品を用意したり、楽しい車中となりました。


夜の宴会は 色々と趣向を凝らしていて 垂れ幕で歓迎されたり お祝いのたすきを 
かけられたり 本当に大変感動した 至福のひと時になりました。


宴会の途中、部屋を出てウロウロしていると 見知らぬ人から おめでとうございます。と声をかけられ なんでお祝いのことを知っているのかと一瞬びっくりしました。


私が甥、姪が用意した お祝いの「たすき」をかけていたためで、 少し面映い場面もあり 楽しいひと時でした


宴会の最後に 親戚を代表して 私の孫二人が 我々夫婦に 一諸に旅行をと 旅行券を戴く演出も、計画されていました。


本当に嬉しい 希薄になっていくる家族、縁者の「絆」の尊さを かみ締めた今回でした。


翌日は倉敷にまわり 倉敷のレトロな風景に暫し寛ぎ、帰阪しました。


こうして 谷口家の縁者による お祝いの会を催して頂き 本当に幸せ者であると感謝尽くせない今年の正月でした。


一昨日の10日は 新春の行事になっています 事務所の近くにあります堀川神社の「えべっさん」に全員でお参りしました。

 
昨年の笹を返し 新しい笹を事務所に飾り 来週から本格的に仕事が始まります。


「日本に、そして、世界に貢献する」今年も 青臭いロマンを掲げて頑張りたいと強く思った年初でした。 


本年も何卒 お付き合いの程 宜しくお願い申し上げ 新春のお祝いの挨拶に代えさせていただきます。  


                     有難うございました。



















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December 29, 2012

一年間お世話になりました

今日は

今年も今日を入れて 3日になりました。

月日のたつのは 本当に早いですね。

 あっと言う間に 今年も終わります。

皆様方の今年はいかがでしたか。


昨日は スタッフ全員で大掃除をし 事務所の近くにある繁昌亭の傍の そば屋さんで年越しそばを戴いて 仕事納めになりました。


正月の6日まで正月休暇に入ります。


今日は一人事務所に出て 残務整理と正月を迎えるための恒例の鏡餅を飾り、
そして 事務所の玄関に正月飾りを終え 今 一息をついて パソコンに向っています。


今年も色々ありました。

私の今年の大きな出来事の一つに 6月に30余年ぶりに韓国に行ったことが挙げられます。


韓国海兵隊の招待により 韓国の海兵隊の訓練に三泊四日で受けてきました。


韓国の大学生と共に受けた厳しい訓練は 日本の研修に学ぶものがたくさんありました。

そして 暫くして ご存知の非常に憂慮する竹島、尖閣問題が勃発しました。

そして 8月に防衛大臣などの高官が参加され 富士の裾野で開催される自衛隊の大演習に招待され行ったことです。

 

前日 事前にチッックして、富士市の沼津で富士さんを窓越しに一望できるホテルに宿泊しました。


その日の夕方から秀峰富士を見ながら 夕闇迫る沼津港での魚のおつくりの美味しさが忘れられません。


普段は せわしなく仕事に追われる毎日に 心の安寧を感じた至福のひと時でした。



翌日は 朝早く起床し バスで富士の裾野に向い、目の前で繰り広げられる地面も揺が、実弾の大音響の演習に 固唾を飲みました。


丁度 竹島問題、尖閣問題が勃発した時期でしたので 非常に臨場感のある 演習になったように思います。


僕自身の心もどこか高揚していたように思います。

私自身 丁度韓国の海兵隊の訓練にも参加した直近でしたので 非常に複雑な思いの見学となりました。



演習の終わりに40台程の戦車が我々の前を通り 兵舎に戻っていきます。


10代のまだ幼い若者が 戦車の上から 敬礼姿で通りすぎるのを見たとき 思わず涙が溢れました。



何の涙だったのか。

これからの日本をこの若者達に託す言う日本を憂う思いだったのか。

そして、その折の自衛隊員の目の輝きが忘れられないひと時でした。


取りとめもない文章になりましたが さて 来年はどのような年になるのでしょうか。



どのような年になろうとも 前向きに生涯現役で 大河の一滴にもおこがましいですが 日本のため、そして世界の平和のためにと、青臭い思いを抱き 頑張りたいと決意をしながら 今年最後の思いを終えさせていただきます。 


一年間 お付き合いいただきまして誠に有難うございました。

 来年も何卒 宜しく御願い致します。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。  


                      有難うございました。






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December 15, 2012

自然治癒力

今日は

今年も後2週間ほどになりました。

お元気にご活躍の事と思います。

寒波襲来ということで寒かったですが 今日は少し温かいですね。

私は 毎年年に一回一泊2日の人間ドックに行っています。

昨年人間ドックの結果 コレストロールが高いということで 総合病院で 再検査をと言う指示があり 昨年の秋に何とか時間を見つけていきました。

その折 検査の結果 少し数値が高いので 数値を抑えるために薬療法で治しますかとの 担当医師の話がありました。


私は昔から 薬を飲むのが嫌で、動物である人間の持つ素晴らしい自然治癒力で 治すように努力してきました。


先生に質問をし 数値が高いとどうなりますかと尋ねますと 血管が詰まっているので 心筋梗塞、心臓麻痺になるケースが多いとの事。


もしその薬を飲みますと 死ぬまで一生飲み続ける事になるとの話し。

 薬の副作用は と尋ねますと 当然あるでしょうとのお話でした。

年齢を重ねると共に多くなる 脳梗塞、脳溢血は どうしても避けたいので その他の療法を尋ねてみました。 

 では 食事療法と 運動との事。

とりあえず 3ヶ月間 食事療法と運動で数値を減らす方法で 薬療法を断り 先生にも了解いただきました。


その折の指示は 食事は必ず 4分の一ほど残して あまりカロリーの高いおかずは食べないように カロリーリストをいただいて挑戦しました。


運動については 階段は出来る限り エレベーター、エスカレーターを乗らないで 歩いて登るように努力を試みました。

そして 3ヶ月後 検査をうけましたが 余り数値は変わらず正直落胆しました。


先生は再度 薬療法の提案がありましたが 私は 後3ヶ月食事療法でもう一回挑戦すつことを御願いし断り、又 3ヶ月頑張ることにしました。


そうすると 体重がどんどん下がってきまして 成人になって 約40年間常に60キロ〜 62キロの間の目方が55〜54キロになってきました。


そこで 何が起こったかといいますと お会いする方々から 谷口さん痩せてきましたね。と言われる事が多くなりました。


家内からは余り齢を途って痩せてくると貧相に見えるといわれる始末。

頬がこけ ズボンはだぶついて 痩せた原因は分かっていますが 何かほかの病気かなと考えてしまうこともありました。


丁度 同時期にその行きつけの総合病院の耳鼻科に耳鳴りに件で 治療に行っていました。


その耳鼻科の先生に話す事なく コレストロールの数値で内科に通っています。
といいますと 内科と耳鼻科との専門分野の関係もありますが 耳鼻科の先生は別段高くはないですよと話。


どちらにしましても 人間が生きていく楽しみの大きな一つに食事を楽しく美味しいものを食べられる幸せがあります。

研修で人前に立つことも多いし 家内の言うように余り貧相になったはと思い
一応注意しながらも  従来と同じように 余り気にせず食べるようにしました。

お蔭様で体重も元に戻り 半年ほど前は チョット頑張ると 非常に疲れがでましたが今は大変快調です。


昔から「食い力」と言う諺があり、食べることは 健康に大変大切であるといわれています。

では コレステロールはどうなったのか その後検査に行っていませんが 10月から 私の自宅の一つ向こうの駅にアスレチックジムがあり 体脂肪を減らす意味とこれからの人生を「心と身体の健康」のために通っています。


従前にも記しましたように 私の理想の死に方は ピンピン、コロリの生き方です。

そのためには昔から よく言われますように 「よく寝て」 「よく遊び」 「よく食べる」 という思いで 人間の持つ素晴らしい自然治癒力(ちゆ)を活かし 人生を謳歌したい そんな心境になる今回のコレステロール数値騒動でした。

因みに 私は薬はほとんど飲まず 風邪も出来る限り 私の愛すべき分身が 自然治癒力で頑張っている事に 手助けしょうと思っています。

今回は インフルエンザが流行する季節になり 人間の持つ 素晴らしい自然治癒力について 記してみました。

しかし よく言われる いつまでも若くはないということも考えての行動も 大切であると最近は考えています。


今年もあと2週間 年末に又 ご挨拶させていただきます。

最後まで お付き合いありがとうございました。








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November 17, 2012

追悼

今晩は

早いもので 今年も後 一ヶ月半になりました。

毎日毎日は 結構時間があるように思いますが こうして振りかって見ますと 月日のたつのは早いですね。


少し前ですが 長いご縁を戴いていました藤本義一先生がなくなられました。 

私が60歳の誕生日の5月26日の日にお祝いの言葉を戴きました。

このような内容でした。
             
             還暦おめでとう。
             
             還暦と言う字を凝視すべし。

             暦を環ると書く点に注意すべし。

             私は今年古希を迎えたが 還暦の時から 
             
             この年齢逆算で生きているから

             今年は満50歳になった。


                          平成15年5月26日 
             谷口兄 
            
                                藤本義一

このような 手紙を頂ました。

世の中に絶対と言う言葉はないと言われていますが これだけは絶対と言えるものがあります。

つまり人間は死ぬということです。

生きとしいきるものは 必ず死がおとづれるということです。

最近ここ7年〜8年谷口家の5人家族が 両親がなくなり 又 昨年12月に3兄弟の男ばかりの真ん中の兄(因みに私は関西弁でいうおとんぼで末っ子です)がなくなりました。

5人家族が2人になりました。 

来月の12月の初旬に一周忌の法要します。

そのように身近身な死を看取って 初めて死の実感が沸きます。

しかし暫くすると 何故か自分だけは死なないような そんな錯覚を覚えたりしますが私だけでしょか。


中国のあの何千距離の万里の長城を一代で築いた秦の始皇帝が齢(よわい)60の時に

「世界のどこかに不老長寿の薬があると言う。 皆のもの その薬を探してまいれ」と 300名の家来を世界各国に派遣します。


300名の家来が 世界各国から戻ってきます。

そして報告します。

「不老長寿の秘薬は ありませんでした。」と


そこで 秦の始皇帝は「ああ やっぱり人間は死ぬんだなあ」といって なくなると言うエピソードです。

話は戻しまして 先般、藤本義一先生の葬儀に列席させていただきました。


仕事の関係上 冠婚葬祭に、特に葬祭には参列する機会が多いのですが 是非心から 参列したいときと なぜか義理でどうしても出ておかなければならないときとが 残念ながら あります。


藤本義一先生の場合は30年余大変 お世話になりましたので 是非 最後のお別れを心から法要したく その折に戴いた上記の手紙を胸に参列しました。


喪主の奥様の登紀子様とご夫婦で大変お世話になりました。

私の還暦の会の折も ご夫婦で発起人の一人としてお祝いいただきました。 

そのよう事もあり 当日 藤本義一先生と登紀子様にも しっかりとお悔やみと 御礼のご挨拶をしてきました。


何か 一抹の寂しさと御礼のご挨拶が出来たことにホッとした心境でした。


最近、終活と言う言葉が 言われています。

死を迎えるに当たっての 活動との事。 

死と言う言葉を 不吉であるという意味嫌った時代から 死と言う現実を 直視する時代に入ったようです。


いきとしいきるものは皆 死ぬということです。

つまり「今日一日を一生懸命に生きなさい」と言うことにることに繋がっていく事になるのではないかと思います。。


今回は 一昨日の大女優の森光子さんの 他界のニュースと追悼番組を見て 

又 藤本義一先生の葬儀に参列して 「人生の終着駅」について 再度思い 
一日一日を精一杯生きたいものだと意を新たにして 記してみました。



日一日と向寒に向っていきます。

お身体の方 ご自愛下さい。

今回も最後までお付き合い 有難うございました。




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October 13, 2012

ノーベル賞

今日は

朝晩は 肌寒さを感じる季節になり少し秋らしくなりましたね。

皆様方は 如何お過ごしですか。

先週来から 山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞受章のニユースで持ちきりですね。

医学・生理学賞は 利根川進教授が受章されてから 25年ぶりとの事。

最近 何かと憂鬱な閉塞感の漂う日本にとって大変嬉しいビッグニュースでした。

 今年は何故か是非ノーベル賞を誰かが受賞してほしいという日本の全国民が願っていたようなそんな空気があったように思ったのは私だけしょうか。

何にしましても今 国内外と閉塞感のある日本に日本民族覚醒の大変嬉しく自信のつく誇り高いビッグニュースでした。


振り返ってみますと 昭和20年8月15日 日本が戦争に敗れ完璧までに叩きのめされ 打ちひしがれた日本国民に 昭和24年湯川秀樹教授がノーベル物理学賞を受賞されました。

その日本人の初めてのノーベル賞の受章が 日本再建の大きな原動力となったと言われています。


そして暫くして 昭和26年 水泳の世界で故古橋広之進さんの世界記録等が日本の復興の大きな要因の一つといわれています。 

こうして思いますには よく「モチベーション」とかつまり「ヤルキ」とか「思い」「メンタル」の気持ちの問題は 人間社会において非常に大きいなあとつくづく思います。


それと もう一つ 日本復興の大きな要因として 私は昭和天皇陛下が 昭和21年から昭和29年まで 全国各地を行幸され 直接国民に親しく励ましの言葉をかけられた事も 大きな要因であったと思います。

今は 天皇皇后両陛下が 東北の震災に何度も足を運ばれ お見舞いされ また全国各地に震災があれば お見舞いをされています。

つまり 「心の思い」は 大変大切であると思われます。


因みに 湯川秀樹先生がノーベル賞受賞の対象になったのは 30代の時に発見された中性子理論により核分裂をもたらすという成果といわれています。

その中性子理論が後の原子爆弾・水素爆弾につながったとの事。 

湯川博士の中性子理論の発見により 広島、長崎に人類初めての原子爆弾の投下となり 何十万人の人がその犠牲になると言う 結果に繋がった訳ですが。


今回の iPS細胞の発見も今までのネズミの臨床実験から人体に応用されていくときに両刃の刃で問題は発生することは考えられます。

ノーベル賞もノーベルがダイナマイトを作り出すことに成功し その結果により文字通り巨額の富を築きます。

それが 戦争にも使われ 何億の人がなくなると言う結果につうながりました。


ダイナマイトの発見も同様ダム建設のための爆破とか いいほうに使いますと素晴らしい経済発展に寄与しますが 戦争に使用しますと多くの人を殺(あや)めてしまうことになります。

ノーベルは そのことに対して 大きな心の痛みを感じ 世界に貢献するために ノーベル賞を設立し 今日に至っています。

上述のように諸刃の刃になることがありますが 科学の発展は大変大切です。 


湯川秀樹先生の奥様のスミ様は 一生を世界平和のためにふんそうされました。


私はご生前に何度かご挨拶させていただいた事がありますが 湯川秀樹先生の心の思いを理解され 世界平和運動に生涯を捧げられました。 

本当に素晴らしい美しい人であられたと思います。

さて 今回の山中教授の記者会見を聞いて 非常に打たれた言葉が2〜3ありました。

「まさに日本という国が受章した賞である。」「まだ実用化されて お役にたっていない 本当の受章ではない 」「80歳の母に報告が出来て本当にうれしかった。」

「25年前に亡くなった父親も天国でよろこんでいると思う、」「感想を一言で言えといえば 沢山の人々に支えられ 皆で戴いた賞で感謝なお言葉以外何者もない。


日本人の持つこのような思いの強さが 世界を代表する賞に繋がるのではないのかと
記者会見の言葉で感じました。

そして日本人の魂として 平安時代から 脈々として続いてきた伝統である 「読み・書き・そろばん」の精神は 今後も日本人の根幹の資質として 継承していかなけらばと強く思いました。


我々が今進めさせていただいている「人づくり」に億万分の一でも日本に貢献させていただきたいと 不遜な思いを持ちました今回の素晴らしいビッグなニュースでした。
 

今回は 先週受章されましたノーベル賞についての思いを記させていただきました。 
                       ありがとうございました。 





senba206 at 16:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)