August 11, 2018

シンガポール

今日は.


連日 記録的な猛暑で、埼玉県の熊谷では、観測史上最高の41、1度を観測したとのこと。


うだるような暑さを超えていますね。


体調は如何ですか。私の方は、この間の人間ドックで、2〜3の箇所で引っ掛かり、病院に検査で通っています。


マア、人生60〜70歳を越すと、どこか悪くなる箇所は当然出てきます。


機械でも、年月が経てば、メンテナンスをしなければならないのに、まして生身の身体、当たり前ですね。


お医者さんから、もし、その年齢でに異常がないと診察されたら、おかしいので、もう一度、丁寧に診察してもらったらと、冗談半分ですが、言われるぐらいです。



そのような事をいって気休めにしていますが。


どちらにしても、神様が、人生の晩節を迎え、少し、休みなさいと言う、警鐘を打ち鳴らして貰っていると、前向きにとらまえています。




さて、話は変わりますが、先般7月の30日〜8月2日まで、少し、強行軍でしたが 、
娘の企画で、我々夫婦と娘の家族の5名計7名で、シンガポールに行ってきました。



私は従前にも、たびたび述べましたが、今から40年〜50年前に仕事で海外に30数回渡航しました。訪問先はほとんど欧米で、東南アジアは韓国と台湾が中心でした。



東南アジアのイメージは、その折、当時のソビエトが鉄のカーテンを引いていましたのでソビェト上空は通過出来なく、欧州にいくには、まだプロペラ機しかなく、アンカレッジで中継、経由で、北極回りか、あるいは南回り、つまり東南アジヤ経由でしか、欧州には行けない時代がありました。



そのような事で、時代が全く変わっているのに当時の中継先としての東南アジアの印象が頭にインプットされているので、関空より約6時間〜7時間でシンガポールのチヤンギ国際航空に着いた時には、まずその威容に驚かされました。


現地ガイドの説明によると、人口は550万人程で面積は東京都ぐらいで、人口の30〜40パーセントは永住者およびその他外国籍の人とのこと。



気候は赤道直下に位置するため、一年を通じて高温多湿で日中の平均気温は24度から32度とのこと。


我々が行ったときも、少し、肌寒さを感じる時間がありました。


今回の宿泊先のホテルマリーナベイ・サンズは屋上に舟形の館が3層になったホテルに跨いで横たわり、私はあまり関心がなく、全く知らなかったのですが、世界的に有名なホテルとのこと。


我々のスタッフは皆知っていました。


現地ガイドの人は、中々優秀な方で、流暢な少し、聞き取りにくいところがありましたが、世界一のホテルであると自慢していました。


実際滞在して、思ったことは とにかく大きく、ホテル全体が町のようになっていて、3層になるホテルの端から端まで行くのに小一時間はかかるのではとそんな印象を持ちました。


ただ、トイレはウオッシュレットでなく、保温の設備もなく、よく聞くことですが、今、インバゥンドで海外から観光客が年間2000万を超して、訪問されますが、一応に保温のウオシュレッの水洗トイレは、びっくりすると言う記事を見ました。


確かに、今回のホテルは、通常一人、一泊八万円と言われている状況をみると、日本のトイレ事情は素晴らしいと思った次第です。


着いた当日は 市内見物で、何か、マーライオンが有名のようで、その他、市内の見物になりました。


夕食は ホテルのレストランは現地ガイドの説明では相当高いとのことで、ホテルの中にある、フードコートが手頃、と聞いていました。                



疲れもあり、皆、あまり食欲がないと言うことで、丁度ラーメン店があり、そちらでラーメンを食べましたが、7名で日本円で約2万円で、現地の物価は日本と比べ、相当高くみんなで、びっくりして、笑ってしまいました。


滞在中、30数階の一番上にプールがあり、宿泊者しか入れず、天空のプールからのシンガポール市内の一望はなかなか素晴らしく、解放感があり、3人の男ばかりの孫(小学校6ねん・3年・4歳の保育園)は楽しんでいました。                    


私にとつては 孫達と一緒の至福の時間となりました。


少し、寒くて水中の方が暖かいそんな天気でした。                               

又、孫達のため、ユニバーサルスタジオも行き、我々夫婦は、1〜2箇所ショーをみて、園内のコーヒーショップでゆったりと、寛いだ次第です。


2つ程ショウを見ましたが、さすがに世界的に有名で、そして、来園者を虜にする原因が分かりました。


私の熱愛する黒沢明監督の映画ではありませんが 全てのショウの一つ一つが、本物志向であると言う点が デズニーランドしかり、世界のエンターテイメントの頂点に立つ原因が分かり、大変勉強になりました。


3人の孫達は時間を忘れて遊んでいましたが、これから大人になっていく中で、今回の海外旅行は大変良い経験になったのではと思った次第です。


時折、記事で世界の色々な場面での国際ランキングで、シンガポールが上位に位置する記事をみて、少し不思議な、不可解な気持ちでしたが、実際、ホテルの朝の朝食の食事のバラエティー一つに取って見ても、その国際性、多様性の様子を垣間見て、充分納得しました。


又、先般のトランプ大統領と北朝鮮キム委員長との対談がシンガポールで開催された原因も理解できました。


4日目の昼すぎ、シンガポールを出発して、深夜 関空に着きましたが、チャンギ空港に比較しますと、関空は10分の一ぐらいの規模になるのでは、とそのよう気持ちになる、まさしく国際都市として、世界を、牽引するような印象を持った今回のシンガポールの観光になりました。


日本に帰り、まだまだ酷暑が続くようです。


今日から来週の木曜日まで、夏季休暇に入りました。


皆様方の盆休みはいつからですか。どうぞ、体調に充分ご留意頂き、もう少し暑さが続きます。お身体ご自愛下さい。


今回も私事の行事にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。















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July 14, 2018

ハラスメント

今日は


7月の第一週の終わりから第二週の初めにかけて、西日本を中心に、大変な豪雨にみまわれ、亡くなられた方は200名を超す大災害になりました。 皆様方の地域は如何でしたか。

災害にあられました方々には、何と申し上げたら良いのか、ただただ、深くお見舞い申し上げます。


ここ二三日、非常に厳しい暑さが続いています。

どうぞ、体調を崩されませぬよう ご自愛専一にお大事にしていただきたいと、切望いたします。


さて、新聞、マスコミに、ハラスメントの記事がない日はないですね。


我々の方は長年研修を進めていますし、特に合宿研修も、月一回ペースで進めています。

仕事の関係上においても、ハラスメント問題については、指導する立場でもあり、なにかと、神経をとがらし、対応しています。


この間も 私自身もハラスメントついての、セミナーを受けてきました。


ハラスメントといいましても、多くの言葉のハラスメントがあるのですね。


正直少し、びっくりしました。


ネットにもいろいろな種類のハラスメントの用語が載っていますが
2つの言葉に集約されるように思います。


つまり、パワーハラスメント、(パワハラ)とセクシャルハラスメント(セクハラ)のこの二つの言葉です。


パワーハラスメント。つまり 上司が部下に自分の立場を利用して暴言を吐くとか、どなりちらすとか、感情でみんなの前で、相手を罵倒する。


権威を振りかざり 有無と言わず仕事をさせる、殴る、蹴る、無視するとか、仕事を与えないとか。

ふた昔前は、職場などで、飛び交っていたとまでは言わないまでも、泣き寝入りとして、日常茶飯事にあったようなそんな気がします。そのような意味では 良い時代になりました。


上司が部下に権力を乱用して、かさにして、相手の心を傷つける。


これは これは全く、卑怯な行為で、人間性として、あってはならないと思います。


我々の研修でも、そのような人格者は 人の上に立ってはならぬと 常に、力説し、上に立つ者にとって一番大切な人間性としての根源的な資質の欠如と訴えています。


そのような意味合いの例として、一般的な上に立つ資質を含め、我々は以下のようにお話しています。


どのような経緯で上になったかは 全く知るところではありませんが 人生で一番の罪悪は ご縁のある人の、その人の人生をあなたの素養で、人生を狂わすことです。このことほど、罪悪はないと言うような表現で、訴ったえています。

昔は、パワハラを受ける場合、その対応力、忍耐力をどのようにつけるのかが 重要であるとコメントする人もいたように思いますが、人間性として、あってはならない事です。



セクシヤルハラスメント(セクハラ)。この言葉も同じように、常にマスコミに取り上げられます。

パワハラ、同様、人間性の根幹としての欠如の問題として、あってはならない行為です。



我々同性の男性諸君は細心の注意を払わなければならない行為ですね。


この言葉で、私は、最近、電車に乗るときとか、特に満員電車の時は常に、両手を上にあげるなり、両手に物を持ったりしています。


冤罪という場面に、遭遇するような事になっては、と恐れます。


事務所においても、又、研修の講師を務めるときとか、パワハラ、と同様 非常に気を使います。



我々の若い時には、上司が女性の肩をさわるぐらいの人間関係の出来るリーダーでないと。

と堂々とテキストに載るぐらいで、レクチャーを受けた記憶があります。


とんでもない話ですが、何か、昭和の時代を思いだすような まったりした話のような、そんな気もします。


しかし 女性の立場から、又、私が女性として考えた場合、あまり好ましくない男性に、ねっちりと、仕事に関係のない、今日はきれいだね、とか、又 髪型がどうのこうのと言われると、気分は全く悪くなりますね。

全く同意します。


どちらにしても、相手を信愛、敬愛していますと、そのような、セクハラとかパワハラと言うような事態に絶対おこらないと痛切に思います。


我々の研修における人の上に立つ資質の一番重要な資質と説いています。


我々は言葉一つ一つに、相手の心情に立って、心を合わせて行動しないと。

ハラスメントの依然の問題のように思います。


窮屈な世の中になったと言う以前に、大人になりきらない、未熟な精神性といわれても仕方がないように思います。


そのような行為を引き起こす事は、人間として、価値ある人間とはいえないそんな気がします。



今回はハラスメントの主流を占める、パワハラ、セクハラについて、自分自身の反省と 研修を通じて、より大事な問題として、上に立つ器量としての根源的な人間性として。


そして、ご縁のある人々が楽しく、心豊かに、安寧に繋がり、開放的な素晴らしい人間関係の中で そんな、気持ちにと、最近続く一連の災害に、悲痛な思いの中に 人生を 述べてみました。


厳しい暑さが、日毎に高まります。

どうぞ、体調管理には充分ご留意ください。


最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。






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June 23, 2018

大阪北部地震

今日は。


この間の18日の月曜日の7時58分に大きな地震がありましたね。


皆様方はどちらにおられましたか。


私は18日、当日の朝は、東大阪の企業に3人で訪問することになっていました。


通例は 朝8時20分過ぎには事務所に着いていますので、あの地震のあった時間は京阪電車の車中でした。


しかし 18日は10時に東大阪の企業訪問の予定でしたので、丁度あの起こった時間は、京阪電車の樟葉のプラットホームで特急電車を待っていました。


7時58分です。一瞬一気にガット揺れまして、思わず少しよろけ、、近くにおられた男性の袖をつかんでいました。


これは、大きいなと 震源地はどこなのか、非常に不安に駆られました。


と言いますのは、1995年のあの阪神、淡路大震災の時は 私は家内のお父さんが亡くなり、お通夜で、石川県の金沢の近くの大聖寺の葬儀場のお寺で宿泊をしていました。


今でも思い出しますが、私の経験したことのない、相当大きな揺れが、確か、2分ほど続き天井が落ちるのではと 恐怖にかられた記憶があります。


お通夜にこられた親戚の方々が、異口同音に震源地は福井地方ではないかと言っておられれました。


と言いますのは、昭和23年福井地方で歴史に残る大震災があり、私の家内の家も相当の被害があったと聞いています。


そして、葬儀場で暫くして、確か時間で8〜9時頃だったと思いますが、義父の本葬前に、テレビ中継で震源地は神戸で、長田方面の大火災の状況がテレビに映し出されていました。

金沢でも、こんなに揺れたので、神戸の震源地の近辺はと、恐怖に駆られました。


私は本葬を終え、仕事があるし、又、自宅の事が心配でもあり、一足先に帰る事にしました。


家内は引き続き滞在し、自宅は大丈夫なのか、又、親戚の方が、家中、ひっくり返っているかもしれないので、気を付けてと言われ、何とか電車を乗り継ぎ、自宅に辿り着きました。


家屋は無事のようで、ほっとして、恐る恐る家に入りました。


思っていたほど等ではなく、壁には、数か所、き裂が入っていて、二階の一部が、ものが落ちて散乱していましたが、とにかく安堵して、家内に家は無事だったと電話したことが思い出されます。


長々と当時の阪神大震災の事を書きましたが、そのような経験から、私は樟葉のプラットホームで、スマートホーンで震源地を確認している見知らぬ若者に 震源地はどこですかと、思わず、正直恐る恐る聞きました。


その若者は、震源地は高槻方面とのこと、私の住んでいる枚方と川を挟んだ隣です。

上述しましたように、神戸の震災が金沢でも、私の記憶にない恐怖を感じる程、相当の揺れを感じました。


、もし今回の地震が遠く離れたところで起こっている地震であれば、又、阪神大震災クラスか、東北の大震災クラスか 日本で又、と、一瞬、頭をよぎりました。

丁度、プラットホームにいたので、家の事が心配でもあり、自宅まで、30分程かかり、歩いて自宅に帰りました。


高槻が中心の枚方も震源地の近くで、自宅の二階の大きな書籍箱が倒れ、ガラスの破片で粉々になり、破片は取り去りましたが、多くの書籍はまだ散乱したままです。


しかし、今、なお、避難されておられる方々には、どうぞ体調に、気を付けられるように。

又、被害に見舞われた方々には、深くお見舞い申し上げます。



今回の大阪北部地震と銘打った地震は、マグニチュードにすると6・1で、熊本地震(2016年、M7.3)とか、阪神大震災(1995年、M7,3)に比べると地震の規模は60分の1程とのことで、阪神大震災は、言いようもない、大きな地震であったのだなあと、再度、うかがわれます。



しかし、本震が一週間の間にあるかもしれないとのことで、余震が、40数回続いているとの事。

まだ、油断はできません。

いつ、本震が起こるとも限りません。


本震が起こらないことを神に祈りながら、ブログを終えたいと思います。


因みに南海トラフが ここ30年〜40年の間に起こるといわれていますが。ーーー



今回は 今週の月曜日に起きた、私の住む枚方の大阪北部地区に大きな災害をもたらした、大阪北部地震について述べてみました。


お互いに いつおこっても不思議ではないので、留意したいと思います。

尚、今回、色々な方々から、自宅が、震源地の近くということで、お見舞い頂きました。

有難うございました。


感謝とお礼を述べながら、今回も最後まで、お付き合い頂きました事に、有難うございました。




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May 12, 2018

授業参観

今日は


5月の中旬ですが、少し肌寒い日が続いていますね。


温暖化傾向と言われる中で、地域によりますと、5月の気温では、50数年ぶりの寒さになった所もでているとのこと。


そういえば、マスクをしている人が多いように思いますが。


さて、連休は如何お過ごしでしたか。


私は 5月1日2日と休暇を取りましたので、9連休となりました。


孫のいる姫路に行ったり、家内の故郷の石川県の大聖寺に孫達と行ったり、結構バタバタした連休でした。



特に、小学校6年、3年、そして保育園と男ばかりの3人兄弟なので
しょちゅう喧嘩をし、それが、運動であり、遊びなのですが、姫路に帰った時は、ホット一息ついた心境にもなりました。



丁度、姫路に行ったときに、授業参観があるとのことで、娘に誘われ、又、私も大変興味があり、孫のいる小学校に授業参観に行きました。



私の小学校の当時と比べ、父兄の方々の参観が非常に多いと言う印象でした。


私の小学校時代と言いましても、もう60年〜前になります。


当時は ご両親が生活のため、内職とか、又、働いている人々が多かったのか、授業参観に来られる父兄はクラスの40名余中7名〜8名(母親)ぐらいであったような記憶が蘇ってきます。


私の今は亡き母は、常に参観に来て、暖かく見守っている姿が、私が今、たたずんで、参観している孫達とダブって浮かんできました。


残念ながら娘の小学校時代は一度も参観した記憶はなく、家内に任せていました。

その当時は父親は来られていたのでしょうか。


私の時代はほとんど母親の参観で、父親はおられませんでした。


今は、夫婦そろっての参観が 私の時代と全く様変わりのように思いました。


仕事の関係上、先生方は、どのように生徒たちに指導されるのか、大変興味のある参観でもありました。


私の小学校時代と大きく異なっていたひとつは、当時はまだ 「男女7歳にして、席を同じくせず。」という時代でしたので、子供心に、女の子に近づく事、事態はタブーのようなそのような 風潮であったように思います。


今は、席が男女ペヤーになって座っていて、先生の質問に対して、二人で話あうところなど、時代の変転を感じました。



丁度二番目の孫の3年の授業内容は男女の性格の違い、特徴等をテーマにあげ、進んでいました。


先生は、我々が研修でよく採用する相互啓発方式による質問形式で、答を出さず、常に質問をしながら、考えさせ、意見を求めていく手法でした。


活発に手を挙げる生徒もいれば、じっと考え込んでいる生徒もいて、いつの時代でも、私の小学校時代と一緒の風景のように思った参観でした。



今は亡き母が教室に入ってきて、後で並ぶ、立姿を見たとき、緊張と私を大事にしてくれていると言う幸せな気持ちが交錯した風景がダブリました。


そして、常に 私が手を挙げている事に、又 時折先生の質問に答える姿を見て、嬉しい気持ちになったと言う母親のセピア色の思い出が蘇ってきました。



そのような事が脳裏にめぐり、孫が手を挙げる姿にほほえましく嬉しく 少し感傷的になった参観でした。


こうして、当時の私の緊張した、張り詰めた時代の授業参観風景と変わり 常に一方的に授業するのではなく、一人一人考えさせながらオープンに授業を進めていく授業手法は、我々が進めている研修にも、一工夫する必要があるように感じた参観でした、


孫が二人いるので、それぞれの2階、3階の教室を掛け持ちして、それぞれの授業の落としどころをどのように先生が結論づけるのかが、不明で その点は、少し心残りでした。


教室の中でもう一つ私の時代と大きく違った風景は大きなスクリーンが教室の中に設置されていたところでした。


このように子供の時から視聴覚を駆使して、授業がなされていく姿に時代の流れを感じた風景でもありました。


因みに、教室の後に一人一人の自己紹介として、画用紙に自分の似顔絵と共に、その紹介の項目の一つに将来の夢の一つに しょうらいのゆめとありましたが、孫はプロサッカー選手と書いていまして、ほほえましく見ていました。


今回は、孫達の授業の参観する機会があり、、私の遠い遠いセピヤ色の小学校の授業参観を 記憶を辿り 思い出し、オーバーラップして、思うままに記してみました。


気候の変化がまだ、少しあるようです。

どうぞ体調管理にご留意下さい。



今回も最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。





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April 21, 2018

宣誓

今日は

4月も後半になり、この一か月は、40年余と進めています恒例の我々の主催する公開新入社員合宿研修会と、一社単独の合宿研修と その事前準備、と3月後半から4月初旬と2週間のお寺での合宿研修の指導運営、そしてその後のご派遣頂きました企業様に対しての事後報告書の作成と、あっと言う間の1か月でした。



皆様方は如何お過ごしでしたか。

今年の桜は少し異変でしたね。

通例3月の後半に始まる新入社員研修の折はお寺の桜は2〜3分咲きで、もしくはつぼみのままで 3日目の最終日の記念写真の撮影になるのですが、今年は満開でした。


 そして、4月が散り終わりの桜をバックに記念写真撮影と 私の40年余の運営の記憶で 初めての出来事でした。


どちらにいたしましても、約400名弱余の 会社の将来の幹部候補生として、又、日本の将来を担う若者として、世界に貢献する若者として、社会に巣立っていきました。



研修会は 二泊三日のスケジュールで進め、 一挙手一投足そのものが研修ととらまえて、社会に出て大切な実践あるのみという研修理念で進めています。


2泊三日の研修の最後のカリキュラムとして、約1時間で初日の研修の始まるにあたっての入山式(お寺は別名山と言います)に対して、世の中に出る出発式として銘して、又オリメ、ケジメ、メリハリをスローガンに、厳粛なフインキで式典を進めています。



出発式の式典の内容は 最初のお寺の道場長がまとめの一言として挨拶をされ その返礼として、高校野球ではありませんが 研修生が各チームからを代表して 各班の研修生よりの、自薦、他薦にて、宣誓の挨拶を大きな声で返礼、宣誓をする項目があります。



その折の 研修生が三日間の研修でどのような事が、心に触れたのか。

その、宣誓の文章を述べてみたいと思います。


各代表の宣誓の抜粋、


1、3日間の研修において、素直・自省・謙虚・奉仕・感謝の5つの精神について学びました。この人生を歩んで行く中での基本の人生感として、これから歩んで行く人生に活かし 頑張っていくことを代表して誓います


2、3日間の研修会で 己に打ち勝つ事の大変さ、面白さ。心を無にすることの清らかさ、人、もの、社会を全身全霊で敬う事の大切さ を身に染みて実感しました。全力で取り組んでやれないことは我々にはありません。
そして、新しい時代を切り開く未来のリーダーとして これからの日本、そして世界を引っ張っていくことを 我々は心の底から誓います。


3、人みしりや、変なプライドをすて、本気をだして、研修中に学んだ、明・元・素で全力で会社に貢献することを誓います。


4、この3日間で、社会人としての心構え、ビジネスの基本を愛を持ってご指導いただいたトレーナーの方々。そして、人として生きていく上で大切な心構えを教えていただいた 道場長、副道長、食事への感謝、物事の感謝、そして私達の生活を支えてくださっているすべての皆様方への感謝を忘れず、常に自らの目標に向かって日々精進し、社会に貢献することを誓います。


5、合宿研修会で学んだ全ての経験を生かし、新社会人として生まれ変わり。失敗は素直に認め、逃げ出そうとする弱い心を戒め、自らの力で生きているわけではなく、人との関わりあいの中で生きている事を自覚して 苦難に挑戦して、成長し続け、素晴らしい人生築く事を代表として誓います。−−−−−


、今回の合宿研修会終了に当たり、宣誓のおり、研修生の代表が述べられた誓いを参考までにご案内いたしました。



今回 実践を通じて学ばれた事を 是非全研修生が実践、継続し、素晴らしい人生を歩んでいただきたいと 我々トレーナー陣は切に思う次第です。



私が総合トレーナーとして、合宿研修会の最後に「旅立ちの一言」としてお話しさせていただきました。


これからの日本を そして世界に貢献するという 不可能を可能にする若者として 大きな、大きな夢、志。目標、を持って人生を歩んで頂きたい。


、その夢の実現は 合宿研修中に実践した、今を大切に、まず、目の前のことを一生懸命 全力で取り組むことが その夢の実現の一番の近道である。

と締めくくり、式典を終えました。



今年もまた、若者の無限の可能性を秘めた姿を、寝食を共にして、垣間見、感動を覚えると共に、素晴らしい新入社員生の 研修の最後の宣誓の折の研修生の熱き思いを 記してみました。



これから、爽やかな季節を迎えます。


我々も、若者に負けじと、人生を精一杯、頑張り、楽しみたいものと、新たな気持ちになる春の恒例の行事でした。


最後までお付き合い有難うございました。



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March 17, 2018

ピョンチャンオリンピック

今日は


3月も中旬に入りました。


最近の寒暖の差には、驚きますね。


3日〜4日前は4月の中旬とか5月初めの天候とかの話があったかと思うと、昨日は企業訪問で米原の方に行きましたが、コートを着ていませんでしたので、相当寒く、風邪を引くのではと心配しました。



再来週の3月下旬から、4月の上旬と恒例の新入社員の合宿研修が始まります。


お蔭様で、一社単独研修も含め、約350名余のお申込みをいただき、すでに満席で締切らさせていただいています。

今、その諸準備にスタッフ共々、大わらわで、体調を整えておかないと、との思いが強く、少し気になりましたが、何とか大丈夫なようで、ほっとしています。



年齢と共に、寒暖の差は 身体がそれについていけず、対応できず、気をつけなさいと報道番組で、コメントされていました。


いつまでも、若いと思っていますが、身体は嘘をつかないと言う事も、常に頭に置いて。

そんな思いの昨日の寒さでした。



さて、ピヨンチャンオリンピックが先般日本人の大活躍で終わり、いまパラオリンピックが開催中です。


どちらの大会も本当に感動しますが、今、開催されていますパラオリンピックも、五体満足でない選手の方々の活躍も感動が深いですね。


時折、観戦していまして、そのけなげな、全力で競技をされる、姿勢を見て、涙ぐんでしまいます。

この間も目のご不自由な方々の競技で健常者の誘導で全速力で滑走される選手の方々を観戦して、思わず頬を濡らしました。



私も学生時代にスキーをしていましたので、大回転などの競技はよくわかります。

眼のご不自由な状態での、大回転の滑りはいかばかりか。ーーー



さて、私はどうしても仕事の関係上、優勝した時の勇者のコメントに、又、、活躍した選手のコメントに関心が惹かれます。


勇者の弁で、一番多かったコメントは 異口同音に感謝のキイワードでした。


本来であれば、自分がよく頑張ったからだとか、自分がよくやったから、よい結果がでましたといっても、決して、その通りのことなので、なにも違和感を感じることがなく、本当によく頑張られて、やったなと、心からの拍手となるのですが。



何か 一つの道を極めると、優勝した、しなかったは別にして、「感謝」のキーワードが、決して、きれいごとではなく本心から、でてくるのだなと、聞いている我々の気持ちも至福のひと時になる、そんな気持ちのする コメントでした。


反対に、そのような思いがあられるから、よい成績をたまたま取られるのでは、そんな気持ちのする、活躍された方々の 一番多いコメントでした。


人間は頂点に立つと、その感謝の言葉は決して 嘘偽りではなく心の底から沸き起こる感情なのだなとそんなことを思う言葉でもありました。


その言葉が身体から沸き起こった時に 優勝した思いの、真の至福の時ではないのかなと、そんな気持ちになる、勇者の言葉でした。


こうして、いま、私自身の人生を振り返ってみた時に、アスリストの感謝の言葉の意味の深さには、足元にも及びませんが、今日あることに対しての 感謝のキーワードが、年齢を重ねると共に、少し、理解できる年齢になってきたのかなと思えるキーワードの言葉でした。



又、もう一つ、多くあったコメントは、「プラス思考」と言うコメントでした。


勝者の言葉には常に、前向きに、あくなき挑戦していくと言う言葉でした。


頂点に立った選手も、又、色の違うメダルを取った選手も、又、今から、違う色のメダルに挑戦すると言う人間賛歌の言葉を聞きました。



昨日のパラのスノボの成田の選手の金メダルの弁が、「目の前の事を一歩一歩を全力で の思いが、結果金メダルに結びつきましたと言うコメントが、再来週からの我々の研修にもつながる、「人生の一大事とは、その瞬間瞬間を大切に生き事なり」と言う親鸞聖人の言葉や、又、感謝の言葉等、相通じる言葉で、涙腺を潤ましながら、意を強くした、コメントでした。

まだ、少し、パラオリンピックが続きます。


勝敗は別にして、五体の満足でないアスリストの方々の 飽くなき挑戦する姿に感動を共有できることに幸せを感じながら、2年後の東京オリンピックに夢を馳せ、終えさせていただきます。

三寒四温を経て、春になります。

どうぞ、お身体の方、ご自愛下さい。

最後までお付き合い、有難うございました。







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February 18, 2018

働き方改革

今日は

今年ももう二月の中旬に入りました。


皆様方は如何お過ごしですか。

私は相変わらず、性格なのか、東奔西走の毎日で風邪も引いている暇がないと言った状況です。



教養がない(今日用がない)ダジャレですが、
よりはいいのかなと思って慰めている毎日です。


たまにはゆっくりとと 思いますが、忙中閑ありで、余暇の時は、ワークライフバランスと言う言葉を使うならば、ギリシャの哲人のアリストテレスが言った、閑暇(かんか)と言う言葉が当てはまるような気もします。


閑暇とは余暇を素晴らしい充実した人間力向上の時間に当てると言う意味合いだそうです。


この言葉の意味合いは素晴らしいなと、思うと共に、古代の人は、もうすでに働くと言うことの真の意味合いを理解して、その合間にある余暇の時間の位置づけをしっかり掌握して、人生を楽しんで生きている姿勢に感銘させられます。


そのような意味合いもあって、そして、、私の仕事の関係上、今官民挙げて働き方改革と称して働き方についての諸施策が講じられていますが、その動向に、大変関心を持っています。


一昨日、昨日と一泊二日で、40年余と進めています日本人のDNAに流れる禅の精神を取り入れた当協会の公開合宿研修会にトレーナーとして行ってきました。



我々が40年余と進めてきましたそのセミナーが 今の働き方改革の模索の中で、どうのような位置づけになるのか、又、どのようなに関わりあいに なされるべきか。


そのよう問題を掲げて、働き方改革のセミナーとかその関連で関わりあいのあるAI時代の到来における、人間との、又企業経営との関わりあい等、研究していくことが事業を進めていく上で大切であり、今、色々の会とか、セミナーに参加して対応を試みています。



先般も、2月8日〜9日と私の所属する会より。京都の国際会館で開催される第56回の財界セミナーに参加してきました。


今年のメーンテーマは いざ、舞台は関西へ〜関西からはじまる未来社会のデザイン〜で、6つの分科会に分かれて開催されました。


私はそのテーマの一つである、私の仕事で大変大切な戦略としての「働き方改革〜真の生産性向上のためにのテーマに参加して、60名余の京阪神の経営者と二日間に亘り論議を交わしてきました。



二日間の総論としての私の見解は、大変複雑な問題で試行錯誤しながら 今後の日本人としての働き方について方向づけが見いだされるのではないかと感じた二日間でした。



上述しましたように、40年余と継続してきました、禅の精神を取り入れた合宿研修会は、これからますます大切な心の問題を、日本人に流れるDNAを踏襲しながら「職場と人生の関わりあい」を再考察する意味でも、大変大切な研修会でもあると,意を強くする二日間の会合でもありました。


昨日、一昨日と一泊二日の合宿研修会を担当して、100歳時代を踏まえ、より素晴らしい人生をいかに生くべきかと、働き方改革についての考察と、再度、私自身にも問う合宿研修会でもありました。


少し寒さが緩んだとしても、まだまだ寒波が到来するようです。

どうぞ、お身体ご自愛下さい。

最後までお付き合い有難うございました。



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January 13, 2018

初日の出

おめでとうございます。


幕の内も過ぎ、来週月曜日の15日は暦の上では、小正月ですが、もう今週からお屠蘇気分も ほどほどに一年が始まりました。


皆様方は正月は如何お過ごしでしたか。


正月風景は年と共に、薄らいで、企業人にとっては、少し、長い冬休みといったところになったような気がする最近の正月風景ですね。


私はお蔭様で年末の28日の昼から休暇に入いり、正月4日まで、ゆっくりさせていただきました。


28日の夕方から娘が孫3人を連れて帰ってきて、我々の家で過ごし、年末は娘が住んでる姫路に家内と一緒に行き、3日には又、我々の家に帰り、6日まで、孫達と一緒という、いつものように、慌ただしい年末、年始でした。


男兄弟の3人(小学校5年、1年、3歳)は本当に、かさだかく、兄弟同士のけんかが、絶える事なく、事あるごとに始まり、それはそれは、孫達と一緒にいるという、幸せの中で、又、大変な10日間でした。

このような、安寧と喧噪の中ので喜びも、今が一番良い時かもしれません。



今年の正月の元旦は 生まれて初めて 姫路の山の上から「初日の出」を見ました。


元旦の6時ごろ起床し、孫2人(末っ子はまだ3歳なので)と娘婿と4名で娘達のいる家から、徒歩30分〜40分ぐらいのところで 皆様方も良く耳にされていると思いますが、姫路の「灘のけんか祭り」で有名な 姫路市白浜の町の松原八幡神社の上にある山に登りました。


因みに灘のけんか祭りは 古めかしい神輿(みこし)をぶつけ合う特殊な神事によって、天下の奇祭とか言われ全国の数あるけんか祭りの中でも最大規模で、国内は勿論今は海外にまで、その名は知れている祭です。皆様方も一度はテレビかなにかで、観られたことと思います。


麓から、約30分〜40分のぼり 姫路の市内が一望できる小高い山を 丁度上り詰めた時に 雲の中から、太陽が徐々に顔をだし、光輝く元旦の初日の出を見ました。



毎日 上がる太陽ですが、元旦と思うと、敬虔なおごそかな気持ちになり 心、新たに、身が引き締まる一年の始まりになり、今年も頑張ろう とそんな思いになる元旦の初日の出でした。

頂上からは、姫路の市内が一望でき、穏やかな,爽やかな元旦になりました。


太陽と言いいますと、30数年前、日本一の事務所になると言う思いから、さすれば日本一の山に、そんな思いで登った富士山の頂上からの太陽は、日本一の山であるがゆえに、丁度全くの水平線上の雲海から、徐々に、光のオーラと共に、徐々に顔を出す太陽は、これはこれで、大変感動的でした。


十数時間かけて相当の体力を消化しての日の出は、やっぱり別物で,いまだにその折の神々しい、神秘的な光景は、疲労困憊の状況と相まって、脳裏に焼きついています。


その後2回登りましたが、残念ながら、第一回目に見た日の出の光景は、みる事が出来ませんでした。



6日に孫達は姫路に帰りましたが、毎回そうですが、孫達が帰った後は 台風一過の表現がぴったりで、家内と又二人の生活が始まったなと、思うと共に、家全体が 人の気配のない、どこか寒々しい空気に包まれた時間になります。


今回の10日間も、孫達と寝食を共にしたので、、その感を強く感じた 年末年始でした。



今週から、団体の新年会、学生時代のゼミ仲間との新年会、とか、新年の行事が、立て続けにあり、そのような心境に浸る間もなく、今年の一年が始まりました。


一年間の具体的な目標を掲げ 今年も私の人生訓である

        「昨日までは、リハーサル・本日只今、出発、」
        
        「今日は最良の一日、今は無二の好機、」

        「日々之好日、」

         「日に新」、


で自在に、   とらわれない、こだわらない、偏らない、


         雲のごとく、水のごとく、


      お釈迦様のような、高邁な気持ちを列挙しましたが。


さて、今年も始まりました。

なにとぞ、宜しく、お願い申しげます。

           
               最後まで、お付き合い頂き。誠に有難うございました。



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December 24, 2017

クリスマスイブ

今日は、


今年も一週間を残すのみとなりました。


毎年 年末になると思うことですが、私の机の横にかけている日めくりが いつも、年初は相当の厚さがあり、この日めくりが薄くなっていくには、相当の期間がかかるであろうと 思うのですが、今、クーラーの風向きにより、日めくりが、揺れるのではないかと思うぐらい、薄くなり、今年も終わろうとしています。


皆様方は 今年一年如何でしたか。


私は常に、昨日までは、リハーサル、本日只今出発、今日は最良の一日、今は無二の好機 こんな気持ちで、この一年を、陽転、陽転で自分に言い聞かせて、一日一日を過ごしてきましたが。


色々ありました。


扨て 今日はクリスマスイブですね。


幼少の時のクリスマスイブが思い出されます。

大昔の事です。


いつも、今は亡き母(先般11月に両親が6か月前後して他界したため 同時に両親の13回忌の法要を営みました。)が、針仕事の今で言う内職をしていて、僕の幼少の時の思いでは、母がいつも、「母さんの歌」のあるように、夜なべをしている姿しか浮かんできません。

そのようなことで、皆様方は「母さんの歌」は、ご存じでしょうか。

母さんがよなべして、手袋編んでくれた。−−−−という出だしで始まる歌です。

この歌を歌うと、いつも母がオーバーラップして、感傷的になります。



さて、イブの夜は 兄弟3人が枕を並べて、当時は靴下を枕元において、サンタさんの今年の贈り物は何かな、と中々寝付かれず、時折、目を覚ましながら、枕の上を 楽しみで眠れず、何度も起きて、眠りに落ちた事を思い出します。


朝、目を覚ますと、当時は物のない時代でした。


確か、サンタさんの贈り物は、キヤラメルがひと箱か、二箱だったように思います。


甘いもののない。物のない時代でしたので、そのキャラメルの味がいまだに、忘れられません。


と言うのは、暫くして、物心ついたときに 今は亡き兄貴(今月12月に7回忌の法要を営みました。)から、この贈り物は サンタではなく母からと聞かされました。


それから、母に今年はサンタさんは何を贈り物を持ってきてくれるのかあ、と聞かなくなったように思います。


当時の谷口家の家庭の事情(親父の時代に長年続いていた代々の商店を失敗して閉めたとのこと)を子供心に薄々感じていたので、キャラメルひと箱でも、何か、家庭に迷惑をかけているのではとそんな気持ちを持った、面白くない子供だったように思います。


常に、母は、ものをねだった事がないと言っていましたが、、子供心に家庭の家計を心配するそんなませた子供であったように思います。

といっても、何か、クリスマスイブは心が弾んだ一日でした。


その当時、近所に小さな教会のような館ができ、、そこに行くと、外人の方が、数名おられ、多分布教で日本に来られていたのでしよう。


当時の僕には、なんとなしに、布教目的であることを気づいていました。


そこに行くと、お菓子がふんだんに貰えます。


友達はその教会に行ってお菓子を貰いに行こうと言って、僕を誘います。


僕はその教会の近くまで一緒にいくのですが、どうしても、その教会に入る事が出来なく、友達は卵とか、お菓子をたくさんもらってきます。


僕もほしくて、その教会の人から手招きを受け、僕を呼びます。

しかし、僕は何故か、子供心に「武士は食わねど高楊枝」のような、憐みを受けるような、日本人ではない。子供でも、日本人の魂がある。そのような気持ちを持ち、なぜか空腹のために物もらいのようなそんな事を思われるのが、どうも、一分の矜持と言うのか、子供心に耐えられなく、それ以後、その教会の近くには立ち寄らなくなりました。


当時の日本は、子供心にも、日本は確かに、戦争に負けた国であるが、ものもらいまでするという魂までは、捨ててない、そんな思いがあったのではないかと思います。


今から考えると、なぜか面白くない、こざかしい、可愛げのない子供であったようです。


もっと素直になっていれば 当時、渇望していた甘い美味しいものを お腹一杯、食べられたのに、と思わず 三つ子の魂100までだなあ と苦笑してしまいます。


孫達の今のクリスマスのサンタさんの贈り物は、時代が時代です。当然、私達のキラメルひと箱とは、全く違いますが、さて、どちらが幸せなのか、考えさせられます。


今日はクリスマスイブと言う事で いつの世においても 子供に取っても又、大人にとっても、なぜか、心ワクワクする時間であることを思い  私の遠い遠い、セピヤ色になった、甘酸っぱいクリスマスの思い出について、思いだすまま、述べてみました。




さて、今年も 一年間大変お世話になりました。


今年最後のご挨拶に、なると思いますが、来年も何卒よろしくお付き合いの程,伏してお願い申し上げます。

どうぞ良いお年をお迎えください。



                        一年間、有難うございました。

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October 21, 2017

忖度(そんたく)の世界

今日は、


台風が近づいていますね。


来週の水曜日から一泊二日の合宿研修会がありますので 少し心配ですが、来週の月曜日に上陸するような気象情報です。



そのようなことの影響か ここ2〜3日雨続きで、急に気温が11月下旬ぐらいに下がり体調を崩している人が多いようですね。


どうぞ 体調管理には留意してください。


さて、先週の日曜日に早いもので私の両親が前後して他界しまして、13回忌にあたり
両親一緒に法要を営みました。


最近は、どんどんそのような節目の法要をする家が 少なくなってきたとのこと。


又、葬儀は一応、何とか もようされるのですが、その後の節目の供養とか、又、お墓なども建てないとか、の話が多くなってきました。とお坊さんより お伺いしました。


何か、空虚な時代に進んでいるように思います。


そのようなことを含め、少し前まで政界の間で流行語になりました忖度(そんたく)と言う言葉を思い出します。


忖度(そんたく)も含め、何か、日本的なものが現代の世の流れにマッチしないような風潮があるように思われますが。


私は忖度(そんたく)つまり人の心を推し量る。思いやる。

禅の言葉で言うと、不立文字(ふりゅうもんじ・言葉で表せないもの)
の世界と思われます。


この忖度(そんたく)の言葉は 今、必要のない言葉であると言われているようですが、まさしく忖度(そんたく)は 世界の共通語になった「オモテナシ」と言う日本人の心豊かな感性の言葉と通じるように私は思いますが、皆様方は如何思われますか。



他の表現で言うのなら、斟酌(しんしゃく)するなどの言葉で言い表わせられるのではないかと思います。


戦国時代であれば「良きに計らえ」。等の言葉で、相当高等な高いレベルの思いのように思います。


確かに、俗に言う少しうっとしい言葉ともいえますね。

もっとズバッと言えばよいのにと。


さて、映画を観た方はご存じのように、あの三成役で義に生きる岡田准一さん主演の関ヶ原の映画の始まりの話で出てくる俗に言う「三献の茶」は忖度(そんたく)の世界ではないかと思います。(前回で延べましたように私は二回鑑賞しました)


夏の暑い日、姫路の城主であった秀吉が大将のいでたちで、喉が渇き,とあるお寺に寄ります。



そこで、秀吉はお茶を所望します。


小僧がやってきて 大きなお椀に冷たいお茶を持ってきます。


秀吉は 喉が渇いているので、一気に飲み干します。

そして、もう一杯所望します。


暫くして、小僧は中ぐらいのお椀で ぬるめのお茶を持ってきます。

秀吉は二杯目を飲み干します。


思わず 秀吉はコヤツと口づさみ、「小僧、もう一杯所望しょう」と低い声で言います。


小僧は しばらくして 今度は小さなお椀で暑めのお茶を持ってきます。


秀吉は その場でその小僧を家来として召し抱えます。


それが石田三成で、有名な三献の茶です。


又、浅野内匠頭の辞世の句である城主と家来の忖度(そんたく)の世界による討ち入り。

   風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん。


このようにお互いに高いレベルにより感じ入る。それが忖度(そんたく)の世界のように思われます。


何か、悪い意味あいの言葉ようにとらまえられているきらいがありますが、本来は日本人の精神文化に流れる素晴らしいDNAのように私は思います。


来たるべきAI時代における人工知能を使いこなす「力」のように思います。

今回は、先日両親の13回忌の法要を営み 消えつつある日本の風習、伝統、失いつつある言葉の一旦について述べてみました。


上述しましたように、台風が近づいています。
被害がありませんように。

日毎に、寒くなってきます。お身体ご自愛下さい。


今回も最後まで、お付き合い頂きましてありがとうございました。


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September 18, 2017

関ヶ原

今日は。



台風は近畿地方は、過ぎ去りましたが、北海道に再上陸したようです。

どうぞ北海道の方々は、気を付けていただきたいと思います。


さて 日毎に、秋らしくなってきました。


秋到来と言つたところです。


先週の金曜日の15日は関ヶ原の古戦場に行ってきました。


 丁度、昔 海外にご一緒したご縁のある社長から連絡があり 久し振りにお会いしたいですねとの事。。


もし 時間があるなら 15日に丁度天下分け目の15万〜20万と言われている関ヶ原の合戦の日なのでとのお話。


私は歴史物、とか時代物とか 古典が大変すきです。


特に 関ヶ原の戦いには,司馬遼太郎の著書である「関ヶ原」の3巻を2回程、読んでいます。

大変興味を持っていました。


その方が 覚えていただいていたようで 15日が関ヶ原の合戦の日で、少しイベントに関わっておられるようで もし、 宜しければご案内しますよとのこと。


願ってもない申し出で、出張を兼ねて岐阜に行きました。


午前中、岐阜市内を一件関与先を回り、昼からご招待を受けた社長との待ち合わせ場所のJR関ヶ原の駅まで行きました。


関ヶ原には 何回か仕事で行ったことがあるのですが 先方とのコンタクトの関係上時間が取れず、古戦場には 行けなった経緯があります。


そのようなこともあったのですが、2週間前に封切られた岡田准一主演の「関ヶ原」の映画は 春ごろから封切りを楽しみにしていました。


当然封切りと同時に観に行きました。


私としては、是非一度どのような場所で世界の3大古戦場としても評価されている関ヶ原の戦いを 是非現地調査したかったのです。(欧州ナポレオン戦争の激戦地ワーテルロー古戦場。ベルギー王国・アメリカ南北戦争の最大の激戦地のティスバーグ古戦場と世界3大古戦場とのこと)



日本の陸軍大学校に教官として招かれていたドイツ参謀本部のメッケル将軍が 関ヶ原の東西の戦いの布陣の現地調査をして、開口一番即座に この戦いは西軍の勝利を唱えたのは有名な話として残っています。


私は関西生まれですので、当然石田三成の西軍の味方です。


東軍の徳川家康のリーダー論から言いますと やはり徳川家康がリーダーの器のように思います。


従前にも記しましたように、20代に山岡壮八の徳川家康を確か当時は20数刊だったような記憶がありますが、一気に読破しました。



しかし、なぜか人間的に親しみを覚えず 現在に至っています。


本来は メッケル将軍が即座に西軍の勝利を唱えたように西軍の勝利でした。


ただ ご存じのように 西軍として参加したのは、8万の兵ですが、三成の不徳の致すところで、石田三成とその配下の島左近、宇喜多秀家、小西行長、私の好きな大谷吉継など、実際に戦いに参加したのは、3万5千だったと言われています。


私も石田三成の陣する笹尾山から、私の好きな大谷吉継の義に通じる南天満山、三成の義の思いを馳せながら、徳川家康が最初に陣を張った桃配山。


松尾山で陣を引をひき、寝返りした、小早川秀秋の俯瞰図を感慨深く、三成の思いを身において、400年の時空を超えて しばし松尾山から眺望していました

そして、丁度、15日の合戦の日ということで 催しがありました。


三成の陣した笹尾山の裾野で、石田三成、大谷吉継、徳川家康に扮した武将が勢ぞろいし、関ヶ原の当日の戦いが再現されました。


関ヶ原保存会の人々による、天下分け目の合戦の始まる合図である太鼓、ほら貝、そして、大筒の大砲の音で 今、正に合戦が始まる様子を臨場感よろしく再現されました。

その今でも戦いが始まる場面に、何故か止めどもなく涙があふれ出て隣の招待者の社長の手前、困りました。


義に生きた三成、左近、吉継の その決戦の時の もののふの心情は如何ばかりであったのか。

あるいは 私のルーツと言われている 平家の落ち武者としてのDNAが騒いだのか、
丁度 関ヶ原の戦いのその6時間の合戦の渦中いるという思いなのか。

なぜ、小早川が一万5千の兵を持って、西方に裏切つたのか。もし、裏切る事なく西側に参戦していたら。

もう少し、三成に徳があったなら 加藤清正、福島正則等、秀吉の子飼いの猛将を 敵に回すことはなかったのにと。

 色々400年の時を超え、熱き想いを馳せた関ヶ原の古戦場の一日でした。


長年行きたかった関ヶ原の古戦場の招待に、厚くお礼を言い、関ヶ原を後にした。

因みに昨日日曜日も、もう一度関ヶ原の映画を観て、感慨に耽っていました。


日毎に、朝晩は冷え込んできます。季節の変わり目です。


お身体ご自愛下さい。

最後まで、お付き合い有難うございました。続きを読む

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August 26, 2017

夏休み

おはようございます。


8月も もうすぐ終わりですね。


連日厳しい残暑が続いています。お疲れは出ていませんか。 


さて、夏季休暇はいかがお過ごしでしたか。


私は毎年恒例行事になっています、家内の墓参りを兼ねて、孫3名と娘と家内の計、6名で 石川県の大聖寺に車で帰省しました。


いつもように、福井の三国海岸の海で、少し孫達と泳いで、加賀温泉に入り、ホテルで二泊してゆっくりと休養しました。


と言いたいところですが、いつものように3人の孫に囲まれてマゴマゴした、楽しい休暇でした。

さて、夏になりますと、10数年前になりますが、夜回り先生として有名な元高校の先生で、今、教育評論家として活躍されています水谷修先生の 寂しい哀しい夏休みという題名の記事が思い出されます。


私は心に残る記事、言葉とか、感銘を受けた記事とか 30数年に亘り、何百枚とアイウエオ順にフアイルしています。


研修の資料にもなるのですが、そのような事もさることながら、感銘した記事、言葉は私自身の心の栄養にもなるのです。

              

               寂しい哀しい夏休み


私は数年前の7月の終わりに、ある児童養護施設を訪れました。

その施設は百人近い、小、中、高校生が、生活していました。

どの子も親のネグレストや、虐待、あるいは両親を亡くして、あるいは両親に捨てられて、又、経済的理由から、親と生活できない子です。

私は、その施設で子供たちに講演をしたのですが、そこには、20数名の子供たちの親たちも来ていました。

講演後、その親たちが、自分の子供を連れて、職員の人たちに挨拶しながら帰っていきました。

夏休みの一時帰宅でした。

残る子供たちは、帰る子供たちに、「いっぱい楽しんできて」、「おみやげ、楽しみにしているよ」、元気いっぱい声をかけていました。

でも、その姿が見えなくなると、数人の小学生の子供たちが、泣きながら部屋へと走っていきました。

そして、ベッドの中で、枕の顔を埋めながら泣いていました。


彼らも帰りたいのです。親の元に。


でも帰る事の出来ない子供たちでした。私も泣きました。

                      教育評論家、水谷 修



こうしてワープロを打っていましても、涙腺が緩みます。

この記事は 娘がまだ一人の時の記事です。

今は3人の孫に囲まれての至福の中の記事です。

色々の思いが複雑に交錯します。


さて、夏も終わります。昨日帰宅の最寄駅で、駅に降りたとき、虫の声を聴きました、


私はまだまだ、厳しい暑さなので、秋は来るのかなとそんな思いの毎日ですが、虫さんたちはもうすでに感じとって、 秋到来を告げている自然の営みの素晴らしさを感じました。



今回は 孫達と一週間過ごして、姫路に帰って行った後の、台風一過のもの静寂さに、一抹の感傷を持ちながら、十数年前の私の尊敬してやまない、水谷修先生の記事をご案内させていただきました。

まだまだ、冒頭に記しましたように、残暑厳しい毎日です。

どうぞ、お身体ご自愛下さい。      最後までお付き合い有難うございました。

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July 16, 2017

鉄腕アトム

今日は


連日厳しい暑さですね。

先週の初めから東京に行っていましたが、息苦しさのする暑さでした。

日本列島連日酷暑といったところです。


相田みつおさんの詩にあります。

 「雨の日は雨の中を、風の日には風の中を。の一節を思い出します。

自然との一体の中で生きていく、大切な又とない人生のかけがいのない一日を、謳歌したいものと思いますが、しかし暑いですね。


さて、最近AI,IOT,の記事がない日はないですね。


研修を担当する私にとって 人間対AIと大変興味深い問題です。


私の幼少の頃は、手塚治虫さんの鉄腕アトムの漫画が大流行で、テレビでも放映され、その折のテーマソングで大きくなったようなものです。


当時、架空の物語ではなく、将来鉄腕アトムのような人物が生まれるかもしれないというような話もありました。


今、こうして現実の世界を見ていますと、あながち架空の世界ではないような、そんな気もします。


第4次革命と言われているAIつまり人口知能で、コンピューターを使い、人間の知能の働きを再現する技術の事ですが、今は、学習を繰り返す技術つまり、ディープランニング(深層学習)によって、各分野において、衝撃が起こっています。


特に話題になったのは、皆さんがよくご存じの囲碁の世界での 世界最強の中国のプロ棋士の柯潔九段が米グーグルのアルファ碁に太刀打ちできなく3連敗し 又、将棋の世界でもソフトの世界に圧倒的な実力の差を見せつけられた囲碁界、将棋界に、変革の波が押し寄せているという現実です。


私の時代は、将棋は幼少の頃より、夏になると、家の中はクーラーのない時代でしたので夜は夕涼みがてら、外で縁台がならび、何組かの将棋が指された 又はさみ将棋と懐かしい古き良き、時間が止まったような思い出が蘇ってきます。


よく笑い話で今、対戦相手に、手に何の駒を持っているかと たずねたら、金と桂馬と王さんと答えたという まったりした時代の話です。


プロ棋士の話によると、AIと対決して、いままでの定石を全く覆す戦法で、対戦している最中に、突然試合を放棄したような遊びとしか言いようのない、あるいは休憩しているとか思われるよう手を打ち、内心全く局面を理解していないと嘲笑して 進めている間に、その遊びの一手が 勝利につながり 敗北するというケースに遭遇するとの事。


そういえば幼少の頃、将棋を指していて、なんでこんな手を打つのか 理解でない手が、局面が進んでいく行く間に勝利の一手なる言う事を体験したこと同じ事と思います。



つまり人では精々先を、何十手しか読めないところをAIは 今までの人間が打ってきた、何万、何十万の手を分析、解析して、何百先を キャッチして試合に臨むので、人間の記憶では、全く太刀打ちできなく、今後はAIとの対戦はしないとのこと。


このAIのディープランニングは 今医療の世界とか、又企業の人事の面接の世界、小説の世界、美術の世界とか、骨董品の鑑別の世界とか、あらゆる分野において、進出していき、最近よく言われるAIが人間を凌駕していくのではと言われています。


しかし だからこそ、我々人間しか味わえない 感知しえない「人間力」つまり一言でいえば 「もののあわれ」を知る感知力がAIとの全くの相違点で、この点で、AIを活用していくに尽きるように思われます。



どちらにいたしましても、私の孫の時代には 世の中はどうのように変転しているのか、ロボットが人間を支配しているのか、それをみきわけたい心境です。

今回は、今、話題になっている「人間対AI」について述べてみました。、

これから厳しい暑さが続きます。


冒頭に記しましたように、「それも又、よし、」の心境で毎日を楽しみたいと思います。


最後まで、お付き合い有難うございました。




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June 25, 2017

人生の生き方

今日は 

6月も後一週で今年の上半期も終わります。


昨日から一泊二日の人間ドックに行って、午前中で終わり、先ほど事務所に着きました。

谷口さんは仕事が趣味ですかと言われますが、まあ一番のオーバーをいえば命を懸けた趣味かもしれません。



ただ、少しかじるだけですが、仕事の合間には 昔のリバイバルの映画を見たり、文楽友の会に、50年近く入っていますので 年 何回か会報が、送られてきます。

観たい文楽、古典芸能、浄瑠璃、等があれば、夜観劇いきます。時折テレビ中継も観ます。

冬は、アメリカンフットボウル、最近は昔取ったきねづかで、スキーを始めています。

旅行等も好きです。


 歌舞伎は、従前に興味がありました歌舞伎の演目中の掛け声の会に行ったこともあります。


何故、今回このようなブログになったかと言いますと、一昨日、歌舞伎俳優の海老蔵さんの奥さんの麻央さんがが癌で亡くなられましたね。


日本人が涙した訃報でした。


私も普段余り、テレビを見ないのですが,見る時間がないのですが。

丁度一泊の人間ドックで久しぶりにホテルで一泊していました。


そこで、生きるとは何なのかと私のみならず、オーバーにいえば日本中が、何らかの立場で 考えさせられた訃報であったのではないかと思います。


そのような事で、自分のこれからの人生に対する生きる姿勢も又、身近な問題として、考えさせらえれました。


人間ドックの結果も仮の診断でしたが、お蔭様でこれと言った問題もなったようでホッとしている中での今回の報道でした。


元に戻りますが、歌舞伎の掛け声を一度演目中にしてみたいと思って、歌舞伎を楽しむ会にはいりました。


皆様もご存じかとおもいますが、役者が演技をしている中で、見せ場のところで、ここ一番の場所で、観客から掛け声をかける場面です。


待ってました、「成り駒屋」「中村屋」等の掛け声です。

一度私自身もかけてみたいと思って会に入ったのですが、やはり相当の歌舞伎に精通して、役者と観衆と阿吽の一体感の呼吸と見せ場とが合わないと、掛け声一つもそんな素人が出来る甘いものではないと思いました。


趣味としては、なんでも興味があり、ものにはならないのですが、なんでもかじります。


一昨日からの訃報で 3人の孫を持つ身には、自分の今の現状と 照らし合わせ、自分だけ良ければ、よいと言う人間ではなく、世の中に影響力を持つ人間にならなければとの思いを含め,考えさせられた訃報でした、


私も今、仕事の関係で人前でお話しすることが多々あります。


人様に かりそめでもお話しすののではあれば、人間性、特に私の今の立場上でリーダーシップ論についてお話することが多くあります。


リーダーシップ論について私の見解をお話しすることは 又の機会にして 私は 一つには 人の上に立つ資質の中で 仁徳、人徳、品性。品格、が必要欠くべからざる第一義の資質と考えています。


リーダーシップ論を説くには 自分自身が率先垂範して、身体より、5感(6感)で備わっていなくてはならないと思っています。



ただ、仕事だけではなく、森羅万象に畏敬の念を持つ意味でも、色々と挑戦することに人間の幅、人間的魅了が、備わって来るものと思います。


梅雨の時期です。草花も喜んでいるだろうな、と思う中、身につまされるような訃報について、丁度人間ドックに入っいる時でもあり、「生きるとは」と考えながら、自分自身の仕事の思いを、より高めて、趣味からの学びも、世の中に貢献し 活かさなければとなければと 身の程知らぬ思いを馳せた報道でした。


自然の営みを感じながら、私の座右の銘である、

         

       昨日までは、リハーサル・本日只今出発。

今回も最後まで、お付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。


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May 20, 2017

亀の池

今日は、

5月も半ばになり、企業によりますと、クールビズになり、我々男性としては有り難い月に突入しました。


今日 午前中 四天王寺さんで 会合があり、出席してきました。


私は大阪の下町のど真ん中で生まれましたので、(兄二人は京都、相楽郡和束です。)幼少の頃は四天王寺さんとか、又、茶臼山等は、恰好の遊ぶ場所でした。


30〜40年振りで、会合の後 四天王寺の境内を散策しました。

境内の「亀の池」には、亀が泳いでいました。


昔は、月の決められ日に 夜店と言って縁日が出来、多くの店が 夜になると、道路に屋台をだし、色々な店がでて、娯楽の少ない時代に子供心に大変楽しみでした。


何か、ノスタルジアを感じます。


そこで子亀が売っていました。


今は亡きお袋に駄々をこねて、一匹買ってもらい 家で、毎日子亀と対話しながら飼っていました。


しかし、お袋から 何年か後だと思いますが、大きく成長したので、何かカメは、仏さんの使いとか、そのような事を言われて、四天王寺さんの「亀の池」に 返しに行きなさいと言われ、池に、放した記憶があります。



そういえば 池に放したときに、自分の長年飼ってていた亀が、泳いで行って見えなくなったときの風景が鮮明に、思いだします。


自分のカメを、目で追いながら「これで いいんだ、広い池に帰って」と自分自身に
言い聞かせる反面、何とも言えない 悲しみが沸き起こり、涙ぐんでじっと池を見ていただ思い出が蘇ってきました。



この「亀の池」で亀は万年生きると当時聞いていたので、万年生きる事になると、その時のカメはどうしているかと たわいもないことを思いだし、思わず苦笑しました。



又、よくその「亀の池」で釣りもした事も思いでもあります。


境内を散策して、お袋に手を引かれて、「亀の池」の近くにある、納経所で お袋にいわれるままに、お札を水に収めた記憶も甦がえり なぜか、胸がキュとなり、そして、事務所に戻ってきました。



私の好きな 中学の時に習った吉田兼好の方丈記があります。

何故か、最初のさわりだけは暗唱しています。



    ゆく河の流れは 絶えずして、しかももとの水にあらず。

    よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる、
    
    ためしなし。

    世の中にある人とすみかと、またかくのごとしーーーーーー


このようなさわりであったと思います。

しかし、こうして今から60年前のセピヤ色の思い出が、時空を超えて 蘇えってくる 幸せを感じたひと時にもなりました。


聖徳太子さんの功績である 日本人の持つ、「和をもって貴となす。」という憲法17条のDNAの素晴らしさを再度勉強会で確認し、ぜひ継承していかなければならない魂として、又、日本人の一人として、強く思ったひと時でもありました。


方丈記のもののあわれの無常と 変わるもの、変わらないもの、不易流行のおもい等、感じ入るひと時でもありました。



一年で 今が一番初夏で 爽やかなよい気候ですね。



人と自然との関わりあい等の思いを馳せて、今日、一日一日 心安らかに 精一杯、楽しんで、人生を素晴らしいものにエンジョイしたいものですね。


、皆様方も素晴らしい一日でありますように。



今回も 最後まで おつきあい誠に有難うございました。





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April 22, 2017

心のしつけ

今日は

日本の国を、又日本人を象徴する桜も散り、三寒四温を経て春から、初夏に向かう今日この頃の爽やかな季節ですね。


お変わりなくお過ごしのことと思います。


私も40年余と継続させていただいています春の恒例の新入社員の禅の精神を取り入れました合宿研修会も300余名様のご派遣をいただきまして、無事終了致しました。



今は 一番大切な研修後のフォローでスタッフはその資料づくりで翻弄されていましたが、やっと派遣頂きました会社に宅配、並びに訪問と 来週の連休前まで続きますが 一段落ついたといった状況です。



今年の研修会の振り返りとして この企画の主旨を原点に立ち返って2枚に亘り私が纏め、三日間の研修の振り返りとして担当トレーナーより4枚の報告書としてまとめ 派遣企業様にご案内しました。


我々としましては、研修生と寝食を共にしまして、自負めきますが企業にとっても、又大変おこがましい表現を許していただくとすれば、世界の中の日本にとっても 大変大切な人として生きていく上で重要な研修会と再確認しました研修会でした。



ここに、私が派遣会社様にご案内しました2枚のコメントにつきまして 少し述べさせていただきます。



ふた昔前までは、祖父母が、ご両親が、先生が、近所のおじさん、おばさんが 何が良くて、何が悪いのかと、人生の生き方について身体で、又、後姿で世の中のルールを教えた時代がありました。



古き良き時代として 懐古するつもりはありませんが、核家族の時代でもあります今日、又、社会の営みの現状を鑑みて、ある意味では企業がその躾を担当するそのような時代に入っているのが現実のように思います。


聴くところによりますと 欧米では 又 私の拙い何度かの海外出張の経験から 子供のしつけは ご両親が厳しくつけているようで  私も何度か、現地で、そのような社会のしつけを目の当たりにした、経験があります。



日本では、戦後の教育が 又、価値観の多様化と共に、俗に言う人としての人生の歩むべき道を、見失なってきたように思います。



そういう意味では 千年続く禅の精神を取り入れた研修は 益々 AI時代,IoT時代の無機化した世の中に、人間力養成の研修として、必要欠くべからず人生の歩む研修であると痛感します。



上記に記しました桜は 日本人のDNAとして受け継がれてきた「もののあわれ」を感じる心であります。


このよう心は、日本が誕生して引き継いできた日本人のDNAです。

最近、インバゥンドとして、桜の季節に海外からの観光客が倍増して、日本の心を理解しょうとしているとのことです。


少し、付記になりましたが、そのような企画主旨として コメントさせていただきました。



三日間の研修に流れています、すべてをまづ受け入れる素直な心、人を云々する前に自省する心、全てを師とする謙虚な心、社会に奉仕する心、なんでも当たり前ではなく感謝の心と 何事も「全力」で、己に打ち克つ「克己」あくなき人生への「挑戦」そしてこの人生を「本気」を。


そんなことを実践あるのみで、身体で学習していただきました。



素晴らしい人生を、自らの手で、家族に、企業に、日本に、世界に そのようような 若者のみ持つ特権である 大きな志、夢、目標を持って人生を歩んでほしい。

つまり、四書五経にあります、修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)の考え方です。



では、その夢の実現の第一歩は、まず会社に入って、与えれれた目の前の仕事を 上記の5つの精神、4つのスローガンを胸に、一生懸命実践するのみである。


この言葉を最後に 「旅立ちの言葉」として 私が研修の締め括りとして お話しをさせていただきました。



今回は、今年の新入社員の合宿研修会についての日本の将来を担う、又、各企業の将来を託された素晴らしい 前途洋々たる若者の研修についてご案内させていただきました。


最後まで、お付き合い頂きまして、誠に有難うございました。





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March 18, 2017

横綱

今日は

日増しに暖かくなってきました

春が待ち遠し今日この頃ですね。


皆様方はお元気にご活躍のことと思います。

今 大相撲の大阪場所が始まっていますね。

私はたびたび述べさせていただいていますように、大の相撲フアンです。

思い起こせば 千代の山とか鏡里、吉葉山 そして栃若時代、大鵬・柏戸時代等、日本人の横綱が活躍していた時代からです。

私は大体3月の大阪場所は大阪府立体育館に観戦に行っています。

よく招待等も受けて桝席で観戦した時もあり、テレビに映った事もあります。

席は あまり贅沢なことを言わなければ大体取れました。

ある時代は、色々な不祥事等あり相撲の人気が大変悪くなり、ガラガラとは言いませんが6,7割の観客で何か 非常さみしい、どうも観戦していましてもここ一番場内が熱気にかけ 気乗りのしない時代もありました。


日本の素晴らしい伝統ある又格式ある大相撲は、継承していかなければならないという 相撲フアンの一人として、大変危惧した時代もありました。


今年は 相撲フアンでない方もご存じにように稀勢の里の日本人が20年ぶりの横綱誕生で日本中がわいています。
 

特に、昨年の11月場所では、もし優勝すれば 二場所連続優勝かそれに準ずる成績ということで 稀勢の里は年間の勝ち星がトップということで、千秋楽の白鵬戦で勝てば まず横綱昇進は、ひいき目なしで 決定的だと言われていました。


相撲フアンの一人としては、千秋楽の白鵬との相撲に勝って、どこから見ても後指の刺されない形で優勝して横綱になってほしいと ここ20数年の中で一番緊張した手に汗握る一戦でした。


ここ何年間か、優勝戦に絡む相撲を取りながら、どうしてもプレッシャーに弱いのか、負けてしまうと言う不甲斐なさを感じていました。


年齢も30歳なので、もう限界で横綱の線はマアないと、しかし一縷の望みで千秋楽をテレビの前で観戦しました。

ご存じの横綱相撲で白鵬を見事押しだしで優勝しました。

私はテレビの前で 小躍りしてこれほど興奮した相撲はあまりないのではないかと思うぐらい歓喜しました。


当然 今年の大阪場所は切符の入手は厳しいだろうなと思いながら 発売日の日曜は仕事で買いに行けず その翌日に大阪府立体育館まで買いに行きました。


マア、15日間でいつでもよいし、後の席のパイプ椅子の方であれば どこかあると たかをくくっていましたが 15日間販売初日の2時間程で完売したとのこと。


正直 ここまでなるとは全く予想できず 今年の3月大阪場所は20数年ぶりにテレビ観戦になりました。


横綱昇進には、格闘技ではないので ただ強いだけではなく 横綱審査委員会が設けられ 弁護士とか大学教授、実業家、政治家等がメンバーになって横綱としての品格、品位、力量が求められ、大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績を収めた力士が推挙されるという規定が設けられています。


特に最高位としての品格、品位が問われるところが私は非常に好きです。


日本人は伝統的に品性、品格を問います。


勝てばよい、強ければよいのではありません。


我々の属する実業界の世界でも 上にたてば立つほど 相撲の世界同様 品格、品性が大切であると思います。


儲ければ良いの世界ではないと思います。

少し、説教じみた話になりましたが、私も経営者の端くれとして、心したい思いです。



さて、来週から恒例の新入社員の研修が始まります。


300名余の新入社員のお申込みを頂いています。


事務所はその事前の準備で毎年の春前の行事ですが、大わらわといったところです。


ご派遣企業様の将来の大切な幹部候補生であり、又日本の将来を担う若者です。

心して運営したいと今から、徐々に心身を整えている最近です。

今日は 今開催されています大相撲大阪場所の稀勢の里の横綱昇進の初めての場所での優勝を期待しながら 忙中閑で終えさせていただきます。

因みに、今年幕内に上がった技のデパートと言われている宇良関は 私の母校始まって以来の関取で、大学の後輩になります。

何か、別の意味での活躍を楽しみにして応援しています。


どうぞまだまだ朝晩は少し、冷え込みます。お身体をご自愛下さい。

今日も最後までお付き合い有難うございました。

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February 11, 2017

日本の今昔

今日は

今年も、もう二月の半ばになろうとしています。


一昨日から寒波襲来と言うことで毎日厳しい寒さが続いていますね。


昨日から西日本中心に記録的大雪で明日まで続くそうです。

さて、アメリカの新大統領のトランプさんと安倍総理が今日未明 ワシントンで世界でイギリスについでの二番目の国として首脳会議が持たれ、今朝の朝のテレビで放映されていました。
 

個人的に今後の日本は、トランプさんになって どうようになるのかと 一経営者として少し危惧していましたが 今朝のでニュ-での知る範囲では 少しほっとしています。


どちらにしても これからの日本のかじ取りは難かしいものがあるだろうなあと思います。

そのような事で思い起こす事があります。


もう 今から40数年前の事です。

たびたびブログでも述べさせていただきましたが 私は20代の後半から30代の会社お起こす前の前半まで たびたび視察、調査で外国に行く機会に恵まれました。



当時の総理大臣は 最近マスコミで、回顧録で大変話題になっている田中角栄さんでした。


それまで 官僚の大卒ばかりの世界で 義務教育を終えた人が初の日本の首相となり そのよう事もあって、国民の支持率は確か90パーセント近かったのではないかと記憶しています。


日本列島改造論を唱えられ 今太閤と称せられ それはそれは大変な国民的英雄でした。
そして、総理大臣に就任しての初の行事である 今も続いています恒例のワシントン詣でアメリカに挨拶に行かれました。


実は 丁度その時私もアメリカに出張していまして、ニューヨークからワシントンに入ってワシントンDCに滞在していました。


春の季節で 丁度現地は休日に入り 仕事も休みで、滞在していたホテルの近くのポトマック河畔を散策した思い出が 昨日のように脳裏に浮かびます。

丁度 20代の後半でまだ独身でしたし、自分はこらからどのような道を歩んだら良いのか等 これからの自分の行く末を模索した年頃でもありました。、


散りゆく異国でのサクラを愛でながら 悩み多い青年として もの思いながら 散策した姿が浮かんできます。


そのことは補足としまして、翌日 丁度上述しましたように田中角栄さんが サンフランシスコから当時の大統領であるニクソンさんと首脳会談の出席のため、ワシントン入りをされ セレモニーに出席されていました。


その会見の翌日、ホワイトハウスの前の庭で  お互いに にこやかに挨拶をしている写真記事をみようと 大きく第一面をかざっていると思い、新聞を胸躍らてみました。


一面にはなかっので、二面 三面とページをめくりました。


しかしそのような記事は見当たりません。思わず少し焦って 今度はゆっくりとページをめくりました。



ご承知のように 向こうの新聞は相当の枚数があります


自分の英語の読解力のなさに一抹の無力さを覚えた記憶が蘇ってきます。


眼を皿のようにして再々チェックしました。

何ページ目かは忘れましたが 何行かの小さい片隅の記事で 日本の新首相のミスター田中がワシントンを訪れニクソン大統領と会ったとの記事を何とか見つけ出しました。



帰国後 当時のワシントン入りでの各新聞の記事をチェックしました。


各主要新聞は 当然一面ぶちきりで田中角栄さんとニクソン大統領との満面の笑みの写真を掲載していました。


当時の日本の存在は全くニュースにもならない国だなと痛切に思った一コマでした。



今回の朝の一連のニュースをみて 日本の今昔としてまとめてみました。

厳しい寒さがもう少し続くようです。


どうぞ 寒さに充分ご留意して お過ごしください。


最後まで、お付き合い有難うございました。


備忘

田中角栄様とはその後、東京でロッキード問題のさなかで、約7名〜8名のSPの方々に囲まれながら財界の会合に出られた折、名刺交換をさせていただき、あの人なつっこいお顔と 少し、しゃがれたお声、力強い握手をいただいた事が 晩年の様子とかぶり、なぜか脳裏に焼きついています。



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January 14, 2017

年頭自警

おめでとうございます


お正月は如何でしたか。ごゆっくりされましたか。


セピヤ色の正月風景からは 全く様変わりしましたが それなりにゆっくりした正月でした。


と言いたいのですが 昨年末のブログ同様 年末、年始は3人の孫(小学4年、小学1年、2歳の男3人兄弟)と一緒でしたので 何かと大変でした。

正月は娘が手配する恒例になりました行事で 今年は 2日から一泊二日の家族旅行(総勢7名)として奥道後に行きました。


ゆっくりと温泉といきたいのですが 外孫のため(姫路在住)普段はなかなか一緒に遊んでやれないのでこの時ばかりと 出来る限り思い出づくりと思い 大変と言えば大変でした。

私のおじいさんは 早く亡くなったため 私はおばあさんとの思い出はありますが、俗に言うおじいちゃんと言うちゃんと甘える思い出はありません。


そのような事もあるのか、孫には出来る限り思い出づくりと思うが故に どこにでも連れて行ってあげたいとの思2週間は何かと大変という事になりました。



年末、年始と二週間程 姫路と我々の家と往復で 孫達と一緒だったので 姫路に帰った時は又家内と二人ホット一息つく半面、家はもぬけの殻になったようで、一抹の寂寥感を感じた年始にもなりました。


毎日 兄弟喧嘩が絶えず それが子供同士の遊びかもしれませんが その時は早く帰ってほしいと思った事もありましたが いざ帰ってしまうと その 兄弟喧嘩 遊ぶ声 又
2歳の末っ子の 気分が悪い時のけたたましい泣き声などが 静寂の中で プレイバックして 何か無声の夢を見ているような そんな幻想を感じた2週間でもありました。


扨て皆さんは 年初の目標は立てられましたか。


私の敬愛しています安岡正篤先生の「年頭に当たって」の思いがありましたので 目標を立てられる際のご参考までに記してみます。


                
               年頭自警

         1、年頭まず自ら意気を新たにすべし。
         
         2、年頭古き悔恨を棄つべし。

         3、年頭決然滞事を一掃すべし。
         
         4、年頭新たに一善事を発願すべし。
     
         5、年頭新たに一佳書を読み始むべし。



私は上述の年頭自警を参考に目標を立てました。


今年も3日坊主になりますが、思いだしたら実践する、思いだしたら実践するで 1年間頑張りたいと思っています。



今年もお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。


今晩から、翌朝にかけて大雪になるとの気象情報ですが、どうぞ気をつけてお過ごし下さい。

                            
                          有難うございました。

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December 28, 2016

一年間ありがとうございました

今日は

今年も後、数日になりました。

一年間お付き合い頂きまして誠にありがとうござました。


お蔭様で 今年も 大きな問題もなく 一応 健康で年の瀬を迎える事が出来まして ホットして今 パソコンに向かっています。


今朝は 事務所は今日で最後ですので、いつものように、実家により鏡餅を事務所に持ってきました。
(私の実家は生菓子業を営んでいます)


事務所を創設以来40年余、年末の恒例の行事になりました。


いつの時代になれども、日本の伝統の行事は続けたいと切に思いますし、上述しましたようにこうして続けられる事の幸せを感じます。


今日は朝から 恒例の大掃除をして、スタッフと昼食共にし 昼過ぎそれぞれ一年間の慰労と感謝の交換をして、よい年をお互いに迎える挨拶をして別れました。



昼からは 私のいつもの仕事である 事務所のしめ縄をかざり、鏡餅をセットし、残務整理をし、間もなく事務所に一年間のお礼をして、退所したいと思っています。



いつの時代も激動の一年ですが、来年はもう一段と日本を含め、世界は激動の一年になるように思います。


しかし、どのような出来事も、すべて受け入れ ご縁のある人々と共に、限りある人生を精一杯 楽しんで 素晴らしい人生を 自らの手で切り拓きたいと思っています。



年初は5日からですが 皆様方もどうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


一年間おつきあいいただきまして、本当に有難うございました。

                         

                               良いお年を

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December 17, 2016

幸福の道

今日は


今年も後2週間ばかりになりました。


本当にあっと言う間の一年でした。


皆様方は今年の一年は如何でしたか。

私はあまり大きな出来事もなく 比較的おだやかな一年でした。


と言いたいのですが、いつものように[毎日]に追われた一年で じっくりと振り返える機会が少なかったように思います。


年初にたてた目標もどこへ行ったやら。

 又新しい年に向けて 神様が動物の中で人間だけに与えた目標を掲げて 生涯青春、生涯現役、生涯挑戦、の心意気で頑張りたいと思う年末です。


そして、新しい年に向けて 老骨にムチ打って 目標と同時に人間だけに与えられた「チャレンジ精神」を発揮していきたいと思います。


さて、今日は土曜日で、休みですので、そろそろ事務所の身辺の整理をと思い 机の中とか、何から始めようかと思いめぐらしています。


私のデスクの横にある毎日めくる日めくりのカレンダーは 後10数枚になりました。

日めくりは事務所設立以来壁に掲げています。

           昨日まではリハーサル、本日只今出発


この意味合いを毎日確認するためです。



そして、その横の行動予定表の白板の下に 一枚のシートがいつからか不明ですが 張ってあります。 もう長年 張られていたように思います。


色も相当変色しています。


皆さんも身の回りで いつ何のために貼ったのか、家とか自分の部屋にポスター等あることはないですか。


私が、そのシートを張ったという事は その文面を読んで、何かその当時に心に触れた感情があり 張ったのでしょうね。


ブログのテーマである「心の応援歌」にふさわしい言葉ですのでご案内させていただきます。


                幸福への道
              
             家内仲良く  ゆずりあい  

             先祖に感謝  親をたいせつに 

             空気に感謝  社会に感謝
             
             身体を大切に 仕事に熱心 

             人には親切  わが身は努力、

             よく働いて  施しをする

             不平不満や  愚痴云わず 

             人を恨(ねた)まず  羨(うら)やまず 

             口を控えて  腹立てず

             親切正直   成功のもと 

        この通りに実行すれば 必ず幸福になり子孫も良くなります。


  以上のような文章が張られていました。


若いころはあまりこのよう文章は、心に残らないで素通りするのですが、歳を重ねるごとに 今、読むと何か五感(六感)で感じるようになりますね。



相田みつおさんの、「幸せは自分の心が決める」 この詩は、私の好きな詩の一つです。

上記の文章を噛みしめて読んでいくと確かに、幸せはいかに「安寧の心」を待つかと言う事に尽きますね。


確かに、最後の子孫のところは、私自身 現実に孫もいますので、孫の世代のためにも、又世の中の安寧な社会のためにも、自分自身を高めて 心豊かな社会になるよう、申し送りをする年代になったなあと、思います。


そして 幸福の道の文章を 良い文章だけと、見なさないで、実践して「一隅を照らす」精神で  次代を背負う子孫のために、と思う 一枚のシートから 大変 大層な師走のひと時になりました。


寒くなってきました。

年末で、何かと心せわしない時期です


どうぞ、お身体、ご自愛下さい。


                        ありがとうござました。


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November 23, 2016

一途な義

今日は

早いもので、もう11月も下旬になり今年も後、一か月強残すのみとなりました。

皆様方は如何お過ごしでしたか。


私はお蔭様で某社の合宿研修会が6回に亘り 一泊二日で当協会の専門道場で担当させていただき,老骨にムチを打ち、先般、無事終わりホット一息ついているところです。



扨て、昨日は東北で、又地震がありましたね。

大事に至らず本当に良かったなとつくづく思います。


日本は 最近四季の変化が薄らいできたとは言うものの、世界に稀なる素晴らしい四季の自然の営みがある国です。


地震等も、四季の影響のように思うのですが、何時 どこで、地震が起こるのわかりませんが、心したいものと思います。



話は変わりますが、今 大河ドラマで真田丸が、放映され佳境に入り、間もなく終了します。


大河ドラマは毎年楽しみに観ているのですが、今回は久しぶりに大変放映が待ちどうしく観れない時は録画して観ています。


真田幸村の一途な義を通すところが 幼少の頃の真田十勇士のチャンバラの思い出と共に大変共感を呼んでいるのだなと思います。


大谷吉継も大変好きな歴史人物です。大谷吉継は今で言うハンセン病にかかっていたと言われています。

伝染病では全くないのですが 当時は不治の病として大変恐れられていたようです。


豊臣秀吉が関白の時代に、豊臣の臣下の諸国大名が集まり茶会が催されたときです。


大きな一つの茶器が 各大名に順番に回され、一口飲んで回していきました。

そして、大谷吉継に回ってきました。吉継は一口飲みほして隣の大名に回しました。


その後の各大名は一応飲んでいる振りをして 隣の大名に順番に回していきました。

吉継ははその気配をじっと五感で感じていました。


丁度石田三成に回って来ました。



三成は茶器に口を当て、一口飲み干しました。

吉継は五感でそのことを感じました。


「関ヶ原の戦い」でご存じの秀吉の子飼いの大名達が、三成の徳のなさで 徳川側に味方する結果になり、どう判断しても西軍が勝ち目がない状況でありながら 大谷吉継は三成側に着くという 一途な義に男として共感を呼びます。



又 三成は、徳のなさで鼻持ちならないところがありますが、最後まで生き延びて豊臣家を再興させようとする一途な義にも共感します。


三成は 囚われの身になり 処刑場に連れて行かれる最後の時に 当時としては 高価な 柿を敵側の好意で食べるように渡しますが、三成は 柿はお腹に悪いと言って断ります。


徳川側は 死刑の直前にお腹に悪いとか、悪くないとかの話に 嘲笑しますが、三成は死の最後まで 諦めないで、まさかの奇跡を信じて、豊臣家再興の一途な義の思いを貫きます。



今回は 大河ドラマのクライマックスに、何か、今、どんどん日本人の魂に無くなりつつある 「一途」とか「義」についての思いを真田丸のドラマから記してみました。


次回の心の応援歌は12月の師走に入ります。


天候は大変不順で寒暖の差が厳しい毎日です。

どうぞ体調管理にご自愛下さい


今回も最後まで おつきあいいただきまして誠に有難うございました。






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October 22, 2016

オリンピック雑感

今日は



何か涼しくなっと思えば暑くなったり秋らしい天候にはならないですね。


昨日は鳥取で震度6の地震がありましたね。

私は事務所にいまして、急に携帯のアラームがなり、(普段は消音にしています) その後すぐに揺れました。


一瞬、私は震源地がどこなのかと思いましたら、スタッフが鳥取の方ですよ。

と言う話で私は大阪での地震の揺れを感じましたので、何か又、東北とか、熊本のような惨事にならないように、心痛な思いを持ちました。


被害は出ているようですが、あまり、大きな被害に至ってないようで、ほっとしています。


しかし熊本の例のように、今後、再び大きな揺れが来ないとも、限りません。

鳥取近辺の方々はどうか、気を付けていただきたいと思いますし、いつなんどき我々の住む大阪、近畿もと思う昨日の地震でした。



さて、リオ・オリンピック、そして、パラも終わりまして、次回は東京という事ですね。


連日、膨れ上がる経費で競技場の変更等伝えれらています。


私は 年齢的に東京オリンピッックを学生時代に見ています。


特に記憶にありますのは、柔道でのオランダのアントン、ヘーシンク選手(故人)の神永選手との優勝決定線の場面での横四方固めでの敗戦です。


オランダのコーチが勝利のホイッスルと同時に檀上に駆け上がろうとしたときのヘーシング選手が 神永選手を押さえていた手で そのコーチを制しした時に なぜか一抹の寂しさと共に、柔道日本が崩れ落ち、世界の柔道に変わった瞬間のように思いました。

(ヘーシンク選手の日本柔道に対する思い、礼節、神永選手に対する敬愛と心の余裕をもって対応していた点です。)



後はマラソンでの円谷選手が 最後の国立競技場での2位から、トラックでのデットヒードでの末の3位等が昨日のように思い起こされます。


その折の当時の記事ですが、今後日本で開催されるとなると何百年後になると言う報道で私の存命中は二度と日本では、と思っていたことが、又、再び日本でと 何か夢のように感じた、決定の折の思いでした。


さて、今回のリオの件ですが、私が20代の時に仕事で行ったことがあり、大変 懐かしき、親しく身近に感じ、コパカパーナの海岸を散策した思い出とか 丘にそびえたつキリスト像とか、街並みとか、思い多いリオ・オリンピックでした。


今回のリオ・オリンピックの総じての思いは、一昔前の一部の選手に見られた、選ばれた事が全てとは言いませんが、それを由としていた風潮があったように思います。


しかし 今回は それが常に上を目指し、頂点に立つと言う気迫が表にでて、メダルのその一つ下では 満足しなく、悔しがる若者を観まして、「最近の若い者は」と言いがちな我々世代に取って、反対に 限りなく 頂点を目指して 挑戦していく現在の若者の素晴らしさを垣間みた、そんな気持ちを持ったリオでもありました。


さて、、次回の東京オリンピックは  前述しましたように 今,いろいろと見直しが入っています。


その事はそれでよいと思いますが、短所,高所から又、オーバーな表現を使いますが100年の計も視野に入れるという思いで、東京オリンピックは 単なる一都市の開催ではなく、今後日本の国に 又世界にもたらす影響力も加味しながら、短絡的な解決方法ではなく 大きな国造りという論点からも考慮してほしいと思う、最近の報道です。



10月後半を過ぎました。爽やかな爽快感を感じる、秋になってほしいと思うのはは、私だけでしょうか。


季節の代わり目です。お身体ご自愛下さい。


今回は、今、世間を賑わしています次回の東京オリンピックの報道に因んで オリンピック雑感として述べてみました。


スポーツの秋ですね。


明日はストレス解消にアメリカンフットボールの観戦にでも行きたいと思っています。

     
              最後まで、お付き合い誠に有難うございました。





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September 17, 2016

午前10時の映画祭

今日は

まだまだ暑いですね。

いつ秋になるのかと思います。

皆様方は 映画の観賞は好きですか。

私は第1回からのフアンで「午前10時の映画祭」と銘打って 過去数十年 国内外で上映された映画の中からの名作を 30数本1年間リバイバルで上映される映画祭が大変すきです。 


今年は7年目を迎えました。映画は好きですが 普段、時間がなく、中々封切りの映画は観にいけません。


「午前10時の映画祭」で上映される映画は過去に世界で何万と上映されてきた映画
から 選りすぐで上映されます。


昨年は、イタリヤ映画のソフィヤ・ローレン主役の「ひまわり」と三国連太郎、左幸子主演の「飢餓海峡」を見ました。


私は好きな映画は何回でも観ます、どちらの映画も何回も観みています。
全て共通に流れるのは 人間の持つ人生の機微、情愛です。

特に「飢餓海峡」は5〜6回は観ています。

もっと観ているかも知れませんが。


何度見ても 名作は見るたびに新な感動と気づきがありいいですね。

今年はキャサリン・ヘップパーンの大人の男女のラブロマンスで1955年公開の「旅情」を観てきました。

この映画は丁度イタリヤのベェネツィア(ベニス)でオールロケで撮られたとのことと 映画の題名で初めての映画でした。


イタリヤのベェネツィアには仕事とプライベートで何回か行ったことがりますので、場面場面が 大変懐かしく観る事が出来ました。

映画に流れる音楽は多分 若い方々も ああこの曲かと思われる事と思います。


実は私も観て、初めて「旅情」のテーマソングであることを知りました。
ある場面のメロデーは男女の情愛が物悲しく 切なく聴こえ、ある場面でのメロデイは、大人の恋の高ぶりに。

映画の中の主人公になって。


そして、今日は黒沢明監督の昭和27年の芸術参加作品の「生きる」を観てきました。


今回の第7回の映画祭で、春から上映を待ち望んでいた映画です。


この映画は多分10回は観ています。


DVDも持っているのですが、やはり映画館で観るのと迫力が全く違います。

何故、この映画にそんなに一回はともかく10回以上 観に行って、筋書が解かっているのに 「面白ですか」 多分不思議に思われるのではないかと思います。


製作が昭和27年で、終戦後6年〜7年の映画です。


昭和の戦後のまもなくの世相の状況が、匂いが、色濃く描写され、時代背景と共に、大変郷愁を呼びます。

役所の人間関係、並びに、今もそんなに人間模様、人間の持つ機微、愛は変わってはいないと思います。

出演者の発するセリフの意味合いも 全く今と変わりがないと思います。

確か、従前にもこの「生きる」については 書かせてもらったと思います。


世界の黒沢と言われるだけの日本を代表する名作の一つと思います。

何度みても 役者のセリフはそらんじられるぐらいですのに、場、場で涙腺が緩んで困りました。

この「生きる」の映画の内容については、先週から2週間と梅田で、その後、2週間難波で上映されます。

他の地域の方々も含め 全国の映画館で上映されています。

「午前10時の映画祭7」で検索下さい。

もし、お時間があられ、興味があられましたら、観に行かれては如何ですか。(DVD・CDも販売されています。)

私は、自分の人生の生き方に大変影響した映画で、 今の仕事の中にも。研修の材料に良く使わせていただいています。

映画の内容は 一言で言えば、末期がんで、後半年であると宣告された一人の役所人生の定年をまじかに控えた初老(志村喬)の生き様です。



さて、今、リオでパラオリンピックが開催されていますね。

我々は簡単に不可能はないという 言葉を使いますが 今 開催されているパラオリンピックの中継をみていますと、、そんな言葉は軽々しく言えないなあとつくづく思います。

この間も、両腕が交通事故で10歳の時に無くした選手の卓球の試合の中継をみました。


足でピンポンの玉を上にあげ、口でピンポン球を打っておられました。

人間の素晴らしさに、感動以外なにものでもないと思いました。

歳と共に涙腺が弱くなり涙ぐんでみていました。

今回は 今朝10時よりみた映画を 春から大変楽しみに 心ワクワクして待っていました黒沢明監督の名作の「生きる」について 記さしていただきました。

今月も最後までお付き合い誠に有難うございました。

お元気でお過ごしください。


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August 20, 2016

夏季休暇

今日は

暑いですね。

夏季休暇は如何お過ごしでしたか。


私は8月11日から17日まで一週間ゆっくりと,と言いたいのですが 孫(男ばかりで上は小学校4年、真ん中が小学校1年、そして2歳で姫路在住)のおもりで大変でした。


一週間のスケジュールは 私の谷口家の墓参りと家内の兄さんの初盆で石川県の大聖寺に車で家族6名で二泊三日の家族旅行。


道中 従前に娘が小学校の頃、毎年家内の里に帰る道中にある福井の三国海岸での海水浴で、孫達と少し、遊んでから、大聖寺へ。


帰阪してから 今、封切りしている ウオルトディズニーのアニメのジャングル・ブックの映画を上の孫二人で鑑賞。


この映画は孫達の要望ではなく、私が是非見たい映画で、中々 動物達も本物のように 大変リアル創られていて、大変見応えのあるアニメ映画でした。


孫よりも。私が楽しんでいたようです。

何故 この映画にこだわったかと言いますと 我々の年代の人は多分漫画で読んだ事があると思いますが、今回の主人公の少年と同じような境遇で 「少年ケニヤ」という題名の漫画が 私が小学校の頃大変ブームになった事があり 私の愛読漫画でした。


その印象が強くこのアニメ映画は私が孫達を強引に誘った次第です。


孫達はあまり見に行く気もなかったようですが、私に押し切られたようです。
しかし、見終わると結構楽しかったと言っていました。


皆様も機会があれば 見に行かれたらいかがですか。

結構 楽しく迫力があつて、童心に帰ぇって面白いと思います。

そして、プール、枚方パーク 蝉取り、ゲームセンターと何かと、一週間は、そのようなことで孫達とまごまごしながら過ごした夏季休暇でした。



このような一週間も もう少しすると孫達も大きくなれば、一緒にいくような機会もないだろうなと思いながら、又私自身もどこまで一緒にいける体力があるのか。

とそんなことを思った今年の一週間の私の夏季休暇のスケジールでした。 


夏休みの件でこのような文章を切なく思い出されます。

           寂しい、悲しい夏休み     水谷修先生


私は 数年前の7月の終わりに、ある児童養護施設を訪れました。
その施設は 百人近い小、中、高校生が生活をしていました。

どの子も親のネグレストや虐待、あるいは両親に捨てられて、また、経済的理由から親と生活できない子です。

私はその施設で講演をしたのですが そこには二十数人の子供たちの親たちも来ていました。講演後 その親たちが自分の子供を連れて 職員の人たちに挨拶をしながら 帰っていきました。

夏休みの一時帰宅でした。

残る子供たちは、帰る子供たちに、「いっぱい楽しんできて」「おみやげ楽しみにしているよ」、元気いっぱいの声をかけていました。

でも、姿が見えなくなると数人の小学校の子供たちが 泣きながら部屋へと走って行きました。そして、ベッドの中で枕に顔を埋めながら泣いていました。。

彼らも帰りたいのです。親の元に。でも帰ることのできない子供たちでした。
私も泣きました。



例の夜回り先生として有名な水谷修先生の記事です。

こうして孫と夏季休暇を過ごした私ですが 数年前にフト目にしたこの記事は 今 こうして打っている時も 目頭を押さえてしまします。


さて、今、リオのオリンピックが開催されていて、日本人の活躍が 連日新聞を躍っています。そのことは次回に譲って。
 


今回は私の一週間の夏休みについて記してみました。


まだまだ厳しい暑さが続きます。

どうぞご自愛下さい。                有難うございました。

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July 17, 2016

選挙

今日は



梅雨明け宣言はまだですが、毎日暑いですね。


真夏到来といったとこですが、お元気でご活躍のことと思います。


この間 参議院選挙がありました。


選挙権を得て以来、このかた、当たり前のことで自慢する話では全くありませんが、選挙は棄権したことはありません。


僕の場合は、僕の一票が日本を動かすというそんな脅迫観念に駆られ 毎回行っています。


当然人選には慎重になり 時折選挙会場に入っても候補者に悩む場合があります。


さて、最近の選挙報道は何か物足りないところがありますね。


選挙当日の投票締め切りの夜8時の時報と同時に 立候補者の当確名並びに、各政党の当確人数、勢力分野が判明します。


私がまだ20代頃の選挙報道は 大体選挙当日の9時〜10時ごろに各選挙区の候補者の得票数字が 何百人単位で、第一回の報道が出ます。


それから,徐々に千票単位ぐらいで、カチャカチャの音と共に、各候補者の数字が増えてきまして、真夜中頃に このまま順調に数字を伸ばすであろうということで当確者の名前が チラホラと出てくるというそんな時代もありました。


時折 数字の低い候補者に数字の高い候補者を差し置いて当確者の名前が発表され時等は
その分析力に驚いた思い出があります。


今は事前の予想とほとんど変わらない選挙結果になり その分析能力には驚かされるばかりです。


しかし 何か、昔の選挙報道の方が、深夜の明け方まで眠たい目をこすりながら、刻々と変わっていく 政局の行方をスリルを持って 何か一緒になって日本を動かしていく過程を味わい 楽しかったように思います。



今回の選挙の大きな特徴は18歳から選挙権を得たと言うことですね。


私自身はその10代の若者の選挙の動向に大変興味を持っていました。

しかし考えれてみれば、今から百数十年前は15歳で元服して 大人として、立派に堂々と大人の仲間入りをしていました。


一部の知識層からは まだ早いのではと意見がありましたが、私は18歳からの選挙権には大賛成でした。


何故なら、新入社員研修等通じて思うことですが、もっと大人にならなくてはと思うときがあります。


何も18歳で選挙権を得たからと言って、大人とはいかなくても、その意識は大切なように思います。


因みに10代の投票率は約51パーセントだったとのことで 関心は今 一つだったとのこと。


自分一人が投票に行かなくても、又行ってもなにも日本は変わらない。

という醒めた一面もあったとのこと。


このことは 今後、我々大人がしっかりと一票の持つ重みを伝えていく必要が大いにあるという思いの選挙でもありました。


 これからの日本の行く末を 是非これからの若者に託すためにも大切な事であると思った選挙でもありました。



一昨日は南仏ニースでテロがありました。40数年前に 何回かニース、モナコ、モンテカルロ一帯にレジャーの動向で視察に行った事があります。


テレビを見ておりまして、その折の町の風景が放映され、当時と変わらず 何か複雑な思いで見ていました。

これから夏本番です。どうぞお身体ご自愛下さい。


最後までお付き合い有難うございました



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June 11, 2016

日本語の妙

今日は



6月も半ばになりました。

梅雨はいつからでしょうか。


空つゆにならなければいいのですが。


私は  雨に何か感じるものがあります。


雨を嫌う人もいるようですが、雨は地球上の全ての生きとし生きる動植物の命を育んでいます。



日本語は 春夏秋冬によって同じ雨が、四季折々によって、春雨、時雨、夏雨、梅雨、とおり雨、秋雨、氷雨 冬雨、寒雨、とか名前が変わります。


このような素晴らしい日本語の言葉が 私は 四季折々の雨の時に思い出させます。


それは雨一つに取っても、心の潤いをもたらします。


この間 新聞で美しいと思う日本の言葉と言う記事を見ました。



私が心に残った言葉を並べてみたいと思うます。


    「おもいを馳せる」

何とも表現しがたい言葉ですね。


好きな人に思いを馳せる。 何か魂が、心が 飛んでいく。そのような気持ちになりますね。


これを好きな人を思う、想像すると言うとなると、何か自分の本当の心が伝わらないようなそんな思いをしますが、皆さんは如何思われますか。

    「お蔭様」

この言葉もいい言葉ですね。

色々な意味合いがあって。


「オレガ オレガの我をすてて、オカゲ オカゲのゲで生きる。

こころ豊かになりますね。


    「ときめき」


 この言葉も素晴らしい言葉ですね。胸がキュとなりますね。


歳を重ねるごとにこの言葉は残念ながら、無くなってきます。


生涯青春、あの世におさらばするまで 心の片隅に留めておきたい言葉です。


   「慈しみ」


 この言葉も何とも言えない いい言葉ですね。

 万物すべてに持ち 清涼になりたい思いです。


 「たたずまい」


 人やものがそこにある様子ですが、そこはかとなく思いが伝わります。


 「ひたむき」


私自身すきな言葉です。一つのものに 目的に打ち込む様子ですが、なにか、心がうたれますね。


それに類似した言葉に「けなげ」という言葉もあります。


毎年 春の新入社員の研修の終了の最後に 「旅立ちに」として送る言葉を述べるのですが、3日間ひたむきに けなげに 厳しい研修について来てくれた研修生を前にして、思わず落涙する時があります。

一生懸命頑張るより、ひたむきという言葉の方が思いが伝わりますね。


 「はぐくむ」


お互いに寄り添いながら心を重ねて成長する。心が通じ合う言葉として、ぴったりですね。

  「うつろい」

時が流れて ゆっくり時間空が進んでいく 少し、もの悲しさの漂うそんな心境です。



梅雨の時期を迎え、同じ雨を季節により 名前を変えるという日本人の持つ素晴らしい感性から、外国人には少し理解が難しいと思いますが、日本語の言葉に表せない「妙」についての、感性を述べてみました。



最近の若者言葉を宇宙語と言うそうですが、しかし いつの時代になっても 上記の言葉の「妙」が理解できる時代が脈々と続いてほしいものと 梅雨の時期を迎え 雨の「妙」から記してみました。

これから、向暑になります。水分を充分取ってお身体ご自愛下さい。


有難うございました。



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May 30, 2016

誕生日

こんばんは



5月も明日を残すのみとなりました。


何か 5月はいつもより早く終わったような気がします。


大体月一回ペースで拙いブログを書いていますが 今回 初めての経験で、すでに今月は書いていたように思っていましたが まだ書いていなく慌てて纏めています。



さて、先週26日は私の誕生日で 色々な方々からメール お花、葉書、私の好物のビールとか 又ガラケイの私に対して、フエースブックでのたくさんのメール等 本当にうれしい悲鳴でした。


事務所のスタッフには デコケーキと私が 管理がまずいということで
カードケースをいただきました。


正直 関係の皆様方に そのお礼の対応に 嬉しくもあり、少し大変だなと 贅沢な思いもしました。



少し 前の話ですが 年賀状を虚礼廃止の意味合いもあり、何か意味もあまり感じられないという事で賀状の廃止をいわれ、今後お互いに賀状交換は止めましょうと、宣告された方がおれれました。



私も当時、何となく同意した心境でしたが 何年か後に その方から、又賀状を再開します。よろしくお願いしますという 葉書を頂きました。



私は その再開されたことに興味を持ち その人に野次馬根性で 中止されたのに、なぜ又再開されたのですかと電話をしてみました。



その方はおっしゃていました。



賀状など 郵政局に踊らされて今までめんどくさいと思いながら、出していたと思っていたが 元旦に今まで何百通と来ていた賀状が煩わしく思っていたところ 数枚の営業の賀状以外 来なくなると 自分自身の世の中の存在自体がなくなったような錯覚に陥ちいりました。



案外人生で無駄だと思っていたことが価値ある事だと 分かりましたとの話が 先週の誕生日の各方面からのお祝いを頂いた事に対して蘇ってきました。



誕生日のお祝いに一瞬 その対応に少し大変だなと思った私がいて 人間というものは その生きている存在が認めれらないと 生きている意味すらなくなるのかなと そんな思いを持った一日でした。



皆様方に対して 感謝の気持ちで お一人お一人、お顔を浮かべながらて返信させていただく心安らかな一日となりました。


その時、こんな思いもしました。


自分がお祝を頂くと嬉しいのに、人には 面倒になり お祝いの連絡を滞る事など 本当に勝手だなと 自分自身を攻めた一日でもありました。



皆様がたの返信には 私の人生の思いでもあります


「昨日まではリハーサル 本日只今出発」を中心に 人生7掛け、49歳の誕生日として再誕して頑張りますなどとそれぞれの方々に お祝いのお礼を伝えました。


そして 同時に世の中にお役に立つように 頑張らねばと切に思いました。


6月に入りますと梅雨の時期になりますね。


8年に一回の日本の伊勢志摩で開催された、サミットも無事終わりました。


上述のお役に立つように対しては、日本に対しても 「一隅を照らすもの、之国宝なり」そんな大それた 思いにもなる先週の誕生日でした。


今回も最後までお付き合い頂きまして 有難うございました。





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April 16, 2016

今日は、


すっかり春らしくなりましたが、お元気でしたでしようか。


一昨日 九州熊本を中心に大きな地震がありましたね。


今も余震が続いているとの事で本当に心配です。

どうぞ 九州の皆様は充分に気を付けていただきたいと切に思います。

早くおさまってほしいものと痛切に思います。


さて、今年も40年余と開催しています恒例の新入社員研修が、今週の月曜〜火曜の一泊二日の合宿研修で一部の研修を残し無事終わりました。



研修成果の程は別に致しまして、延べ300余名様の新入社員の研修生が無事に研修を終えていただき、希望溢れて社会に旅立っていただきました。


大切な研修生をお預かりしました我々にとってはまずホットしている心境です。


今日は午前中に 早速各トレーナー、スタッフが集まりまして 今年の研修の反省会を持ち 来年度に向けて侃侃諤々(かんかんがくがく)と意見を述べあい、終わりました。



日本のこれからの未来を背負って立つ若者が どうすれば素晴らしい人生を歩んでいただくことが出来るのか 職場生活を送っていただくことが出来るのか、の論点での打ち合わせで 来年度の成功を祈念してでの討論でした。



毎年思うことですが 丁度3月下旬〜4月中旬にかけての研修でサクラの時期になります。


常に サクラの開花の時期と散り終わりは お寺の境内での研修の合間によるサクラの鑑賞になります。



こうして振り返ってみますと サクラの観賞で懐かしい甘酸っぱい思い出があります。



私が40数年前の20代の血気盛んな青年時代の事です。



従前にも何回も述べていますが、私は当時海外の仕事をしていまして 丁度アメリカに出張中でサクラの時期にあたりました。


アメリカ縦断の視察旅行でワシントンDCに滞在しました。


丁度、会社も休日に当たり サクラの時期なので、ホテルの近くのポトマック河畔のサクラ見物に出かけました。


本当に素晴らしいサクラの満開の時期でした。


当時、好意を持っている女性がいまして、その女性に下記のような文面で 私なりの精一杯の今で言うラブレターを送りました。

    
    dear ○○子様


   今、出張でアメリカに来ています。ニューヨークからシカゴを経て 昨日 ワシン   トンに入りました。


   今日は休日ですので、先ほどポトマック河畔のサクラを愛でてきました。

   気障っぽく         「ポトマック湖畔にて」碩志(みつゆき)


と 書いて 葉書を送った甘酢っぱいセピヤ色の思い出がサクラの時期になると 時折思い出します。(その人は今、どうされておられるのかなあ)
 


ここ、30数年はサクラの開花と共に研修が始まり サクラの散り終わりで研修は終わる。


そのような位置づけにサクラはなりました。



いづれの時代においても 奈良時代からサクラは日本人の心を揺さぶる花ですね。


在原業平の


     世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし


日本人のサクラに対しての心情を見事に言い表していると思います。

又 私の好きなサクラに纏わる歌で西行法師の詩があります。


     願わくば花の下にて 春死なむ、そのきさらぎの望月の頃


素晴らしい歌ですね。


このように日本のサクラは外国の人には少し理解しがたい美意識があるのですね。



戦前の軍歌にもサクラが登場していますね。


最近は歌われる事が少なくなりましたが 私の若いころは 機会があれば すぐスクラムを組んで同期のサクラの歌を歌ったものです。(貴様と俺とは同期の桜ーーーー)



サクラには 日本人の持つ繊細さ もののあわれ、はかなささ、無常観 死生観が脈々とDNAに流れているのですね。



サクラも散り、しばらくしますと 初夏の季節が巡ってきます。


一昨日から続く九州での地震が早く終わりますように 神様に深く念じて 日本の自然の妙に馳せながら サクラについて思うことを述べてみました。


まだ、寒暖の差が続くようです。

お身体ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂き、誠に有難うございました。




senba206 at 16:09|PermalinkComments(0)

March 12, 2016

スキー

こんにちは



3月も中旬になりました。


二月に書きましたが文字通り三寒四温ですね。


ここ二三日冷え込んでいますね。


昔から言われます、[寒さ暑さも彼岸まで]とはよく言ったものと思います。



この間の日曜日姫路に住んでいる娘からスキーに行かないかと連絡がありました。


従前に孫も大きくなったので一度スキーでもと話をして実現しました。


確か20数年前に一度 今は亡き兄と兄嫁、長兄の甥 姪と私の娘と行ったこと事があり それ以来となりました。



私は、学生時代は下手のよこづきですが、スキーの同好会に4年間入っていました


そのようなことで合宿は信州のスキー場で冬はよくスキーに行きました。


丁度 学生時代の三回生の冬休みに リックサック一つで何か青春の思い出にと 又、今日まで続いている私の母の性格を受け継いだのか、あまりじっとしているのが嫌いで 山形の当時羨望の的だった蔵王まで行った思い出があります。


大阪より 一人、時刻表片手に、夜の鈍行の夜行列車に乗り 確か東京まで8時間〜10時間程かかり その足で上野に出て、学生でお金もないので又、鈍行で東北本線に乗り換えて山形に出て そして目的地の蔵王スキー場の麓に 夕方着きました。



私と近しい年代の方はよく御存じの事と思いますが 当時 オリンピック金メダリストで世界的に有名なトニーザイラーというスキーヤーがおられました。


そのトニーザイラーが滑ったスキー場として全国のスキーヤーの羨望の場所が その山形の蔵王でした。




麓に スキー場の案内の小屋があり  そこを尋ね 無謀にも私は大阪の学生でどこか
アルバイトの住込みで一か月程アルバイトをさせてくれるスキー小屋はないですか。
と尋ねました。



当時はまだ大阪は新幹線もなく遠い都市として山形の人々は興味を持たれたそんな時代でした。
 

一瞬、受付の方は私の話に驚かれ君は無謀だね。なんのつてもなくよくここまでやってきたねと半分あきれ返っておられました。


私は必死で もしどこもなければこのまま 又、大阪に戻らなければなりませんと訴えました。


その必死の嘆願に同情「では少し待ってなさい。
万が一採用する小屋もあるかもしれないね」
といって 私の今の事情を先方に説明して ほうぼうに電話をかけていただきました。



ことごとくダメで 何回目かは忘れましたが 「来てもいいよと言う小屋があるよ」ということで その窓口の方のお世話で蔵王の中腹にある忘れもしません「三五郎小屋」という名前の小屋を紹介していただきました。




今でもその時の麓から山の中腹にある「三五郎小」に 勇躍勇んで、登って行った足取りが忘れられません。



その時 21歳という学生であるがゆえの一見無謀と思われる行動ですが 願えばなるということと  いけるときには無理をしても行っておく この二つの「思い」は その後の人生を歩んで行く時に 大変勉強になりました。



三五郎小屋の経営者はその時 人が余っていて必要ないのだが 話を聞いてその無謀と思われれる姿勢を買って特別採用したのだよと諭され その時は 本当にその温情に心打たれました。


蔵王の中腹の小屋でその後 約40日住み込みで働かせて貰いました。



一日の行動は 朝と 昼食の時間に給仕をして、夕方の3時ごろから少し自由になり小屋の前で スキーが出来る環境で そして夕食の給仕をするといった毎日でした。



確か3食住み込みで当時のお金で一日500円で 大阪に帰るときは約2万円弱のお金を頂いたように思います。



帰りの交通費になり こうして思い出しますと 小屋を去る時の寂寥感が忘れられません。



その「三五郎小屋」が その後 真ん中の今は亡きスキー好きの兄の新婚婚旅行の宿舎となったといういわれの場所になりました。


その後 一度思い出の旅で行きその折のお礼をと思っていましたが 火事でなくなったとのこと、何とも言えない心境になった思い出があります。


話は戻しまして 今度は3人の孫と娘夫婦との「ちくさ高原スキー場」での一日スキー
となりました。



昔取った杵づかとはいきませんでしたが 何回か滑っている間に勘が少し戻り マアマア パラレルも少し足は乱れましたが滑れました。


リフトに乗って 頂上に向かうとき 時空を超えて 50年前の出来事が脳裏を駆け巡り甘酸っぱい感傷に浸った一日でした。


スキー道具も買いましたので、来年も 元気で持前の 機会があれば 3人の孫達と行きたいものとおもいました。


気温の差が激しい時期柄です。どうぞ体調を崩されませんように。


次回はサクラも散っているかもしれません。



今回も最後までお付き合い頂きました誠に有難うございました。

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February 27, 2016

心眼

今日は

2月も終わりますね。


ここ数日寒さが続いていますが お変わりはございませんか。


これから三寒四温を経て春になるのですね。

3月に入り  後半になりますと 恒例の新入社員の研修が始まります。


300名近い新入社員の研修を受け入れますので 我々スタッフはその受入れの準備で謀殺される事になります。


今日午前中はその新入社員合宿研修会の事前の打ち合わせで10名余のメンバーが集まり検討会を持ちました。



日本の将来を担う若者に対して 頑張らなくてはと言う思いに駆られた会合でした。



毎年ながらこうして日毎に自らテンションを高めて鼓舞して 当日に備えていく事になります。 


さて、私は日曜日の20時から始まるNHKの大河ドラマのフアンで毎年楽しみにしています。


今年は真田幸村の一代記ですね。



我々の幼少の頃は真田十勇士として チャンバラをしたり、漫画等でよくなじんでいました。


毎回大河ドラマのナレーションの音楽が素晴らしいですが 今年は世界的にピアニストとして有名な全盲の辻井伸行さんなのですね。



私には幼少の頃の真田十勇士の思い出の中に全盲の友達の思いが強く残っています。



それは終戦後の20年の中頃のことで 私がまだ5〜6歳の頃のことです。



終戦後の焼野原の時代です。当時子供の遊ぶ道具はほとんどなく 石けり 缶けり、ぐらいが精一杯の遊びでした。


近所に私より一つ年上の全盲の友達がいました。



冬の季節だったように思います。

私がその友達の隣に座っていました。


友達を見るでもなくみていると、その友達は太陽に語りかけていました。



太陽が出てくるとその明かりがわかるのでしょう。「只今汽車がトンネルを抜けました。」


そして太陽が雲に隠れると「只今汽車はトンネルに入りました。もののない時代で
そうして太陽と遊んでいる姿が今でも脳裏に焼き付いています。



その友達は その後1年〜2年して引っ越す事になりました。


確かお父さんは戦死をされ 親一人子一人の家庭だったような記憶があります。



丁度引っ越しをする当日の朝の事です。


お母さんに手を引かれ去ってゆく後姿が 今もって忘れる事が出来ない 子供心に切ない思い出です。



私はその時に「さようなら」といったのか 言わなかったのか 記憶の彼方ですが 何かなにも言わなく じっと お母さんに手を引かれ去っていく友達の後姿を みていたような気がします。


今 大河ドラマでの辻井さんの音楽と幼少の頃の真田十勇士のチャンバラの思いが重なって いまも、その時の姿が私の脳裏に焼き付いています。



今 その友達はどうしておれるのかな。

もしなにかのご縁でこのブログを聞き伝えて
ご存命であれば お会いして あの時の60年前の僕です。お元気でしたかと。 


なにも言わず60年の時空を超えて 共に頑張ってきたね。そんな思いで抱擁したい。 そのような心境です。



その幼少の思いがあり 出来る限りお目のお悪い人がおられますと 体が自然と道案内している自分を発見します。



又 そのお姿に頑張って下さい。と心で語りかけてお話しをしたりしています。



今回は大河ドラマの辻井さんのオープニングメロデーからセピヤ色の 遠い遠い思い出を述べてみました。



今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

季節の変わり目です。お身体ご自愛下さい。

有難うございました。













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January 24, 2016

学友

こんにちは



早いものですね。

もう今年も始まりまして3週間たちました。

お正月は如何でしたか。



私は 姫路にいます娘の方に 年末から正月3日間 今年はどこにも出かけず 3人の男兄弟の孫を相手にのんびりとはいけませんでしたが まあ ゆったりとした正月でした。



先週から本格的に仕事モードになり 今年も又 私の習性であるバタバタして一年が始まり バタバタして一年が終わるようなそんな気がする年初でした。



さて、昨日22日は 本当に久しぶりに大学時代のゼミ仲間が5名集まりまして新年会をしました。



こうして揃ったのは10数年振りぐらいかなと思います。



それぞれ 学友は、現役をリタイヤーして悠々自適の生活を送っているようです。



5名の現役時代の仕事は大学の教授が2名で中学の先生1名 それと私と同業の経営コンサル1名で計5名でした。


後何名か声をかけたのですが日程が合わず欠席でした。
(すでに6年〜7年前に学友の一人は他界しました)



会は、私がまだ現役と言う事で幹事をやらされ 会合の場所等設定して 久しぶりに肝胆相照らした会になりました。



学校を卒業して約50年弱 それぞれの人生を それぞれの人生として それぞれ歩んできたわけですが お互いに髪の毛は真っ白になって容姿は変わったものの 当時のそのままの何も全く変わらない心に触れ、大変嬉しくもなり 懐かしくもあり、郷愁を感じたひと時でした。



最初は久しぶりの再会で少し距離がありましたが 飲むほどに 酔うほどに40数年間の時空を超え 俺、お前で 全く屈託のない 遠慮のない ひと時で 楽しい時間になりました。



お互いに又 の再会で 年一回は会って、お互いの生存を確認する年代になったなあ と笑い飛ばした時間でした。



さて、今年一年 動物の中で、神様だけが人間に与えてくれた目標を掲げ 出来る 出来ないは別にして まず実践し、かけがいのない一日一日を 精一杯楽しみながら 肩の力を抜いて 


             とらわれない、

             こだわらない、

             かたよらない、

             雲のごとく 水のごとく

「日々之好日」で過ごしたいと思う学友仲間よりの年初の思いになりました。


本年もよろしくお付き合いの程お願い申し上げます。


                            有難うございました。


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December 29, 2015

1年間有難うございました

おはようございます。



今年もあと3日になりました。


一年間おつきあいいただきまして誠にありがとうございました。



皆様方は今年は如何でしたか。


私はこうして振り返ってみますと 何か時間に追われた1年でした。


どうも時間管理がへたで 又 歳のせいにして段取りがまずく テキパキと仕事ををすすめることができない モタモタした1年であったような気がします。



来年こそは時間に追われるのではなく 時間を追う一年にならなければと痛感しています。


しかし、お蔭様で元気に今年最後の挨拶をしている自分に嬉しく思います。


そして ご縁のあった方々に感謝報恩しなけらばならないなあと強く思う年の瀬です。



どうも不足不足の1年でもあったような気もします。


先祖の墓参りは少し早かったのですが 先日の日曜日に供養し 昨日はいつものようにスタッフ一同で年末の行事である事務所の大掃除をし そして会食をし 仕事納めをしました。 


今日は私一人が出てきまして 事務所のしめ縄とお鏡 年初のお屠蘇の準備をしまして これから1年間のおふだを返しに 事務所の裏の天満宮さんに1年間の感謝のお礼の挨拶をと思っています。



そして 自宅に帰り 旅行準備をして 娘のいます姫路に行き正月は姫路です。


久しぶりに3人の孫(男兄弟で上は小学校3年、二男は来年が小学校で、3男は1年5か月です)とのんびりとはいきませんがそれなりに楽しんできたいと思っています。



1年間お世話になりました。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。 


                            有難うございました。




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December 12, 2015

年末・年始の伝統行事

こんにちは


今年もあと2週間余りになりました。


年月が経つにつれて一年の諸行事はなくなりつありますね。



年末も12月に入りますと各繁華街にはジングルベルの音楽が流れ 今年も師走を迎えたなと言う気持ちになりましたが 毎年聞くことが少なりましたが 皆様方はいかが思われますか。



この間 新聞で大切にしたい年中行事20位までの アンケートの結果を見ました。



私は今年初めてハロウインなる行事に参加したりしましたので 西洋の行事が相当ランクアップされて 日本の伝統行事は押し下げれられているだろうなあと思っていました。



が 意に反して大切にしたい年中行事の20位までに 西洋の行事はやっと14位にクリスマスが入り 後は全て日本での伝統行事でした。


上記に記したハロウインとかバレンタインデーとかホワイトデーなどが入っていると思いましたが やはり 日本人のDNAには厳然たる格付けを保っているのだなあと少し安心しました。



因みに大切にしたい年中行事のアンケートから 1位から10位まで列記したいと思いまう。


1位 初詣 2位 家族の誕生日 3位、お盆 4位、年越しそば 5位、お彼岸 6位 年始・年賀 7位、節分の豆まき 8位 結婚記念日 9位 門松・しめ飾り 
10位、母の日とありました。


なお年末、年始の行事として 12位に 除夜の鐘 15位に、おせち作り 17位にお年玉 19位に 年末の大掃除年が 入っていました。


こうして1位から20位までみていますと年末年始の行事が大切にしたい年中行事に8件ありました。


日本人は 年末年始の行事についての思いは大変深いものがあるなあと思いました。


このように年末・年始の行事を 我々日本人は心の思い、ルーツとして大切に育んできて そして日本の素晴らしいの伝統を引き続いてきた精神が 日本人の持つ感性、情感、もののあわれにつながり それが芸術・文化 そしてきめ細やかな繊細なモノづくりにつながったのではないかと思います。


私は少し 飛躍過ぎる考え方になるかもしれませんが 日本のノーベル賞の受賞者が戦後アメリカについで日本が多いのは そのような日本の伝統文化を慈しむ精神・思いが 大きく作用しているのではと 思ったりします。



年末を控え 又新たな素晴らしい一年になりますよう 日本の伝統文化の行事から思いを馳せ 纏めてみました。


一年間 最後までお付き合いいただきまして 誠に有難うございました。


どうぞ 良いお年をお迎えください。


有難うございました。






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November 21, 2015

折々の座右

こんにちは

今年も残すところ一か月強になりました。


歳を重ねるごとに月日が経つのが早いと言われていますが 本当にその通りですね。


私の机の横の日めくりが薄くなってきました。


秋はもの思う秋とも言われています。

こうして人生を歩んできますとその折々に心に触れる言葉がありますね。


その言葉が私の人生に大変影響しながら一緒に歩んできたなあと思います。


幼少の頃 札幌農学校のクラーク博士のボーイズビアンビシャス「 青年を大志を抱け」と言う言葉を聞きました。


この言葉は今にして思えば私が海外に雄飛したいと憧れた原点かもしれません。


思えばなるということを身体で教えてもらった言葉かもしれません。

そのことが学生時代語学を学び そして海外へ30数回渡航できた原因かもしれません。


そして小学生の高学年の時 今は亡き母から 「碩志(みつゆきと読む私の名前です)なあ

「実れば実るほど頭(こうべ)の垂れる稲穂かなあ」と言う言葉があるんやで。

この意味はなあ  秋になると稲穂が成長して大きくなってくるやろ。

その穂の実が多ければ多い稲穂ほど その重さで実が大きく垂れてくるんや。

碩志、いいか 人間も同じやで、大きくなって偉くなる程 稲穂と一緒になるんやで。」



この母の言葉は、仕事の関係上 大変人物を見る時に参考になりました。


確かに 功なった人で人間が出来た方ほど 謙虚で 腰は低く より向上心を持って人に接しておられました。

器の小さい人ほど、背中にステッキがあるのかなあと思うほど ふんどり返って 威張っておられたように思うます。


 私が血気盛んな生意気盛りの30歳頃 当時経営の神様と言われておれらました 松下幸之助会長様との二人だけによるご一緒の時を千載一遇の機会で得ました。


その日本を代表するご本人の形骸に触れ 幼少の母の言葉の意味合いの深さをまじかに体験しました。この出来事は私の人生の指針となりました。


そして、学生時代は校訓であった「奉仕の精神(奉仕の練達)」を学び いかに損得の感情を入れない奉仕の意味合いを知り どのように実践出来るのかが 人生の課題となりました。


この「奉仕の精神」は社会に入って 今日に至るまで私のバックボーンの一つとなっています。



このように人生を振り返ってみますと その折々に教えられた人生訓は 私の今日までの人生をささえてくれていたのだあと感慨を持って浮かんできます。



言葉は言霊(ことだま)と言われています。


これからも言霊の意味合いを大切にして 人生を歩んで行かねばと思う 秋の徒然のひと時でした。


次回は師走になりますね。


日毎に向寒に向かいます。お身体ご自愛下さい。


今回も最後までお付き合い頂きました有難うございました。






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October 25, 2015

秋の夜長

こんにちは

朝晩は大分肌寒くなりましたね。


今年も2か月半あまりになりました。


お元気でしたでしょうか。


いつも秋の訪れを垣間見るときは みなさんはどういうときですか。


私は秋の虫の声を聴いたときに ああ、秋になったんだなあと思います。



只 その鳴き声も町の騒音にかき消され 相当耳をそばたせないと しっかり聞く機会が少なくまりました。


私は 夜寝るときにいつも 枕元にポータブルラジオを横において 聞きながら寝ます。

この間 ラジオで「虫の声」の歌を大変懐かしく聞きました。

                

                虫のこえ

         あれ松虫が 鳴いている、ちんちろ ちんちろ ちんちろりん

         あれ鈴虫も鳴きだした、りんりんりんりいんりん 

         秋の夜長を鳴き通す おあおもしろい 虫の声

  
         きりきりきりきり こおろぎや、

         がちゃがちゃ がちやゃがちゃ くつわ虫

         あとから馬おい  おちついて

         ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

         秋の夜長を鳴き通す   ああおもしろい虫の声



虫の疑似音を聞いていて すべての歌の歌詞の音(ね)が 幼少の頃に良く聞いたなと感慨深いものがありました。


そういえば 私が今の家に住んで40年になります。


当初は 私の家の周辺は 田園でした。


畑で思い起こせば 夏の時期は食用ガエルの合唱で寝れなかった懐かしい思い出があります。


梅雨の時期になると小さな青ガエルが玄関に入ってきて 娘(当時なので5歳〜6歳の時代)と捕まえて外に 「頑張ってね」 「可愛いね」 といって 外に出してあげた
記憶があります。


今は家が立ち並び 見る影もなく それに応じて草花もすっかりすくなくなり 秋の虫達の住まいが無くなってしまって 何か無常を感じます。



しかし 日本人は どのようなものにも「もののあわれ」を感じるDNAが流れているのですね。



外人からみるとセミの声なども忌まわしい騒音ととらまえ 忌み嫌うとのこと。

万葉集にこのような歌を見つけました。

     

       草深(ふか)み こおろぎ さはに鳴く宿の 
     
       萩(はぎ) 見に君(きみ)は いつか来(き)まさむ



       草深い庭に たくさんのこおろぎが鳴いています。

       そのこおろぎの鳴いている秋の萩の花を見に あなたはいつお越しになら
       
       れるのでししょうか。お会いしたいものです。


何か どんどん 薄らいでいく花鳥風月の思いが懐かしくなってきますね。


明治の文豪 ラフカディオ・ハーンはこうろぎの声さえも やさしさとものあわれに導く

日本人の感性と精神性に驚嘆しています。




時代が変われども 日本人の持つ素晴らしい感性豊かなDNAは残していきたいなあとそんな思いふける秋の夜長の虫の声でした。

今年は暖冬だとのことですが 冬は冬らしくと思う一人です。


寒暖の差が暫く続く時期です。お身体ご自愛下さい。

今回も最後まで おつきあい 有難うございます。




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September 23, 2015

健康寿命

こんにちは


今日でシルバーウイークは終わりますね.

私は今日は仕事があり事務所に出てきました。

皆様方は如何お過ごしでしたか。

私はいつものように孫が3人(8歳、5歳、1歳の男ばかりの3人)がやってきて、てんてこまいでした。

まあ、しかし後数年も経つと近寄ってこなくなるだろうなと思いながら、トンボとりとか

ヒラパーの遊園地とか 車で長浜に出かけたり 童心に帰り休日を過ごしました。


今は亡き母が 孫のお守りは大変だと言っていたことがつくづく思い出されます。


もし母にあの世で会ったとき お母さんの言うとおりだったよ(店に出た方が良いと言っていた母に孫の世話をのんびりして余生を過ごしたら)と一言お詫びしたい。

そんな思いにかられた休日でした。


私は外孫ですが母は内孫でした。

 3人を育てるのは 本当に大変だったろうなとよく思い出します。


実家は生菓子を営んでいますので子供の両親は店にでています。

その間 母が70歳を過ぎて一人で面倒を見ていました。


現在 娘を見ていましてつくづく子供を一人成長させることは並大抵の努力ではすまない一大事業であると痛感するいつもながらの休暇でした。



私は今日は仕事があり  娘らは昼から姫路に帰ると言っていましたが 文字どうり台風一過で  帰ってしまうと暫くは寂寥感で一杯になり 又 家内と二人の生活に戻ります。



さて この5日間のシルバーウイークは次は 2026年で11年後とのこと。。

 娘と話をしていたのですが 11年後はどうしているのかなと 何となく 複雑な思いにかられたシルバーウイークの最終日でした。



それというのも この間 寝たきりではない普通の日常生活が出来る「健康寿命」について日本が世界で1位と発表されていました。


男性は71,11歳で 女性は75・56歳とのこと。


健康寿命の上位5か国は男性は2位がシンガポールで3位はアンドラ4位はアイスランド5位はイスラエルとのこと。


女性は2位アンドラ 3位シンガポール 4位フランス5位キプロスと出ていました。



そして 100歳以上は6万人で女性は約5万3千人で87パーセントを占めるとのこと。

女性はヤッパリ強いなと大変納得した数字でした。


どちらにしても 寝たきりの方が多いようですが 100歳以上は一億3千万人の中で6万人になります。



娘とシルバーウイークの次回は11年先と話をしていまして この間の健康寿命と100歳以上が6万人との記事を読んで  研修の時良くお話さていただく 

        昨日までは リハーサル 本日只今出発

の気で

        今日は最良の一日 今は無二の好機


こんな気持ちで一日一日をと健康寿命を意識したシルバーウイークでした。



今年の秋は比較的秋らしいなと思う天候です。


食欲の秋とも言います。



元気でこの澄み切った秋を満喫したいと思う心境です。



今回も最後までおつきあいいただきまして 誠に有難うございました。


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July 26, 2015

日本の素晴らしい伝統

こんにちは


暑いですね。24日と25日は日本3大祭りの一つである天神祭がありました。


丁度私の事務所の近くの裏にあたるところが天満宮で その開催前後は多くの見物客で賑わいます。


今年は、昨日からもう20数年行っています一泊の人間ドックに入っていましたので 24日だけの賑わいを見ただけです。


昨日は宿泊場所がホテルの32階でしたので、部屋から花火を見ていました。


難波からでしたので、あまり大きくみえなかったのですが それはそれなりに 天空から大阪市の夜景を一望しながらの観賞は それはそれなりにそこはかとなく風情がありました。


天神祭は約1000年続いているのですね。素晴らしい事だと思います。



私は幼少の頃はおみこしとかだんじり、獅子舞が 又盆踊りが各町内会で盛んにおこなわれていました。

又8月の後半には先祖供養をする地蔵盆などがあり、 子供心にそれらの行事が楽しみで心躍ったものです。


しかし、いつも間にか そのような日本の素晴らしい伝統が何故か 軽んじられてきたのかどうか 私が中学生の時などは一つ消え二つ消えなくなっていきました。
 

高校時代の時は神輿の担ぎ手がないとかいって 車で神輿を運びテープレコーダーで囃子を入れ町内会を回っていました。


その光景をみて 日本の国はどこに行ったのかと、何とも言えない虚しさと悲しみを覚えた記憶があります。



幼少の頃は、はっぴを支給され、おみこしを担いで町内を練り歩き 休憩の時にパンを頂いた記憶が蘇ってきます。


当時は食糧難の時代で 神輿を担ぐのが楽しみなのか ひもじさをしのパンをもらえるのが楽しみなのか、そのような時代でした。


子供心にこのたくさんのパンの支給は大変だろうなあと思う大人びた気持ちがあった思い出があります。


当時から苦労性だったようですね。

しかし、何か 時はゆったり流れていたように思います。


ある時期から、日本の素晴らしい伝統を古臭いとか、日本賛美になるとか 国を愛する心に繋がるとか、何とも分かりませんが否定した時代があったように思います。


最近は又 日本全国、各地各場所で日本の素晴らしい伝統が蘇りつつあるようで 夏祭りとか、秋祭りとか 各地域の伝統文化の祭が復活してきました。


だんじりを車で引っ張った時代から 今は人が引っ張るように復活してきたようです。


この人生を折角命を頂いたのなら 又 日本という素晴らしい国に生まれたとするならば 何百年と 何千年と培ってきた先人から脈々と続いてきた素晴らしい日本の自然を思いやる心を、我々は育くみ、その伝統文化を来るべく愛しい日本の子供、そして孫達に申し送る義務があるのではないのかと そのような思いを寄せる天神祭でした。




今日は日曜日で、その祭の喧噪も なかったような そのような静寂なひと時で 人間ドックから事務所に戻り パソコンにむかっています。


これからも厳しい暑さが続きます。熱中症のニュースが毎日話題になっています。



どうぞ お身体ご自愛下さい。最後までお付き合いありがとうございました。

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June 20, 2015

外国人観光客

こんにちは


梅雨の季節になりましたが、今年は例年に比べて降雨の量はどうなんでしょうか。


雨の時は確かに朝 家を出るときは レインコートとか傘などの準備で大変ですが やはり梅雨の季節は 梅雨として降ってほしいですね。


我々人間だけでなくすべての生きとし生きる地球上のすべての動植物に雨は一番大切です。


家の前の猫の額のような庭にも草花を植えていて、又、自宅が郊外のため比較的家を出て駅まで行く道中にも草花が多く この雨で喜んでいるだろうなと思いながら通勤しています。


いくら 水道から庭に水を撒いたとしても森羅万象のすべてを覆い尽くす自然は素晴らしく 神に畏敬の念を持つひと時です。



さて、最近は外国の観光客が本当に多くなりましたね。







円安とか、ビザの関係をゆるくしたりして 日本に旅行に来るのが比較的 気安くなったからのようです。


それと各国の生活水準が挙がったのも一因でしょうね。


今、こうして振り返ってみますと 何回か書きましたが 私が初めて海外に行ったのは昭和45年ですので約半世紀前になります。


何か この間のように思いますが。


当時は日本人が海外に行くというのは まだ限られた時代でした。

一ドル360円の固定相場制で 海外への持ち出しも200ドルに制限された時代でした。


私は当時は仕事で行っていたのですが 時折○○さんと言う名称で日本人の団体さんと一緒になる事がありました。(土地成金と聞いたことがありますが)


日本人はまだ外国文化に馴染んでいない時代でしたので 正直旅の「恥はかき捨て」と言うような時代でしたので 日本人のマナーは現地では相当、ひんしゅくをかっていました。


本当は当時日本は外貨がなく、外貨の持ち出しが200ドルですので、日本円にして約7万円程度です。


どうしてドルを持ち出されたのかわかりませんが 買い物で店の商品をケースごと買うという風景をみて 何か同じ日本人として品性のなさに悲しくなった思い出があります。


現地の人は買っていただけるのでうれしいことなのですが 欧州気質で売れたらいいというのではなく やはり商品を吟味して 買っていただくことが 仕事のプライドになります。



よく腹巻から取り出してお金を支払っている光景も目にしました。


現地の販売員の人がその風景に 見下したような様子をみて 同じ日本人として非常につらかった思い出があります。



フランスの現地の風刺漫画(現在もその風刺漫画で問題を起こしていますが)に 我々は3分しかないという見出しで ルーブル美術館をメガネを掛け 目をキツネ目に書き  肩にはカメラをぶら下げ 館内を疾走して、ミロのビイナスとモザリナ(日本人の定番コースです)を さって見て 立ち去るというコラムを見ました。



私はそのコラムを見て 本当に見事に当時の日本の旅行客を表しているなと ほとほと感心した思い出があります。


実際にルーブル美術館をゆっくり鑑賞すると一か月はかかると思います。



その時代のことを考えると 昨年 しばし仕事を離れ中欧を旅行した折、今の日本人の海外旅行は 欧州並みに こせこせしないで 海外をゆっくり楽しんでいるなあと感じた次第です。



昨年 30数年ぶりに韓国に仕事で行った折に 道に迷ってホテルへの行き方を通りすがりのカップルに尋ねたら、一緒にホテルの近くまで案内いただきました。


30数年前の日本人に対する感情と大いに違っていて大変感動した思い出があります。


今 多くの外国人が来られています。


私のつたない経験、体験から 出来る限り快適に楽しい旅行になり 良い印象を持って帰ってもらったら 嬉しいなあとの思いで一杯です。


 道を尋ねられたり 道に迷っておられる外国人がおられますと 言葉はわからなくても「心のおもてなし」で 出来る限り声をかけ、日本という素晴らしい国を肌で体験していただければなあと思う最近です。


日本の経済を押し上げる最近の外国人観光客の増加に思いを巡らし述べてみました。


これから 日ましに厳しい暑さに向かいます。

どうぞ、お身体ご自愛下さい


今回も最後までお付き合い頂き誠に有難うございました。



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May 16, 2015

無私の愛

こんにちは

ゴールデンウイークは如何お過ごしでしたか。

私は孫達がやってきて 一泊で家族旅行をして あとは男ばかりの3人の孫の世話で明けくれました。(8歳、5歳、1歳)



大昔の話ですが 母(他界)店に出て販売をしていた時期です。(実家は生菓子製造販売を現在も営んでいます)


長兄(現在生菓子を営んでいます)の子供ができ兄嫁も店に出ていましたので 母が孫の世話をすることになりました。


母はどちらかというと 常に表にでる活発な母親でした。


私の小学校、中学校時代に常にPTAの役をするというそのような母でした。


それが 孫の誕生で家に引きこもる事になりました。


それが 母に取ってはある種の苦痛を伴ったのではないかと思われます。



私に時折 我々3人兄弟をやっと育てあげ、また今度は孫の(3人)世話について愚痴の一つも漏らしていました。


私はその折 母にもう60歳も過ぎ のんびりと孫を相手に余生を過ごしたらと 私にとっては 母に対する ある意味では贅沢な幸せと思っていましたが 今 孫を持ってこうして数日間ですが 孫の世話をしてつくづく思うことがあります。


ある意味では贅沢な幸せでありますが 一人の人間が成長していく事は本当に大変であり 本当に無私の心でないと、けして成就しない。


人間に取って尊厳に近い行いでありことを身に染みて感じます

しかし、反面 母に話した「余生はゆっくりと孫の世話」と言った内容を。

 大変申し訳なかったなあとつくづく思います。


つまり現実はこんなに子育ては大変だったのかと。



昔は2〜3人が家族構成の標準で その前の世代は6人〜8人はざらだったような時代もありました。よく言う「昔の母は強かった。」


 本当にその言葉が実感として感じます。

今でも、子育てが大変なのに、私が育った当時は 電気製品等は当然なく ご飯も窯で薪で炊いていました。


私も幼少の頃 長兄から順番にさがってきまして 一番弱い私がご飯炊きの役目になります。


母は兄達に指示しているのですが、竹筒で火をおこし薪をくべ ご飯を炊きます。


外では友達がワイワイ騒いで遊んでいます。

私も心は外ですが 炊き上がるまで薪を調整しながらご飯を炊きあげます。


箸でご飯をついて炊き具合を確認します。


最終的に母が箸を入れ チェツクしていました。

炊き方により焦げができたり(その折の焦げご飯のおいしさが忘れられません) 半炊きとか 炊きすぎるとか、柔らかいご飯になるとか 毎日ごはんの炊き上がりが違っていました。


風呂も当時として珍しく裏庭に風呂がありました。 


これも薪で沸かします。

毎日兄弟で風呂炊き日課になっていました。これも又苦痛の日課でした。


洗濯は 洗濯板で母が常に男兄弟3人のどろんこの衣服手で洗っていました。

今の時代を考えますと大変な時代であったように思います。


私はその折 母とよく会話していたそうです。


男ばかりの3人兄弟の末っ子ですので いつも泣かされ いつになったら兄ちゃん達を負かすことができるのかと。(孫達の兄弟喧嘩をみて思わず苦笑することがあります)


こうして振り返ってみますとすべてが個々の「無私の家族の愛の絆」によって
成り立っていたように思います。


今は 全てボタン一つで成り立ってます。


昔のお母さんの苦労と今のなんでもボタン一つの世界と どちらが幸せなのか、 
何とも言えませんが。


しかし時代がどう変われども子育てに対する「無私の愛」は変わるもではありません。
又 そう思いたいものです。



休暇中に3人の孫達と過ごして 母の日も過ぎて 私の幼少の頃の母の姿が 走馬灯のように浮かんできた 休暇でした。


良く評論家が結婚もしてなくて 子供の教育論とか孫との対応等の話をしているのを見るとき どのような世界でもそうですが すべてにおいて、私の好きな言葉であります「百聞は一見にしかず」

私は、常にこの言葉を大切にしたいと思っています。


今回は休暇中に感じました 親の「無私の愛」につてい述べてみました。

これから向暑に向かいます。


お身体ご自愛下さい。

今回も最後までのお付き合い有難うございました・






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April 18, 2015

新入社員研修のルーツ

こんにちは


サクラは今年は 満開の時期と天候不順の時期が重なって、何かあっと言う間に終わったように思います。


如何お過ごしでしたか。


 私の方は 40年余と毎春進めています新入社員合宿研修会が 終わりホットしている。と申し上げたいところですが、その研修結果のフオロー資料作成でおおわらわと言ったところです。



その作成も 2〜3日前に整い 一部スタッフと手分けして派遣企業先にコンタクトをしながら 企業訪問を開始しています。



連休までに 遠方からの派遣企業様は宅配で送り 大阪近辺の企業様には お届けして 研修生の研修の様子を説明しまして、これからの指導育成の一助になればと思って 進めているところです。



今年は 会場の受け入れ人数もありますが 約350名余の新入社員のご派遣を頂きました。


今回はその新入社員の企画のルーツにつきまして 述べてみたいともいます。


我々の進めています新入社員研修は従前に何度かご報告させていただいていますように 日本の千年余と続いています「禅の精神」を取り入れての合宿研修です。



最近は 3月の下旬と4月上旬の2回の開催で 京都の宇治のお寺を当協会の専門道場として開催しています。



何故、禅寺研修を開催されるようになった経緯はと マスコミ関係者の取材とか 派遣会社様から質問を受けます。



それは私のルーツをさかのぼることになります。


私が5歳〜6歳の時のように思います。

押し入れで遊んでいた時でした。その時に何故か 押し入れの壁に貼ってあった古ぼけた新聞の記事が 目に留まりました。


その記事は水泳競技において (故)古橋広之進さんがロスアンジェルスで1500メートルにおける世界新記録の記事でした。


その記事が 何故か原因は不明ですが、私を日本という意識を強く持った時と思います。


その後 年月を経て 私が勤めていたコンサル会社から独立して 事業を始める時に「禅の精神」を取り入れた合宿研修を進める事になります。 



私は 幼少のルーツの思いからなのか 分かりませんが、20代の頃から30代の初めの血気盛んな年代に全世界といいますと大変語弊がありますが 何十回と海外へ行く機会がありました。

そこで幼少の頃の日本に対する思いとオーバーラップするようになります。


日本は 明治維新以来 急速に世界で活躍できるようになったのは 日本的な発想(人づくり等)が根本思想にあり、そしてその魂が 世界に伍しながら発展していったように思います。


つまり お茶における 守,破、離、の世界ではないかと思います。


戦後は 日本的な発想は 良くなく西洋の考え方が正しいと言ったような風潮が  世の中を謳歌したように思います。


しかし 私はその逆で 今こそ日本的な考え方を踏襲しながら 世界に貢献するといった日本のよさはよさで 確認しながら世界と協調していく。


そのことが日本の志のように思います。

日本的な思いである、常に他人を思いやり 他人の痛みを知り、自分だけがよかったら良いという発想から、 個人と他人との人間関係を重視し(江戸しぐさ) この人生を心豊かに歩んで行くという発想です。


そこには 根本思想である素直な心、 自省の心、謙虚な心、奉仕の心、感謝の心など禅的な心が 潤いのある家庭に 潤いのある職場に そして 潤いのある社会に人生に と 必要最低限の人生訓のように思います。


けして、きれいごとで 絵空事ではなく、新入社員には まず 人間的ふれあいの心を持つことが この人生を歩んで行く 生き方の基本姿勢であることを理解して 人生の門出になればと強く思い進めています。



春は 森羅万象のモノが動き出す季節です。


このような日本的発想を思い 今回は 我々ば進めている新入社員研修のルーツを確認し 述べさせていただきました。


今は 寒暖の差が大きい時期のようです。

お身体ご自愛下さい。



今回も最後までお付き合い頂きまして ありがとうございました。




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March 15, 2015

今日という旅路

こんにちは

急にまた 寒くなりました。体調の方は如何ですか。


私の方は絶好調といきたいのですが、温暖の差で体調が崩れたのか 珍しく食欲がなく 身体がだるいですね。


再来週から 4月の上旬まで40年余と続けさていただいています京都宇治での禅の精神を取り入れました合宿研修会が開催されます。


スタッフ一同その事前の準備で毎年の春の重要な行事の準備でおおわらわと言ったところです。



私は最近は校長先生という立場でお寺に泊まり込みで頑張っています。

今日はその事前資料等を含めたチェックで事務所に出ています。

新入社員に資料として点検していますと 下記のような作者不明の資料が出てきました。






             今日いう生涯の旅路

      
       私は、私の一生涯の旅路において

       今日というこの道を再び通ることはない

       二度と通ることはない、二度と通らぬ今日というこの道


       どうしてうかうか通ってなろう 

       笑って通ろう 謳って過ごそう


       二度と通らぬ今日というこの道 

       わらわれてそこで自省するのだよ


       しかられて そこで成長するのだよ

       叩かれてそこで逞しくなるのだよ


       一輪の花でさえ、風雨をしのいでこそ美しく咲いて香るのだ

      
       嘲笑されるときもあるであろう 笑って受け流せ。

       僕には大きな大きな志(こころざし)があうのだと

       蹴飛ばされる時もあるであろう

       なにこれくらいのことと歯を食いしばって忍べ

       
       苦しい時もある、悔しい時もある 泣きたいときもある

       つらいときもある かなしい時もある 投げ出したい時もある


       それが人生である

       しかし 君

       この道は 幸せを受けた人たちが必ず通った道なんだ



わたし自身の思いも入れて 文章として纏めてみました。



いつの世においては 今の瞬間が人生だといわれています。

私の好きな言葉に 

          昨日まではリハーサル

 
          本日只今出発

親鸞聖人が言われた 
         
         「人生の一大事とはその瞬間 瞬間を大切に生きる事なり」
          
        


新入社員の研修生と一緒に学ぶ資料を整理していまして、なるほどなあと私自身も再確認する資料でした。

よく 言われますように 教えられ側よりも教える方が 勉強になる。

正しく、その通りだなと納得した次第ですs。


暫くは天候は不順になるようです。どうぞ体調にご留意ください。



私も研修を控えて自己管理に気をつけねばと思う今日でした。



最後まで お付き合い頂きましてありがとうございました。

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February 22, 2015

日本人の魂

今日は

まだまだ 厳しい寒さが続いていますがお元気ですか。

2週間程前になりますが、私はひさびさに何年振りかで風邪を引きました。 しかし 一日ぐっすり熟睡しましたらお蔭様で元気になりました。


私の公私に亘ってご縁のあるお医者さんが 現在、風邪を治す薬はなくて もし本当に風邪薬が発見されたらノーベル賞ものですとおっしゃておられ 風邪には睡眠することが一番ですと。



そのようなことを聞いていましたので、丸一日本当に熟睡しました。

一応 薬は市販のクスりを 少し睡眠薬入っているようですので補助で飲みましたが。


普段から 薬が嫌いでほとんど飲みません。お蔭様でかどうか どのよう薬を飲んもすぐに効きます。


私は、自然治癒力に頼っていますが、しかし年齢的に気をつけねばとも思っています。



さて、一昨日 昨日と40年余に亘り進めています我々の主催する合宿研修会の運営に 京都のお寺に行っていました。



ご存じのようにお寺では境内は素足で草履になります。


二日間の研修ですが、結構朝晩は冷え込みまして 朝の早朝6時からの一時間の座禅は寒さとの戦いで 老骨には本当に大変こたえました。



研修テーマはリーダーシップの実践を体験するという研修です。


、研修に流れる主旨はリーダーである前に「自分は一体何者か」このようなテーマで自分自身を内観法でチェツクし,実践していただく研修です。


禅の千年の歴史をひも解いて 日本人の持つ素晴らしDNAを喚起する研修でもあります。



そのようなことを考えますと 皆様方もご存じかと思いますが 終戦直後 進駐軍(化石ののような言葉ですね)として来日した日系2世(国籍はアメリカ人)で、後に日系人として 又 初めての東洋人としてハワイ州の知事を3期務めたジョージアリヨシ氏(当時ですので 多分20歳すぎだと思います)の靴磨きの少年の話が思い出されます。



要約しますと 1945年(昭和20年)日本がアメリカとの戦争に負け ジョージアリヨシ氏がその年に複雑な心境で戦勝国側として日本に来日します。


 あるとき、全くの焦土と化した丸の内界隈の片隅で進駐軍を相手に、靴磨きで生計を立てている少年(7歳)に出会います。 


当時の事ですから 一億人が飢えと栄養失調の時代でもありました。

 
少年は、当然着る服もまともなものではなく、ボロボロの服を纏い 大変空腹感一杯のひもじそうな 痩せこけた少年でした。


ジョージアリヨシ氏は 何か磁石に引かれるように その少年に近づき 靴を磨いてもらいます。



そして、ジョージアリヨシ氏はすぐホテルに戻り パンにバターとジャムをつけ 紙に包み その少年に届けます。



しかしその少年は食べようとしないで、大事そうに懐に入れるのです。



思わずジョージアリヨシ氏は 「何故君はお腹をすいているだろうに食べないのか」と 大変いぶかり 不思議に思って尋ねます。



少年は 今 家に妹のマリコ(3歳で両親は戦争で戦死)がお腹をすかして僕の帰りを待っています。


この頂いたパンは妹に食べさせてあげます。


ジョージ氏は このけなげな少年の態度に 絶句して言葉もなく、これが今はアメリカ人の国籍を持つ自分であるが  我がルーツである祖国が持っていた 義理、人情、恩、家族愛 他人を思いやる精神という事かと。



その後 アリヨシ氏はアメリカに帰りますが、戦後の荒廃した中にも、凛とした けなげな兄弟愛のその少年の光景が脳裏から離れず 何十年後に日本に来日した折に この少年に是非あって その後を人生を聞いてみたいと 探し求められます。


しかし、残念ながら その少年の名前が不明で 会えなかったというお話です。


ジョーシアリヨシ氏はその時の会見で 日本は 今その崇高な魂はどこにいったかと問いかけ警鐘を鳴らされました。


(最近はよく親が子供を 子供が親を 又子供同士の陰惨なニュースを聞く機会が多いようです)


この話はいつも私の心を捉え、頬を濡らします。


今回 研修のお手伝いをしまして 日本人の持つ素晴らしいDNAに思いをはせて これからの研修も 世界に貢献するという、大きな志を持って、頑張ろうと強く思う二日間でした。




2月も残り少なくなってきました。


一日一日を「昨日まではリハーサル、本日只今出発」

そんな気持ちで、人生を歩んで行きたいなあと思った二日間でした。



いつも最後までお付き合い有難うございました。







senba206 at 12:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

January 17, 2015

やおよろず

こんにちは

正月は如何でしたか。


私の方は年末に娘が孫3人(8歳、4歳、6か月と男3人兄弟です)と実家に戻ってきて 31日の大晦日に姫路の娘の方に家内も一緒に行きました。



そして、元旦を姫路で迎え3日に又 揃って我が家にと 車の往復で何かとバタバタした年末年始になりました。



娘らは、孫の始業式の関係上、6日に帰りましたが台風一過のようなそんな表現にぴったりの大変疲れた年末年始でした。


娘らが帰った後は家は家内と二人だけの もぬけのからのような 少し寂寥感の漂ったひと時でした。



さて、今年の初出は大体暦の関係上 5日に集中したようですね。


私の事務所も5日が初出で 毎年の行事であるお屠蘇でお祝いをして それぞれの正月の様子等 又今年の抱負など歓談し 事務所の裏にある天満宮にお参り行きました。



それぞれ毎年の行事であるおみくじを買い一喜一憂するいつもの風景で一年が明けました。


9日は ここも事務所の近くにある堀川神社に 昨年度の笹を返し 又あらたな笹をいただき一年がスタートしました。


どんどん時代と共に正月風景はなくなり 年末年始は少し長い冬期休暇になってきた そんな感じの正月風景になりましたが 私は日本の素晴らしい伝統文化を命ある限り続けて行ければ 最高の人生とそんな気持ちを持つ今年の正月でした。



しかし、時代が変われども神社等のお参りは、元旦に日本人であれば 大体何らかの形でお参りをするという伝統は素晴らしいですね。



世界各国に目をやりますと 比較的一神教が多いですが、日本人は昔から八百万の神が存在するという考え方で すべてのものに神がやどり 命があるというDNAを伝統として引き継いでいます。


私は このすべての森羅万象に 神が宿ると言う畏敬の念を持つこの日本人のDNAが 今日における世界の中の日本を位置づけたように思います。


少なからず  うら若き青年の頃(笑い)「青雲の志」「錦を飾る」「立身出世する」(今は死語の言葉になったようですが)を持ち海外に出た私としては、外から日本を見るという機会に恵まれ 日本の良さを肌で感じた事は大変幸せであったと思います。


海外から羨望されるように日本人のもつ 「わび、」「さび」、そして森羅万象に神が宿り、そして茶道、柔道、弓道、相撲道、華道,歌道, 香道等 全て道(どう)にする つまり、形のない におのいのない、つまり実態のないものに畏敬の念を持ち「道(みち)」にする。


多分日本人だけのDNAを持つ素晴らしい感性(かんせい)ように思います。


年初にあたり 世界でテロが勃発しています。  このような八百万の神を信仰に持つすべてを受け入れる日本人の懐の深さを 最近の海外のニュースを垣間見る時 日本の素晴らしを確認する年初にもなりました。



 今日17日はご存じのように阪神大震災の20年の節目の年で心痛んだ一日でした。



さて、今年も又新たな一年が始まります。

我々日本人は春夏秋冬、森羅心象の自然を畏敬して そのことを心のオアシスに切り替え、切磋琢磨して進んでいく。そして この限りある人生を逞しき切り開いていく。

そのような国民性を持っています。


そんな気持ちで 気持ちで今年も前進したいと、決意をあらたにした年初でした。

何か 肩肘の貼った文章になりましたが 今年も又 よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。


                       ありがとうございました。





senba206 at 16:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 27, 2014

1年間、有難うございました。

こんにちは


今年も余すところ5日になりました。 

今日の午前中で会社は終わりで 昼から1月4日まで正月休暇に入ります。


午前中はスタッフといつもの年末行事である事務所の大掃除を終え しめ縄を飾り 全員で近くの蕎麦屋さんで 年越しそばを取り お互いに一年の労をねぎらい 良い年を祈念して解散しました。



こうして振り返ってみますと、お蔭様で公私に亘って大きなトラブルもなく、無事に過ごす事のできた一年でした。

感謝の念で一杯です。


今年の大きな出来事となると、ゴールデンウイークに久しぶりに家内と二人で ウイーン、プラハの中欧の旅が思いだされます。


本当にのんびりとした旅になりました。 


又 娘に私としては3人目の孫の誕生が挙げられます。


私としては健康状態も まあまあ良好で 有難い感謝の念一杯の一年でした。


しかし これからは何が起こるかわからない年代になりました。しかし 常に前向きに そして、その感謝の思いを 社会のお役に立つよう頑張りたいと決意を新たにした 年末になりました。


そして ものの方は午前中に一応形だけでも清掃しましたが 一年間の積りに積もった マイナスの心、そのもとにある エゴの塊である「心のすす」を払うのが全く至難の業です。


万分の一でも努力して、「心のすす」を掃い 新年を迎えたいと思っています。



一年間おつきあいいただきまして誠に有難うございました。


来年も懲りられませず何卒よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。



今年は31日の大晦日の日に おちゆく夕日の太陽に一年間感謝して終わりたいと思っています。


どうぞ 良いお年をお迎え下さい。
               


                      一年間有難うございました。

senba206 at 14:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

December 13, 2014

スポーツジム

こんにちは

今年も 早いもので あと 半月を残すのみになりました。


私は 11月下旬から 広島、九州、東京と出張が続きましたので 余計に時間が経つのが早く感じました。


広島では、訪問先の会社の近くに広島記念博物館があり 少し時間がありましたので  覗いてみました。


今から、40余年前に 一度行きましたが 当時は若かったこともあり 又心の余裕もなかったのか あまり大きな印象がなかったのですが 今回は幼年の生徒の悲惨な展示をみて 歳のせいか最近は涙もろくなって 孫の年代とオーバーラップして溢れる涙を止める事ができませんでした。


是非 まだ行かれた事のない人は 一度は訪問すれば 考えさせられる場所と思いました。



戦争はどのよう事もあっても、2度としてはならないと強く思った見学でした。


この かけがいのない何百億、何千億とある無限の宇宙の星で 神様が唯一創造された地球です。


今の世界の現状を鑑みますと 各国でのそれぞれの事情、立場があるとはいえ 紛争が絶えません。


我々の会社の理念にも世界の安寧に貢献すると謳っています。


この星を創造された神様がおられるとしたら 世界各国での小競り合い、駆け引き、紛争等を 芥川龍之介の蜘蛛の糸でのお釈迦様でははありませんが、又十戒ではありませんが
天上からみておられ 愛想をつかれこの星をご破算にされるかも。

 そんな妄想に取りつかれたひと時でもありました。 


さて 本題に入って 皆様方は健康管理につては どうされていますか。


一億総健康ブームの健康志向の現在です。


私の死生観はP,P,Kです。


つまり 病院でスパゲテーのようの身体に管を巻かれて 寝たきりで生きながらえるよりも、ピン、ピン コロリと人生にサヨナラをしたいと切望しています。


歳の事もあり 体力保持に 2年前から 私の最寄の駅の一つ離れたスポーツジムに 良くて 月4〜5回が,精一杯ですが通っています。


私の健康観は WHOの唱える「健康とは、肉体と精神との合一を健康と言う」趣旨に大変納得しています。


私は 薬とか 病院、サプリメントとか あまり好きではなく、できれば人間の持つ素晴らしい本能にある自然治癒力の能力をフルに活かしたいと思っています。


私の通うスポーツジムには アスレの他に、プール、バトミントン、卓球、バスケット、バレーボール エアロビクス、エアロダンス、太極拳とか多彩にプログラムがあります。



私は 今は水泳とアスレの健康器具で身体を鍛えています。


もっと時間の余裕があれば 時間はつくるものですが いろいろと挑戦したいと 意欲は満々です。


 水泳も最初200メートルぐらいで 息も絶え絶えで 心臓麻痺でも起こすのではないかと思うぐらいでしたが、目標のカルテもコーチの指導のもと作成し 初級コースを受け4まずは 500メールの目標に挑戦しています。



お蔭様で今では 700メートルから1000メートルを自由型で泳げれようになり 目標を挙げ、ねばならない目標からの苦痛から、少し楽しみに変えたいと思っています。



そうして 健康増進ではなく 必ず一日一日 日毎に衰えていく身体に歯止めになればとの思っています。

 
このひとかきが10年後の健康維持につながり、P,P,Kに繋がると信じて。


何か 悲壮感が漂ってきましたが。


もう一つ、 アスレで、健康器具を使って 衰えていく筋肉の強化に努めています。


 色々な健康器具があり、 10キロとか 20キロのバーベルを持ち上げるのに、 フウフウしていましたが、人間の身体って凄いものですね。


鍛えれば鍛えるだけ 頑張れるのですね。


 最近は 偉いもので、 40〜50キロとを持ち上げられるようになりました。


本当に年齢に関係なくな 人間の身体は 上述しましたように 鍛えれば、鍛えるほど 頑張れるのものだなあとつくづく思います。



しかし、歳も考えて あまり いちびっていると とんでもないことになるのではと 気をつけなかればとの思いも大きく 楽しくエクササイズしたいと思っています。



今回は 一年を振り返り つっぱって来ましたが やはり健康は一番だなあと 痛感して 今進めている健康管理の一環としての ジム通いについて記してみました。
 

寒波到来との朝のニュースがありました。



なにかと 年末でご多用になる時期です。

お身体ご自愛下さい。

               最後までお付き合い ありがとうございました。








 






















































senba206 at 11:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 15, 2014

サクラ

こんにちは


朝晩はメッキリ寒さが厳しくなってきました。

お変わりはございませんか。


今年ももう11月 毎日は結構時間があるように思えるのですが、こうして振り返ってみますと 早いですね。

この間 新聞で出会い系サイトについてサクラという言葉が出ていました。

そういえば 私も何気なくサクラと言う言葉を使っています。

少し なぜサクラと言う語彙になったのか、疑問に思ったので調べてみました。

皆様方はサクラの言葉の由来をご存じでしたか。

本来の語源は 江戸時代の芝居小屋で歌舞伎をタダで見せるかわりに 公演中に見せ場で大声で役者に「待ってました」とか掛け声をかけたり、今にいうエールを送る事を又 それをする者をサクラといったそうです。


桜の花見もタダで見られ そしてパット散る そのような意味合いもあるとのこと。

何か うなずけますね。


明治時代になると露天商などで 客になりすまして 商品を買って他の一般客の購買を促すなどに サクラと言ったそうです。


私もむかしよく梅田近辺で 服とかネクタイなど道端で 道行く通行人に販売しているのを見かけた事があります。


その折 何名かの通行人を装って その商品に群がり買っている姿を 見ました。


見るともなく見ていますと その通行人(偽客)が 又戻ってきて商品を買う姿を見ました。

そのような方々見て サクラだなと思いました。


アメリカ等よくおとり捜査で 麻薬者になりすまし、麻薬犯罪者に近づくなどのニュースを見て 何かこのような おとりで犯罪者を捕まえる事に違和感を覚えた記憶があります。


私の経験でもう30数年前の事になりますが 
仕事で東京に4日間程滞在し 同僚3人と東京の最後の晩に 気晴らしに又仕事を終えての解放感で繁華街にでようとの話になり、場所が定かではないのですが繰り出しました。

一杯飲んだお酒の勢いもあったのか3人でフラフラと興味深く、夜のネオンの町を歩いていました。

暫くすると田舎者のカモと映ったのですね。

2〜3名の女性が近づいて来て 一緒に飲みに行きませんかと誘われました。 


もしよろしければ 私達の行きつけの安いスナックがあるのでどうですかとの 誘いです。

どうもどこかおかしいなと思いながらも その前に飲んでいたお酒の酔いもあって又 好奇心旺盛の年齢でもあるし こちらは3名だし その勧める店に行きました。



どうも 雰囲気も余りよくなく 我々3名は示し合わせて出ようということで精算をお願いしました。


僅か10分ぐらいでビール一杯で一桁間違いと思う0が付いていて 思わずクレームをつけますと事務所からそれとらしい兄さんが出てきて 何か計算に問題をありますかとの 凄みのある声で言われました。

おとなしい我々3人組は イイエ 別段問題ありませんと言って3人で財布をはたいて
ホウホウのていで店を出た 今から考えたら楽しい 甘酸っぱい青年時代の思い出があります。


その女性の方々が、俗にいうサクラだったのですね。

又 お店などでお客さんサクラ(偽客)になりすまし 店員のサービスなどのマーケティングによる顧客満足度調査なども行われているようです。


そういえば小泉内閣の時にタウンミーテングとして国民との対話集会で 自らの内閣の賛成派の方を集めて参加させて開催したのではないかと疑問の出た一件がありましたね。



サクラの意義の評価は諸般によって分かれるところのように思いますが この間の商法の問題が 一般紙にの大きくサクラと言う言葉で説明していました。


隠語の言葉と思っていましたが 正式の言葉なのかどうなのかと興味を持ち記させていただきました。


日増しに向寒に向かいます。

お身体ご自愛下さい。

では次回は師走ですね。

 
 
                  最後までおつきあい ありがとうございました。



senba206 at 13:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 19, 2014

ノーベル賞の快挙

こんにちは


2週連続で台風が週末に日本に上陸して大変でしたね。

あまり大きな被害がなくなによりと思いました。


私は 先週が三連休でしたので週末に娘のいる姫路に家内と車で行きました。

しかし台風が近畿に上陸するということで 日曜日の早々に自宅に帰りました。


しかし、土曜日は二番目の孫の運動会がありましたが その日はお蔭様で少し心配したのですが、晴天で汗ばむような天候でしたので幸いでした。


4歳の孫と 「おじいさん、おばあさんと一緒に」と言うプログラマがあり 孫と手をつないで簡単な 遊戯をし、今に大きくなれば見向きもしないだろうなあと感慨に耽りながら思いながら 至福のひと時でした。


さて少し前ですが 2年振りにノーベル賞で物理学部門で3人が受賞と言う快挙の報道がありましたね。


日本人の一人として大変心躍る素晴らしい出来事でした。


特に日本をこよなく愛する私には 来る20年の東京オリンピックの日本開催決定に次ぐ心躍る嬉しいニュースでした。


ご存知のノーベル賞は ダイナマイト(ケイ藻土使った個体爆弾)を開発し 特許を取って、莫大な資産をもたらしたスエーデン人のアルフレッド・ノーベルが 1896年に亡くなった時に自分の遺産をもとに賞を創設するように遺言を残した賞です。 



世界で最高の賞とされています。


因みにダイナマイトの発見は 自らも莫大な富を得ると同時に 世界の経済発展にとてつもない計り知れない貢献をしましたが 一部戦争に利用されると言う悲惨な結果にも繋がりなり そのような功罪に対して ノーベルは賞を創設したとも言われています。


ふりかえってみますと、1049年(昭和24)日本が戦争に負け 全土が焦土となり うちひしがれている時代に、日本のノーベル賞の第1号がご存知の湯川秀樹先生でした。


終戦前に発見した中間子論がその対象になったとのことでした。

私には全く理解の対象外の理論ですが、その発見が皮肉にも原子爆弾の製造開発の元になりました。


当時 微かに記憶にありますが ノーベル賞受賞は 子供心に日本は素晴らしい国であるという 故古橋広之進さんの水泳での世界記録と同時、戦後まもなく、日本の国民を奮い立たせ 日本復興の大きな精神的礎になった出来事であったと言われています。



私は 今回のノーベル賞という素晴らしい世界の快挙とともに 非常に興味を持った点が中村修二先生の青色発光ダイオード(LED)の発明です。


今から10数年前、中村先生の在籍されていた徳島の会社で 当時社員であった中村先生が、LEDの発見をされました。


その発見の成果による報奨金について 在籍していた会社に対して訴訟を起こされました。

 その発見の代償に確か何百億の会社側の支払いの請求の判決があった事件を思い起こします。


私は一経営者として この問題には大変興味を持ち、非常に複雑な心境でその判決の推移を見守った記憶があります。



 この間の中村先生の受賞の喜びのインタビューにありましたように 創業経営者の鶴の人声で 絶対発見が不可能だとして関係者がさじを投げた研究を 中村先生一人が実験を続けLEDの発見にみすびついたという結果です。


唯 そのような実験出来る環境があったからこそ 発見出来たといえますが、反面関係者が発見が不可能とした事をただ 一人やり遂げて行ったという点では 当然その結果に対しては それなりに評価をする体制でないと 今後の挑戦者に対してヤルキを阻害するようになるということは 考えられます。


そして、これからの日本が世界に伍する研究、発見は後退するのでないかと危惧します。 


どちらにしても 日本の風土、風習、因習、など 複雑に絡み合って成り立っている現実の会社組織の実態から 会社と個人の特許の所有権の問題、またその報酬について、難しい問題が残されているように感じました。


そのようなことは別にしまして、素直に今回の快挙は一昨年に続き 日本人に取って大変嬉しい出来事でした。


是非 今後とも 世界に貢献する人財が続きますように望む次第です。


今回は先般の嬉しい心の弾むノーベル受賞のニュースを述べさせていただきました。



朝晩めっきり寒くなりました。

体調を壊されている方が多いようです。


どうぞ お身体ご自愛下さい。


            最後までお付き合い頂き 誠にありがとうございました。















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September 23, 2014

椰子の実

こんにちは


朝晩は 涼しくなりましたが 日中はまだ少し汗ばむ天候ですね。


夏バテは如何ですか。


お蔭様で私の方は「○○暇なし」と言う諺がありますように病気をしている暇がないとi
言った心境です。



この間 友人と会話の中で 「好きな詩」はという話題になりました。


私は幼少の頃浜辺で見た椰子の実に因んだ島崎藤村の「椰子の実」の詩を
挙げました


                

                椰子の実     

         名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ 
         
         故郷(ふるさと)の岸を離れて

         汝(なれ)はそも波に幾月


         
         旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 

         枝はなお影をやなせる

         われもも又渚を枕 孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ 


         
         実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂 

         海の日に沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙 

        

          思いやる八重の汐々 

         いずれの日にか 故国(くに)にかえらん。

                              島崎藤村


何故か 私はこの詩に非常に郷愁を感じます。


詩が先なのか 浜辺に見た椰子が先なのか 定かではありませんが 私の心の奥に深く残っています。


幼少の頃 確か小学校2年の時だと思いますが 従前にも何回か記しましたように 現天皇陛下が 皇太子様の時代に 30日から40日かけてイギリスの女王陛下の戴冠式に出席されたニュースを学校の階段下の壁新聞で見ました。


それが私の世界に目を向ける原点になるのですが 世界は広いなあと 脳裏に入り込んでいました。



今から 考えると確かに当時は プロペラ機の時代ですし 皇太子様は各国を回られてイギリスに入れらたので何十日と日数がかかられたのですが 当時の私は世界はとてつもなく広いなあという素朴な感慨でした。 


幼少の頃 両親に連れられて海水浴に行き 夕闇迫る海岸で見た椰子の実は 多分そのような記事と前後していたように思います。



手に取って見たこの椰子は 一体何年かかって この浜辺に辿り着いたのかと子供心に 愛おしく思ったではないかと思います。



そのことなど含めて 世界に目を向けたルーツになったような気がします。



今日は夏の思い出として 先般友人と青臭く好きな詩の話になり 今では考えられない感受性の高かった幼少の折の浜辺で手に取った椰子の実の感触に思いを巡らしながら「椰子の実」についての感慨を述べてみました。




皆様方にとっての思い出の詩は 何が浮かんで来ますか。



朝晩は少し冷え込んできましたが 日中はまだまだ暑いですね。

寒暖の差が激しい時期ですので 体調には充分ご自愛下さい  


               
               最後までおつきあいありがとうございました。





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August 23, 2014

水害

こんにちは 盆休みは如何でしたか。



私の盆休みは、娘の嫁ぎ先の姫路に行き ゆっくりと寛ぎながら と言いたいのですが 孫二人のお守り役で 楽しみながら 大変疲れました。


来年の今頃は 一か月半前に生まれた孫と男ばかりの三人兄弟になるので
(谷口家も男ばかりの三人兄弟の五人家族でした)今から覚悟しています。



さて先般から広島で豪雨による 土砂災害で大変ですね。
死者行方不明が90人余とのこと。



私の従妹が広島市の今回大きな災害にあった安佐区に住んでいますので大変心配しましたが 一昨日本人と連絡が取れ 大丈夫とのことで、涙ぐんでしまいました。



今日 家を出るとき 幼子の兄弟の不幸のニュースに、孫とオーバーラップしまして、何とも言えないどうしょうもない思いで一杯になり思わず落涙しました。


本当に 今回ご不幸に会われた方々に心よりご冥福をお祈りいたします。 



思い起こすと 私の幼少の頃は 大阪市内の低地は 下水道の設備がまだ完備されてなく水はけが悪く 少しの雨で よく床下浸水 床上浸水が頻繁にありました。


畳を挙げた経験も何度もあります。


学校が2〜3日休校にもなるし 何となく楽しい思い出であったように思います。


しかし 当時はまだ 水洗でなかったので、お袋が全てのものが一緒になってしまう。 と嘆いていた姿が思い起こされます。


確かに全て一緒になっていたのですね。


もう一つ水害で忘れる事が出来ない大きな出来事があります。


昭和28年八月台風の余波で京都府南山城地区を襲った何百年に一回もないと言われる 今で言うゲリラ豪雨の走りの大水害です。


確か盆の時期と思いますが 夜半から降った雨が一時間〜二時間で200ミリと言う 後にも先にもないと言われる程の豪雨が一気に南山城地区に降ったと言われています。


(故)両親と兄二人が生まれた故郷(私の第二の故郷でもありますが)がその未曾有の水害にあったのです。



JR関西線で加茂駅に出、そこから当時は木炭車のバスでしたが 約20分程和束川に沿って峠を抜けたところに生家があります。


当時 「郵便局前」という名前の停留所があり そこで降り 前に川(和束川)があり 古びた土橋を渡ると小学校(兄二人が通った学校です)に出ます。 その横を通り田園風景の続く でこぼこ道の小道を上がって行ったところが私の田舎でもあります。



お袋に手をつないでもらいながら 心躍ってお袋の生家に帰った思い出が蘇ってきます。



実は その加茂駅から続く バス停の前にある和束川が豪雨により氾濫したのです。 

その前にあったおぼろげながら覚えている従妹の家も 又橋も 又小学校も流されてしまいました。


幸い お袋の生家は山間にあったので無事でしたが 親父の生家も流れてしまいました。 死者は 何百人とのことでした。



今あって 幼少の頃 遊んだ2〜3メートル下にあるあの草深い川が氾濫したなんて考えられません。



流れた小学校が もし今もあれば 明治、大正時代の建築物として 金次郎さんの像と共に写真マニヤの恰好の被写体になっていたと思われます。


今回は ここ一週間悲惨なニュースになっている広島市の土砂災害関連から 私が経験した水害と共に述べさせていただきました。



今回の災害にあわれました方々には、心からお見舞い申し上げます。



日本全土がアスフアルトに覆われ 水はけが悪く 又森林の伐採 土地事情により、住宅地が 山に伸びていく現状とか 又異常気象などによる天候よりの災害について述べさせていただきました。



まだまだ 残暑は続きます。お身体ご自愛ください。

                            ありがとうござました。



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