2021年09月25日
マスクの目
今日は。
コロナ、コロナ、で2年半になりますね。
何か、もう、うんざりで、いい加減にしてほしいといった心境です。
マスク生活も2年になりました。
海外の街頭の二ユースを見ていますと、マスク姿の人が,チラホラで一体コロナが、世界的に大流行しているのかと疑いたくなる風景が放映されていますね。
先般のオリンピック、そして、素晴らしい感動を呼んだパラオリンピックの閉会式の次回開催国のパリが放映されていました。
まさしく、その通りで、私自身も、今までその人の表情なりを見て、そして目をみて、その人を判断していたのだなあと、最近のマスク生活から感じる次第です。
その為に、私自身も、顔の表情筋を今の間に、柔和に練習しておかないと、マスク後の、今のさびついている顔の表情では、と思っています。
その為には、今のマスク生活の間に、「目は心の窓。」「目は口ほどにものを言い」。といいます。
目だけで、その人物の性格が自分なりの物差しですが、わかるように、マスク生活の今の間に、より、勉強していきたいと、最近強く思う次第です。
そして、今のマスク生活の間に、私自身も、目で語れるように、努力したいと心がけていこうと、思います。
そうなれば、今のやましい心を、純な浄化した、つまり禅の精神である5つの心(素直・自省・謙虚・奉仕・感謝)を、より強く持つことで、最終的に顔から眼に表れ、その人の人物像になるのではと思ったりしている、マスク生活の現況です。
歌舞伎役者での名優は、目力で、つまり目で、全てを演技すると言われています。
今回は、二年半のマスク生活で、人物像の見分け方につて、私が思う事を述べてみました。
10月より少し、コロナ対策も、緩和されるとの情報です。
経済活動の事もあり、皆が一致団結して、コロナを収束に向かえさせ、5感で語り合える幸せな日が、一刻も早く訪れるように、日本人の素晴らしい和の精神で、乗りきりたいと思う最近です。
今回も最後まで、お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
どうぞ、コロナ対策を含め、お身体専一を。
。
コロナ、コロナ、で2年半になりますね。
何か、もう、うんざりで、いい加減にしてほしいといった心境です。
マスク生活も2年になりました。
海外の街頭の二ユースを見ていますと、マスク姿の人が,チラホラで一体コロナが、世界的に大流行しているのかと疑いたくなる風景が放映されていますね。
先般のオリンピック、そして、素晴らしい感動を呼んだパラオリンピックの閉会式の次回開催国のパリが放映されていました。
ほとんどマスク姿の人々が見当たらず、一体、日本だけが、騒いでいるのか、緊急非常宣言下なのかと、何とも不思議な別世界からの放映のように私は錯覚しました。
毎日、世界の新型コロナ感染者の人数が出ていますが、因みに、フランスは感染者が700百万余人で死者が11万人余と発表されています。
時折、マスクをつける、つけないで、世界各国では暴動がおこったりしていますね。
日本人は、聖徳太子以来の 和の精神です。
欧米の個の精神との、国民性が違うのかも知れません。
さて、上述しましたように、マスク姿が2年半にも及んでいます。
今年の日本独特の湿気の多いムシムシした夏を、何とか我々は、今年もマスク姿で、通り過ごしてきました。
マスク姿がどんどん習慣化していますが、いまだに、時折忘れて、取りに帰ったりしています。
さて、皆様方は、マスク越しの人に対しての評価は、どのようにされているのでしょうか。
私は、ことわざにあります、「目は心の窓」、「目は口ほどに物を言い」ということで、当たる、当たらないは別にして、今まで、目である程度その人の人物がわかるのではと、豪語していました。
と言いますのは、仕事で今まで、何万人との研修生との合宿などの関わりあいを含め、又、今までの御縁の方々、又名刺交換などの名刺だけでも、段ボール箱に数箱になります。
そのような事もあり、ある程度、私の経験上で、その人の目の表情で、人物評価をしていました。
しかし こうして、マスク越しとの対話になりますと、中々、今まで判断基準では、その人の人物像がどうしても確信が持てないような気がしだしているのが、事実です。
私の信望します京都大学の総長で、故平澤興先生が、人の人物を評価するには、顔の表情でわかると随筆されていました。
私は、顔でごまかせても、目はごまかせないとの論法で、先生の言う、その人物評価は顔でない、目だと密かに異論をもっていました。
しかし、こうしてマスク越しでの目だけでのその人の人物像は、中々難しいなあと思う今日この頃です。
つまり、平澤先生のおっしゃる顔の表情、つまり5感により、その人の人物像が浮かび上がってくる。
毎日、世界の新型コロナ感染者の人数が出ていますが、因みに、フランスは感染者が700百万余人で死者が11万人余と発表されています。
時折、マスクをつける、つけないで、世界各国では暴動がおこったりしていますね。
日本人は、聖徳太子以来の 和の精神です。
欧米の個の精神との、国民性が違うのかも知れません。
さて、上述しましたように、マスク姿が2年半にも及んでいます。
今年の日本独特の湿気の多いムシムシした夏を、何とか我々は、今年もマスク姿で、通り過ごしてきました。
マスク姿がどんどん習慣化していますが、いまだに、時折忘れて、取りに帰ったりしています。
さて、皆様方は、マスク越しの人に対しての評価は、どのようにされているのでしょうか。
私は、ことわざにあります、「目は心の窓」、「目は口ほどに物を言い」ということで、当たる、当たらないは別にして、今まで、目である程度その人の人物がわかるのではと、豪語していました。
と言いますのは、仕事で今まで、何万人との研修生との合宿などの関わりあいを含め、又、今までの御縁の方々、又名刺交換などの名刺だけでも、段ボール箱に数箱になります。
そのような事もあり、ある程度、私の経験上で、その人の目の表情で、人物評価をしていました。
しかし こうして、マスク越しとの対話になりますと、中々、今まで判断基準では、その人の人物像がどうしても確信が持てないような気がしだしているのが、事実です。
私の信望します京都大学の総長で、故平澤興先生が、人の人物を評価するには、顔の表情でわかると随筆されていました。
私は、顔でごまかせても、目はごまかせないとの論法で、先生の言う、その人物評価は顔でない、目だと密かに異論をもっていました。
しかし、こうしてマスク越しでの目だけでのその人の人物像は、中々難しいなあと思う今日この頃です。
つまり、平澤先生のおっしゃる顔の表情、つまり5感により、その人の人物像が浮かび上がってくる。
まさしく、その通りで、私自身も、今までその人の表情なりを見て、そして目をみて、その人を判断していたのだなあと、最近のマスク生活から感じる次第です。
その為に、私自身も、顔の表情筋を今の間に、柔和に練習しておかないと、マスク後の、今のさびついている顔の表情では、と思っています。
その為には、今のマスク生活の間に、「目は心の窓。」「目は口ほどにものを言い」。といいます。
目だけで、その人物の性格が自分なりの物差しですが、わかるように、マスク生活の今の間に、より、勉強していきたいと、最近強く思う次第です。
そして、今のマスク生活の間に、私自身も、目で語れるように、努力したいと心がけていこうと、思います。
そうなれば、今のやましい心を、純な浄化した、つまり禅の精神である5つの心(素直・自省・謙虚・奉仕・感謝)を、より強く持つことで、最終的に顔から眼に表れ、その人の人物像になるのではと思ったりしている、マスク生活の現況です。
歌舞伎役者での名優は、目力で、つまり目で、全てを演技すると言われています。
今回は、二年半のマスク生活で、人物像の見分け方につて、私が思う事を述べてみました。
10月より少し、コロナ対策も、緩和されるとの情報です。
経済活動の事もあり、皆が一致団結して、コロナを収束に向かえさせ、5感で語り合える幸せな日が、一刻も早く訪れるように、日本人の素晴らしい和の精神で、乗りきりたいと思う最近です。
今回も最後まで、お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
どうぞ、コロナ対策を含め、お身体専一を。
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senba206 at 11:46│Comments(0)│