2021年10月23日

わきまえる

お早うございます。

ここ 二〜三日 一気に寒くなりましたね。

中国から伝わった、10月1日から衣替えということで、確か、ひと昔前は必ずその前後に冬服に切り替えていました。

しかし、ここ何年かは10月に入っても、残暑のような天候で、どうもめんどうで、夏スタイルで過ごしていました。


さすが この寒さで、そんなことなどは言っておられず、冬服に着替えざるを得ない寒さになりました。


最近、よく言われるように、一年が2シーズンになったようですね。

秋と春がなくなったような、何となく日本の世界に類を見ない、春夏秋冬がなくなりつつある季節感に、さみしさを感じる、今日この頃の心境です。


さて、毎回、書き出しの冒頭はコロナでしたが、やっと収束に向かっていますね。


昨日は日本の国内の感染者は325名で大阪は51名との事。

しかし、今年の冬は、第6波と言われ、まだまだ予断が許せませんね。


しかし、日本の凄いと思われるのは、一歩外に出ると、マスク姿の風景が、今までと全く変わっていない というところです。


少し、前になりますが、オリンピックで、女性問題の発言で、大会のトップが辞任に、追い込まれ、海外でも大きく取り上げられる社会問題になりました。


そこで、出てきたワードは「わきまえる」でした。


今回のコロナの収束に向かった状況の中でも、海外では考えられないマスク生活での、これも、日本人の独特の「わきまえる」にも通じるのではと思った次第です。


「わきまえる」私はなぜか、年齢を重ねるに連れ、この言葉にj呪縛されて 育ってきたように思います。


何年か前に、「空気を読む」という言葉がはやりました。


どうも空気が読めないね、というと 大人になりきれていない。


そのような言葉で使われていたように思いますが、皆様はどのように解釈されましたか。


又、 流行語になりました忖度(そんたく)という言葉にも通じる意味あいのように感じます。



そもそも 「わきまえる」という意味を 私なりに解釈すると、自分の立場から、又相手の立場から、又、しきたりから、人間関係から、それぞれの立場から、してもいい事、してはいけないことの思惑(おもわく)と解釈しています。


日本社会では「このわきまえる」という言葉が大人になればなるほど、重要な人間関係を円滑にする言葉のようです。


良く 身の程をわきまえない愚か者とか言って、それが昂じると、上述のように解釈の見解により、更迭されたりします。


また、昔の武士の世界ではオーバーな表現をしますと、切腹もの、になりかねない事がおこったりする時がありますね。

日本人の持つ 奥ゆかしさに通じる言葉として、あげられるのではないかと思ったりしますが。


この「わきまえる」という、日本人の独特の和の精神が、世界に伍して今日存在してきたワード、と言えなくもないですが。


世界の中の日本を考えるとき、海外の個の精神における多様化、つまり,ダイバーシティの時代が叫ばれる現在、この「わきまえる」、つまり忖度する尺度で、世界での立ち位置はどうなるのか。


日本経済の成長、発展に、どのようにかかわってくるのか、影響するのか。

何か大きな話になりましたが、難しい言葉のように思いました。


さて、話は、秋に戻して、もう少し、昔の言葉にあります 食欲の秋、さわやかな秋、もの思う秋、心を清浄にさす秋、その秋が、ひと昔前の11月下旬まで続き、季節の風情(ふぜい)を感ることが出来ますように。

そして、12月の初旬に、冬到来の木枯らし一号が出ますように。

今回は「わきまえる」という AIでは到底、絶対受け入れがたい、理解し難い、素晴らしい 無限の日本人の持つ、脳の神秘な世界に通じる言葉を、つれづれなるままに紐解いてみました。



今回も最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。

                                  ご自愛専一に。


senba206 at 14:19│Comments(0)

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