2022年01月22日
賀状のゆくへ
こんにちは。
本年も宜しくお願い申し上げます。
正月は如何でしたか。
時代と共に、ビジネスマンにとっては少し長い心のくつろぎを覚える冬休みといったところなってきたように思いますが.。
皆様方はどう思われますか。
昨年も、年初に、書きましたが、正月の風物詩の年賀ハガキは、昨年は18億枚程だったそうですが、ピーク時の4割ほどに減って、毎年減り続けているとの事。
最近は、若者はメールとかSNSでの年賀の挨拶になり、又、年配層は何かと負担になるので、賀状を今年限りで止めたいという連絡が、私の方にも、年と共に増えてきました。
三昔前になりますが、賀状の来た枚数の数によって金融機関が、年賀の枚数がその人の信用のバラメータ―になるということで、その枚数により、お金の額を決めて、貸しますというコマーシャルを見たことがあります。
年賀状がそのような観点でとらまえていた懐かしい時代もあったのですね。
そういえば事務所の年賀の枚数の数に、その存在感の証として、今年は多いとか、少ないとかに、一喜一憂とまではいきませんが、その積み上げた賀状の高さに悦に入っていた時代が思い出されます。
私の自宅の方にも、300枚程頂いた時期があり、今は隔世の感ですが。
元旦の楽しみは、今年は何枚かなあとか、出していない人から頂くと、すぐに書いて、ポストに、投かんに行ったり、何日かして私が出したのに、先方は出されていないということがわかり、縁を切ろうとしているのかなあ、と悩ましい詮索をした時もあり、懐かしく蘇ってきます。
賀状に伴う話題で、二昔〜三昔前のことですが、虚礼廃止ということが、世間の話題になり、何名かの方から虚礼廃止で、今年で年賀を止めますという、年賀の最後通告ではありませんが 来た時代がありました。
当時の社会現状で納得もしたのですが、私としては、たった一枚の年賀ですが、何か、縁を絶たられようで、先方にはそんな深い考えではなかっように思うのですが、少し寂しい気持ちになった思い出があります。
しかし、其の後、数年たち、その中のお一人から、又、年賀状を再開することになりましたとご案内を頂きました。
その折の賀状の要約ですが、年毎に、年賀状の枚数が少なっていく事に、一抹の寂しさと、自分自身の存在が、世の中からなくなっていくようで、又年賀状を再開しますという内容でした。
その時はさりなんと思った時期がありました。
しかし、時代は変わり、最近は、どんどん、年賀状を今年限りでやめます。
長い間 有難うございましたという連絡が増えてきました。
人によりますと、フェースブックとか、その他の御縁で何らかの繋がりがある人は、いいのですが。
そうでない場合は、これで長いご縁がなくなり、どうか、お互いに元気で、と長いご縁を感謝して、一抹の寂しさを覚えたりする最近の一枚の年賀状です。
元旦は、年賀状で始まる世代で育ってきた私は 一枚の年賀で、その人の消息が分かり、暫し、その人との思い出を懐古する良い機会でもあるのかとも思いますが。
時代の変転で このデジタル化の急速な流れで、元旦の風物詩も追いやられていく時代になったように思う昨今です。
何となく、我々の時代の者は、時代の流れに、喘ぎながら どのように生きていくのかとの問題提議もされているのかなあと、いつもの大仰な見方を、年事に訃報の案内も増えるなか、少なくなくなる賀状の束をみて、感じ入る正月でした。
厳し寒さが続いています。
もう記事にはしたくないですが、オミクロンという新種のコロナが増殖しています。
どうぞ、ご自愛下さい。
本年もよろしく申し上げます。
最後までお付き合い有難うございました。
本年も宜しくお願い申し上げます。
正月は如何でしたか。
時代と共に、ビジネスマンにとっては少し長い心のくつろぎを覚える冬休みといったところなってきたように思いますが.。
皆様方はどう思われますか。
昨年も、年初に、書きましたが、正月の風物詩の年賀ハガキは、昨年は18億枚程だったそうですが、ピーク時の4割ほどに減って、毎年減り続けているとの事。
最近は、若者はメールとかSNSでの年賀の挨拶になり、又、年配層は何かと負担になるので、賀状を今年限りで止めたいという連絡が、私の方にも、年と共に増えてきました。
三昔前になりますが、賀状の来た枚数の数によって金融機関が、年賀の枚数がその人の信用のバラメータ―になるということで、その枚数により、お金の額を決めて、貸しますというコマーシャルを見たことがあります。
年賀状がそのような観点でとらまえていた懐かしい時代もあったのですね。
そういえば事務所の年賀の枚数の数に、その存在感の証として、今年は多いとか、少ないとかに、一喜一憂とまではいきませんが、その積み上げた賀状の高さに悦に入っていた時代が思い出されます。
私の自宅の方にも、300枚程頂いた時期があり、今は隔世の感ですが。
元旦の楽しみは、今年は何枚かなあとか、出していない人から頂くと、すぐに書いて、ポストに、投かんに行ったり、何日かして私が出したのに、先方は出されていないということがわかり、縁を切ろうとしているのかなあ、と悩ましい詮索をした時もあり、懐かしく蘇ってきます。
賀状に伴う話題で、二昔〜三昔前のことですが、虚礼廃止ということが、世間の話題になり、何名かの方から虚礼廃止で、今年で年賀を止めますという、年賀の最後通告ではありませんが 来た時代がありました。
当時の社会現状で納得もしたのですが、私としては、たった一枚の年賀ですが、何か、縁を絶たられようで、先方にはそんな深い考えではなかっように思うのですが、少し寂しい気持ちになった思い出があります。
しかし、其の後、数年たち、その中のお一人から、又、年賀状を再開することになりましたとご案内を頂きました。
その折の賀状の要約ですが、年毎に、年賀状の枚数が少なっていく事に、一抹の寂しさと、自分自身の存在が、世の中からなくなっていくようで、又年賀状を再開しますという内容でした。
その時はさりなんと思った時期がありました。
しかし、時代は変わり、最近は、どんどん、年賀状を今年限りでやめます。
長い間 有難うございましたという連絡が増えてきました。
人によりますと、フェースブックとか、その他の御縁で何らかの繋がりがある人は、いいのですが。
そうでない場合は、これで長いご縁がなくなり、どうか、お互いに元気で、と長いご縁を感謝して、一抹の寂しさを覚えたりする最近の一枚の年賀状です。
元旦は、年賀状で始まる世代で育ってきた私は 一枚の年賀で、その人の消息が分かり、暫し、その人との思い出を懐古する良い機会でもあるのかとも思いますが。
時代の変転で このデジタル化の急速な流れで、元旦の風物詩も追いやられていく時代になったように思う昨今です。
何となく、我々の時代の者は、時代の流れに、喘ぎながら どのように生きていくのかとの問題提議もされているのかなあと、いつもの大仰な見方を、年事に訃報の案内も増えるなか、少なくなくなる賀状の束をみて、感じ入る正月でした。
厳し寒さが続いています。
もう記事にはしたくないですが、オミクロンという新種のコロナが増殖しています。
どうぞ、ご自愛下さい。
本年もよろしく申し上げます。
最後までお付き合い有難うございました。
senba206 at 11:57│Comments(0)│