2022年05月22日
蜘蛛の糸
こんにちは。
ロシアとウクライナの戦争は、長期化の様相を呈してきましたね。
これからどうなるのか。
又、世界はどのように変転していくのか。
江戸時代の300年の悠久の年月は今の現在の1年であるといわれているほど、時代の変化はどうしようもない程、激しい潮流の中で、我々は生きている、生かされています。
しかし、人の心は千年不易と言われていますが、今回の戦争のきっかけを分析してみましても、人間の持つ、一言でいえば、エゴと、物欲で片付けられる、なにものもないと思われてなりません。
私は、今は忙しいと、かこつけて、 小説を余り読む機会がありませんが、芥川龍之介の小説の「蜘蛛の糸」は何か、私の心の片隅に残ります。
サムシンググレート、つまり神様が、こんなつもりで、地球を悠久の宇宙でたった一つのかけがいのない星にしたのではないと言われ、地球そのものの存在をなくされるのはと。。
そんな戯れ事(たわむれごと)を連想させる小説です。
ご存じの「蜘蛛の糸」の短編小説の筋書きを思いだすままに簡単に要約してみたいと思います。
蜘蛛の糸
お釈迦様が、ある日の朝、極楽の蓮の間から、見るともなく、下界の地獄を見ておられました。
そこで、一人のカンダタという名前の悪党が、他の罪人と血の地獄でうごめいている姿が見えました。
お釈迦様は、そうだこの罪人のカンダタは、確か、昔、道を歩いている時に、一匹の蟻が道をまたごうとしているのをみて、踏み殺そうとしました。が、しかし、一瞬慈悲心が沸き起こり、踏み殺すのやめ、またいで通った経緯を思いだしました。
よし、カンダタを地獄から、天国に上げてやろうと思いつきました。
そして,そして血の底の地獄で、うごめく、カンダタの前に一本の蜘蛛の糸を吊るしました。
カンダタは、シメタ、この糸をたぐっていけば、頭上にかすかに見える天国に行けると、その糸をたぐり寄せ、天上に向かって登り始めました。
相当、登ったところで、大変疲れましたので、休憩をしようとして、フト、下を見ました。
どうでしょう、その蜘蛛の今でも切れそうな糸に、地の底の罪人達が我も我もと昇ってくるではありませんか。
カンダタは、思わず下から登ってくる罪人達に 叫びました。
「コラ、お前たちは、俺様の糸に、だれの許しを得て昇つてきたのか、今すぐ降りろ」と言って、糸を激しくゆすりました。
突然、蜘蛛の糸はカンダタの上からぷっつりと切れ、罪人共々、又,血の地獄に落ちていきました。
お釈迦様は 一部始終この光景を見てみておられ、何とも言えない、悲しいお気持ちにかられ、その場を立ち去られました。
極楽は何事もなかったように、花の甘い蜜が匂う、のどかな、春の昼下がりの時を刻んでいました。
(完)
私の思いの詩的センスのない拡大解釈ですが、確か,このような筋書きではなかったかと思います。
この「蜘蛛の糸」の小説は多くの示唆に富んだ内容で 今のウクライナ戦争にも、又、世界の現状を垣間見ても、かんがえさせれる課題のように思います。
仏様の精神であります他利、自利を。
人生の生きていく教訓にしたいものだと、思います。
暫くしますと、梅雨の時期に入りますね。是非日本の素晴らしい四季の営みの梅雨がやって来ますように。
今回も最後まで、まとめきれていない、問題にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
ロシアとウクライナの戦争は、長期化の様相を呈してきましたね。
これからどうなるのか。
又、世界はどのように変転していくのか。
江戸時代の300年の悠久の年月は今の現在の1年であるといわれているほど、時代の変化はどうしようもない程、激しい潮流の中で、我々は生きている、生かされています。
しかし、人の心は千年不易と言われていますが、今回の戦争のきっかけを分析してみましても、人間の持つ、一言でいえば、エゴと、物欲で片付けられる、なにものもないと思われてなりません。
私は、今は忙しいと、かこつけて、 小説を余り読む機会がありませんが、芥川龍之介の小説の「蜘蛛の糸」は何か、私の心の片隅に残ります。
サムシンググレート、つまり神様が、こんなつもりで、地球を悠久の宇宙でたった一つのかけがいのない星にしたのではないと言われ、地球そのものの存在をなくされるのはと。。
そんな戯れ事(たわむれごと)を連想させる小説です。
ご存じの「蜘蛛の糸」の短編小説の筋書きを思いだすままに簡単に要約してみたいと思います。
蜘蛛の糸
お釈迦様が、ある日の朝、極楽の蓮の間から、見るともなく、下界の地獄を見ておられました。
そこで、一人のカンダタという名前の悪党が、他の罪人と血の地獄でうごめいている姿が見えました。
お釈迦様は、そうだこの罪人のカンダタは、確か、昔、道を歩いている時に、一匹の蟻が道をまたごうとしているのをみて、踏み殺そうとしました。が、しかし、一瞬慈悲心が沸き起こり、踏み殺すのやめ、またいで通った経緯を思いだしました。
よし、カンダタを地獄から、天国に上げてやろうと思いつきました。
そして,そして血の底の地獄で、うごめく、カンダタの前に一本の蜘蛛の糸を吊るしました。
カンダタは、シメタ、この糸をたぐっていけば、頭上にかすかに見える天国に行けると、その糸をたぐり寄せ、天上に向かって登り始めました。
相当、登ったところで、大変疲れましたので、休憩をしようとして、フト、下を見ました。
どうでしょう、その蜘蛛の今でも切れそうな糸に、地の底の罪人達が我も我もと昇ってくるではありませんか。
カンダタは、思わず下から登ってくる罪人達に 叫びました。
「コラ、お前たちは、俺様の糸に、だれの許しを得て昇つてきたのか、今すぐ降りろ」と言って、糸を激しくゆすりました。
突然、蜘蛛の糸はカンダタの上からぷっつりと切れ、罪人共々、又,血の地獄に落ちていきました。
お釈迦様は 一部始終この光景を見てみておられ、何とも言えない、悲しいお気持ちにかられ、その場を立ち去られました。
極楽は何事もなかったように、花の甘い蜜が匂う、のどかな、春の昼下がりの時を刻んでいました。
(完)
私の思いの詩的センスのない拡大解釈ですが、確か,このような筋書きではなかったかと思います。
この「蜘蛛の糸」の小説は多くの示唆に富んだ内容で 今のウクライナ戦争にも、又、世界の現状を垣間見ても、かんがえさせれる課題のように思います。
仏様の精神であります他利、自利を。
人生の生きていく教訓にしたいものだと、思います。
暫くしますと、梅雨の時期に入りますね。是非日本の素晴らしい四季の営みの梅雨がやって来ますように。
今回も最後まで、まとめきれていない、問題にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
senba206 at 13:27│Comments(0)│