2022年06月29日

一人ぼっちの入院

こんにちは。

26日から4度目の入院で北野病院に来ています。

一回目は40数年前で、盲腸をこじらせ、死の寸前まで行き、母の無私の愛で、30日程の入院と、その前後して、2週間程、外科で、そして、5年前、内科でこの北野病院で1週間ほど入院した経緯があります。


こうして11階の病室から、遠くの生駒山脈の眺望を見ながら、新たな人生を振り返る機会になったように思うと同時に健康の有難さを、又、痛切に感じています。


年齢的なメンテナンス(語彙に少し語弊がありますが)と思っていましたが、若い若いと思っていましても,歳は歳ですね。


27日、月曜日に手術をしまして、さすがこの二日間は思ったよりしんどかっですね。


今回はコロナで、付き添いはダメで、家内に病院の玄関まで一緒に来て、後は一人になりました。


40数年前の2回の入院は、独身の時で、今は亡き母が毎日付き添いで見舞いに来てくれ、5年前の入院は娘、孫、親戚関係、仕事関係と連日お見舞いに来ていただいて、病は気からではないですが、手術後の経過等、全く構っておられなかっように思います。

今回は一人で手術室に行き、目が覚めた時は朦朧とした中で、一人で病室に寝ていました。


5年前は、部屋に戻った時に、孫3人のおぼろげの中で、顔を覗き込んでいる姿に思わず、落涙した事が思い出されます。


独りぼっちということで、いつものように大げさですが、少し、前の出来事ですが、堀江謙一さんの83歳の世界の最高齢のヨットの太平洋横断が思い出されます.。


航海69日総距離8700キロを一人で、横断する。


その精神力は文章にするにもはばかれますが。


こうして一人になると、人間は弱い動物で、決して、一人ではなく、人間関係をはぶくみながら、人間は生きているのだなと痛感します。


そういう中での、堀江さんは、無線交信はあったにせよ、一人で、それも、年齢からも、命をかけた、冒険にただただおののくだけです。


私は仕事の関係で、最初の60年前の太平洋横断をされたときに、その後、堀江さんの人となりも含め、よくその折の冒険談の講演をお願いしており、比較的懇意にさせていただいていました。


私の60歳の還暦の会の発起人にもなっていただくそんなご縁でもありました。


6月5日西宮ヨットハーバーに戻れた時に、是非挨拶がしたくて、ヨットハーバーまで、お出迎えに行きました。

さすが堀江さんの人柄もあり、心から無事帰国を歓迎される多くの出迎者で一杯でした。


無事帰国の挨拶で、失礼ですが、堀江さんのとらわれない、こだわらない、偏らない洒脱な自由闊達な人柄で、「私は今が青春真っただ中で、大器晩成人間です。これからです。今後共よろしくお願いします」

とユーモアたっぷりに挨拶され、爆笑の渦が湧いていました。

50年前 仕事でアメリカに行ったとき、アメリカ人は冒険家をヒーローとみなして、尊敬崇拝し、大変歓迎する国民性があります。


その折のマーメイド号が、アメリカのサンフランシスコのヨットハーバーで展示されていましたが、こんな小さなヨットでよくもひとりで太平洋を横断したなあと正直,感嘆した、思い出があります。


帰国挨拶の後、記者会見で、会見場に行かれる道中に、人込みをかき分け、おもわず「長い道中 お疲れ様でした。」と声をかけさせていただきました。


当時、石原裕次郎さんの主演の「太平洋独りぼっち」の映画も見ました。(ここだけの話ですが身長の差が、ご本人と全く違うなと、思った記憶があります)


今回は、一人での入院体験の中で、堀江さんの太平洋独りぼっちが浮かんで来ました。


こうして病院で臥せていますと、健康がどれだけ大切かと、又、昼夜を問わず、渾身的な、ナースさん主術医先生のお世話の有難さが、感謝が、今回も身に沁みます。


下界に出ますと、又暫くして忘れてしまうのではと思ったりしますが、年齢的にいつどうなってもという歳ですので、今回の教訓を活かし、健康でピンピンコロリ(ppk)といきたいものです。


外は、連日猛暑の話題で一杯ですね。渇水の事も心配ですね。



お互いに健康管理には充分留意したい季節でもあります。


今回は11階の病室の窓からビル群を、そして、生駒山脈の峰々を眺めながらのブログになりました。


最後までお付き合い、誠に有難うございました。




senba206 at 11:48│Comments(0)

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