2022年08月21日
気骨
こんにちは、
夏季休暇(盆休み)は如何でしたか。
私の方は、3年ぶりになるか、娘の家族(孫3人。男ばかり,高一。中一、小2)と家内と、伊勢方面に一泊で行ってきました。
通例、毎年正月休みと、盆休みは、どこかに行っていました。
コロナが増加している中で、娘も、旅行については、悩んでいましたが、私の押しもあり、また孫達もと思い、敢行しました。
結果は思い切って行って、家族の心のふれあいによる交流が、久しぶり出来て、楽しい思い出に残る「盆休み」になりました。
皆さまはどうように過ごされましたか。
さて、去る11日に世界で活躍したファッションデザイナーの森英恵さんが亡くなられましたね。
センスのない昭和生まれの 無骨な時代を過ごした私です。
世界で活躍する森英恵さんの名前は、日本人の誇りとして良く知っていました。
男物も,ハナエのブランド物として、高価な商品でした。
ただ お名前は世界のファッションデザイナーとして、存じていましたが、センスのない私ですので、名前ぐらいでした。
亡くなれらた事で 各マスコミの追悼報道番組をみて、私自身も大変感じ入る言葉がありました。
森英恵さんの過去のインタビューの中で「あなたは、世界のファッション界をリードする立場になられた秘訣は、経緯は何ですか。」というような質問がありました。
森英恵さんは、昭和40年(1965年)の40歳の時にニューヨークで初の海外コレクションを発表されています。
逆算すると、森さんが 初めて、ファッションデザイナーを目指してアメリカに渡航されたのは、昭和30年代の日本がまだまだ、戦後の貧困の混乱の時期と思います。
「雑貨店で日本の衣服類が、メイドインジャパンとして、安かろう、悪かろうで、廉価な費用で二束三文で、店頭に雑に売られている状況を見て、日本人として、大変な恥ずかしさと、情けなさ、屈辱感を味わいました。
その時の秘めたる、反骨の気骨に溢れたエネルギーが、今日ある原点です。」とコメントされていました。
実は、私自身も2回目の海外渡航はアメリカで、フオード、クライスラー等を含め、アメリカの先端技術を学ぶ視察でした。
26歳の時、森さんが初めてアメリカに行かれて 遅れる事、10年〜15年あとでした。
昭和46年(1971年)の事で、1ドルが360円の固定相場の時代でした。
ドルの持ち出しに制限があり、200ドルで、日本円で換算して約7万円ほどでした。
ある意味では、戦争に敗れ、日本が世界に追いつけ、追い越せと、一億人が、がむしゃらに突き進んだ復興の途上の時代であったと言えます。
私が見た風景は
お土産物屋で、安い廉価な商品はほとんどメイドインジャパンでした。
日本はこんなところまで頑張っているなあ、との熱い思いと、「今に日本は」そんな複雑な感情を持った視察でした。
英語の勉強と思い、シカゴで休日の折、一人で映画館に入りました。
映画の筋書きは忘れるよりは、理解できませんでしたが、忘れもしません。
船の場面でした。
何か船内でいざこざがあり、何かの拍子で、船員が船室のドアを持ちました。
そうすると船室のドアが外れました。
私のつたない英語のヒヤリング能力ですが、「メイドインジャパン」と叫んでアメリカ人がドアの取っ手をもって倒れました。
映画を見ていたアメリカ人がその風景を見て、嘲笑してどっと笑いました。
日本製品は粗悪品の代名詞として、アメリカでは有名だったんですね。
私は、その時屈辱感で思わず席を立ち、退出しょうと思いましたが、席を立つ勇気もなく最後まで、見るともなくただ黙して座っていた思い出がかぶります。
今に見ておれ。そんな気持ちを持った50年前でした。
当時は、日本はまだまだ、貧しい劣等国と位置付けられていました。
森英恵さんが、今日ある好奇心、チャレンジ精神は、その時の二束三文に積み上げられ衣類だったというお話に、私自身の億万分の一の取るに足らない経験から、大変共感したインタビューでした。
また、森英恵さんは、このような内容のお話もされていました。
アメリカを旅行中に見たオペラの蝶々夫人の扱い方にも、日本人として全く怒りを覚え 、常に日の丸を横に掲げ、今日の 今の私のエネルギーになっています。
というコメントもされていました。
やはりどのような世界でもあれ、いきどおりとか、気骨、反骨精神が心の中に、バックボーンとしてないと、大成しないのでは、幸せにならないのでは。
そんなことを、思ったったインタビューでした。
森英恵さんの追悼報道番組をみて、私のアメリカでの実体験と照らし併せ、単なる、私のように、ゴマめの歯ぎしりに終わらない気骨に、感じ入った次第です。
今回も、いつもの大仰な文章になりました。
まだまだ、コロナは、日常化して今後も続くと思われます。
残暑が続きます。
どうぞ、ご自愛下さい。
今回も最後までお付き合い頂きまして誠に有難うございました。
夏季休暇(盆休み)は如何でしたか。
私の方は、3年ぶりになるか、娘の家族(孫3人。男ばかり,高一。中一、小2)と家内と、伊勢方面に一泊で行ってきました。
通例、毎年正月休みと、盆休みは、どこかに行っていました。
コロナが増加している中で、娘も、旅行については、悩んでいましたが、私の押しもあり、また孫達もと思い、敢行しました。
結果は思い切って行って、家族の心のふれあいによる交流が、久しぶり出来て、楽しい思い出に残る「盆休み」になりました。
皆さまはどうように過ごされましたか。
さて、去る11日に世界で活躍したファッションデザイナーの森英恵さんが亡くなられましたね。
センスのない昭和生まれの 無骨な時代を過ごした私です。
世界で活躍する森英恵さんの名前は、日本人の誇りとして良く知っていました。
男物も,ハナエのブランド物として、高価な商品でした。
ただ お名前は世界のファッションデザイナーとして、存じていましたが、センスのない私ですので、名前ぐらいでした。
亡くなれらた事で 各マスコミの追悼報道番組をみて、私自身も大変感じ入る言葉がありました。
森英恵さんの過去のインタビューの中で「あなたは、世界のファッション界をリードする立場になられた秘訣は、経緯は何ですか。」というような質問がありました。
森英恵さんは、昭和40年(1965年)の40歳の時にニューヨークで初の海外コレクションを発表されています。
逆算すると、森さんが 初めて、ファッションデザイナーを目指してアメリカに渡航されたのは、昭和30年代の日本がまだまだ、戦後の貧困の混乱の時期と思います。
「雑貨店で日本の衣服類が、メイドインジャパンとして、安かろう、悪かろうで、廉価な費用で二束三文で、店頭に雑に売られている状況を見て、日本人として、大変な恥ずかしさと、情けなさ、屈辱感を味わいました。
その時の秘めたる、反骨の気骨に溢れたエネルギーが、今日ある原点です。」とコメントされていました。
実は、私自身も2回目の海外渡航はアメリカで、フオード、クライスラー等を含め、アメリカの先端技術を学ぶ視察でした。
26歳の時、森さんが初めてアメリカに行かれて 遅れる事、10年〜15年あとでした。
昭和46年(1971年)の事で、1ドルが360円の固定相場の時代でした。
ドルの持ち出しに制限があり、200ドルで、日本円で換算して約7万円ほどでした。
ある意味では、戦争に敗れ、日本が世界に追いつけ、追い越せと、一億人が、がむしゃらに突き進んだ復興の途上の時代であったと言えます。
私が見た風景は
お土産物屋で、安い廉価な商品はほとんどメイドインジャパンでした。
日本はこんなところまで頑張っているなあ、との熱い思いと、「今に日本は」そんな複雑な感情を持った視察でした。
英語の勉強と思い、シカゴで休日の折、一人で映画館に入りました。
映画の筋書きは忘れるよりは、理解できませんでしたが、忘れもしません。
船の場面でした。
何か船内でいざこざがあり、何かの拍子で、船員が船室のドアを持ちました。
そうすると船室のドアが外れました。
私のつたない英語のヒヤリング能力ですが、「メイドインジャパン」と叫んでアメリカ人がドアの取っ手をもって倒れました。
映画を見ていたアメリカ人がその風景を見て、嘲笑してどっと笑いました。
日本製品は粗悪品の代名詞として、アメリカでは有名だったんですね。
私は、その時屈辱感で思わず席を立ち、退出しょうと思いましたが、席を立つ勇気もなく最後まで、見るともなくただ黙して座っていた思い出がかぶります。
今に見ておれ。そんな気持ちを持った50年前でした。
当時は、日本はまだまだ、貧しい劣等国と位置付けられていました。
森英恵さんが、今日ある好奇心、チャレンジ精神は、その時の二束三文に積み上げられ衣類だったというお話に、私自身の億万分の一の取るに足らない経験から、大変共感したインタビューでした。
また、森英恵さんは、このような内容のお話もされていました。
アメリカを旅行中に見たオペラの蝶々夫人の扱い方にも、日本人として全く怒りを覚え 、常に日の丸を横に掲げ、今日の 今の私のエネルギーになっています。
というコメントもされていました。
やはりどのような世界でもあれ、いきどおりとか、気骨、反骨精神が心の中に、バックボーンとしてないと、大成しないのでは、幸せにならないのでは。
そんなことを、思ったったインタビューでした。
森英恵さんの追悼報道番組をみて、私のアメリカでの実体験と照らし併せ、単なる、私のように、ゴマめの歯ぎしりに終わらない気骨に、感じ入った次第です。
今回も、いつもの大仰な文章になりました。
まだまだ、コロナは、日常化して今後も続くと思われます。
残暑が続きます。
どうぞ、ご自愛下さい。
今回も最後までお付き合い頂きまして誠に有難うございました。
senba206 at 10:31│Comments(0)│