2023年01月09日
時代のうつろい
おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、お正月は如何でしたか。
年を追うごとに正月の風景は薄らいでいきますね。
数十年昔は、化石のような話になりますが、各家に正月は 日の丸が掲揚され、昔の家には必ず、日章旗を立てる ポールの筒がありました。
実家も、又、我が家も、ポールがあり、正月には国旗を掲揚していました。
しかし、いつの時代からか、日の丸を掲げる家が、一軒づつなくなり、今は皆無と言っていい程、見当らなくなりましたね。
その清楚な日の丸が、正月が来たことを告げ、幼心をワクワクさせた思い出が蘇ってきます。
昔は、全ての家の玄関に飾ってあった、しめ縄とか門松等も、近所をそれとなく見て回りましたが、10軒に1件ぐらいの割合かなと思います。
鏡餅とか、正月用雑煮等、正月の風物詩がどんどん影を潜めていきます。
ただ、お年玉だけは、正月の風習として、残っているようで、各家庭の祖父母、ご両親、親戚関係は、年々、お年玉の相場の金額が上がっていくようで、我が家も同じですが その相場感で、頭が痛いところです。
こうして懐古してみますと、まだ、たかだか数十年前ですが、正月には、女の子は晴れ着をきて、又男の子は 正月用の新品の服を着て、表で羽根つきとか、ベーゴマ、凧あげ。
家の中では、トランプ、双六遊び等。
どんどん、アッと言う間に、時代は変わって行きます。
そして、話は転じて、IT分野でも、地球規模で、世界・日本を大きく巻き込みながら、全産業、全業種で加速度的に、日進月歩急激に変転していきます。
私は、比較的まだ現役として生活しており、、スタッフに、娘に、孫に、情報機器の操作を手取り、足取り教えて貰いながら なんとか今日に至っています。
しかし、こう急速に全ての社会に、IT化が進んでくると、高齢者は、ストレスの塊になるのではと、正月の風景の変容を見ても思う年初でした。
さて、そのIT化の件ですが、最近はレストランに行きましても、加速度的にボードとやらで、注文するようになってきていますね。
最初は、何か味気なく、情の入る余地もなく、全くなじめず、娘の家族と一緒の時は、娘が、孫が、替わりにボードで注文して貰っていました。
一人の時は、意固地になって、仕事柄が頭をもたげてきまして、、真の接遇とは.真のサービスとはと。
このようなことでは 人の心は、無味乾燥になると、理屈をこねて 案内の方を呼んで注文していました。
しかし、昨年末に梅田の比較的グレードの高いホテルのレストランで家族と食事をしたとき、ボードがテーブルにおいてあり、そのボードで注文してほしいとの事。
娘等、孫は、何の違和感もなく、そのボードで注文していました。
私は、一流のレストランが、と言葉を失い、サービス業そのものも変容し、もう時代はそこまで来ているのかと。
そして「おもてなしの心は一体」と、愕然とした次第です。
時代は、目まぐるしく、移ろい、変転しています。
時代に呼応して、川は大きく流れています。
その時代の川の流れに、好むと好まざるに関係なく、又、あがなうことは当然できず、沿いながら、これからの人生を、禅の教えである、とらわれない、こだわらない、かたよらない、と、たおやかな気持ちで 過ごしていかないと。
今年から始まった大河ドラマのテーマではないですが、「晩節の今、、どうする碩志」(私の名前でみつゆきと読みます)
いつもの、大げさな,少し悲哀を感じた、正月の風物詩から、世の中の流れをこじつけて、連想してみました。
このあいだ、ひとりでレストランに入った時、ボードに向かって、何の違和感も感じず、操作して註文している自分がいました。(笑)
ダウインの進化論ではないですが、いつの時代においても、強いものが生き残ったのではなく、変化に対応したものが、生き残ったとの説。
この意味あいを噛みしめて。
今年も、年初から最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
本年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、お正月は如何でしたか。
年を追うごとに正月の風景は薄らいでいきますね。
数十年昔は、化石のような話になりますが、各家に正月は 日の丸が掲揚され、昔の家には必ず、日章旗を立てる ポールの筒がありました。
実家も、又、我が家も、ポールがあり、正月には国旗を掲揚していました。
しかし、いつの時代からか、日の丸を掲げる家が、一軒づつなくなり、今は皆無と言っていい程、見当らなくなりましたね。
その清楚な日の丸が、正月が来たことを告げ、幼心をワクワクさせた思い出が蘇ってきます。
昔は、全ての家の玄関に飾ってあった、しめ縄とか門松等も、近所をそれとなく見て回りましたが、10軒に1件ぐらいの割合かなと思います。
鏡餅とか、正月用雑煮等、正月の風物詩がどんどん影を潜めていきます。
ただ、お年玉だけは、正月の風習として、残っているようで、各家庭の祖父母、ご両親、親戚関係は、年々、お年玉の相場の金額が上がっていくようで、我が家も同じですが その相場感で、頭が痛いところです。
こうして懐古してみますと、まだ、たかだか数十年前ですが、正月には、女の子は晴れ着をきて、又男の子は 正月用の新品の服を着て、表で羽根つきとか、ベーゴマ、凧あげ。
家の中では、トランプ、双六遊び等。
どんどん、アッと言う間に、時代は変わって行きます。
そして、話は転じて、IT分野でも、地球規模で、世界・日本を大きく巻き込みながら、全産業、全業種で加速度的に、日進月歩急激に変転していきます。
私は、比較的まだ現役として生活しており、、スタッフに、娘に、孫に、情報機器の操作を手取り、足取り教えて貰いながら なんとか今日に至っています。
しかし、こう急速に全ての社会に、IT化が進んでくると、高齢者は、ストレスの塊になるのではと、正月の風景の変容を見ても思う年初でした。
さて、そのIT化の件ですが、最近はレストランに行きましても、加速度的にボードとやらで、注文するようになってきていますね。
最初は、何か味気なく、情の入る余地もなく、全くなじめず、娘の家族と一緒の時は、娘が、孫が、替わりにボードで注文して貰っていました。
一人の時は、意固地になって、仕事柄が頭をもたげてきまして、、真の接遇とは.真のサービスとはと。
このようなことでは 人の心は、無味乾燥になると、理屈をこねて 案内の方を呼んで注文していました。
しかし、昨年末に梅田の比較的グレードの高いホテルのレストランで家族と食事をしたとき、ボードがテーブルにおいてあり、そのボードで注文してほしいとの事。
娘等、孫は、何の違和感もなく、そのボードで注文していました。
私は、一流のレストランが、と言葉を失い、サービス業そのものも変容し、もう時代はそこまで来ているのかと。
そして「おもてなしの心は一体」と、愕然とした次第です。
時代は、目まぐるしく、移ろい、変転しています。
時代に呼応して、川は大きく流れています。
その時代の川の流れに、好むと好まざるに関係なく、又、あがなうことは当然できず、沿いながら、これからの人生を、禅の教えである、とらわれない、こだわらない、かたよらない、と、たおやかな気持ちで 過ごしていかないと。
今年から始まった大河ドラマのテーマではないですが、「晩節の今、、どうする碩志」(私の名前でみつゆきと読みます)
いつもの、大げさな,少し悲哀を感じた、正月の風物詩から、世の中の流れをこじつけて、連想してみました。
このあいだ、ひとりでレストランに入った時、ボードに向かって、何の違和感も感じず、操作して註文している自分がいました。(笑)
ダウインの進化論ではないですが、いつの時代においても、強いものが生き残ったのではなく、変化に対応したものが、生き残ったとの説。
この意味あいを噛みしめて。
今年も、年初から最後までお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
本年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。
senba206 at 21:19│Comments(0)│