2023年02月23日

人生はドラマである

こんばんわ


今年も、アッと言う間に、2月ももう終わりますね。

歳を重ねるにつれて、最近切に身体で実感します。

地球温暖化が叫ばれて久しいですが、今年は例年になく厳しい寒さが続いています。

何度か述べていますが、私の持論で、冬は冬らしく、春は春らしく、夏は夏らしく、秋は秋らしく、世界に例のない、日本の素晴らしい自然をはぐくんできた春夏秋冬を、是非、いつまでもサムシンググレート(神様)にお願いしたい気持ちで一杯です。



さて、先週は厳しい寒さの中、40余年わたって進めています、禅の精神(素直・自省・謙虚・奉仕・感謝)を取り入れた合宿研修会を、当協会の専門道場の京都宇治の心華寺で開催しました。


ウイズコロナ下ではありますが、ここ3年間、コロナ対策の一環として、参加人数を徹底的に絞り込み進めてきました。



このコロナ下で、研修生と寝食を共にして、今回も感じました事は、万物の霊長と言われています人間は、やはりスキンシップによる、人間的心のふれあいが 益々重要であると、更に強く痛感した次第です。



ウイズコロナ下の中、人間のみ持つ、心の安寧、幸せと 心の拠り所が、益々、問われているのではないかと。


私は、お寺では、今は校長先生、塾長として、二日間の研修の中で、入山式(寺は別名で山と言います)の折の話と、2講座と、最後の下山式(出発式と銘しています)での「旅立ちの一言」として、お話をさせていただき、後は気鋭のベテランのトレーナーが二日間指導しています。




今回のブロブは、その研修の最後の「旅立ちの一言」でお話させていただいています内容を、要約して述べてみたいと思います。


「人生はドラマである。」



テレビとか映画で譬えるとドラマの作成については、シナリオ(脚本)、監督、主役と、それぞれの役割、人を立てて、制作して、仕上げていきます。

それを、一人でドラマを作成し、映画をつくる。そして、主役として、演じる。という意味です。

つまり、「人生はドラマ」ということです。


「人生はドラマ」の第1義は、自分自身、自らこの歩んで行く人生を、どのように生きて行くか、自らシナリオを描かなければならないという事です。


当然、ご両親とか、その他、何かと助言をいただいたとしも、自分で自分の人生のシナリオ(脚本)を書かなけらばなりません。


切ないですが誰も、自分の人生のシナリオを書いてくれません。


なぜならば、この人生は自分の人生だからです。


このところをしっかりと把握、掌握、理解していないと、自分の人生を他に転嫁して、こうなったのも、他人のセイである、社会のセイである、環境のセイであると、常に自己弁護して、折角ご先祖、ご両親から頂いた、尊い人生を、他人任せに無為に人生を送ってしまうという、悲しいことになってしまいます。


「人生はドラマ」の第2義は、人生の監督を、自分自身と、常にもう一人の自分が務めます。(2人称の法則)


このもう一人の、常に自分を冷静に、客感的に、見ている自分が、重要です。


この監督(自分)は、人生を歩んで行く上で、非常に大切な役割を果たします。


そして「人生はドラマ」の第3義です。


この人生は自分が主人公、主役です。決して他人ではありません。


つまり、この人生はお釈迦様の言われる「自因自果・じいんじか」(つまり、つらい事ですが全ての原因、結果は、自分がまいた種)ということです。



「人生はドラマ」です。


どうぞ、この自分の人生を、自分で素晴らしいシナリオ(人生脚本)を作り、自分で監督を務め、そして、自分で人生の、主役、主人公として、演じていく、生きていく。


このような話を、研修の最後の「旅立ちの一言」として、禅の精神の中から、お話させて頂いています。


二日間の寝食をともにしての研修生との実践学習により、ある程度の体解したなかでの一言としての纏めですので、「人生はドラマ」の意味合いを、研修生としては、よりご理解頂いているのではと、自画自賛している次第です。(笑)


今回は、先週厳しい寒さの中で、幹部社員対象の合宿研修会の折の、研修の最後の纏の「旅立ちの一言」として「人生はドラマ」と題して、お話させていただいた事を述べてみました。



三寒四温を経ながら、春に向かっていきます。



森羅万象に感謝して、今回も最後まで 拙い思いにお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。


お身体ご自愛下さい。





senba206 at 21:13│Comments(0)

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