2023年09月30日

体育祭の郷愁

おはようございます。


9月も今日で終わりますが、やっとと、言えばよいのか、少し、朝晩がという感じで、まだまだ日中は残暑という気候ですね。


こうも続くと、今まで、夏バテなど、あまり感じたことがないような気持ちですが、さすが、疲れがどんよりと、どっと、感じる今年の一応、初秋といったところです。



先日、二番目の孫の中学の体育祭があるというので、行ってきました。


確か、私の中学時代の遠い遠い、かすかな思い出ですが、父兄の方は、見に来ておられたかなと、記憶が定かではないのですが。



孫が三人いますので、幼稚園、小学校、の運動会は何回も、見に行っているのですが。中学校の体育祭は初めでした。


私のセピヤ色の時代の中学時代の体育祭と どのような変転があるのか、正直興味がありました。


娘には、父兄が言ってもいいのかとか、他の父兄は来ておられるかと確認しながらの姫路行きでした。


思ったより多くの父兄がきておられ、最近の教育の一旦を垣間見ました。


競技は、私の時代とは、様変わりして、リレー中心のプログラムで、構成されていました。


コロナの事もあり、練習もままならず、集団の演武は、当然、限られているのではないかと、感じた次第です。



私の時代の 体育祭の時の校内に流れる音楽は、戦争が終わって、まだ、10数年でしたので、流れる音楽は、今の、音楽と全く違って、大変、勇ましい競技マーチが、軍艦マーチが、一日中、なり続け、嫌が上でも、高揚心を掻き立てられた記憶が浮かんできます。


競技の主役は、今もあまりその点は変わらないと思いますが、私の時も、各組対抗のリレーが花形でした。


そのリレーで、今、もって忘れられない記憶が、鮮明に、浮かんで来ました。


全く、身内も信じられないと思いますが。
一クラス、当時は、人数が多く、40名〜50名ぐらいではなかったかと思います。


各クラスから、4名選出され、私は4人の一人に選ばれたリレーの選手でした。



当時は、自慢話ですが、少し、勉強が出来る事も暗黙の内で、リレー選手のクラスの推薦の条件であったように思います。


忘れもしません。三年生の時です。


三年生で、6組ある中、私は4組でした。


私は最後のアンカーでした。


3人目の走者が、バトンタッチミスでバトンを落としました。


その時、、私の組は何位で走っていたのか、記憶は定かではないですが、当然 バトンを落としましたので、6組の中で最下位になりました。


私の負けん気の性格です。



何とか、少しでも取り返そうと、そして、1位になる。

そんな、気持ちで、めげずに、全力で本当に必死に走りました。


今でも脳裏に浮かんできます。


全校生が、私が走る姿に、私が走れないぐらいに、白線の中に、入ってきて応援を受けました。


当然、最下位でゴールをしたと思います。


なぜか、その時の全校生の応援の中で、走り抜けている自分の姿が、フラッシュバックして、時間が止まったような、全く無音の静寂の中で、時空を超えて、走っている自分の姿が、浮かんで来ました。(全校生徒の大声援のなかでの力走ですが)


後日談で、はたまた、自慢話で、その時の光景を、先生から「最後まで、どのような結果あれ、全力で頑張る。


これが大切な事で、だから、全校生に、感動を覚え、応援に掻き立てられたのだ」。


そのような趣旨の話が、生徒にあり、この間のリレーを観戦して、かすかな懐かしい思い出としてよみがえり、郷愁を呼ぶ1日でもありました。



体育祭のテーマが、「素直にがんばる。」


スローガンとして、「素直が一番、明るく、楽しく、前向きに」と、大きく校舎に掲げられていました。


我々が50年余と進めている研修理念と、全く相通じる「こころ」であり、意を強くし、少し、オーバーですが、日本の将来は、安泰であると、ホッとする時間にもなりました。



まだまだ、日中は残暑と言いますか、厳しい環境です。



一か月、夏がずれ込んでいるようです。


どうぞご自愛専一に。


今回も私事の自慢話にお付き合い頂きまして誠に有難うございました。





senba206 at 08:37│Comments(0)

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