2023年12月28日
赤穂義士祭
こんにちは、
毎年 12月の折の心の応援歌の冒頭の挨拶は、光陰矢の如し、月日の経つのは、早いですね。から始まります。
今年も残すところ4日になりました。
皆様は、今年の一年は如何でしたか。
さて、この間の12月14日ですが、赤穂市で第120回を数える忠臣蔵として有名な 『赤穂義士祭」の催しがありました。
皆様は忠臣蔵をご存じでしょうか。
当然、知っているものばかりと思っていましたが、最近の若者は歴史が好きな人は別にして、知らない人が多いと聞いて、愕然としました。
知らないと言えば、日本がアメリカと戦って敗戦したことも、知らないと言う若者がいるとかも、聞きますが。(信憑性はどうか)
実は、今から10数年前ですが、娘が姫路に住んでいまして、娘の家に家内と一緒に、何泊かした時です。
どこか、ドライブでもとなって、娘婿の運転で、娘と、孫と、赤穂方面に一日で、車で案内してもらった事があります。
その折、赤穂市にある大石神社、赤穂城、資料館等、案内してもらいました。
1702年、元禄14年、12月14日江戸城松の廊下での、浅野内匠頭の、吉良上野介に対する人情沙汰になった事件です。
そして、翌年の、元禄15年12月14日に、艱難辛苦を経て 見事、討ち入りを果たしたという史実です。
その14日を記念して、「赤穂浪士祭」があるとの事。
四十七人の赤穂浪士が、討ち入り当時の衣装を纏って赤穂市中を練り歩くとの事。
その事があって、是非12月14日の「赤穂義士祭」に行きたいと思っていました。
その間、何回か見に行きたいと、計画したのですが、中々仕事が入って、失念していました。
今年は、はからずも「赤穂義士祭」の催しに行く事が出来、姫路の娘の家に前泊して、今回も娘婿の運転で、念願の「赤穂義士祭」に行く事ができました。
私の幼少の頃は、正月となると、毎年、忠臣蔵の映画で持ち切りで した。
それほど、何か日本人の琴線に触れる出来事であったように思います。
娯楽の少なかった時代でもありましたし、映画が唯一の娯楽でした。
そのよう時代に育った私です。
忠臣蔵の対する熱い思いは、おわかりいただけるかもしれません。
やっとその念願がかなった、12月14日の一日でした。
赤穂市に入り、車を駐車場に入れ、赤穂城の方角に、向かいました。
今、放映されているのは、第62回、松本潤さん主演のNHK大河ドラマは「どうする家康」ですね。
その第2回ですので、60年前の、NHK大河ドラマは、長谷川一夫(当時の日本を代表する男優)主演の「忠臣蔵」でした。
その折の、毎回最初に流れた重厚なテーマ音楽が、何処ともなく、聞こえてきました。
感激派の私です。その懐かしい重厚な、芥川也寸志氏による、テーマ音楽は、私の脳裏にしっかりと、焼きついていました。
その記憶の彼方にある、懐かしい旋律に、思わず涙腺が緩み、鳥肌が立ちました。
私の年代層になると、お分かり頂けると、おもいますが、上述の、ように、第二回NHK大河ドラマの「忠臣蔵」です。
その放映は、1964年昭和39年、私が大学の2回生の遠い遠いセピや色の時代の時です。
そのテーマ音楽は一気に、私を時空を超えて、後にも先にも、1年間 一回も欠かさず見た、ドラマの中に入り込みました。
そして、クライマックスの討ち入りの時の、陣太鼓を打ち鳴らし、長谷川一夫主演の意を決した、大石内蔵助の姿が浮かんで来ました。
1945年、日本が戦争に負け、色々とGHQからの要請で禁止事項があり、その中の一つに、この忠臣蔵も、放映してはならない禁止事項に入っていたとの事、
昭和26年日本が講話条約を締結して、独立するまで、上映は、はばかわれた、いわくつきの物語です。
内容は、一言で言えば、主君のために、報復の仇き打ちをするという趣旨です。
アメリカが禁止したとの事ですが、何故か納得できます。
14日当日は天候にも恵まれ、俳優の中村雅俊さんが、大石内蔵助を演じ、先頭に立ち、赤穂城跡の大手門から陣太鼓を鳴らし、四十七士が勇壮に、市中を、練り歩きました。
赤穂城といい、討ち入りの14日といい、環境も整い、江戸時代の元禄時代に、タイムスリップした一日でした。
忠臣蔵は、忠義を尽くし、自己犠牲からなる日本人の美意識として、もてはやされてきました。
しかし、時代の変転と共に、人間の価値観が問われる現在、これからの世に、このような、忖度の世界、武士(もののふ)の精神はどのように、経緯していくのか。
資料館等で、赤穂浪士の遺品を見ながら、思索した一日でもありました。
、
私としては、人間を凌駕すると言われているAIの世界では、けして理解できない、心の深層心理に内在する、散りゆく「もののあわれ」の世界ではないかと、思った次第です。
ことしも、後数日、来年こそ、人間同士が、憎しみ、あやめあう紛争、戦争等がなくなり、世界に平和が訪れますように。
今年も、一年間、拙い心の応援歌にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
一年間有難うございました。
毎年 12月の折の心の応援歌の冒頭の挨拶は、光陰矢の如し、月日の経つのは、早いですね。から始まります。
今年も残すところ4日になりました。
皆様は、今年の一年は如何でしたか。
さて、この間の12月14日ですが、赤穂市で第120回を数える忠臣蔵として有名な 『赤穂義士祭」の催しがありました。
皆様は忠臣蔵をご存じでしょうか。
当然、知っているものばかりと思っていましたが、最近の若者は歴史が好きな人は別にして、知らない人が多いと聞いて、愕然としました。
知らないと言えば、日本がアメリカと戦って敗戦したことも、知らないと言う若者がいるとかも、聞きますが。(信憑性はどうか)
実は、今から10数年前ですが、娘が姫路に住んでいまして、娘の家に家内と一緒に、何泊かした時です。
どこか、ドライブでもとなって、娘婿の運転で、娘と、孫と、赤穂方面に一日で、車で案内してもらった事があります。
その折、赤穂市にある大石神社、赤穂城、資料館等、案内してもらいました。
1702年、元禄14年、12月14日江戸城松の廊下での、浅野内匠頭の、吉良上野介に対する人情沙汰になった事件です。
そして、翌年の、元禄15年12月14日に、艱難辛苦を経て 見事、討ち入りを果たしたという史実です。
その14日を記念して、「赤穂浪士祭」があるとの事。
四十七人の赤穂浪士が、討ち入り当時の衣装を纏って赤穂市中を練り歩くとの事。
その事があって、是非12月14日の「赤穂義士祭」に行きたいと思っていました。
その間、何回か見に行きたいと、計画したのですが、中々仕事が入って、失念していました。
今年は、はからずも「赤穂義士祭」の催しに行く事が出来、姫路の娘の家に前泊して、今回も娘婿の運転で、念願の「赤穂義士祭」に行く事ができました。
私の幼少の頃は、正月となると、毎年、忠臣蔵の映画で持ち切りで した。
それほど、何か日本人の琴線に触れる出来事であったように思います。
娯楽の少なかった時代でもありましたし、映画が唯一の娯楽でした。
そのよう時代に育った私です。
忠臣蔵の対する熱い思いは、おわかりいただけるかもしれません。
やっとその念願がかなった、12月14日の一日でした。
赤穂市に入り、車を駐車場に入れ、赤穂城の方角に、向かいました。
今、放映されているのは、第62回、松本潤さん主演のNHK大河ドラマは「どうする家康」ですね。
その第2回ですので、60年前の、NHK大河ドラマは、長谷川一夫(当時の日本を代表する男優)主演の「忠臣蔵」でした。
その折の、毎回最初に流れた重厚なテーマ音楽が、何処ともなく、聞こえてきました。
感激派の私です。その懐かしい重厚な、芥川也寸志氏による、テーマ音楽は、私の脳裏にしっかりと、焼きついていました。
その記憶の彼方にある、懐かしい旋律に、思わず涙腺が緩み、鳥肌が立ちました。
私の年代層になると、お分かり頂けると、おもいますが、上述の、ように、第二回NHK大河ドラマの「忠臣蔵」です。
その放映は、1964年昭和39年、私が大学の2回生の遠い遠いセピや色の時代の時です。
そのテーマ音楽は一気に、私を時空を超えて、後にも先にも、1年間 一回も欠かさず見た、ドラマの中に入り込みました。
そして、クライマックスの討ち入りの時の、陣太鼓を打ち鳴らし、長谷川一夫主演の意を決した、大石内蔵助の姿が浮かんで来ました。
1945年、日本が戦争に負け、色々とGHQからの要請で禁止事項があり、その中の一つに、この忠臣蔵も、放映してはならない禁止事項に入っていたとの事、
昭和26年日本が講話条約を締結して、独立するまで、上映は、はばかわれた、いわくつきの物語です。
内容は、一言で言えば、主君のために、報復の仇き打ちをするという趣旨です。
アメリカが禁止したとの事ですが、何故か納得できます。
14日当日は天候にも恵まれ、俳優の中村雅俊さんが、大石内蔵助を演じ、先頭に立ち、赤穂城跡の大手門から陣太鼓を鳴らし、四十七士が勇壮に、市中を、練り歩きました。
赤穂城といい、討ち入りの14日といい、環境も整い、江戸時代の元禄時代に、タイムスリップした一日でした。
忠臣蔵は、忠義を尽くし、自己犠牲からなる日本人の美意識として、もてはやされてきました。
しかし、時代の変転と共に、人間の価値観が問われる現在、これからの世に、このような、忖度の世界、武士(もののふ)の精神はどのように、経緯していくのか。
資料館等で、赤穂浪士の遺品を見ながら、思索した一日でもありました。
、
私としては、人間を凌駕すると言われているAIの世界では、けして理解できない、心の深層心理に内在する、散りゆく「もののあわれ」の世界ではないかと、思った次第です。
ことしも、後数日、来年こそ、人間同士が、憎しみ、あやめあう紛争、戦争等がなくなり、世界に平和が訪れますように。
今年も、一年間、拙い心の応援歌にお付き合い頂きまして、誠に有難うございました。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
一年間有難うございました。
senba206 at 12:54│Comments(0)│