2024年01月28日

当たり前

こんにちは。


1月も、後2〜3日残し、2月を迎えます。


お正月は如何でしたか。


門松等、ほとんど見受けれらなくなりましたね。

元旦から、一部、ショッピングセンターも、営業をしていましたし、ひと昔のような、おせち料理も、要らなくなりましたね。


毎年、正月の風情がひとつづつなくなっていきます。


昔の正月を知る、歳を重ねてきた者は、一抹の寂しさを禁じえません。


さて、今年は元旦から、非常に、何とも言えない、つらい大災害がありました。


能登地方における、震度7を超える大地震です。

丁度、その時、私は少し、近所の周りを散歩していました。


姫路にいる娘から。携帯が鳴りました。


何事かと思うと、娘より、石川県の能登方面で地震があったとの事。

お父さんは散歩中で気づかなったね。と話をしていました。


急いで、家に帰りましたら、家内から、大地震があったとの事。


丁度、家内の里が石川県の加賀、大聖寺ですので、実家の事もあり、大変心配していました。


思い起こしますと、もう29年前の事になるのですね。


阪神淡路大地震があった、1月17日は忘れられない、日にちです。


と申しますのは、私の義父が、93歳でなくなり、丁度、大聖寺のお寺でお通夜の時でした。


いまでも忘れる事は出来ませんが、早朝の5時過ぎの事です。


親戚の方々と共に、寝ていたのですが、私が経験したことのない、激しい揺れで、目を覚ましました。


親戚の方々は、昭和23年の福井の大地震を経験していますので、てっきり、このような大きな揺れの震源地は福井方面であると言っておられました。


そして、葬儀中の控室でした。


しばらくして、テレビ中継が始まり、、神戸の長田区が火の海とかして、映し出されていました。


私はこれはただ事ではないと、少し、恐れおののきました。


と申しますは、遠く何百キロになるのか、これだけ離れた、石川の地で、これだけ、大きくゆれたので、その震源地はいかばかりかと。

義父の葬儀を終え、何とか、電車を乗り継ぎ、急いで枚方の自宅に戻りました。


親戚の方々からは、自宅が壊れているかも知れませんね。と言われていました。



家の近くまで来ましたが、近辺は大丈夫な様子でした。


恐る恐る、入口の玄関を開けた光景がフラッシュバックします。


そして、一階、二階と、見て回りました。、


お蔭様で、額縁が落ちたとか、壁がひび割れていたとか、大きな惨事にならなく、安堵した光景が浮かんで来ます。


輪島の地の災害を見ていますと、正月早々、本当に大変な惨事で、心が凍おってしまいます。


このような時にいつも、思うのですが、日常の生活が、全て「当たり前」で、何か不都合があると、不平、不満、不足の自分がいます。


毎日、こうして不便なく生活ができて、お蔭様でどこにでも、不自由なく歩いて、行動でき、そして、70兆もの細胞が、一糸みだれず、暗黙の内に、打合せもせず(笑)、連係プレーを取り、ただ、ひたすらに、ご主人様(私)を生かしてくれている。


もし、そのうちの数個の細胞が、反乱をおこすと、異常をきたし、たちまち病気の因になります。

又、がん細胞類が頭をもたげてきます。


このよう事も、「当たり前」の自分がいます。

今に、バチが当たったり、するのでは思ったりします。


マザーテレサ女史が言われた、「当たり前」の反対語は、「有難う」との事。


つまり、有る事が難しい との事。

もう一つのマザーテレサ女史の言葉に、「愛」の反対語は、「無関心」とありますね。



このような大災害を見聞きして、又、「当たり前」について、そのみなもとを、深く考える事になる、弱い自分を見出します。


歳を重ねてきた割には、全く学習していない自分を顧みて、悄然となり、何か、情けなくなる心境です。


太陽を、そして、森羅万象に感謝しながら、花鳥風月を愛でて、生かされている事を、感謝して、生きていかねばと思う、1月の元旦の出来事でした。


今回の大災害も当然、他人事ではなく、諺にありますように。明日は我が身です。


利他の心をより高め、私で出来る事は、精一杯させていただかなけばと、強く思います。



厳しい寒さがまだまだ続きます。

どうぞ、能登地方の方々は、くれぐれも大変な環境ですが、お身体を含め、ご自愛ください。





senba206 at 14:36│Comments(0)

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