2025年06月04日

長嶋さんとの関わり合い

こんにちわ。

長嶋さんの訃報が入りましたね。

一昨日、テレビの速報を見た時、一瞬、時間が止まり、画面にくぎ付けになりました。


こうして、亡くなられてから二日経ちますが、終日訃報について、各分野から報道があり、本当に長嶋さんは、日本国民のかけがいのない人だったんだなあと、その偉大さに、改めてその存在感を知りました。


なにか、長嶋さんとの、私なりの間接的なご縁を、懐古も含めて心の片隅に残しておきたいと思い、パソコンにむかっています。


私の長嶋さんとの初めての記憶は、確か、私はまだ中学生であったと思います。


ご承知の東京6大学での史上初めての8本のホームランを打つて、鳴り物入りで巨人に入団。

当時の国鉄スワローズの日本一の投手と言われていた、金田投手との試合はテレビで見ていまして、はっきりと思い出されます。


子供心に、金田投手の、なにをこの鳴り物入りの若造が、そんな、矜持にも似た、気迫を感じた試合だったように思います。


そして、あの有名な永遠に語り続かれる天覧試合の、昭和天皇が、球場を去ろうとした時の、あの劇的な、サヨナラホームランを。


日本中が沸き、天皇陛下を、前かがみに、釘づけにされた、あの古き良き昭和を。



時を経て、仕事の関係で、スポーツアナウンサーの方に講演をお願いした時に、長嶋さんのエピソードについて、次のようにお話されていました。

長嶋さんは、試合の観戦に来ていただいた観衆にどうしたら、楽しんで、喜んでもらえるかと、常に考えておられたとの事。

ある日、休暇の時、見るともなく歌舞伎を見ていて、歌舞伎の一番の見せ所である、私も好きな、歌舞伎俳優が大仰な演技で、六方を踏む(舞台を片足で何歩か歩く)というが場面があります。


その時に大向こうから、掛け声が飛びます。(私もその掛け声をかけたくて習いに行ったことがあります😄)


「成駒屋、」「中村屋」、歌舞伎フアンの方は、その演技で酔いしれます。



長嶋さんは、その場面をみて、お客さんに喜こんでいただくのは、これだと気づき、それから、あの流れるような所作で、普通のゴロでも、少しオーバーアクションで、捕手し、そして、2〜3歩あゆみ、そして、ダイナミックに華麗に投げる。



それから、始まったとの話を聞きました。



このエピソードは、その後の私自身の研修の材料に使わせていただき、顧客満足の事例として、講演とか、その他、研修の折、私自身も、長嶋さんの投球フオームを演じて、檀上狭しと、若気の至りで活用させていただきました。😄



川上哲治さんとのご縁の時、監督時代に叱るときは常に、「シゲ」と言って長嶋さんを叱っていましたとのこと。


各選手はあのスーパースターの長嶋さんが叱られているという事で、相当リーダーシップとして、効果があったとお話されていました。


そして、長嶋さんは叱っても、天真爛漫な性格により、あとに根がなく、その明るさが団結心として、v9につながりましたとも、お話されていました。


草柳大蔵さんは、長嶋さんは立教大学に入る、入学試験の時に、試験の解答にThis is a penで合格したと、草柳さんの独特の楽しい、敬意を表した、ブラックユーモアで、皆の笑いの取っておられたことも浮かんできます。


野村克也さんとのご縁では、長嶋さんと、自身と、花にたとえられ、長嶋さんはひまわりで、僕は夜の月見草ですと。


これも独特の野村克也さんらしい、長嶋さんへの少し、嫉妬をまじえての話が浮かんできます。



又、自身のデーター野球と比較して、長嶋さんの、感性による指導を、こう打つんだと言って、身振り、手ぶりでお話され、笑いを誘ておられた事も、懐かしい思い出です。


長嶋さんの脳梗塞の時の話を、スポーツライターから聞いたお話ですが、朝9時頃、長嶋さんが自宅を出るべく、運転手の方が、玄関前で、車の中で待つておられました。


どうも、出てこられるのが、遅いので、11時頃、家の中の入って迎えに行ったそうです。


そうしますと、応接間で倒れておられたとの話を聞きました。


信憑性は、不明ですが、もし、その話が本当なら、普通、発症して30分ぐらいなら、脳梗塞も軽症で済むとのこと。


その話をお聞した時は、なぜ、もっと早く気付かなかったのか、他人事ながら、悔しい思いをしたことが浮かんできます。



それ以降、私自身は、血圧が少し高く、脳梗塞の傾向があるとのことでしたので、縁者に、30分以内に病院に、宜しく、と話もしていまして、携帯も短縮で緊急番号も入れています。



直接、長嶋さんにお会いしたのは、もう、20年前ぐらいになります。


あの女剣劇家として、有名でした、浅香光代さんの、何のパーティーだったか、記憶は、さだかではないですか、招待されて、東京まで、出向いた事があります。


丁度、その時は、あのマスコミをにぎわしていた、野村さちよさんとの、壮絶なるバトルの真っ最中でした。


確か。この経緯は20年前のブログにまとめた記憶があります。



浅香さんの会が、宴たけなわとなり、お開きの時間になりました。


その時、司会者が、「ご参加の皆様にこれよりサプライズを申し上げます」と、アナウンスがありました。



ざわついていた会場が、一瞬、静寂になりました。



そして、檀上の右から、左の片手を、ポケットに入れ、長嶋さんが、足を例のごとくに引きなが、、少し時間がかかりましたが、中央の舞台に、歩んで来られました。



全くのサプライズで、浅香さんが暫く茫然とされていて、我に返り、長嶋さんに抱きつかれていた、光景が昨日のように。


そして、長嶋さんのあの屈託のない満面の笑顔と、浅香さんの、飛び跳ねるような、体一杯の喜びが浮かんできます。


その時、思ったのは、長嶋さんは、すべての人に愛されているのだな、と思うと同時に、こうして、少しお身体が不自由な中に、押して、顔を出されるという、思いやりに感動した思い出があります。


美空ひばりさん、石原裕次郎さんと、古き良き、昭和を、日本を代表される方が、亡くなられました。



と同時に昭和が終わったような、そんな虚無感に襲われた、ここ二日間でした。



これから、暫くマスコミを含め、長嶋さんへの、懐古が続く事と思います。



今回は急遽、長嶋さんへの、私自身の間接的な関わりを,是非、感傷を込めて、振り返えって見たい衝動にかられ、哀悼の意を表して、述べさせていただきました。


長嶋さん有難うございました。


人生の無常を噛みしめながら。



今回も最後までお付き合い頂き、有難うございました。


これから、日ごとに厳しい暑さに向かいます。


どうぞ、ご自愛専一に。









senba206 at 16:10│Comments(0)

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