明智

人物DATAAkechi_Mituhide

名前 明智光秀(あけちみつひで)
    明智惟任日向守光秀
    (あけちこれとひゅうがのかみみつひで)
    十兵衛(じゅうべえ)
異名 丹波の智神、キンカ頭
生誕 享禄元年(1528年)?
死没 天正十年六月十三日(1582年7月2日)
    (生存説あり)
死因 山崎合戦にて百姓に重傷を負わされ
    家臣・溝尾茂朝に首を討たせた。
    (生存説あり)
幼名 彦太郎(ひこたろう)
主君 斎藤道三→武田義統→朝倉義景→
    足利義昭→織田信長
実父 明智光綱
養父 明智光安
実母 お牧の方


謎に包まれた丹波の智神
明智光秀は多くの謎に包まれた武将である。父親も出生日も出身も不明な点が多い。

長良川、因縁の親子対決:父に味方し城えお追われる
美濃斎藤家当主・斎藤道三と子の斎藤義龍の戦い(長良川の戦い)で父・道三方に味方し居城の明智城を攻められ(明智城の戦い)城を間一髪で脱出し生き延びる。

叔父を頼って越前に逃避行
美濃を追われた光秀は母方の叔父で若狭の大名、若狭武田家第八代当主・武田義統を頼りその後、将軍家と関係が深い越前朝倉家に仕官する。

将軍来たる!!二人の主君に使えし智神Asakura_Yoshikage2
朝倉に仕官し、その非凡な才能を見こまれ新入りながら重臣として仕えていた光秀。そんな時に三好三人衆に都を追われ将軍の座に就くために足利義昭は将軍家とも縁が深く名将・朝倉義景率いる朝倉家を頼る。その時に光秀は義昭との関係を築く。(朝倉義景→)

義景に上洛を頼むものの義景にその頃合い無しと見て光秀と側近を連れ織田信長の元に行く。こうして、光秀は足利の家臣であると同時に織田家に仕えていたという2つんお主君を持つ非常に珍しいケースです。


OdanobunagaYoshiaki
織田長×足義昭



魔王の元へ、この男なら天下を取れる!!
十兵衛が乗った悪夢の船

永禄十二年(1569年)、織田家家臣・木下秀吉とともに京都奉行につき京の政務につく。

魔王・信長、将軍は我が傀儡(くぐつ)
義昭は信長の計らいで室町幕府第十五代征夷大将軍になるが信長は義昭のことを傀儡としてしか見ておらず自らが将軍より上であることを遠回りに言い将軍の権利を削いだ『殿中御掟』全二十一カ条を設ける。

戦国をまとめられるのは信長様ただ一人
足利義昭が信長の待遇に不満を持ち次第に二人の間に亀裂が入り信長包囲網にまで発展する。光秀は主君の義昭を捨て信長の正式な家臣となる。


苛烈な魔王、信長包囲網:始動!!
元主君との対決、姉川が赤く染まる...【姉川の戦い】

足利義昭が織田から離反し諸国の勢力に呼びかけ信長包囲網を創設。その参加勢力の中には放浪時代に重臣として召抱えてくれた元主君で恩人の朝倉義景がいた。信長は日本を完全に自らの物にするために越前・朝倉領に侵攻するが義弟・浅井長政の裏切りにより挟撃されるが光秀の活躍で難を逃れる【金ヶ崎撤退戦】。

その後、朝倉と浅井を討つべく姉川にて対峙。元主君との辛い戦いであった。この戦で両軍をあわせ約2600人の死者と数えきれないほどの負傷者が出た。その血潮により姉川の水は赤く染まりいつしか血川という地名がついた...


比叡山延暦寺焼き討ち
信長は光秀に比叡山延暦寺の焼き討ちを命令。この命令に誰もが耳を疑い聞き返した。比叡山の延暦寺といえば多くの名僧を輩出した寺。寺を焼き払うだけで多くの者から恨みを買い仏罰が降ると言われているのにその寺の頂点に立つ延暦寺を焼きそこにいる者、女子供畜生坊主を問わず皆殺しにしろと...

そんなことが出来るはずはない...

いくら延暦寺の僧が女を持ち、子を作り、肉を喰らい、勉学もせず、金をあさっていたとしても。だが、信長の命令に従わなければ自らが殺される。反対する者も居なかった。

明智光秀が不本意ながら指揮を取り比叡山延暦寺を燃やしつくした。


室町幕府滅亡...
足利義昭は武田信玄が信長の盟友(従属大名)・徳川家康をひねり倒し尾張に侵攻。信長の死をそこまで迫っていたが信玄の急死。信長は報復の為に室町幕府を潰してしまった。光秀は室町幕府の再興と義昭の将軍就任に尽力した。信長はまるで完成した光秀のマッチ棒で作った安土城を蹴り壊した様なものである。


光秀謀反!!黒き魔王と白き貴公子
光秀は忠節をつくした織田信長に謀反。本能寺にて信長を討った。

詳細 『明智光秀:本能寺の変』
(製作中)


山崎の戦い:逆賊か魔王を討った英雄か
光秀が主君・織田信長を本能寺にて自刃に追い込んだその十日と一日後、四国征伐準備中の織田信孝と合流し信じられない速さで中国の毛利攻めから戻って来た羽柴秀吉と山崎で対峙。友好関係にあった細川幽斎と筒井順慶に援軍要請をしたが二人は動こうとしなかった。援軍が来なかった為光秀は戦死、天下は秀吉の物となった。これが世に言う光秀の『三日天下』である。
山崎合戦






明智家と友好関係にあった大名家
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我部家
当主・長宗我部元親の正室・奈々が明智家家臣・斎藤利三の妹であり、
側室が光秀の姪であるから。光秀が本能寺の変を起こしたのは
織田の四国侵攻を避ける為(長宗我部家を守る)であるという説がある。
(←長宗我部元親)



川家Fhosokawa

当主・幽斎の嫡男・忠興の妻は明智光秀の娘、
珠(ガラシャ)であったためと足利将軍家に仕えた
武将同士だから。それに光秀は幽斎と個人的に仲が良かった為。(細川幽斎→)


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当主・筒井順慶の正室と側室が光秀の義理の妹達だから。
(←筒井順慶)










明智家家臣

秀満(あけちひでみつ)

通称:左馬助。鬼武者の主人公として有名
光秀の次女と結婚し義理の子となる。

明智光(あけちみつただ)
光秀の従兄弟にして妻は光秀の娘。
農民出身説もある。

溝尾朝(みぞおしげとも)
光秀が織田家に使える前からの家臣である。
長年の功績により信長から明智姓を名乗ることを
ゆるされ『明智茂朝』と名乗る。光秀が信長を討つことに
賛成したという。山崎の合戦で重傷を負った光秀の解釈を努め、
首を坂本城に持ち帰った。

木広忠(つまぎひろただ)
娘は光秀の妻であり光秀の義父(説)。
光秀の正室の実家。

斎藤三(さいとうとしみつ)
妹は長宗我部元親の妻。本能寺の変に反対したとも、
利三が起こしたとも言われる。


百発百中:鉄砲の名手・明智十兵衛
光秀が朝倉に仕官中のこと、光秀は鉄砲隊100人を部下に演習を行った際に自ら鉄砲を射ち百発中百発 的に当てたという伝説が残り、その内の68発が的の中心を貫いたという。
明智軍記:『一百の鉛玉を打納たり。黒星(真ん中の点)に中る数六十八、残る三十二も的角にそ当りける』

光秀、最愛の妻・煕子
人間、見た目ではなく心である
光秀と妻木範煕の娘・煕子との縁談が決まった時、煕子は疱瘡にかかり顔に痘痕が出来てしまった。範煕は煕子に瓜二つの妹を身代わりに嫁がせたが光秀はそれを見破り煕子を妻に貰い二人の仲はとても良く光秀は側室を持たなかった。

荒地に咲く一輪の桔梗
荒くれ者の田舎武士が集まる織田家家臣団において光秀は文化にも精通し上品な性格であったという。他の古参の家臣と変わった面を持ち、違った方面にて信長を支え僅か仕官二年にして織田家の重臣となった。ここからも光秀の非凡な才が伺える。



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