「雲海竹田城ツアー」

先週末「雲海竹田城ツアー」に行ってきました。
「立雲峡からの雲海に浮かぶ竹田城を見よう」をメインに据えた企画のツアー

~旅程~
初日は「秋の紅葉の寺めぐり」として丹波の三つの寺を巡り
二日目は但馬の城である竹田城・出石城を巡ります。

メインとなる「雲海に浮かぶ竹田城」は早朝6:00に宿泊先のホテルを出立。
送迎バスにて立雲峡に向かい、駐車場からは登山、展望台を目指します。

雲海については、天候に左右されますから、「運が良ければ雲海が見れる」という運試し要素です。
見れない場合もある、このことを承知の上での参加となりました。

~訪問先の検討~
今年最後となる旅仲間さんとの旅、ラストを飾るにふさわしい場所はどこが良いか考えました。
「信長公記」に登場する地、これがまず第一の条件。
ついで話題性、絶景、運試し的な楽しみなどを考慮して竹田城の雲海にチャレンジしてみることに。

~このツアーを選んだ理由~
雲海が出るのは、早朝に限られます、そして初めてで見知らぬ土地、迷う心配もあります。
その点、大手旅行会社の企画ツアーは効率よく案内してくれますしピンポイントで送迎してくれます、
こうしたメリットを考えてをこの選びました。

~雲海の結果~
残念ながら雲海は出ませんでした。
けれども前日の夜からのワクワクドキドキを楽しめたので、また機会がありましたらチャレンジしてみたいです。

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写真は残念な結果となっても良いように、現地に設置されているパネル写真の模様。
例え結果が良くなくても、心配りのある対応がなされている事、多くの人が集まり期待していますから、雲海が見れずガッカリな気持ちになった人たちに対して、この様な配慮はせめてもの慰めとなります。

~立雲峡での感想~
日曜とはいえ早朝から雲海を見るために、多くの人が集まることに驚かされました。
特に若い人、カップルや家族連れ、友達同士が多いなとの印象。
さすが人気ありますね。

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~人々を惹きつける魅力について~
なぜこれほどまでに人々を惹きつけるのか?
平成になって見直された観光地、人気となったスポット、400年以上前からある遺構としては、国内では最大の変化があった地ではなかろうかと思えました。

私の中のイメージでは、
ニュースなどで見る「皆既日食」や「ハレーすい星」など自然現象を見るイベントで盛り上がるシーンが思い浮かびました。
城を見ることに加え、絶景と自然現象との組み合わせ、こうした事も人気の理由なのかなと思いました。
あとはメディアでの紹介や影響力も大きいのでしょうね。
「BOSSのタモさん」や「Google」のCMなんかが思い出されます。

~旅の感想~
雲海は残念な結果に終わりましたが、今回の旅で感じたことも記しておこうと思います。

旅程には記されていない、自由散策の中で見つけた意外な発見
今回の旅ではこうしたモノとの出会いも多かったかなという印象です。

それは
「信長公記の世界」 「漫画 センゴクの世界」 「応仁の乱の世界」 「時の鐘」
という世界観やテーマとの結びつき。

これまでに訪問した場所に繋がるモノ。
そして関心事やテーマと繋がり結びついていく。
意外な出会いも印象に残りました。

竹田城の歴史からは
「信長公記の世界」
京都西陣で見た山名宗全邸跡
が繋がります。

竹田城虎口
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南千畳に続く石垣と郭群 竹田城本丸からの眺め
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竹田城本丸を中心とした石垣
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山上にある総石垣の城としては、今年三月に訪ねた田丸城、これと対比させながら眺めていました。
山麓を流れる円山川、これを堀に見立て、この辺りから天守台を中心にした石垣を眺めるとどうなるか、
このビスタ景観というものをイメージしながらの石垣を眺める事に。

築城当時の事を考えますと、この壮大かつ人工的な石垣、これに加えて城壁、櫓や天守があったわけですから、その威容はさぞかし人々を驚嘆させたのではなかろうかと思えました。

また、現在目にしている石垣の遺構跡が最終形態となる訳ですが、そこに至るまでの変遷、即ち太田垣氏の時代、秀吉の弟・秀長、桑山重晴、そして最後の城主・赤松広秀と城主が変遷していく中で、城の構造がどのように変わっていったのか、これが気になるところでもありました。

城の起源に目を移しますと、山名宗全に辿り着きます。
応仁の乱では西軍の大将となった山名宗全、その宗全が命じ、配下の太田垣氏が築城したことが始まりとのこと。京都西陣で見た山名宗全邸跡、家と家の間、わずかばかりのスペースにある山名宗全邸跡の石碑、これが当地で繋がりました。

あと、『信長公記』ではどのように記されているかもチェック。
『信長公記』では①天正5年11月②天正6年6月③天正8年4月、と竹田城に関連する事項が記載されています。

①秀吉(略)但馬国へ相働く(略)小田垣楯籠る竹田へ(略)木下小一郎を城代
②但馬国へ相働き(略)竹田の城の木下小一郎入れおかれ候
③但馬国に乱入し(略)木下小一郎は小田垣居城に拵え
と3度も記載されていると分かります。

気になったのは、竹田城の城主である太田垣氏の表記について。
一般的な表記は太田垣氏ですし、通名も太田垣氏のはず、
なのに『信長公記』では、なぜか<小田垣>の表記となっている点。
つまり「太」の字ではなく、「小」の字となっている点、これが不思議に思えました。

記述内容からは
a.但馬国b.秀吉の弟・小一郎(秀長)c.小田垣(太田垣)d.中国方面の毛利家および傘下の勢力との戦い
竹田城がこれらと関係していることも分かります。

さて、心残りは城下にあるという資料館に行けなかった事。ツアーでは城下町にあたる寺町や歴代城主の菩提寺などがある竹田駅付近には立ち寄らなかったので、次回訪問時にはこの辺りを巡ってみたいなとも思いました。

~丹波の寺巡り~
丹波の寺めぐりでは
波多野屋敷と波多野秀治墓所という
「信長公記」の世界とその後の顛末が結びつきます。

波多野秀治の墓 波多野屋敷 案内
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「波多野秀治の墓 150m 波多野屋敷 100m」
自由散策の中で偶然、このような案内を見つけます。
「こんな近くにあるなら是非行ってみたい。」
集合時間を気にしながら行ける範囲で向かってみる事に。
探すのには旅仲間さんが奔走して下さいました。有難いことです。

波多野秀治の墓
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八上城からはかなり離れた地
なぜこのようなところに?
これは直後に訪ねた波多野屋敷、ここでご主人から直々にご説明を賜り、その理由が明らかになります。

波多野屋敷
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波多野屋敷の門。門の前には解説板があります。

旅仲間さんが声掛けした事をきっかけに、波多野屋敷のご主人とお話することができました。
そして、どのような経緯で当地に末裔がいるのか、そしてなぜ波多野秀治の墓があるのか、教えていただきました。

ご説明下さったお蔭で、波多野氏の居城である八上城からは随分と離れた地になぜその墓があるのか、その理由が理解できたのでした。おかげで信長公記に記された波多野秀治の最後と当地が結び付きます。
また近くの御霊神社では波多野秀治の慰霊祭が行われていることもご教授下さいました。

ここでのお話は、信長公記のその後の顛末、この話には続きがある事、これにまず驚きましたし、今こうして残っていること、尚且つ慰霊祭が行われている事、この事にも感銘を受けました。

~出石城と出石城下町~
出石では
漫画「センゴク」の世界
主人公である仙石権兵衛秀久ゆかりのものを目にすることに。

ツアーでのオプション昼食となった「出石そば」、その後は自由散策。
この自由散策の中で「仙石権兵衛」がキーとなり、様々なモノと結びつきます。

仙石家伝来の武具
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自由散策の中で立ち寄った出石資料館
順路の最後、最奥にある蔵の中、ここにお宝が展示されていました。
2フロアーあるうちの一階部分、両壁面のケースの中にお宝が展示されていました。
それは、仙石家伝来の品々。
仙石家の家紋、「永楽銭」や「無」の家紋があしらわれた武具がズラリと並びます。
出石で最も印象に残ったのはこれらのお宝です。

そしてこのお宝に出会うまでの道中、この経路が不思議な縁で結ばれているように思えたのです。

出石城址
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現在、このお城の本丸に仙石権兵衛は祀られています。

出石城本丸・感応殿と出石の街並み
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手前が出石城本丸です。そして真ん中にある社、これが仙石権兵衛を祀っている感応殿です。
つまり、仙石権兵衛秀久は出石城の本丸の主のように祀られているんですね。

写真撮影の場所、それは本丸から一段高い場所にあって、ここは見晴らしの良い場所となっています。
そして、ここからだと出石の城下町をパノラマで一望できます。
この眺めは、出石城本丸、出石城下町、更には但馬の山並みまでパノラマで俯瞰できますからとても贅沢な眺めとなります。
この構図は仙石権兵衛を見下ろすことになりますから「恐れ多いな」と思いながら、恐縮しつつ写真撮影。

出石城の背後の山にある有子山城 
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出石城の背後の山は有子山城。
元々はこの山に山城がありましたが、後にこの山城を廃城にして麓に出石城が築かれることになります。

~私的に関心のある「時の鐘」~
「時の鐘」という関心が仙石権兵衛と結びつく。

昌念寺 
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このお寺は出石資料館のすぐ側にあります。
訪問時、高石垣に囲まれた立派なお寺ですから、何かあるのかなと思っていたんです。

後で調べますと、ここは仙石家の菩提寺だったと分かりました。
さらに、現在出石城の本丸で祀られている仙石権兵衛も、かつてはこのお寺に祀られていたと分かりました。

また、辰鼓楼が出来る前、時の鐘はここにありました。出石の旧・「時の鐘」となります。

さて、この二つを合わせますと私の関心のあるキーワード繋がります。そして結ばれるんです。
不思議ですね。

何が繋がるのかといいますと、私たちがここに至るまでの道中と、繋がるんです。
このことは偶然かもしれませんが、今振り返りますと、「まるで仙石さんに導かれた」
私にとってはこのように思えるのです。

出石城下町のにぎわい 辰鼓楼と出石城隅櫓 城下町の景観
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出石城本丸→蜃鼓楼→出石城下町→昌念寺→出石資料館→そして仙石家のお宝武具
この道中の経路がまるで導かれたかのように思えた理由です。

この写真は、その道中の象徴的な写真、イメージできる写真となります。
御覧のように城下町と辰鼓楼と本丸にある隅櫓が直線上に並びます。そして背後の山は有子山城。
これらがリンクするんですね。

仙石権兵衛を祀った感応殿 
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感応殿は出石城本丸跡にあります。
仙石権兵衛秀久は現在このように祀られています。

ここにお参りしてから出石資料館へ向かいました。
その道中で見た、蜃鼓楼、昌念寺
そして最後に出石資料館の奥の蔵にある「仙石家のお宝」に辿り着きました。

お宝を見ている時
「漫画 センゴク」の製作している情景が浮かんできました。
なぜなら、この作品の原作者である宮下秀樹さんの話を聞いていたからです。

実は二度ほど、宮下さんの講演会に参加させていただきました。
その中で語られる、制作の裏話、資料収集の苦労話、どのように人気作品を生み出しているのかという話、作者の思い入れ、更にはその講演会に同席していた研究者や博物館の館長あるいは大学の教授でさえも感心し驚いていた様子などが次々と思い出されたのです。

なので、こうしたお宝も資料として参考にしながら作品を描いているんじゃないだろうか、と製作の様子を想像するに至ります。

更に加えて、コミック「センゴク」での権兵衛の活躍シーン
これがクロスオーバーし重なります。
先駆け武者として超人的かつ豪快な獅子奮迅の活躍をみせる合戦場面
激闘を繰り広げる権兵衛が身にまとう甲冑や旗指物
そこに施された「無」や「永楽銭」の仙石家の家紋…
こうした情景が目の前にある仙石家のお宝武具、これと結びついて広がっていきます。
このように私の中のイメージが大きく膨らんだのです。

ですから
「素晴らしい物を見せていただいた」
出石資料館でお宝を見て、この様に思えたのです。

出石に来るまでは全く想像もしていませんでしたし、辿ったルートも偶然です。
しかし、後で振り返りますと、これらが不思議な縁で結ばれているような
「もしかしたら仙石さんが案内してくれたんじゃないだろうか」
この様に思えるほどの不思議な思いです。
出石での自由散策も良き旅の思い出となりました。

~柏原藩織田家の寄進と伝わる高源寺の山門と三重塔~

高源寺山門
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高源寺三重塔
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織田信長の丹波攻め、これにより高源寺の社殿は一時焼失します。
しかし、後の江戸時代、柏原藩主となった織田家の寄進により、山門や三重塔が建てられたとのことです。
そしてこの様に現存しています。
つまり、このお寺の歴史には織田信長と末裔である柏原藩織田家が関わっているんですね。
それがこんな山奥にあるお寺にも残っているなんて。このことにも感動します。

ここでは以前訪問した柏原、丹波柏原藩の織田家とリンクします。
このお寺では、柏原藩織田家の寄進の話から、以前訪問した柏原の地を思い出しました。

旅を振り返りますと、最終的には旅を通して様々なものとリンクし繋がっていく事を感じました。
当初予想もしていなかった意外な出会いと様々なモノとの結びつき。
こうした物と出会えること。
これが旅をする理由なのかなと改めて感じた旅でもありました。

~グルメ~

但馬牛すき焼き
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出石そば
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出石そばの由来エピソードには仙石家が関わっています。
「仙石家が信州上田から但馬出石にお国替になった時の話。
仙石家の殿様は好んでいた信州そばの味が忘れられずそば職人を連れてきた。」
ツアーガイドさんからこのような説明を受けます。
そして「そうか、この地は仙石家が移ってきた地なんだね」と気付かされたのです。

その後まさか感動的な出会いがあるとは…
そばを食べてる時には夢にも思っていませんでした。

~秋の紅葉の寺~
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三ケ寺のうち二番目に訪問した洞光寺、秋の紅葉と紅葉の絨毯。

美しい風景、幻想的な自然現象、これらは一目で分かるものですから、旅の目的や動機と成り得ます。
しかし、予想していない物との出会い、関心が更に広がるエピソードとの出会い、こうした事も旅の醍醐味の一つですよね。
旅仲間さんと一緒に各地を巡る中、旅先で見つかった予想外の発見、そこから多くの事に共感し、共に体験できたこと、今回も良き旅だったかなと思えました。