かって、大平正芳という政治家がいた。寡黙な人で、彼の政治活動の中で盟友だった田中角栄が演説がうまかったのとは対照的で、大平のそれはとつとつ、という感じだった。
だが、またそれは大平の、誠実に一つ一つ問題を丁寧に詰めてゆく、人間味のあるよさをかもし出すものでもあった。
この大平が「カクエイはすごい。度量のある人だ。周恩来の前で寝ちゃたんだから」と語っていたことがあった。瀬田の私邸でのこと。でも、そのときは大平から正確に、どういうときのどんなことだったのかを具体的には詰めて聞かなかったので、ずっとそのことが、偏屈の頭の中で小骨のように引っかかっていた。それがある本を読むことで氷解した。
杉田望さんの書いた「総理殉職」というタイトルの新刊である。大和書房からでていて、大平正芳の政治活動を丹念に調べて書いている。
その中の、「盟友田中角栄と国を動かす」の項目で、田中首相、大平外相で、日中国交回復を実現したときのことだ。
田中内閣が出来た後、スピーディーに日中国交回復の仕事に入った。国内調整、米国をはじめ各国との調整を終え、いよいよ初の直行機で中国に乗り込んだ二人は周恩来、毛沢東とも渡り合い困難な仕事を終える。国内では反対派が渦巻いていて、大平は遺書まで書き残して中国に渡っていた。
とにかく、調印までの仕事を終えたが、周恩来はどうしても、江青ら中国国内の反対派の多い上海に行ってくれ、という。
角栄にとってはもう国内政治のほうが気になる。「さっさと帰りたい」と譲らないのを大平らがやっと説得して、北京から上海に向かう。その機中でのこと。前日の日中協定調印後の宴会で疲れ切っていた田中角栄は、同行してくれた周恩来の目の前で大いびきをかいて寝てしまった。それをみた周恩来は角栄にそっと毛布をかけてやったというのだ。周恩来はそうしながら大平ににっこりと笑いかけたという。このとき、周恩来は既に末期がんに侵されていた。角栄は今回の交渉の山場で、毛沢東ともその自宅で渡り合っている。昭和47年の秋の出来事である。
冬の寒い日が続いている。偏屈は「むさしのーFM]で、毎週木曜日の午前11時20分から15分間「プロムナード言葉と風景」という番組を始めました。もう遠くなって来た言葉や風景を思い出しつつ、世の中の出来事などをを語ってゆく番組です。時間があったら聞いてください。78.2メガヘルツです。カーラジオがよく聞こえて、石神井でも入ります。
冬の日に、突然咲いた黄色いたんぽぽの花が揺れています。わんの散歩もちょっと寒いです。