DOMスタンダード・赤単アグロ

今週は土日ともPPTQ (PWC横浜、秋葉原) に出場した。
運にも恵まれて2日連続トップ8に残れたので、幾つか雑感をメモする。
2日とも使用したデッキは赤単アグロ (75枚とも2日間共通)。

戦績
・5/12 横浜
80人、スイス7R
1. 4Cランプ 2-0
2. エスパーコントロール 2-1
3. 4C暴君シュート 2-1
4. 赤黒機体 2-1
5. 緑白ミッドレンジ 2-1
6-7. ID*2 → 3位通過
SE
1. 緑白ミッドレンジ 2-1 (スイス5Rと同じ方)
2. 赤黒機体 2-0
3. トス (RPTQの日は海外にいることが判明したため)

・5/13 秋葉原
137人、スイス8R
1. 赤単 2-1
2. 黒単 2-0
3. マルドゥ機体 2-0
4. エスパーミッドレンジ 2-0
5. 青赤王神 2-1
6. 緑白ミッドレンジ 0-2
7. 白黒機体 2-0
8. ID → 6位通過
SE
1. 赤黒機体 0-2

使用したデッキ



環境理解

イクサランの後半 (相克が出る前) からほとんどスタンダードはやっていない。
とりあえず、何もわからないのでMOで1リーグをプレイ。
イクサランの白黒トークンしかMOにまともな資産がなかったので、それをベースに緑白トークンを構築。
まるで勝てず。
わかったことは、
  • 地上はすぐ止まる
  • 追放除去の価値が高い。特に封じ込め、残骸の漂着。イクサランの束縛や排斥も。
  • ライラがつよい。悪斬の天使だと思ったら横のシャライが4/5絆魂になる (天使ロードはFTではなかった)
あたり。
ライラと追放除去を有する白を絡めたミッドレンジ系は主な仮想敵の1つになる。
一方で、白系はテンポがあまりよくない。
テンポ面で言えば、1マナのスペルを多く有する赤系が優れる。

デッキ選択

白黒機体、緑白ミッドレンジ、赤黒機体あたりが恐らく良いのではないかと思ったが、
  • ライラ・カーンは持ってない & 買いたくない
  • ゴブリンの鎖回しだけ買えば赤単が組める(あと火による戦い)
  • マルドゥ機体を長い間使っていたので、アグロは比較的得意
という適当な理由で赤単を使うことに。

赤単を組む上で、上記を反映して、
  • クリーチャーは序盤に殴れるクリーチャーに絞る
  • 中盤以降にハゾレト、本体火力で締める
  • サイド後は飛行を増やしてビートプランを取れる形にする
という構成にした。

メインボードはあまりいじる余地はないが、フリースロットっぽい枠が、
  • カーリゼブの3枚目
  • 収集艇
  • チャンドラ
  • 屍肉あさりの地
あたり。あとはあまり変えたほうがよさそうなところはないと思う。
4マナは再燃するフェニックスも選択肢になるが、赤単の場合、継続的なクロック云々よりもとにかくメインのゲームは早く終わらせたい。
ライラに突っ込んで殴りにいけないカードは、フィニッシャーに据えるには信頼に欠けるとすら言える。
フェニックス自体は環境に非常にマッチしたカードではあるが、要するに赤単はフェニックスが活躍できるほど長く戦えないのだ。だからこそ本体火力を全力で積んでいる。
3マナはアン一門の壊し屋などもあるが、はっきり言って鎖回しの方が10倍強い。
鎖回しが使われすぎて、地上を少ないクリーチャーが固めるようなメタゲームになれば、アン一門の壊し屋が地位を巻き返すかもしれないが。

サイドボードも、概ねこれで良いと思うが、
  • 3枚目の火による戦い
  • 2枚目のフェニックス
あたりはあっても良いかも知れない。
ピア・ナラーは同型やライラへの対策として採用したが、同型はゴブリンの鎖回しがいるので、思ったより有効なカードではなかった。
フェニックスについてすでにややネガティブな評価をしているが、サイドボード後は重めの構成にシフトするため、価値が高くなる。1枚は少なかった。

プレイの方針

メインボードは、「生物で殴って、ハゾレトで締める」が基本。
ハゾレトがない場合は、収集艇やチャンドラも中盤以降の地上が固まった場面でクロックとして活躍してくれる。
ショック・稲妻の一撃を本体に打って勝つルートを考える場合、多少盤面は不利になっても構わない。

サイドボード後は、飛行ビートプランに切り替える。
地上で止まりやすいカードや、除去として機能しづらい火力カードは抜く。
よくサイドインするのは、「収集艇*2、チャンドラ*2、フェニックス、栄光をもたらす者*2」の7枚。飛行ビートセット。
チャンドラは、相手が除去を増やしたりして受けプランにしてきたところに刺さる。噛み合いの影響が大きい1枚ではある。特に相手がX=2以上の歩行バリスタ+他の生物1枚とかの盤面だと意味がなく、たとえば赤黒機体には価値が低い。+1能力で相手のPWを狙えなくなったのも痛い点だ。しかし、定着すれば一気に勝てるカードで、カーンと違って単体でライフを詰めやすいので、サイド後の赤単にとっては欠かせないカードだ。
サイドアウトする火力は、相手次第。たとえば、緑白ミッドレンジ相手だと、3点火力はほとんど価値がなく、ラノワールのエルフを落とせるショックと火による戦いがあれば良い。
一方で、タフネス3が多くタフネス2以下が少ないデッキには稲妻の一撃を残す……のだが、実はそういうデッキは非常に少ない。
地上でもじもじしやすいカーリゼブと稲妻の一撃がよくサイドアウトされる。アーティファクトがほとんどない相手なら剥削のほうが先に抜かれる。
より地上が硬い相手には損魂やボーマットの価値も低い。1マナ0枚にすることはほとんどないと思う。片方を抜くことはある。それがどれほど適正かはわからないが。

プレイして気付いた細かい点

実際に起きて気付いた相互作用など。
  • マグマのしぶき+ゴブリンの鎖回しで再燃するフェニックスを追放
  • 残骸の漂着で伸びた土地を使って火による戦いをキッカーで本体にプレイ
  • 山6枚からゴブリンの鎖回し*2で相手の悪意の騎士*2+キランの盤面を破壊
  • 損魂+鎖回しのムーブで相手の鉄葉のチャンピオンが4/3になり、3/3先制の鎖回しで一方的に勝てる
ほとんど鎖回しのTIPSだ。このカードはおかしい。500円で買ったが、明らかに安すぎる。


そもそも赤単はベストデッキなのか

恐らくベストデッキではないと思う。
赤系のアグロデッキはメタゲーム次第では現在のスタンダードで非常に良いポジションに付くことは出来る。
一方で、赤単の抱える問題は以下の通りである。

  • 序盤に生物でライフを削れない場合、20点を削りきれない
  • シャライ+ライラのパッケージを超えられない (特にメインボードはかなり苦しい)
  • 相手のゴブリンの鎖回しに弱い
  • ハゾレトは強力だが、現環境はお互いに生物が多く、チャンプブロックで凌がれやすい
上記から言えることとして、緑白ミッドレンジ (特に天使2枚を多く採用した形) と、赤を濃くして鎖回しを採用した赤黒機体に弱い。
特に、後者は類似したデッキでありながら、ほぼ赤単の上位互換である。
1マナは同じものの、2マナはキラン・たかり屋・バリスタと、鎖回しに対してアド損しにくい形だ。赤単はボーマット→ケンラの裏目がどうしてもある。
4マナもハゾレトからフェニックスに変わり、環境の要点である飛行ビートダウンに合致した形だ。
また、無許可の分解でメインからライラを打ち取れる。ここも大きな差だ。
要するに、赤単のサイド後の戦術をメインボードから実践可能なデッキと言える。

赤黒の弱点はマナベースにある(3T目に鎖回しを出すなら赤赤赤、無許可を打つなら赤黒が必要)が、M10ランド+サイクリングランド+産業の塔で、沼を採用せずとも黒マナを12枚採用できる。
黒のカードを最小限に絞れば、色事故はそれほど起きないだろう。
今回、山23枚+屍肉あさりの地1枚のマナベースで鎖回しを十分運用できた点を考えると、土地24枚に対して1枚は沼を入れる余地もあるだろう。であれば、黒マナは13枚だ。

結論

今週は望外の成果を得ることができた。
来週も競技レベルの大会に出るのであれば、鎖回しを採用した赤黒機体を使用する。
他のアグロデッキやライラ入りミッドレンジにも戦える、今考え得るベストデッキの1つだ。

求道者の生き方

今日TV番組の「しくじり先生」で村主章枝の話を見て非常に感銘を受けたので、それについて書こうと思う。


全体の話を見た私の感想としては彼女は "求道者" であるということだ。

彼女はもともと一流の選手でオリンピックでも4位になったが、そこで現役を引退できずに8年間続けて、その過程でスポンサーが降りて活動費を払えなくなったり、成績も20後半アラサーになって、10代から20代前半までが主流の世界では活躍できなくなったりといったような話だった。

求道者と思った理由の一番大きいなところは、オリンピックで4位になった時に、なぜ、何が足りなかったのかという思いが非常に強かったと話していたところや、常識的に考えればそこで引退するしかないと周囲から言われていたタイミングで止めなかった(しかも、自分もそう自覚しながら)といったところだ。


"求道者" と私が呼んでいるものについて説明しようと思うが、その対義語が見つからないので求道者の反対は仮に "普通の人" としておこう。

わかりやすく二項対立図で説明すると、求道者というのは、なぜ = whyを志向する人物で反対の人はどうやって = how を志向する人物だ。

これについて細かい言葉を出すよりも例を出す方がわかりやすいと思うので、他にも色々な切り口を出してみよう。
(求道者 : 非求道者=ふつう?)
研究者 : ビジネスマン
真理 : 実利
意味 : 記号
政治家 : 官僚
拡大 : 安定
人 : システム
新規 : 慣習
つまり、求道者というのは物事の原因や起源を志向する人物であって、非求道者は物事の手続きや効果といったその向かう先を志向する人物ということだ。


一般的に、日本の社会道徳というのは求道者的な性質ではなく、その反対の手続きだとかそういったものに重点が置かれている。儒教的な考え方というのはそういうものだ。
キリスト教などの一神教的な価値観に基づく社会でもその傾向は同じで、(少なくとも近代的な)社会というのは手続きの世界だ。

そういうわけだから、社会的な規範に基づく行動というのは手続き的な要素が強くなる。

そうした傾向を肯定する別の要素としては、真理を求めるよりも実利を求める方が幸福に近い道であるということが挙げられる。

番組中では現役生活の最後の8年間を彼女が "本当の地獄" と呼んでおり、そこで止めなかったことが家庭内の不和や金銭的な問題、成績の低下といった様々な苦しい状況を生んだという事実がある。

そうした状況に対して、外野からは "そら見たことか" といった声が投げられる。 "なぜ" の追求は、幸福とは反対の道に往々にして進んでいく。
社会的な規範とかそういうものとして、わかりやすい例をあげれば "社会人" という概念が挙げられるだろう。

社会人という概念は批判の重視であるとか、組織を守る秩序を重視する人間である。また、その仕事っていうのは本当に素晴らしいものでないと知っても、秩序のためにやるといった含意も多分にある。


翻って自分自身のことについて考えると、自分は求道者寄りの人間ということになるだろう。

だからこそ、村主さんの話に強い感銘を受けたわけだが。

もちろん、彼女の方がずっと上の世界を見ていて自分はあくまでそのミニチュアに過ぎないという前提つきだが。

村主さんの話は導入に "引き際を誤った話" とされていたが、最後に面白い話があって、 "振り返ると、自分は苦しい8年間送るために現役を続けていた" と言っていた。現在、指導者 (振付師を指導者と呼ぶのが正しいのかはわからないが) として活動する中で、8年間の様々な失敗が根付いているということだ。
私が観察・考察している限りにおいては、求道者寄りの人間というのはだいたい要領が悪く(要領が良いとはhowを志向することだから、whyを志向する求道者は当然要領が悪い)、割を食う側に回りがちだ。
実際に私自身も社会の中で居場所を見つけるにはかなり時間がかかったのだが、数年間の紆余曲折があって、現在はそれなりに自分がいるべき場所を見つけることができたように思う (定住するべき場所かは別だが)。
何が言いたいのかというと、
求道者タイプの人間っていうのも要領が悪いものの、結果は何も悪いことばっかじゃないということだ。

物事の選択というのは、往々にしてその結果と複雑な因果関係にあるので、何が良い選択なのかは事前には知り得ないことが多い。人生万事塞翁が馬という言葉もあるように。
だから、とにかく本当に何がいいのかとか、本当にどうすべきか、ということは仮説のトライアンドエラー以外にそれを知る方法はなく、原因を志向するタイプの人間の性質が役に立つこともそれなりにあるのだろう。

この話 (村主さんの話+それをより一般化した上記の話) が本当に意味する所というのは、実際のところ私は理解できていないと思う。
しかし、普段ほとんど見ないTVで、偶然にも今日この話に出会うことができたのは非常に幸運だったように思う。


ちなみに、求道者の物語として私の好きな映画を2つ挙げておこうと思う。一部の友人には何度も勧めているのだが。


1. アマデウス

これはモーツァルトの物語だ。彼は音楽の天才、音楽の求道者だ。

モーツァルトはその才能を買われて宮廷に仕えることになるのだが、宮廷というのは極めて官僚的=手続きの世界だ。
即ち、彼の圧倒的な才能と、宮廷の世界というのは本質的に矛盾している。その矛盾を通じて、彼の才能がどういうふうに社会の中で現れていくのかが描かれていくことになる。
今回の話と強く関係するテーマが背景にあると言っていいだろう。

2. ザウォーク

これは綱渡りの話だ。曲芸で生計を立てていたフランス人の主人公が、アメリカのワールドトレードセンタービルに縄をかけて渡るという目標を見つけてそれに向かって進んでいく話だ。

彼もまた求道者で、自分の技術を高め、極限まで到達することによってどんな世界が見えるのかを知りたいがために無謀な綱渡りを決行する。

映画館で見たのは2年前だが、ワールドトレードセンタービルに懸けたロープの上に立った瞬間の映像を見た時の感動は未だに忘れられない。

新しいゲームの世界

はじめに
先日の以下のやりとりについて、

「トランプ並みの暴言」の内容について周囲からやたら聞かれるので、これについて書こうと思う。
某大統領がロクな根拠もない発言で暴れまわっているように、この記事もまたたいした根拠はない。妄想だ。

すぐゲームが修正されることとキャラクターへの愛着の関係性
ちょもすの記事にもあるように、昨今のゲームはすぐ修正される。
三国志大戦なんかも昔はカード追加→3~4ヶ月後に能力修正→さらに3~4ヶ月後にカード追加、くらいのものだったが、現在では1回のカードセットの中で5~6回の能力修正が行われる。
私から見て、この状況はあまり好ましくない。

上記のツイートは対戦相手のカードに対する言及だが、自分の使うものに対しての方が実際はクリティカルだ。
自分がもともと程普に興味がなかったとしても、程普を使い続けていき、程普を使った色んな戦術を発見していくことで自分のゲームの理解を深めていき、同時に程普というキャラクターについても興味を持つようになる。
三国志大戦がなければ、程普のwikipediaを見ることもなかっただろう。
これも、程普を使って長い時間ゲームをしていればこそだ。
毎月のように能力修正があり、使うカードを見直さなければならないのは、それ自体は悪いことではないが、少なくとも愛着を持ちづらくなる。不変であることは愛着と強い関係性がある (「地元」などはまさにその例だ)。
また、長く使うことでも新たな要素を見つけたとき、ゲームやキャラクターの奥深さを感じることができるのだが、そういった機会は、昨今では減少しつつあるだろう。
(弱くなっても使い続けて勝つのが"本当"だという意見はいつでも見られるが、私の現在までに得た考えからするとそれは個人の主義以上のものではないー即ち、そう意見をもとにして私の考えを改める必要性があるようには思えない。勿論そういった考えを持つこと自体を否定する気はない。要するに平行線だ)

「暴言」の内容
暴言の内容について説明する前に、前提として、現在では「暴言」を頭のなかで想像したときの内容は極めて限定的な観点から見ており、要するに多くの誤謬や見落としを含んでいると考えている。
夜11時という時間もまた、感情的になりやすい要因だが……
前置きはこの程度にして、とにかく当時思ったこととしては、
「ゲームが下手なくせにうるせー奴らがゴチャゴチャ言ってるから、そいつらのご機嫌取りにバランス調整ばっかにやってるんだ」
「調整ばっかになったせいで腰を据えてゲームを楽しむことができなくなった」
「とはいえ、ゲーマーが高齢化して、若い層がソシャゲに取られて流れてこなくなったから、口だけうるせー奴らの相手もしなきゃいけない」
といったような内容だ。
文字に起こすとなかなかの内容(有名な人がこんなことを書いたら大炎上だろう)だが、当時こう思ったことと、内容を鑑みて記録な残る形で意見を書かなかったことは事実だ。しかも、今は全く感情が乗っていないので、恐らくその時に書いたらもっとひどい表現になっているだろう。
この考えにはいくつかの背景がある。

新しいゲームの世界
上記の「暴言」中で少し言及したが、ソーシャルゲームの発展と旧来のゲーム(対戦ゲーム含む)の変容というのは何かしらの因果関係がありそうに見える。
実際に因果関係があるかは不明だが、少なくとも、ソーシャルゲームの出現前後で「ゲーム」の世界は大きく様変わりしたという結果を私たちはよく知っている。
私はその変化の内訳を詳細に理解しているわけではないが、概ね以下の事象の集合体であると解釈している。
  1. 今までゲームをやっていなかった人間もゲームをするようになった (ただし、ソーシャルゲームの範囲内で)
  2. ゲームをしていた人間のうちの何割か(かなり多い割合)は従来のゲームに割いていた時間の一部をソーシャルゲームに割くようになった
  3. 国内のゲーム会社の業績はソーシャルゲームの売上=ガチャの売上によって左右されるようになった
  4. ソーシャルゲームをプレイする際に、既存のゲーマー(廃人?)と今までゲームをしてこなかった世代(キッズ、ライト層、……)が混在するようになった
  5. SNSによって、多くのユーザの声が可視化された。その中で上記4で述べた層別化もまた可視化された(両者は多くの場合不干渉もしくは対立の関係にある)。
他にも色々書けそうだが、本題とはあまり関係がないのでここでやめておこう。
これらを、それぞれを良い変化と捉えるか悪い変化と捉えるかは、ここの議論ではあまり重要ではない。
事実としてすでに変化は起こり、これらは少なくとも数年のスパンで見れば不可逆的な変化である(もっと長い視点で見た場合について、個人的にはやはり揺れ戻しのような現象は起こらないと思う)。
これらの結果のうちの一つとして、「ガチャゲーばっかりになった」とか「浅いゲームばっかりになった」とか、そういった類の声、つまり既存のゲーマーの一部の層の不満も可視化された。
ポストソーシャルゲームの世界では、ゲームは今までよりも遥かに多い人口に対して開放された存在になり、
グラブルが出始めたくらいには「ソーシャルゲームはゲームじゃない」という意見もそれなりに見られ、それを信じる人間もいたが、今日においては時代錯誤も甚だしいと言わざるをえないだろう(ソーシャルゲーム悪役論は、今考えると非常にくだらないが、当時は割と大真面目に議論されていた記憶がある)。
ユーザーはガチャを求めており、ソーシャルゲームは一大ゲームジャンルであり、サイゲームは低迷がちのゲーム業界における新しいスタープレイヤーであり、そうした状況が既に確立されている。
ソーシャルゲームと従来のゲームの差異は多岐に渡るが、そのうちの一つがコンテンツ提供のペースが極めて早いことだ(ゲーム内イベント)。
新規ストーリー、コラボイベント、人気キャラクターのピックアップ、協力イベント、……ソーシャルゲームは、ありとあらゆる手で、消費者をゲームに誘引し続ける。基本的にあらゆるコンテンツは時間の経過とともに鮮度が落ち、人気が減っていくが、そこで短いタイムスパンで施策を繰り返し打つことで、高い人気を維持する。

作り手の世界の変化
私はゲーム会社の中身を見たことはないためかなり想像が強く入るが、上記の変化は従来のゲームにも強い影響を与えているように感じられる。すなわち、ゲーム会社の経営方針が変化している。
昔はゲームはほぼ売り切りに近かったが、現在では100%の完成よりも70%で早くリリースする、市場の反応を分析して早めに施策(毎月のバランス調整、コンテンツ追加など)を打つ、横展開でボリュームを稼ぐ、……といったソーシャルゲーム的な手法(と呼ぶのは乱暴かもしれないが)が取り入れられている。
実際にアーケードゲーム、コンシューマゲームなどでこうした傾向はある。
理由になるとこれは完全に妄想の域だが、ゲーム会社にとってはゲームを作る上で(経営的に)一番重要な点は売上を高めることであり、これらの戦略は売上の増加に効果があることが業界の共通認識になっているのだろう。
余談だが、システムやアプリの世界もこうした傾向は生まれつつある。システム屋、アプリ屋、ゲーム屋はそれぞれ違う人種だが、北欧人と西欧人を日本人が区別できないように、外側から見て一括りで「IT」というと共通性は随所に見られる(※ITで言えば私は内側にいるので例が少しおかしい)。
こうした戦略は従来は取ることができなかった。コンシューマゲームでソフトのアップデートを簡単にできるようになったのはハードウェアの進化とネットワーク環境の整備による。また、市場の反応を見る上でもメーカーにとっては消費者に関する情報源は限られており、SNSが今までよりも格段に幅広いユーザの声を提供するようになった。
つまり、ゲームを世に出した後に小刻みに改変していくことは、そもそもゲーム会社にとってやりたいことであり、以前にそれをやっていなかったのは、単純にできなかった=世の中にやる方法がそもそも存在しなかった、もしくはそれが効果的だと知らなかった、ということだ。
ゲーム会社は、知恵の実を得たということだ。

新しいゲームの世界で生きていくために
上記の考えが根本的に誤っているわけでないとするならば、ゲームが小刻みに改変されていくことは、消費者とメーカの双方にとって有益であるということになる。
これはほんの一例であって、起こった事象のそれなりの割合は消費者のメーカが合意した結果だ。ガチャなどもそうだ。売上になるだけでなく、消費者もまたそうした娯楽を求めた結果である(自分自身がそれに合意した覚えはなくとも、経済活動という投票によって民主的に決定されたということだ)。
勿論、それが全てではない。あくまでボリュームゾーンの話をしているのであって、そこが居づらいのであれば、自分の住みやすい場所を探すことはできる。
個人が取り得る行動はいくらでもあるということだ。
一先ず私は、新しいゲームの世界を体験しつつ、私にとって幸福に感じられるようなゲームとの付き合い方を模索していきたいと思う。
実際に体験する中で、ここで書いたような私の認識の誤りに気づいたり、新たな潮流を感じ取ることができるだろう。少なくとも、腐っているよりはその方が幾分か良いように思う。
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