2010年11月02日

沖縄、宮古の戦跡を訪ねて

更新がストップして失礼しております。みんな生きています。今回は9人以外の仲間からの投稿第2弾です。

 「軍事同盟にたよらない平和」を理念に戦争・平和のことや、現在の国際情勢などについて学んでいる「AALAユースネット」の山田主税という者です。(AALAは、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの略) その他、自分の住んでいる地域で活動している平和団体や、日本軍「慰安婦」支援に関わる団体への参加など、様々な市民活動に関わっています。


 今回は、初めて行った沖縄・宮古島の戦跡報告をさせていただきます。
 旅行の目的は、沖縄にある戦跡・慰霊碑や、自分が取り組んでいる日本軍「慰安婦」に関する場所などを訪れたいという気持ちから4月5日〜12日の予定で行きました。
 沖縄本島の戦跡では、このブログでもおなじみの「虹の会」北上田氏に海軍司令部壕、ひめゆり平和祈念資料館、沖縄平和祈念公園と沖縄平和祈念資料館などを案内していただき、他日は対馬丸記念館、
南風原文化センターと南風原陸軍病院壕を見学しました。


南風原陸軍病院壕写真:南風原陸軍病院壕 

 沖縄本島南部の戦跡で印象的だったのは、
沖縄平和祈念公園、南風原文化センターと南風原陸軍病院壕でした。この沖縄平和祈念公園は、沖縄戦最後の激戦地になった摩文仁の丘周辺に沖縄戦で死んでいった本土の各県出身者達を慰霊する「国立沖縄戦没者墓園」が作られ、公園設立時の当初の内容は、兵士達の視点から始まったと聞かされました。
 
その後、1995年に作られた「平和の礎」には沖縄島民はもちろんのこと、アメリカ兵やイギリス兵といった敵側の人々、強制的に連れてこられた植民地出身者(朝鮮・台湾)達の名前が刻まれました。このように「国立沖縄戦没者墓園」から「平和の礎」といった慰霊碑などの増設から、徐々に沖縄島民や植民地出身者(朝鮮・台湾)達のための慰霊碑が作られ、兵士から民衆の視点へと変わっていったそうです。


 

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Posted by sensouheno at 22:00Comments(1)沖縄 | 外部筆者

2010年05月01日

「日米密約〜裁かれない米兵犯罪」

 28日に、ルポ『日米密約〜裁かれない米兵犯罪』(岩波書店、1500円)が発売されました。
 米兵犯罪がちゃんと裁かれないのはなぜか? どうして日本政府は被害者である自国の市民よりも罪を犯した米兵を守ろうとするのか? 不平等な地位協定の隠された闇を追いました。(布施)

日米密約 雑誌「世界」に連載したルポに、その後、沖縄への取材、読谷村長や在日米陸軍司令部へのインタビューなども行って大幅に加筆しました。

 日米安保体制の下での日米関係がどういうもんか、この問題を通して見てみるとよく分かります。この本が、地位協定の改定はもちろんですが、ひいては安保そのものの見直しに少しでも寄与することを願っています。 皆さま、どうぞヨロシクお願いします!

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Posted by sensouheno at 01:05Comments(0)社会問題 | 布施

2010年04月24日

北海道猿払村で、3回目の遺骨発掘

 今年の春はとてもゆっくり。それもそのはず、来る5月1日から開催を準備している「第3次浅茅野強制連行犠牲者遺骨発掘」の発掘予定現場が、今現在も深い雪に埋もれているといいます。(殿平)
 昨年同時期の発掘では、ちょうど行者ニンニクや谷地蕗などの山菜が真っ盛りだったことを思うと、今年の春の遅さは相当なものかもしれません。

遺骨写真:昨年出土した遺骨。鑑定から極度の栄養失調と重労働の痕跡が認められた 

 さて、本題の遺骨発掘ですが(昨年の模様は2009年6月1日記事)、5月1日から4日まで、日韓の考古学チームを中心に、約50名のボランティアの参加によって取り組まれることになっています。
 発掘の主体となるボランティアは、文字通り参加者全てが手弁当で、遠く本州や韓国から北海道北端の地に集います。北海道大学考古学教室と、韓国の漢陽大学文化人類学科、忠北大学考古美術学科の学生にとっては、近現代の歴史を学術的に扱う数少ない機会となります。

 私たちは今回の発掘を最終作業と位置付けていて、これまで2回の発掘(1回の試掘)で計17体の遺骨を発掘していますが、掘り残している箇所があといくつかあり、それらの確認が主な作業となります。
 そして、この発掘を終えたら、いよいよ遺骨の返還へと具体的に動き出します。

 昨年、本州と韓国からお招きした日韓のご遺族は、祖国への遺骨の返還と改葬を望んでおられました。韓国政府の強制動員被害真相究明委員会は、今年3月で解散されたものの市民の声の後押しで後継の委員会がなんとか存続となりました。浅茅野の発掘に当初からかかわる曹洞宗は、今回も宗務総長自ら現場に入り、以後の遺骨返還にも積極的な支援を約束して下さっています。

 実際に土中から現れるご遺骨からは、犠牲者の断片的な情報しか知らされることはありません。しかし、遺骨鑑定や埋没状況など科学的な検証を経て、その過酷な労働と痛ましい犠牲の真実が明らかにされていきます。
 そして、もの言わぬご遺骨の向こうには、深い悲しみを抱いたご遺族との出会いがあります。

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Posted by sensouheno at 20:23Comments(0)戦後補償 | 殿平

2010年04月20日

戦跡再生人

 2010年3月30日、浜松を訪れた。浜松市戦災遺族会の上原宏さんに会い、1965年に設立された遺族会の歴史を聞くためだ。
 上原さんは、今年90歳。フィリピン戦線で従軍し、終戦を知らず9月まで戦闘を続け、復員した。その間、45年7月29日、浜松への艦砲射撃で妹さんを亡くしている。(山本)


 浜松駅を降りると、上原さんとお母さんが遺族会に関わっておられた森下結城子さんの出迎えを受け、市内を案内してもらった。

 最初に訪れた住吉公園で、わたしは絶句した。

 ここは、43年、浜松市出身の軍人戦没者を慰霊する忠霊殿が建てられた場所である。

記録によれば、戦後の忠霊殿は、46年ごろから浜松市の戦没者遺族会が管理し、66年、浜松市教育委員会から福祉事務所に移管された。同所での平和記念館建設(53年)に合わせて位牌の奉祀運動がおこり、66年、戦災死者の位牌が合祀された(浜松市戦災遺族会編『偲ぶ草』、2000年)。


更地になった忠霊殿 ところが、その場所に忠霊殿がない。見えない。更地になっているのだ。


 忠霊殿を訪れるのは初めてだったので、はじめは、うまくお話が聞けるかどうか、そちらの方が気になっていた。ところが、問題はそれ以前、あるいは、それ以上。

 場所があってこそ論争や議論が起こる。しかし、場所そのものがなくなってしまえば、記憶そのものが根こぎにされてしまう。

 事情を聞くと、撤去されたのは05年。老朽が表面化し、修繕費用350万円をどうするか求められたが、高齢化する遺族たちに負担能力はなく、結局のところ撤去が決まった。


 

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Posted by sensouheno at 12:22Comments(0)戦後補償 | 山本

2010年03月21日

なぜ戦争を考え、伝えるのか ある戦争遺跡ガイドの場合

9人以外の「戦争への想像力」

 これまで「戦争への想像力」著者9人が、本に書ききれなかったこと、本に書いたその後のことなどを徒然に書いてきましたが、「若者」で戦争について思索し行動している人たちは、当然我々9人以外にも多くいます。
 そこで、もっと幅広く若い世代の考えや活動を紹介する場が必要ではないかと考え、当ブログでは今後、著者9人以外の筆者を迎え、この場で表現してもらうことにしました。
 9人の記事だけでも滞りがちではありますが(反省)、今後は少しずつ、いろいろな人の記事も紹介していきます。
 第1弾は、石橋星志さんからの原稿です。



戦争遺跡ガイドは平和の種まき人

 明治大学の大学院生の石橋です。「戦争への想像力」にも大いに触発されて考えてきたことを、このブログに発表させていただくチャンスに感謝しています。

 私は、戦争遺跡のガイドを学生時代に始め、もう6年続けています。場所は、靖国神社、慶應義塾大学日吉キャンパス内の海軍連合艦隊司令部地下壕などの海軍施設群、明治大学生田キャンパス内の陸軍登戸研究所です。
 また、平和博物館のお手伝いもしています。2つの館でそれぞれ扱っている対象は別ですが、どちらもいわゆる15年戦争の時期を対象にしています。

靖国の事実を知る

 靖国神社を戦争遺跡と見なすことに違和感を持つ方がおられるかもしれませんが、それは靖国神社を良くご存じないか、決まった見方からしか見ておられないからではないかと推察します。 

 靖国神社の境内には、日本の近現代史を考える上で意味のあるものがたくさんあります。とかく遊就館の展示の問題ばかりが指摘されますが、もちろんその批判もガイドの重要な側面ですが、境内の様々な場所にみなさんをご案内する中で、靖国の、そして近現代日本の歩みが見え、考えるものや場があります。
 
yasukuni写真:09年秋の例大祭の日の靖国神社。8月15日と違い、人はあまり多く来なかった

 戦争遺跡とは、近代の戦争における戦争に何らかの形で関わった場所であり、私の実践からすれば、いうなれば戦争について考える場のことです。特に戦争の体験がないものにとって、場(現場)の力というのは、戦争を考える大きな助けになると感じています。
 そういう意味で、賛成反対をともかくとして、事実関係を押さえ、靖国を知り、考えることが必要で、その中でメディアが報じない問題まで含めて理解し、さてどうするかを考えるところまで刺激するのが、ガイドの役割と思っています。どう考えるかは、最終的にはその人次第です。ただし、戦争を肯定し、平和への試みを軽視する方には、その肯定した戦争の結果、自分が傷つく可能性は強く示唆しますが。

 

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Posted by sensouheno at 23:43Comments(0)靖国 | 外部筆者

2010年03月16日

二つの遺書 B・C級戦犯たちの思い

 私は去年の8月に横浜の英連邦墓地の追悼礼拝に参加しました。
 その時にお会いしたのが駒井修さんです。駒井さんは毎年岩手から、この追悼礼拝に参加するためだけに横浜までやってきます。駒井さんはどんなに太陽が照っていても、決して帽子はかぶらず、亡くなっていった捕虜の方へ思いを馳せるのだそうです。この日はとても暑い日でした。(荒川)

英連邦墓地 駒井光男さんは戦争中、タイのカンチャナブリ捕虜収容所で副所長でした。駒井修さんの父親です。当時泰緬鉄道の建設作業を急いだ日本軍は連合軍捕虜に労働させ、完成を急ぎました。物資のない中、劣悪な環境の中でたくさんの捕虜が病気などで亡くなりました。
 1943年、イギリス人捕虜が無線で連合軍の放送を盗聴していたことが発覚し、容疑者の捕虜たちを拷問しました。駒井光男さんはこの事件の容疑者として1946年にB・C級戦犯裁判にて死刑判決が下され、同年3月14日に41歳で死刑となりました。

 駒井さんは幼い頃から戦犯の子どもとして差別され、とても苦しんできました。夫の帰りを待っていた母も、駒井さんが高校生のときに病死しています。子ども時代に苦労しながらも、就職して家庭を持つうちに、駒井さんは父の光男さんのことを考えるようになります。そして死刑のきっかけになった事件のことが少しづつ分かってきて、駒井さんの中に変化が生まれます。拷問で殺された捕虜たちにも同じように家族がいて、きっと苦しんでいると思うようになるのです。

 駒井さんは当事者の元捕虜のE・ロマックスさんというが方が今も生きていることを知り、拒否されるのを覚悟で直接会って謝罪したいと考えます。それは実現しました。2007年の「田原総一郎スペシャル処刑台に散った父 時代を超えて届いたBC級戦犯124通の遺書」という番組をビデオで観ることができました。緊張してロマックスさんの家に向かう駒井さんが映っています。少し雑談をしたあと、ロマックスさんと駒井さんは二人きりになり、謝罪はおこなわれました。
 駒井さんの『父をおもうー「戦犯の子」として生きた私の戦後―』という文章をぜひご覧ください。駒井さんの実直な人柄が表れている文章です。
http://www.us-japandialogueonpows.org/index-J.htm

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Posted by sensouheno at 08:35Comments(2)戦後補償 | 荒川

2010年03月05日

「火と水」  東京、ニューヨーク、カブールをつなぐもの

 カナダのフィリップ・バイロック(Philippe Baylaucq)監督による映画『火と水』の試写会にいってきました。東京大空襲・戦災資料センターが、資料面で協力したので、招待されたのです。カナダ大使館の立派なシアターで上映会は行われました。(山本)


バイロック 『火と水』は、世界貿易センターのテロ事件で息子を亡くした白鳥晴弘さんが、暴力の連鎖を断ち切るためアフガニスタンを訪れ、現地の子どもたちと交流し思索を深めていく姿を追いかけた作品です。
 白鳥さんは、幼いころ東京大空襲を体験し、間もなく両親を失った経験を持っていました。息子さんは父に反発し、ニューヨークで働いていました。息子が殺されたことをきっかけに訪れたアフガニスタンの子どもたちに、白鳥さんは猛火を逃げまどい生き残ったかつての自分の姿を重ねます。

 『火と水』はとても繊細で、美しく、同時に難解なイメージですが、火はひとびとに襲いかかる暴力を、水はカブールのひとびとの喉をうるおす水、怒りを鎮め、二度とこのような悲しみがないようにと願うひとびとの祈りを現わしていると、わたしには思えました。


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Posted by sensouheno at 12:22Comments(0)

2010年02月02日

元「慰安婦」証言集会に参加した陸軍出身者

 「申し訳ない。とても言えることではない」―― 元陸軍兵士の告白

 昨年11月28、29日に大阪、京都で開催した姜日出(カン・イルチュル)ハルモニ(おばあさんの意。81歳)をお招きしての証言集会は、両会場ともに350人超の方々に参加いただきました。
 わたしたちが京都で証言集会を始めてから6年目の去年。毎年200名前後と多くの方々の参加がありましたが、とくに去年は地方議会での"慰安婦問題の即時解決を求める決議採択"が相次ぐなど、開催前から関心の高まりを感じていました。
会場 また、知名度の高い韓国・広州市「ナヌムの家」からの証言者ということで、ナヌムの家を訪れた経験がある方々、遠くは東京や横浜からの参加もありました。

 「いつもより多目に」と準備した資料もあっと言う間になくなり、慌てて椅子を追加したのですが座席もすぐに足りなくなってしまうほどでした。


 例年、若い世代の参加者が多いのが特徴ですが、今年とくに印象に残ったのは、90歳になるおじいさんの参加です。
 受付にいたスタッフの話によると、このおじいさんは当日たまたま会場でチラシを受け取り参加したとのこと。集会開始前からしばらく会場のあたりを行ったり来たりしていたようなのですが、集会後半、姜日出ハルモニの証言が始まる直前になって中に入って来られました。(村上)

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Posted by sensouheno at 20:01Comments(1)戦後補償 | 村上

2010年01月23日

「戦争への想像力」3刷!

hon われわれ9人が書いた本「戦争への想像力 いのちを語りつぐ若者たち」がとうとう(やっとこさ)第3刷となりました。みなさまのおかげです。ありがとうございました。

 9人は当ブログでもお伝えしているとおり、引き続きそれぞれの分野でLove&Peaceな活動をしております。今後はこのブログで、9人以外にも、戦争と向き合い活動している若者たちのことを紹介し、自ら発信してもらおうとも思っています。
 これからも本と活動をどんどん広めていきたいと思っております。よろしくお願い致します!


「戦争への想像力 いのちを語りつぐ若者たち」新日本出版社、小森陽一監修

■ 語りつぐ「戦争」受けつぐ「希望」――戦争を知らない世代が動き出す
 残された時間は限られている――戦争体験者と若者たちの想いが重なり合ったこの瞬間、「戦争体験」を受けつごうとする若い世代の新たな活動が広がっている。六十年という時間を越えて、日常生活のただ中で、どうしたら戦争の現実を伝えられるのか。体験者と出会い、想像し、共感する若者たちの試みに耳を傾けてみませんか。

2008年 7 月出版
ISBN : 978-4-406-05151-4
定価 1,680円 (本体 1,600円)


http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%83%B3%E5%83%8F%E5%8A%9B%E2%80%95%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8A%E3%81%A4%E3%81%90%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%B0%8F%E6%A3%AE-%E9%99%BD%E4%B8%80/dp/4406051511/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1264154489&sr=8-1  
Posted by sensouheno at 22:37Comments(0)お知らせ