2010年03月21日

なぜ戦争を考え、伝えるのか ある戦争遺跡ガイドの場合

9人以外の「戦争への想像力」

 これまで「戦争への想像力」著者9人が、本に書ききれなかったこと、本に書いたその後のことなどを徒然に書いてきましたが、「若者」で戦争について思索し行動している人たちは、当然我々9人以外にも多くいます。
 そこで、もっと幅広く若い世代の考えや活動を紹介する場が必要ではないかと考え、当ブログでは今後、著者9人以外の筆者を迎え、この場で表現してもらうことにしました。
 9人の記事だけでも滞りがちではありますが(反省)、今後は少しずつ、いろいろな人の記事も紹介していきます。
 第1弾は、石橋星志さんからの原稿です。



戦争遺跡ガイドは平和の種まき人

 明治大学の大学院生の石橋です。「戦争への想像力」にも大いに触発されて考えてきたことを、このブログに発表させていただくチャンスに感謝しています。

 私は、戦争遺跡のガイドを学生時代に始め、もう6年続けています。場所は、靖国神社、慶應義塾大学日吉キャンパス内の海軍連合艦隊司令部地下壕などの海軍施設群、明治大学生田キャンパス内の陸軍登戸研究所です。
 また、平和博物館のお手伝いもしています。2つの館でそれぞれ扱っている対象は別ですが、どちらもいわゆる15年戦争の時期を対象にしています。

靖国の事実を知る

 靖国神社を戦争遺跡と見なすことに違和感を持つ方がおられるかもしれませんが、それは靖国神社を良くご存じないか、決まった見方からしか見ておられないからではないかと推察します。 

 靖国神社の境内には、日本の近現代史を考える上で意味のあるものがたくさんあります。とかく遊就館の展示の問題ばかりが指摘されますが、もちろんその批判もガイドの重要な側面ですが、境内の様々な場所にみなさんをご案内する中で、靖国の、そして近現代日本の歩みが見え、考えるものや場があります。
 
yasukuni写真:09年秋の例大祭の日の靖国神社。8月15日と違い、人はあまり多く来なかった

 戦争遺跡とは、近代の戦争における戦争に何らかの形で関わった場所であり、私の実践からすれば、いうなれば戦争について考える場のことです。特に戦争の体験がないものにとって、場(現場)の力というのは、戦争を考える大きな助けになると感じています。
 そういう意味で、賛成反対をともかくとして、事実関係を押さえ、靖国を知り、考えることが必要で、その中でメディアが報じない問題まで含めて理解し、さてどうするかを考えるところまで刺激するのが、ガイドの役割と思っています。どう考えるかは、最終的にはその人次第です。ただし、戦争を肯定し、平和への試みを軽視する方には、その肯定した戦争の結果、自分が傷つく可能性は強く示唆しますが。

 


戦争体験を聞き、アウトプットする

 戦争体験の継承と言われて久しいにも関わらず、その議論は必ずしも深められてきたとは言えません。理論としての議論はあっても、現場で体験者と向かい合い、本を読み、現地を歩くなど様々な方法で考えを深め、といった行動をしている人同士の議論は少ない印象があります。

 その議論は、その受け手である我々「若い」サイドがやるだけでなく、戦争体験者も交え、相互理解を進めながら行っていくべきものだと思います。そうでないと、体験者から非体験者への一方的な語りとなり、それを受容するか否かでは、説教やノスタルジアの押しつけと取られてしまう可能性が少なからずあります。

 私は戦争体験者の語りの尊さや語るまでの道のりを高く評価し、意味あるものと思う反面、同様に戦争体験がない世代が学んだり、意見を持つこともまた意義あることであり、簡単な道のりではないと思っています。また議論は常に、現場を優先し、目的を達成するためにこそ行われるべきものと思います。

 


 既に「戦争への想像力」で山本さんが言っていることですが、体験を聞くということ、言い換えればインプットと、それから学び何かアクションをしたり考える、伝える、つまり言い換えるとアウトプットは整理して考えられなければならないと思います。そしてそれぞれのやりかたを交流し、経験をぶつけ合って、よりよい受け止め方、伝え方を考えなければならないと思います。

  さらに言えば、記録を残すという面では、できる限り聞き取り、ビデオ撮影、体験の原稿化などを行う必要性は強く存在するし、もはや時間に追われる中で、後手後手であってもやるべきことだとは思いますが、だからといって、戦争体験者が言ったことだけを真に受けて、その方の生き方をなぞるように思考するなら問題だと思います。

 

kosupure 例えば、靖国神社も遺族が高齢化し、これまでのような実際に遺族の慰霊を担う側面が崩れていくと、社会的な存在意義が低下し、営業面や運営面でもこれまでのやり方は通用しなくなり、靖国自身が自己変革を迫られると思います。そこで現実よりも、戦争体験世代の敷いたレールを重視すれば、その状況に応じた批判でなく、門切り型で、身内でしか通用しない言葉しか出てこなくなるのではないかと思います。

 

 社会的な議論に対応できなければ、なかなかその価値は世間に認められず、多くの人がアクセスするのも難しくなります。もちろん、的外れな批判も少なくないとは思いますが、身内のみの議論ではどうしてもいろいろな限界があります。幅広い議論の中で意義や意味、大まかな考え方をまとめ、目に見える形にしていく必要があると思います。そういう意味では今回寄稿の機会をいただけたことがこのブログにもプラスになればと思います。


生々しくリアルに残る戦争体験
 

 昨年の12月、東京で「平和のための博物館市民ネットワーク」の交流会がありました。日本には世界で一番多く平和博物館があり、その対象もバラエティーに富んでいます。交流会では、日本各地の様々な平和博物館の関係者や平和博物館に関心のある人が集まり、交流しましたが、その議論のテーマの一つが、若い世代の活動や語り継ぎの問題でした。議論は始まったばかりだと思っていますが、いろいろな場所で平和博物館や平和の問題に関心を持っている同世代、近い世代と交流することができ、それはもちろん今も続いています。

 

 交流の中で世代共通の問題意識や、個別の個性も明らかになるように思います。同世代間の交流と議論、異世代との交流と議論の双方にそれぞれ今後の課題があるように思います。

 

 交流と議論を通じ、戦争を語り継ぐ、体験をどういう形で残していくのか、それは戦争の記憶というような、アンニュイで都合のいい言葉ではなく、今を生きる自分たちともつながる、リアルな問題として、安易な普遍化を避け、どこまでも生々しく残していくことを考えていくべきだと思います。


「若い人がやってる」から、すごい?

 次に「若者」が戦争を考えるのは、珍しいことではないのではないかと思っています。私たちには、祖父母の生きてきた時代を知らないというのは、今を知らないことにつながる不安感があります。私たちの父母と祖父母の世代では、つまり体験世代と非体験世代の時には、社会の大きな変化もあり、確執も多く、話しにくい土壌があったと思います。

 

 私は「戦争非非経験世代」と呼びますが、私たち孫世代は、同居などの条件が合えば、日常的に祖父母世代と確執なくやりとりをできます。また、祖父母世代も何かを言い残しておこうと長い時間をかけ、思い至ったときに私たちの世代が一番時間を割ける位置にいるのだと思います。

 

 メディアでは、「若い人がやっているからすごい」かのように言われ、またそういう人は若者の少数で、希望の星のように言いますが、これも狭い視野の話で当てになりません。私の把握する限り、いくつものゼミがフィールドワークを行い、社会人でもそうした試みを続けている人もいます。戦争から65年して、運動としてではなく、何があったかを考える人が各地にいることは、未だかつて無い大事なことです。できればその人々が緩やかなネットワーク的に繋がり、現状を共有できれば望ましいと思います。

 

 多くの戦争体験掘り起こしや、戦争遺跡の保存運動、空襲記録運動、平和博物館の建設運営にも若い人の影は少なくないのです。それは、先達が亡くなっていくからでもありますが、後継者が全く不在と言うことでもないのです。ただ、それでは生活できないので、年が上がるほどに、各自が大変な状況ですが。


戦争も多くの情報のひとつ、とならないために
 

 これまでの話の落としどころは、どこにアウトプットするかにあると思います。ガイドである以上、それはガイドツアーに参加された方ですが、もっと先には今の小中学生。「戦争非非非体験世代」にどう伝えるのかという問題があります。押しつけ型の平和教育はますます無効になってくるでしょう。子どもたちが、自発的に様々な問題を考える大人になるために、戦争はいいケーススタディーでしょう。しかし、彼らの捉え方はまた、これまでとは大きく違い、今と戦争とのつながりを感じにくくなるのではないかと思います。

 


 実は戦争だけでなく、我々大人も情報の洪水の中で、様々な神経が麻痺していると思います。私のガイドで一番考えてほしいのは、メディアリテラシーです。情報とのつきあい方を考える際に、過去の歴史はいくつもの材料を提供してくれます。

 

 過去の人々の生をリアルに考えたときに、今の社会に生きる他の人々の生もリアルになるのではないかと思います。

 日本という国家が老いて、縮小再生産の軌道を描くには、他者への理解と、世代論などのレッテル張りの排除が必要です。それは印象やレッテルではなく、現実を直視する力を養うことでもあります。そしてそれに対し、どう行動するのか。

 

nisimra-0085 考えることも特定以外の行動を取ることも、それが最も許されないときが戦争です。ですから、戦争を学ぶことが、様々な問題のヒントや処方箋にもなりうるし、現状の相対化にもなると思うのです。様々な要素が含まれる戦争や、戦争体験、戦場体験を一口にはまとめられませんが、それは社会資源として、今後様々に活用可能なのではないかと思います。

 

 これらはあくまで現場でのせめぎ合いや、双方向のやりとりからこそ深まるヒントが生まれ得ると思います。私がガイドにこだわるのもそこにあります。

知識の有無ではなく、現場で何を感じるか、説明がどう膨らんで聞こえるかがフィールドワークのいい所です。


ガイドは考えるきっかけをつくるだけ
 

 ガイドはどこまで行っても、平和の種まき人です。芽が出るかどうか、その後どうするかは聞いた側、受け止めた側次第です。それは図式化して計算しにくいですが、私はアバウトに人生に3回くらいは、発芽するチャンスがあると思うのです。つまり、人生の中でこの時だけは平和であったほしいと思う時期です。それは、例えば、結婚したとき、子どもが生まれたとき、孫が生まれたときというように。

 


 映画監督の黒木和雄さんのお話を「父と暮せば」公開の頃に聞く機会がありました。戦争をテーマにした映画が「戦争を考えるよすがになれば」と語った黒木さんは、「戦争を考えることができるか、止めることができるかは想像力の問題だ」と言いました。恐らく、その想像力は戦争の問題だけでなく、社会を考えること全体にも波及しうるのではないかと思います。

 

 なので、私の戦争遺跡ガイドは知識や「平和」を植え付けるものではなく、その人がより考えていくきっかけを作れるものでありたいと思っています。平和運動をしなくても、社会的な問題に関心を持ち、介護や子育て支援、貧困や飢餓などの社会的な問題を何とかしたいと、できることを考えて、それを仕事にしたり、時々そうした団体の募金に賛同することでもいいと思うのです。

 

 そういうものを目標にして、これからもガイドを続け、広い意味で同じ方向性を持つ人と話し合い、交流し、考えていければと思っています。


Posted by sensouheno at 23:43│Comments(0) 靖国 | 外部筆者

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