ソウルの大きな嫁

1997年よりソウル在住。イベントコーディネーターや金融関係のプロジェクト通訳を経て、2011年から新たな専門職を得てフルタイムで働いてきましたが、そろそろ引退も視野に。起業家精神旺盛の旦那、入隊中の息子と浪人生の娘の4人家族。80代半ばの義理の両親とは2023年11月に13年の同居生活を卒業し別居中。日々の暮らしを綴っています。

1997年よりソウル在住。イベントコーディネーターや金融関係のプロジェクト通訳を経て、2011年から新たな専門職を得てフルタイムで働いてきましたが、そろそろ引退も視野に。起業家精神旺盛の旦那、入隊中の息子と浪人生の娘の4人家族。80代半ばの義理の両親とは2023年11月に13年の同居生活を卒業し別居中。日々の暮らしを綴っています。

去年の5月に空軍に入隊した息子。
21ヶ月の服務期間もあと6ヶ月を残すばかりになりました。

息子が入隊した当時の私は
「世界がグレー」と友達にこぼし、

出勤前には誰もいない息子の
部屋のドアをあけ「いってきま〜す」と
小声で言ってから家を後にする生活でした。

それから1年と3ヶ月。

「軍生活は自由がないことを除けば大きな
不満はない」、という息子に安心したのか、
(あるいは自分の退職準備でそれどころでは
なくなったのか?)
朝息子の部屋に立ち寄るのを忘れることも
たびたび。

旦那が言っていました。
「期限があると、あっという間に
その日がやってくる」と。

どうやら借金の返済のお話しがもとになっていた
そうですが、とても説得力のある話でした。

思えば私の退職が予定通り実現したのは、
息子の21ヶ月の軍生活のお陰だったのかもしれません。

「息子が軍にいる間、母も一つ一つ行動して
除隊の日には新たなライフスタイルで
息子を迎えなくては!息子に申し訳ない。」
という少々こじつけ気味の決意をしたから。

昨日のニュースで闘病中の経済アナリストの森永さんが、
「夢はもたない!タスクをもつ!」
やりたいことはタスク化し、1日1mmでも
いいから前に前進することで実現に近づいていく。

と、言われていて、120%納得しました。




1時間前、休暇が終わり軍に戻っていったお兄ちゃん、
軍服に着替えて、
「あ〜戻りたくない」と一言。

「そうだよね〜戻りたくないよね〜。ごめんね〜。
でも戻らないと、永遠に除隊できないから、
もう少しがんばろう!お母さんも一緒にがんばっているから!」

と、心の中でつぶやき、
ハグで送りだした母でした。


木曜日に娘と息子の3人で食べに行きました。(旦那さんはお仕事)
伝統アメリカ式オリジナルパンケーキ専門店の韓国本店

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先週の火曜日に直属の上司に、
そしてその翌日に部署長に退職の意思を伝えたとき、
何か希望はありますか?と聞かれたので、
「退職の件は、9月上旬まで内密にお願いします!」

とお願いしたにもかかわらず、
一週間も経っていない今日ほぼ全部に
私の退職が公になってしまいました。

それも私とは全く関係のない私不在の会議の席で、
チーム長が話してしまったのです。

そんなことありでしょうか!?

先週の時点で少しは覚悟していたのですが、
思ったより早くてあせりました。

それに今日は仕事が立て込んでいて、
対応する暇もなく。

辞めるのだからこのくらいの理不尽さは
仕方ない!?

こんなところだから早く辞める!
ということではないのですが、やはりショック。

私の退職の話をきいた会議参席者の3人の
反応が三人三様で、性格がばっちりでているので、
ここに残しておくことにします。

一人目。同じ職種で隣の席。
私がよく冗談でもうすぐ定年だと言うと、
そのときは自分も辞めると言っていた彼女。
私の退職が現実と聞き、驚きのあまり一人で
は耐えられず、そのまた横の席の私と13年一緒に
働いたスタッフに知らせて、二人で驚き&嘆く。

二人目。同じ職種で一番の若手。
会議後からときおり私に悲しそうな視線を向けていた彼女。
帰り際に更衣室で二人だけになったとき、
「なぜですか!」と半泣きで残念がりながら、
「まだ誰にも言っていません!」とさすがの対応。
性格もよく、頭もよく、仕事もできる彼女。

三人目。あまり関わりのない中間管理職。
会議中、あまりおどろいた様子でなかったらしい彼女。
会議後、私のデスクの前を何度か通り過ぎても
まったく知らないふりなので、口外しないのかと思いきや、
みんなが帰ろうと集まったところに、爆弾発言。
いつもは後ろも振り向かずにさっさと帰るのに。

明日もまた仕事。
最後の日までがんばらねば!

会社の「本日のランチ」の見本(二週間くらい前のですみません)
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理由は明確なのですが
最近の私のYoutubeには
「中高年」「老後」「定年退職」「シニアライフ」
関連の内容ばかり。
楽しみよりは、危機感なのでしょうか。

こんな状況の私が最近ふと感じたかなり
「うれしいこと」がこれ。

「子供たちが社会に出て、私が経験したことのない
新しい経験をすること」

経験自体はもちろん、
うれしかったり、楽しかったり、おもしろかったり
というのがいいに越したことはないけれど、

苦労したり、うまくいかなかったりという経験も
それはそれで、母は「うれしい」です。

自分が産んだ子が大人になって、
ここ韓国で自分の足でしっかりと
道を切り開いて進んでいる

未熟な母の下で、
ここまで元気に育ってくれて
ありがとう。

10日後にはについに満19歳の誕生日を迎え、
韓国で正式な成人となる娘。

100%韓国人だけど、
そこに40%くらい日本人ぽさがプラスされている
うちの娘は、
140%、日韓ハーフ!

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前回のこの記事で退職のお話しをしたのですが、



2ヶ月たった今日は「退職秒読み」のお話しです。

娘にはよく「お母さんは実行力がある」と言われるのですが、
私はあまり周りに相談することなく、
自分で決めて思い通りにつき進むという傾向があります。
(旦那さんにも相談ではなく、私の考えを伝える感じです)

というのも、周りは意外と保守的で差し支えない
方向を薦める傾向にあるということが
なんとなくわかっているからです。

今回の退職のことも、1年位前から
ちろほらと呟いて周りの反応を見てきましたが、
やはりほぼ「もったいない」とか「あと2年がんばれば〜」

どうもそれが余計に「今でなくては!」
という思いを強くさせてくれたようにも思います。

あまのじゃくなんですね。

退職は実は3年くらい前からあれこれと考えを巡らせ、
準備してきました。

スマホにも1年前に「D -365」の表示をして、
そこから毎日1日が減り、今は「D -7」

つまり本当だったら一週間後には退職だったのですが、
事情で日程が伸び、先月くらいに本当のD DAYを追加
今「D-76」が表示されています。

直属の上司には来週伝える予定でしたが、
部署内で新たな事業が始まることが決まり、
これはまずいと一週間早い8月13日に直属の上司に、
そして翌日の14日に所属長と面談をして
「10月末退職」の意向を伝えたました。

13年も働いた仕事を辞めるというのはやはり大した
ストレスだったのか、実はその前の週にノロウイルスに
やられ、3日も仕事を休むことも。
(ノロかストレスがどうちからは不明)

さて、退職を言ってしまえばあとはステップバイステップ。
どんどん前に進むしかありません。

今は、周りの同僚たちが仕事のストレスで愚痴り、
ヘロヘロとなっているのをみると、今まで以上に
人ごとのような気にはなりますが、頑張っている
彼女たちを置いて逃げ出すようで、
申し訳けないという複雑な気持ちにもなります。

でもやはり、
「あ〜、私もようやくこのストレスから脱して、
自分の自由時間が持てるんだわ!」
と思うと、知らず知らずのうちに
ニコニコしてしまい、ハッと我に帰ってたり。

仲の良い数名に早く退職の事実を伝えないと
いけないのですが、やはり言いにくい訳で、
今はそこが一番の悩みどころです。

退職後に何をするか?

頭の中にどっありとあるのですが、
それはまた別の機会に。

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6人家族の生計を維持するため13年間働いてきた職場とも、
そろそろ別れる時期が近づいてきたような気がします。
今日はその理由について。

まずはやはり経済的な理由。
旦那の事業もようやく軌道にのり、私がフルタイムで働かなくても、
なんとかなりそうだからです。

私が就職したとき当時何度も事業に失敗した後サラリーマンを
していた旦那が「翼をもらった」という意味不明のことを言っていたのですが、
後になって思うと「(また)起業する」ということでした。
実際に、その後私に相談せずに会社を辞めて。。。

二つ目は、私自身に気力と体力があるうちに、準備してきた
新しい仕事を始めたいから。
義理の両親と別居したことで、心と時間に少し余裕も出てきたので、
今がチャンスという気がします。

3つめは、子供達が二人とも成人になったから。
二人とも高校くらいから自立している方だったので、
あまり実感はありませんが、親の責任は
一応果たしたことになります。

大学に行っていない二人ですが、
今後大学に行きたいとなったら学費は応援するつもり。
でも人生に責任を持つのは自分自身なので、
後は自分達で何とかしてもらいましょう。

最後、おまけの理由一つ。
私が入社した13年前のこの会社の定年退職の年齢が、
今の私の年齢だから。
実はその後法律が改定され、定年が2年延長されたので、
実際の定年まではあと2年あります。

当時はこの歳まで働くということを考える余裕も
なかったのですが、気がついたらこの年に。
振り返ればあっという間でしたね。
最近入った若いスタッフからは「お母さんと同じ年齢!」

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(追記)
5月に娘と二人で、20年以上振りの日本以外の海外旅行に行ってきました。
たった4泊の海外旅行。
同居中になぜ実行に移せなかったのか、色々考えさせられました。
これからは、もう少し自由に旅行を楽しむつもりです。





ブログが久しぶりになった理由が上のタイトルです。
一ヶ月の間にとんとん拍子に話が進み、
大きな争いごとや心の痛みもなく、11月初旬に
引越しが終わりました。

そして早2ヶ月と少し。
私たち夫婦も、義理の両親もようやくお互いを気にしない
「自分たちのリズム」ができたきたような気がします。

ただ嫁としての心境、これがなかなか複雑です。
当然の如く、日々一緒にいないので心の負担や
気になること、そして緊張感はなくなりましたが、
これまでは特に大袈裟にしなくても
「義理の親と一緒に暮らす模範嫁」だった私は、
一気に「ただの嫁」、というか年老いた親を投げた
「冷たい嫁」に転落したのです。
(私が思うだけなのですが)

人の評価が気になるタイプなので余計にそうなのか。
あるいは、世間でよく言われていることだからなのか、
または、義母が口を開く度に
「すまない、申し訳ない」を繰り返すので、それが
余計に私に罪悪感を思い起こさせるのか。

二人の病気は、
義母、義父の脳梗塞、義母の心臓弁施術、義父の圧迫骨折。
ある時期は毎朝食事作って仕事に行き、早く戻ってまた
夕食の世話。二人の病院への付き添いや義父の入浴まで。

そんなことは義理の親も含め、
だれも覚えていないような雰囲気。

旦那からだって感謝の言葉もない。

あの13年は一体何だったんだろうと時折悔しくなるけれど、
ここで解消できてよかった。その点はさっさと決めてくれた
旦那に感謝です。

義母は自分の義母を最後まで看取りました。
厳しい義母だったと、いつも回想し、
これまで嫁ぎ先に仕えてきたことについて、
大いに悔しがっていましたが、義母にとっては
それが大きな勲章のような気がします。

私の勲章は?
自由いなったこれから、自分のやりたいことに
向けて力を使いたいと思っています。
今はとにかく自分を応援したいと思います。


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先日の義理の父の住民登録証のお話に続いて、
今日は娘の住民登録証のお話です。

韓国では満18歳の誕生日の1年前から住民登録証(略して
「ミンチュン 민증」を作ることができます。

韓国の知識サイトでみると、

17歳になる誕生日がある月の翌月から発行可能です。 これは義務事項であり、大韓民国内の居住者はその時点から1年以内に発給を受けない場合には、その後最初に発給を受けた際に超過した期間だけの過料(5万ウォン最大)が賦課されるので注意する必要があります。 在外国民は住民登録申告または転入申告をする日から可能です。」
とあります。




娘にも1年前から住民登録証を作りなさいという、
手紙が自治体から届いていました。

ところが、なんだかんだと伸ばしに伸ばしてきて、
ついに明日が18歳の誕生日、つまり締め切り日。
(昨日本人にもう一度聞いてみたところ、
誕生日が過ぎ31日までは可能とのこと)

過ぎたら罰金なのに、のんびりし過ぎ!

母も何度も「警告」をしているのですが、
全然聞きません。
もう、自己責任でやってください!


娘の住民票はまだですが、
とにかく、子供たち二人とも成人になりました!
と感慨にひたりたいところですが、

お兄ちゃんの就職はまだ先の話で、現在は軍隊にとられ
(お給料はでていますが)身動きできず。

下の子は高3で、満19歳が成人となる韓国では
正式にはまだ未成年。

まだ、もう少し頑張らねばいけない母です。








今年の3月にキムチの容器を持ち上げようとして胸椎を
圧迫骨折した義理の父(シアボジ)。

数年前の脳梗塞後、バランス感覚が崩れ、思い通りに
歩けないと愚痴っていたシアボジでしたが、
それでも圧迫骨折のあの日までは
見た目は普通に歩くことができていました。

骨折後最初の2か月ほどは痛みもかなり強くて、
「こんな状態では希望もない。
死んだ方がまし。断食して命を絶つ!」
という話まででて、驚き、悲しみ、呆れるという、
思い出したくない経験もありました。

5か月経って今は痛みは治まりましたが、
半分くらいは寝たきりだったせいで、
足腰がすっかり弱り、家の中を移動するのも
しんどい様子です。

そのシアボジが先週、住民登録証を作り直しに
に住民センターに行ってきたというのです。
もちろん一人で遠出は無理なので、
一か月前から週1で来てもらっているヘルパーさんに
一緒に行ってもらったそうです。

シアボジ曰く
「トイレに一人で行けなくなったら、
療養院に行かないといけないだろう。
そのとき住民票がないといけないから。」

こんなとき「そんな心配はいらないです!」
と言ってあげられない自分がいます。
申し訳ない気持ち半分と、
その一方で(今もういっぱいいっぱい!)
という心の叫びもあって複雑な気持ちです。

高齢者との同居は、この複雑な気持ちの
やり場に困ることが一番の重荷なのかもしれません。

考えさせられることばかりの高齢者との暮らし。

そんな私ももうすぐ60歳、正真正銘のシニア?!

自分の老後が頭の中を横切って、
理由なくイライラしたり気分が重くなるのです。

が、それをなんとかしてくれているのが
去年からかなり本格的にがんばっているヨガ。

ということで、ヨガのお話はまた今度。








先週の日曜日旦那と2人で初めて息子の
面会に行ってきました。
時間制限はあれ平日も土日も可能な面会。
これまでも息子に「面会行っていいの?」と何度か聞いたことは
ありましたが、息子の反応がいつも
「面会?うーん、こんどでいいよ~」
みたいな感じで、来てほしい感ゼロ

ま、しっかりやっている証拠なので、母はひたすらやせ我慢。

ではなぜ今回行くことになったか。
理由は、息子からiPadを持ってきてほしいと頼まれたから。

「自己開発」の時間を大事に考えてくれる空軍とあって、
先輩たちもiPad持ち込みで勉強したり(遊んだり?)
ということらしいです。

朝9時の面会時間より5分ほど早く着き、私達夫婦が1番のり。
ワクワクしながら待っていると息子が入ってきました

久しぶりに会った息子は元気そうで、のんびりとした
雰囲気。軍生活にもすっかり慣れたようでした。
髪の毛が長くて驚きましたが、それでも昨日横だけ切ったのだとか。

息子はiPadを受け取ると、慌ててユーチューブやネットフレックス
をダウンロード。面会室のみWi-Fiが使えるからだそうです。

そんな息子と一緒に簡単な朝ごはん、フルーツや
ドーナツを食べ、コーヒーを飲んでいると、
周りもだんだんにぎやかになってきました。

旦那の前ではあまり話さない息子なので、本当のところを
聞けないなと思っていたところで、旦那がたばこを吸いに外に
出るというので、ついでにコーヒも買ってきてもらうことに。
その間息子と二人になり、安否(?)を確認することができました。

不満や嫌なことなどもなく、あるとすると暇な時間が
多いくらいだということ。ほっとしました。

軍の面会ってどんなところでするの~?と期待していたら、こんなところでした。
この後2階に上がり、もう少し楽な椅子に座れました。ここは軍の施設
なので、写真は不可なのだそうです。
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9月になると家族招待イベントがあるそうで、それも楽しみです。






土曜日の朝。
ノートブックの前に座ってコーヒーをすすったところで突然
スマホ画面に「〇〇(息子の名前)だ!空軍!」


実は先週はこの瞬間に慌てて電話が切れてしまい
その後、10分20分スマホとにらめっこしても、
電話がこず。

ということで、その後息子の名前と空軍と登録し、
慌てずにゆっくりと心を落ち着けて
指を横にスライドしました。

「オンマ~」
息子の声!

軍からの電話はコレクトコールなので、
ここで一旦息子の声から案内に代わり、
通話を続ける場合は何でもいいので数字を
押すようにと聞かれます。

ここでも慌てず数字を押して、
ようやく息子と会話ができました。

インターネットの手紙で、電話の時は
もう少しゆっくりと不満を言ったせいなのか、
今回は余裕のある声。

自分の希望する配属地は難しいかもとか、
外の世界から遮断されているかrメンタル辛いとか、
先週増えた体重が減ったかもとか、
少々泣き言、たぶん今頃が一番つらい時期なんだろう。

でも、辛くなければ訓練じゃないわけだし。
仕方ないよ。がんばれ、お兄ちゃん。

軍事訓練の後の特技学校が問題らしく、
厳しい受験戦争を生き抜いてきたエリート大学生たちと
一緒に机を並べ、頭で勝負しなければいけない
普通の専門学校生はどう考えても辛いと思います。

ここで空軍の少し空軍のお話。
空軍は選抜過程があり、誰でも志願すれば入隊できるわけでは
ありません。資格や専攻、面接結果を点数化して、カット
ライン以上が入隊を許可されます。

空軍の特徴としては入隊後、部隊が決定してしまうと
陸軍や海軍よりは比較的楽で、自分の時間が確保できる
こと、そしてそんなことを考え準備して入隊している
計画性を持った若者が多いということです。
(おかしな先輩にあたってしまう確率が低い!)

入隊後は普通に基礎軍事訓練を5週間行いますが、
その際それぞれの訓練パフォーマンスに点数が付けられ、
ペーパー試験もあり、最終的に総合順位が決まります。
「2000人中〇位」という具合。

自分の希望、専攻、適正検査の結果などにより特技が決まった後、
ここで基礎軍事訓練は一旦修了。2泊3日の外泊ができます。
(息子の場合は航空整備士の免許を持っていて、入隊前に特技を
決めて入隊しました。「航空電子整備」入隊の時の順位は7位)

外泊が終わると「特技学校」に復帰し、そこで2週間ほど学び、
又試験を受け、同じ特技のメンバー間での順位決まります。

2年間を過ごす部隊がどこになるかは、
最初の基礎軍事訓練と特技学校の順位を
5:5の割合で足した最終順位で決まります。

自分が希望する家に近い部隊に行けるかどうかは、
希望する部隊のOTの数、自分と周りの順位と
希望などにより、決まりますが、
これが一番頭が痛いそうです。

陸軍がランダム抽選なのに比べ、空軍のこの
最初の1か月半は、あの悪名名高いスヌン(韓国の大学入試)
より厳しいといううわさもあるようです。
(ちなみにうちの息子はスヌン受けていません。)

↓ 「ヌンムル バックス」
入隊後約2週間後に郵便局の宅配で送られてきた息子の私物や服
通称「ヌんムル・バックス(涙の箱)」
韓国の母達はこれを見て大泣きするそうです。
普通は中に息子からの長い手紙が入っているはずなのに、うちの
息子は、たったの4行。笑 元気そうでよかった。
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ということで、今日はここまで










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