この業界にはタブーが多かった。過去は「換金」について書くこともタブーだったし、在日朝鮮、韓国や中国の方たちの履歴に触れることもタブーだった。そのタブーの部分をいまだに濃く抱えているのがパチスロとゲーム業界でもある。ルーツをたどっていくと、とんでもないタブーの領域に足を踏み込んでしまう。ところがそのタブーの裏面を照射しないかぎり、パチスロ業界とゲーム業界との関係も、その相関図も実に曖昧模糊としたあやふやな歴史として雲散霧消してしまうだけなのだ。
 誰しも過去の創業時点の傷や人間関係、その時代ゆえの暴走には触れてほしくはないはずだ。ある意味では、昭和30年代後半から40年代前半にかけては、日本の国自体が高度成長の波の中で必ずしも健全なビジネスの成長を遂げていたわけではない。まだまだ戦後の混乱の残滓を色濃く引きずりながら、不法な展開も同時に実践されていたし、それがなければ日本経済の高度成長もあり得なかった面は少なくない。警察も取締りに関しては暗黙の了解という面が強く、それがこの業界においても行政のダブルスタンダードというかたちで長く続いたことは言うまでもない。警察担当官がホールに立ち寄れば、ホール側がタバコ1、2カートンを「おみやげ」で渡すことなどまだ可愛いほうで、高級クラブやキャバレーなどへの接待、現金や物品による手心加えるための贈収賄などは普通に行われていたとも言える。同時に地元ヤクザへの「みかじめ料」や花代、開店のときの用心棒代は僕の記憶では地域によっては昭和50年代後半にもいくつか残っていた。

 某地区のホール。あるとき山口組系の暴力団員が店に来てパチンコを打っていて、従業員が誤って缶コーヒーに触れて彼の衣服にこぼしてしまった。あとの成行きは書かずともお分かりだろう。そのホールの幹部は地元の別の暴力団に相談。「きちんと汚した服をクリーニングして返して、そこに祝儀袋をカラで渡せばいいよ」。そうしたら、相手は袋の中身を確かめて1銭も入っていないと分かっても、それで落着したそうだ。仁義を通してくれたら(きちんとスジを通せば)それで納得したというわけである。この時代のスジを通すということが、逆に今の時代には欠けてしまっている。今、そんなことをしようものなら、チンピラだと店で暴れ回るかもしれない。いわばまだ、一部の暴力団には「任侠」気質が残っていた時代である。カタギの衆と俺達の住む世界は別であり、カタギの衆には迷惑をかけてはいけないという仁義が通っていた。これが壊れだしたのは山口組の一和会抗争あたりからか。任侠道を最後まで貫き通したのが京都の会津小鉄会だが、山口組に侵食されて勢力も先細りしていった。4代目高山登久太郎会長までが任侠道の最後になるのか。ちなみに、京都のこれも某ホール経営者はその4代目と親しく、このため韓国人だが日本名でその「高山」姓をもらったという話を聞いたことがある。つまり地元ヤクザが地元の風俗営業を守っていた時代のことであり、登久太郎氏(故人)も自分のブログで、戦後に俺達が日本の治安を守っていたのに、暴対法でそれを切り捨てて裏切ったと書いていた。

 今回は流れで業界の話からはそれてしまう(実は全然それていなくてルーツの話なのだが)。

 ネット検索で「賭博」「宮武外骨」をリレーしていたら、とんでもないところに行き着いた。「三国人の不法行為」というサイトだ。過去に石原東京都知事の三国人発言でマスコミから「差別語だ」と叩かれたことがあるが、実はこれは差別語ではなくそのルーツを知れば、まったく逆であることがわかる。このネットの全文をコピーして示したら知り合いの業界人が驚愕していた。べつにここで在日朝鮮人について非難する気は毛頭無いが、戦後の闇市をつくったのも多くが彼らであり、敗戦により朝鮮人との間に戦時中に共有していた運命共同体思想が消滅したのである。つまり敗戦国の日本に彼らは加担せず、「戦勝国民の仲間入りをしようとした」。このため彼らは「日本の法律(敗戦国の法律)は自分たちには適用されないとして、アメリカ占領軍(GHQ)の指令や日本の警察にも反撥した」(中公新書「韓国のイメージ」)。法的根拠のない「治外法権」意識である。三国人とは朝鮮人、中国人、台湾省民のことを指す。戦後、空襲や疎開で空地になっている土地を不法占拠したり、闇市をそこに拡大して権利を奪取したという記述もある。同書には「朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あのとき奪った罹災者の土地だ」とまで書いている。むしろ僕が聞いた話ではいまの都心部や地方の主要都市部を最初に中国、台湾人が押さえ、そこから外れた朝鮮人が都市近郊や郊外に土地を確保していかざるを得なかったという例も少なくない。

 面白い記述がある。強制連行された人も含めて朝鮮人、中国人は戦後日本に200万人以上いた。とくに兵庫に多く、彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、「袖に腕章(戦勝国民)をつけ、肩で風切って街をのし歩いた。おれたちは戦勝国民だと警察は小突き回され、街は暴漢の無政府状態だった」(徳間文庫「田岡一雄自伝・電撃編)。
 これ以上紹介しても仕方がない。このとき、警察は無力でそれをカバーして治安維持に尽力したのがヤクザである。田岡はその中で勢力を拡張したのだろう。もちろん、三国人のなかでも無法を行使した挙句にルーツの暴力団組織を作ったり、その組員になったりする傾向も強かった。東京なら池袋、新宿、浅草、新橋、渋谷などが治外法権で彼らの縄張りだったようだ。

 つまり三国人とは差別用語でもなんでもないのである。戦後に彼らが治外法権で「戦勝国民」の腕章をつけて闊歩したことで、GHQが彼らは日本人でも戦勝国民でもない第三国の人間だと言ったにすぎず、彼らが当時その三国人を自分たちの特権意識のようにしていた時期があったということである。
 もちろん、この検索したサイトはあくまで一方的に三国人の無法を文献に基づいて糾弾しているため、差別された側の現実と視点はすべて切り捨てている。ただ、戦後混乱期のタブーの一面に切り込んでいると思えたので紹介した。
 ゲームとパチスロの原点を抉り出そうと思えば、この歴史の現実には触れておかなければいけない。ここに、特に朝鮮人と日本特有の部落との関係も出てくることになる。ハンナンの浅田については書いたが、ここからルーツをたどればゲームとパチスロ業界のドンが登場してくることになるのである。
 このドンのことについては、業界人が口を揃えて「書いちゃだめだよ」と言う。でも書かなければ今のパチスロ、ゲーム業界の本質のディープ構造はわからない。僕の知り合いのジャーナリストが、過去、大東音響不正パチスロ事件もみ潰し工作でこのドンと平澤勝栄議員を執拗に追いかけて取材したことがある。彼曰く。最後には、「オマエいい加減にせんと東京湾に沈めるぞ」とそのドンに脅されたそうである。