前回触れたドン氏は、賭博ゲーム機の販売リース業を大阪でやっていた。東京パブコと肩を並べて当時のリース販売ではトップだ。その前はインベーダーゲームの頃にタイトーの営業マンをやっている。東京パブコの古田は最初の大阪パブコでゲーム機に手を出す前は、神戸の生田神社で賭場が開かれていてそこの常連か、あるいは胴元に近い存在だったと思われる。昭和30年代初めの頃か。この賭場に○○遊機の○井、古田の子分になる旧ジャパックス社長でメダル自動補給工組の元理事長も務めた高田和彦が出入りしていて、そこで古田との関係ができた。2人とも当時は山口組系暴力団の若頭クラスだ。蛇足だが、昭和30年代というのはまだ、戦後の混乱の残滓が色濃く残っていて、警察の取締りも緩く賭場を開いてもまだあるていど黙認されていた面があったようだ。ヤクザがまだ地域の治安維持のアドバンテージを心情的、現実的にも保持できていた時代で、警察がそれに対して違法取締り権限を強く行使するにはひけ目があったのだと思う。(もちろん、地域性もあっただろうが)

 ところで微妙にこれら賭博ゲーム機時代のパチスロ関係者と、プリペイドカード導入の仕掛け人であるフィクサー熊取谷稔との関係が、いまもなお強いのである。そしてここに、あのドン氏が架け橋的存在として揺るぎなく居座っている。

 ドン氏は大阪で賭博ゲーム機のリース販売会社「昭和娯楽」を運営していた。しかし、その賭博機が香川県警に摘発され逃げ回っていた時期がある。それもあったのか、その昭和娯楽を閉めて新たに「富士興業」という同じリース販売会社を、当時大阪の国道26号線(旧線)沿いにあった阪南畜産ビルのなかに設立して商売を継続させた。つまり、ハンナンの浅田満と関係が深かったということだ。

 ここで話は転換してしまう。かなり旧い話になるが、次期検事総長候補の最右翼といわれていた則定衛のスキャンダル(事件)である。事実上の検事総長と言われた法務省No.2の女性スキャンダルだ。検察のドン。最後の検察主流派と呼ばれていたが、この則定が「花月会」を通じて住友グループと癒着関係にあり、銀座の高級クラブのホステスを妊娠させ堕胎させた挙句、公務にもその愛人を同伴するなどしていたが、堕胎させて最初は彼女に30万円、その後50万円の慰謝料を支払った。実は、この慰謝料を彼女に支払ったのが、熊取谷稔の懐刃と言われた側近のコスモイーシー・佐藤章だ。最初の30万円、あとの50万円は佐藤が自腹(なのか、熊取谷ルートか)で払っている。週刊誌でこのスキャンダルが暴かれる前に、「噂の真相」ですでに露見されていた。佐藤自身から、そのあと僕はその真相を聞いているので、すべて報道されたものが真実ではなく、女性側にも問題があったことは理解しているつもりだが、佐藤も則定もこのスキャンダル事件のあと、表から消えている。のだが、なぜか、しばらくして、アルゼの子会社がある平河町のビルに、アルゼ子会社の上階フロアに則定法律事務所が開設されて活動していたのだ。この関係については後述するが、ヒントは亀井静香である。

 で、則定が住友グループと癒着関係にあったというその「花月会」である。実は、この花月会の群像について集中して書けば、かなり面白い読み物になるはずだが、僕にはいまのところその余裕がない。

 この花月会というのは、角界出身の伊藤作之進という人物が大阪に出てきて、最初は道頓堀に相撲茶屋を開店したのが最初。そのあと宗右衛門町に料亭「花月」(現花月ビル)を出す。ここに、角界関係者だけでなく検察や住友関係者がいつからか集まりだす。ここに関係していたのがフィールズの山本の母親で、そのあと山本もまた花月会人脈を基盤に成長していった時期がある。サミーの里見やCSKの大川などだが、その端緒があのドン氏だったと言えるだろう。山本が今も現九重親方(千代の富士)と親しくその後援会長であることがそれを物語っている。この花月の創業者である伊藤の2女か3女が先代九重親方すなわち千代の山の伴侶だ。伊藤の長女がドン氏の伴侶だが、この長女(伊藤の妾腹の娘という話もある)と結婚するために、それまでの正妻と離婚したということも聞いた。また、ドン氏の父親が検察関係に顔が効いた人物だったという話もあるが、これは確認していない。
 この創業者の伊藤が亡くなったあと、花月会に出入りするようになり幅をきかしていたのが、山口組・田岡一雄の若頭で後の中野会幹部のYだ。イニシャルにしたのは過去に聞いた実名が想い出せないからで寛恕いただきたい。

 正確な調査も取材もしていないので聞いた話で書き込むことになるが、このYは当時ゲームマシン販売もしていて、そのあとパチスロメーカーもやっていた。これも聞いた話だが、このYとドン氏が中心になって表には出ていないが、裏でパチスロの風営法認可機種獲得に動いたそうである。表は角野と山脇だが、裏で検察や警察OBを使って動いたというのである。このYがエボンの山脇であるかどうかは、今は再取材しない限りは知る由もない。
 ただ立証できる素材はある。過去に賭博ゲーム機の販売会社を角野博光と浅田満(なのかその実弟なのか不明)と、中野会会長+山脇がやっていて、ここからパチスロメーカーにスライドしている。
 ここで推測になる。ドン氏は中野会会長と親しい。つまりドン氏―山脇―中野会―角野という相関図が成り立つのではないかと思えるのである。ここで、パチスロ草創期、古田や濱野、野口などが絡み、「花月会」という検察、住友財閥、警察のロビーをフル活用してパチスロの風営法認可機種が確立されたのではないか。花月の主幹事は当時、住友銀行だった。やがて警察、国税、大蔵官僚やOBなども花月に出入りするようになる。この住友商事が、プリペイドカード導入で、三菱のレジャーカードのあとにゲームカードとして設立されたことは記憶に新しい。

 このカードとの業界人脈の流れは則定事件を例にあげるまでもなく、政界・財界のフィクサーといわれた熊取谷とも急接近していくことになるわけだ。僕が最初に花月会の話をくわしく聞いたのは、先の佐藤章だったのである。