現在もまだ業界で営業されている会社の過去の古傷に塩を塗りこむようなことはしたくないので、前回書いた中の一部社名と代表者名は伏字に訂正しました。なるべく裏面史をリアルに検証するのが本旨だが、それによって当該企業のイメージや営業を妨害、阻害したり、個人の名誉毀損だけは避けなければならない。しかも戦後から高度成長期にかけての時代背景、社会性という特殊事情を、現代と同次元で比肩されてもらっても困る。ここが過去の歴史を書くときに自分でもその過去にはまり込んで、今現在の事情を無視して泥酔してしまう恐さだろう。よって、これまでなるべく実名表記で書いてきたが、いくらか伏字にすることもあると承知いただきたい。

 暴力団、部落、検察、警察、政治家、右翼・・・・これらのリンクは戦後から高度成長期にかけてその地盤があるていど確立されていたといってよい。前回は則定スキャンダル事件について「花月会」と関連してその相関図を検証してみたが、ここで平成3年のイトマン事件、平成8年に表に出た泉井事件という2つの経済事件について、花月会との関連性も含めて書いてみることにしたい。複雑なので、未整理であることはご寛恕いただかねばならないと思う。

 ここで整理しておきたいことが新たに出てきたので、続きは次回。簡単に触れておくだけにする(とはいえ長くなる)。
 
 先ず泉井事件。泉井石油商会の泉井純一が三井鉱山と三菱石油などの石油取引で平成4、5年におよそ64億円の仲介手数料を受け取り、この大金がベトナム油田開発利権もからんで政治家と官僚接待に使われた。山崎拓が泉井から2億円以上の政治献金を受け取っていたが、山崎だけでなく数え切れない政治家と官僚に汚染が広がっていた。これは当時の通産省関係が主だが、大山鳴動して鼠一匹出ず。当時の通産大臣だった森喜朗が泉井と会っていた疑惑もうやむやになっている。
 ある論評によれば「日本の検察の能力は、政治家や高級官僚を調査する段階にはいると、著しくレベルが低くなる」という。当時の大蔵相・三塚博が泉井事件で大蔵省主計局の涌井洋治官房長に口頭で厳重注意したのだが、この三塚は地元宮城で山口組系暴力団との関係が噂され、県警が捜査に踏み込んだあと、なぜか県警の刑事部長ら担当官が異動になり捜査から外されている。
 とまれ、この泉井もまた、花月会とは深い関係にあってそのメンバーだったのだ。つまり花月会の検察人脈等の圧力が加えられたと思われる。さらにこの事件で40億円を闇にばらまいた三菱石油の当時の山田菊男社長や石油公団の和田総裁など通産大臣の一族の対応が、この事件のもみ消しに動いたことが取り沙汰されている。

 次にイトマン事件。許永中事件といった方がわかりやすいか。泉井事件では三菱グループが絡んでいるが、こちらは住友グループが関係してくる。住友は花月会の主要メンバーであることを記憶にとどめておいてほしい。この三菱、、住友、イトマン(伊藤萬)はなぜか、パチンコプリペイドカードの国策による導入1次、2次、3次の出資母体だ。イトマン事件で3000億円の資金流出(6000億円ともいわれる。闇社会に流れたといわれ、それらがどこに消えたのか解明されていない)で大阪地検にイトマンの河村社長、伊藤寿光常務と不動産管理会社代表の許永中ら6人が、特別背任容疑で逮捕されたのは平成3年だ。プリペイドカード導入後すぐである。
 伊藤萬は大阪の繊維商社だった。昭和48年のオイルショックで経営が悪化したことで、メインバンクの住友銀行役員だった河村を社長に迎えた。伊藤寿光は元は協和総合開発研究所の役員で、大手仕手集団のリーダーだったコスモポリタン社の池田保次代表に対し、雅叙園観光の仕手戦に融資していた200億円が焦げ付き、その資金繰りで住友銀行の当時の会長やその腹心だった河村に急接近する。これが伊藤萬に筆頭常務として参加する契機で、伊藤萬を通じて住友銀行から融資を受けるようになる。
 この雅叙園観光の債権者の一人だったのが許永中。伊藤を通じて伊藤萬との関係も深めていった。

 先のコスモポリタンの池田代表は、元山口組系暴力団の組長。地上げ屋に転身した
あと仕手筋として成功を収めたが、その後、仕手戦に失敗して100億円もの借金を抱え、スポンサーの暴力団に追われて失踪している。この池田と親密だったといわれていたのが亀井静香だ。平成元年に読売新聞がその疑惑を報道したが、うやむやになったまま。
 さて、許永中(ホ・ヨンジュン)についてはすでにご存知のことだろう。若いときは朝鮮総連の活動家で在日朝鮮人である。亀井静香とも「盟友関係」にあったと言われる。若い頃から山口組系暴力団と深く関わり企業舎弟。一方で豊富な資金力で政治家との交際も広げていき、一時は関西政財界の闇のフィクサーとも言われた。以下、ウィキペディアからそのプロフィールを紹介しておこう。

 「大阪市中津の朝鮮人居住区に生まれる(以前に書いた新大阪−西中島と同地区である)。大阪工業大学に入学して柔道部で活躍(180センチ、体重100キロの巨漢)するが、麻雀とパチンコに熱中し3年で中退。その後、部落解放同盟幹部と親密になり大阪府の同和対策事業に挺身する。ベンジャミン・フルフォードの「ヤクザ・リセッション」によれば、彼は在日朝鮮人であったが生まれ育った中津が被差別部落で強大な解同権力を握っていたので、解同幹部らと懇意になることで裏社会での出世を実現したという。戦後最大のフィクサーの一人といわれた大谷貴義のボディガード・運転手として仕えて、ここでフィクサー業の修行をした。昭和59年に休眠会社の大淀建設を買収して社長に就任した。多くの政治家や暴力団、大企業と関係をもっていたとされており、野中広務とは兄弟と呼び合うほど親密な関係だった。大山倍達や松井章圭と深い関係にあり、極真会館の大会のスポンサーになったこともある。」

 大阪北区で表には出ていないが、資金を出してパチンコ店を実質経営していたこともある(店名はF)。九州の某大手ホール代表との関係も有名な話だが、本題からそれるので割愛する。
 花月会の話からは遠ざかってしまったが、それについては次回。日本肥料という会社があり、ここが前回の則定事件と泉井事件との関連、さらに花月会との関係が深かったことについて。さらに遡ることになるが、大阪で有名なナミレイ事件との関係についても触れたい。これもその後、新しいところでは朝鮮総連本部の満井事件とも関連してくることになる。