August 12, 2006

1985年の夏。

日航のジャンボジェット123便が群馬県御巣鷹山に墜落してから21年目を迎えるというニュースに1985年の夏が突然甦ってきた。その頃わたしは映画の撮影で福山にいた。『幕末青春グラフィティ"Ronin"坂本龍馬』という作品にフォーカスマンとして参加していて、「弥勒の里」近くの社宅跡で合宿生活をしていたのだ。今では時代劇などの撮影のメッカになった感のある「弥勒の里」も当時はまだ移築したばかりの古い寺や山門などがぽつぽつと建つだけの寂れた場所だった。
当時としては随分と予算をかけた作品で、これが映画初監督になる河合義隆や竜馬を演じる武田鉄矢(脚本も担当)等の気合いの入り方は相当なものだったが、気持ちばかりが先行して撮影自体が遅々として進まぬ状況にスタッフの誰もが苛立っていた。私自身2NDアシスタントとしては最後の仕事にするつもりだったから張り切って臨んだものの、朝から始めたリハーサルがなかなか終わらずシュートはいつも夕方近くになるというペースにすっかりやる気を殺がれてしまっていた。撮影が終わると機材整備もそこそこに毎晩のように福山の町まで(車でも小1時間はかかる)繰り出しては仕事の憂さを晴らす有様だった。茹だるような暑さ中、誰かが持っていたラジオからそのニュースは流れてきた。520人もの犠牲者を出した大惨事にも関わらず、私たちにとっては他人事だった。誰もが自分のおかれた状況に精一杯だった。

この作品に出演していたのはなかなか豪華なメンバーで、武田鉄矢の他に柴俊夫 、竹中直人、阿藤海、 川谷拓三、内藤剛志、陣内孝則、浅野温子などなど、河合監督の人脈がフルに活かされてチョイ役にも錚々たる役者が出演していた。そして高杉晋作をなんと吉田拓郎が演じていた。当初、竜馬の妻お龍役には夏目雅子が予定されていたが、突然の病魔に冒されて、原田美枝子が代わって演じている。原田はそれでなかなか良かったが夏目のお龍も観てみたかった。撮影終了を待たずに夏目は還らぬ人となった(9月11日没)。
高杉晋作率いる奇兵隊が、最新鋭の機関銃を備えた幕府軍に、無謀にも突撃していくクライマックスは一面のひまわり畑が舞台。1年前から植えられていた向日葵は撮影直前の台風で流されてしまい、スタッフ総出で植え直したことを思い出す。そう言えば向日葵は夏目の好きな花でもあった。

21年前の夏は暑く長かった。なかなか捗らない仕事に悪戦苦闘していた。
しかし、思わぬ事故で命を失った多くの方々や、最後まで仕事のことを考えていた夏目雅子さんのことを思う時、その時には地獄のように思われていたことも、なんと幸せなことだったのかと思う。
思い通りにいかぬことも後になってしまえばどうという事はない。一番辛いのは志半ばにしてその道を断たれることなのではないか。今振り返れば、あの夏はわたしにとっては本当にかけがえのない夏だった。
御巣鷹山、夏目雅子、そして『Ronin』。1985年の夏。

※その後何年かして河合監督は自ら命を絶った。

roninn2roninn

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この記事へのコメント

1. Posted by N.SUZUKI   August 13, 2006 05:43
おお、若き日の大木さんですね。この年私は就職の年でした。
スペースシャトルも爆発した事を覚えています。
2. Posted by Sumio   August 13, 2006 10:24
21年前は私もまだまだ青春しておりました。照れくさいので写真は大きく出来ないようにしちゃいました。
ちなみに私の隣りでにっこり笑う美女は浅野温子さん。
師匠の押切カメラマンの右奥、白っぽいブルゾン姿が故河合監督です。

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