February 19, 2008

『潜水服は蝶の夢を見る』[La Scaphandre et le papillon]

0a50b66f.jpg目が覚めたら身体を動かことはもとより言葉も発することが出来ず、片眼は瞬きすら出来ないようになってしまっていたとしたら・・・「ELLE」の編集長だったジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)は脳梗塞で左目以外の身体の自由を全て奪われる。実話をもとに映画化された本作で語られるのは、どのような状況になっても、人間はその想像力がある限り蝶のように自由であるいうことなのだろう。
人は他者と繋がっていなければ生きられない。“瞬き”しかコミニュケーションの手段がなければそれを駆使するしかない訳で、その手段を選ばない限り沈黙するしかない。かくも絶望的な状況を見せながら映画が重苦しくならないのは、現実をシニカルなユーモアで見つめるジャン=ドゥーの性格をモノローグでしっかりと表現しているからだろう。言語療法士や理学療法士、更には“言葉”を書きとめる編集者などの美女に囲まれて、手厚い介護のもとであるからこそジャン=ドゥーはその羽根を手に入れた訳で、『ジョニーは戦争に行った』などとはまるっきり違った状況も救いの一因かも知れない。自分がそのようになった時にその状況に耐えられるかどうかを考えることは意味のあることだとは思えないが、それでもジャン=ドゥーのように前向きに生きられたらと思う。いかにもフランス人だなと感心するのは、妻の前でも愛人に愛の言葉を“囁ける”ことだろう。
ジャン=ドゥーの父親役でマックス・フォン・シドーがいい味を出している。
映画自体は、主人公と同様に、その語り口を手に入れたのかどうか。結論から言えば、半ば成功し、半ば失敗している。前半のPOV(Point Of View=主観)撮影は見事な出来映えで、撮影監督のヤヌス・カミンスキーはシフト・レンズやレンズ・ベビーなどを駆使して、閉じ込め症候群を観客に疑似体験させることに成功している。独特のトーンも暗くなりがちな作品を助けている。ただ、観客はそれから解き放たれる瞬間をも追体験したい筈で、そこがもう少し劇的に描かれていてもいい。主人公の回復の過程に寄り添うように語られてるので、ジャン=ドゥーの精神がさなぎから孵化し空に解き放たれたのがどの時点だったかが曖昧なのだ。(本当に自由に羽ばたいたかどうか、実際にはそんなことはあり得なかっただろうし、だからこそ20万回も瞬きした訳だが、それは映画的に見れば別のことだ)“想像力”ももう少し飛躍があっても良かったと思うが原作ものの限界だろうか。タイトルバックの映像は意味不明。
渋谷シネマライズにて。



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