March 18, 2008
『ノー・カントリー』[No Country for Old Men]
良心や欲望や諸々の人間的な規範意識を超越することは、ある意味では、神に近づくことであろう。圧縮空気のボンベを片手にぶら下げ、奇妙な髪型をした殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)はまさにそのような者として我々の前に現れる。彼は彼自身のルールに従って何の躊躇もなく人を殺していく。このモンスターのような男の前では全ては等しく無価値であり、それゆえガソリンスタンドの老店主のようにコイン・トスによってその運命が決められたりする。金を持ち逃げした揚げ句、シガーに追われるベトナム帰還兵ルェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)にせよ、その二人を追うベル保安官(トミー・リー・ジョーンズ)にせよ、或いはもうひとりの殺し屋カーソン(ウッディ・ハレルソン)にせよ、彼らがどのようにして今の彼らになったかその道筋をある程度思い浮かべることが出来るのだが(確かな演出力のお蔭だろう)、シガーについては何故このような男が生まれてきたのか想像すらできない。己の肉体にすら関心を持たないかのような、さながらターミネーターのような行動と正確さは彼もまたひとりの人間であるとは考え難い。理解不能のもの、得体の知れない事象は恐怖以外の何ものでもない。
コーエン兄弟の作品群の中では『ブラッド・シンプル』や『ミラーズ・クロッシング』に連なる系譜と考えていいだろうが、それを越える本作の異様な緊張感はこのシガーという人物の創造によるものだろう。無論コーエン兄弟の周到な計算や素晴らしいスタッフワークによってその緊張は最大限に増幅される。情緒に流れがちな音楽や台詞は極力排されている。音楽に煩わされずに我々は生々しい現実音を聞くことになる。圧搾空気の不気味な発射音、次第に高まる受信装置のビープ音、徐々に近づく足音・・・血が滴る音さえも聞こえる気がする。語られる言葉の少なさ故に、画面のこちら側にいる我々はあちら側に生きる人たちの凡てを読み取ろうと息遣いや仕草に集中する。(後半のベル保安官の饒舌に些か違和を憶えるのはそういうことなのだ。)コーエン兄弟の殆どの作品を手がけているロジャー・ディーキンスの映像はひたすら禁欲的である。カメラの動きはアクションを強調する一方でリアリティを損なう。適度に抑制されたカメラは画面の緊張をこの上なく高めていくのだ。(Camera Operatorとしても彼の名前がクレジットされているのを見つけて嬉しくなった。通常、米撮影システムではユニオンの規定で撮影監督はファインダーを覗くこと=オペレートすることは出来ない。)
大量の死を目の当たりにしながら、それらの不様であっけない死の訪れは、時にユーモラスであり、神話的な雰囲気さえ漂わせている。異様な世界と日常的な世界の境界に立つベル保安官の苦悩と態度は我々現代人に共通するものであり、それはひとりの良心や正義感、法の整備などでは到底変えることの出来ない世界への諦めに似た感覚である。そこには神のルールすら無い。こうした作品が評価されるような状況に現代アメリカが抱える闇の深さを読み取ることは可能だろう。モスとシガーによって同じように繰り返される若者との取引は血まみれのドル紙幣を介して行われるのだ。我々は誰しもこの世界においてはフラットな存在としてある。何処にも住むべき処が無いのは、最早、年老いた者にとってだけではない。
It's possible to read the depth of darkness present America has, in situation that such a work was evaluated. The exchange replayed as if same by moss and Chigurh between young was done using bloody dollar. All of us exist flat in this world. Anyway, situation no country to live is not only for old men.
新宿アカデミーにて。
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1. ノーカントリー 驚くべきテンション。前半3分の2。 [ TWO 2 SIXTY ] March 19, 2008 22:54
必見。
ただ歩いてる場面を見てるだけで胃がきゅーっと持ち上がってくる。
客と店主が無駄話をしてるだけの画面がじわりとこわくなってくる。きりきりと締め上げられたテンションが凄すぎてしまいには笑えてくる。
なんという技術。なんという隙のなさ。見事。
いったい...

