川内将嗣(当時・専大)の64kg級・銅メダル獲得にかき消されていたエピソードだが、07年の世界選手権では、相手陣営を大慌てさせた日本代表が、51kg級にもいた。
「サプライズだ!キムが1回戦から、日本人に負けるなんて…」
 実績の多いキム・キスク(韓国)を21対4で破ったのが、この06年ドーハ・アジア大会の銅メダリスト、須佐勝明(自体校)だった。

 1984年9月13日、福島県会津若松市生まれ。非凡な才能は、小中学校時代から異彩を放った。「本気でプロを目指していた」という将棋では、アマ5段とも互角に張り合う実力。相撲やスキー、空手やゲートボールの大会でも活躍した。自体校で、フェンシングをやった時もそうだった。「1点取ったら、ジュースをおごってやる」の条件で、キャリア10年のベテランと勝負したが、結果は5対4で、未経験の須佐が勝利。自体校では、須佐はボクシング界ではなく、スポーツ界の逸材と評されている。

 プロボクサーとのスパーにも熱心。世界屈指の充実を誇る日本のプロ・フライ級で、須佐はまったく遜色がなかった。辛口な亀田三兄弟が、“あくまでスパーなら”と断った上で、「あんなに強い選手はおらん」と、天才肌のマルコム・ツニャカオも“スタミナはないが”と断った上で、「すごい能力の持ち主だ」と絶賛している。

 だが、その一方で、須佐は当時のアマ・ルールに、苦手意識を抱いていた。ファイター型の須佐は、懐の深い選手に軽打で稼がれ、残り時間を逃げ回られる繰り返し。キムを破った世界選手権でも、結局、2回戦でビセンゾ・ピカルディ(イタリア)敗れている。そこで無理やり、長距離で戦うスタイルを試みたが、減量苦も災いして、北京五輪への切符は逃した。
「ボクシングって、お互いに歩み寄って、打ち合うスポーツだと思うじゃないですか。でも国際大会は、必ず遠い距離で、動き回るところから始まるんです。日本人はここで出鼻を挫かれる。もっと早く、これに気づければよかった」
 須佐は北京五輪後、自身の選手生活にそんな言葉を残して、グローブを置いた。

 ところが昨年、思いつきのようなカムバックをした頃、風向きが大きく変わっていた。国際ルールは1ラウンド3分の追い詰めやすいルールになった上に、有効打の基準は一気に辛くなった。長距離戦の練習や、引退後の指導経験も味方して、須佐は現ルールに相性のいいオールマイティ型となっていたのだ。そして、7月2日までカザフスタンで行われたプレジデントカップ優勝(54kg級)で、確かな手ごたえはつかめた。この大会の4試合だけでも、須佐の実力に、安定感があることが伺える。
「今のルールは、自分にとって演技種目なんです。審判に“どうですか!?”ってオーバーアピールをする意識が大事。あとはしっかり亀になって、チャンスを探る技術ですね」
 天才肌の発言も好調だ。

 8月31日、赤羽のNTCで開かれる「アジア大会・日本代表選考会」で、須佐は全日本選手権2連覇中の三須寛幸(拓大)と対戦する。その内容次第で、11月の広州・アジア大会への出場権が手に入る。
 三須の成長もさることながら、最大の気がかりは、「もう無理」と言っていた52kgへの減量だろう。これについて、すでにこけた上に乾燥した頬を動かし、須佐は語る。
「前は、水分を取らずに減量をしていたんですけど、今は水を飲むようにしています。そうしたら、ダルさが抜けて動けるから、体重も落ちるんですよ。今のルールなら、ゾウ・シミン(中国初の金メダリスト)にも勝てる自信があります。地元判定以外、怖い要素がない」
 それはイコール、2大会連続のメダル獲得にも、自信があるということ。今度こそ開花した逸材は、リップサービスではなく、本心で、そう口にしていた。

(ボクシングマガジン2010年7月号掲載)