27日、中国の上海オリエンタルセンターで行われたWBO世界フライ級タイトルマッチでは、挑戦者で同級7位だった木村翔(28=青木)が王者ゾウ・シミン(36=中国)に11回TKO勝ち。ネームバリューの圧倒的な差を覆して、新王者誕生となった。
高校1年で出場したインターハイから24歳でのプロデビュー戦まで、ほぼボクシングと無縁だった木村に対し、王者は2003年世界選手権での表彰台入り以降、五輪の表彰台入り、世界選手権優勝、連覇、五輪優勝、連覇と中国史上初の快挙を連発したアジア史上類を見ぬ天才だった。しかし、これだけ実績に大差があったにも関わらず、現地には、木村が勝つ可能性を「40%近くある」と予想していた専門家も少なくなかった。木村が17戦14勝(7KO)1敗2分と好調なWBOアジア太平洋王者であったこと以上に、ゾウの戦力が見えなかったからだ。今年、ゾウは名匠フレディ・ローチ氏の師弟関係を終わらせれことになった。それまでも「プロ不向き」の声を払拭できなかった王者が、36歳で、しかもプロボクシング新興国の中
国で独立しているのであれば「挑戦者に勝機あり」と思われるのはうなずける話だ。
いざ試合が始まると、ゾウのパンチは今まで以上に軽く思えたが、当て勘やポジショニングは、むしろ全盛期を彷彿とさせた。「パワフルなファイター型」への改造を指示してきたローチ氏からの卒業は、ゾウのスタイルを旧式に戻したのかもしれない。試合中、これを誰よりも支持したのが約1万人の観衆である。ゾウのジャブが当たるたびに場内には大歓声が響き渡るが、木村の痛打を浴びると悲鳴が響く反面もあった。
木村の作戦は、7回まで採点を考えずスタミナ削りに専念することだった。
「完全な引き立て役なので、判定勝ちは期待していなかった。ボディブローから顔面につなぐ攻撃で追いかけ回したあとに倒せるかどうかだったけど、予定外が二つあった」(木村)
一つはゾウの防御技術が予想以上で、ボディ打ちがどうしても単発になったこと。もう一つは3回にバッティングで負った右目尻からの出血だった。「片目しか見えなくなった」のみならず、負傷判定での決着となれば作戦が台無しになるのだ。
8回以降も明確な逆転が見えぬまま、10回まで終了。だが、試合後に公開された実際の採点で、ゾウをはっきり優勢としていたジャッジは1人で、もう1人のゾウ支持者はわずか1点。あとの1人は木村を1点優勢としていた。とはいえ木村自身が「さすがにもうダメか」と思うムードで臨んだ11回だった。10回後半から失速したゾウが回復していなかったのだ。
「こっちのスタミナは問題なかった。この試合に向けてのタイ合宿で、ゾウがくっついてごまかしに来るところをほどく対策を十分してあった」
木村がそう振り返るだけあって、ゾウのクリンチはことどとく失敗し、右ストレートは「拳が痛いほど深く当たりまくった」。そして王者がロープ際でゆっくりとダウン。立ち上がったものの、意識が朦朧としているのを見てレフェリーが試合を止めた。
大の字に倒れた木村のもとに青コーナーから走ってきた有吉将之会長が抱きつくなか、場内は悲鳴からどよめきに変わった。ただ、やがて木村がゾウに称えられ、客席にお辞儀をすると、どよめきは大きな拍手に変わった。
この試合の勝者には、WBOから90日以内の指名試合が義務づけられていたが、新王者は「現時点ではまったく未定」としている。一方で個人的に「自分が1回戦負けだったインターハイで、優勝した井岡一翔選手と戦ってみたい」とWBA王者との統一戦も希望した。後日に再起を表明したゾウは11戦9勝(2KO)2敗。
木村のコメント
「全然実感が湧かない。実感しているのは、こっちに来てからインタビューにかなり慣れたことですかね(笑)。王者は腹を打つとうめき声を上げていたが、右目が見えないので精神的には追い詰められていた」
ゾウのコメント
「私は負けてしまったが、観戦した中国人がボクシングに興味を持つきっかけになったのならよかったと思う」
(※この記事はボクシングマガジン2017年9月号に掲載されています)
高校1年で出場したインターハイから24歳でのプロデビュー戦まで、ほぼボクシングと無縁だった木村に対し、王者は2003年世界選手権での表彰台入り以降、五輪の表彰台入り、世界選手権優勝、連覇、五輪優勝、連覇と中国史上初の快挙を連発したアジア史上類を見ぬ天才だった。しかし、これだけ実績に大差があったにも関わらず、現地には、木村が勝つ可能性を「40%近くある」と予想していた専門家も少なくなかった。木村が17戦14勝(7KO)1敗2分と好調なWBOアジア太平洋王者であったこと以上に、ゾウの戦力が見えなかったからだ。今年、ゾウは名匠フレディ・ローチ氏の師弟関係を終わらせれことになった。それまでも「プロ不向き」の声を払拭できなかった王者が、36歳で、しかもプロボクシング新興国の中
国で独立しているのであれば「挑戦者に勝機あり」と思われるのはうなずける話だ。
いざ試合が始まると、ゾウのパンチは今まで以上に軽く思えたが、当て勘やポジショニングは、むしろ全盛期を彷彿とさせた。「パワフルなファイター型」への改造を指示してきたローチ氏からの卒業は、ゾウのスタイルを旧式に戻したのかもしれない。試合中、これを誰よりも支持したのが約1万人の観衆である。ゾウのジャブが当たるたびに場内には大歓声が響き渡るが、木村の痛打を浴びると悲鳴が響く反面もあった。
木村の作戦は、7回まで採点を考えずスタミナ削りに専念することだった。
「完全な引き立て役なので、判定勝ちは期待していなかった。ボディブローから顔面につなぐ攻撃で追いかけ回したあとに倒せるかどうかだったけど、予定外が二つあった」(木村)
一つはゾウの防御技術が予想以上で、ボディ打ちがどうしても単発になったこと。もう一つは3回にバッティングで負った右目尻からの出血だった。「片目しか見えなくなった」のみならず、負傷判定での決着となれば作戦が台無しになるのだ。
8回以降も明確な逆転が見えぬまま、10回まで終了。だが、試合後に公開された実際の採点で、ゾウをはっきり優勢としていたジャッジは1人で、もう1人のゾウ支持者はわずか1点。あとの1人は木村を1点優勢としていた。とはいえ木村自身が「さすがにもうダメか」と思うムードで臨んだ11回だった。10回後半から失速したゾウが回復していなかったのだ。
「こっちのスタミナは問題なかった。この試合に向けてのタイ合宿で、ゾウがくっついてごまかしに来るところをほどく対策を十分してあった」
木村がそう振り返るだけあって、ゾウのクリンチはことどとく失敗し、右ストレートは「拳が痛いほど深く当たりまくった」。そして王者がロープ際でゆっくりとダウン。立ち上がったものの、意識が朦朧としているのを見てレフェリーが試合を止めた。
大の字に倒れた木村のもとに青コーナーから走ってきた有吉将之会長が抱きつくなか、場内は悲鳴からどよめきに変わった。ただ、やがて木村がゾウに称えられ、客席にお辞儀をすると、どよめきは大きな拍手に変わった。
この試合の勝者には、WBOから90日以内の指名試合が義務づけられていたが、新王者は「現時点ではまったく未定」としている。一方で個人的に「自分が1回戦負けだったインターハイで、優勝した井岡一翔選手と戦ってみたい」とWBA王者との統一戦も希望した。後日に再起を表明したゾウは11戦9勝(2KO)2敗。
木村のコメント
「全然実感が湧かない。実感しているのは、こっちに来てからインタビューにかなり慣れたことですかね(笑)。王者は腹を打つとうめき声を上げていたが、右目が見えないので精神的には追い詰められていた」
ゾウのコメント
「私は負けてしまったが、観戦した中国人がボクシングに興味を持つきっかけになったのならよかったと思う」
(※この記事はボクシングマガジン2017年9月号に掲載されています)