9月16日、文化交流を目的にロシア・サハリン州の選手団が新千歳空港に到着。北海道ボクシング連盟が2泊3日の短期合宿を受け入れたメンバーには、かつて五輪3連覇に迫ったロシアン・レジェンドの姿もあった。

 サハリンは、稚内から約50キロ北上しただけで我々をヨーロッパ社会にいざなう島だ。しかもそこには年季の入った「集合住宅」が建ち並び、中心地の公園には社会主義の象徴である「レーニン像」が今もそびえ立っている。五輪ボクシングで大きな存在感を示したソビエト連邦の面影がこの島には色濃いのだ。
 対象的にその面影をほぼ失ったのは日本の統治時代だろう。ちなみに、元WBA世界スーパーウェルター級王者・輪島功一氏の魅力には「貧しい幼少期を過ごした者が持ちがちな暗さがないこと」が挙げられるが、これについて輪島氏は「物心のつく前にサハリンで裕福な家庭があったからかも知れない」と口にしたことがある。同氏の父はこの島の開拓事業で大成功していたそうだが、当時の住まいを調べる資料はもはや皆無だという。第二次世界大戦後、この島を早々に追われた日本人住民は、しばらく立ち入りを禁じられた。
 現在では、海にも空にも交通路が開かれ、サハリンでは日本の伝統武道教室に多くのロシア人が通っている。北海道との文化交流は特に盛んで、今回はボクシングでそれが実現。2000年と2001年生まれの有望選手をオレグ・サイトフ氏らが連れてきた。
 サイトフ氏は1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪でウェルター級の金メダルを獲得。2004年アテネ五輪でも銅メダルを獲得したほか、世界選手権など数々の国際大会で優勝実績を持つロシア史屈指の名選手だ。生まれは西部のサマラ州だが、選手引退後、サハリン州知事の秘書としてこの島に異動。将来的には州の政治に携わる意向もあるそうだ。
 北海道ボクシング連盟側がこのロシアン・レジェンドに素朴な疑問をいくつか投げかけると、その都度、サイトフ氏は熱心に答えてくれた。
「私のハイライトはアトランタ五輪の決勝戦だった。前年の世界選手権で負けていたフアン・エルナンデス(キューバ)にリベンジしたのが、その後の人生を大きく変えたのだ」
 近年、五輪の成績を落としているロシアについてはこう論じた。
「旧ソ連全体で競技レベルを見て欲しい。2012年ロンドン五輪の前後でウクライナが全盛期を迎え、その後にカザフスタンが全盛期を迎えた。そして2016年リオ五輪ではウズベキスタンが最高成績だった。旧ソ連のシンジケートは安定して好成績を収めている」
 ボクシングにおいて、ロシアで成績のいい地域は首都モスクワのほかにサンクトペテルブルク、マハチカラ、コーカサス、ヤクーツクなどで、それに比べるとサハリンは「競技文化が遅れている」と見ていた。実際に今回、札幌市北区体育館で行われた7つの練習試合でも、サハリンの選手たちは「強豪国の分厚い選手層」というほどの強さまでは見せなかった。しかしライトウェルター級のアドリアン・ファタホフが、インターハイ準優勝の本間一志(札幌工業高・定)を苦しめるシーンもあった。
 練習試合後はサイトフ氏のレッスン。「コンピューター採点の名残で“得点を数えながら戦うこと”は禁物だ」などのアドバイスを行った。
 最終日に台風襲来し、サハリン選手団は延泊を余儀なくされたが、その際の対処も親交を深めるきっかけになったそうで、サハリン側は北海道側に「今後も対抗戦などの交流を続けていきたい」と提案したそうだ。

(※この記事はボクシングマガジン2017年11月号に掲載されています)