適当、気分屋、刹那主義。

タイトルそのままに書きたいことを書いて自己完結します。 主に写真と及川光博な日々になるかと。

ぼくたち わたしたち

最近、レビューしか書いてないことに気づいた。
あんまりドライブとか行ってないからね、仕方ないね。


bugy
ぼくたち わたしたち


すっかりいつも聴くリストでトップ5に入るようになったBUGY CRAXONE。30歳以上の人は聴いて損がないと思う。
「むしゃくしゃしたとき、いっしょに空き缶を蹴れる友人のようなアルバム」とは全歌詞を手がけるVo.すずきゆきこの言だが、まさに30代から40へステップアップする彼女自身の今が等身大で表れていて、それが楽しく気持ちいい。

しかしただ楽しいだけのアルバムではない。全曲を通して雰囲気は明るいのだが、そのなかでちゃんと日々襲い掛かってくるイライラ、けだるさ、理不尽さへの怒りも込められている。
BUGYの曲を聴いていて楽しいと思えるのは、こうやって健やかにグチを吐き出せる雰囲気だなあ、と改めて思わされた。

「大人よ、正々堂々ばっくれろ!」

僕がこのアルバムを一言で表すならこれ。




いのちの限り生きるのだ
いろいろやって生きるのだ
ここから先がながいのを
ちゃんと知ってるお年頃

「ぼくたち わたしたち」

大人である以上やらなきゃいけないことは日々あって、最後には立つしかない。「はげましあってすすむのだ」ともあるが、立ち上がるのはやっぱり自分の力じゃないとダメなんだよなあ、と思う。
気がつけば大人になってしまい、そんな自分たちは「みんな」じゃなくて「ぼくたち」と「わたしたち」になっていた。そういういい意味でのあきらめって大事だと最近は感じている。
普段はひとり、たまにはみんな、そのくらいの距離感で生きていけるほうが余計なもの背負う必要なくてラクだよなあ、と。


じぶんをきちんとわかってたいな
それだけで十分

わたしはドントクライ
明日もちゃんと生きるつもりよ

「花冷え」

この曲のキモは最初の2行と最後の2行のそれぞれに詰まっている。
先に書いたような、ひとりであることを受け止めるために必要なことって、この4行に集約されてるんじゃないかな。


どんな雑誌を読んだらクールでかわいいの?
どんな正義が勝ったら全員うれしいの?
こわくなったらいっしょにごはんをたべよう
夜の間に泣いたら明日はきっといいよ

にっちも
さっちも
どうにも
ま、いっか

「さーてぃーないん ぶるーす」

一般的に求められる大人のイメージへの反抗心や身勝手さがストレートに出ている。世の中のトレンドなんてくそくらえ!って思うよね。思いませんかね。
気づけば口癖が「まあいいか」になってたことに今年気づいたんだけど、これって決して悪い意味じゃないよなって。つまらないことにこだわってもしょうがないよね。


バランス感覚きたえておかなきゃ
だいじなところで あれって気づく

「Balance」

昔から正負の法則というか、自分のなかのポジティブとネガティブの波の上で平行を保つのって難しいもんだよなって考えてたけど、そういう小難しさよりもこの曲のほうが端的で分かりやすかった。
思った以上に世の中には大人がいなくって、みんなバランス取るのに苦労してるんだなって思うと、ささいなことでイラつくことはなくなると思う。たぶん。まあムカつくことはやっぱりあるけど。でもそれを辺りかまわずぶちまけずに自分の中で処理できるようにはなったね。


ポロポロなみだがこぼれてしまうまえに
ポロポロ本音がこぼれてしまうまえに
睡眠、快眠、寝言は寝て言わなきゃ
さぁ休もう もう休もう
平和のためにサボるよ

「ばっくれソング」

すっかり世界共通語になった言葉、「過労死」。もちろんこれを気軽にあしらうつもりにはなれない。でも自分を守れるのは自分自身だし、最後に頼れるのは自分の健康だよなって思うと、サボることがそんなにズルいこととは思わない。むしろ自分はサボってます。そんで「まあいいか」って。
去年の今頃はそんな僕でも理由もなく仕事をする気がなくなり、パソコンの前に座ることすら苦痛になった時期があって、あれはもう本能が「もうやめとけ」って言ってたんだよなと解釈している。
もちろんサボった代償はその後から襲ってきたわけだけど、そのときには持ち直した自分がなんとかした。
今が無理なら、未来の自分に頼ってもいいよね。
「今日は今日、明日のことは明日の自分がなんとかする」って、近年よくライブ中のミッチーが言ってるんだけど、そういう切り替えをしていかないと壊れてしまうのが今の世の中かな。


窓をあけて顔あげる そこは空があるだけ
生きることは暮らすこと だから今日も精一杯

未来の前に 明日がくるよ

「シャララ」

この曲については語ることもない。ただこの3行で日々やっていけるよな、って。たぶんつらいことがあっても、この曲を口ずさめば泣いてても笑えるんじゃないかなと思う。僕は泣くことないけど。
疲れてる人にはぜひ聴いてほしい。


さんきゅー人生 ふぃーるぐっどしている
ごーいんぐまいうぇい ふぃーるぐっどしている
人生はんぶん ふぃーるぐっどしている

いつも結局ベッドの上でさ
ぼくら あくびふかしてる

「ベッドの上でさ」

これももう特に言うことないよなあ。ただ「ゆーのー?」「さんきゅー」ってそれだけ言い合ってればいいじゃんっていう。
ベッドの上でごろごろしてるときはたいてい幸せだよね。
最近は夜更かし癖がひどくて、夜寝れなくて困ってるけどね。


ルンルン気分で おとなのかおして
時にはずきずき こころがずきずき
ルンルン気分で おとなのかおして
夏にはみんなでおいしいビールがいいな

「ルンルンでいこう」

作り笑いでも笑っていれば脳は勝手に楽しくなるそうで。毎日楽しい気分をコントロールできたらいいんだけど、それでも気分が滅入ることもあったりして。そんなときはおいしい料理とお酒があればだいたいOKって思えるようになってきましたね。
昔はぜんぜん飲めなかったんだけど、今は自分の酒の弱さとの付き合い方が分かっておいしいお酒飲んでます。
そんな感じでルンルンでいけたらいいんじゃないですかね。


フレッシュ フレッシュ
生まれて きえてく
フレッシュ フレッシュ
もぎたて すべすべ
フレッシュ フレッシュ
つないで きえてく

へのへのもへじさ

「フレッシュ」

うん、正直よくわかんない。なんだかすごく深いことを言ってるようで、別にそうでもないような、そんな不思議さがある。
ただ曲が楽しいから、それでいいか。


おはよう こんにちは おやすみ
だれがいっても似合うことば
ふしぎなことばのちからさ
だから SAY SAY DO DO

「SAY SAY DO DO」

コミュニケーションの第一歩は取るに足らない言葉から。挨拶は話をするための準備運動だと思う。
思うのだけど、まだまだコミュ障気質が残ってる僕は正直なところ挨拶がめんどくさい人間だ。仕事のときはちゃんとやるんだけどね。ご近所にしっかりやってるかというと微妙なところ。でも今時のご近所さんってみんな同じように「ちょっと面倒」って気持ちがあって、挨拶もそっけないっていうのが現実なんだよね。
相手が誰でも、たとえそっけなくても挨拶はしておく。というのはうちの兄の行動指針のひとつだが、こういうの徹底できるからあの人は社交的なんだよなあ、ってつくづく思う。結果それで得をすることも多いのは傍から見てもわかることだし。
でもできないんだよなあ、性格を矯正するのはなかなか難しい。
そんな自分でも口にしておかしくない、挨拶ってやっぱり力があるんだね。



今作は「おとなってなんだろう」という視点が随所に散りばめられている。そのせいなのか、今の僕が日々なんとなく感じていることにちょうどフィットしているのが面白い。
だから聴いていてすごく馴染むし、まるで昔から聴いていたかのような既視感すらある。そんなところが「友人のようなアルバム」っぽさなんだろう。


メジャー再デビューではあるけど、華々しさはもちろんなくて、でも今のBUGYが発信できることがインディーズのときよりも広く伝播していく様子はツイッターの公式ツイートから感じることができる。
今の時代だからこそ聴いて価値がある良いアルバムなので、ぜひ。



CDだと通常版でも(限定版がそもそもないけど)ライブDVDがついてくる。
そこではCDを聴くだけじゃ味わえないもうひとつのBUGYの良さが詰まっている。
でも僕はライブハウスみたいな狭いところに人がひしめいているのが耐えられないタチなんだよなあ、残念ながら。
ライブのBUGYもエネルギッシュで良いよ。以前のアルバム「LESSON」に収録されてる「たいにーたいにー」は歌い方ひとつで印象が大きく変わる最高な1曲だと思う。


こっちがCD音源。


こっちはベストアルバム「ミラクル」のほうに収録されてたライブ版。

今作に同梱のライブ版はこの2つとはまた違う力強さがあって、それも良い。

ラグナロク・リブート(1章-2~5)

  • 2017年09月29日
あっというまに1ヶ月が経っている。
そしてラグナロクも順調に投稿されている。
すぐに感想をつけるなんて、ハナから無理だったんだなあ。

小説家になろう ラグナロク


1章-2~5についてざくざくと。

リロイの泰然自若を通り越してもはや横暴な振る舞いは変わらず、しかし旧作に比べてその様には凄味が加わっているように感じる。旧作ではラグナロクの評価通り「考えてない馬鹿」の行動に近しいものがあったが、リブート版では「何者にも侵し得ない強さ」に裏打ちされた余裕がより顕著に見られる。

また旧作でもよくある、リロイに対してチンピラでさえ最初は攻撃的な態度を見せることについても、リリーとラグナロクがそれぞれの視点から理由を推察している。
リロイは大柄で筋肉質、顔つきまで悪いというどう見てもヤバそうな相手なのに、弱者にだけ強いチンピラ風情が喧嘩腰で相対するのは不思議であった。
それはリリーに言わせれば「普通過ぎる」雰囲気がそうさせるのであり、ラグナロクによる推論である「擬態」によるものだろう。
リロイは刃傷沙汰を日常のものとして、まったく特別視していない。また本能で戦いを欲しているがために、相手への印象を偽装しているのだ。
野の獣は捕食と防衛のために爪と牙を振るうが、リロイは戦うための理由をもっとシンプルにしているため余計にタチが悪い。

裏通りの金貸しがスウェインに暴行したことに対しても借りた金は返すという道義を通すが、その直後に気に食わないから徹底的にブチのめすという本能をむき出しにする。そのうえ死んだら使えないので、返した金も回収する。
一見矛盾しているが、リロイにとってはどちらも道理が通っているのだ。

リロイという無茶苦茶な男に対する魅力は、獰猛な本能に理性を混ぜ込んで一番危険な状態に熟成させた行動理念への興味がそうさせるのだと考える。
そして徹頭徹尾その信念にブレがないから面白い。

その一方で、常軌を逸した強さは作者をも苦しめる。


旧作でもリロイが殺したがるせいで、話が余計にややこしくなるケースも垣間見えた。8巻「翡翠の罠」はリロイが動き回らなければもう少し事がスマートに済んだという分かりやすい例だ。もっともリロイが動き回ったからこそウィルヘルム派の枢機卿が出てきたとも言えるのだが。

そんなリロイは1章-2でも相変わらずの言動だ。<真紅の絶望>のレヴァンに対して、

「俺を拉致した理由は? 話しても話さなくても、おまえは死ぬから、どっちでもいいぞ」

こんなことを言われて有用な情報が出てくるわけもないのだが、そもそもリロイはすんなり訊き出せるとも思ってないので、最初から関係が破綻している。
物語を動かす主人公としては致命的な特徴であり欠陥をコントロールしなきゃいけない作者と相棒は今後も頭を悩ませるに違いない。

一方で人間的魅力もちゃんとある。スウェインの決意に対して「子供の戯言」と流すことなく、一人の男として受け止めながら、それでいて「子供はただ、助けて、って言えばいいんだよ」と優しくも力強く請け負う。
育ての親と十代の多感な時期に出会った人間たちとの経験がそうさせるのだろう。
普通の大人なら荒唐無稽な安請け合いと言うが、リロイはいつだって本気なのだ。こういうところはなんとか主人公らしい。


旧作と違い最初からキーパーソンのスウェインも子供ならではの視点と無鉄砲さがあり、さらには端っこさもあって良いキャラに育っている。ただの世慣れた生意気な子供ではなく、現実を知りながら希望を模索する強かさがある。
そしてスウェインが物語をひとつ動かすこととなる。

偶然出会ったシェスタなる少女はもちろんレナの妹であろう。こうして旧作を知っている読者なら、妹を拉致されたレナは仕方なしに<真紅の絶望>に協力していることが推察できる。旧作においてレナは救出をリロイに依頼するが、リブート版では従いつつも出し抜くきっかけを模索しているのだろうか。あるいはリロイが関わることを知って、それを利用するくらいのことは考えていそうだ。
そのシェスタはおそらくレナからリロイのことを聞いているのだろう。交わした会話は姉同様に刺々しくそっけない。

以前Twitterで作者が扱いに困る女の子と評したのはひょっとしたらレナの妹かもしれない。多重人格者で次々と人格が出てくるうえに、それぞれの人格が本体であるマナを認識し、一方でマナは自分以外の人格を知らないというややこしい関係性は確かに扱いづらい。

1章-2の途中と5の最後に出てきた女性。2の時点でヴァルハラ関係者、たぶんカレンかなと思ったらやっぱりだった。旧作ではけっこうキーパーソンになりつつどうにも影の薄い印象があったのは、ぶっ飛んでる人間だらけの作中において比較的まともだったからだろうか。
リブート版ではリロイの速さへの対抗意識で剣呑な雰囲気。やっぱりリロイは女難の相が出ているほうが似合っている。

しかしまだ1章。年内では終わらなさそう。そして旧作の1巻を消化したとして、その続きはどうなるものやら。

ラグナロク・リブート(1章-1)

小説家になろう ラグナロク


勝手にラグナロク・リブートと表記しているが、原作との区別も兼ねてこうすることにした。

思いの外早く1章が投稿されたので、ここは今の時代に即して早々と感想を書き連ねようと思った。
しかし今の時代に即してとか言いながら、短文でさっくりとTwitterに書くとかそういうのは向いてないのであった。


1章では、序章でいきなり拉致されたリロイに変わってラグナロクの単独行動となった。
この時点で原作とかなり展開が違うし、登場人物もやや変わっている。名前が変わったのはユリパルス→シルヴィオ、リリィ→リリーか。


こういう理由もあったりして。
当時はリリィ(英名:百合)と「ユリ」パルスで微妙にややこしいと思ったけど、ゲイなのかユリなのかとまでは考えなかったなあ。

もうひとりレヴァンなる人物も登場しているが、こっちは新顔だろうか。原作にそんな名前の人物はいた覚えがないが、「真紅の絶望」自体がびっくり人間のオンパレードだったので誰かしらの名前変更後かもしれない。


そして原作なら3巻から登場のスウェインが早くも参加。リブート世界ではヴァイセン出身に変更されているので、今後の人物関係に大きな変動があるかもと期待させてくれる。
案外すでにレナとは知己で、ヘクターにも繋がってるかもしれないのだが、現状を見る限りその線は薄そう。
原作でも13歳にしては幼い見た目じゃないかと思ったが、そのあたりにはちゃんと「栄養状態が悪いからだろう」とラグナロクは触れていた。
そういえば原作でスウェインが初めて会うのはラグナロクだったか。リブート世界でも同じくラグナロクとの邂逅から始まっている。


1章でこれぞラグナロク節!と感じたのはやっぱり三下の悪漢に容赦なく叩き込む詰問だろう。
素直に口を割らない男に「痛みに耐える訓練は怠っていないか?」と確認してからのボッコボコ。
この時点でラグナロクはすっかりリロイ流交渉術を学習しているようだ。同時に顔面を破壊されても口を割らない末端構成員から、組織の怖ろしさの表現もできている。


一方、拉致されたリロイは爆睡中。まさか1章でまったく動かないとは思わなかった。さすがに1章の〆でリロイ側の動きが起きそうな予感はするけども。



さて、リブート作であるから読者のほとんどはすでに原作を知っている層だと思う。
しかしなにしろ初版は20年近く前の話だ。今やネット上でライトノベルがあふれる時代、「小説家になろう」に親しんだ若い読者にとっては初めて触れる世界となるだろう。

その点に関して言うと、1章の最初から作中用語が多すぎるように感じた。ヴァナード王国、アスガルド皇国、ヴァーケルンなどの地名の羅列は原作読者からすれば既知の情報だが、初めての読者には入り込みづらさがないだろうか。
ライトノベルを書こうとすると、どうしても設定を書き連ねてしまいがちになる。もちろんそれを好む読者もいるので一概にやってはいけない表現ではないだろう。だが最初はシンプルに、徐々に世界を広げるほうがワクワク感を出せるように思う。

同じくリリーが聴き出したリロイの身の上話もラグナロクEXの顛末に触れているので、旧来のファンなら「ああ、あいつか」とピンとくるが、初見には伝わりづらい情報だろう。

作者が読者層をどう狙っているか次第の話である。
と、偉そうに講釈をたれるのが素人ならではの評論だ。

ただし、1章で主人公のリロイがずっと寝ているのは構成として物足りなさを感じる。ラグナロク側とリロイ側の行動を1章にまとめようとすると文量が多くなり、ネット上で読む小説としてかさばりすぎるという事情は理解できるのだが、やはり最初は主人公の行動を追いたいものだ。
このあたりはラグナロクとして初めての物語ではなく、すでに何作も重ねたうえでやれる展開だと思う。


かつての読者がTwitter上でどんどん出てきて、イラストレーターのTASA氏の耳にも届いたようで。


取らぬ狸の皮算用ではありますが、もし書籍化となったあかつきには是非にもこのコンビの復活も期待したいところです。



ところで原作のラグナロクが絶筆となった理由のひとつが作者の遅筆。もうひとつは内容がライトノベルらしくないという編集側の判断にあったという噂をネット上で見たのだけど。
ライトノベルらしくないというなら「されど罪人は竜と踊る」などはその最たるものだったと記憶しているのだけど、それと比べてもふさわしくないという判断だったのだろうか。
それとも「され竜」問題後の話なので、やはりこの手の過激な表現やストーリーは控えようという空気があったのだろうか。

所詮、業界の話である。今更だろう。



今更なんだけど、このリブートを経た先を想定したとして、書籍の分類はライトノベルで通せそうな内容になるんでしょうかね。
たぶん、今の作者はとにかく書いて世に送り出すことを最優先しているだろうから、そういう商業的な考えは置いてきているんだろうけど。




追記。




キルシェかなあ?
当時の担当者にもっと女子を!って求められてて結果あんなエキセントリック少女が生まれたんじゃなかったっけ。

もっとも、ラグナロクに登場する女子のほとんどが尖ってるんだけどね。
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