2019年09月05日

忘れられた江戸人物誌551 村山むらやま半牧はんぼく筆水墨米法山水図1

南画家、勤皇志士の村山半牧(1828〜68)。
半牧は文政11年、現新潟県三条市で生まれ、名を秀一郎、字は其馨、号を荷汀、短い後年には半牧方士と称しました。
父の私塾で学び、画道にも励み、17歳の頃江戸でも活躍していた長谷川嵐渓に入門。その後京都に出て、勤皇家で書画をよくした藤本鉄石、山中静逸、江馬天江らと親交を結び、中国地方、九州長崎を歴訪し、画技をすすめました。
 文久三年八月、畏友・藤本鉄石の天誅組が挙兵し、その憤死を播州で聞き、半牧は急ぎ京都に帰り、鉄石の妻子を故郷の備前に送り、元治元年、19年ぶりに故郷三条に帰郷します。三条へ帰ってから自害までの4年間、勤皇活動と書画を各所で残し現在残された書画はほぼこの時期のものと思われます。

 北越戦争の動乱の只中、

月も日もみな常闇(とこやみ)となりぬるを
わが身ひとつは物のかずかは


皇皇(すめらぎ)の道てふ(ちょう)道はあれはてて
わかつかたもなき世ぞあわれなる
と二首の辞世の歌を残して、縊死を遂げてしまいました。
半牧の書画は、とても人気があったとみえて偽物が多くあり、気品が判定の一番の基準と思えます。
印譜集が出ていて私も持っています。



sesson_freak at 19:00コメント(0) 

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江戸の風
巨人、大鵬玉子焼きの世代です。つまり、一方向にソレと動く時代に育ったオヤジです。美術といえばルノアール喫茶店もルノアール。ストーンズに目覚め、アングラ劇に感動し、都会に育った中年オヤジです。それが、一念発起なぜ、こんなブログを書き始めたのか、内容をご覧じろ。 メールはこちらです。
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