2009年07月

2009年07月31日

ピースカップ!!!!ベスト4、チーム紹介!!!! FCポルト

最後にFCポルトです。
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原語表記 Futebol Clube do Porto
愛称 Dragões、Tripeiros、Azuis e Brancos
クラブカラー 青と白
創設年 1893年

所属リーグ スーペル・リーガ

所属ディビジョン 1部
ホームタウン ポルト

ホームスタジアム
エスタディオ・ド・ドラゴン

収容人数 50,476
代表者 ピント・ダ・コスタ(en)
監督 ジェスアルド・フェレイラ(en)
FCポルト(Futebol Clube do Porto)は、ポルトガル・ポルトに本拠地を置くサッカークラブチーム。
スポルティング・リスボン、ベンフィカと並ぶポルトガルのビッグ3クラブのひとつ。1987年と2004年の2回、欧州王者と世界王者に輝いている。
クラブの成り立ち
1893年9月28日に創設された。初代会長のニコラウ・デ・アルメイダはポートワインの輸出業者で、イングランド出張の際にサッカーと出会ったことでクラブの創設を決めた。当初のクラブ名はポルトガル語のフトゥボル・クルーベ(Futebol Clube)ではなく、英語のフットボール・クラブ(Foot-ball Club)が用いられていた。1894年にリスボネンセと最初の試合を行うが、クラブは直後に休止状態に入った。原因はニコラウの妻ヒルダがサッカー嫌いだったためといわれる。1906年に新会長ジョゼ・モンテイロ・ダ・コスタによりクラブの活動が再開された。
最初の欧州制覇
ビッグ3クラブの中では実績の面でやや遅れをとっていたが、1980年代以降は毎年のようにタイトルを獲得するようになった。
最初の欧州制覇は、アルトゥール・ジョルジュ監督に率いられたチームが1986-1987シーズンに達成した。欧州チャンピオンズカップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、残り15分で1点のビハインドを背負っていたが、アルジェリア人ラバー・マジェールが1得点1アシストの活躍で逆転。2-1の勝利をおさめた。
同年のインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)では、大雪の中、南米代表ペニャロールと壮絶な死闘を展開、またもラバー・マジェールの活躍により、延長戦の末2-1で初の世界一に輝いている。
1994-1995シーズンから1998-1999シーズンにかけて、ポルトガルリーグ記録のリーグ5連覇を達成した。
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2度目の欧州制覇
2002年に就任したジョゼ・モウリーニョ監督のもと、2002-2003シーズンにポルトガルのクラブとして初めてUEFAカップに優勝。2003-2004シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝にてASモナコを3-0で破り、17年ぶりに欧州一の座に返り咲いた。同シーズン終了後はモウリーニョ監督や主力選手が軒並み他国クラブに移籍したが、最後の開催となった同年12月のインターコンチネンタルカップでも南米代表オンセ・カルダスをPK戦の末に降して、2度目の世界一に輝いた。
審判買収問題
2008年5月、FCポルトが2003-2004シーズンに自国リーグで審判買収を行っていたことが発覚。これに対する処分として、2007-2008シーズンに獲得した勝ち点から6ポイント剥奪するとともに罰金15万ユーロ(約2400万円)を科せられた(勝ち点を剥奪されてもまだリーグ優勝はFCポルトとなるほど大差をつけていた)。さらに、欧州サッカー連盟(UEFA)はFCポルトの来季チャンピオンズリーグ出場権を剥奪すると発表した。ただし、チャンピオンズリーグ出場権に関しては後に撤回された。これを不服に思ったライバルチームであるベンフィカとヴィトリア・ギマランイスがスポーツ仲裁裁判所(CAS)に対して訴えていたが、同7月にCASはこれを退けた。FCポルトはチャンピオンズリーグに出場できることとなった。
在籍選手
1 GK エウトン
エウトン・ダ・シウヴァ・アルーダ(Helton da Silva Arruda, 1978年5月18日 - )はブラジル、マラニョン州アルカンタラ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。

ドゥンガ率いるブラジル代表で控えを務めていたこともあった。FCポルトでは正ゴールキーパーとして守備の要となっている。

2 DF ブルーノ・アルヴェス (Captain)
ブルーノ・アルヴェス(Bruno Alves, 1981年11月27日 - )はポルトガル出身の同国代表選手で、FCポルト所属のサッカー選手である。ポジションはDF(センターバック・左サイドバック)。

3 DF ミゲル・ロペス
5 DF ネルソン・ベニテス
6 MF フレディ・グアリン
7 FW シルヴェストレ・ヴァレラ
8 MF ディエゴ・バレリ
9 FW ラダメル・ファルカオ
2005年3月6日、インスティトゥート・コルドバ戦でデビューした。デビュー戦で2得点するなど、Apertura 2005では7得点を挙げた。2007-08シーズンは35試合で19得点を挙げ、チームのトップスコアラーになった。2009年7月、FCポルトに移籍した[1]。
2007年のキリンカップで来日し、日本代表と対戦している

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10 MF クリスティアン・ロドリゲス クリスティアン・ロドリゲス(Cristian Gabriel Rodriguez Barrotti、1985年9月30日- )は、ウルグアイ出身の同国代表サッカー選手(MF)。(23歳) 出身地 フアン・ラカセ

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11 FW マリアーノ・ゴンサレス
マリアーノ・ニコラス・ゴンサレス(Mariano Nicolás González, 1981年5月5日 - )はアルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
元アルゼンチン代表ミッドフィルダー。
両サイドを器用にこなすユーティリティ性とスピードを生かしたドリブルが魅力。運動量も豊富であり、後半戦まで切れのあるドリブルを支える。
U-20代表時代に当時のマルセロ・ビエルサ監督の目に止まりアルゼンチン代表に招集された。 2003年6月のU-20日本戦に出場している。
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12 FW フッキ フッキことジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ(Givanildo Vieira de Souza "Hulk", 1986年7月25日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。身長178cm。体重68kg。血液型はO型。
登録名の「フッキ (Hulk) 」は、彼が少年時代に愛読していたアメリカン・コミック『超人ハルク』の主人公ハルクのことで、彼の母親によって付けられたニックネームである。なおフッキは英語とブラジルポルトガル語を混同した読み・表記である。
2005年2月、川崎フロンターレにレンタル移籍し、18歳で来日。ブラジル時代は主に中盤のポジションでプレーし、川崎でも当初はミッドフィールダー登録でC契約選手であった。
13 DF ホルヘ・フシーレ
14 DF ロランド
15 DF マイコン
16 MF ラウル・メイレレス(vice captain)
17 DF アルバロ・ペレイラ
18 GK ベト
19 FW エルネスト・ファリアス
20 MF トマス・コスタ
21 DF クリスチャン・サプナル
23 DF ヌーノ・アンドレ
25 MF フェルナンド
28 MF フェルナンド・ダニエル・ベルスキ
29 FW オルランド・サ
33 GK ヌーノ



監督
ジェスアルド・フェレイラ


以上、4チームが熾烈な優勝戦を争います!!!(屮゚Д゚)屮 カモーン
結果は、次回こうご期待!!!!( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



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ピースカップ!!!!ベスト4、チーム紹介!!!! アストンビラFC

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原語表記 :Aston Villa Football Club
愛称 :ヴィラ(The Villa)ヴィランズ(The Villans)
クラブカラー:臙脂(えんじ)
創設年  :1874年

所属リーグ:プレミアリーグ

ホームタウン:バーミンガム

ホームスタジアム:ヴィラ・パーク

収容人数   :42,584
監督  :マーティン・オニール

アストン・ヴィラ・フットボール・クラブ(Aston Villa Football Club)は、イングランド・ウェスト・ミッドランズ州バーミンガムに本拠地を置くプロサッカークラブ。ニックネームはヴィランズ。
現在はプレミアリーグに所属。リーグとFAカップで優勝7回、欧州制覇の経験もあるなど獲得タイトルは多いが、プレミア移行後は、92/93シーズンの2位が最高位となっている。同じバーミンガムを本拠地とするバーミンガム・シティとの対決は「バーミンガム・ダービー」として盛り上がりを見せる。イギリス王太子チャールズの長男ウイリアム王子がファンである。
そして近年は、他のプレミアリーグのチームのように外資(NFLブラウンズのオーナーである米国人実業家ランディ・ラーナー)の注入によって優秀な選手を多数獲得し、著しいチーム強化が行われている。

在籍選手
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1GK ブラッド・フリーデル
UCLA卒業後の1995年、デンマークの名門、ブレンビーIFと契約しプロとなる。しかしここに彼の居場所は無く同年トルコのガラタサライへ放出され、1996年からは母国アメリカへ戻りプレー。しかし翌1997年にリヴァプールFCからのオファーを受け、2000年に移籍するまでリヴァプールでデイヴィッド・ジェームスの控えとしての日々を過ごす。ブラックバーン・ローヴァーズFC移籍後は正GKを確約され、期待通りの活躍を見せていた。2008年、ブラックバーンがポール・ロビンソンを獲得したのに伴い、アストン・ヴィラFCへ移籍した。
2002 FIFAワールドカップでアメリカ代表の正GKを務めスーパーセーブを連発しベスト8進出に貢献。この活躍により世界的に名の知れるGKとなった。同年代のライバルケーシー・ケラーの怪我のために回ってきた大役であった。
2005年2月7日に代表を引退し、現在はクラブでのプレーに専念している。
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2 DF ルーク・ヤング
ルーク・ポール・ヤング(Luke Paul Young, 1979年7月19日 - )はイングランド出身のサッカー選手。ポジションはDF。
元イングランド代表ディフェンダー。現在のイングランド代表選手にしては遅咲きだが有望株でガリー・ネヴィル、フィリップ・ネヴィルと代表右サイドバックの座を争った。
2001年夏に3万ユーロでチャールトン・アスレティックFCへ移籍、右サイドバックとして信頼を得た。2005-2006シーズンにはアディックス(チャールトンの愛称)のキャプテンに就任した。
3 DF ウィルフレッド・ボウマ
4 DF スティーヴ・シドウェル

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7 FW アシュリー・ヤング
2007年1月18日、クラブ記録となる800万ポンドのオファーを受け入れ、ワトフォードはアストン・ヴィラの監督であるマーティン・オニールやクラブ関係者がヤング自身とコンタクトを取ることを許可した。2日後にオニールはヤングがクラブに加入することを確認した。1月21日にメディカルチェックをパスし、23日に契約を結んだ。ヴィラでのデビュー戦となった31日のニューカッスル・ユナイテッド戦では、1-3で敗れはしたが、ゴールを決めた。2007-08シーズンは、数試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍を見せ、イングランド代表にも選出された。
2008年4月20日のバームンガム・シティ戦では、2ゴール、2アシストの活躍をし、インタートトカップのオーデンセBK戦でもゴールを決め、クラブのUEFAカップの出場権獲得に貢献した。
プレミアリーグの2007-08シーズンのアシストランキングでは、セスク・ファブレガスの20アシストに次いで、17アシストを記録した。リーグのベストイレブンにも選出され、フィールドプレイヤーでは唯一、ビッグ4(マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、チェルシー、リヴァプール)以外からの選出となった。
8 MF ジェームス・ミルナー
9 FW マーロン・ヘアウッド

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10 FW ヨン・カリュー
母国ノルウェーのクラブチームでキャリアをスタート。長身と高い身体能力を武器に才能を発揮し、2000年にリーガ・エスパニョーラのバレンシアへ移籍。移籍1年目は活躍を見せたが、以降は出場機会が減り、2003年にセリエA・ローマ、翌年にはトルコのクラブチーム・ベシクタシュへ移籍。2005-2006シーズンからはリヨンへ活躍の場を移す。さらに2007年1月にはミラン・バロシュとのトレードでイングランドのアストン・ヴィラに移籍した。
11 FW ゲイブリエル・アグボナラホー
ガブリエル・アグボンラホー(Gabriel Agbonlahor, 1986年10月13日 - )はイングランド出身のサッカー選手。ポジションはFW。生まれて此の方バーミンガム一筋で、現在の所属チームはアストン・ヴィラFC。ナイジェリア人の父親とスコットランド人の母親の国籍により、ナイジェリア代表とスコットランド代表でプレーする資格も持つが、現在は出生地であるイングランドのU-21代表でプレーしている。
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20 MF ナイジェル・レオ=コーカー
ナイジェル・レオ=コーカー(Nigel Reo-Coker, 1984年5月14日 - )はイングランド出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
僅か21歳にしてウェストハムのキャプテンマークを腕に巻いた選手。90分間余裕で走り続ける程のスタミナとセカンドボールに反応して相手ゴールへと放つミドルシュートが魅力。その活躍が見込まれ、メンバー入りはならなかったが2006 FIFAワールドカップのイングランド代表予備メンバーにも選出された(後に負傷のためフィリップ・ネヴィルと交代)。ちなみにU-21イングランド代表では12試合に出場している。
イングランドでは同じウェストハム出身のフランク・ランパードのような活躍を期待されている。ただ、彼のプレースタイルはランパードのようにパスで苦境を打開するのではなく自らドリブルで切り込んでいくのが特徴である。
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21 DF ニッキー・ショーリー
レイトン・オリエントFCで活躍し、2001年2月にレディングFCに移籍。元ウエストハム監督のアラン・パーデューに見いだされた。2005-2006シーズンに2部リーグ優勝を果たし、クラブ史上初のプレミアリーグ昇格に貢献した。
2006-2007シーズンも引き続き活躍し、プレミアリーグ初昇格で8位進出に貢献。レディングのファンによる「2006?07 Player of the Season」の投票では、イヴァル・インギマルションに次いで2位にランクインした。
2007年6月1日、ブラジル代表との親善試合でイングランド代表デビューを果たした。
2007-2008シーズンは18位に終わりチームは降格が決定。2008年8月、アストン・ヴィラFCに移籍した。




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ピースカップ!!!!ベスト4、チーム紹介!!!! ユベントス

今回はユベントスです。
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ユベントスFC
ユベントスFCは、イタリア北西部のトリノを本拠地とするサッカークラグであり、世界的にも非常に重要なクラブの一つである。1897年に創設されたユベントスは、イタリア国内に現存するクラブの中ではジェノア、プロ・パトリアに次いで3番目に歴史の古いクラブである。ビアンコネッリの愛称で知られるユベントスは、100シーズン中実に27シーズンでセリエA制覇を果たしている。
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クラブの歴史
ユベントスはラテン語で「青春」を意味する言葉。その名の由来は1897年11月1日、トリノの有名学校、マッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによってクラブが創設されたことにある。ユニフォームカラーはピンクと黒で、黒のタイを着用していた。ユベントスFCは1900年に初のイタリア選手権参加を果たす。白と黒のユニフォームに変わってから2年後の1905年、決勝ラウンドでジェノアやUSミラネーゼを破り、イタリア選手権で初優勝。その1年後にはACミランと同点1位対決を行って引き分け、再度ミラノ市内のスタジアムでプレーオフが予定されていたが、ユベントスはこれを辞退し、優勝を逃した。またこの年、スイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、同氏は新たにFCトリノを創設。ディック会長がクラブ名をJugen Fussvereinに変更し、本拠地を国外へ移したいと希望したことから内紛が起こり、このような結末を迎えた。1910年代におけるユベントスのリーグ最高位は2位。1913年には最下位となったが降格は免れ、ロンバルディ・グループに置かれた。1910年代は唯一、ユベントスがいずれのタイトルも獲得できなかった10年間である。
第一次世界大戦後、ユベントスを取り巻く状況が好転する。1923年にはエドアルド・アネェッリがクラブを買収。1926年には2度目のイタリア選手権優勝を果たし、その後1年間はユニフォームの胸にイタリア国旗のトリコローレを示した盾型のエンブレムを縫い付けて戦うこととなった。ゴールキーパーのジャンピエロ・コンビ、ディフェンダーのビルジニオロ・ゼッタやフェデリコ・ムネラッティを中心としたユベントスは現在に至る歴史の中でも1、2を誇る最強メンバーを取り揃え、1926年には3つのタイトルを手にした。1930/31シーズンからアネェッリ会長が飛行機事故で亡くなった1934/35シーズンまでの間には、5つのタイトルを獲得。イタリア系アルゼンチン人選手のライムンド・オルシやルイス・モンティ、レナート・セサリーニ、そしてストライカーのフェリチェ・ボレルやフェラーリなどがこれら5つのタイトル奪取に貢献した。またこの間にユベントスは新スタジアム「スタディオ・ムッソリーニ」に移転している。
優勝サイクルに入ったユベントスは1938年のスクデット獲得に近づくが、ホームで行われた最終戦で敗北し、準優勝に終わる。優勝したのはトリノで、戦後間もなくのリーグ戦から始まり、トリノに決勝戦で敗れたのはこれが3度目だった。ユベントスは1938年と1942年にコッパ・イタリアを制覇。1947年にはエドアルド・アネェッリの息子であるジャンニが25歳の若さで会長に就任している。「グランデ・トリノ(偉大なトリノ)」と呼ばれたトリノの快進撃は「スペルガの悲劇」として知られる飛行機墜落事故によって終止符を打たれ、ユベントスは1950年、ようやくセリエA優勝を果たす。またこの間にスタジアム名が「スタディオ・コムナーレ」に変更されている。
1990年、ユベントスFCは拠点をデル・アルピ・スタジアムに移し、タイトルから遠ざかった9年間を経て(この間の獲得タイトルはコッパ・イタリア1回とUEFAカップ1回のみ)、ユベントスは22個目のセリエAタイトルを獲得。この頃、ユベントスは向かうところ敵なしで、イタリア国内のほぼすべてのタイトルを獲得し、1996年にはアヤックスを倒して2回目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を果たした。また同年にはインターコンチネンタル・カップでリバープレートを1-0で破り優勝。しかし1997年と1998年のUEFAチャンピオンズリーグでは、それぞれドルトムンドとレアル・マドリードに決勝戦で敗れていえる。
ヴィエリ、ラバネッリから始まり、デル・ピエロ、ジダン、ダービッツとこの時代にはユベントスの歴史に名を残す名プレーヤーが続々登場した。しかし1998年、ASローマの監督だったゼーマンがユベントスの一部の選手がEPOや他の薬物によるドーピングを行っていると発言。当時のメディカルスタッフやCEOはこの疑惑を否定したが、この事件がユベントスの優勝サイクルに深い影を落としたことは否めない。1999年には監督を務めていたリッピがユベントスを離れたが、クラブはタイトル奪取のため再び彼を呼び戻すこととなる。ジダンがレアル・マドリードへ移籍し、ジャンルイジ・ブッフォンとリリアン・テュラムがユベントスに加入。2002年、2003年と続けてスクデットを手にした後、マンチェスターで行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦ではACミランを相手に惜しくもPK戦で破れている。リッピがユベントスを離れてイタリア代表監督に就任したのを受け、フロントはファビオ・カペッロを監督として招き入れることを決定。若きスーパープレーヤ、ズラタン・イブラヒモビッチがアヤックスから移籍し、ASローマに所属していたミッドフィールダーのエメルソンが加入した。ユベントスは28、29個目のスクデットを獲得したが、この後にカルチョスキャンダルが発覚。ルチアーノ・モッジGMらが審判に対する買収、脅迫行為で起訴された。ユベントスはセリエBに降格、最後の2つのスクデット剥奪という処分を受ける。2005/06シーズンはインテルがセリエA優勝を遂げ、ユベントスからは多くの選手が離脱していった。クラブは組織を刷新し、新監督には元ユベントスのミッドフィールダー、ディディエ・デシャンが就任。ブッフォンやデル・ピエロ、ネドベド、カモラネージ、トレゼゲといった中心選手はヨーロッパ中の様々なクラブからオファーがあったにもかかわらず、ユベントスにとどまることを決めた。2006/07シーズン、ユベントスは勝ち点マイナス9からスタートというペナルティを与えられたもののセリエBで優勝し、セリエAに復帰した。

現所属メンバー
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1−ジャンルイジ・ブッフォン
ジジことジャンルイジ・ブッフォンを「世界最高のゴールキーパー」と称する人は多い。30歳を迎えた彼は、すでにプロゴールキーパーとして12年の経歴を持つ。ユース時代を含むパルマでの10年間の後、2001年にユベントスと契約。セリエAでの2度の優勝経験がある。スポーツ一家に生まれ、実の姉妹はバレーボール選手として活躍している。
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11−パベル・ネドベド
チェコ出身のミッドフィールダー。35歳。現役引退が近いとささやく声もあるが、その実力は未だトップレベルで、非常にプロ意識の高いアスリートである。2003年バロンドール受賞。しかし、そのシーズンのチャンピオンズリーグでは、イエローカード累積により決勝戦に出場することができなかった。
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10-アレッサンドロ・デル・ピエロ
アレッサンドロ・デル・ピエロもまた、ユベントスを代表するスーパースターである。彼はチームで最も才能のある選手であり、サポーターからは「アレックス」の愛称で親しまれている。カルチョ・バドヴァのユースチームでキャリアをスタートさせたものの、彼のサッカー人生は過去13〜14年間のユベントスの歴史そのものだともいえる。
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17-ダヴィド・トレゼゲ
アルゼンチン国籍も併せ持つフランス人ストライカー。フランス代表として1998年のワールドカップ、2000年の欧州選手権での優勝に貢献した世界屈指のプレーヤーである。

クラブの伝説的プレーヤー
ジャンピエロ・コンビ (1922-1934): クラブ黄金期に活躍した伝説のゴールキーパー。5つのタイトルを獲得し、ワールドカップでの優勝経験もある。
ビルジニオ・ロゼッタ (1925-1936): ディフェンスの要。5万リラが支払われたというUSプロ・ヴェルチェッリ・カルチョからの移籍は当時スキャンダルとなった。8タイトルを獲得し、1934年のワールドカップで優勝している。
ウンベルト・カリガリス (1928-1935): コンビ、ロゼッタとともにユベントス、イタリア代表の重要なディフェンス勢の一人。獲得タイトルは5つ。オールドスターマッチの試合中に39歳の若さで亡くなった。
ライムンド・オルシ (1929-1935): 1928年のオリンピックでその才能が注目されるも、書類上の問題によりその後1年間はプレーすることができなかった。
レナート・セサリーニ (1930-1935): 試合終了直前に決めるゴール(通称「ゾナ・セサリーニ」)で知られる、往年の名プレーヤー。アルゼンチンのChacharitaで育った。ジョヴァンニ・フェラーリ (1930-1935): 8つのタイトル獲得という華々しい経歴を持つ。規律正しいストライカーであり、1934年と1938年のワールドカップに出場し、優勝した。 カルロ・パローラ (1939-1954):トリノ生まれ。ディフェンス能力に長けたミッドフィールダー。現役最後の年をSSラツィオで過ごすまではプロキャリアのすべてをユベントスに捧げた。1970年代にはユベントスの監督に就任した。
ジャンピエロ・ボニペルティ (1946-1961): ストライカーとして、プレイメーカーとしてユベントスにプロキャリアのすべてを捧げた一流選手。しかしイタリア代表メンバーとしてはタイトルに恵まれなかった。
ジョン・ハンセン (1948-1954): 第二次世界大戦後まもなくに加入した外国人選手の一人。広告キャンペーンに登場した最初のサッカープレーヤーの一人でもある。オマール・シボリ (1957-1965): 一流のストライカー。頭が大きかったことから「カベゾン(デカ頭)」と呼ばれた。激しい気性の持ち主でしばしば審判にたてついた。3度のセリエA制覇を経験している。
ジョン・ウィリアム・チャールズ (1957-1962): 非常に優れた攻撃能力を有するシボリの相棒。サッカー人生において一度も警告を受けなかったことから「優しき巨人」というあだ名がつけられた。
ロベルト・ベッテガ (1970-1983): 優れた技術力と頭脳を持ち合わせた1970年代のユベントスを代表する選手。怪我のためワールドカップに出場出来なかったことを除いては、常にチームの中心的役割を果たした。
ディノ・ゾフ (1972-1983): イタリアを代表するゴールキーパー。30歳でユベントスに加入。11年間在籍し、40歳でワールドカップ優勝を果たした。
クラウディオ・ジェンティーレ (1973-1984): 1970-80年代に活躍した選手の中で最も背の高かった選手の一人。1982年のワールドカップでマラドーナやジーコを徹底的にマークしたことで有名になった。
ガエターノ・シレア (1974-1988): イタリア史上屈指の「リベロ」は、ミッドフィールダーとしてキャリアをスタートさせたものの、カルロ・パローラ監督は彼をセンターバックとして使うことを決める。ピッチの内外を問わず紳士的な性格で知られたが、ユベントスの助監督としてUEFAカップで対戦するチームの視察のために訪れたポーランドで交通事故に遭い、36歳の若さで他界した。
マルコ・タルデッリ (1975-1985): ディフェンス、オフェンスともに長け、当時最も現代的なサッカーをするミッドフィールダーといわれた。1982年のワールドカップ決勝戦ではイタリア代表2点目を決めた選手である。
アントニオ・カブリーニ (1976-1989): 左足を利き足とするディフェンダー。ユベントス在籍中に数多くのタイトルを手にした。
パオロ・ロッシ (1981-1985): 若いときに3度の膝の手術を受けるなど、怪我に悩まされた。ペルージャ在籍中には八百長疑惑がかかり、2年間の出場停止処分を受けている。その後ユベントスに移籍し、1982年のワールドカップでは優勝を果たして自らも得点王となり、同年にバロンドールも受賞している。
ミシェル・プラティニ (1982-1987): プラティニの加入とともに、ユベントスの黄金期が幕を開ける(インテルも彼の獲得に乗り出していたが、アニェッリの方が一足早かった)。背番号10番(アニェッリは当時「9.5」と称した)を背負う素晴らしい才能を持った選手。現役引退はフランス代表監督を務め、現在はUEFAの会長に就任している。
ズビグニェフ・ボニエク (1982-1985): 国内リーグよりもUEFA主催の大会で目覚ましい活躍を遂げたことから、「ベッロ・ディ・ノッテ(美しい夜)」の愛称がつけられた。1985年にASローマに移籍。
ロベルト・バッジョ (1990-1995): 「コディーノ」の愛称で知られる、1990年代を代表するスーパープレーヤー。1993年、バロンドール受賞。パオロ・ロッシ同様、ヴィチェンツァ所属中はひどい怪我に悩まされた。偉大な選手であると同時に、その控えめな人柄で知られる。
ジネディーヌ・ジダン (1996-2001): ボルドーでプレーしていたときにユベントスFCのスカウトマンにその才能を見いだされ、24歳のときにユベントスと契約。ユベントス在籍中は5シーズンにわたって素晴らしい活躍をみせ、ワールドカップと欧州選手権で優勝を達成。2001年にレアルマドリードに移り、5年間在籍。2度目となるワールドカップ決勝戦でマルコ・マテラッティに頭突きをくらわせて一発退場となり、その後現役を引退した。
ジャンルカ・ザンブロッタ (1999-2006): ライトバック、レフトバックのいずれでもプレーできる選手。優れたディフェンダーだが、攻撃能力にも長けている。カルチョスキャンダルの後、FCバルセロナに移籍した。
フィリッポ・インザーギ (1997- 2001): 目を見張るような技術力はないものの、絶妙なタイミングとポジショニングセンスでゴールを決める天賦の才能を持った選手である。常にオフサイドぎりぎりのポジションを狙い、オフサイドを抜け出してこぼれ球を押し込む。トレゼゲ加入の後はアンチェロッティが監督を務めるACミランに移籍した。
ファビオ・カンナヴァーロ (2004-2006): ワールドカップ優勝、バロンドール受賞、2006年年間最優秀選手賞受賞(ディフェンダーでは初の受賞)という快挙を遂げた彼には「ベルリンの壁」というあだ名がつけられた。身長はそれほど高くないが、その俊敏さと強靭さで相手プレイヤーからボールを奪う能力に優れている。
ズラタン・イブラヒモビッチ (2004-2006): イブラ、イル・ジェニオ(天才)の愛称で親しまれるイブラヒモビッチは、ポストプレーに優れた才能あふれる選手である。ユベントスに加入した最初の年に目覚ましい活躍ぶりをみせたが、続く2年目は多少低迷。カルチョスキャンダルによってインテルに移籍したが、この決断は多くのサポーターを失望させた。


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ピースカップ!!!!ベスト4、チーム紹介!!!! レアル・マドリード

いよいよ、クライマックスになりました、準決勝!!
ここで、そろいましたベスト4チームの紹介をして行きたいと思います。
先ずは、第一試合の2チーム!!
レアル・マドリードFC
ニックネーム:
白い巨人、マドリディスタ、銀河系軍団、スーパースター軍団 -120x120-ja
設立:
1902年
ホームスタジアム:
エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
代表者:
ラモン・カルデロン
監督:
ベルント・シュスター
リーグ:
リーガ・エスパニョーラ
歴史と出来事

レアル・マドリード
ヨーロッパ優勝杯のほぼすべてを掌中に収め、世界規模の大会でも優勝を手にしてきたレアル・マドリード。1902年の創設以来、チームの存在自体がマドリディスタたちの誇りでもある。米ハーバード大学の調査によれば、世界中のレアル・マドリードファンは約2億2800万人といわれ、2位のマンチェスター・ユナイテッド(約1億1600万人)に大きく差を空けて世界第1位の座に君臨している。これほどまでに膨大な数のファンを抱えるその理由は、才能に満ちた歴代プレーヤーとその輝かしい歴史に負うところが大きいといえるだろう。

クラブの歴史
1902年、複数のサッカーファンが集まってマドリード・フットボールクラブを創設。登記を行うため、エンリケ・バレーラを会長、マヌエル・メンディアを副会長とする最初の委員会が結成される。ユニフォームに関しては、コリンチャンス・ロンドンを真似たものにすることで合意した。 3年後、マドリードは1対0でアスレティック・ビルバオを破り、初のスペイン国王杯優勝を果たす。唯一のゴールとなったのは、ペドロ・パラヘスからのパスを受けてプラストが放ったシュートであった。
1931年、マドリードは最初のリーグ優勝を遂げる。当時はシリアコ、キンコセス、ルイス・レゲイロ、イラリオ、ベスティット、オリバレスといったそうそうたるメンバーを抱え、チームは負け知らずだった。
1943年、世紀の試合として記憶に残るものとなったのが、 11対1という大差で完勝したバルセロナ戦だ。その前の対決では0対3でマドリードは敗北していた。このわずか4年後の1947年に、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムが完成。各国のメディアからは「ヨーロッパ最高のスタジアム」とたたえられた。同スタジアム初のゴールを決めたのは、バリナガだった。
1954年、マドリードはバレンシアを破って再びリーグ優勝を果たす。アルフレッド・ディ・ステファノはスペインでの最初のシーズン、27得点を決めてリーグ得点王に輝いた。2年後には最初のヨーロッパ優勝杯を手にし、さらに1957年には2度目のヨーロッパ優勝杯を得ている。3度目は1958年。ブリュッセルでミランを相手に戦い、ディ・ステファノ、リアル、ヘントがゴールを決めて見事三連覇を果たした。そして2年後には4度目の優勝を遂げている。
アイントラハト・フランクフルトを7対3で破って5度目の優勝を果たした決勝戦は、ヨーロッパにおける最高の試合の一つとしていまなお語り継がれている。
その後、初のインターコンチネンタル・カップ優勝を果たしたレアル・マドリードは、名実共に世界のトップに躍り出た。モンテビデオでペニャロールを相手に行われた第1戦は惜しくもスコアドローに終わったが、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで120000人のファンを前に行われた第2戦では、5対1と快勝した。
1961年、レアル・マドリードはリーグ戦においての最高記録を樹立する。30 試合中24試合で勝利し、リーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。
1980年代は、エミリオ・ブトラゲーニョなどの活躍でリーグ5連覇を達成。このような記録を持つクラブは他にない。
レアル・マドリードの最大のライバルと言えばバルセロナ。レアル・マドリードファンにとって忘れることのできない試合が、1995年、ヨハンクライフ監督率いるバルセロナとの間で繰り広げられた試合だ。この試合でレアル・マドリードは5対0で完全勝利を果たしたが、うち3得点を決めたのがイバン・サモラーノだった。
1998年に行われたチャンピオンズリーグ決勝戦では、アムステルダムでユベントスを破り7度目の優勝を達成。ページャ・ミヤトビッチのゴールが決勝点となった。同年には東京の国立競技場で、2度目となるインターコンチネンタル・カップ優勝も果たしている。この試合ではロベルト・カルロスとラウルが2得点を決めた。3回目の優勝は数年後、ロナウドやグティのゴールでオリンピアを下して優勝杯をもぎとった。
2000年はクラブにとって記念すべき年である。FIFAがレアル・マドリードを「20世紀最高のクラブ」に選び、アルフレッド・ディ・ステファノ名誉会長とフロレンティーノ・ペレス会長に記念杯が授与された。
またこの年、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦でバレンシアに勝利。2002年には同じくドイツのバイヤー・レバークーゼンを相手にジダンやラウルがゴールを決め、9回目の優勝を果たした。
2006-07年に開催されたリーグ戦はレアル・マドリードにとってちょうど30回目となり、20世紀を代表する最高のクラブチームにファンからは惜しみない声援が送られた。


現所属メンバー

☆ゴールキーパー
1199675701カシージャス

o1-イケル・カシージャス - 世界最高のゴールキーパーの一人。26歳。チャンピオンズリーグ、リーグカップ、スーパーカップなど彼のゴールセーブでチームに数多くの優勝杯がもたらされている。
o25-イェジー・ドゥデク
o13-ジョルディ・コディナ

☆ディフェンダー
0004サルガド

o2-ミチェル・サルガド
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o3-ペペ
セルジオ・ラモス729084_w2

o4-セルジオ・ラモス - セビージャから移籍した未来のキャプテンと目される選手。2100万ユーロの移籍金で契約。レアル・マドリードが過去5年間に獲得した選手の中でも、最も活躍目覚ましい選手の一人である。

☆ミッドフィールダー
マハマドゥ・ディアラ279b66e648c2f5c44318d4037d265674

o6- マハマドゥ・ディアラ
フェルナンド36db27166743981f2045464ebce21bb9

o8- フェルナンド・ガゴ
o11- ロッベン
o14- グティ
o19- バティスタ
o23- スナイデル
o24- バルボア

☆ストライカー
ラウル20090216003_DAT_20090216111341001


o7- ラウル - ファンからの特別な思いと熱い支持を受ける現キャプテン。彼のゴールと強靭さがレアル・マドリードを世界一のチームへと導いた。

0012
o10- ロビーニョ - 彼を「ペレ二世」と呼ぶ人も多い。サントスから移籍。昨シーズンではリーグ優勝を果たし、今年も目覚ましい活躍をみせている。これからのブラジル代表を背負う選手の一人である。
o17- ファン・ニステルローイ - ヨーロッパにおいて最高のストライカーと称される選手の一人。マンチェスター・ユナイテッドから移籍。昨シーズンはリーグ得点王に輝いた。

Real_Madrid


クラブの伝説的プレーヤー
☆ガスパール・ルビオ 1928〜1932
oストライカー。キャップ数4。リーグ優勝2回、カップ戦優勝1回。

☆リカルド・サモラ 1930〜1936
oスペインサッカーの歴史における最高のゴールキーパー。リーグ優勝2回、カップ戦優勝2回。

☆ジャシント・キンコセス 1931〜1942
o 1934年ワールドカップ(イタリア)最優秀選手。リーグ優勝2回、カップ戦優勝2回。

☆ルイス・モロウニー 1946〜1957
oミッドフィールダー。キャップ数7。リーグ優勝3回、スペイン国王杯優勝2回、UEFAチャンピオンズカップ優勝1回。

☆レイモン・コパ 1956〜1959
oストライカー。フランス出身。リーグ優勝2回、UEFAチャンピオンズカップ優勝3回、バロンドール受賞1回。

☆エクトル・リアル 1954〜1961
oレフト・ウィンガー。キャップ数5。リーグ優勝4回、UEFAチャンピオンズカップ優勝5回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回、ペケーニャ・コパ・デル・ムンド優勝1回、ラテンカップ優勝2回。

☆アルフレッド・ディ・ステファノ 1953〜1964
oストライカー。キャップ数31。リーグ優勝8回、スペインカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズカップ優勝5回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回、ペケーニャ・コパ・デル・ムンド優勝1回、ラテンカップ優勝2回、リーグ得点王5回、バロンドール受賞2回。
o多くの人々に「サッカー史上最高の選手」と称される彼は、レアル・マドリードを今日のような世界最大のクラブへと押し上げた立役者でもある。ストライカー、ウィンガー、ミッドフィールダーとしてその才能を遺憾なく発揮したスター選手。現在はレアル・マドリードの名誉会長を務め、 若手選手の見本となっている。

☆ホセ・エミリオ・サンタマリア 1957〜1966
oディフェンダー。キャップ数16。リーグ優勝6回、スペインカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズカップ優勝4回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回。

☆フェレンツ・プスカシュ 1958〜1967
oストライカー。キャップ数4。リーグ優勝5回、スペインカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズカップ優勝3回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回。

☆フランシスコ・ヘント 1953〜1972
oストライカー。キャップ数43。リーグ優勝12回、スペインカップ優勝2回、UEFAチャンピオンズカップ優勝6回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回。

☆アマンシオ・アマロ 1962〜1976
oストライカー。キャップ数42。リーグ優勝9回、スペインカップ優勝3回、UEFAチャンピオンズカップ優勝1回。

☆ホセ・マヌエル・ピッリ 1964〜1980
oミッドフィールダー。キャップ数41。リーグ優勝10回、スペインカップ優勝4回、UEFAチャンピオンズカップ優勝1回。

☆マリアノ・ガルシア・レモン 1971〜1984
oゴールキーパー。キャップ数2。リーグ優勝6回、スペインカップ優勝4回。

☆ファン・ゴメス・ファニート 1977〜1987
oストライカー。キャップ数34。リーグ優勝4回、スペインカップ優勝2回、UEFAカップ優勝2回、リーグ得点王1回。

☆ホセ・カマーチョ 1973〜1989
oディフェンダー。キャップ数81。リーグ優勝9回、スペインカップ優勝5回、UEFAカップ優勝2回リーグ杯優勝1回。

☆ウーゴ・サンチェス 1985〜1992
oストライカー。キャップ数76(メキシコ)。リーグ優勝5回、スペインカップ優勝1回、UEFAカップ優勝1回、スーパーカップ優勝2回、リーグ得点王5回、ゴールデンブーツ受賞。

☆エミリオ・ブラトゲーニョ 1984〜1995
oストライカー。キャップ数69。リーグ優勝6回、スペインカップ優勝2回、UEFAカップ優勝2回、 スーパーカップ優勝3回。

☆フランシスコ・ブージョ 1986〜1995
oゴールキーパー。キャップ数6。リーグ優勝6回、スペインカップ優勝2回、スーパーカップ優勝3回。

☆フェルナンド・イエロ 1989〜2003
oディフェンダー。キャップ数89。リーグ優勝6回、スペイン国王杯優勝1回、スーパーカップ優勝5回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝3回、インターコンチネンタル・カップ優勝2回。

☆ルイス・フィーゴ 2000〜2005
oライト・ウィンガー。キャップ数65(ポルトガル)。リーグ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回、UEFAスーパーカップ優勝1回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回、2000年バロンドール受賞。

☆ジネディーヌ・ジダン 2001〜2006
oミッドフィールダー。キャップ数75(フランス)。リーグ優勝1回、インターコンチネンタル・カップ優勝1回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回、スペイン・スーパーカップ優勝1回、UEFAスーパーカップ優勝1回。

☆ロナウド 2002〜2007
oストライカー。インターコンチネンタル・カップ優勝1回、スペイン・スーパーカップ優勝1回、リーグ優勝1回、リーグ得点王1回。

トップ5スター選手
・ディ・ステファノ
・プスカシュ
・ヘント
・ザモラ
・ジダン


seta9622 at 10:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年07月30日

ピースカップ速報!!!!!?!?!

いよいよ、準決勝チームがそろいました!!!!(炎)


以下は各グループ順位と準決勝進出チームです。
99999

さあ、いよいよクライマックスです。
レアル×ユーベのドリームカード!!!!!!!!!
セビリアのラモン・サンチェス・ピスファンスタジアムにて7月31日(現地時間)9:45にキックオフです。
乞うご期待!!

PS.
8月1日TBS、スパサカで放映されるようです!!12345678TBS


seta9622 at 16:53|PermalinkComments(1)TrackBack(0)
あし@
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