2017年01月20日

疲れて気力も低下

寒くなってきて、疲れもたまってきた感じがします。
気力もそれとともに低下している感じがします。
なんだか、体がだるくて力が入らない。すべてがうまくいかない気がする。
そう、今はどん底。温泉にでもゆっくり入って、体を温めよう。
体が温まると、心も温まる気がする。
心が温まると、心が軽くなる気がする。
心が軽くなれば、また動き出せる気がする。

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2016年12月23日

悲しいこと(2)

後日、新聞でA君がしばらくの間施設に入っていたことが分かりました。
今、教えている子も一人施設に入っています。

同じ施設かどうかは、分からないまま、現在教えている子のいる施設に足を運びました。
教えている子に会い、話をしました。以前よりもふっくらとした顔立ちに変わっていました。

通知表を見せ、最近の様子などを話しました。

その後、施設長さんに話を聞きました。
先ほどまで会っていた子の話の後に、思い切ってA君のことを聞いてみました。
一度だけ、ここの施設にいたことが分かりました。
その時の様子を聞いて、少しホッとしました。

A君に安らぎの場所があったことを感じて、少し心の痛みが軽くなったように思えました。
それでも、A君を助けることができるタイミングがどこかにあったように思えています。
悲しいことは、無くならないかもしれないけれど、無くなってほしいと思います。



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悲しいこと(1)

教えていた子が亡くなって1週間以上過ぎて、少し落ち着いてきました。
実名が分かる場所では、相手のことが特定されかねないのでここに書きます。

亡くなったA君は、2年前に教えた子です。離婚して父親と姉の3人で転居してきました。
父親がA君について初めて語ったのは
「こいつは、いろいろと難しいやつですが、よろしくお願いします。」
という言葉でした。
過去に、いろいろとあったようで、他の子を傷つけることもよくあったようです。

そんなA君でしたが、転校してきてからほとんど問題行動はありませんでした。
学習意欲も高く、計算や漢字を書く能力は学年トップクラスでした。
他の子ともめることもありましたが、その都度落ち着いて話をすればよく分かり、自分が悪かったと思えば素直に謝れる子でした。

時々、父親から電話が入り
「今日は、学校へ行かせられる状態ではないので休ませます」
ということが何度かあったことが、気になりましたが、次の日に学校で見る姿は、いつもの元気なA君でした。

次の年、異動になりA君とは別れてしまいました。
その年の夏休み、新しい学校にA君は遊びに来ました。父親と喧嘩して飛び出してきたのかと心配しましたが、そうではありませんでした。年賀状も届きました。
その次の年の夏にも、A君は手紙を持って遊びに来ました。私がいるかどうか分からないから、会えなかったときに渡してもらおうと思ったのでしょう。

別れる時、何度も何度も振り返り丁寧にお辞儀を繰り返しつつ、A君は自転車に乗って帰っていきました。
それが、最後でした。

2学期も終わりに近づいたころ、前任校の校長より電話がありました。
A君が亡くなったという知らせでした。
死因は、父親との無理心中でした。

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つれづれ日記 

お楽しみ会

学期末に「お楽しみ会」を開催するクラスは多いだろう。お楽しみ会では、レクリエーション活動をしているところが多い。例えば、鬼ごっこだったり、フルーツバスケットとかドッジボールとかをよく聞く。

でも、それはあまり好きではない。もっと全員にアクティブに関わらせたい。そこで、今年は「何でもナンバーワン決定戦」みたいなものを行った。学校名とオリンピックを合わせた造語を会の名称とした。

子どもたちが考えた種目は次のようなもの。
 ‘貭靴
◆〇羔姪蠅
 片足立ちバランス
ぁ仝鞍廛蓮璽皀縫で既習曲を間違えずに演奏する。
ァ〇罐灰奪廚料畧僂
Α〇吋丱薀鵐

子どもは、必ず1つ以上のスタッフになることを条件とした。
子どもたちは、種目のルール作りや材料の調達など、様々なことを話し合い、それぞれのブースを担当した。
各チームをA/B/Cの3つのグループに分けて、時間帯ごとにスタッフをやることにした。
複数のスタッフになる場合は、どこか2つのチームに入り、1回は参加者として種目に挑戦するようにした。

2年生なので多少の不安はあったけれど、生活科で作ったおもちゃで遊ぶ活動など、類似体験はしているのでなんとかなるだろうという予測はあった。

結果。1時間の間、子供たちの楽しそうな声が響き渡る活動となった。
行事を自分たちで企画・運営できたことは「これから大きな力となるだろう。」と信じている。

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つれづれ日記 

2016年10月06日

悲しいこと

今日、クラスの児童が一人減った。
転出ではない理由で一人減った。
死んだのではない。でも、生きる場所が(   )になかった。
それで、別の環境へ。
1学期に、一度別の環境へ行っていた子。
昨日も一緒に図書館で「本を読んで」とせがんでいた子。
その子がクラスからいなくなった。
今度会えるのはいつのことになるのか。
それは、まったく分からない。
喪失感だけが今はある。

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2010年02月26日

労働時間の変更に関して

多くの職業で労働時間の変更がありました。
今まで8時間勤務で1日とカウントしていたものを、7時間45分で1日とカウントするというものです。

これ、学校現場では何の意味もありません。給与削減の口実を作るだけです。
8時間労働の場合でも、通常の勤務は8時30分〜16時30分(連続8時間は労働基準法違反なので、名目上「休息」をその後に45分職場で取ることになっています。)

子どもの多くは8時前後に登校して来ます。6時間目まで授業のあるときには下校は16時5分過ぎです。
この間に休息時間はありません。子どもを下校させ、途中まで見送り、職員室に戻ると『勤務時間はすでに終了している。』というのがよくあります。

朝だって1時間ぐらい前から登校して準備している先生もいます。
大半は勤務開始より30分以上前に登校しています。それでも子どもがいるので授業準備や事務仕事はなかなか難しい状態です。

夕方も部活動の指導のために30分以上超過して指導している先生もいます。
その後に授業準備・会議・事務仕事を行っている先生が大半です。
退校時刻が19時を過ぎている先生もうちの学校では半数以上です。

こんな状況で勤務時間の15分の短縮。何もありがたくありません。
それより、もしこれを意味のあることにするなら、6時間目の授業を無しにするしかありません。全学年で1日1時間カットするのです。

1週間で現在よりも授業時間に5時間のマイナスが出ます。
その分は他の日に登校すれば良いのではないでしょうか?
夏休み・冬休み・春休み教師はほぼ毎日学校で仕事をしているのに、『遊んでいる』と思われている時間を利用してはいかがでしょうか?
年間35週と考えると35日出席が必要になりますから、夏休みがほとんど無い状態になります。

それでもいいんじゃないの?って私は思います。
だって、そうしたら『先生は、夏休みは丸々遊んでいて給料をもらっている』って誤解も解けますから。

それに、1日1時間カットすると現在問題になっている教職員の異常なまでの『うつ病の蔓延』は軽減されること間違い無しだと思います。

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つれづれ日記 

2009年10月05日

日本人は変わった

先日運動会がありました。
紅白で得点を競う昔ながらの行事です。
応援合戦にも熱が入り、みんな声をからして声援を送りました。
そんな時、ちょっと気になったことが起こりました。

それは、紅白リレーの結果発表をしたときです。
1位白組 

白組の児童は拍手と歓声。ここまでは普通でした。
ところが、赤組の児童は親指だけを立てた状態の握りこぶしを下に向け一斉に「ブー!」といい始めたのです。

2位赤組

今度は逆のことが、さも普通のことのように起こりました。

これを見ながら、日本人は変わったのだなぁと思いました。


勝負に負けた時に、勝者を称えるということができない。
このことに大きなショックを受けました。
たかが、そんなことと思われるかもしれませんが、何だか根本的な所で自分とは相容れない別の人間がそこにいるような気になりました。

敵は憎むだけの存在ではない。共に全力を尽くして競い・争うけれど、判定が出れば、その結果を受け入れ勝者は敗者を思いやり、敗者は勝者を称えるということが理解できないようなのです。

それはおかしいよ。それはちがうよ。と今まで誰にも教わらなかったのでしょう。それが一番悲しいところです。

ラストサムライという映画がありましたが、そのうちに「ラストジャパニーズ(最後の日本人)」なんて映画が上映されるかもしれません。



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つれづれ日記 

2009年10月02日

定番の音楽

運動会の季節です。
先日、家の近くでも運動会が行われました。
放送の声・音楽様々な音が聞こえてきます。

そんな音楽を聴きながら、ふと「定番の音楽ってのは今何をやっているのかわかりやすいなぁ」と思いました。

定番の音楽といえば、「クシコスポスト」
チャチャチャ、チャチャチャ、チャチャチャチャチャ、チャ
で始まるあの音楽です。
「駆け足〜!進め!」の号令の後に始まるのは徒競走。

徒競走が始まると「トランペット吹きの休日」
ターター、タタタタ、ターター、タタタタ、タータータタタタ、タタタタタ
もう、どんな状態なのか、何をやっているのが耳だけで分かります。

駆け足の時の音楽は、新しい曲を編曲したものなど毎年いくつも作られています。流行を追うのなら、そういった曲を選べばよいのですが(新鮮さもありますから)昔ながらの定番の曲を使うのも悪くないと思います。

工夫が無いといわれるかもしれませんが、当たり外れも無く安心して聞いていられるのはとても良いことだと思います。

教育の場にもいろいろな流行があり、その時々に『古い教育ではダメだ』『新しい指導要領に従って指導法の改善が必要だ』などと言われますが、『新しい指導法』でも、消えていったものはいくつもあります。

「ゆとり教育」ってのもその一つではないでしょうか。
「授業の複線化」というのもありました。「問題解決学習」「討論の授業」「分析批評」「水道方式」「学習ゲーム」「生活綴り方教育」今でも研究している人はいるのですが、全体に普及しているようには思えません。

しかし、『最も古臭い学習方法』である素読や音読、計算の繰り返し、漢字の書き取りなどは、それなりに見直されて評価されていたりする。

最近の若い人の授業研究はパソコン・ITが花盛りだけれど、それが今後続くのか、単なるブームになるのか?
運動会の定番の曲のようになっていくものはあるのか、それとも連綿と続いてきた教育方法が復活を繰り返していくのか。

布団の中で本を読みながら、そんなことを考えていました。

追伸…運動会の定番の曲ですけれど、私の拙い表現でどんな音楽かちゃんと伝わっているのでしょうか?それが少し心配です。

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つれづれ日記 

2009年09月25日

民主党へのお願い

選挙で民主党が圧勝して、いろいろな変化が起こっているようです。
主なニュースとしては『廃止・見直し』がキーワードになっているようです。

公務員の給与削減など、私の生活に直結する動きもありますが、今一番危惧しているのは、『教育予算の削減』
文部科学省の大臣は『ニューデール政策の見直し』ということで、学校耐震化工事・ICT(教育情報化)予算を削減することを検討すると発言しました。

ICTとは、教育現場にパソコン・プロジェクター・実物投影機などをそろえ、視覚に訴え教育効果をあげようというものです。未来への先行投資と言っても良いと思います。耐震化工事は、学校が緊急避難場所に指定されていることを考えれば、地域住民の命を守る投資だと思います。

どうか、この2つだけは見直しても削減しないようにしてほしいなぁと思います。民主党のみなさん。よろしくお願いします。

ただ、心配なのはこの記事が新聞の片隅にしか書かれていないこと。テレビやラジオではほとんど取り上げられなかったこと。
本当に重大なことは、静かに深く潜行しているなんてことはないでしょうね!

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つれづれ日記 

2009年09月24日

計算の積み重ね

計算の積み重ね
あまりのあるわり算を学習する。
だから、今学期の初めから引き算の復習として100マス計算を始めた。
繰り下がりのある引き算の定着度を確かめるとともに、容易にクリアできるようにし、あまりのあるわり算の学習に困らないようにするためです。
今日からは掛け算の復習として100マス計算も行っています。

あまりのあるわり算は、今までの計算の積み重ねです。
ここでつまずくと、来年学習するわり算の筆算の学習が非常に困難になってしまう。それに、計算が苦手といよりも『計算はできない』という自己暗示を子ども自身がかけてしまうかもしれない。
マイナスの自己暗示の力は大きく、努力しようという気持ちが沸いてこなくなってしまいます。おまけに、脳は活性化されず能力も十分に発揮されないようになってしまいます。

計画的に復習を積み重ね、なるべくマイナスの自己暗示をかけさせないようにしたい。そして、勘違いでもいいから『計算は難しくないなぁ』って思ってほしいなぁ。
プラスの自己暗示で漢字が得意になった子どもはたくさんいます。
計算が得意というか算数が得意になった子もたくさんいます。
今年も少しでもそんな『得意な子ども』が育って欲しいと思っています。

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つれづれ日記 

2009年08月21日

オリジナリティが無いということ

先日、ある講座に参加した。
参加者の中の何人かが、実践発表をしその後に講座があるというタイプのものだった。

講座が終わり、いつものように反省会として居酒屋へ。
まぁ、そういうのが楽しくて参加している部分もあるのですけれど。

その時、私が尊敬する講師の方より
「なぜ、実践を発表しないのか」と聞かれて
「今やっている実践は、先人の指導を真似ているものばかりで、オリジナリティがありませんから、発表しては失礼だと思っています」
と答えました。

すると、その講師の方は
「孔子の論語の初めには『私が言うことは、すべて先人がすでに語ってきたことだけだ』と書いてあるのですよ。オリジナリティにそれほど価値があるわけではないので、実践発表をしてみたらどうか?」
といわれました。

オリジナリティ・個性最近特に尊重されている気がするが、それよりも別の価値があるのではないかということは、実は自分でも感じていた。
古くから伝わる教育技術はたくさんある。そのすべてが今流行している指導法より優れているかどうかは、実は分からないのではないかと思っていた。

不易と流行と言う言葉があるが、最近軽んじられているのが「不易」の部分だろうと思う。もっとも、こう感じるのは私の年齢が上がっているのも一つの要因だろうと思う。若ければ「古い伝統を壊して新しいものを生み出すのだ」と血気盛んになっていたのだから。

そう思っていたら、実践を発表する機会を設定したという知らせが入った。
別にこれは私のためでは無いとは思うのだけれど、ここは都合よく解釈しておこうと思っています。

さて、では最近意識して実践していることは

1.野口芳宏氏の  作文指導(日直作文など)
2.ひげうさぎ氏の 作文指導(禁止ワードなど)
3.家本芳郎氏の  群読
4.堀田龍也氏の  ICTを活用した授業
5.陰山英男氏の  モジュール学習
6.岸本裕史氏の  100マス計算
7.向山洋一氏の  向山型算数
8.二瓶弘行氏の  語り(これは、まだはじめたばかり)
9.横山験也氏の  元気になっちゃう!算数授業
10.横山浩之氏の  学級の障害児に対する指導

古くは会津若松藩の 「什の誓い」ってのもありました。

もちろん、すべてがすべてマスターして使いこなしている訳ではありません。
もし、私が使いこなしているなら、すでに私は授業名人と呼ばれているはずなのですから。

私がお勧めするというか、価値ある授業文化と感じている先人の歩み。
正しく受け止めているのかどうかも含めて、問うて見るのも良いかと思います。
もちろん、この実践には私なりのオリジナリティなんて入っていません。
入っているとすればコピーミスの「我流」というものだとは思います。
それでも、陥りやすい(勘違いしやすい)間違いがあるなら、それを知るためにも発表する価値があるのかなぁと思っています。

教育技術にはオリジナリティも大切だけれど、先人の教えを学び伝えていくということにも価値があると思っている今日この頃です。
 

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つれづれ日記 

2009年08月17日

クマバチの悲劇

先日、風呂上りにいつものようにTシャツに着替えた。
しばらくすると、背後で何やらブンブンと羽音が聞こえてくる。
振り返ってみるが、そこには虫が見当たらない。
おかしいなぁと思いながら、そんなことが数回あった後のこと。





ボトッ

何やら黒い塊が床に落ちた。
親指の先ほどの大きさの黒い塊は、一部が黄色になっていた。
その塊は、床に落ちるとブーンという羽音をあげて飛び上がろうとしていた。

『蜂だ!』
そう思うと、持っていたタオルで黒い塊を床に叩き落した。
見ると体長3cmほどの丸々と太ったクマバチである。
『刺されたら大変だ。』
そう思うと、タオルで何度も叩いた。
しかしながら、クマバチは全く平気である。
クマバチの体は結構硬いようだった。
タオルでたたいたぐらいでは、まったく効かないようだった。

急いで近くから新聞を捜して、丸めて叩いた。
何度も叩いたけれど、やっぱり体が硬いのかなかなか死なない。
ブンブンと羽音をさせ、隙があれば襲ってきそうな気がした。

何度も何度も叩いたところで、ようやく動きが鈍くなり、飛ばなくなった。
上から新聞をかけて包んで何度も叩いた後、丸めてゴミ箱に捨てた。

『ふぅ。何とか刺されずに退治できた。』と思った。




しばらくして冷静になると、クマバチはどんな蜂なのかが気になってきた。
もし、刺されていたらどうなっていただろうかと心配になったのだ。

ウィキペディアで調べてみた。





クマバチは人を刺さなかった。
攻撃性の非常に弱い蜂だった。


私は、『蜂』というだけで怖がっていた。
『見た目が大きい』ということで、怖がっていた。
それは、「みつばちハッチ」で略奪を尽くす集団・熊王らがクマバチであったり「みつばちマーヤの冒険」で蜜蜂の国を攻撃するクマンバチの絵がクマバチになっていたりしたことが、原因かもしれない。
あるいはもっと単純に、『クマ=人を襲う』とイメージしていたのかもしれない。

とにかく、私の頭の中では『クマバチ=危険な蜂』となっていたのだ。
しかし、実際にはそんなことはなかった。落ち着いて外に放してやれば良かった。
集団生活もしないクマバチは、大群で襲ってくるということも無かった。

自分の身の回り、知っているようで実はよく知らないことっていっぱいあるように思う。あるものは間違った情報でイメージを作っているかもしれないし、名前から誇張して想像しているかもしれない。外見に惑わされているものもあるかもしれない。

今回、私に叩き潰されたクマバチにとっては、とてつもない悲劇であるが、それを一つの教訓にしていけたらと思った。
そして、こういう間違った先入観を少しでも正していけるなら、それは教育にとっても大きな意味があるのではないかと思えた。

クマバチさんごめんなさい。合掌。


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つれづれ日記 

2009年07月18日

1円野菜

あるスーパーへ行くと、

『キャベツ1玉1円』
『レタス1玉1円』
『キュウリ1本1円』
 という文字が目に入った。

これを見ながら、生産者の人はこのことをどう思っているのかなぁと気になった。
自分が丹精込めて作った野菜が、こんな値段で取引されているのを、どんな気持ちで見ているのだろうか?

『あなたの作った野菜は1円の価値しかありませんよ』
『あなたの労働には、この程度の価値しかありませんよ』
と言われているように感じないのだろうか?

農家が「今までよりも高い値段で売りたい」と思っても、「販売価格」1円であれば、それほど強硬に値上げも要求できないだろう。おそらく、スーパーと農家の関係で言えば、スーパーが主導権を握っているだろうし…。

もちろん、こんな値段で販売していたら店だって利益なんか上がるわけが無い。他のもので利益を上げたところで、純益はさして増えないだろう。
そうなれば、経営者としては『人件費削減』しかないだろう。社員の数を減らし、派遣社員を雇い、さらに派遣社員でも給与が少なくすむところに依頼するようになるだろう。経営者としての利益を守るには、払う人件費を削るしか手が無いのだから。

給与を安くしても、仕事が無くて生活ができない人達ならば働かざるをえないだろう。そうして、その人達は生活を守るために『1円野菜』を買うのだろう。
それが、自分の首を絞めることまでは考えもせずに(考える余裕すら失われていると思う)『安く売ってくれる庶民の味方』とばかりにとびつくのだろう。

少し、考えて欲しい。労働には対価があるということを。人の労働を安く見積もることは、ひいては自分の労働も安くしてしまうことを。

すでに100円ショップで、緩やかに富裕層と貧困層が分かれはじめているように感じていた。
けれども、1円野菜を見ながら、これから日本が富裕層と貧困層に大きく深い断絶ができていくのではないかと思えた。

みなさんは、1円野菜を買いますか?

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つれづれ日記 

2009年07月12日

教育予算増加?

最近、教育に予算がついている。

一つは、デジタル放送に伴うテレビ買い替えのための予算。
通称ICT予算と呼ばれている。
二つ目は、理科教育・特に実験器具を買い揃えるための予算。

教育にお金が回ってくるのは嬉しいことだ。
この予算のお陰で教室に

1 パソコン
2 プロジェクター
3 実物投影機

           が、各クラスとはいかないが、ある程度配備されそうな様子である。
(私のところはケーブルテレビなので、デジタルチューナー内臓のテレビに買い換えなくても見られるために、テレビを買わずにパソコンやプロジェクターに回せたらしい)

理科室も過去の遺産みたいな実験器具(壊れると部品が取り寄せできなくて廃棄しか方法がないような年代物の器具)から新しいものに買い換えることができる。
それも、通常なら何年もかかって買い揃える備品が一度にそろうのだから嬉しいものである。

ところで、これって選挙対策で思いつきでは無いですよね?
国の礎は教育である。不況だからこそ先行投資で教育に予算を振っているのですよね?

追伸(本文には関係の無い無駄話ですけれど)
   私は「派遣」を禁止にしてほしいと思っています。
  正社員の数を増やしていかなければ、景気回復しても
  格差は広がるばかりで、全体としての未来は明るくなら
  ないと思えるのです。

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つれづれ日記 

2009年06月25日

自然環境

10年以上にわたって、2つの場所で蛍を観察しています。
最近、その2つの場所に異変が起きています。
1箇所目は、3年ほど前に近くに生活道路が整備されました。それに伴って、観察していた川の支流も河川工事が行われました。
もう1箇所も昨年、近くに幹線道路が整備され、それに伴い支流も河川改修工事が一部行われました。

今年、例年のごとく蛍の乱舞を楽しみに数回ずつ訪れましたが、いずれも期待はずれに終わりました。ひょっとして、今年は時期がずれているのかもと、何度もいきましたが、結局はごく一部の蛍の生息が確認できただけでした。

地元の人と話をしましたが、道路工事や河川改修工事の影響は非常に大きかったようです。それ以降蛍が半減というより壊滅的な打撃を受けたようです。
ある所では、『今年が見納めになるかもしれないなぁ』というショックな一言も聞かれました。

カワニナのためにわずかながらも募金をして支えてきたつもりでしたが、そんなことも一本の道路ですべてが無になってしまいました。
土地の古老は、『道路ができて、この辺りの川にいた魚もいなくなってしまった』と寂しそうに語ってくれました。

一度壊した自然を取り戻すのは容易ではない。
そんなことは、すでに知っていたはずなのに、目の前の現実(蛍が激減したこと)を受け入れることが、なかなかできませんでした。

水質は、その場所だけではなく、そこに流れ込む地域すべての環境が影響しているということを強く感じました。
今まで、お気に入りの場所として有意義な時間を提供してくれた2つの場所がここ数年の間に消えていこうとしています。その前には、何もできないなさけない自分がいました。

生活が便利になるというのは、一方でそれまで面々と続いていたものを断ち切る側面があるということを痛感しています。
世の中は、便利になれば良い。文化は無条件に素晴らしいと思っているようですが、それに敢て抗い、反論したい気持ちが沸々とわいているのを感じています。

自然保護ってのは、本当に難しいものですね。
そして、目の前の快適さよりも、自然を大切にしたいというのはおそらく自分が年を重ね、老齢に近づいたという証でもあるのでしょうね。

それでも、自然を取り戻し、一体となる経験を子々孫々まで伝えたいと思うのでした。

sevenstarslight at 01:04コメント(1)トラックバック(0) 
つれづれ日記 
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こめんと