2009年05月06日

ブログの変遷

昨日、久しぶりに自分のブックマークからいくつかのブログを訪問してみました。
元気に記事を更新し続けているなぁというブログもあれば、記事の更新が滞っているもの、昨年度末からの記事が無いブログ、中には閉鎖されていたものもありました。
ブログという日記のような気軽なメディアですが、続けるということは大変なのだと改めて感じました。

ランキングとかも別に気にすることも無いし、他の人に迷惑をかけない程度に文章を書くことにしようと思っています。

ところで、最近は授業時間が増加の傾向です。毎日5時間授業をすると週で25時間授業をすることになりますが、私は現在週に28時間の授業があります。
少し前は週に22,3時間だったのを思えば授業を受け持つ時間が結構増えています。
授業時間が増えたということは、事務処理を行う時間が減少したということでもあります。授業の準備をする時間も勤務時間では収まらなくなっています。
まぁ、サービス残業は日本中にありますから文句も言いにくいですけれどね。
給料が減っているのも日本中にあふれています。
リストラとかの危険が無いだけ(本当はあるけれど)教員は良いなぁとつぶやいて、自分を納得させることにしています。

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つれづれ日記 

2009年05月05日

学校侵入

ちょっとした用事があったので、連休中に久しぶりに学校へ行きました。
さて、帰ろうと校庭を歩いていると校務さんに呼び止められました。
なんでも前日に学校侵入があり、その後片付けを手伝って欲しいということでした。
校務さんは連休にもかかわらず毎日早朝から遅くまで学校にいて仕事をしているようです。
後片付けは約1時間ほどで終わりましたが、それにしても校務というのは大変だなぁとつくづく思いました。
教頭先生も校務さんほどではないけれど、毎日のように学校に来ているそうです。
管理職にならなくてよかった。
もっとも、私の場合は「ならない」のではなく、なれないのですけれどね。

追伸…久しぶりにブログを更新しています。長い間更新しなかったから削除されているかと思っていたら、ちゃんと残っていたので感激しています。
ちょっとずつでもリハビリの一環として記事をアップしたいなぁと思っています。
もし、よければ久々にコメントをもらえると元気が出るかも?なんて思っていますけれど、見に来る人は少ないだろうなぁと思っています。
まぁ、ぼちぼちやるだけです。

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つれづれ日記 

2008年02月19日

中国の毒餃子

中国産の餃子に毒物が混入していた事件は、学校給食にも陰を落としました。
実際、私の家の冷凍庫にもJTフーズのものが混入!(?)していました。
後日メーカーから回収の連絡がありましたので、とりあえず郵送しました。

さて、それはさておき、話題のニュースなので教室でも取り上げたいなぁと思いました。けれども、クラスには(在日)中国人の児童がおります。
取り扱いは慎重にしなくてはいけません。
(周りの子は彼が中国籍であることは知らないはずですが)

まず、私が取り上げたのは事件後の街頭インタビューでした。
「もう、中国製は食べたくありません」
「今後、中国のものは一切買いません」
「中国は信用できない」
テレビの街頭インタビューで、これらの声が上がっていたこと。

冷静に考えれば、毒が混入していたのは中国の一つの会社の製品。
しかし、インタビューの反応は「中国製品全部」を指しているものもあるということ。
つまり、一部の悪が他の物にも影響を与えるということ。

例えば、一人の子が悪いことをすれば、「○年△組は悪い」と言われたり、「○年生は悪い」と言われたり、「○△小学校は悪い」と言われる可能性があるということ。

自分一人で生きているわけじゃないので、他の人に迷惑をかけるようなことはしてはいけないという話。

実際、中国製品については過去にも基準値以上の残留農薬が発見されたり、禁止薬物が検出されたり、他の製品からも致死量の毒物が見つかったりしているので、「一つの悪」だけでの反応ではないのだけれど、子どもたちに育てたい心は「自分の悪い行動が他の人にとって、迷惑な行動となることを知り、悪い行動にストップをかける心」だったので、敢てそういったことには触れなかった。

しかし、考えてみると昔の日本人の美意識というか、行動規範には少なからずこういう気持ちがあったように思う。
「家の恥」「先祖の名を汚すな」など、様々な表現がされたが、それはすべて人はつながっている人がたくさんあるのだから、軽薄な振る舞いで今までまじめに行動してきた先人の名誉を傷つけてはいけないという思想だったように思う。

こういった意識が、行動を慎重にさせ、悪いことをやめようという抑止力になっていたように思う。
個人主義が変に蔓延し、「先祖、家族と断ち切られた自我」を意識したときに、「自分がしたいと思ったことは、まずやってみるべし」という軽佻浮薄な思想に変わってしまったような気がする。

行動しようとしたときに、
「それは本当に正しいのか?」
「それで迷惑を被る人はいないのか?」
と、考える人に育って欲しいと私は思う。

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つれづれ日記 

2008年02月13日

計算には3,4年生の壁

ベネッセの記事に「小学校の3・4年生から増える、算数の計算が苦手な子ども」というのが掲載されている。
これは、実は教員の間ではよく言われていたこと。

現場の意識としては、余りのある割り算が入ることが大きいのでは?と思っています。余りがある割り算になると、「割り切れる」とは限らないので、あやふやな引き算で誤答になっても気づかないということが上げられます。
(それまでなら、割り切れないからどこかで間違えたかも?と気づくことができるが、「余りがでるんだ」とそこで見直しの機会が減ってしまうから)

あやふやな引き算ってのは、意外と多いです。
足し算の練習は結構やるのに比べて、引き算の練習は少ないです。百マス計算でも足し算や掛け算は頻繁にやりますが、引き算は少ないようです。

3,4年生の段階では「うろ覚えの引き算」ってのは結構残っています。それが明らかになるのが「余りのある割り算」だと思っています。
そして、4年生で桁数が増えるとそのミスが増殖していきます。
引き算の基本的なパターンは100ぐらいあります。(1-0、1-1、2-0、2-1、2-2、…、18-9)つまずきの多いのは繰り下がりの計算ですが、それだって基本的なパターンは36ほどあります。
ここをどうクリアさせるかが、3,4年生で計算を苦手にさせないポイントだと思っています。(他にもベネッセが指摘するように桁をそろえるというポイントがあります)

今まで、繰り返しにより暗記させるという方法がよくとられてきました。けれども、この方法ではなかなか定着しない子どもがいるのです。足し算の場合も困難はあるのですが、比較的繰り返しによる定着率は高いように思えます。

なぜ、繰り下がりの計算は定着率が悪いのでしょう?
そして、繰り返し以外に定着率の高い方法はないでしょうか?
学年末のまとめの時期にさしかかり、復習することが多くなるのですが、少しでも多くの子どもが計算できるようにするための方法を模索するのが、これからしばらくの研究課題だと思っています。

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2008年02月07日

ひもじい給食

中国の餃子に農薬が入っていたという問題は学校の給食にも影響を与えました。
学校給食は市町村からの補助が入っているものの、基本的には1食あたりの負担額が決められており、それを変更することができません。
また、メニューも先に決められており、その変更もなかなか難しいものがあるようです。

そんな時に中国の冷凍食品から農薬が検出されたというニュース。
うちの市町村では、関係のあった企業からの材料購入を一切やめたそうです。
その影響で、材料費が予定額よりも高くなってしまったようです。

今日の給食。
食管を空けた瞬間。
「え〜っ!!これだけ!!」
当番の子が困惑しました。
いつもの2/3ぐらいの量にして配り始めました。

けれども、やっぱり足りません。配りなおしを何度もやりました。
そして、おかずを見ると、ほとんどの子が底が見える状態。

嫌いな子がいるので少しだけ戻ってきましたが、それをお代わりしたい子で分けていくと本当にすずめの涙。
食べ盛りの子どもの胃袋はとてもじゃないけれど収まりません。
あらためて中国製の安い食材に頼っていた現実を感じました。

世界のどこかで問題が起きると、自分の生活に影響が出る。そんな学習をしているようです。
こちらも5時間目が終わるとお腹の虫が鳴きました。
安くて安全ってのは難しいということを、まさに胃袋で実感した瞬間でした。

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2008年02月06日

寒さを感じない冬

もともと、寒さには強い。
まぁ、強いといっても豪雪地帯に住んでいるわけではないから、格段大したことではない。周りにいる人よりも寒さに強いという程度。

それにしても、今年は寒さが厳しいという印象が薄い。
なんたって冬の定番の半纏を未だにほとんど着ていない。おそらく、このまま春を迎えるような気がしている。

子どもと環境問題についての学習をしているけれど、そこでも地球温暖化の話が出てくる。まぁ、実際には原理とかシステムとかを説明すると難しくなるので、「体感的」な印象話しかしないのだけれど、それにしても寒くない冬だなぁと感じる。

教室のストーブもあまりつけない。廊下側の窓を開け放して授業をしていることもある。それほど寒くないからだ。

地球温暖化の影響かなぁと子どもも言う。
このところ少し寒気がやってきたというけれど、それでも大したこと無いなぁと思う。

身の回りだけの感想ですけれど、地球温暖化って本当に進んでいるのかもしれない。

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つれづれ日記 

2008年01月31日

携帯を変えてみた

本当は携帯じゃなくてPHSなんだけれど、今まで6年近く(まぁ、同機種で2台使ったから、一台は約3年だけれど)使っていた携帯の機種変更しました。

携帯に比べてPHSは機種が選べない。それはPHSはウィルコムしかないから。
それでも、通話料金が安くすむ(PHS同士は通話無料でメールし放題で基本料金で済む)ので、使い続けている。PHS同士の通話が無料というのは実に嬉しい。

前のPHSもカメラがついていたけれど、約20万画素。お世辞にもはっきりくっきりとはいえなかった。今度は130万画素。少し前の(約10年前)高級デジカメと変わらない。
マイクロSDカードもつかえるので、ストレージの代わりにもなる。

技術の進歩はすごいものだと感じずにはいられません。

さて、教育も世につれて変わるか?というとこういったテクノロジーの進歩はあまり教育には馴染まないのか、使う人は少ないようです。
先日のプロジェクターに限らず、デジカメ・パソコン・実物投影機だってほとんど使われません。

昔、OHPが導入されたときも「これは便利だ」と言いながら、全く使わない先生もたくさんいました。保守的な人が教員には多いのでしょうかね?
(その割には支持政党が民主党って野党なのは笑えます)

先日、教育にITをということを管理職に話したら、軽く聞き流されてなかったことにされました。うちが特別ってことではないと思います。(同様の反応は各所で聞いたことがありますから)

教育は革新よりも「保守」に価値を見出しているように思えます。
まぁ、教育そのものが「過去の遺産の伝達」というものだからでしょうか。

でも、使ったほうが便利なものっていっぱいあるような気がする。
今の子どもはビジュアル系が好きですからね。

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2008年01月27日

命を削って

今回はあるところから伝え聞いた話です。

授業の名人と呼ばれる人は何人もいます。
その方たちの授業を何度も見させていただいている自分は、それに近づきたいといつも思います。
あの先生だったらどんなものを用意するだろうか?
どんな準備をするだろうか?
どんな発問で切り出すのだろうか?

しかし、それだけではない人間的なすごさ、まさに名人魂という自分に対する厳しさも併せ持っている人であると感じている。

そんな名人の一人、ここではA先生としておきましょう。
A先生、ふとしたことで怪我をします。病院にも恵まれず、過労と心労も重なり状態はあまり芳しくないようです。
けれども、「先生の授業を見たいという人が集まるのです」「先生じゃなきゃダメなのです」そう言われ、病身を押して授業に出かけます。

その授業は、見慣れた人には声の調子にわずかに異変が感じられるものの、他の教師の追随を許さない精密な下準備と、厳選された発問で彩られていたそうです。

後で聞いたところ「寿命を縮めますよ」と医者には止められたとか。

まさに、名人と呼ばれる人には、名人なりの気概があり、常人には真似できない精神レベルに達しているのかもしれません。
日本は、古来「○○道」という考え方があります。
武道によく見られる、空手道、柔道、剣道、に留まらず、相撲道など一つの道を究めるには、技術だけではなく、人格的、人間的にも高まっていくという考え方です。

教師道という言葉があるのなら、まさに名人とは、そういった道を究めようとする求道者なのかもしれません。
自分の前にいると思う名人の姿は、実は間に大きな崖があるのかもしれません。
手を伸ばせば届くような錯覚を起こすのは、それはあまりにも偉大で、遠近感が狂っているためかもしれません。

命を削っても他の人に伝えたい。
そういう強い心に、私も憧れるのです。

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2008年01月26日

3学期の目標

3学期。そろそろという手ごたえを感じている。
子どもと共に、今学期の目当てを考えた。
忘れ物、宿題、ミニテスト、長縄。
様々なめあてが出された。

今は達成できていないけれど、もう少しで手が届きそうなものをめあてというんだよという説明と共に様々な検討がなされた。
子どもの中には調子に乗って今の身の丈に合わない立派過ぎるめあてを発言したりするが、それはこちらで説明しながら修正していく。

なんたって達成したという成就感が次のめあてに向かっていく原動力となるのだから。

最終的に確定したのは次の二つ。
(1) 漢字ミニテストで満点が20名
(2) 全員参加の長縄で(間を空けずに)連続50回

それぞれ現在は(1)が17,8名(2)が連続20回。
決めてすぐに長縄にチャレンジ。
なんと42回連続した。あとちょっとで目標達成。
子どもの意識も高まってきている。

そして、今日の漢字ミニテストなんと風邪などで欠席が数名いたのに21名が満点を取った。子どもが、「なら、次は25人に挑戦だね!」と声がかかる。
スモールステップで目標を設定し、こまめな成就感に後押しされて楽しく継続する。
今までやってきたことだけれど、子どもがそれに気づいてきているのが頼もしい。

おそらく、27名ぐらまいではそれほど苦労なく達成できると読んでいる。
私自身としては内心(30の壁を越えさせたいな)と思っている。
それについては、少しずつだけれど布石は敷いてあるつもり。

辞書を引くのも大好きで、作文も楽しんで取り組んでいる子がとても多くなっている。(週末には必ず「作文の宿題を」というリクエストが出される)
数字には表しにくい手ごたえも感じている。
どこまでうまく行くか分からないけれど、成長する(自分が変わっていく)面白さを子どもと共有できればと思っている。

ふと、教育は蝶の成長に似ているのかな?と思うときがある。
青虫の時代は遅々として動きが感じられず、同じところに留まっているような錯覚にさえ落ちる。
しかし、体の中に蓄えた栄養が、青虫を蛹にさせる。
蛹の中で今まで蓄えた栄養を質的に変化させ、やがて蝶となって空へと飛び出す。
その姿からは、青虫だったことなど微塵も感じさせない。
たった数ヶ月前の本当の姿だったものとは、まるで違う行動・まるで違う外見。

子どもの成長はそういった劇的な部分があるのだと思う。
4月に撮った子どもの顔写真を見てみた。
そこにはまだ幼児性の色濃く残る顔があった。

それが、少し、自信を深めたような顔の子。
      心の穏やかさが顔に表れた子。
        柔らかな表情になった子。
少しずつ、少しずつ変化していく姿は、時には見過ごしてしまうけれど、改めて感じる継続する変化の大きさ。

3月までにあとどれだけの変化が見られるのか?
担任として最も近くで感じられる。それが担任の醍醐味なのだと私は思う。

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2008年01月24日

プロジェクターが埃だらけ

堀田龍也さん
ICTとかの活用などの話を良くされる方だ。
正直、ICTの活用はプロジェクターの有無に大きく左右されると思っている。
幸い、うちの地区は学年に1台のプロジェクターが配備されている。
けれど、文科省の内部資料によると活用している人(利用できると答えた人)の割合が全国平均を下回り、近隣の整備されていない市町村よりも下であることが分かった。

プロジェクターがあっても、それだけでは普及しないということをあらわしていると思う。前の学校ではそれこそ長期休業中に何度か講習会を開いたけれど、校長と問題になってから一切辞めてしまった。
今の学校になってからは要望も無いので一切行っていない。

それがいけないのかなぁと思う。
プロジェクターはたくさんあるけれど、使っているのは私と弟子の先生だけ。
ほとんどのプロジェクターが埃をかぶっている。
そして、きっとダメになっていくんだろうなぁと思うと非常にもったいないと思う。

プロジェクターで教科書を写したり、実物を写したりすることで、授業時間の短縮と、子どもに直接関わる時間の確保ができるのにそれを行わないのは非常にもったいないことだと思う。

もちろん、うちの学校の有力者グループ(有言者?)が大のパソコン嫌いで使うと嫌がらせと罵声が飛んでくるというのもあるかもしれないけれど。
実際、弟子は嫌がらせをしょっちゅう受けている。職員室にいられないこともしばしばある。

人間は厄介だと思う。機械のようには反応しない。
薄っぺらなプライドとどろどろとした嫉妬に駆られて物を正当に判断することが難しくなってしまう。

もっとも、まともな授業をしていない人がプロジェクターを使えばうまい授業になるかというと、そんなことは無い。駄目な授業をしている人はプロジェクターを使ってもひどい授業しかできない。
だから、指導力を磨くことと、IT活用技能を高めることは別のことであり、相反することでも何も無い。

すいません。書き始めてみたものの、今日のは思い切り愚痴になっただけですね。
自分の今の立場で(校務分掌でもITには一切関わっていない)何ができるのか?と考えると暗澹とした気持ちになりますが、異動でグループが解体されることに一縷の望みを抱いています。

それにしても、この年にして「ある程度発言のできる地位」が欲しいなぁと思うようになりました。ゆっくり地道になんて言っているほど、残された時間は長くは無いので。

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つれづれ日記 

2008年01月20日

怖い先生と呼ばれたい

物分りの良い、友達みたいな大人が増えている。
教員の世界だって同じこと。
どの先生も優しくて、母親のように包み込んでいる。

でも、それだけでいいのかな?と思うときがある。
間違ったことをしたら、許さないぞという人がいなくていいのかなと思う。

優しく論理的に間違いを話し、説得するだけでいいのかなと思う。
「いかんことはいかんのです」
そう言って叱りつける人がいたっていいように思う。

どうしていじめてはいけないのですか?
という子どもの質問に、「それは駄目なことだからいかんのです」と端的に押し通すぐらいの迫力がある人がいたっていいように思う。

小難しい話を、長時間つづけるよりも「だめなことは、ダメ」「昔から決まってる」と言い切れるだけの強さが必要なのではないかと思うことがある。

みんな優しく、民主的になって、子どもの意見も大人の意見も同じ比重で評価しているけれど、大人の意見には歴史があるのだと、自信を持って言い切る強さが時には必要なのではないかと思う。

学校現場に限らないけれど、今は優しい人のオンパレードだ。
でも、ルールを守らないと怖い人がいて叱り飛ばすぐらいはあっていいと思う。

怖い人になるのは、正直あまり楽なことではない。
部分的には相手を否定しなくてはいけないから。
でも、誰もやらないなら、その損な役目を敢て背負い込むのも大人ではないのだろうか。

怖い先生と呼ばれたい。悪いことをしたら、間違ったことをしたら、あの先生に叱られるから、悪いことをしたらいかんと思われるなら、それでも良いのではないかと思う。

怖い先生と呼ばれたい。
厳しい先生と呼ばれたい。
崩れていく規範意識を建て直すには、そういう人が増えて欲しいと思う。
まずは自分から、怖い先生と呼ばれて…。

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つれづれ日記 

2008年01月19日

漢字テスト

漢字テストの平均点ってどのぐらいのものだろうか?

ふと、考えるときがあります。
2学期末の漢字テストで女子の平均が98点。(半分が100点でした)

今回、冬休みあけの漢字テスト女子の平均は97点。男子が92点。(男子の半分が100点)一名の子を抜いて平均すると97点になりました。

転入してきた子と極度に書けない子。ここらあたりが、指導のポイントになりそうです。極度にかけないの子は、図形認識力を疑う部分もあるのですが、それに対応した手立てを組んで指導してきたと自負しています。
けれども、結果が伴わないのは、何か他に原因があるのかもしれません。

人間相手ですから、同じ方法でうまく行くとは限りません。
この仕事の難しさでもあり、面白さでもあるかもしれません。

ただ、見えないんですよね。こういう努力。
他の人には全く伝わりません。

できのいい子がそろっているなんて思われたりするわけですから。
実際には4月に行ったミニテストでは半分も書けなかった訳ですから、漢字が得意な子が集まっているわけではありません。
宿題の提出率も上がり、生活が不規則な子(数名います)が出せないだけになってきました。
長縄も全員がほぼ調子よく跳べるようになって来ました。連続50回も射程に入ってきました。

なんか、調子良すぎる感じです。
落とし穴があるような気がしないでもありません。

当たり前のことを、ごく自然に淡々と進める。
しかし、継続することで、当たり前は当たり前でなくなる。

そう思っています。特別な特効薬はないけれど、淡々と継続することで、人は劇的に変化していく。まさに習慣は人を育てるのだと思っています。

当たり前のことを、当たり前に行えるのは、実は当たり前ではないのだと思っています。自分の「見逃している当たり前」をこれから探していこうと思っています。

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つれづれ日記 

2008年01月15日

怒りをコントロールできない子の理解と援助

hirarinさんから紹介されてから、何度も読み直した本。
それがこれ「怒りをコントロールできない子の理解と援助」(著:大河原美以)
この本は、「診断名をつけてそれで解決したつもりになっている(自分にはできることが無いと思っている)教師」には、耳の痛い話だろう。
「あの子はADHDだから…」
「あの子は虐待されて育っているから…」
「あの子はLDだから…」
「あの子はアスペルガーだから…」

私は毎年のようにADHDと思われる子、行為障害・反抗性挑戦障害の子を受け持ってきた。診断された子を持ったことも一度や二度ではない。
しかし、その多くは3学期を迎えるまでに劇的に変化していった。

どうしてきたのか、それは実は言葉にうまくできないでいた。
その時、その時に自分がベストと思う言葉をかけ、向き合ってきた。行為を修正することも模範を示すことも、じっと待つこともあった。
細密な記録をとっていれば、再現性もありきちんと言葉で説明できたかもしれなかったけれど、毎日怒涛のように連発する行為を正確に記録するのは困難だった。

だから、「なぜ、そうするのか?」と聞かれても、言葉にできなかった。
「今までの経験」としか答えられなかった。

この本を読みながら、「ああ、こういうことなんだよなぁ」と自分の行為の中で説明ができなかった部分が言葉で説明されているのをある種快感である。

「しつけ」とは安定した大人が子どもを愛することなのです。

この言葉の持つ意味は深く、そして重い。
教師も親も、この言葉の意味を理解して欲しい。
その人には、家のローンがあって深夜まで仕事をしなくてはいけないのかもしれない。時給の高い夜間や深夜の仕事に従事しなくては生活できないのかもしれない。

けれども、一度立ち止まってこの言葉を理解して欲しい。
あなたは大人ですか。
大人というのは、どういう意味なのですか。
子どもを愛するというのはどういうことなのですか。

この本は、決して片手間に気軽に読めるような本ではない。
寝転がって読んだり、電車の中でパラパラと読めるような本ではない。
この本は、読者に強く語りかけてくるから。
自分を見つめながらしか、この本を読むことはできないから。

また、そういう姿勢で読み進めなければ、この本の意味は分からないだろう。
もっとも、そうやってこの本を読み進められる人は大人であり、すでに問題の半分は解決できるような人なのだと思うのだけれど。

できれば、この本を「時間が無い」と子育てに力を入れられないでいる人にも、伝えていきたいと思っている。本当に必要としているのは、そういった人達だと思うのだから。

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読書記録 

2008年01月14日

嬉しいけれど…

私の行きつけの図書館は2箇所ほどあります。
(正確に言うと1年に4回程度訪れるところがあるので3箇所かな?)

そのうち、あまり行かない方の図書館(月に1度程度行くところ)に先日予約してあった本が入ったという連絡があったので、しばらくしてから取りに行きました。
まず、返却する本を出しました。

一人の人が返却の手続きをし、もう一人の人が本を探しに行きました。
そして、本の返却の手続きが終わったころ、「予約してあった本」が目の前にありました。

私はそこでカードを出していないし、名前も名乗っていない。
けれど、予約した本をその人は見つけ出して持ってきてくれた。
嬉しいけれど…。
顔と名前とが少なくとも一致しているわけですよね。

カードはバーコードで管理しているので、通常名前まで一人ひとり覚えているなんて思っていませんでした。顔を見て「予約してある本が届いている」ことを知っていて、持ってきたわけです。
サービス業としては、基本の対応かもしれませんけれど、どこでそんなことまで…って感じです。

実際はいろんなところで顔と名前という個人データは出回っているのでしょうね。
考えてみると、喫茶店で「いつもの」で通じるのは少なくとも「顔とメニュー」が頭に入っているということですよね。これと同じかな?

サービス業だと考えると「顧客サービス」。でも、公的機関がやったと思うとなぜか「個人情報の漏洩」ってイメージになってしまうのは、偏見かな?

いろんなことを考えるきっかけになった出来事でした。

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つれづれ日記 

2008年01月11日

長縄の季節です

冬場になると、毎年長縄に取り組んでいます。
私の場合遊びではありません。
真剣勝負と思っています。

長縄のやり方を説明しながら、「絶対にクラスをまとめてやろう」って仕掛けていきますから。目標達成に向けてかなり熱が入ります。
今年の当面の目標は「連続50回」

8の字跳びで前の子との間を空けずに連続で50回跳び続けるのです。
クラスにはいろんな子がいます。運動の得意な子。苦手な子。
怖がりの子。失敗してもチャレンジし続ける子。

目標に向かって、互いに力を合わせていくことをねらっています。
実は、長縄は回し手が重要な役割を持っています。続くも続かないも回し手にかかっているといっても過言ではないと思っています。

初めはこちらで回し手をやります。最低ライン(全員が一応入って跳ぶことができるレベル)までは、こうすると意外と速く到達します。
こうしながら、入る順番を手直ししていきます。

入るのが下手な子は縄の中央の跳び易いところでは跳んでいません。大概、回し手の近くの跳びづらいところで跳んでいます。前は空いているのに、後ろは全く余裕が無い状態になります。入るのが下手な子が続くと、入るタイミングが遅れてリカバリーできずに失敗してしまうのです。
そこで、あまり得意ではない子の前後にうまい子を入れます。一人はお手本役でもう一人はリカバリー役です。

リカバリー役が前の子を追い越すように真ん中の跳び易いところに入ります。そうすることで、とりあえず続くようになります。

この段階では「できそうだ」という自信を持たせることが大切です。休み時間に練習させたいのはこういう「苦手にしている子」なのです。
こういう子をみんなが誘い、誘われた子も楽しんで練習するのが私の願いです。

さて、今年は最初のチャレンジで38回。「最初の目標の50回は達成できそうだ」という声が聞こえてきます。ただし、女子は10回も続かない。
今年は、女子をどう引き込むかがポイントになりそうな気配です。

さて、連続50回という壁を破るのはいつのことでしょうか?
お楽しみにしてください。

追伸…2学期末の漢字テストで女子の平均98点(最低92点)という快挙でしたが、3学期初めのテストでは、男子の50%が満点(100点)。3学期は男子が巻き返す時期になるのでしょうか?こちらも楽しみになってきました。


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つれづれ日記 
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こめんと