2006年03月

2006年03月31日

挨拶に行きました。

次の学校に挨拶に行きました。
(地域特定不可とするため、意図的に日付をずらして書いています)
別に本当は行く必要もないのだけれど、今度の異動先の校長は知っている人だったから辞令伝達式まで知らん顔というのもなんだから、新聞に発表されるのを待って連絡した。

本当は、学校じゃないところで会うのが良いかなぁと思ったけれど、「何も気にすること無いから学校へいらっしゃい」と呼ばれたので、素直に学校へ行くことにした。

学校・地域の様子・職員間の人間関係など多岐に渡って話を伺うことができた。来年の学年やどんな人と学年を組むのか、校務分掌は何をやることになるのかなど、気心が知れていることもあって普通なら聞きにくいことも聞いてしまった。

人間関係に関しては先入観を持たない程度に意識したいと思うけれど、やっぱり、「一度敵に回すと恐い人」だけは事前に知っておきたいと思っている。(何人かいるみたいだから)

その学校の人に「恐い人が何人かいるよ」と脅されていたのだけれど、その人はついに「誰か」は教えてくれなかった。
ようやく、今日ハッキリしたので、少し安心モードに入っている。

うーん。こんなことバラして良かったのかなぁ?
でも、まぁ問題ない程度に書いているはずだと思うので、いいかなぁと思っています。

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つれづれ日記 

2006年03月30日

学問のすすめ

『学問のすすめ』はあの有名な福沢諭吉さんの書いた本です。
なんだ、今さら紹介しなくても知っているという人が多いと思います。
私も確か大学入試の辺りで「福沢諭吉=学問のすすめ」みたいに覚えた記憶があります。

けれども、大学入試ではその程度の知識で十分でしたから、内容までは実はあまり知らないままでした。(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」ってぐらいは知ってましたけれどね。)
今回数学者の藤原正彦さんと画家の安野光雅さんの共著「世にも美しい日本語入門」を読んでいたら、藤原さんが薦める本のリストに載っていたので、「一度ぐらい読んでないと教員として恥ずかしいなぁ」と思って読む気になったのでした。

読んでみて「学問のすすめ」は「なぜ、勉強しなくてはいけないのか」についてしっかりと書かれている本だと言うことに感動している。小学6年生ぐらいで社会を学習したら「その一部は理解して欲しい」(初編と二編・三編は小学校の教科書向けに書かれている)と思った。

読んでいくうちに、この本が明治時代に書かれたものだと言うことに正直戸惑う。現代を見透かしたような表現にドキッとさせられる。
人は明治の頃に比べてあまり変わっていないのではないかと思われる。
いや、それどころか武士道が廃って、大衆の文化度(文明度?)は却って落ちているのではないかという気持ちにさせられた。

現代でも福沢諭吉の考えは十分に通用するし、今こそ思い出して原点に返って日本という国の将来に希望を持てるようにしていく必要があるように思えてきた。

有名すぎる本だけれど、まだ読んだことがないという人は一読をお薦めする。読んだことがあるという人も、久しぶりにもう一度読んでみると新たな感動があるように思う。特に小学校の教員・中学校の教員にはお薦めの本です。

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読書記録 

2006年03月29日

来年度の人事

一般企業では考えられないかもしれないけれど、学校では来年度の校務分掌の分担や担当学年が知らされていないことがある。
地域によっては3月に発表になるところもあるようだけれど、4月になっていきなり発表というのも少なくない。実際、私の所は4月の初出勤の午後に発表になる。それまでは分からないのだ。

これに関しては何度か要望したことがあるけれど、「それはできません」という回答だった。
なぜできないのかを少し考えてみた。

教員メンバーが確定していない。

???えっ?って思うかもしれないけれど、これ事実。今は40人学級が実施されているので、3月に39人だったりするとドキドキする。あと一人転校してきたら1クラス増える。つまり、教員が一人増えることになる。
逆の場合もある。40人だから2クラスって思っていたら急遽転校してしまって1クラス減ってしまったなんてことも。

その時に正規採用の教員を「クラスが無くなったから今年はお休みです」とは言えないので講師で確保する。講師には期限付きと時間講師があるが、時間講師(つまりある特定の時間帯だけ働いてもらう)には校務分掌の分担などはお願いできない。

そういった時に対応できるように確定してから動き出すから4月発表なのだと。

でも、本当はある地域ではそれでやっているからできるんじゃないかと思っている。実際、4月になってから学年が分かり、担当する校務分掌が決まると準備期間はほとんどない。
2日目には校務分掌の係として「全体に提案」をしなくてはいけない部署もある。この時は大変だ。異動なんて時には前年度の反省を探して読んでから文書を作ることになる。
まぁ、勤務時間には無理なので自宅でのお仕事になる。

4月は毎年慌ただしい。ホントは3月に発表してくれると準備ができてこちらも楽なんだけどなぁ。(まぁ、人数変わってしまって慌てるようなことは私の経験では一度もないからなぁ)

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つれづれ日記 

2006年03月28日

愛の二極化(その2)

様々な要因で子ども達の周りの状況は変わってきている。
保護者が子どもと接する態度と時間も昔とは大きく様変わりしている。

子どもが少なくなったから『この子しかない』保護者もいる。
愛情過多という事もあるかもしれないけれど、これを私はとやかく言うつもりはない。これで困ることは多分あまりないだろう。
私が気になるのは、こういったケースで『あまり喋らない子』ができる可能性を感じていることぐらい。
言葉にしなくったって、保護者が先を読んで対応してくれるから喋る必要が無いのだ。
でも、こういったタイプの子は間違いなく他の子を傷つけることは少ない。
傷つきやすい面はあるけれど、傷つけることは非常に少ない。

このタイプの子どもは傷つけられても訴えることが苦手だから、それに気をつけなくてはいけないけれど、無茶苦茶なことはしないから大抵は大丈夫。

逆に子どもは少ないのに『子どもより自分が大切』って保護者もいる。
考え方の相違というか、価値観の基準が前の保護者とは大きく違う。
基本的には子どもの都合よりも自分の都合を優先している。ご飯を作るのが面倒だからとコンビニ弁当・外食に頼る傾向があるように思える。
子どもの友人関係にはあまり興味のない保護者も多い。
学校でどんな勉強しているのかについても知らないことが多い。

このタイプには時として冷酷な子どもがいるように思う。どうやって親しみの情を示せばよいかが分からない子どももいる。仲良くしたいから、テレビで見たようにいきなり頭を叩いてみるなんてこともある。
学齢が進むと、他人に制止されるのを極端に嫌う傾向を持つ場合もある。
いつも一人で好きなように振る舞っているのに、学校では時間や場所によって制限を受けるのが納得できないという子どももいる。

さて、最近は上の2つの子どもが同じ教室にいる。
上手く集団生活をおくるのは結構難しい。
「どの子にも平等にしろ」なんて言われるとホントに困ってしまう。
基本スタンスが違うから、平等になんかしたらそれこそ大変だ。

先日、校長から「俺が新任の頃とは子どもも社会(保護者)も変わってきたから先生達は大変だなぁ」って言われたけれど、多様化が進んでくると学級編制も「子どものタイプ」に合わせて行いたいぐらいです。
(下のタイプばかりで40名のクラスは誰が持つんだろう?)

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つれづれ日記 

2006年03月27日

空には目があるんだよ

ここのところ、ちょっと辛いことが続いて元気がなかった。
そんな様子を見かねて、知人が贈ってくれた言葉。

空には目があるんだよ。
そして上から人を見ているんだよ。

たったこれだけだけれど、くじけそうな気持ちを温かく支えてくれた言葉だった。報われないことも多い仕事だけれど、あの青空の向こうにはきっと大きな目で、僕たちを見つめていてくれる。見守っていてくれる。
そう思ってあと少しやってみよう。

諦めたり、投げ出したりしないで。

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2006年03月26日

持ち上がる時に気をつけていること

以前、持ち上がるときの注意ってのを聞かれたので、少しそれを自分なりにまとめてみようと思う。
ただし、あくまでも私のような『一風変わったタイプの教師』の場合なので、ノーマルなタイプの教師には当てはまらないかもしれない。
その点を注意しながら読んでいただければと思う。

まず、今のクラスがとても「やりやすいなぁ」と感じているとき。
何だか、自分が全面的に受け入れられ、とっても居心地がよい。
そう感じている場合。実は危ない。
つまり、自分の教育のタイプにはまりまくっている(過適応)状態ではないかと疑ってみる必要がある。
それが、どのクラスも理想とする形ならばよいが、他のクラスの理想の姿と少し違うところはないかと疑ってみる。

私の場合、「視線で子どもが動く」というのが危険信号だと思っている。
注意しないで視線一つで子どもが「あっ、これはいけない」って気づく。そして注意される前に改善する。とってもやりやすい。でも、教師の視線を気にしすぎるようなら問題。(ご機嫌をとろうとしている場合など)

保護者から「うちの子がすごく変わったんです」と言われたとき。
この保護者は「良い意味」として教師に言っているのだろう。でも、物事は表裏一体。良いと思う人とさほどでもないという人が混在している。どう変わったのか?それは万人にとって良い意味なのか。その傾向が強くなりすぎると困らないのか?を考えてみる必要があると思う。

往々にして、自分が過ごしやすく、自分の側近(?)の子どもが生き生きとしていると、「全て順調」って思ってしまうが、日陰に隠れている子どもはいないかをもう一度見つめてみる必要がある。

一番注意が必要なのは自分と違うタイプの子どもだろう。
この子は自分のことをどう思っているのだろう。好き・普通・嫌いどれだろう。ひょっとしたら、今のクラスの雰囲気が「合わない」と思っているかもしれない。

これが、持ち上がる時の注意事項だろうか。
過適合の子どもはいないかを冷静に判断し、不適合の子の気持ちをどこまで見守れるか。気にしていられるか。ではないかと思っている。

最後に、今上手くいかないなぁと感じていて持ち上がるときはどうするか?
それは4月に「今までと違う戦略」で学級を創る方策を模索しなくてはいけないと思う。上手くいかなかった方法でもう一度やったところで、上手くいく可能性は非常に低いからだ。

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つれづれ日記 

2006年03月25日

教師におくる「指導」のいろいろ

最近、読書記録を書いてなかったけれど、本を読んでいないわけじゃなかった。読んだけれどあまりお薦めではなかったので書けなかった。
(どの本を読んだのかは内緒!)

さて、『教師におくる「指導」のいろいろ』という本だが、実は新しい本ではない。1986年出版とあるから20年近く前の本だ。著者は家本芳郎さん。
この本はつい最近寝る前に枕元において読んでいた本。
まぁ、家本さんを少し思い出したからってのがキッカケなんだけれど。

読んでみて驚いた。20年前の本なんだけれど、今だって十分通用する。
(ちなみに今でも高文研から1300円で発売されている)
管理主義の指導に陥らないためのアイディアがいろいろと書かれている。
読み返しながら、ストンと納得できる。

実際、私の勤務先は管理主義な指導が多い。俗に言う「押さえつける指導」まぁ、校長先生が管理主義的な指導をする先生を高く評価しているのだから仕方ないと思うけれど。
その反動が女性教師に向けられることがある。「強い物に従い、弱い物に牙をむく」という野生の習性?が出ている。

なんとかしたいと思うけれど、その糸口が今一つ自分でつかめなかった。
この本を読みながら、「ああ、そうか。そうだったなぁ」って昔読んだことなのに新鮮に読んだ。家本さんの語り口調までも思い出してしまった。

新しい本もいいけれど、古くても良い物をこの春休みには読みたいなぁと思っています。最近は図書館もインターネットで予約が可能なので、いっぱい予約して今から本が届くのを楽しみにしています。
うーん。こう書いておいて春休み中に「読書記録」の記事が少なかったらどうしよう。
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読書記録 

2006年03月24日

愛の二極化?(放置家庭)

学力の二極化という話があるけれど、本当は私は最近は「愛情の二極化」が心配になっている。

もちろん、虐待と溺愛という事もあるだろうけれど、実際に虐待ってのは割合からすれば少ないだろうと思う。(統計取ってないけれど)
割合的に最近増えているのが「放任」という立場。まぁ、放任主義なんて言葉もあるから少し良い意味に聞こえるかもしれないけれど、キツイ言葉で言えば「放置」「野放し」な親じゃないかと思っている。

ここで、親を一方的に責める気はない。
それぞれに事情があって「放置せざるを得ない」家庭をいくつか見てきたからだ。まぁ、子どもとの時間をどこに位置づけているかももちろん関わってくるだろうから、全部を認める訳じゃないけれど、不景気になって「放置家庭」が増えたんじゃないかな?と思っている。

夜遅くにしか帰宅できない父親。パートで子どもと顔を合わせる時間がほとんどない母親。リストラに怯えながら、残業せざるを得ない父親。
ローンのためにパートをしなくてはならない母親。

パートで高額の収入を得ようとすると長時間労働か、深夜営業と言うことになる。どちらも子どもと接する時間は短くなってしまう。

親の背中を見て育つというけれど、実際には外で働いているので(帰宅したときにいないことも多いので)後ろ姿も見てない場合が多い。
それで物を買い与えるわけだけれど、それで子どもは愛情を感じているのだろうか?「僕を置いていってしまった」という心が奥底に育っているのではないだろうか。

そして、愛に飢えた子どもができあがるのではないだろうか。
愛の二極化は、新聞も取り上げていないけれど、現場にいてふとそんなことを考えた。
(コメントがあれば続編も書こうかなぁ?と思っています)

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つれづれ日記 

2006年03月23日

最後の授業2

最後の授業でこどもに話していること。
今回はその2 勉強をしている意味について

専科で算数を教えているけれど、算数だけを教えているつもりはありません。授業の中でも話をするんだけれど、実際の生活の場面で『分数の計算』とか、『どこの角度が等しいか』なんて使うことはまずありません。
(仕事によってはあるかもしれないけれど)

では、学校で勉強しているのは役に立たない?
いや、そうではないという話をしています。
買い物に行っても、合計金額がいくらだから今持っているお金で払える。って考えることも少なくなりました。カードを使ったり、携帯を使ったりすれば、手持ちが無くても物を買うことができます。

けれども、いずれは払わなくちゃいけません。そのためには大まかにも現在のお金とこれからはいるお金と現在のカードの使用額などを知って計算する力が必要です。

もっと大事なことは、ルールに従って順序正しく取り組めば、時間がかかっても解決できるということを学んでいくことだと思っています。
一見複雑に見える計算問題も、計算のルールに従って順序正しく取り組めば、ちゃんと最後には正しい答えにたどり着きます。
社会に出れば、計算のルールが社会のルールに変わるだけで、後は同じです。そして、学習したことから類推ができるようになります。
(教科書で学習したこと時は、こうなったから、少し違うけれど、おおよそこんなふうになるはずだという見通し)

細かなことでは、グラフなど視覚的資料に誤魔化されなくなります。
グラフは上手く使うと『勘違い』をさせることができます。そのトリックを見抜けなければ、ダマされて『ほんの少しの違い』に多額のお金を払うことにもなりかねません。

ダマされないためにも学習は必要なのです。
社会の中で起こってくる様々な問題に対しても、解決への見通しを立て、ルールに従って順序正しく取り組めば解決できるだろうという考え方ができるわけです。決して思い付きで行き当たりばったりに行動してはいけないということを学ぶわけです。

最後の授業でこんな話をしています。もちろん、今までの授業の中でもしているわけですけれど、最後にもう一度思い出して欲しいなぁと思っているわけです。

まぁ、担任でもない教師が1時間のうちに5分程度話したからと言って、何も大きく変わることは無いと思いますけれど、やっぱり伝えておきたいなぁと思うんです。

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つれづれ日記 

2006年03月22日

最後の授業

専科をしているので、今日明日がどのクラスも最後の授業になる。
今日は3クラスが最後の授業。残り3クラスも明日が最後の授業になる。

すでに学習内容は終わっているので、最後にいくつかのメッセージを残して終わりたいと思っている。共通しているのは次の2つ。

1.伝記や昔から知られている物語の本を一冊は読んで欲しい。
2.勉強する意味についての話

今日は、その中の1だけについて書いていこうと思う。

最近、本離れということが言われるけれど、朝の読書タイムなどのお陰で割合と本を読む姿を見かけるようになった。けれども、子どもが好むのはマンガ形式のものだったり、恐怖物だったり、戦闘物だったりする。
倒した、殺したという話や死んでからも恨んでいるなんて話ばかりでは読書のおもしろさの半分しか知らないのではないかという思いがある。

だから昔から読み継がれている物語の本を薦めている。
昔から読み継がれている物語は、努力の大切さや、他の人を思いやる心、人間の弱さと強さを学ぶ物語がとても多いように思う。
そういうことを『理想論だ』と思っても読んで欲しいと思っている。

人の心の強さや美しさに憧れて欲しいと思う。こんな人間になりたいという憧れが人を成長させるためにはどうしても必要だと思う。

宿題でもなく、担任でもない専科のこんな呼びかけに動く子どもは少ないかもしれないけれど、やっぱり働きかけていきたいと思っている。

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つれづれ日記 

2006年03月21日

最近調子が悪い

最近Livedoorのブログの調子がおかしい。
エントリーがスムーズに入力できないことが多々ある。
サーバの増強をやっているようだけれど、こんなことが続くようなら別のところに移転しようかと考えている。
主な条件は
1.無料であること
2.携帯からも投稿できること
3.予約などができること。
4.コメント欄にURLやメールなどの記載ができるもの

今のところ、良いところが見つからないので、辛抱して使っています。
やっぱりLivedoorショックの影響かなぁ?

真面目に次の所を探さないといけないみたいです。
お薦めありますか?

もちろん、移転する場合はこちらでURLを連絡しようと思っています。
(そうしないと今まで見てくださっていた人に失礼ですから)

ごめんなさい。今日は教育に関係ない話題でした。

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つれづれ日記 

2006年03月20日

内示

書こうかどうしようか迷っています。
「内示」について。
今年の異動についての内示がありました。
内示はあくまでも内示で決定ではありませんが、ほとんどはそのまま辞令が出されます。(今まで内示から変更になった例は一つしか知りません)

異動する年数が来ていたので、今年は異動かなぁと思っていましたから特別驚いたわけではありません。異動先についても予想していた範囲とそれほど違いませんから驚いてはいません。

まぁ、順当な異動。

残りの授業日数を見ると、この残りの時間で何ができるのだろう?って考えてしまいます。このまま異動しても良いのかな?って。

子どもに残りの日数で何ができるだろう。何を残せるだろう。
そして、この学校に何を残せるだろう。

異動が現実の物になってから、頭の中でそんな言葉がぐるぐる回り続けています。

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追伸…同期に異動してきた人のほとんどが定年前に辞めてしまいました。今年の異動は寂しい異動となりました。

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つれづれ日記 

2006年03月19日

いよいよ明日は卒業式

明日、月曜日は卒業式。
小さかったあの子がいよいよ卒業と思うと、年月を感じる。
同時に自分が年を取ったことも感じるけれど。

小学校の6年間というのは考えてみれば大きなものだ。卒業するといっても、その子の人生は未だ12年。そのうちの6年は小学校で過ごしたのだ。
親と一緒にいる時間に比べても小学校で過ごしている時間は決して小さくない。ひょっとしたら親の影響よりも学校の影響の方が大きいかもしれない。

長く一つの学校にいると、その子の小さいときの様子が浮かんできて、特別な思いになる。ああ、この子も無事に成長したんだなぁって。
もちろん、中には「これからが大変だな」って思う子どももいる。
反抗期が激しくて、「親も大変だな」と思う事もある。

いろんな思い出を「小学校の思い出」というひとくくりにして、彼らは明日卒業していく。新たな未知なる海「中学校」へと旅立っていく。

普段は思い出さなくてもいい。大人になって、ふと振り返るとき、温かな場所として思い出してくれればそれでいい。
卒業生に贈る言葉。
 まじめな過去の積み重ねが、
 まじめな現在(いま)をつくっている。
 よりよい未来を創るためには、
 一日一日まじめを積み上げていくこと
 幸せの設計図なんて、そんなものです。

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2006年03月18日

卒業式と日の丸と

卒業式のシーズンになると、「日の丸」・「君が代」の話題がよく出る。
本当は、このエントリーは書かない方が無難で良いとは思うのだけれど、少しだけ、書いてみようと思っている。

「日の丸」・「君が代」に対する意見の多くは、否定的なものだ。
そういう人たちにとっては、よほど「日の丸」・「君が代」に対して悪いイメージがあるのだろうと思う。

けれども、中には「日の丸」・「君が代」でなくても嫌いなんだろうな。という意見も見られる。
つまり、「日の丸」・「君が代」に対しては、次の2つの意見がごちゃまぜにして批判されているように思う。

1.「日の丸」・「君が代」の歴史的背景が嫌いだから「日の丸」・「君が代」に反対。
2.「日の丸」・「君が代」に関わらず、国旗・国歌を崇拝することに反対。

1.の場合は「日の丸」・「君が代」を別のデザインや歌に変えれば問題は無くなるように思うが、2.の場合はデザインや歌を変えても、嫌悪感は変わらない。

2.の人たちにとって、国歌を一斉に歌い国旗をあがめることはファシズムを想像させるのだろう。軍国主義に反対するという気持ちがあるのではないかと思う。

私は特に日の丸・君が代じゃなくちゃいけないと思っているわけではない。
別の物に変えられても、あまり感じない方だと思う。

けれど、オリンピックで国旗が揚がり、国歌が歌われたら嬉しいと思う。
日米野球の応援に国旗が振られても素直に「頑張ってくれ」と思う。
日本の国が好きかと言われれば、ためらわずに「はい」と答えるだろう。

ところで、世界の中で自分の国の国旗や国歌を日本ほど粗末にしている国はあるのだろうか。自国の人が、自国の国旗を引きずり下ろしたり、踏みつけている姿は、やはりどんなことがあっても見たくないと思うのだけれど。

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2006年03月16日

プロフェッショナル仕事の流儀

NHKにプロフェッショナル仕事の流儀という番組がある。プロジェクトXの後番組なんだけれど、実はこれ大好きな番組です。

今までで、特に心に残っているのは
第1回「”信じる力”が人を動かす」経営者・星野佳路
第9回「”なにくそ!”負けたらあかん」英語講師・竹岡広信
だろうか。
経営者星野さんからは、人を動かす(育てる)基礎基本を教えられた気がする。
英語講師竹岡さんからは、人が学ぶためには何が必要なのかを教えられた気がする。

一流のプロには職種を越えた学びがあるということをまざまざと教えてくれる番組だ。教師にとって、この二人の仕事ぶりから(考え方から)学ぶべき事は多いように思う。

管理・細分化という小手先の対応ではない本当の学びとは、学ばせ方とは何かについて、この春休みにもう一度考え直したいと思った。
それほどインパクトのある番組だった。

第10回は「自分は信じない 人を信じる」〜プロデューサー・鈴木敏夫〜が予定されている。(放送は4月6日)学級経営にもこういう人たちの「どうすれば、人は動くのか」という独自の人心掌握術は参考になるのではないでしょうか。私は今から楽しみにしています。

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つれづれ日記 

2006年03月15日

休み時間

ワタナベさんのブログ「昼休みは先生も休憩したほうがいいと思う」というエントリーがあった。そこにコメントも書いたのだけれど、基本的に教師には勤務時間中には休み時間・休息時間なんてものは無いように思う。

ちなみに労働基準法第34条を引用してみよう。
以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第34条 使用者は、労働時間が6時間を超える場合においては少くとも45分、8時間を超える場合においては少くとも1時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。
2 前項の休憩時間は、一斉に与えなければならない。ただし、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定があるときは、この限りでない。《改正》平10法112
3 使用者は、第1項の休憩時間を自由に利用させなければならない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
休憩時間が一斉に与えられることは私の経験では無い。
何かしら会議があったり、指導の必要性にかられて指導時間にしていたりと全員が休憩していた試しなんて無かった。

書面上「2校時の後」(約20分)と「授業の間の時間」(約10分×3)と「昼休み」(約20分)があるが、その時間とて子どもがいるのだから一斉に休憩できる学校は少ないのでは無いでしょうか?

実際、私の場合「危険個所の巡視」ってことを随分とやっています。
その時々に応じて危険個所は人目に付きにくいトイレだったり、校舎の陰だったり、運動場だったりしますが、やってないと後の指導や補修(経費削減のために直せる物は教員が直すことになってます)が大変だったりするので、保険のようなつもりで回っています。

学校に「いじめ」も「破壊行為」も「暴力行為」も一切無いという場合なら良いでしょうけれど、そんな学校は皆無と言っても良いでしょう。

最近はケガが発生したときに「危険管理をしていたか」を問われることも多いので(保護者は休み時間は教師の休憩時間だなんて思っていませんから)いろいろな問題を防ぐためにも必要なわけです。

ワタナベさんのブログでは「イギリス」の例が書かれていますが、「長い休み時間専門」の人が配置されない限りこの問題は解決しないように思います。

もっとも、組合が「書面による協定」を行っているのかもしれません。そうなると労働基準法に抵触しなくなりますけれどね。

でもね。どうせこの4月から(私の勤務先は)給料がガクンと減らされます。なら、その分でこういう人を雇ってもらえないかなぁ?と思っています。(この先、人事院勧告などの影響で更に給与が減額される可能性もあるらしい。ブルブルやだやだ!)

困ったなぁ。誰か私に副業させてくれませんかねぇ。
教育公務員でも講演会の講師や(教育に関わる)執筆活動は副業として認められているので…。そんなうまい話はないか。

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つれづれ日記 

2006年03月14日

そろばんの効用?

本当は少人数指導のための加配なんだけれど、あき教室もないのでT.Tで授業をすることが多い。
私がT1(全体指導)、担任の先生にT2(個別指導)をお願いしているのだが、普段はあまり動いてくれない先生がいる。ここでは仮にA先生としておきます。(イニシャルではありませんよ)

A先生は普段の授業では、私が注意した児童を叱る(怒るのほうが適切かもしれない)ことや、前の時間に注意したことの繰り返しなどをしていることが多くて、あまり個別指導にまわってくれない。何度か話をしたのだけれど、「これは(叱ることは)今やら無くちゃいけないから」ということで、一向に協力してはいただけなかった。

ところが、そろばんの授業になったら積極的に回る回る。
あっちの子こっちの子、珠の動かし方や指遣いまで教えて回っています。(ほとんどがソロバンをやっていないので、周りがいもありますけれど…)

そうです。この先生は普段の成績処理にも「パソコンなんてだめよ。そろばんの方が速くて正確なんだから」っていうぐらいそろばんを使っている人です。(年代もそれで大体分かるとは思いますけれど)

そう、この年代の人にとって活躍できる場所ってのが「そろばん」なんです。まさに生き生きと活動して教えていました。(教えるのホントに好きだなぁって感じました)

熟年先生の元気が復活するのもそろばんの効用かな?

もちろん、数の合成・分解を理解する。という子どもに対する効果も大きいですよ。
それとね、そろばんの珠を動かそうとするとどうしても指先を動かさないとスピードが上がりませんから、軽度発達障害の児童(特に微細運動障害を持っている子供)にとっては指先を使うよい訓練になっているように思います。もちろん、障害のひどい子にはいきなり標準サイズのそろばんではなくて、大きめのそろばんを使わせるなどの配慮は必要だと思いますけれどね。

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つれづれ日記 

2006年03月13日

家本先生の訃報

以前思い出話にも書いた家本先生が亡くなったという知らせをいただいた。
ぽっかり穴が空いて、言葉が出てこない。
いろんな人とのつながりの中でとっても大きな部分を占めていた気がする。
人とのつながりの中心となっていた気がする。
「今度本を出すときには声をかけるから」という約束はついに実現しないままになった。
そんな寂しさよりも、心に空いた穴が大きい。

いつもは一日に1つのエントリーと決めているけれど、これは急遽アップします。
家本先生のご冥福をお祈りします。
そして、
いつまでも、天国から私たちを見守ってください。

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つれづれ日記 

学級に担任が与える影響

数年前、音楽専科をしている先生と校長先生(音楽が専門の厳格な先生)の間でこんな会話があったらしい。

(音楽専科の先生)
卒業式の合唱についてなんですけれど、
1組は「○○」な声
2組は「△△」な声
3組は「□□」な声なんです。
どこを主旋律に持っていきましょうか?
(校長先生)
それは、クラスの声の特徴ですか?それとも担任の性格の特徴ですか?

*学級などが特定されないように上では「○○」などと誤魔化しましたけれど、実際にはかなり細かい特徴が出されていたらしい。

声なんて体格や声帯のつくり顔の骨格で決まるようなもんじゃないかと思っていたけれど、やはり心の部分が大きいんだなぁと感じた瞬間でした。
それとともに、担任の影響力ってのはそれほど大きいのだと感じた瞬間でした。

今年、自分が専科になっていろんなクラスを回ってみると、「担任のカラー」に染まった子ども達を見ることができます。
良きにつけ悪しきにつけ、担任が違っていたらこの成長は無かったかもしれない。と思えています。

専科になってみて、担任の仕事の恐ろしさを感じた瞬間でもあります。
担任の時には『専科の時間は専科の先生が責任持ってやってくれないと困る』なんて思っていましたけれど、専科にしてみれば『担任がきちんと学級経営してくれないと困る』ってのもよく分かる話になりました。
専科の限界ってのも感じました。「同じように」授業をしていても平均点が上昇していくクラスと下降していくクラスがあるんです。

落ち着いた雰囲気になっていくクラスと、雑然とした雰囲気になっていくクラスがあるんです。確かに集団を構成しているメンバーに左右されるとはいえ、まさにそれは担任の影響の部分だと思います。

先の音楽専科をしている先生には「毎年メンバーは違うのに、3学期になると毎年同じような雰囲気のクラスになるよね」って言われたことも思い出しました。
う〜ん。教師って仕事はホントに恐ろしい仕事です。
生半可な気持ちではやれません。それだけにやりがいがある。とも言えるでしょうけれど、見た目以上に(精神的に)しんどい仕事です。

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つれづれ日記 

2006年03月12日

特別支援教育

特別支援教育というのがある。
普通学級に通学しているのだけれど、発達に遅れのある部分があり、通常の授業の他に支援が必要な児童を対象にしている教育である。

例えば、ADHD(注意欠陥性多動障害)や自閉症・学習障害(LD)などが対象に含まれる。

先日、その対象になる子をピックアップして「名簿を提出せよ」というおふれが出された。でも、担任はあまり乗り気ではない。
成績(通知票)の締め切りとあまりにも重なる上に、障害の程度が分かるように詳しく記述することが求められる。自分にとってメリットとなることは何もない。
おまけに、この名簿を出すとその後「その子に応じたカリキュラムの編成」という作業が待っている。また、誕生から現在までの主な生育歴などを作成する必要も出てくる。カリキュラムの編成一つ取っても大変な作業である。

実際、私が見ただけでも特別支援の対象となる子が10名を越えているクラスがある。なら、それだけの苦労をして書類を提出するとどうなるのか。
次の年には一人一人のその学期の学習状況についての細かな報告を求められる。
ただでさえ、手間暇かけないと難しい子ども達だ。できればそんな報告に時間をとられたくないと思うのが人情だ。

特別支援の必要な児童が10名を越えたら担当の教員を3名派遣してくれるとかいうメリットがないと進まないだろう。
まぁ、狙っているのはこうして名前をピックアップさせないようにして『うちの地区(学校)には特別支援の必要な児童はほとんどいません』という報告だろうか?

通常教室にも1割程度いると言われている特別支援の必要な児童。
統計的事実としてこれを受け入れ、全校児童の人数に合わせて特別支援教育に必要なだけの教師を派遣してくれた方が現場はよっぽど助かる。
どうしてこんなことができないんだろう。
文部科学省の統計とかは信用できないとでも言うのだろうか。

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つれづれ日記 

2006年03月11日

大きなそろばん

昨日のエントリーで軽度発達障害などで細かい動きが苦手な児童のために一回り大きなそろばんがあればいいのにということを書いたが、とりあえず手元に教師用(提示用)の大型そろばんがたくさんあったので、それを使ってみた。

結果。子供は喜んでました。
不器用なのでほかの珠も動かしてしまうことが多かったけれど、教師用の大型そろばんは動かないように作られているので誤動作がなくなったのです。
もちろん普通のそろばんのように素早く動かせるわけではないのですが、一つ一つ理解しながら学習できるので安心して学習に取り組めるようなのです。

難点は隣の子に迷惑をかけてしまうこと。
この大型そろばんが必要だった子はクラスに6名前後。ちょっと教室が狭くなります。
やっぱり机の上に乗せられる程度の大きさのそろばんが必要ですね。

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つれづれ日記 

2006年03月10日

そろばんの珠の大きさ

算数の授業で3年生にそろばんを教えています。
ソロバン塾に行っている子にとっては簡単すぎてつまらない。
習っていない子にとっては暗算の方が早いのに…っていう授業です。

でも、わずか4時間とはいえ、日本古来の計算方法になじむのも悪くないと思っています。それにそろばんって5の合成・分解や、10の合成・分解・補数などを繰り返し練習することにも繋がるので学習する意味はあると思っています。
特に計算技能の劣る子(差別的表現でしょうか?)は繰り返しそろばんで計算することで数の概念を補ったり、習熟を高める効果もあると思っています。

最近はそろばんを習っていない子も多いので学校で貸し出しようにたくさんのそろばんを用意しています。まぁ、一般的に珠算塾で使っているような普通のサイズのソロバンです。

今回指導していて、軽度発達障害の子どもにはこのサイズのそろばんでは学習が困難だなぁということを感じました。珠が小さすぎてどうしても上手く動かせないのです。(多くの軽度発達障害の子は、指だけを動かすことができないので、腕で珠を操作しているのです)
軽度発達障害の子どもはほとんど文字を書くと分かります。3年生になっても指が動きません。腕全体で文字を書いています。そんな子達ですからそろばんの珠を親指で動かすということはほとんどできません。(鉛筆だって親指は使わないで握っているのですから)

せめてあと一回り大きな珠のそろばんがあったらなぁと思いました。

軽度発達障害の児童は意外と多いです。学級に3名前後はいるように思います。
その子達のために3つぐらいは大きな珠のそろばんを用意してあげたいなぁと思いました。
たったそれだけのことで、きっと軽度発達障害の子どもにとってそろばんの学習が容易になると思うのです。

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2006年03月09日

荒れる原因?

授業中、ある子がビー玉を取り出して遊んでいた。
それを担任の先生が注意した。(その子が言うには大きな声だったらしい)

それでその子はキレた。ビー玉を担任教師に投げつけ、ロッカーのドアを蹴飛ばしひん曲げ、他の子に悪態をつき、暴れた。
担任だけでは何ともならないと言うことで、職員室にSOSが入った。

連絡を聞いても動いたのは私一人。後はみんな知らん顔。

話を聞こうとするが、キレたその子は「うるせぇ」「うざい」「死ね」を繰り返すばかり。「俺は関係ないから帰る」と言うが、どうでも良い話ではない。
ロッカーのドアはすでに修復不可能なぐらい蹴飛ばされてひん曲がっている。

ゆっくりとした落ち着いた声で何度も「何に怒っているのか」を聞いた。
長いときが流れた。
30分ぐらいして、上記のような状態をやっと話すようになった。
静かになった頃、ようやく他の先生がやってきた。

「もう、落ち着いているみたいだから、今日は下校しましょう」
えっ!(絶句)

ようやく、状況を自分で振り返ることができたところなのに。
実際、カウンセリングはこれからだなと思っていた矢先にくじかれた感じ。

実際、この子は今までも何度もキレて暴れている。
それを逆手にとって「今まで何度もキレているんだから、何で俺がキレているかわからんの!」とすごんでみせる。

今までも担任やこの先生に任せると「なあなあ」で終わって一度も謝らせた事なんて無い。何度も物も壊しているけれど、それについても弁償も謝罪もしないまま(保護者にも連絡してないこともあるらしい)現在まで来ている。

こういう経験の積み重ねが「キレて暴れれば自分の欲求が通る」ということを学習させている気がする。「キレても理不尽な欲求は通らない」という学習をさせようという気は誰にもないようだ。

この子が下校した後、その後の様子については何も話が無い。多分、これでこの話は(今までの破壊行為や暴力行為と同様に)無かったことになるのだろう。
これがうちの学校が荒れている原因ではないのだろうか。

そして、どうしようもない状態(行為障害を併発してから)になってから誰か人の良い人に押しつけて責任をとらせるのだ。だから荒れが止まらないんじゃないのだろうか。

最初のSOSの時には日頃『俺は荒れていた学校をきちんと指導してまともな学校にした』と自慢していた教頭は聞こえないフリしてどこかに消えてしまった。
だから止まらない。
荒れの原因は『(前任の校長のせいで)先生方のやる気がないからだ』と現在の校長は言うけれど、違うな。と思っている。
もっとも、それを校長に言ったら何人かの先生を使って執拗に嫌がらせをさせるんだから、荒れが止まる方がおかしいと思うけれど。

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つれづれ日記 

2006年03月08日

教師の仕事は伝統芸か?

先日の「ベテランよ力量の差を見せつけろ」にたくさんのコメントをもらった。
正直嬉しかった。アクセス解析をしているので、そこそこ読んでもらっているなぁとは感じていても、実際にコメントがあるとやっぱり嬉しい。

ただ、その中で気になる言葉があった。
「先輩の良いところを盗む」という表現。
これって、伝統芸能の世界で良く言われる言葉じゃないのかな?
だとすると、教師の仕事は「伝統芸能?」

確かに、伝統芸能に近い部分もある。けれど、それは少ない。
授業の組み立てなんてのは「理論的に説明」できなくてはいけない。
なぜ、この単元の導入にこの活動をするのか。明確に説明できなくてはいけない。それは展開で「予想と違う」という逆転現象を起こすためであったり、日常見逃していることに注目させるためだったり、既習事項の確認をするためであったり様々な理由がある。

これは決して伝統芸能ではなく、理論的な部分。
よく、授業は水物なんて表現をする人がいるけれど、計画は理論的に作るべき物で、「なんとなく」では意味がないし、説得力もない。

多くの現場でそういう「理論的な話」が後輩に伝えられていないのが分かって少し残念に思う。私が教師になった頃は、そういう理論的な話はよく分からなかったけれど、喫茶店という第二職員室でよく聞かされた。繰り返し聞くことでその理論が少しずつ体に染みこみ、納得して来たように思う。

多くの現場でそれがなされていないとすれば、それは近い将来教育文化の消滅を意味することになりはしないだろうか。
中堅、ベテラン忙しいのは分かるけれど、やっぱり育てなきゃダメだ。
いつまでも自分が中心でバリバリやれるわけじゃない。

TOSSとかの教育活動をみているとこの理論的な部分をマスターするのにとっても有効だと感じている。もし、身の回りに『お節介親父』がいないのなら、こういったサークルに参加したり、書籍を読むしかないのだろう。

教育は次代を育てる仕事です。教師は育てるプロなら、ベテランは育てるプロ中のプロのはず、しっかり育てなきゃいけませんね。

追伸…教師の仕事(授業)には確かに伝統芸能的な部分もあります。
子どもの発言やつぶやきをどう拾って授業に活かすかということや、話し方の間の取り方とかはね。これは理論的に説明しにくい部分。
でも、これは理論的な話がある程度分かってからの話。
最初からそんな話をしちゃやっぱりいけませんよね。

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2006年03月07日

やっぱり変だと感じること

ある男の子がわざとガラスを割りました。
体育の授業が雨で中止になったことに腹を立てて怒りにまかせて近くにあった窓ガラスを叩き割ったのです。
4m以上先にまで飛び散ったガラスの破片。その破片をあたふたと片づけをする先生達。

以前にも書きましたけれど、今の学校はこういう場合弁償を求めません。学校の修繕費でなおしています。何だか納得できません。
割った後も担任の先生は「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」といろんな先生に謝っていましたけれど、割った本人は知らん顔です。

何だか納得できません。担任が謝るのは良いとして、割った本人も反省したのなら、迷惑をかけた先生(ガラスの破片の片づけをしてくださった先生たち)に謝罪の言葉があっても良いと思います。
また、こういった場合すぐに保護者に連絡し、修理代を請求するのが当たり前だと思うのです。

当日は無理としても保護者が指導し、本人に謝らせるべきではないかと思います。今年度はこういった「意図的な破壊」で修繕費がすでになくなっています。校長は「子どもが腹を立てるのは先生達に問題がある」なんてことを暗に言いますけれど、納得できません。修繕費が無くなったので、PTA会費から補填しようかという話もあるようですが、なんだか割り得くみたいな感じになっています。

悪いことは悪い。そして、悪いことをしたらちゃんと謝らなくちゃいけない。
未成年だから保護者も一緒に謝らなくてはいけない。ってことはすでに常識では無くなっているようです。

とっても割り切れない気持ちです。

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2006年03月06日

ベテランよ力量の差を見せつけろ

先日講師の若い女性と話をしていた。彼女は一般企業(法律関係)に勤めていたのを辞めて教師になったというちょっと変わった経歴の持ち主。

一般企業と学校との違いに戸惑うことも多々あったようだ。
その中で一番彼女が疑問に感じていたことは「学校では叱られない」という事。
一般企業なら「叱られながら仕事を覚えていく」ことが多かったのに、学校に来たら「叱られなくなった」と彼女は言う。別にいい加減にやっているわけではないが、初めてだから間違っていたら教えて欲しいというのに誰も叱りも教えてもくれないという。

新任二年目の青年も以前研究授業の反省会後に同じようなことを言っていた。(彼は一般企業の経験は無いけれど、部活動と比較したらしい)
だから、これはうちの学校の一般的な傾向なのかもしれない。

では、なぜ叱らないのか。
簡単に言えば、「叱るだけの時間と自信と力量がない」と思う。
叱れば当然その理由を説明しなくてはいけない。代案も示さなくてはいけない。
けれど、教師の仕事を理論的に説明する習慣がないからうまく言語で説明できない。時間もないから「良かった」という安易な評価で終わっているのではないか?

ベテランよ、それなら新人とあなたの力量は同じですか?給料はハッキリと差がついているのですよ。給料分以上の力量の差を新人にハッキリと見せつけてください。そうでなければ、新人はベテランのことを頼れませんよ。尊敬できませんよ。

子どもを育てるプロならば、新人も同じように育てていきましょう。
新人がいつまでもアマチュアなら、結局ベテランがいつまでも苦労しなくちゃいけないんですよ。忙しいとか言ってないで、力量の差を見せつけましょう。
教えなくても言いと新人が言ってくるまでお節介でも教え続けましょう。
それがベテランの存在価値を高めることにもなるんですから。

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2006年03月04日

少し暖かくなってきました

暖かい一日でした。春が近いことを感じます。
この季節は学年末でいつも忙しくて気づいたら4月ってことも多かったけれど、今年は幸いにも専科。成績も担任に渡すことができて、後は学年のまとめと補強を行う計画になっています。ちょっと担任よりも余裕があります。

だから、周りの景色の違いや空気・風の違いが感じられました。
今年、初めて担任を離れて、専科をやって担任とは違う時間の流れの中にいました。
それも悪くないかという気になりました。

つくしを探そうかな?梅の花を見に行こうかなぁ?
教師の仕事を離れてちょっとだけゆったりできるかなぁと思っています。

追伸…来年から給料が月に2,3万減りそうです。ホントに教育にはお金は回ってこないようです。(教育予算もここ数年連続して削減されています)今は壊れても修繕費がありませんから何も直せません。日本は本当に豊かな国になっているのかなぁ?

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つれづれ日記 

2006年03月03日

法律は自分自身には適用されない

壁に貼られた「張り紙禁止」という張り紙。
これは一見すると矛盾しているようだが、矛盾していない。
それは、この「張り紙禁止」という張り紙が貼られるまでは、張り紙は禁止では無かったのだ。張り紙禁止というルールはこの張り紙が貼られた後で発生したのだ。だから、この「張り紙禁止」というルールは、さかのぼってこの張り紙に適用されることが無いので、矛盾していないという訳です。

たしか、以前法律関係の本を読んでいて、こんな記述があったように記憶している。つまり、法律は自分自身には適用されないのだ。

教師の話もある意味同じような性格を持っているように思える。
例えば、「学校でお菓子を食べるな」という指導がある。けれど、職員室で休息時間にお菓子を食べたりすることはあるのではないか?(休息時間ではなくても勤務時間が延びた場合つまり、残業しているときには夜食だって食べることがある)「長期休業中は10時までは自宅で勉強しましょう」という指導もある。
これなんか絶対に教師は守れない。だって8時ぐらいには学校へ行かなきゃいけないから…。

教師の指導には、「自分に適用されない」ということは良くある。
中学や高校生相手なら「お酒を飲むな」「タバコを吸うな」「パチンコやに入るな」という指導だってあるだろう。(最近は小学校でもあるけれど)
これがそのまま教師に適用されたら「トホホ…」って先生も多いことだろう。

最近、注意されると「それじゃお前はどうなんだ!」って反抗する児童・生徒(反抗性挑戦障害の児童・生徒の場合が多い)が多くなり、困ってしまう先生が多いけれど、「大人と子どもの違い」が忘れられている。
先生の言葉(指導)は、自分(教師本人)には適用されない事もある。
それが常識と思いたい。

さて、「自分自身には適用されない」ということが染みついている教師も中にはいる。けれど、管理職となって職員相手に話すときには気をつけないといけないと思う。さて、今日はそんな話。(長いマエフリでした)

終礼で校長先生の話。

体罰は殴るなどの他にことばの暴力というのがあります。「殴る・暴言」をしてしまうような人は「この仕事を辞めなくてはいけません。いいですか、そういうことをする人は、この仕事を辞めて他の所へ行ってください」

私は、毎週月曜日の朝、全校児童を怒鳴り脅し暴言で指導している管理職を一人知っています。どうやらこの場合も本人には適用されないようです。


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つれづれ日記 

2006年03月02日

ラストスパート!

CRTの結果をクラスごとに見直しました。
クラスによってハッキリと違いがあります。
成績分布を見ていたら、4月のNRTや知能検査の結果の分布図に非常によく似た傾向が見られました。ある意味、能力にあった指導だったのかと思いますけれど…。

観点別で共通していたのは「数学的思考」が全国平均より全クラス高かったということと「知識理解」が一つのクラスを除いて全国平均よりかなり高かったこと。

ただ、1クラスは「表現・計算」と「関心・意欲」で大きく全国平均を下回っていました。中でも足し算・引き算の結果が悪かったのには大きなショックがありました。(他のクラスには見られない傾向です)

指導内容を全部終わっても2時間程度は余裕があるので、その時にクラスごとにこれらの弱点を補強して進級させたいと思っています。

でも、登校拒否の子が「算数で指名される」ということで行き渋りをしているらしいのでどうしようかと思っています。(毎時間ほぼ全員指名しているのでその子だけ指名しないのも変な気がしますから)
まぁ、本人の希望に添うようにするしかないと思っていますけれど。

さて、ラストスパート頑張ります!

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つれづれ日記 

2006年03月01日

不思議な結果

先日実施したCRTの結果が返ってきた。
腑に落ちない所がある。
それはわり算の所は全国平均を全てのクラスで上回っているのに、かけ算では2クラスが全国平均を大きく下回っている。
かけ算ができないのに、わり算ができるってことがあるんだろうか?

ひょっとして未習事項を(テストの時にはまだ2桁のかけ算の筆算は学習してなかったから)除外しなかったのだろうか?
(テスト問題を見ていないので何とも判断できないけれど…)

普通に考えてもちょっとおかしい気がする。
その他の部分は概ね全国平均を上回ったのでホッとしていたんだけれど…。

さて、CRTの結果を今週中に分析して、弱点補強のための補習授業(アンコール授業?)を来週から計画していかないといけません。
一応、学年の学習内容は終わる見込みなので。

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こめんと