2006年05月

2006年05月31日

しばらくエントリーを中断します。

ただ今、教育とは全く関係のない私のライフワーク(まぁ、趣味みたいなものです)の時期と重なりました。
この時期を外すと1年待たないといけないので、そちらを優先させていただきます。(多分、ピークはあと1週間程度だと思います)

コメントに対するお答えなどは書き込む時間があると思いますが、新しいエントリーについては、ちょっと無理かなぁと思っています。
(一応、あれこれ考えて文章を作っているので…)

ハッキリ言うと私のワガママです。今までのコメントなどが原因ではありません。趣味を優先したいというだけです。

最近、たくさんの方からコメントをいただき、ブログも面白くなってきたところではありますが、長年続けてきた活動(自然相手の趣味です)をここで中断するのももったいないなぁと思っているのです。

こんな事を書いて、「もう訪問するのやーめた」なんて言われると辛いのですが、今の時期を逃すとまた1年後にしか自然のサイクルは回ってきませんのでこちらを優先させていただきます。

たくさんコメントしてくださっているhirarinさん、kumamaさん、光秀ママさん、namiママさん、ぶにゅちゃんさん、ごめんなさい。ワガママを許してくださいな。
コメントがあれば、その返事だけはなんとかしようと思っていますので。

↓ワガママですけれど、(新しい記事が無くても時々は)投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ


sevenstarslight at 05:00コメント(18)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月29日

「玉にきず」は死語か?

昔習った言葉に「玉にきず」という言葉があった。
他は何も言うことがないのに、一箇所欠点があることを示す言葉だ。

使い方としては、「あの人はとってもいい人なんだけれど、酒癖が悪いのが玉にきずだよなぁ」という言い方をしていた。
この場合、「あの人」の評価は基本的には「いい人」という評価だったように思う。まぁ、多少の欠点は許していこうということでもないけれど、その欠点をあげつらって言うことはあまりなかった。

これは、偉人伝でも同様のことがあり、いかに実際は「借金王」であっても、そのことをあえて伝記には書かなかった。

さて、私が最近気になるのは、「人の行動の一部(多くは失敗)を取り上げ、それまでその人が一生懸命やってきた業績すら吹き飛ばして非難してしまう風潮」がありはしないか?ということ。

例えば、ホリエモンに対する態度。「時代の寵児」と扱っていた時代のことなど全て忘れて「犯罪者」としてそれまでの業績を一気に忘れさせてくれた。(業績そのものが無かったという批判も聞いた覚えがある)
まぁ、ホリエモンの例は「業務に関わる犯罪」だから仕方ないという点もあるけれどね。

人は、「完璧な人は極めて少ないと」誰でも思っている。(と思う)
(私は、「完璧な人はいない」と思っているのだが…)
だから、些細なミスで今までの業績を「全くなかった」かのように批判するのは間違っていると思っている。でも、最近「些細な」が許せない人が増えているような気がしてならない。

「信じていたのに…」という言葉で表現されることもあるけれど、評価していた部分が「間違っていた」ならそれも適切とは思うけれど、評価していたのとは違うところなら、「まぁ、そうだったの?玉にきずよねぇ?」と許して欲しいなぁと思っている。

例えば、校長先生が酔っぱらって立ち小便したとする。
確かに、これは軽犯罪法に違反している行為だと言える。けれども、だからといってその先生が今までやってきた「教育活動」そのものを否定してはいけないと思う。ましてや「人格」や「職業としての適性を欠く」という評価をしてはいけないと思う。

反論必死で書けば、昔ある政治家が「あなたには4人も妾がいるそうじゃないか、けしからん!」と責められたときに「確かに私には妾がいますが、正確には5人です」と答えてそれで終わったというような話を聞いたことがある。
(事実を確認していませんけれど)

妾の有無と政治家としての評価は別物と思えば、ある程度責められても仕方ないけれど、「だからあの政治家はダメだ」という評価をしてはいけないと思う。

教師は「加点法」で一人一人の良いところを見つけるように言われているし、保護者からもそれを期待されている。

でも、先の例など「減点法」で人を見ているような気がする。いや、「減点法」ではないと思う。人間の判断が「良い人」と「悪い人」と単純になっているのか、一つ失点があれば「ダメ」と言われるように感じる。

業績は業績として評価し、間違いは間違いとしてトータルに見ることはなかなか難しいのだろうと思う。

でも最近は「ちょっとした失敗」も許さない風潮になっているけれど、それで全部を否定するのはちょっと哀しいと思っている。

玉にきずで良いじゃないですか?その人の良いところを認めていきましょう。頑張っていること、頑張っていたことを評価したいです。
欠点があって良いじゃないですか?
だって、それが人間だもの。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(17)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月28日

早寝・早起き・朝ご飯

8b607b71.jpg本当は随分前に文部科学省が出していたんだけれど、気づかないでいた。
「早寝・早起き・朝ご飯運動」

何気なくテレビを見ていたら、これを取り扱った番組をやっていた。
出ていたのは幼児。でも、これが午前1時になっても寝ないんですよ。
起きてテレビを見ている。両親が寝てしまっても元気に飛び跳ね、テレビを見ているんです。

その結果として朝は起きない。食事は朝と昼が兼用になってしまっている。

これも、最近の傾向だから仕方ない?
でも、子どもの成長にとってこれって良いことなんだろうか?

テレビには土堂小学校の話も出てきていた。
朝食抜きは学力が伸びないという話もあった。

そう言えば、以前原稿を頼まれたときに睡眠時間について調べた事がありました。睡眠時間って無駄な時間ではないと思っています。特に子どもの脳にとっては新しい情報を整理し、統合していく時間でもあるのでとても大切な時間なんです。確か小学生だと8時間程度(低学年ほど長い)が必要だという話をどこかで見つけてそれを原稿に書いた記憶があります。

先ほど、少し探してみましたけれど見つかりませんでしたので、正確な数字は思い出せませんけれど…。

これに対して「家庭生活にまで口を出すなんて文部科学省って本当に税金の無駄遣い!」という声もあるようですけれど、私は子どもの話を聞きながら、「今ほど睡眠時間が崩れている時代はないのではないか」と思っていますから、文部科学省の取り組みを評価しています。

さて、私もちょっと睡眠時間を確保することに精を出すとしましょうかね。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(2)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月27日

学校公開

最近、「学校公開」が盛んです。「開かれた学校」の一環らしい。
でも、私疑問を持っています。保護者って学校のどこを見たいのだろう?

というのも、学校公開になると普段とは違う「行事」が増える学校があります。つまり、「非日常的な姿」を見せているわけです。これって保護者が望んでいるんだろうか?

もちろん、「普段とは違う子どもの姿を見たい」という保護者もいるのでしょうけれど、それは多いのかなぁと思っている。学校公開のために準備される時間は少なくない。いろいろに気を遣う。だから「見たい姿」を公開したいと思う。

私は個人的には「普段の授業」で「自分の子どもがどう活躍しているか」を見たいのだと思っている。どんな授業を展開し、自分の子どもはその中でどんな活躍をしているのか?それを知りたいのではないかと思うのです。
「非日常的な活動でどのように我が子は活躍するか?」も良いと思うのですが、「これでもか」と非日常的な姿を公開すると却って、「普段はとても公開できないような授業ではないか?」と思われるような気がしているのです。

どうなんでしょう?保護者はどんな姿を期待して学校公開に出かけるのでしょう?
↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 22:00コメント(13)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月26日

評価問題に客観性はあるのか?

学校ではいろいろな評価を行います。一番は学習に対する評価。
これ、どんな問題を出すかで結果が変わるのは当たり前の話だけれど、最近このテストには「客観性」があるのかなぁと思っている。

それは、「どんな問題を出すか?」には、そもそも出題者の主観が働いているのではないか。ということです。それを避けて、客観性を持たせるには「複数の人が協議」することが最低限必要なのではないか?と。

さて、業者のテストを採用することが禁止されている私の地区では教師がそれぞれの教科について問題を作成することになっています。
その問題について、代案を出したりして客観性を持たせるまで練り上げることは可能だろうか。

私の今の職場では難しいのです。慌ただしく動き回る職員を集め、授業研究を行うことすらマレなのに、テストを作成する時に事前に意見を交換し練り合うなどほとんど不可能な状態なのです。

最近はやたらと授業後に行う仕事が増えてきているから、全国どこの学校でも同じような状態ではないかと思っています。(どうでしょうか?)

そうなると、市などが独自に配布している「評価問題」や教科書や指導書に付属している「評価問題」を利用することが一番客観的なのでは?と思えてしまいます。
指導書の評価問題は出版されるまでに様々な検討が行われているのですから、何が客観的かといえば、これが一番客観的だと思う。

ただし、これは「テスト問題」を知ることができるという問題が発生します。(最近はインターネットで検索すれば見ることができる評価問題も結構ありますから)

けれど、私はこれはあまり大きな問題ではないと思っています。
(小学校レベルでは)「どうしてもこれだけは」という問題に限って評価しているのだから、そんなに多くの基礎問題があるわけではありません。

ただ、こういったものを使うのは、ダメだって意見も多いみたいです。
(自分で作っていないという事と、一部の人は問題を事前に知ることができる可能性があるということで)

さらに、市販の問題集から抜粋というと聞こえがよいけれど、「盗用」しては「法律に違反」するので難しいです。それも調べて(盗用になっていないかどうかを調べて)自分で作るとなるとかなりの労力になることは想像に難くないと思います。

新任の頃鍛えられましたので、テスト(評価問題)はたくさん作りましたけれど、ひどいときは1枚のテスト作成に5,6時間なんてざらでした。これをもっと他のことに使いたいという私は「手抜き教員」なのかもしれません。

他の人が作ったテストを見ながら、「これは問題文がおかしい」「語句の使用法が厳密ではない」「この問題文なら、この答えが導かれてもおかしくないのに×になっている…」なんてこともよくあるから、それなら思い切って市販のテストを買ったらどうかと思うのだけれど…。
うーん。やっぱり私は手抜き教員?

でも、授業の準備とか生徒指導とかに時間をかけたいと思うんですけれど。
だって、私には24時間しか持ち時間はありませんから。

保護者の方ってこれについてどう思うんでしょう。
私は「市販のテスト」に切り替えるのに賛成なんですけれど、やっぱり「教員が作るべき」なんでしょうかね?(市販のテストにするとカラーですから写真とかが数段見やすいんですよ。)
もちろん市販のテストを使うと教材費がかかります。
教員が作れば保護者の負担はゼロです。

やっぱり安ければ良いのかな?
教員自作のテストじゃないといけないのかな?
(中学校だと入試が絡んでくるので、そういう市販のテストだとマズイということもうなずけますけれどね。)

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(12)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月25日

辞める理由

私は、なぜか「辞める人が多い職場」に縁が深い。
前にいた職場も「今年は誰が辞めるの?」と子どもが聞きに来るぐらい毎年教員が辞めていく職場だった。

今年異動したけれど、やはり去年数人が辞めている。
一般の人からすると『公務員、特に教員は恵まれている』という認識があるだろうけれど、実際には「辞めていく人」は少なくない。

辞めて欲しくないなぁと思う人も何人か退職前に辞めていった。
中にはまだまだこれから「働き盛り」なのに…って人も辞めていった。
辞める人はそれまでいろいろと辞めるべきか続けるべきか悩んだことだろうけれど、結局辞めてしまった。

一般に恵まれていると言われる公務員。その中でも給与が高い(高すぎるという声さえ聞こえているため、今年基本給が下がり、次には手当が約4%減らされる予定)と言われている教員なのに、なぜ辞めていく人が多いのだろう?

せっかく高給取りになれたのに辞めていくのはなぜだろう?
(実際にはそれほど高給取りとは思わないけれど…)
今日はそれを考えてみたいと思う。(思い切り独断と偏見です)

1.仕事に疲れた。
教員の仕事には明確な終わりはない。もちろん提出文書など出せば終わりという仕事もあるけれど、授業の準備や生徒指導など「ここまでやったら終わり」という明確な終わりはない。
だから、ついつい超過勤務をしてしまう。けれども、残業手当が出ないのはもちろん、「労働基準法」に違反して超過勤務をしても誰もストップを掛けない。(「かけられない」というのが正しいかもしれない)
ちなみに、真面目な先生。やる気のある先生ほどこの傾向があるように思う。(土日のない先生なんてざらにいますから)

2.職場の人間関係に疲れた。
教員の仕事は基本的には個人が責任を持って行う仕事が多い。
けれど、実際には学年・部会など他の教員と同一歩調で進めないといけない仕事が時々ある。
しかし、そういうタイプの仕事に慣れていない教員同士の上に、「頑固」な人間が多い教員。中には、なかなかうまくつきあえないで気を遣って疲れてしまうことがあるのではないだろうか。
ちなみに、周りの人に「気遣いをするタイプ」も辞めている。
もちろん、あの人と同じ学校になると辞める人が増えるというタイプの人も教員にはいる。(この人は別に仕事ができない人ではない)

3.保護者との関係に疲れた。
全ての子どもは保護者と繋がっている。この保護者の考え方が、近年多様化の一途をたどっている。極端に言えば、「ある保護者の意見を参考にすると、別の保護者から強烈なクレームが来る」ことも無いわけではない。
その度にクレームの電話への対応(大抵は家庭訪問を伴うことが多い)となるが、これが何件も重なるようだと連日の家庭訪問(大抵は夜になる)が続くことになる。
おまけにクレームの付け方にもよるが、「喧嘩腰で怒鳴り散らされる」ことが多くなると余計に疲れてしまう場合も多いようだ。
もちろん、理不尽な要求が増えていることも否めない。

4.子どもとの関係に疲れた。
先生を先生とも思わない子ども。先生を恐喝する子どもが増えた。
(先生を殴って、「殴り返して見ろ、教育委員会に訴えてテメエなんかクビにしてやるぞ!」と脅す子どもも珍しくない)
そういった子どもに、一つ一つ熱心に話をして説得しようとするのだが、そういう子どもはハナから「話なんか聞いていない」ことが多い。
それでも熱心に「分かるまで説得する」先生は多い。
いつか通じるかもしれないと信じて…。

けれども、そういった子どもが「あの先生に殴られた。暴力を振るわれた」とウソをつかれ、やってもいないことでも謝りに行かなくてはいけないことが出てきたり…。
熱心に説得を繰り返した末に疲れ果ててしまった先生。

書いていて、哀しくなってきた。
これは私の周りだけの「特殊な話」だと信じたい…。
(追伸…プライバシー及び守秘義務を考え、いくつかの事例と他の人から聞いた話を混ぜて上の文は書いてあります)

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(30)トラックバック(1) 
つれづれ日記 

2006年05月24日

掲示物づくり

教育委員会の人たちが視察に来るというので、学校中でいろんな掲示物が作られている。私の担当している所も「今までのものが古くなっているから新しく作り直して欲しい」と言われ子ども達に作らせた。
まぁ、原型は印刷してあるから、それに色塗りをして完成というお手軽な掲示物だけれども。

さて、それを各グループの担当場所に掲示させることにした。
古いものは撤去し、新しく作ったものを掲示するというまぁ、それほど難しくないであろう作業。
さて、終わったところで点検に回った。


愕然。ひどい。
掲示物の上下にセロハンテープが貼ってあるだけなんてのは可愛いもの。
中には上の一箇所だけ貼ってあるものもあった。下も周りもびろびろと風になびいている。おまけに以前からある掲示物の隣りに貼ってあったり、古いものを取らないでうえに貼ってあるものもあった。

ちゃんと四隅を止めてあったものは皆無。
確かに、掲示物の止め方については指示しなかったけれど、それぐらいは高学年の児童だから分かっていると思っていた。
四隅をちゃんと固定することで剥がれにくくなるってことを知らないのだろう。でも、そうなると今までそういう経験が無かったということになる。
画鋲で掲示物を固定するにしても、教室の掲示物は大抵四隅に止められているはずではないのだろうか?

とすると、そういうものを見ていない?
古い掲示物だって四隅がちゃんとセロハンテープで固定されていたのに、それを見習わないで(気づかないで)いた?

「そこまで教えなくちゃいけない?」って思いが湧いてくるけれど、これが現実なんだなぁ。「あれども見えず」の状態なんだね。

うーん。まだまだ道は険しいなぁ。
↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(3)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月23日

最近の連帯責任?

高校野球のシーズンに時々問題になる「連帯責任」
チームの中の一人(時にはチーム外のことも?)の失敗の責任を全員がとるために「出場辞退」ということなんだけれど、最近はこの連帯責任の新しい形ができているのではないかと思っている。

それは「職業別連帯責任」
例えば、一人の警察官が不祥事(例えばのぞきなどの軽犯罪)を起こしたときに「最近の警察官は…」と一人の不祥事がいつの間にか「最近の警察官」と全体がそうであるように論じられたり、記事になる事ってあるように思う。

警察官の他にも最近は弁護士や設計士なども同様の扱いがあったように思う。
ちょっと古くなるけれど、オウム真理教の事件があったときには「高学歴者」が同様の扱いを受けていたように思う。

でも、一人いれば「みんな多かれ少なかれ同じようなことをしているんじゃないの?」ってのはおかしな話だ。そんなことを言うならば、犯罪の多くは「会社員」が起こしているのだから、その会社員全員を非難してもおかしくない。けれど多くの人は「会社員」には自分が入るから言わないだけだ。

こうやって、一部の人を取り出して、全体を非難することはやってはいけないと思う。これだけたくさんの人がいれば、いろんな不祥事はあるだろう。
でも、それでその仕事をしている人、全てが同じだというような風潮は恐い。

一人殺人者がでれば「塾も危ない」一人わいせつ教師が見つかれば「教員はとんでもない人間(犯罪者)が多い」みたいなことを考えてはいけないと思う。

こういう「連帯責任」みたいな報道は止めて欲しいと思っている。
特殊な人が「事件」を起こしているんですよ。特殊だからニュースになるんですよ。その連帯責任をその職業の人全部に求めるのは止めましょう。

一人一人を見て判断してください。
それが無理なら、せめて「職業別連帯責任」は止めましょう。
どんな仕事も世の中のために役立っているから、仕事として成り立っているわけですから。

sevenstarslight at 21:00コメント(8)トラックバック(0) 

2006年05月21日

みんな忙しいんだね。

職員は担任以外に校務分掌という形でいろんな仕事を分担している。
まぁ、学級でいう係活動みたいなもの。
無いと困る仕事がいろいろとあるから、それを職員で分担している。

今年転任したので今年の校務分掌はまぁ、「誰もが嫌がる仕事」が回ってきた。(すいません、特定されないようにいろいろと気を遣って書いているんです)
それは、仕方ないと思っている。新参者だから。

どの仕事でもそうなんだけれど一人では大変だから担任の先生に分担をお願いすることがある。それで、先日直接各担任の所を回ってお願いした。
委員会の時に間に合うようにある程度余裕を持ってお願いに行った。
一応その場は快く引き受けてくれた。

でも、回ってみると実際に期日までにやってくれた人は4人に一人ぐらい。
ほとんどは知らん顔。

みんな忙しいんだね。自分の仕事でイッパイイッパイ。とても他から頼まれた仕事までは手が回らないんだね。

今日も、ある先生から大声で叱られた。ちゃんとやっていたのに、その仕事を終えて職員室に戻ったら「やってなかった!」と一方的に叱られた。
そんなに怒ることでもないと思うけれど、カリカリとしているみたい。
みんな忙しくて、とても冷静ではいられないんですね。

うーん。でもさぁ。そんなカリカリモードで仕事してて大丈夫かなぁとも思う。
忙しいと、カリカリして上手くいったことはほとんどない。それどころか、問題行動が起こったり、トラブルに巻き込まれたりと却ってその後が辛くなるようなことが多いような気がする。

ふーっ。深呼吸して気分を落ち着けましょうよ。
忙しいときほど、意識して「のんびり」したいものです。
さて、貴方はどんな週末でした?

明日からまた仕事ですよね。心だけでものーんびりいきましょ。
↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(5)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月20日

全ての仕事に感謝したい

最近、「感謝」って言葉死語になりつつあると感じています。
身近な例で言うと、何かをしてもらったときのお礼。

なかなか出てこないんですよ。まぁ、相手が小学生ってこともありますけれど、『忘れ物を一緒に探してもらったりしてもお礼の言葉って出てこないんですよ。
』見つかったら、はいサヨウナラって感じで帰ろうとする子って少なくないです。まぁ、私はお節介ですから「ねぇ、何か忘れていない?」って聞いてしまいますけれどね。「……」キョトンとしている子もいますね。

でも、大人だって最近そういう感謝の言葉って忘れているような気がする。
例えば、買い物をしたときに店員が「ありがとうございました」とか、「いらっしゃいませ」って言うけれど、それに反応している人ってどれぐらいいるのだろう。

意地の悪い観察だけれども、ほとんど見たこと無い。
確かに自分はお金を払っている。それに対するサービスとして「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」という言葉がかけられているのだとは思うけれど、どうもなぁと思っている。

ちょっと前に『喋る自動販売機』とかがあった。確かにあれに「イラッシャイマセ」と言われても返事をする気にはならなかったけれど、実際の人が挨拶しているのだから、何らかのリアクションはあって当然と思うのだけれど…。

「やってもらって当然」「金を払っている」「それが仕事だろう」と言われればそれまでだけれど、実際にやってもらっているのは事実。
なんらかのリアクションや感謝の気持ちは持っていたいと思う。

働いている人、一人一人をしっかり見つめて、その人の行為に対して素直に感謝したい。食べ物を作ってくれる人。それを運んでくれる人。それを料理してくれる人。いろんな仕事があって、それぞれが滞り無く機能したお陰で今日もご飯が食べられる。いろんなサービスが受けられる。

どの仕事にも感謝したいな。そんな気持ちを持てる子どもに育てたいな。
みんなのお陰で生きている。そう思える子どもに育てたいな。
だって、その方がお互いに気持ちよく働けるし、楽しいじゃないですか?

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(6)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月19日

学力は一朝一夕にはつかず

先回、漢字のテストを行った時には結構満点を取れる児童が増えた。
ちょっと良い傾向なんて思っていたら、今回は元の木阿弥。
まぁ、平均6点ぐらいだけれど、零点も結構いた。

情けないとは思うけれど、これが学力ってもの。
たゆまぬ努力の積み重ね。それが学力。
最近の傾向として「学力軽視」が伺えるけれど(学力よりも人間性だっていうようなものの、極端な例として「学力が高い=人間性に問題あり」みたいな傾向)人間性と学力は決して反比例では無いと思っている。

学力をつけるのに、時間が必要なことはある意味でその人間性にも良い影響を与えるように思っている。つまり、「まじめさ」を身につけるという意味で。

まじめもあまり最近は高い価値を認められていないようだけれど、もっともっと高く評価しても良いと思っている。まじめに努力を積み重ねられる人は、係の仕事にだってある程度期待ができる。ホームランは分からないけれど、打率(ヒット)は期待できるような気がする。

野球でキャッチボールや素振りをするように、毎日学ぶ努力をすることで、学力は着くものだと思っている。
(ちょっとした)楽しみを与えながら、基礎学力を付けていきたい。
焦らないで、けれどゆるみを許さず、一日一日でやれることは何かを考えさせたい。少なくとも学力はそうした習慣の中で育てられると思っているから。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(0)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月18日

ちょっと効果?

最近はスピーチの学習をしている。
まぁ、原稿については4年生だから「体験を淡々と綴る」というものが多くて、それほど「劇的な変化」は見られなかった。(まぁ、当然と思っている。文章作成能力ってのは結構総合的な力の発露だと思うから、一朝一夕に伸びることは無いと思っているから)

私が、ちょっと変わったかな?と感じたのは話し手が「聞き手を意識している」ということ。毎日のスピーチがあるけれど、正直「自分の都合で喋っている」という印象が強かった。
それが、「聞き手を意識し、メモから目を離して聞き手の様子を見て喋っていたり、間を取って話していたり、スピードを落として話していたり…」

うん。ちょっと分かってきたかな?と思っている。
朗読「こわれた千の楽器」でも「聞き手を意識せよ」が合い言葉だったけれど、その学習がちょっと生きているのかな?と思った。

少しの変化だけれど、「聞き手の中にそれに気づく者が出てきた」ことも成長の証だと思う。「互いの良さに気づき、自分の努力する方向に気づく」ことってとっても大切だと思う。
それによって、「教師だけ」ではなく「互いに学び合う」可能性が高まり、生涯学習へと繋がっていくのではないかと期待している。(期待が大きすぎる?)

まぁ、今回スピーチのテストをやりながら、子どものちょっとした変化が嬉しい結果となった。さて、まだまだ鍛えます。それも楽しく!そして「知的に!」

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ


sevenstarslight at 21:00コメント(3)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月17日

話を聞くことは大切です。

うちの学校は月曜日に「今週のめあて」を発表する。
今週一週間、こんなことに気を付けて生活していきましょう。という指針だ。

さて、その話があってすぐの1時間目に
「今週のめあては何ですか?」と聞いてみた。
「………」
ほとんど答えられない。

試しに挙手させてみた。
全く分からない。(約1割)
なんとなく分かる。(約5割)
自信を持って言える。(1割未満)
約3割が挙手していない。まぁ、これは「多分…」って所だろうか。

それにしても、話を聞いてからまだ1時間も経っていない。
それに、「今週このようなことに気を付けましょう」と言われ、具体的な説明(なぜ、このめあてが必要なのか)を聞いているはずなのに覚えていないとは…。

ついでに、校長先生の話の主旨を聞いてみた。
言えるのはやはり週のめあてと同じメンバー。

どうだっていいことかもしれないけれど、話を聞いてその記憶をどれだけ保持できるかは大きな問題だと思う。(もちろん、意識の問題でもあるけれど)

実際、説明した後に「○○はどうするんですか?」と説明したばかりのことを聞かれることがあるとガックリする。
しかし、これでは学習の効率は一向に上がらない。
進んだり戻ったりの状態ではないか。

話を聞くことは大切です。
ちょっと前にやっていた「今日のお話」の要約を指導しますかね。
聞くことと読むことは学習の基礎ですから。
この2つに気を付けて、これから指導を計画していきます。

とにかく、聞くこと・読むこと。これが先ず、第一だと思います。
例え、今はうまく話せなくても、書けなくても、聞けて、読めることを身につければ、その後も自分で学習を続ける可能性も出てきますからね。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 20:45コメント(2)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月16日

町で気になったこと

車を運転していたら、前の車から頭が出ていた。
正確に言うと「後部座席のまどから幼児の頭が出ていた」
ひやりとしてブレーキを踏んじゃった。

車はそのまま快走。信号で止まったので近づいてみるとどうやら後部座席の祖母がひざの上に子供を立たせているらしい。幼児は成人に比べて頭が重くてバランスが悪い。いつ風の抵抗を受けて外に投げ出されても不思議じゃないと思った。(見たときには上半身が窓の外にあったから)

チャイルドシートが確か義務づけられていたような記憶があるのだけれど、どうやらそれは無いようだった。良いのかなぁ?
こんなことで。どうにも心配でたまらなかった。

きっとあの子はチャイルドシートを嫌がるのだろう。だから祖母が抱っこしていたのだろう。と好意的に考えてみるけれど、だからといって危険なことには変わりない。
もし、事故を起こしたらあの子はどうなっていたのだろう。車の外に投げ出されていたことは間違いないだろう。
余計なお節介だとは思うけれど、ちょっと考えて欲しいなぁと思いました。

追伸…仕事が積んできましたので、これから時々更新が滞るかもしれませんがご容赦下さいませ。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ


sevenstarslight at 21:00コメント(3)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月15日

子どもはどこでも同じ反応?

場所(勤務先)が変わっても子どもは子どもだなぁと思う。
学校を変わっても、基本的には子どもの反応は変わらない。
でも、ちょっと待てよ、同じ反応ってことはそれは私が原因?周りを見ても他のクラスとはどうもノリが違う。うーん。
ちょっと不安になってきたので、典型的な例をいくつかあげてみる。
「うちも同じですよ」という意見が多ければ「まぁ、普通の教師だなぁ」と安心できそうな気がする。
「そんなのあんまりないですよ」という意見が多ければ「ちょっとレッドゾーン?」かもしれない。

エピソード1
休み時間は大抵教室にいて宿題の点検をしている。
「先生、腕相撲やろう」
「○○しよ」
女の子がうるさい。背中に乗っかかってくるのもまず女の子。
やたらと女の子の元気がいい。
ちょっと離れて男の子がいたりする。
低学年なら良いのだけれど、高学年の女子が抱きついているのはまずいなぁと思う。無理矢理膝の上に乗っかかってくるのも大抵は女の子。
以前には、高学年の女の子ばかり両膝に乗せ、背中に抱きつかれているところを他の先生に見つかった。その先生はその場に凍り付いて用件も言わずに帰っていった…。

エピソード2
給食の時間に当番の子をつれて給食を取りに行ったり、返却に行ったりする。その時「きちんと並んでいるかな?」と思って振り返ると子どもが「ピタリ」と止まる。前を見てまた歩き出す。しばらくしてまた振り返ると「ピタリ」と止まっている…。
しまいには「ぼんさんが屁をこいた!」と言って振り返るとみんな笑いながら凍っている。
なぜか給食当番をやりたがる子が表れる。

えっと、補足すると「ぼんさんが屁をこいた!」は「だるまさんがころんだ」の関西バージョンです。(へへへ、でも、私の勤務地が関西とは限りませんからね。アハハ)

エピソード3
給食の時間、美味しいものを食べていると(私は配膳の確認などをしていると食べ終わるのが遅くなるので)周りに子どもが集まってくる。
ひどいときには食べている箸の先に食いつかれた(要するに食べられちゃった)事があります。

追伸…ついでに書くと私の担当した学年の児童会の会長や生徒会の会長は全部女の子。なんでだろう。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(11)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月14日

軽度発達障害

軽度発達障害って言葉、最近は有名になったから教師をしている人ならまず知っていると思う。保護者の方も新聞などで目にしたことがあるかもしれない。
だけれど、この言葉正しく理解されているかというとどうもそうは思えない気がする。一番は最後の「障害」って言葉。
これがついているために、生理的な拒否反応を生んでしまう可能性があるので、なかなか教師も保護者に対して「軽度発達障害の疑いがあります」とは言えない。

軽度発達障害の中でも話題になって結構有名なのがADHD(注意欠陥多動性障害)というもの。この治療にはよく「リタリン」という薬物を使用する。
薬物だから、服用には当然専門の医師の診断が必要になる。この薬は大多数のADHDの症状を軽減する効果があると言われているし、実際に服用しているときと服用していない時の子どもの様子がまるで違うことも実際に見ているから知っている。

けれども、保護者は自分の子どもがADHDであることに気づきにくい。これは著名な医者の講演会で聞いた話だけれど、「自分の子どもがADHDであることに気づいたのはかなり後だった」と言っていた。ましてや普通の保護者なら気づくことはまずないだろう。

ADHDじゃないと思っている保護者にそれを理解してもらうのは実は大変難しいというのは、こういった所からも容易に理解できる。まして、目に見える障害なら理解してもらいやすいが、外見上は障害が見えないために下手をすると「うちの子を差別している」と取られかねない。

だから、担任としては「ADHDの疑い」がどれほど明白であっても、保護者にその話をするのを躊躇してしまう。

でも、ADHDの子はそのままでは大変危険なのだ。何と言っても「事故死」の確率が通常の子の5割増しという話があるぐらいだから。
ADHDの子は「突発的」「衝動的」に行動する。その為、周りの危険を察知することができず、心ならずも「事故死」という最後を迎えてしまうのです。

だから、ホントはその子の命を守るためにも専門医の診断を受け、必要ならば薬の服用をした方が親子共々幸せなのだと思う。けれども、「障害」という言葉を担任の口から伝えるのは度胸が必要です。
下手をすれば、医者にかかるどころか「あの先生はうちの子を障害者呼ばわりした」として敵対することになりかねません。

私のクラスにも数名ADHDと疑われている児童がいます。(統計的には約1割近くの子が何らかの「軽度発達障害」を持っていると言われていますから驚くことではありません。)でも、その中で保護者にそのことを伝えてあるのはゼロ件です。

したがって、薬を服用することもなく日常生活を送っています。傷つけ、傷つきながら生活しています。専門のカウンセラーなどが訪問しているのにも関わらず、そういう人が保護者に対して話をしてくれません。

エジソンや黒柳徹子さんがADHDだったということは、(一部の教師の中では有名な)事実ですが、あまり知られていないということも大きいかもしれません。

何とか助けてあげたいけれど、40名の集団の中にいると(薬無しでは)なかなかフォローしきれないのも事実です。
難しい問題ですけれど、何とか担任以外の人とチームを組んで取り組んでいきたいと思っています。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(6)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月13日

好きな偉人

テレビで「好きな偉人」を扱った番組があった。
歴史とかわりと好きなので予約録画して見た。(このエントリーを書いてからアップするまで数日間を空けているので、随分間延びした記事なってしまっているだろうけれど…)

第一位は「織田信長」だった。
私は織田信長がメチャクチャに好きだった。(過去形)
一番好きだった時代は私が10代・20代の頃だろうか。
既存の概念にとらわれないで、未来を見通して大胆に行動していく姿に強いあこがれを描いていた。

けれども、30代ぐらいになって「豊臣秀吉」や「徳川家康」が好きになってきた。人を育てる(その人の持っている力を引き出す)ことに長けているところが次第に尊敬できる人間へと変わっていった原因だと思う。

自分自身もこのころから「子どもを育てる」ために、何をしたらよいのか、その為の準備(下工作)はどうしたらよいかを考えるようになった。
ガキ大将先生から策士先生(?)へと変わってきた時代だったのかもしれない。

人はその立場で見方や好みが変わるものだと思う。
ならば、現在の日本人に一番ウケル偉人が「織田信長」というのはどういうことだろう。「今の時代に満足できず、既存勢力を一度破壊してくれるような勢力を期待している」のだろうか。

自分も「過去のしきたり」にこだわらず(縛られず)大胆に行動したいという願望の現れなのだろうか。

そんなことを考えながら番組を見ていた。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(0)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月12日

保護者と学校の距離

保護者と学校(先生)との関係を書いたら、結構たくさんの保護者からコメントをいただいた。正直とても嬉しかった。
(保護者が読んでくれていることがまず嬉しかった)

それと同時に学校も保護者もどうしたらよいのかを互いに模索していることがよく分かってきた。

保護者にすれば、大事な子。(もちろん、一部虐待という暗い陰もあるけれどそれは、ホントに一握りだと思います)大切に育てたいという願いは今も昔も変わらないと感じています。

ただ、昔に比べて学校(先生)がゆったりしていないし、保護者も仕事の関係で「お互いに十分に情報が得られていない」という傾向が見られるように思いました。

遠因の一つにはそれぞれが「傷つきたくない」ということもあるだろう。
個人個人を大切にする教育のため、実際保護者の願いは多種多様に成っている。例えば今流行の『小学校での英語教育』についても、賛成意見もあれば、反対意見もあるだろう。自分の意見を表明すれば例え8割賛成してくれても残りの2割批判の声が気になってしまう。

もちろん、それは私にだってある。このブログだって知り合いには一切紹介していない。地域も年齢もできる限り分からないように気を付けてエントリーを書いている。(もちろん個人情報の流出になったり、周りの人に迷惑をかけないためにそうしている部分も多いのですけれど)

これが保護者の場合すぐに「どこどこの○○さんは…だ」と噂になりかねない。言葉尻を捕まえただけのレッテル張りも恐い。人の噂には戸が立てられないのも事実だけにPTA活動などでも自分の意見を表明するのがはばかられるのは十分に理解できる。

だけど、距離をおいたままではやはりそれぞれが分かり合うのは難しい。
昔はそれを「食事」や「飲食」で埋める試みがあった。最近は「それは苦痛だ」という人が多くなってきたが、ある意味それは関係づくりには友好だったのではないかと思っている。

ある地域では「オヤジの会」なるものがあり、教師と保護者(名前からすると主に父親かな?)が一緒に飲食する会があると聞いたことがある。
経験が無いので、どこまで成果があるのか分からないけれど、おもしろい動きだと思っている。

もっとも、私は一応性別が男なので「淑女の会」なんて母親と一緒に飲食する会を作ると問題になりそうですからね。まぁ、楽しそうですけれど…。

まぁ、冗談はさておき、ざっくばらんに話が出来る場ってのをどうやって作るかは、これから学校と保護者の距離を考えるときに大きなテーマになりそうに思います。

また、時々エントリーしてみようと思っています。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(4)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月11日

算数の授業

わり算の筆算の単元になってから、T1,T2を交代して授業を行っている。
今までの学校でも算数の授業は子供にも保護者にも評判が良かったので他人任せにしているとどうもうずうずしてくるってのもあるけれど…。

私の授業はとにかくテンポが速い。
通常教科書の問題全部(省略することはない)+問題集をやっている。
授業の時間が足りなくなって、教科書の問題を宿題にしたことは多分一度もない。(新任の頃はあったかもしれないけれど)

今日の授業でも次のことをした。
九九の復習→基本問題→練習問題→発展問題と、どどどどどぅっと進んでいった。
基本問題は一つ一つ復習を交えながら全体で確認する。この時、次々に指名して基本事項の確認を行う。
練習問題では、その理解を確かめながらノート点検を行ってきちんとできているかを確かめていく。不十分ならここでやり直しや個別指導が入る。
そしてクリアした子どもは『怒濤の勢いで』発展問題に取り組んでいく。

基本的には教科書+問題集は授業時間に半数以上の子どもが終わってしまう。

練習問題→発展問題の所はハッキリ言えば能力別のコース学習になっている。
早い子はどんどんと新しい問題に挑戦し、遅い子は一つ一つ基本問題に立ち返りながら確実な定着を目指している。(中には当然、問題集まで進めない子もいる)
この時が一番忙しい時間帯でもあります。

ちなみに私が机間巡視でパパパッと○をつけて回るスピードはメチャクチャ速くて他の人が1人を見ている間に3人ぐらいは○をつけて回ってしまいます。

その時、理解不十分な子どもが見つかればそれれぞれにヒントを与えて回ります。しばらくしてそのヒントでできるようになっていれば○をつけて次に進ませ、理解できていなければ、再度ヒントを与えて取り組ませるという流れです。

今年は九九ができない児童が約10名。引き算が危ない児童が1名いるので、早く終わった子どもに、そういった子に説明を頼むこともあります。
それは、九九が不十分な子どもが10名を越えると2人の教師では手が足りないからです。さらに、早くできた子は復習をしながら、「人のためになる活動の気持ちよさ」を体験することができるからです。

中には教えることを嫌がる子どももいるけれど、(早く終わったのだから、今日の宿題をやりたいという子ども)「教えると相手が喜んでくれる」ことを体験すると、そういう子も教えてくれるようになることが多くありました。

「みんなができるようになる」それを目指して、これからも授業していこうと思っています。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(5)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月10日

子どもと話をしていますか?

家庭訪問をしていて保護者の言葉で気になった言葉がある。
それは
「私は夜遅くまで仕事をしているので、普段はこどもの面倒は全部祖母(こ(自分もしくは夫の母親)に任せています」という言葉。

家庭訪問では、普段の家庭での様子を聞くことがあるんだけれど、その時に保護者から返ってくる言葉に上のような言葉があった。

子どもに聞いても「連休中はお父さんは仕事だから一日も一緒にいなかったよ」「連休はお父さんはゴルフに行っていたから、お父さんとはどこにも出かけなかったよ」「お母さんは、仕事でいなかったからおばあちゃんの所に遊びに行っていたよ(つまりお泊まりです)」という言葉がちらほらと聞かれた。

家庭でのこどもの様子を聞かれて困惑顔の保護者もいらした。
これって全国的な傾向なんだろうか。
「子どもとは話をしないので、友達の名前もわかりません」と言う方もいらした。

みんな仕事が忙しいんですね。家族が一緒に生活するってのは難しい時代になっちゃったんですよね?
ちょっと昔「ハタラキバチ」なんてお父さん達が家庭にいない状況を揶揄する動きがあったけれど、「ゆとり」を推進している現在は「共稼ぎ、共ハタラキバチ」になっているのでしょうか。

祖父や祖母が健在で近くに住んでいれば、その協力を得て…ということも多いようです。でも、家族らしくないなぁと思ってしまいます。
同じ家に住んでいるから家族なのではなくて、同じ食事をしたり、話をしたりしてお互いのことが分かっていくから家族になっていくんじゃないのかな?と思っている。

そう、私は「家族は自分たちで育てていくもの」と思っている。
でも、それが今は難しくなっているような気がする。
この国は本当に「ゆとり」を持とうとしているのだろうか。
「仕事」に追われて、家族を振り返る余裕がないほど「貧しい国」になっているのではないだろうか。

そう思うと哀しい。いくら物質的には恵まれていようとも、本当にそれで良いのかな?
でも、「共稼ぎ・フルタイム」しないと家計が崩壊してしまう家もあるんでしょうね。(まぁ、うちも給料が随分と減らされて、似たようなものですけれど)

家族で「ゆとり」をもって生活できる。家族で会話ができる国。
政治家のみなさん、そんな国を目指してもらうことはできませんか?
残業・休日出勤そんなことしなくても、家族で生活できる国。
そんな豊かな国を目指してもらえませんか?

想像してください。小学生の子が一人でテレビの前で食事をしているんですよ。それが普通になったら「豊かな国」って思えないではありませんか。

政治家のみなさん。よろしくお願いします。

↓投票もお願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(20)トラックバック(1) 
つれづれ日記 

2006年05月09日

家庭訪問(2)

家庭訪問の第二段です。
って言っても実は前のような事は皆無だった。
それぞれにきちんと対応していただけたので、こちらも気持ちよくあれこれと話ができた…と思います。

地域が微妙に違うと言えばそれまでなんでしょうけれど、保護者の連絡網というか友人関係ってのはやはり地域ごとに違うんでしょうかねぇ。
これだけ携帯とかメールとかが盛んになっても知り合うのがやはり「地域中心」って事でしょうか。

保護者の受け止め方があまりにも違うのでこちらが戸惑ってしまったぐらいでした。(あまりにも丁寧な対応に「本当に同じ学区なの?」って感じました)

まぁ、これから学年が上がると母親ネットワークも広がっていく可能性がありますけれどね。(例えば共通する習い事とか、運動とかで遠く離れた保護者同士のネットワークが構築されていくとか)

まだ、家庭訪問が残っていますけれど、どちらの傾向が多いのかを冷静に判断していきたいと思っています。それによって切り口が見えてくるかもしれないから。

同時に家庭訪問で気になった傾向もありました。これについては明日のエントリーでアップします。(と、無理矢理引っ張ってみる)

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(2)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月08日

言葉の環境

休みの間にいろんな所に出掛ける。たくさんの人ごみの中にいるのは正直苦手だ。まぁ、連休だからと出掛けたわけだけれど、周りの人の言葉遣いがどうも気になった。
特に「若い女性(母親)」の遣い。
男女平等だからと言われるとそれまでなんだけれど、一部は「ヤクザ言葉」になっているような印象を受けた。

「てめぇ」「ざけんなよ」「何やっとんじゃ?!」
見ると金髪・茶髪・タトゥー・皮シャツなどのアウトロールックの女性。
話をすれば本当は違うのかもしれないけれど、思わずひいてしまう。

この言葉遣いをいつも聞いて育つとおそらく、その子どももそういう言葉遣いを何の抵抗もなく学ぶだろう。男の子だろうと、女の子だろうと。

大和言葉を中心にした柔らかな響きはそこには無い。
妙に尖った冷たい響きがある。
叱責と蔑み、自己中心的な心の動きがそこにあるように感じる。

ふと、テレビのバラエティ番組をみたら、そこに同じような言葉があふれていた。あの母親は、テレビから言葉遣いを学んだのだろうか。
だとすると、なんと可哀想な生い立ちなのだろう。
言葉を、母親よりもテレビに教えられて育ったなんて。

最近、母親が(女性が)どんどん社会に進出している。これは良いことだという報道があるけれど、子どもにとってはどうなのだろう。
子育ては「自分の今の仕事」よりも下級な仕事とでも言うように「人任せにして自分の仕事を続ける」ことが良いことのように報道しているけれど、本当にそうだろうか。
「出産しても仕事を続けられるように託児所を増やして欲しい」という声があるけれど、これって「子育てを他人任せ」にすることに違いはないのではないだろうか。

これ以上書くと、女性から嫌われそうだから止めるけれど(もう、十分に嫌われているかも)子育てってそんな「金を払って人任せ」にしてしまって良いものかな?と思う。

一人の人間となるように育てるのって男性も女性も関わって協力していくことが大事だと思うし、その時の言葉の環境ってとっても大切じゃないかなぁと思うのだけれど。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(10)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月07日

賢い保護者とそうでない保護者の違い?

教員は子どもを教えるのが仕事ですから、どんなことがあっても子ども優先、仕事は公務ですから公僕として最善を尽くすことが大事だってことは分かり切っていることなんですけれど、人間は基本的に感情の生き物。
『嫌だなぁ』と思っているとやっぱり仕事に力が入りません。

唐突に書き始めたけれど、実は保護者と教師のつき合い方ってのを考えたりしている。最近は部分的に『信長型』の保護者が増えたような気がしている。すこし前は『秀吉型』の保護者が多かったような気がしている。

部分的に『信長型』の保護者は「自分の考えと違うなら、教育委員会に訴えてクビにしてやる!」ってすごむタイプ。
この時、部分的に『信長型』って書いたのは、信長は「鳴かぬなら殺してしまえ」だけでなくて、情報収集力・先見性に優れ、先を読んで「総合的にそれが必要だ」と感じたことだけに突き進んだところが違うという意味。信長はもちろん、褒美の与え方もキチンとしていた。

私が言う部分的に『信長型』って言う保護者は、少ない情報で全てを判断して感情的に「言うこときかないなら…」ってなってしまうこと。もちろん褒美は出さない。まぁ、口は出すけど金を出さないタイプでもあるわけです。

それに対して少し昔に多かったのが『秀吉型』の保護者。相手の話も聞きつつ、自分のアイディアも盛り込もうとする。相手の心を掴んで、今まで以上の力を引き出させようとする。まさに「鳴かぬなら鳴かせてみよう…」というタイプ。時にはお礼と称して手作りのお菓子とかの差し入れがあったりする。(子ども達と食べてくださいなんて一言を添えて)もちろん、ちょっとしたことでもお礼の手紙を書いてくれたりする。

どちらが賢い保護者であり、どちらがそうでない保護者なのかは少し考えれば分かると思う。
勘違いしないで欲しいのだけれど、「教師をおだてろ」と言っているわけではない。教師の力を伸ばすことは、すなわち「自分の子どもにその成果が返ってくる」訳だから、保護者にとっても得になる話なのだ。

「○○先生にこんな事を言ってやった」って自慢しても仕方ないと思う。
保護者と教師は敵対してもあんまりメリットはないと思う。だって教育は「協育」であり「共育」なのだから。

あんまり戦闘モードで話を初めても、お互いにメリット無いと思いますよ。保護者と教師が協力して、共に子どもを良くするためにはどうしたらよいかを考えたいと思っています。それが賢い保護者じゃないのかな?
保護者のみなさま、教師をうまく使って下さい。

私の経験から言えば、教師は基本的には「誉められたり、認められるとやらなくてもいいようなことまで『追加料金無し』で働くお人好し」が多いですよ。お人好しは、上手に使うと双方楽しくなりますよ。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(23)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月06日

写生の指導

連休になるとそろそろ「写生」の指導が始まる。6月頃に市内で審査会があるからそのためには5月ぐらいに指導を始めないと間に合わないからだ。
(多分、全国的にこの頃は写生大会が行われていると思う)

新緑・若葉・新しい教室・新しい仲間…写生会の題材になりそうなものはたくさんある。個人的にはこの「写生」をはじめ「絵の指導」は好きだった。技術を分解して少しずつ教えるということが結構楽しかったから。

でも、最近図工から「絵の時間」がめっきり減っている。そのため子どもの絵には「マンガ」の影響が非常に色濃く出ている。
「対象を見ないで頭の中にある『概念』で絵をかいてしまう」傾向が強く出ている。(もちろん昔だってそんな子どもはいたけれど)
見ること(見させること)でその『概念』に変化を起こさせ、今までとは違う見方をさせることが楽しかった。
けれども、最近「でも、この方がカワイイ」と決して「自分の概念を変えようとしない」子どもが増えてきた。

人物を描かせるとそれが顕著に表れる。「目をよく見てごらん…」「だってそのまま描くと恐いんだもん。この方が○○みたいでカワイイんだもん!」
うーん。難しいですねぇ。

今年は4年生の担当なので「写生」は、「身の回りで形や色の変化があって面白いもの」を探して描こうと呼びかけました。
「形の面白いもの」とは、「一言で説明できない形のもの」です。だから校舎や体育倉庫などは「四角」と説明できるのでダメですよ。

「色の変化のあるもの」も同様に「一言で説明できない色」と説明しました。だから、体育倉庫は「灰色」など簡単に説明できてしまうものはダメですよと教えた。

その後、実際に外に連れ出して「同じ幹でも色の変化がある」「木によって緑に違いがある」「同じ木でも場所によって変化がある」「この松の枝の形は変化があって面白い」とか「岩の色ってみんなは『灰色』って思っているけれど、この岩はどうですか?」など、子どもに投げかけながら校庭を1時間かけてまわった。

その後場所を選ばせた。
「うん、うん。結構いい場所を選んでいるなぁ。」と思っていると
「先生、下書きできたよ!」と元気な男の子の声。
「どれどれ、早いなぁ」
みると画用紙一杯に体育館の板目が描かれていた。うーん。この後が難しいなぁ。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(2)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月05日

教室で仕事していると…

教室で仕事をしていると、周りに子どもが集まってくることがある。
大抵始めに来るのは「授業中にうるさい子ども」達。
ワイワイがやがや質問責めにする。
「何月生まれ?」
「何型?」
「結婚してる?」
「何が好き?」
「何歳?」

まあ、どってことない質問なので(授業中でもないので)それこそ適当に答える。その方が面白いってこともありますけれど…。(つねに真面目に答えていると後で保護者からクレームが来ることもあるので、授業中以外は適当な冗談もいいますよというメッセージでもあります)

こういう質問は男子よりも女子の方が多い気がしている。
振り返ると、今までの経験上圧倒的に女子が多い。もちろん周りにいるのは女子がほとんどってこともあるんだけれど。
服装についてのチェックも女子はうるさい。
「先生、今日はいつもと違って地味ですねぇ」なんて言葉は間違いなく女子だ。男子だと「先生、あのセンス見せて」と言うぐらいだ。
(センスには大きく「あっぱれ!」と書かれている)

しばらくすると、仕事をしていても周りが落ち着いてくる。この時結構「気になる女の子」が隠れていたりする。誤解の無いように言っておくけれど、「気になる」=「カワイイ・好き」の意味ではない。
指導上問題がある(緘黙やLD・問題行動など)と言われる子達の事です。

まぁ、向こうから来てくれるとこちらとしては「ラッキー」です。
探さなくても向こうから接点を持ってくれるのですから。

それにしても、どうして指導上問題がある子って向こうから寄ってくるんですかねぇ。他の先生は「賢い子しか来ない」って言うんですけれど、私の所って「指導が必要な子」が結構集まるんですよ。
同じ匂いがするのかなぁ。

追伸…「お母さん」って話しかけてくる子って時々いません?私、男なんですけれど時々あります。なんでかなぁ。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(2)トラックバック(0) 
つれづれ日記 

2006年05月04日

漢字テスト

先日、漢字テストを行った。
今までに自習の時間にプリントをやらせた様子からしても、あまり漢字は得意ではなさそうなことはよく分かっていた。だから「10問」だけ出すことにして、範囲を指定した。(つまり、問題をすでに明かしておいた)
練習回数はなぞりを最低1回。後は「満点がとれるように」練習しておいでとしか言わなかった。

結果…平均すると3点ぐらい(10点満点で)
3年生までの漢字と組み合わせたらその字が書けなくて×になっている子が多い。うーん。困ったなぁ。
まぁ、今までも最初のテストで2,3点だった子も3学期には満点連発になったことがあるからその可能性もあるんだけれど、ちょっと多すぎ。
宿題で絞るのはあてにならないから、『授業で鍛える』しかないと思っている。筆記スピードが遅いのも気になっている。

『文字を素早く正確に書く』これが今年の国語の目標だな。と密かに思っている。(一番の目標は『話の内容を正確に捉えるために、静かに話を聞く』なんだけれど…)もっとも、『聞くこと』『書くこと』は国語の大切なポイントなんだけれどね。

ついでに言うと私は、学年が下のうちは『話すこと』にはあまり重点を置いてない。アウトプットするにしても、内部に蓄積の無い子どもでは(あまり意味のない言葉)が多くなってしまうので、まずインプットすることに心を砕いている。そこから真似てくれればよいと思っている。
だから、教室(授業中)での話し言葉には注意を払っている。インプットがまずければ、アウトプットは期待できませんから。

さて、連休が終わったら『書く』指導に力を入れますか。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ


sevenstarslight at 21:00コメント(4)トラックバック(1) 
つれづれ日記 

2006年05月03日

家庭訪問

家庭訪問とは何のためにあるのだろう?
今の学校になってから初めての家庭訪問。
今までに経験したことのない辛い家庭訪問だった。

今まで家庭訪問だと「こんなことをうちの子が言っています」(ありがとうございます)ってのが多かった。まぁ、それに慣れていたというのもあって今年の家庭訪問は異質だった。

(1)「なんでうちに一番に来ないの!」事件
ある家に家庭訪問していたら子どもが携帯を持ってきて「先生電話」というので、途中だったが電話に出た。すると「どうしてうちに○時に来ないんですか!私は忙しいんです。この後○○へ行かなくちゃいけないんです。」と凄い剣幕。(訪問時間は○時〜○時30分に伺いますと連絡してあります。その時は○時15分ぐらいでした)
回る順番までは知らせてないので、前後の効率を考えて家庭訪問していたらそういう苦情の電話でした。こんな経験は初めてです。
ちなみに、その家ではいろいろと向こうから話があって、かなり時間をオーバーしました。
さらに、経路を変えたため、その家の前を再度通ると…母親はまだ自宅にいらっしゃいました。それなら、なんであんなに怒っているんでしょう?

(2)「去年の方が楽しい」って言ってます。
ある家では、「今年になって、『去年の方が楽しかった』と子どもが言っています。理由を聞いても子どもはハッキリと言わないんですけれど…。」って言われた。その場はとりあえず、「すいません」と謝って帰った。こんなこと言われたのは初めての経験だったからショックだった。

学校に帰ってからその話をしたら、「だって、去年は○○君、授業うけてないし、授業時間だって好き放題に遊んでいたもの」(学級崩壊の原因の一人だったらしい)
それって、親は知らなかったんだろうか?結構地区では噂になっていたと言うし、それが原因で登校拒否になりかけた子が何人もいたというのに…。(これは、別の家で言われた)

(3)「学校には期待していません!」
学力は塾でつけます。学校には何も期待していません。ただ楽しく過ごしていれば良いんです。大体、「塾の方が学校よりも長くいますから」学校なんかには何も期待していません。(言外に「所詮、学校の先生は『その程度の人間』でしょ」という見下した態度がありありと伺えました。)

これって、「学校は子どもの息抜きの場」って事でしょうか?学校で遊ばせてくれってことかなぁと思いました。
こんなことを最初に言われたのは初めてです。自分の仕事を思い切りバカにされたように感じましたけれど、間違っているでしょうか?
反論しても聞く耳持たずって感じでしたので、「そうですか」と静かに聞いていましたけれどスッキリしませんでした。

あまり詳しく書くといけないのですけれど、今年の家庭訪問はどうも楽しくありませんし、今後の見通しがとても暗くなりました。どうやってこの学校不信(批判)の強い保護者と協力していくことができるのでしょう?

普段のわたしなら「授業で勝負」って思うのですけれど、授業で学力を伸ばしても「学力がついたのは塾のお陰」って思われるようでは辛いものがありますから…。
まぁ、そういうクラスだから私が担任なんでしょうけれど。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(17)トラックバック(1) 
つれづれ日記 

2006年05月02日

初めて教壇に立つあなたへ

明治図書から出版されている「初めて教壇に立つあなたへ」を読んだ。
もちろん私は「初めて教壇に立つ」わけではない。もっとも、教壇なんて中学校の時以外、私も経験がない。(最近は教壇は無いところが多い)

読みながら、「うん、これはやっているな」という確認みたいなものが多かったけれど、気楽に読めるという点では連休に読むのに適していたと言えるだろう。
けれども、中には「ありゃ、これはやってなかった」と思うこともある。
昔、向山さんに言われたのに忘れていたことをいくつか思い出した。
例えば「机の上に何も置かない」ということ。

今年異動したので、職員室の座席と名簿表を置いている。それを押さえるためにペンケースも置いてある。理科室の鍵も机の上を保管場所に指定されたので置いてある。

異動して、今の職員室に私用のロッカーがないので、すべてのものが机の中に入りきらず、机の上に置いてある物がある。プリントの一時置き場としていた平ぺったい引き出しにはしまう場所のないノートパソコン(備品)を入れているからそれが入らないで机の上に残ってしまっている。

どうも仕事のリズムが作れない。おまけに今までは、机の下に個人持ちのロッカー(キャスター付き)を入れていたのに、ここは置けないように事務机が改造されていた。

漢字スキル・計算スキルは使用が却下されたので使えない。
久しぶりにドリルを使っている。

いろいろと基本から外れていることに気づいた。
職員室の机の上は、急いで何とかしたいと思っている。
とりあえず日々の仕事で使わないファイルを移動し、スペースを空けないといけませんね。さて、連休中にどこまでできるかな?

連休が終わると次は家庭訪問です。
まぁ、今年はすでにたくさんの家庭訪問をしていますので、家が分からないという家は少ないのですけれどね。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(2)トラックバック(0) 
読書記録 

2006年05月01日

横山験也さんは偉い!

算数は少人数加配の先生が今までT1をやってくれていた。
(学年同一歩調ということで断れなかったのもあるけれど)
単元が変わるので、それを機会にT1とT2を交代してもらうことにした。

単元は「わり算の筆算」
この単元はいつも「横山験也先生が考案した」『スイートポテト』を使っている。まぁ、単なる画用紙に『スイートポテト』って文字とイラストを書いた紙なんだけれど、これが学習に取り組む姿勢を大きく変えると思っている。

おもむろに紙を取り出し、黒板に貼る。「何だ?スイートポテトって書いてあるぞ」という声が聞こえる。
それには答えずにわり算の筆算の説明に入る。
10の位を計算したあと、「10の位の計算が終わったのでこの紙をずらします。でも、ずらすときに音がするんだよ」と言って紙を右にずらしていく。
『すいーっと』と擬音を入れながら。
「すると、この1の位の数がここに落っこちるんだ。どんな音がすると思う?」
『………』
「ぽてっと」と言いながら1の位の数を下にも書く。

たったこれだけのことなんだけれど、子どもにはウケた。
中には椅子から転げ落ちる子どもも出た。

楽しく学習する小技なんだけれど、実に味わい深い小技である。

ちなみに、これには後日談がある。
少人数指導の先生がその後別のクラスでこの真似をしたらしい。
けれども、子どもにはウケなかったらしい。
原因は何なんだろう?
少人数の先生が分析するには「間が違ったのかなぁ」ということだった。
落語に親しんでいた経験がこんな所で生きたのかなぁ?

教師は話をする仕事ですから、噺家からも学ぶことがあるのでしょうね。

↓投票お願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ
↓よかったらこちらにも投票お願いします。
人気blogランキングへ

sevenstarslight at 21:00コメント(4)トラックバック(0) 
つれづれ日記 
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ

読んで気に入ったらクリックしてください。



こめんと